「奄美 二十世紀の記録 シマの暮らし、忘れえぬ日々」越間誠 著 南方新社 より写真引用。
奄美大島で過ごした幼稚園時代の想い出 青い海と蘇鉄の赤い実そしてさとうきび畑。当時はおやつなんてない時代だったから
当時の僕は古仁屋のカトリック幼稚園に通っていたけれど、よくお漏らしをして先生 このカトリック幼稚園の卒業記念に聖母マリアの像を頂いたが、子どもながらにそ
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この画像は沖縄の素晴らしい写真を撮り続けている大塚勝久さんの写真集 「南の風」CD-ROMから引用させていただきました。この写真集の背景に流 れる音楽も沖縄独特の心暖まるもので、沖縄独特の風に吹かれてしまいそ うです。発売元 I・S・L・E |
「さとうきび畑」
作詞/作曲:寺島尚彦
ちあきなおみ が唄う 「さとうきび畑」
さとうきび畑 (作詞/作曲:寺島尚彦)
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ 今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる 夏の ひざしの中で ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ むかし 海の向こうから いくさが やってきた 夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ あの日 鉄の雨にうたれ 父は 死んでいった 夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ そして 私の生れた日に いくさの 終わりがきた 夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ 風の音に とぎれて消える 母の 子守の歌 夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ 知らないはずの 父の手に だかれた夢を 見た 夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ 父の声を 探しながら たどる 畑の道 夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ お父さんて 呼んでみたい お父さん どこにいるの このまま 緑の波に おぼれてしまいそう 夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ けれど さとうきび畑は ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ 今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる 夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 忘れられない 悲しみが ざわわ ざわわ ざわわ 波のように 押し寄せる 風よ 悲しみの歌を 海に返してほしい 夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 風に 涙はかわいても ざわわ ざわわ ざわわ この悲しみは 消えない
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2001年9月、アメリカで大量・無差別テロが起りましたが、このテロへの過剰な報復が 更なる憎しみを産まないように願っています。随分前にNHKの「みんなの歌」で紹介された 「さとうきび畑」という反戦歌があります。最初にこの歌を聴いたとき涙を流していました。 幼少の頃、私は奄美大島に住んでいました。青い海と蘇鉄、ハブ、そしてさとうきび畑。 子どもたちは私も含めて畑に行って良くさとうきびを食べたものですが、このさとうきび畑 を舞台とした鎮魂歌、それが「さとうきび畑」です。幸いなことにこの曲はインターネット上 でダウンロード(music.co.jp)することが出来ます。ちあきなおみの歌を通してこの曲を知 りましたが、やはり今でも「ちあきなおみ」の情感あふれる歌声が心に響きます。ちあき なおみの大全集のCDに、この「さとうきび畑」が収められておりましたが、今でも売られ ているのか不明です。 (K.K)
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2012年3月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |