「この手のひらほどの倖せ」

布施明著 文藝春秋刊





本書「あとがき」より引用


子供の頃、私には将来の夢が二つありました。一つ目は病理学者。病気の原因を研究

する、例えば野口英世のような人になりたいという夢。二つ目は、ジュール・ヴェルヌの

ような冒険作家になりたいという夢。両方とも、父から貰ったプレゼントに要因があるよ

うです。一番目は顕微鏡です。いろんな物を覗いてみました。最初に葉脈を覗いたとき

には息がつまりそうになったのを覚えています。二番目はヴェルヌの『十五少年漂流記』。

チュアマン島が手に取るように伝わってきて、想像の中で描いてゆく景色や成り行きが、

はっきり私には見えました。


それが中学生になって、吹奏楽部でフルートを吹くようになり、音楽好きになって、受験

勉強を忘れようとジャズ喫茶で歌い、そのまま時に流されて、いつしか職業歌手になって

しまいました。それはそれで良かったのですが。でも、いつでも子供の頃の夢は心にひっ

かかっていたのです。一番目の夢は顕微鏡が部屋から無くなったときに消えてゆきまし

たが、二番目の夢はいつでも本棚の隅にあり、私に思い出させるのです。「何か書きたい

な!」は、どうしたの・・・・と。


で、二十代の終わりにエッセイ集「ひこうき雲」を、三十代には小説「女優・涼子」を、そし

て四十代から書き始めた小説「パーティー・イズ・オーバー」を五十代に入って出版するこ

とができました。この三冊の著書は、自分なりに愛着があり、その時点では満足していた

のですが・・・・その度に夢が叶った心持でバルーンが萎んでゆくようでした。でも、また

性懲りもなく書きました。


いつの日か、今米国にいる私の息子にも読んでほしいし、今まさに定年を迎え、新たな

旅立ちのときがきている、私と同じ団塊世代の皆さんにも読んでほしいと思います。子供

たちの後ろ姿を思い出し、我々も振り向かずに、新たな冒険に一歩踏み出す勇気を持と

うじゃないか・・・・という、願いを込めて書いた話だからです。


時代は東京オリンピックの数年前、集団就職も始まり、五輪景気の出稼ぎが盛んになり、

60年安保から所得倍増計画に浮かれ、日本中が高度経済成長を疑わなかった。そんな

時代に何とか生き抜こうとした幼い兄弟の話です。ヒール役(敵役)がいません。みんな良

い人なのです。世界中がそうであってほしいと、今この時代だからこそ思うのです。


このストーリーにモデルはいませんが、健一のイメージは、以前、私と一緒に仕事をしてい

て、2002年に、彼の故郷、五島列島・福江の海で逝ってしまった福田修二君です。我慢

強さと儚さが、健一そのままだったからです。また、この話は、2005年の春、私の歌手生活

40周年を記念して行なったコンサートにおいて、朗読というかたちで披露したことがありま

す。その朗読中に、会場から聞こえてくる、すすり泣きに接したとき、震えるような感動をお

ぼえたことが今でも忘れません。そして今、過ぎた日に、過ぎた人に「ありがとうございまし

た」の言葉を、この本に託して上梓できたことを、心からうれしく思っています。(後略)





布施明 ミュージカル『オケピ」から“オーボエ奏者の特別な一日”


布施明「マイ・ウェイ」


    


   


 

2012年9月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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「シクラメンのかほり」

1ヶ月前から咲き出したシクラメンです。

(K.K)









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