「マリアン・アンダースン」

ALIENOR



      





 


心が倒れそうになっていた20代の頃、毎日のように「黒人霊歌集」を

聴いて安らぎと共に多くの勇気をもらいつづけていた。最初の頃は、

マヘリア・ジャクソン(1958年 Newportのライブは傑作)ばかり聴い

ていたが、同じ黒人霊歌を歌っていたマリアン・アンダースンを聴い

た時、鳥肌が立ってしまった。巨匠トスカーニに「100年に一度しか

聴けない素晴らしい声」と称したが、彼女の特質はその低音に魅力

が発揮されていると思う。勿論独特な声質と奥行きのある歌い方は

素晴らしいが、低音で黒人霊歌を歌う彼女に私は魅せられていた。

(K.K)


 
 


2011年12月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

映像省略

「深い河」マリアン・アンダーソン

昨日投稿した「カウンセリング技術」のところで言葉足らずのところがあったことを反省しています。



西欧人って(最近は日本人の多くもそうだけど)相手の論理的矛盾を直ぐついてくる癖があるみた

いだけど、僕は何故相手がそのような発言をするのかその背景や真意を必死に汲み取ろうとする

人間が好きだし、そうありたいと願っている。偉そうに言ってしまったけど、難しいことだから直ぐ僕

も上っ面の会話になってしまうことが多いのも事実なんだけどね。ただ、相手の意見に対し即答を

強要する「議論」というものが苦手だし、恐らく現代の子供に対しても議論したら簡単に負けると思う。



これは後で気付いたことだけど、インディアンも同じ思考回路を持っていたことを本で知ったんだ。

これはインディアンに限らず世界の先住民に共通すると感じているけどね。教師の質問に即答で

きない彼らインディアンは西欧人から見て「馬鹿」とずっと思われていたけれど、実際は教師が何故

この質問をするのか、その背景や真意を必死に考えていたことが後年になってわかってきたんだ。



僕が大学の先生から「こんなカウンセリング技術があったんだ」と言われたことの裏はそこにあると

思う。徹底的に相手の言葉に耳を傾け必死でその背景や気持ちを探ろうとする。だから殆ど自分

は話さないし、まるで「沈黙のカウンセラー」みたいな存在だった。でも不思議と相談者は次第に

問題の核心に自ら触れようとしてくる。だから先生達には新鮮に映ったのかも知れないね。でも

カウンセリングの研究所の先生達がインディアンの居留地に行ったら日常茶飯的に経験すること

だと思う。今のインディアン社会はアメリカ政府の長年にわたる同化政策の後遺症のため、貧困

やアルコール中毒、育児放棄、自殺などで苦しんでいるけど、この根っこだけは奪われていないと

信じたい。



黒澤明監督の映画(「八月の狂詩曲」か「夢」か覚えていない)で、年寄りのおばあちゃんが縁側に

座っていると、近所に住むおばあちゃんがやってきて一時間ほど時を過ごすんだけど、この一時間

二人には一言の会話もない。ただ黙って共に縁側に座って、そして帰っていく。僕はこの場面を見

たときに涙が出てきそうだった。時として沈黙は言葉よりも多くのことを語ってくれる、そのことを映

画の一場面が雄弁に語っていたからだと思う。



何か下手な「自分史」になりつつあるので、これで終わりとします。今まで長い文を最後まで見てくだ

さり本当にありがとうございました。



表題の「深い河」というゴスペルソングですが、僕が最初にゴスペルに出会ったのはマヘリア・ジャ

クソンでした。自分がどの道に進んでいっていいのかわからなかった時期に毎日何度も聴き勇気

をもらったものです。その後、マリアン・アンダーソンを知ったのですが、彼女の深い低音の響きに

また違ったゴスペルの真髄を感じてしまいました。



(K.K)


 
 


マリアン・アンダースンは、1902年にフィラデルフィアの貧しい黒人家庭に

生まれた。幼い頃から歌の才能を発揮した彼女は、6歳のときにはすでに

教会の聖歌隊に加わって歌うようになったという。高校卒業後、ニューヨー

クに出てジュゼッペ・ボゲッディに本格的な歌の教育を受けた彼女は、19

25年にはニューヨーク・フィルハーモニー協会のコンクールに優勝、それが

きっかけとなってコンサートにもデビューを飾った。その後、1930年には

ロンドンへ移ってさらに勉強をつづけ、1935年にはザルツブルクでトス

カーニに認められ、この巨匠に「百年に一度しか聞けない素晴らしい声」と

いう賛辞を得る。翌年には、ニューヨークでリサイタルを開いて大成功を収め、

アメリカ初の黒人の名歌手として名声を獲得する。その後、1955年にはメトロ

ポリタン・オペラに「仮面舞踏会」のウルリカ役でデビュー、彼女はこのオペラ・

ハウスで歌った初めての黒人歌手となった。


アンダースンの深い響きをたたえた力強い独特の声は、彼女ならではの劇的

な表現を可能とし、その高い芸術性とともに世界的な評価を受けた。また、単に

芸術家として称賛を浴びただけではなく、黒人に対する偏見がまだ根強かった

当時、彼女はそうした人種差別に積極的に戦い、そうした姿勢も広く共感を呼ん

だのである。1965年のコンサートを最後に、彼女は演奏活動から引退している。

このディスクには、アンダースンが得意とした曲ばかりがあ集められており、彼女

の魅力のすべてがここで聞けるといっても過言ではない。

(岡本稔 CDパンフレットより引用 このCDは絶版である)









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