「若きウェルテルの悩み (まんがで読破)」ゲーテ・作

バラエティアートワークス より引用


  






本書より引用


ときは18世紀のドイツ。ウェルテルは自分が住む街から感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)に

飛び出した。現実社会にうまく適応できず、青春が放つエネルギーを自己の内面にしか向けられな

い青年の苦悩の物語。ドイツが生んだ最大の詩人・ゲーテが、誰もが経験する若さゆえの激情を

熱烈に歌いあげた不朽の青春小説を漫画化。




「若きウェルテルの悩み」のシャルロッテのモデルとなった、シャルロッテ・ブッフ(Charlotte Buff)



ウィキメディア(シャルロッテ・ブッフ)より以下引用



シャルロッテ・ゾフィー・ヘンリエッテ・ブッフ(後にケストナー)(Charlotte Sophie Henriette Buff(Kestner),

1753年1月11日 - 1828年1月20日)は、ドイツの婦人。ハノーファーの控訴院書記(現在の裁判官の書記にあたる職)

ヨハン・クリスティアン・ケストナーの妻であるが、なんと言っても、ドイツの文豪・ゲーテの代表作「若きウェル

テルの悩み」の中の永遠のヒロイン・ロッテのモデルであり、青年ゲーテを虜にした女性であることで有名。その美

しさは、作品の中でも、十分に察することが出来る。



ヴェッツラーの生まれ。父親は、地元の役人で、16人もの子供がいた大家族であった。彼女は、2番目の娘で、妹と

弟の面倒をよく見た家庭的な女性であった(この姿は、ゲーテを彼女を夢中にさせた要素でもある)。ゲーテは、

大学卒業後、ヴェッツラーで法律の勉強をした。ゲーテとは、1772年6月9日にヴェッツラー近郊の村で開かれてい

た舞踏会で知りあった(肝心のケストナーは当日は多忙で欠席していた)。ゲーテは、一目見るなり「理知的で、

素朴でそれでいて親切」と評するほどの好人物で、それでいて誰の目からも容姿も際立って美しかったといわれて

いる。たちまちゲーテは、彼女の虜になり、舞踏会の後、何度も彼女の家を訪問したり、多くの手紙や詩を送った。

家の周りの人たちとも仲良くなった。しかし、彼女は、ゲーテと会う数年も前にゲーテの友人である当地で裁判所

の助手であったケストナーの許嫁であった。しかし、ケストナーは、そのような事態でもゲーテを咎めたりせず、

理解を示し非常に紳士的な振る舞いをした。ケストナーもそれだけの魅力を備えた女性であることを知っていたか

らであった。ゲーテも誘い3人で、近くの草原に遊びに行くなどして、互いの「友情」を深めさせたという。ロッテは、

ゲーテの熱烈な恋に誘惑されずに耐えて、ゲーテは叶わぬみじめな恋に耐えられなくなり、別れも告げず、突然

ヴェッツラーを去っていった。



その後、ロッテは、1773年4月23日にケストナーと結婚。夫がハノーファーで書記官に就職するため、ハノーファー

へ移住。12人もの子供をもうけた。その後もゲーテとは、息子のアウグスト・ケストナーを通じて手紙で交流してい

た。夫とは1800年に死別。1816年には、60を過ぎたゲーテに会うため、ヴァイマルを訪問している(これを脚色して、

1939年に作家トーマス・マンが「ワイマールのロッテ」という小説を発表している)。



未亡人となった後も再婚はせず、1828年にハノーファーで死去。75歳であった。彼女の墓は、夫と隣でハノーファー
の墓地にある。 









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