「シモーヌ・ヴェーユの世界」
ダヴィ著 山崎庸一朗訳 晶文選書 より引用
本著「まえがき」より引用。
それぞれの世紀は、ひとりないし数人の人間の臨在によって輝いている。彼らはこの 世に対する神の憐れみから生まれる。このことを意識し、その光を拒否しないことこそ われわれの義務である。その光は、われわれが自己の不透明のなかに逃避すること を拒むとき、まさにその度合いに応じてわれわれを照らしてくれる。ここでいう不透明 とは、われわれの低劣な選択、注意と愛の欠如からつくり出されるものである。それ はまた、四囲の壁のなかにわれわれを閉じこめる牢獄に似ている。そこには自由へ 通じる裂け目はなく、われわれは他者から遮断されてしまうのだ。シモーヌ・ヴェーユ は、彼女の思索と生涯を通じて、世界に、われわれの現代世界にことづてをもたら す。彼女の注意のすべては、世界の不幸の上に注がれている。(中略)シモーヌ・ヴェ ーユは世界の不幸を見つめる。そうすることに満足をおぼえるためではなく、彼女が 世界の美を信じ、それを贖う者となることが可能であることを知っているからである。
本著「絶対の証人」 ガブリエル・マルセルより引用
マリー=マドレーヌ・ダヴィーほど、シモーヌ・ヴェーユの相貌、他のいかなる人間とも 似ていないその相貌を想起させるにふさわしいひとはいない。彼女に見られる心情の 熱烈さと、範例とすべき寛大さと、すぐれて明哲な知性との結合のゆえに、彼女はそ れにふさわしいのである。ありがたいことに、彼女がそのモデルについて描いた肖像 のなかには、いささかも聖者伝的なところはない。だが、これ以上に知的な敬虔さを もってシモーヌ・ヴェイユを語ることは、たしかに不可能である。ひとしく驚嘆すべきも のである彼女の作品と生涯とを注意深く眺めてみればみるほど、私にはますます確 信をもって、この両者をなんらかの公式のなかに閉じこめることが不可能であるように 思われてくる。マドレーヌ・ダヴィーはキルケゴールから借用された表現を用いて、シモ ーヌ・ヴェーユは真理の証人だったと語っている。そうかも知れない。だがむしろ私は、 はるかに希有のことであり、かついっそう逆説的でもあるが、彼女は「絶対の証人」 だったと言いたい。・・・・・・・・
本著 「訳者あとがき」より引用
マドレーヌ・ダヴィーの「シモーヌ・ヴェーユの世界」は、わたしの知るかぎりのヴェーユ 論のなかで、客観的態度と敬意とに貫かれ、しかもきわめてよくまとまった出色の紹 介論文である。だが、解説という仕事が一種の整合を前提とするものであるならば、 行動においても思想においても整合性の裂け目から真理が噴出するがごときヴェー ユの世界は、それがいかにすぐれたものであれ、つねにいっさいの解説を本質的に は受けつけないということを重ねて付言しておきたい。
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目次 絶対の証人 ガブリエル・マルセル まえがき 第一章 肖像の素描 性格 教員生活 社会 霊的経験 最後の数年 筆跡 作品 相貌 第二章 シモーヌ・ヴェイユの使命 第三章 いくつかの根本問題 正義の意味 善と悪 時間 美しいもの、美 第四章 社会改革への道 革命とその目的 反抗への誤った道 正義への道 第五章 自由な社会 生きた労働の組織化 道徳と教育 宗教生活 第六章 新しい人類への展望 個人と社会 文化
結論 訳註 著作・邦訳 参考文献 訳者あとがき
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