「ホタル」東映 2001年公開映画
(監督)降旗康男
(出演)高倉健 田中裕子
私の幼稚園と小学校時代に親友だった人がいます。詳しいことは「私の紹介」に書きましたが、 彼のお父さんは人間魚雷回天の訓練を受けており、出撃する日を待っていました。幸いなこと に出撃する数日前に日本は敗戦を迎えました。人間魚雷とは特攻機と同じく小さな潜水艦に爆 弾を抱え敵の艦船に体当たりすることです。このような愚かな発案によりどれほど多くの若い 命が海に消えたか、それは特攻機とて同じことです。そしてそれは生き残った残された者にも 深い傷跡を残しました。映画「ホタル」はそのような生き残った人たちのことを主に取り上げて いる名画だと思います。この映画の元となったものは鹿児島・知覧で特攻の母と呼ばれた 鳥濱トメさんの想いでした。そしてその想いは当時子供だった娘・赤羽礼子さんを通して「ホタ ル帰る」草思社刊という文献を通して今に伝えられております。私が高校生の頃だったでしょう か。家にあった特攻隊員の遺書というのか家族に宛てた手紙をまとめた本を読んだことがあ りました。私の親友の父が特攻隊員だったことも影響しているのかも知れません。その本を
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「物語」・・・・東映の紹介より 朝日に映える桜島を背に、漁船の上で黙々とカンパチの生簀に餌を撒き続ける男 と、その姿を操舵室から見守る女がいた。男の名は山岡秀治、女は妻の知子。腎 臓を患い透析を続けている知子のために、山岡は沖合いでの漁をやめ養殖をはじ める。二人を乗せた漁船「とも丸」は、子供がいない夫婦が我が子のように大切に している船だった。
激動の「昭和」が終わり「平成」の世が始まったある日、藤枝という男が青森の冬山 で亡くなったという知らせに山岡は愕然とする。山岡と藤枝はともに特攻隊の生き 残りだった。昭和という時代の後を追い厳寒の雪山を独り歩む藤枝の姿が浮かび 山岡は唇をかみしめる。わずか一月前、故郷の青森から孫娘の真実を連れては るばる鹿児島の知覧へ来たが、山岡とは会わぬまま帰途についた藤枝。毎年冬 になると美味しい林檎を送ってくれたあの男がなぜ…友の想いを痛いほど知って いる山岡だったが、それでもそう問いかけずにはいられなかった。
山岡が二十二歳の初夏。この鹿児島湾から幾つもの若く尊い命が、重い爆弾を抱え て飛び立った。永遠に帰れない片道飛行。しかし山岡や藤枝のように、役目を果た せず様々な想いを抱えたまま帰ってくる命もあった。そしてそんな命の数々を見つ め続けた人物がいた。山本富子…若者達から”知覧の母“と慕われた女性である。
四十数年後、山岡は富子からある頼みを受ける。体の自由が利かなくなった自分 に代わって韓国へ行ってほしい―南の海に散っていった戦友・金山少尉の故郷が 韓国だった。本名はキム・ソンジェ。知子の初恋の相手で、結婚を約束した男であ る…富子は山岡に、金山の遺品である故郷のお面飾りのついた財布を手渡す。そ して山岡は、金山からもう一つ大切なものを預かっていた。許婚だった知子への最 期の言葉…特攻が特攻に託した伝わるはずのなかったあの日の言葉は、今もま だ山岡の胸の奥にあるのだった…
容態が次第に悪化していた知子が、身の回りをすべて整理してあるのを知り立ち 尽くす山岡。その山岡に宛てて藤枝が書いていたノートを、遥々届けに来た孫娘の 真実。飛び立つ直前に見せた金山の笑顔…幾つもの人々の想いが、山岡の背を 押していた。いつしか山岡の心には男として、夫として、二十世紀を生き抜いた人と して、ひとつの決意が芽生えていた。
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「ホタル帰る」 特攻隊員と母トメと娘礼子
赤羽礼子 石井宏 著 草思社 より引用
本書より引用
1945年6月、出撃の前夜、特攻隊員の宮川軍曹は「小母ちゃん、死んだら また小母ちゃんのところへ、ホタルとなって帰ってくる」と鳥浜トメに言い残し て鹿児島県知覧基地から出撃していった。ところがその夜、トメの家に、本 当に一匹のホタルが入ってきたのである。この本の題名はこのエピソード からとられた。軍の指定食堂を経営する鳥浜トメは長女の美阿子と次女の 礼子とともに、出撃する特攻隊員を暖かく迎え、送りだした。隊員たちもトメ を実の母親のように慕った。この本は、息づまるような状況のなか、日本人 がどのように行動したかの貴重な証言である。
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本書より引用
しかし、トメの観音像の建立と特攻隊員たちを祀る気持ちとは孤独ではなかった。 力強い協力者がいた。板津忠正、青木健児といった人々である。ともに知覧から 出撃したものの飛行機に恵まれず不時着し、再出撃の機会に恵まれずに終戦を 迎えてしまった人たちである。二人は戦後ひどい慙愧の念にさいなまれた。生死 をともにと誓った僚友たちが死んでいったなかで、自分だけが生き残ったことを恥 じる思いは、どの生存者にも共通であり、なかにはみずから命を絶つ者まで現れ た。それほどに、仲間を殺した、仲間に済まないという気持ちは彼らの体を切り 刻んだ。同時に“生き残り”という声にならない痛罵の声が飛んでくるのにも耐え られない。悩んでいるなかで、板津はかつての特攻隊員の母、鳥浜トメに会いに 行った。母は慰めてくれた。「生き残ったということは、残されたということだよ。 神様があんたをこの世に残してくださったということだよ。残されたということは、 何かやることがあるから残されたのだよ。神様があんたに、やりなさいとおっ しゃっている仕事があるはずなんだよ。世間がなんと言おうとも、かまうことはな いよ。あんたには、何かやらなければならない仕事があるはずだよ。よく考えて ごらんなさいな」
板津はこの言葉に天の声を聞き、百万の味方の励ましの声を聞いた。そうだ、 自分には何かすることがあるんだ、しなければならないことがあるんだと、その 言葉を噛みしめながら生きる決意をし、家に戻った。まもなく板津が発見した答 えは、特攻隊員として死んだ僚友たちの死をむなしいものにしてはいけないと いうことであった。世は逆風であり、軍国主義時代のすべては悪として葬り去ら れようとしている。しかし、高級職業軍人のやったことはともかく、特攻の死は 崇高な死であり、これを風化させてはならない。これを正しく歴史の表面に出 し、語り継げるようにしなければならないと彼は誓った。そのために彼のする こと、それは正確な資料を収集することであった。現況では、終戦のどさくさま ぎれで、知覧の出撃者の名簿も不正確な状態である。板津はまず、将来、 特攻を顕彰する殿堂を作ることを夢みながら、正確な資料の作成と、遺品、 遺稿などの所在を確認していく作業に取り組むことにした。それからの板津の 人生はもはや、“生き残り”のそれではなく、“残された者”としての人生となった。 本書「観音像建立」より
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目次 ホタル帰る 戦中篇 プロローグ 知覧 第一章 少年飛行兵 第二章 特攻始まる 第三章 群像 第四章 命ある限り 第五章 赤いテープ 第六章 いまひとたびの逢ふこともがな 第七章 アリランの歌声 第八章 たとえ手は動かずとも 第九章 ホタル帰る 第十章 神々のたそがれ
ホタル帰る 戦後篇 第十一章 アメリカ兵の母 第十二章 人類の母 第十三章 観音像建立 第十四章 日はまた沈む
あとがき 鳥浜トメ年譜
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2015年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。 根拠のない妄想体操にいれこむ私。 20数年前から夜明けの時間に一つの運動をしている。 それはフィギュアスケートのスピンのように、時計回りに21回くるくる回転するのだ。 実は、これは前の大戦で戦闘機パイロットを選抜するための重要な適性試験だった。 くるくる10回くらい回って直ぐに、真っ直ぐ歩くことが出来れば合格、できなければその時点で不合格となる。 勿論、私はその試験にに合格するためにくるくる回っているのではないし、 恒星のまわりを公転・自転する星の境地に立ちたいと願ったりもするが、全く掴めきれないでもいる。 ただ、思考が右や左に流されようとする時に、中心に戻してくれる働きを、この回転運動がもたらしてくれて いるのではと最近感じることがある。軸がしっかりしている人ほど、右や左の意見に耳を傾けることができる (私にその力があるかどうか甚だ疑問だが)。 別な言い方をすれば、大地に根をはっていなければ、浮遊病のように空中を漂い、何か強い力に拠り所を 求めざるを得ない。 ヒトラーは、ドイツ全体を覆っていたユダヤ人への反感と浮遊病を巧みに利用したに過ぎない。 私が好きな絵本の一つに「ねっこぼっこ」がある。 著者オルファースは20台半ばで修道院に入るが、第一次世界大戦のさなか34才で亡くなった。 大地の奥深くに視線を落とすことができた彼女の感性、その世界を一人ひとりが宿していたら、 彼女の死からもう直ぐ100年の現代は今と異なった世界だったのかも知れない。 |