「わたしは千年生きた」
13歳のアウシュヴィッツ
リヴィア・ビトン=ジャクソン著
吉澤康子訳 NHK出版 より
本書より引用
彼女の最後の言葉は、遠くから届いた。彼女は速足で集団とともに行進していった。 小さな男の子がピエロの人形を落とす。拾おうとしたとき、オートバイが近づいた。もう 一方の手を握っている年上の少年に引っ張られて、小さい子はピエロを拾わずに歩 き続けた。薄汚れた黄色のピエロが、道ばたに残された。隊列の行進はいつまでも 続いた。何列も、何列も、何列も。ようやく隊列が通りすぎると、すべてが静まり、土 ぼこりがおさまった。その後、また人や車が行き交った。けれど、ピエロは陽射しの なかにじっと横たわっていた。ああ、神様。あの小さな子どもたち。人形を持った幼 い女の子。ピエロを持った幼い男の子。ほかの子どもたちもみんな。わたしといっしょ に移送されてきた小さな子どもたち・・・・3ヶ月前に。あれからずいぶんたったような 気がする。あの子たちはいまどこにいるの? どこへ行進していったの? さっきの 大人や子どもたちはどこへ行進していくの? わたしがひざまずいている場所から、 さほど遠くないところに、煙が見える。わたしはそれを朝からずっと見てきた。夜じゅ うずっとにおいを嗅いできた。ああ、神様。憐れみを。古くからいる囚人の話では、 この収容所は火葬場と隣りあわせにあり、わたしたちの目や喉や肺にしみこむ煙 は死体の焼ける煙だという。それは事実なんですか、神様? 小さな子どもたちが ガス室で踏みつけにされているというのは、本当なんですか? 強い大人が上の ほうにたまった空気を求めて、野獣さながらに暴れ、弱い者を、小さな子どもたち を踏みつぶしているというのは!? そんな話が、何度も何度も繰り返されてい た。聞かされても、だれも悲鳴をあげなくなるまで。いやおうなく信じざるをえなく なるまで。わたしは暑さのせいでめまいがしてきた。太陽は高く昇り、むきだしの 頭に情け容赦なく照りつける。とても喉が渇いていた。ぎらつく陽射しに目もくらみ そうだった。喉はからから。太陽は・・・・太陽には耐えられない。ああ、神様。 憐れみを。 (1944年8月 アウシュヴィッツ 本書より引用)
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