2013年9月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
ニホンオオカミ(埼玉県・猪狩神社の狛犬)・写真は他のサイト「こまちの通り道 -オオカミ像を求めて」より引用
若い頃、奥秩父の山々を縦走し、武甲山の山頂に着いた時には日が暮れてしまっていた。
慣れない夜道を歩くのは危険だと思い、山頂で一夜を明かそうと思ったが、このままでは死ぬと思うほど風が
強く、避難場所を求めて山頂付近を彷徨っていた。
すると3畳ほどの信仰遺物を発掘するための無人の小さな掘っ立て小屋があり、私はそこで眠れぬ一夜を
明かした。
最近、この山の登山口に狛犬(オオカミ)の像が置かれていたと知ったが、当時はその像があったことすら
記憶にない。
ニホンオオカミが最後に目撃されたのが1910年のこと、今から100年以上も前である。
しかし前の記事にも紹介した「オオカミの護符」によると、1933年(昭和8年)にはまだ奥秩父近くでオオカミ
の群れがいたとの言い伝えがある。
当時の私はニホンオオカミについて、またこの一帯がオオカミを崇めていた地域だとは知らなかったが、何故
か武甲山を初めとする奥秩父や奥武蔵の山々には惹かれていた。
遊牧民であるモンゴルの人にとっても、オオカミは神であり、自らを「蒼きオオカミの末裔」と名乗った。
勿論、家畜がオオカミに襲われることがあったが、それでもモンゴルの人々は彼らの生態に敬意を表していた
のである。
最後に「オオカミの護符」小倉美恵子著より引用しますが、いつかまた、この地を踏むことができればと願っている。
☆☆☆☆
千嶋章市さんは、「お札だけでなく神社のお犬さまもすげぇんだぃな」と、参道の狛犬にまつわる不思議な実話を
語り出した。それは、狛犬が猪狩神社にやってきた昭和8年のこと、狛犬は、隣の両神村(当時)をさらに越えた
小野鹿町(当時)から運ばれてきた。今のように舗装された道はなく、古池の人々が大八車に乗せ、山道を少し
ずつ進んだ。途中で日が暮れ、宿を借りた家で「不思議」は起こった。
狛犬を縁側に置いて休んでいると、狛犬を取り囲んでいる何かの気配がしたそうだ。人々は恐ろしくて見ることは
できなかったが、そのうちにオオカミが遠吠えを始めたという。山から本物のオオカミが下りてきていたのだ。朝に
なって恐るおそる狛犬を見に行くと、その周りにはオオカミの足跡がたくさん残されていたという。「あまりに石像の
出来栄えが素晴らしいので、オオカミが喜んで出てきたのだ」と、幼い千嶋さんは聞かされてきた。昭和5(1930)年
生まれの千嶋さんは、このときのことを鮮明に覚えており、近隣の人々も皆この話を信じたというが、今はもう知る
人が少なくなってきたことがとても寂しいようだ。
確かに猪狩神社の狛犬は、写実的でリアルな迫力に満ち、神社の雰囲気とあいまって、厳かな霊気すら感じられる。
千嶋さんは、何度も「ウソでないよ。本当の話だよ」と繰り返した。「それ、信じます」と言うと、あごけない表情を浮か
べ、嬉しそうに微笑んだ。「信じますとも」。なにせ、祖母が語る不思議な寝物語に背中を押されてこの旅に出た
私ですから・・・・。
☆☆☆☆
|