「シモーヌ・ヴェーユ伝」

ジャック・カボー著 山崎庸一郎・中条忍 訳 みすず書房 より引用





(本書 訳者あとがき より引用)


本書の著者、ジャック・カボーは、この大部な書物を通じて、シモーヌ・ヴェーユの思想の

展開を、生涯の諸事件との有機的関連においてとらえようとする野心的な試みを打ち出し

た。彼は「まえがき」でつぎのように書いている。「いかにそれが興味を惹き独創的であろ

うと、純粋に伝記的な資料だけがすべてだというわけにはいかない。シモーヌ・ヴェーユが

書いた諸作品とそれらの資料とを結び合わせなければならない。」 このような態度は、彼

女の思想家としての特異性を考えあわせるとき、まずもって支持され、肯定されなければ

ならないものである。しかし、注目しなければならない点がもうひとつある。本書の原題は、

シモーヌ・ヴェーユ伝でも、シモーヌ・ヴェーユの生涯と思想でもなく、あくまで、シモーヌ・ヴェ

ーユの生きられた経験(ないしは体験)である。真正性を重んじた彼女の思想において、経験

はきわめて重要な意味をもつ。ペラン神父に与えた彼女の「霊的自叙伝」は、如実に、彼女

の生涯の主要な諸経験が彼女の思想の主要な時期と一致することを示しており、その本質

的テーマは、不幸とキリスト教の同時的発見という決定的経験の歴史であって、経験はつね

に主導的意味をもち、思惟はその経験の演繹的展開としてしか理解されえない構造を有し

ているのである。とはいえ、そこで語られている経験は、不幸にかんするものであろうと、キリ

ストにかんするものであろうと、用いられた表現の分析によってはなかなかとらえられない、

一種神秘的な経験であることも否定できない。それはともに、不幸という実在、神という実在

との突然の接触(これは彼女が両者の場合にかんして共通して用いている語である)、一挙

に与えられた実在の侵入だからである。しかし、この経験がいかに外側から客観的に把握

することが困難なものであろうと、感覚や想像力や思弁によって生み出されたものではなく、

注意にたいして与えられた自明性であって、主観主義やナルシシスムと絶対に無縁である

ことも指摘しなければならない。「経験について語ること、とりわけ、それを生きることは、実在

のみが重要であり、自己を錯覚から解放しつつそれに近づいてゆかねばならぬと語ることで

ある」(ミシェル・ナルシー)。自己を錯覚から解放するとは、実在にたいする遮蔽物としての

自己を透明にすることであり、実在にたいして反逆ではなく服従の徳を実践することであり、

実在が自己に示した真理のみ明らかにすることである。ここに、シモーヌ・ヴェーユにとって、

自己の経験を明確化しようとする努力が自己を消去する努力と一致するという逆説が成立し

たのであり、また、この逆説にこそ、《くだらぬ人間》と考えられた彼女自身にではなく、彼女

に託された真理のみ目を向けることをねがった彼女の言葉の真意があると考えられるので

ある。シモーヌ・ヴェーユは、その生涯を通じて、文字通り、この自己消去、自己抹殺、ジョル

ジュ・バタイユのいう《空無への指向》を実践した。しかし、この天才的女性の苛烈な心戦は

つねに《真理への指向》に裏づけられていて、この事情は前期と後期の彼女を通じてすこしも

変化しない。彼女はあらゆる党派の埒外にあって、虚言を生み出すいっさいのイデオロギーと

ドグマにたいして、無名の大衆とともにありながら孤独な戦いを挑んだ。彼女は虚言が支配

するとき権力は全能であることを心に銘記していたのである。この心戦の軌跡を明らかにす

ることこそ、本書の著者が「序論」で述べているように、彼女が好んで強調した卑小さを、

「彼女の作品と生涯の真正な部分」に位置づけることであろう。本書は、シモーヌ・ヴェーユ

の思想の独自性にたいする深い理解と、綿密な資料蒐集と、卓越した洞察力にもとづき、

ありうべき唯一のかたちにおいて、彼女の全体像を浮き彫りにすることをめざした労作で

あり、彼女に共感をもって接近しようとするあらゆる読者が繙かねばならぬ必読の文献で

ある。わたしは、本書を手がかりとし、また、なかんずく彼女の作品自体を通じて、多くの読

者が、現代におけるひとりの希有の女性の魂に参入し、しばしば誤解を生む表層的理解を

越えて、その輝きを受けることを心からねがっている。


 


目次

まえがき

序論


第一部 子供時代と大学時代 1909年〜1931年

第一章 子供時代と青年時代 1909年〜1925年

第二章 大学時代 1925年〜1931年


第二部 教諭、革命的アナーキストとしてのシモーヌ・ヴェーユ 1931年から1936年

第一章 ル・ピュイ女子高等中学校時代 1931年〜1932年

第二章 オセール女子高等中学校時代 1931年〜1933年

第三章 ロアンヌとサン=テチエンヌ 1933年〜1934年

第四章 工場での一年間 1934年〜1935年

第五章 ブルジュ女子高等中学校時代とスペインでの夏季休暇 1935年〜1936年


第三部 形而上学的宗教的思索の数年間・・・・魂と肉体の苦悶 1936年〜1943年

第一章 政治的苦悩から神の啓示へ 1936年〜1938年

第二章 敗北する平和主義 1939年から1940年

第三章 充実した思索の時代 1940年〜1943年

第四章 ニューヨーク 1942年6月末〜1942年11月10日

第五章 ロンドン、終焉の地


原注

訳注

訳者あとがき

書誌

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