「若き死者たちの叫び ヨーロッパ レジスタンスの手紙」

J・ピレッリ著 片桐圭子訳 教養文庫 より引用




2012年1月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



今から70年前にあった一つの実話を紹介しようと思います。映像は第二次世界大戦中、敵味方

なく愛された歌「リリー・マルレーン」 です。



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ところで、先年、ヨーロッパを旅行中、私は一つの興味深い話を聞きました。どこでしたか町の

名は忘れましたが、何でも、ドイツとの国境近くにあるフランスの一寒村に、今度の大戦中に

戦死した、フランスのゲリラ部隊十数名の墓があるのですが、その墓に混じって、ひとりの無名

のドイツ兵の墓が一つ立っているのです。そしてすでに、戦争も終って十数年経った今日も、

なお、その無名のドイツ兵の墓の前には、だれが供えるのか手向けの花の絶えたことがない

とのことです。いったい、そのドイツ兵とは何者なのかと尋ねると、村の人々はひとみに涙を光

らせながら、次のように話してくれることでしょう。



それは第二次世界大戦も末期に近いころのことでした。戦争勃発と共に、電光石火のような

ドイツ軍の進撃の前に、あえなくつぶれたフランスではありましたが、祖国再建の意気に燃え

るフランスの青年たちの中には、最後までドイツに対するレジスタンスに生きた勇敢な人々が

ありまして、ここかしこに神出鬼没なゲリラ戦を展開しては、ナチの将校を悩ましておりました。

が、武運拙くと言いましょうか、十数名のゲリラ部隊がついに敵の手に捕らえられました。残虐

なナチの部隊長は、なんの詮議もなく、直ちに全員に銃殺の刑を申し渡しました。ゲリラ部隊

の隊員の数と同じだけのドイツ兵がずらりと並んでいっせいに銃を構え、自分の目の前のフラ

ンス兵にねらいを定めて「撃て!」という号令を待ちました。と、間一髪、ひとりのドイツ兵が、

突然叫び声をあげました。



「隊長! 私の前のフランス人は重傷を受けて、完全に戦闘能力を失っています。こんな重傷

兵を撃ち殺すことはできません!」 今まで、かつて反抗されたことのないナチの隊長は怒りに

目もくらんだように、口から泡を吹きながら叫び返しました。「撃て! 撃たないなら、お前も、

そいつと一緒に撃ち殺すぞ!」と。けれど、そのドイツ兵は二度と銃を取り上げませんでした。

ソッと銃を足下におくと、静かな足取りで、ゲリラ部隊の中に割って入り、重傷を負うて、うめい

ているフランス兵をかかえ起こすと、しっかりと抱き締めました。次の瞬間、轟然といっせいに

銃が火を吐いて、そのドイツ兵とフランス兵とは折り重なるように倒れて息絶えて行ったという

のです。 (中略)



しかし、そのドイツ兵は撃ちませんでした。のみならず、自分も殺されて行きました。ところで

なにか得があったかとお尋ねになるなら、こう答えましょう。ひとりのドイツ兵の死はそれを

目撃した人々に忘れ得ぬ思い出を残したのみならず、ナチの残虐行為の一つはこの思い出

によって洗い浄められ、その話を伝え聞くほどの人々の心に、ほのぼのとした生きることの

希望を与えました。ナチの残虐にもかかわらず、人間の持つ良識と善意とを全世界の人々

の心に立証したのです。このような人がひとりでも人の世にいてくれたということで、私たちは

人生に絶望しないですむ。今は人々が猜疑と憎しみでいがみ合っていはいても、人間の心の

奥底にこのような生き方をする可能性が残っている限り、いつの日にか再びほんとうの心か

らの平和がやって来ると信ずることができ、人間というものに信頼をおくことができる・・・・これ

が、このドイツ兵の死がもたらした賜物でした。どこの生まれか、名も知らぬ、年もわからぬ

この無名の敵国の一兵士の墓の前に戦後十数年を経た今日、未だに手向けの花の絶える

ことのないという一つの事実こそ、彼の死の贈物に対する人類の感謝のあらわれでなくて何

でありましょう。(後略)



「生きるに値するいのち」小林有方神父 ユニヴァーサル文庫 昭和35年発行より引用



☆☆☆☆☆☆☆



ナチの残虐行為、特にユダヤ人虐殺(ホロコースト)は、生き残った人々の多くに死ぬまで

消え去ることのできない印を刻み込みました。600万人が犠牲になった強制収容所という

極限状況の中で、フランクル著「夜と霧」では人間の精神の自由さを、ヴィーゼル著「夜」

は神の死を、レーヴィ著「アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察」

は人間の魂への関心を決して絶やさなかったことを、そして大石芳野著「夜と霧をこえて 

ポーランド・強制収容所の生還者たち」では癒すことが出来ない忌まわしい記憶に苦しめ

られている人々を私たちに訴えかけています。しかしそのような絶望的な状況の中でもシ

ャート著「ヒトラーに抗した女たち」に見られる、ドイツ全体を覆う反ユダヤの流れに抵抗し

た人もいたのも事実です。



私自身、家族、国家、主義主張を守るため自分の生命を犠牲にすることとを否定するもの

ではありません。ただ先に紹介した一人のドイツ兵のことを思うと、家族、国家、主義主張

を守るため自分の生命を犠牲にすることとは違う次元に立っているよう気がしてなりません。

それは彼が助けることを選んだその瞬間、彼の未来の人生を、守りたかったものへ捧げる

という意味ではなく、未来へと向かって生きる自分自身に対しての意味を感じたと思うので

す。家族とか国家のためではなく、自分自身の未来に責任を持つために。



しかし、もし私が同じような状況に置かれたら間違いなく銃を撃つ側に立つでしょう。「これ

は戦争なのだ」と自分に言い聞かせながら。ただ、実際に銃を撃った他の兵士はその後

どのような人生を送ったのでしょうか。中には生き残って愛する女性と結婚し子育てをし

幸せな老後を迎えた人もいるかも知れません。ただ彼の意識のどこかにいつもこのドイツ

兵の行為が頭から離れなかったことは確かだと思います。「あの時自分がとった行動は

本当に正しかったのか」と。



この時期、夜の11時頃に東の空から「しし座」に輝く一等星レグルス(二重星)が登ってきま

す。77年前第二次世界大戦突入の時に、この星から船出した光が今、私たちの瞳に飛び

込んできています。当時の世界や人々に想いを馳せながら、春の予感を告げるレグルスを

見てみたいものです。



(K.K)


 
 


「これは普通と違った、少しばかり風変わりな本であることを、まず君たちに

告げなければなりません。・・・・タバコの箱やトイレット・ペーパーの切れはし、

そして本の余白や独房の壁などに書かれたものなのです。これを書いた人び

とに共通するのは、自分がやがて処刑されるということを知っていた、という

ことです。彼らのほとんどは、ファシズムにたいしてノーとい、戦争にたいする

闘いを宣言し、世界を変えるために闘ったがゆえに、その代償を支払わねば

ならなかったのです。」 本書より引用


 
 


本書「若い読者への手紙」より抜粋


この本を読んで君たちは、もしその時代に生きていたら、どんなだったろうか、また

何をしただろうか、とふと自分に問いかけることでしょう。しかし、ここで慎重に考え

なければなりません。今日、簡単であたりまえの選択のように思えることでも、当時

はきわめて多くの困難、きわめて知的な配慮そして強い精神力が必要とされていた

のです。当時わたしたちは、わたしたちを取り巻いていた嘘と偽りの網の目を通して

事実をみなければならなかったのです。まわりのすべてにたいして、《良識》や慣行

や平凡な日常生活と訣別する必要があったのです。時にはそれは、より身近なとこ

ろから始まりました。これが、なぜ優れたしかも誠実な人びとが、今日の君たちから

すればごく当然のことのように思われる選択を、しなかったのかという理由なのです。

ほとんどの人びとはファシストであったか、それともファシズムを打倒するために何も

しませんでした。彼らはごく少数の例外を除いて、悪者でもなければ愚者でもなかっ

たのです。彼らは我慢し、順応していっただけなのです。ある人びとは心から信じて

行動しました。だがその方向が間違っていました。こうした人びとを批判することは正

しいとしても、すべてが過ぎ去った今日、自分だったらパルチザンだったろうとか、

解放戦士だったろうに、と言い切ることは、余りにも容易なことなのです。わたしたち

すべてがそうであったように、もし君たちが当時生きていたとしても、沢山の、しかも

きわめて困難な中にあったでしょう。わたしたちの多くが間違ったように、君たちの

多くも間違ったことでしょう。


しかし、その時わたしだったら何をしただろうか・・・・という問いそのものが、誤った

問いなのです。君たちは当時そこにいませんでした。しかも、当時生きた人と同じ

状況に身を置こうとすること自体、無意味なことなのです。正しい問いとはそうでは

ありません。いかにして偽りと真実をはっきり区別することのできる状態に身をおく

か、いかにして今日だされている選択にたいして、正しい側に立つかということなの

です。


ぜひ知っていてほしいのは、レジスタンスはファシズムの敗北で完全に終ったので

はない、ということです。今日も生き続けているファシズムの心情や方法にたいして、

またあらゆる決定権を少数者に与えるといういかなる制度にたいしても反対するとい

うことは、継続しているのです。それは、自らの独立のための、植民地主義や帝国

主義にたいする人民の闘いや、人種差別にたいする闘いのなかに、行き続けていま

す。つまり、搾取する者と搾取される者、抑圧者と抑圧される者、余りにも持ち過ぎる

者と飢えのために死ぬ者とがあるかぎり、そこにはつねに、いずれの立場に立つか、

という選択があるのです。あちらでもない、こちらでもないという中間に立つことは、

ファシズムのもとで、あちらでもなくこちらでもなかった、ということと同じことなのです。

それが結局は、ファシズムを助け、強化したのです。多くの人がいうように、今日の

状況はより複雑で入り組んでおり、選択はよりむずかしい、ということが本当であると

しても、古いものと新しいものとの間の衝突がいつもある、ということだけは忘れない

でほしいのです。間違いを犯すかも知れないが、新しいことは、古いことよりも良いと

いうことは、確かなのです。


 


目次


若い読者への手紙

50歳代

息子へ(ドイツ、演劇評論家)

妻へ(チェコ、鉱夫)


40歳代

妻と息子へ(オランダ、印刷工)

妻と娘へ(オーストリア、大工)

教区の皆さんへ(ベルギー、教区司祭)

娘へ(イタリア、無名氏)

妻、娘、弟、両親へ(ブルガリア、印刷工)

妻と娘へ(フランス、漁夫)

妻、母へ(イタリア、憲兵曹長)

妻と娘へ(チェコ、農民)

妻と子へ(イタリア、黒檀細工師)

妻へ(チェコ、ジャーナリスト、作家)

妻へ(フランス、電気技師)

妻と子供たちへ(イタリア、工兵隊出身の旅団長)

妻と娘へ(イタリア、旋盤工)


30歳代

娘へ(イタリア、大学教師)

父へ(イタリア、砲兵大尉)

家族へ(ギリシャ、小学校教師)

息子と妻へ(ハンガリア 電気技師)

夫へ(オーストリア、主婦)

娘へ(オーストリア、工場補佐官)

娘へ(ドイツ、農民)

妻へ(ギリシャ、農民)

妻と子へ(ノルウェー、無線技師)

教会の皆さんへ(チェコ、神父)

妻へ(イタリア、町役場の書記)

妻子へ(ドイツ、船工)

妻へ(ユーゴ、農民)

母へ(オランダ、建築家)

仲間へ(ドイツ、縫子)

妻・子・母へ(イタリア、指物師)

家族へ(フランス、不明)

親友へ(チェコ、歯科技工師)

夫へ(イタリア、主婦)

家族へ(ノルウェー、工場長)

親友へ(ギリシャ、弁護士)

娘へ(ルーマニア、婦人労働者)

父母へ(イタリア、司祭)

母へ(ユーゴ、法学者)

親類の皆さんへ(チェコ、政治活動家)

両親へ(ドイツ、従軍司祭)

同志へ(ユーゴ、労働者)

母へ(ユーゴ、主婦)


20歳代

妻子・母へ(ブルガリア、熟練工)

家族へ(ポーランド、不明)

遺言(ルクセンブルク、労働者)

娘へ(イタリア、美容師)

息子へ(ブルガリア、公務員)

報告・妹へ(ポーランド、学生)

伝言(ポーランド領のユダヤ人たち)

母へ(デンマーク、地下機関紙編集長)

妻子へ(ソヴィエト、不明)

恋人へ(チェコ、学生)

両親へ(オーストリア、仕立見習人)

妹へ(オランダ、公務員)

兄へ(ブルガリア、郵便局員)

母へ(ユーゴ、姉妹)

両親へ(ハンガリア、金銀細工師)

弟へ(ルーマニア、旋盤工)

父と母へ(イタリア、学生)

友人へ(ポーランド、学生)

皆さんへ(ギリシャ、美容師)

母へ(ユーゴ、銀行員)

妻へ(ブルガリア、学生)

伝言(モギリョフのパルチザンたち)

伝言(フーレヌの囚人たち)

校長先生、先生方、友人へ(ベルギー、教師)

家族へ(ソヴィエト、女子学生)

父へ(ギリシャ、理髪師)

両親、友人へ(イタリア、学生)

家族へ(チェコ、労働者)

母へ(オーストリア、機械見習工)

妻へ(ブルガリア、学生)

少年へ(ドイツ、陶芸家)

両親へ(ギリシャ、機械工・学生)

同志へ(フランス、無線技師)

母へ(カナダ、船員)

妻へ(ブルガリア、学生)

両親へ(デンマーク、商人)

先生へ(フランス、学生)

同志へ(ヴィグの戦士たち)

家族へ(イタリア、学生)

両親へ(ベルギー、医学生)

恋人へ(イタリア、教師)

同志へ(アルバニア、学生)

家族へ(イタリア、学生)


10歳代

友人へ(ドイツ、学生)

友人へ(イタリア、学生)

家族へ(ユーゴ、学生)

家族へ(イタリア、機械工)

友人へ(スタリーノのコムソモルのパルチザンたち)

両親へ(イタリア、機械修理工)

母・その他へ(フランスの学生たち)

同志へ(イタリア、学生)

両親へ(ソヴィエト、農民)

両親へ(フランス、ブザンソンの学生たち)





2014年7月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。


銃を持って戦うこと



もう30数年前、マルコスの独裁政権下にあったフィリピンへ団体で行ったことがあります。



スラム街で出会った女性は、政権打倒を目指す地下組織の方で、イメルダ夫人の親戚にあたる人でした。



彼女はスラムなどの問題を放置する独裁政権を打倒する必要があることを語ってくれましたが、帰国して読んだ

ナチスに抵抗した レジスタンス達の手紙から感じたことと共通すること、それは祖国への熱い想いでした。



銃を持って戦うこと、レジスタンスがそうであったように、私は必ずしもその全てが悪だとは思いません。



しかし、家族を守るために戦うことは当然としながらも、今の日本は銃を取ってでも守りたい祖国か?と聞かれると、

否、と応えたくなる自分がいるのを感じます。



日本に限らず世界の多くの国が、あるべき「地産地消」の国作りを目指さず、真逆のグローバル化(地球規模の

全体的な、包括的なの意味)に突き進んでいます。



風土などの違いにより、固有の文化・言葉・習慣が生まれる。遺伝子の世界でもそうですが、その多様性こそが

あるべき方向性へと変化していくのではないでしょうか。



グローバル化はマルクスの共産主義と同じように、人間の心理や多様性を顧みず、数学の方程式に無理やり

人間を組み込む手法が共通して横たわっているような気がします。



地球規模と聞こえはいいですが、押さえ込まれたその反動が、民族紛争などの更なる激化につながっていくの

かも知れません。



人道援助を除いて、限りなく「地産地消」の国作りや多様性を受け容れる社会。



もし日本がそのような国で侵略する者がいれば、私は銃を取ってでも必要最小限の戦いをするでしょう。



ただ、日本だけでなく世界各国がその方向性をもっていたなら、銃など武器は全く必要なくなるでしょうね。









「夜と霧」 フランクル

神を待ちのぞむ

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