「ヴェイユの言葉」

富原眞弓 編訳 みすず書房 より引用








本書 「編訳者 序」 より引用

本書は、シモーヌ・ヴェイユの残した断章を5つのカテゴリーに分類して収録した。いうまでも

なく、同じ断章でも読みによって異なるカテゴリーに属しうる。それでもかまわない。この種の

読みの多様性こそが、ヴェイユによれば知性の自由な行使を証し、人為的な整合性の欠如

こそが、ときとしてテクストの真正性の保証なのだから。大別して断章は執筆年順に配置し

てあるが、場合により内容上のまとまりを優先した。


T 「自己と他者」

人格・仲介・重力・友情・執着・欲望などの主概念をめぐり、ヴェイユの人間洞察の鋭さをうか

がわせる断章を集めた。ヴェイユの理解では、人間どうしの基本的な関係は重力によって規

定される。重力とはすなわち自然の法則であr。愛着、嫉妬、競合、憎悪、無関心といったき

わめて人間的な関係性も、つまるところ強者と弱者を別様に支配する力の影響をまぬかれ

えない。奇蹟ともいうべき恩寵の介入がないかぎり、ニュートンの林檎のように、人間はただ

重力にしたがい落ちていく。まぎれもなくヴェイユは、モンテーニュやパスカルなどフランスの

伝統的モラリストの系譜に属そる思想家といえよう。


U 「神と必然」

非人格・待望・無神論・真理・不可能性・矛盾・幾何学・関係性などの主概念を核に、ヴェイユ

独自の神概念を浮き上がらせるよう断章を配した。ヴェイユにとって、神は人格的であると同

時に非人格的でもあって、この矛盾するふたつの属性が同時に並存することが、真正なる神

の証であった。「父なる神」もしくは「子なる神」として神の人格的位格が強調されがちな「正統

派キリスト教」とは一線を画する所以である。神の非人格性は必然との関連であきらかになる

のだが、本質的に善と必然はまったく無縁の概念である。往々にして、必然は善の不在として

感知される。にもかかわらず、必然は善なる神のもうひとつの相貌である。ところで、必然とは

無関心と匿名性からなる機械仕掛にほかならず、おのれの人格性と固有性を誇る人間の自尊

心をうち砕く。しかしヴェイユは逆説的に断言する。神は純粋な善であるからこそ、かくも無慈悲

な必然に人間の命運をゆだねられたのであると。


V 「悪・不幸・十字架」

本カテゴリーには、想像力・貨幣・人間の悲惨・義人の苦難など、ヴェイユ思想の中核をなす

主概念が含まれる。この世になぜ悪が存在するのか、というグノーシス主義者の古典的な問

いから、この世になぜ不幸が存在するのか、というあらたな問いをヴェイユはみちびきだす。

神が万能にして全知の善なる創造主であるのなら、人間の尊厳を奪い貶める不幸が存在す

るのはなぜなのか・この悲痛な思いをこめた言葉にならない叫びを、工場や戦場のただなか

で、ヴェイユは聞いた。さらに、なじみのある人間的環境からきり離され、過酷な根こぎを体験

した亡命時代、「地表に蔓延する不幸」をその精神と肉体において共有するなかで、つぎの事

実をいやというほど知ることになる。不合理で慰めのない不幸の爪にとらえられた人間の魂が

どのような変貌をとげるかを。いかに誇りたかk意志強固な人間であっても、社会的な評価や

家族や友人の愛情といった外的な支えを奪われや、またたくまに矜持を失い、ついには自己

の尊厳の感覚すらおぼつかなくなることを。それでもヴェイユは問わずにはいられなかった。

不幸の打撃をうけてもなにが無疵で残りうるのか、そのための条件とはなにか。やがて、これら

緊張を要する問いは、十字架上の断末魔の苦しい息のなかで、なぜわたしをみすてたのかと

神に問うたキリストの叫びとも重なっていく。おそらく、およそ問うにふさわしい重要な問いは、こ

の世界では答えが得られず、異なる次元に転移せずには解決できない。キリストの叫びに神が

沈黙で応えたように。


W 「力と社会」

プラトンが力説してやまなかった付和雷同する群集心理、すなわち「巨獣」の脅威が、威信・

権力・抑圧・集団・偶像など、社会的なものに従属する主概念を中心に展開される。あらゆる

人間は社会的存在である以上、巨獣の影響を完全には逃れられない。しかし自覚のあるなし

によって多少の差は生まれる。そして人間の領域において最終的には重大な結果をもたらす

のは、そのような微々たる差なのである。政治的な巨獣の典型がローマであったとすれば、

宗教的な巨獣の典型はイスラエルであった、とヴェイユは考える。現代の全体主義は両者の

混淆である。宗教的な後光をともなわぬ政治的な威光はなく、政治的・軍事的な力の後ろ盾

をもたぬ宗教的な権威など、なにほどのものでもない。ヴェイユはスピノザに倣い、両者をそ

れぞれ純粋にたもつべく、両者の分離の可能性をさぐった。晩年の主著「根をもつこと」はこの

試みの延長線上に位置づけられるであろう。



X 「正義と芸術」

本カテゴリーを特徴づける主概念は、放棄・離脱・脱ー創造・注意力・読み・知性・観照・憐れみ・

自由・正義・義務・ギリシャ/オック語地方の霊性である。力の放棄あるいは距離の維持と考えて

もよい。その象徴は「力を振るうことも蒙ることもない愛」である。プラトンの『饗宴』で語られるよ

うに、愛の狩人エロースが美の女神アフロディテの従者であるのは、偶然ではない。ヴェイユによ

れば、たとえば『イリアス』に純粋な表出をみた力への徹底的な拒否の姿勢は、その後の長い文

化的空白をへて「福音書」に描かれるイエス・キリストの言動のうちに、さらには南仏の異端カタリ

派の精神のうちにつかのまの復活をみた。ギリシャ文明において神殿や彫像が、キリスト教にお

いてグレゴリア聖歌やロマネスク教会がはたした役割は、力の拒否、正義の実践、美の顕現が、

互いに不可分の概念であることを物語るのである。







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