1973年頃 フィリピン、マニラのスラム街の子供たち。左の日本人女性は下田幸子さん(旧姓)。



2013年8月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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フィリピンのスラム街の子供たち

34年位前の写真ですが、子供たちは貧しくても明るくたくましく生きていました。


 

2013年8月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。


フィリピンでの出会い



もう34年位前になりますが、フィリピンを訪れたことがあります。



夜学の学生さんや神父さん、そしてシスターたちとの旅でしたが、この時の出会いはまだ私の

中で消化することができないでいます。



フィリピン奥地に生きる先住民が森を奪われていく姿、当時のマルコス政権に対して地下での

抵抗運動をしている方たち、ハンセン病の隔離施設の女性たち、そして日本兵に両親を殺さ

れた青年との出会い。彼はこう言いました。



「私はあなたたち日本人が来ると聞いて憎しみを押さえることが出来ませんでした。しかし、

神に祈ってようやくここへ来ることができました」、と語る彼の目に憎しみはありませんでした。



同行していた女性の方達は涙を流していたのですが、情けないことに当時の私はどう捉えて

いいのか戸惑うだけでした。



海上保安官になる前の父は、終戦後に商船の機関士としてフィリピンへ行ったのですが、

彼らの日本人を見る視線が怖かったと話したことを思い出します。



その後、フィリピンの子供たちへの経済的な支援を続けてきたのですが、それでも心にひっか

かっているこれらの出会いは、私の中で時が止まったままになっているのかも知れません。




 

2014年7月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。


銃を持って戦うこと



もう30数年前、マルコスの独裁政権下にあったフィリピンへ団体で行ったことがあります。



スラム街で出会った女性は、政権打倒を目指す地下組織の方で、イメルダ夫人の親戚にあたる人でした。



彼女はスラムなどの問題を放置する独裁政権を打倒する必要があることを語ってくれましたが、帰国して読んだ

ナチスに抵抗した レジスタンス達の手紙から感じたことと共通すること、それは祖国への熱い想いでした。



銃を持って戦うこと、レジスタンスがそうであったように、私は必ずしもその全てが悪だとは思いません。



しかし、家族を守るために戦うことは当然としながらも、今の日本は銃を取ってでも守りたい祖国か?と聞かれると、

否、と応えたくなる自分がいるのを感じます。



日本に限らず世界の多くの国が、あるべき「地産地消」の国作りを目指さず、真逆のグローバル化(地球規模の

全体的な、包括的なの意味)に突き進んでいます。



風土などの違いにより、固有の文化・言葉・習慣が生まれる。遺伝子の世界でもそうですが、その多様性こそが

あるべき方向性へと変化していくのではないでしょうか。



グローバル化はマルクスの共産主義と同じように、人間の心理や多様性を顧みず、数学の方程式に無理やり

人間を組み込む手法が共通して横たわっているような気がします。



地球規模と聞こえはいいですが、押さえ込まれたその反動が、民族紛争などの更なる激化につながっていくの

かも知れません。



人道援助を除いて、限りなく「地産地消」の国作りや多様性を受け容れる社会。



もし日本がそのような国で侵略する者がいれば、私は銃を取ってでも必要最小限の戦いをするでしょう。



ただ、日本だけでなく世界各国がその方向性をもっていたなら、銃など武器は全く必要なくなるでしょうね。



 

2014年10月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。


皆様のすぐそばに、いつも笑いがありますように。



以前にも話したことだが、フィリピンに2週間ほど滞在したことがある。



そこでは独裁政治だったマルコス政権を打倒しようとする人々。



森に生きる先住民で、政府の政策によりその生存範囲を奪われる人々。



両親を日本兵に殺され、許すことへの祈りによって、会いにきてくれた男性。



スラム街での貧しくとも屈託のない子供たちの笑顔。



ハンセン病の隔離病棟での女性たちの笑顔。



これらの貴重な出会い、あれから30年近く経とうとしているのに消化しきれない自分がいる。



その中でも天使と出会ったと感じたのは、ハンセン病の隔離病棟での短い時間での触れ合いだった。



昔は「らい病」と恐れられた病気で、女性だけが収容されている病棟に入ったのだが、何を言えばわからなかった。



恐らく幼稚な仕草をしたためだと思うのだが、いつの間にか彼女たちに囲まれ笑われていた。



そして陽気な国民性にもよると思うのだが、彼女たちの笑顔に、心にあった壁は取り除かれていた。



無邪気な笑い、故郷や家族から引き離された人々が見せる笑顔。



どのような過酷な状況に置かれても、違った世界を垣間見させてくれる笑いに人は身をゆだねる。



天使がどのような目を持っているのか私は知らない。



しかし彼女たちの悪戯っぽい目の輝きは、乳児が生まれて初めて微笑むように、光に満ちていた。






神を待ちのぞむ


美に共鳴しあう生命