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「AVE
MARIA」
Vyatcheslav Kagan Paley AO-Records
各作曲家のAVE MARIA9曲の独唱。これ
ほど深い情感を湛えるAVE MARIA集を聴い
たことがない。
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「夜明けのうた」
夜明けの光景に接すると、岸洋子さんの
「夜明けのうた」を自然と口ずさんでしまいます。
昭和39年の歌です。
「夜明けのうた」
夜明けのうたよ
あたしの心の きのうの悲しみ
流しておくれ
夜明けのうたよ
あたしの心に 若い力を
満たしておくれ
夜明けのうたよ
あたしの心の あふれる想いを
判っておくれ
夜明けのうたよ
あたしの心に おおきな望みを
抱かせておくれ
夜明けのうたよ
あたしの心の 小さな倖せ
守っておくれ
夜明けのうたよ
あたしの心に 思い出させる
ふるさとの空
作曲:いずみたく
作詞:岩谷時子
☆☆☆☆
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「見果てぬ夢」
映画「ラ・マンチャの男」より
1972年制作の映画だが、この曲を聴くと今
でも目頭が熱くなる。私にとっては青春その
もののような心踊る数少ない歌であり、熱く
こみ上げてくるものを禁じ得ないものなのだ。
「見果てぬ夢」騎士遍歴の唄
夢は稔り難く
敵は数多なりとも
胸に悲しみを秘めて
我は勇みて行かん
道は極め難く
腕は疲れ果つとも
遠き星をめざして
我は歩み続けん
これこそは我が宿命
汚れ果てし この世から
正しきを救うために
如何に望み薄く 遥かなりとも
やがて いつの日か光満ちて
永遠の眠りに就く時来らん
たとえ傷つくとも
力ふり絞りて
我は歩み続けん
あの星の許へ
(福井峻訳「見果てぬ夢」<騎士遍歴の唄>)
(1985刊 「ラ・マンチャの男」パンフより)
散文詩「見果てぬ夢」
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1942年、ナチス・ドイツ時代に指揮するフルトヴェングラー。
しかし彼は1933年、ヒンデミッド(ナチスの意向に沿う作曲を
拒否し弾圧を受ける)事件に対し、ナチスと対立。1938年、
ドイツのオーストリア併合後、ナチスによるウィーン・フィル解散
を阻止。1939年、第二次世界大戦が勃発するがドイツに残り、
国内のユダヤ人音楽家を庇護した人物です。戦後、戦時中の
ナチ協力を疑われ、演奏禁止処分を受けるが、無罪判決を受
け、1947年に音楽界に復帰する。このCDは1951年に演奏
されたもので、彼の最高傑作と言われています。1954年
68歳にて死去。
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ベートーヴェン「合唱」
フルトヴェングラー指揮
エリザベート・シュワルツコップ(ソプラノ)
エリザベート・ヘンゲン(コントラルト)
ハンス・ホップ(テノール)
オットー・エーデルマン(バス)
バイロイト祝祭管弦楽団及び合唱団
私自身、ベートーヴェンの人生そのものに
強い感動を覚える。ロマン・ロランの「ベートー
ヴェンの生涯」という名著に触れて、その想い
をまた新たに感じた。この第九はベートーヴェ
ンの魂の結晶とも言える素晴らしい作品であり、
深くそして強く心を揺すぶるものである。そして
指揮のフルトヴェングラーこそ、ベートーヴェン
の訴えたかったものを真に聴くことができた
偉大な天才である。
「心に響く言葉」1997.6/6を参照されたし
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「フォーレ・レクイエム」
クリュイタンス指揮
ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ
(バリトン) ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレ
ス(ソプラノ) エリザベート・ブラッスール
合唱団 パリ音楽院管弦楽団 EMI
ひとつの魂が死の淵に沈み、そして天界へ
とゆっくりと持ち上げられ最後にあふれる光
に包まれる。「鎮魂歌」・レクイエムの最高傑作。
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アウシュヴィッツにて演奏されるグレツキ作曲
「悲歌のシンフォニー(交響曲)」 |
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「グレツキ・
悲歌のシンフォニー(交響曲)」
ジンマン指揮 ロンドン・シンフォニエッタ
悲しさを湛えながらも、深い祈りへと心を導い
てゆく稀にみる傑作。
わたしの愛しい息子はどこへ行ってしまった
の? きっと蜂起のときに 悪い敵に殺された
のでしょう
人でなしども 後生だから教えて
どうしてわたしの 息子を殺したの
もう決してわたしは 息子に助けてもらうことは
できない
たとえどんなに涙を流して この老いた目を泣
きつぶしても
たとえわたしの苦い涙から もう一つのオドラ川
ができたとしても
それでもわたしの息子は 生き返りはしない。
息子はどこかで墓に眠っている
でもわたしには、どこだかわからない
いたるところで 人に聞いてまわっても
かわいそうな息子は、どこかの穴の中で 横た
わっているのかもしれない
暖炉のわきの自分の寝床で 寝ることもできた
はずなのに
神の小鳥たち、どうか息子のために さえずっ
てあげて
母親が息子を 見つけられないでいるのだから
神の花よ、あたり一面に 咲いてください
せめて息子が楽しく 眠れるように
オポーレ地方の民謡 沼野充義訳 「グレツキ・
悲歌のシンフォニー」パンフレットより引用
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「エヴァ・デマルチク・ライブ」
wifon
ポーランドでグレツキと同じ独裁政治の中を
生き抜いた。「黒衣の天使」と呼ばれ国民から
の圧倒的な得る。哀しみを湛えた表現力とほと
ばしる炎の情熱のライブだが、これほど歌に感
情移入出きる人は滅多にいない。
エヴァ・デマルチクに寄せて
エヴァ・デマルチクをわたしが最初に聴いたの
はラジオだった。その頃はまだ彼女を知らなか
ったが、目のくらむようなテンポ、滝から落下す
るような言葉、言葉、言葉が大理石の階段から
撒き散らされた真珠のように思われた。その上
一つ一つの言葉がはっきりと聞き取れるのだっ
た。そして彼女の声。それは一度聴いたらもう
決して忘れられない。それがわたしの最初の印
象だった。ポーランドの音楽界に新しい時代が
生まれた。エヴァ・デマルチクは、若い作曲家た
ちにだけ新しい時代を開いたのではない。彼女
の、自分が歌う詩を選択する姿勢そのものが、
わたしたちに詩人を聴くことを教えたのだった。
それらの詩人たちは若くして戦死したり、殺害
された者たちだった。それらの若い詩人たちの
残酷なまでに美しい言葉に輝きと、彼らの悲劇
の深さを表現することに成功したのだ。あのラジ
オの歌を聴いた日から長い年月が経った。その
間わたしは、彼女がデビューし、彼女のスタイル
を作り上げたクラクフのキャバレー「羊窟座」や
他の大きなコンサートで何度も彼女に感嘆した。
エヴァ・デマルチクは、自分自身の好みに忠実
であり、昔の歌に戻る。そして、その非の打ち所
のない、そして忘れることのできない声と、感嘆
すべき詩の解釈でわたしたちを魅了し続けてい
るのだ。
アンジェイ・ワイダ (「地下水道」「灰とダイヤモ
ンド」など数々の作品で著名なポーランドの監督)
1992年6月15日
☆キャバレーとはポーランドでは市民的芸術の
場という意味である。
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「マリアン・アンダースン」
ALIENOR
心が倒れそうになっていた20代の頃、毎日
のように「黒人霊歌集」を聴いて安らぎと共に
多くの勇気をもらいつづけていた。最初の頃
は、マヘリア・ジャクソン(1958年 Newportの
ライブは傑作)ばかり聴いていたが、同じ黒人
霊歌を歌っていたマリアン・アンダースンを聴
いた時、鳥肌が立ってしまった。巨匠トスカーニ
に「100年に一度しか聴けない素晴らしい声」
と称したが、彼女の特質はその低音に魅力が
発揮されていると思う。勿論独特な声質と奥行
きのある歌い方は素晴らしいが、低音で黒人
霊歌を歌う彼女に私は魅せられていた。
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「メモリー」
JUDY COLLINS 「TIMES OF OUR LIVES」から
ミュージカル「キャッツ」の主題歌として知られ
ているこの歌は、多くの歌手によって唄われて
いるが、私はJUDY COLLINSのものが一番感銘
を受ける。
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「さとうきび畑」
作詞/作曲:寺島尚彦
2001年9月、アメリカで大量・無差別テロが起り
ましたが、このテロへの過剰な報復が更なる憎しみ
を産まないように願っています。随分前にNHKの
「みんなの歌」で紹介された「さとうきび畑」という
反戦歌があります。最初にこの歌を聴いたとき涙を
流していました。幼少の頃、私は奄美大島に住んで
いました。青い海と蘇鉄、ハブ、そしてさとうきび畑。
子どもたちは私も含めて畑に行って良くさとうきびを
食べたものですが、このさとうきび畑を舞台とした
鎮魂歌、それが「さとうきび畑」です。幸いなことに
この曲はインターネット上でダウンロード(music.co.
jp)することが出来ます。ちあきなおみの歌を通して
この曲を知りましたが、やはり今でも「ちあきなおみ」
の情感あふれる歌声が心に響きます。ちあきなおみ
の大全集のCDに、この「さとうきび畑」が収められ
ておりましたが、今でも売られているのか不明です。
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「アバ・パーテル」
ヨハネ・パウロ二世 語り、歌
ヴァチカンのヨハネ・パウロ二世の語り・歌が、
魂を深い祈りへと導く傑作CDの一枚である。
キリスト教の信仰を持っていなくても、この祈り
の歌声に魂が清められてゆくのを身体の芯か
ら感じることだろう。
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「ESTHER LAMANDIER」
「アラム聖歌集 エステル・ラマンディエ(歌)」
録音 1989.9 シルヴァーネ修道院
ALIENOR
キリストが生きていた時代に使われていたア
ラム語で歌われる、素朴なメロディーが胸を打
つ。左の映像は曲は違いますが、エステル・
ラマンディエが演奏し歌っているものです。
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「エンヤ」
「アイルランドの嵐」「ケルツ」「ウォーター
マーク」「Shepherd Moons」「The Memory of
Trees」の五枚のCDを持っているが、透明感
溢れる歌声と、この世のものと思われない
調べに魅了されられる。
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「炎のランナー」
オリジナル・サウンドトラック ヴァンゲリス
映画「炎のランナー」の音楽を集めたもの
だが、この曲を聴いていると不思議に「力」
「勇気」「希望」が湧き出てきてしまう。もちろ
ん映画も素晴らしく
感動的である。
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「サイレント・ナイト」
スーザン・オズボーン
Della
「サイレント・ナイト」は「きよしこの夜」という名前
で有名であるが、このCDは宗教的な意味だけに
留まるものでなく、またクリスマスの時期に留まる
ものでもない。そこには魂の「癒し」が流れている。
心が疲れきっているときや、希望が見出せないと
感じるとき、これらの旋律は不思議な癒しの感覚
をもたらし、傷ついた魂を暖かい光の懐へと導い
てゆくだろう。スーザン・オズボーンの深く清らかで
いて温かい声に魅せられる。
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「布施明」
ミュージカル「オケピ」
「Mr.ボージャングルズ」
私は布施明の若い頃の甘ったるい歌い方が好
きではなかった。しかし、1975年前後(私が18
歳位の時)NHKの番組で歌った「ミスター・ボージ
ャングルズ」という物語風の名曲を布施明歌ってい
るのを見て、テレビに釘付けになっていた。この曲
はある程度、人生経験がないと唄えない歌だ。そん
な曲を実に見事に表現しきっていた布施明の真価
を知ったのはこの時だった。今この日本で世界に
誇れる歌手、歌唱力や表現力が卓越しているのは
布施明くらいかも知れない。ただ残念なことだが、
スタジオ録音されたCDは以前の甘ったるい歌い
方をひきずっている。彼の真価を引き出すには実
際に観客のの視線を感じながら歌うことにある。
その特質を理解しているスタッフがいればもっと彼
の魅力を引き出せたはずなのだが。観客がいない
スタジオ録音では自己陶酔してしまう悪い癖が出
てきてしまい、その内容も素晴らしいと言えるもの
ではない。左の映像は、三谷幸喜脚本・演出の
ミュージカル「オケピ」の中で中年のオーボエ奏者
(布施明)が、20年ぶりに別れた娘と会う場面であ
る。この「オケピ」はチケット販売と共に直ぐ完売と
なったほどの人気だった。下の映像は私が最も
感銘を受けた曲の一つ「ミスター・ボージャングルズ」
で、ジェリー・ジェフ・ウォーカー、ボブ・ディラン、
ニーナ・シモンなど多くの歌手が歌っているが、魂
を揺さぶる世界を見せてくれたサミー・デイヴィス・
Jrの「ミスター・ボージャングルズ」である。尚、布施
明が書いた童話「この手のひらほどの倖せ」は
2010年に映画公開された。
2012年9月、布施明の真価を引き出し、集大成と
も言える「Way of the Maestro」が出ました。ショパン
からカンツォーネまで幅広い名曲をオーケストラを
背景に歌い上げています。 |