「ねっこぼっこ」

ジブュレ・フォン・オルファース著 生野幸吉訳 福武書店











大地の母のはたらきや、土の匂いが女性らしい柔らかい絵の中に、生き生きと

表現されている。この本の著者は20代で修道院に入ったのちも絵の勉強を続

け、1916年第一次世界対戦の最中、肺をわずらい、34歳でこの世を去りました

が、アッシジの聖フランシスコと同じように大地からの贈りものに、畏敬と感謝

を持った方であったような気がします。大地に根をおろした作品。

(K.K)





Sibylle von Olfers

ジビュレ・フォン・オルファース


むかしながらの土のにおい 生野幸吉 (本書より引用)


「ねっこぼっこ」は、その絵も歌も、ジビュレ・フォン・オルファースの手に成るものです。

原題は、直訳すれば「根のこども」となりましょうか。ここでは東北地方のぼっこを当てま

した。作者は1881年5月8日、東プロイセンのメートゲーテンの館にうまれました。おてん

ばむすめだったようですが、早くから絵を学び、20代なかばで修道院に入ってのちも絵

の勉強をつづけました。彼女は肺をわずらい、第一次世界大戦のさなか、1916年1月

29日、34才でこの世を去りました。ジビュレがのこした絵本のなかで、この「ねっこぼっ

こ」(1907年)は、ハインリヒ・ホフマンの「もじゃもじゃペーター」とともに、現在もなお、

ドイツの子どもたちの心をよろこばせる絵本として広く愛されているようです。ここには、

むかしながらの土のにおいがあります。そして早く世を去るさだめだった女性の眼が、

大地の母のはたらきや、四季のめぐりや、おさない子どもたちのすがたをみつめてい

ます。「ねっこぼっこ」の女の子たちの服の色は、その子たちがそれぞれにかざす花の

色といっしょのようですね。つまり、ぼっこはそれぞれの生きものの精なのでしょう。絵

のなかの草木や花やこんちゅうは、日本のそれと同じものが多いようです。図鑑の絵

とはちがいますが、それでも、きみたちに名のわかるものが、いくつありますか?




2015年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。





根拠のない妄想体操にいれこむ私。



20数年前から夜明けの時間に一つの運動をしている。

それはフィギュアスケートのスピンのように、時計回りに21回くるくる回転するのだ。

実は、これは前の大戦で戦闘機パイロットを選抜するための重要な適性試験だった。

くるくる10回くらい回って直ぐに、真っ直ぐ歩くことが出来れば合格、できなければその時点で不合格となる。

勿論、私はその試験にに合格するためにくるくる回っているのではないし、

恒星のまわりを公転・自転する星の境地に立ちたいと願ったりもするが、全く掴めきれないでもいる。



ただ、思考が右や左に流されようとする時に、中心に戻してくれる働きを、この回転運動がもたらしてくれて

いるのではと最近感じることがある。軸がしっかりしている人ほど、右や左の意見に耳を傾けることができる

(私にその力があるかどうか甚だ疑問だが)。

別な言い方をすれば、大地に根をはっていなければ、浮遊病のように空中を漂い、何か強い力に拠り所を

求めざるを得ない。

ヒトラーは、ドイツ全体を覆っていたユダヤ人への反感と浮遊病を巧みに利用したに過ぎない。



私が好きな絵本の一つに「ねっこぼっこ」がある。

著者オルファースは20台半ばで修道院に入るが、第一次世界大戦のさなか34才で亡くなった。

大地の奥深くに視線を落とすことができた彼女の感性、その世界を一人ひとりが宿していたら、

彼女の死からもう直ぐ100年の現代は今と異なった世界だったのかも知れない。








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