「「アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察」

プリーモ・レーヴィ著 竹山博英訳 朝日選書 より引用






本書は強制収容所という「窮乏と肉体的不自由に責めたてられる」特異な環境下で、

自分が他人から物とみなされた経験を持つものでしか分からない人間性の破壊を

優れた洞察力をもって書かれた貴重な文献である。これはナチと収容されているユ

ダヤ人という図式に留まらず、同じ収容されているもの同士での関係に主眼が置か

ており、特異な環境下で人間が物へと変化していくかを描いている。そして著者が

如何に人間性を失わず「人間の魂への関心を決して絶やさなかった」こと、そこに

私たちはこの文献から教訓を受け取れるかもしれない。

(K.K)


 



Primo Levi - a photo on Flickriver

Primo Michele Levi (July 31 1919〜 April 11 1987)





10分足らずのうちに、私たち頑丈な男はみな一つのグループに集められた。残りの女や

子供や老人に何が起こったのか、その時もその後も確かめることができなかった。夜が彼

らを、そっけなくあっさりと、呑みこんでしまったのだ。だがいまでは分かっている。あの手

早く簡単な選別で、私たち全員は、第三帝国に有益な労働ができるかどうか、判定された

のだ。そして護送されてきたユダヤ人の中で、ブナ・モノヴィッツとビルケナウの収容所に

入ったものは、96人の男と29人の女だけで、残りの500人を超える人たちは、一人の

例外もなく、2日とは生きていなかったのだ。それに、有用かどうかというこのささいな選別

基準さえ、いつも適用されたのではないことも分かっている。後になると、注意や指示を一

つも与えずに貨車の両側の扉を開く、というずっと簡単な方法がひんぱんに用いられるよ

うになった。たまたま列車の片側に降りたものが収容所に入り、残りはガス室行きになっ

たのだ。


こうして3歳のエミーリアは死んだ。ドイツ人にとって、ユダヤ人の子供を殺す歴史的必然

性は自明のことだったからだ。ミラーノの技師アルド・レーヴィの娘、エミーリアは、好奇心

にあふれ、見えっぱりで、ほがらかで、頭のよい女の子だった。旅行中、人のひしめく貨車

で、父と母はブリキの桶に温かな湯を入れて、エミーリアに湯浴みさせた。そのお湯は、

堕落したドイツ人の機関士が、私たち全員を死にひきずってゆく当の機関車から、取り出

すのを、許したものだった。


こうして不意に、一瞬のうちに、私たちの両親、妻、恋人、子供たちが消えていった。お

別れを言うこともできなかった。彼らはわずかの間、プラットホームの反対側に、黒いか

たまりになってたたずんでいたが、やがて何も見えなくなった。




ところが今日は、いつも虹色の石油の膜が浮いている。乾くことのない水たまりに、晴れた

空が映っている。夜の寒気に冷やされたパイプや梁やボイラーからは、露がしたたり落ちて

いる。穴から掘り出した土、石炭の山、セメントのブロックが、冬の湿り気を、かすかなもや

に変えて吐き出している。


今日は良い日だ。私たちはあたかも視力を取り戻した盲人のようにあたりを見回し、顔を

見あわせる。太陽の光を浴びながら顔を見あわせたことなどないのだ。これで飢えがなかっ

たら!


人間とはこうしたものだ。痛みや苦しみが同時に襲ってくる時、人はそれをすべて合わせて

感じるわけではない。ある一定の遠近法の法則によって、小さな苦痛が大きな苦痛の陰に

隠されてしまうからだ。これは神意によるもので、だからこそ収容所でも生きられるのだ。

また、自由人の生活で、人間の欲望には際限がない、とよく言われるのも、これが理由

だ。だが、これは、人間が絶対的な幸福にたどりつけないことを示すよりも、むしろ、不幸

な状態がいかに複雑なものか、十分に理解されてないことを表わしている。不幸の原因は

多様で、段階的に配置されているが、人は十分な知識がないため、その原因をただ一つ

に限定してしまうのだ。つまり最も大きな原因に帰してしまう。ところが、やがていつかこの

原因は姿を消す。するとその背後にもう一つの別の原因が見えてきて、苦しいほどの驚き

を味わう。だが実際には、別の原因が一続きも控えているのだ。



分からない点が多かったラーゲルの生活とは、いままで語ってきたような生活だ。これか

らも述べられるような生活だ。同時代の多くの人間が、こうして地獄の底に落とされて、つ

らい生き方をした。だが一人一人の時間は比較的短かった。そこでこういう疑問が湧いて

くることだろう。この異常な状態に何か記録を残す意味があるのだろうか、それは正しい

ことなのだろうか、という疑問が。



これには、その通りと答えておきたい。人間の体験はどんなものであっても、意味のない

分析に値しないものはない。そしていま語っているこの特殊な世界からも、前向きではな

いにしろ、根本的な意味を引き出せる、と私たちは信じている。ラーゲルが巨大な生物学

的社会的体験でもあったことを、それも顕著な例であったことを、みなに考えてもらいた

いのだ。


年齢、境遇、生まれ、言葉、文化、風習が違う人々が何万人となく鉄条網の中に閉じこ

められ、必要条件がすべて満たされない、隅々まで管理された、変化のない、まったく

同じ生活体制に従属させられるのだ。たとえば人間は野獣化して生存競争をする時、

何が先天的で何が後天的か確かめる実験装置があるとしても、このラーゲルの生活

のほうがはるかに厳しいのだ。



人間は根本的には野獣で、利己的で、分別がないものだ、それは文明という上部構造

がなくなればはっきりする。そして「囚人」とは禁制を解かれた人間にすぎない、という

考え方がある。だが私たちには、こうした一番単純で明解な考え方が信じられないの

だ。むしろ人間が野獣化することについては、窮乏と肉体的不自由に責めたてられた

ら、人間の習慣や社交本能はほとんど沈黙してしまう、という結論しか引き出せない

と考えている。



それよりも注目に値するのは、人間には明らかに、溺れるものと助かるものという2

種類があるという事実のほうだ。これ以外の、善人と悪人、利口ものとばか、勇まし

いものといくじなし、幸運なものと不幸なものといった対立要素はずっとあいまいで、

もって生まれたものとは思えない。どっちつかずの中間段階が多すぎて、しかもお互

いにからみあっているからだ。



作業場で、連合国のノルマンディー上陸、ロシア軍の攻勢、ヒットラー暗殺計画の

失敗、といったニュースが流れると、そのたびに大きな希望の波が起こったが、長

くは続かなかった。一日ごとに力が抜け、生きる意味が衰え、頭に霞がかかるの

を、みなが感じていたからだ。それにノルマンディーやロシアはあまりにも遠く、冬

は間近に迫っていた。飢えとわびしさはせつないほどに具体的で、残りはすべて非

現実的そのものだった。だから、私たちのこの泥の世界と、いまでは終わりなど考

えられない、この澄んだ不毛の時間以外に、別の世界、別の時間があるとは思え

なかった。



生者には時は貴重なものだ。そしてその貴重さが増せば増すほど、時が流れた

時、心の中の蓄積は多くなる。だが私たちにとって、月日は、未来から過去へ、

いつも遅すぎるほどだらだらと流れるものにすぎなかった。なるべく早く捨て去り

たい、価値のない、余分なものだった。取り返しのつかない貴重な日々が生き生

きと流れる時は終わり、未来が、目の前に、打ち壊し難い防壁にように、灰色に、

切れ目なく横たわっていた。私たちには歴史などなかった。




だが、私とロレンツォの間では、こうしたことは起こらなかった。同じような仲間が何千と

いた中で、私が試練に耐えられた原因は、その究明に何か意味があるのだとしたら、

それはロレンツォのおかげだと言っておこう。今日私が生きているのは、本当にロレン

ツォのおかげなのだ。物質的な援助だけではない。彼が存在することが、つまり気どら

ず、淡々と好意を示してくれた彼の態度が、外にはまだ正しい世界があり、純粋で、完

全で、堕落せず、野獣化せず、憎しみと恐怖に無縁な人や物があることを、いつも思い

出させてくれたからだ。それは何か、はっきり定義するのは難しいのだが、いつか善を

実現できるのではないか、そのためには生き抜かなければ、という遠い予感のようなも

のだった。


この章に登場する人物たちは人間ではない。彼らの人間性は、他人から受け、被った

害の下に埋もれている。さもなくば彼ら自身が埋めてしまったのだ。意地悪く愚劣なSS

から、カポー、政治犯、刑事犯、大名士、小名士をへて、普通の奴隷の囚人に至るまで、

ドイツ人がつくり出した狂気の位階に属するものはすべて、逆説的だが、同じ内面破壊

を受けているという点で一致していた。



だが、ロレンツォは人間だった。彼の人間性には汚れがなく、純粋で、この否認の世界

の外に留まっていた。ロレンツォのおかげで、私は自分が人間であるのを忘れなかった

のだ。




1月26日、私たちは死者と亡霊の世界に横になっていた。文明の最後の痕跡も、周囲や

心の中から消えてしまった。勝ち誇るドイツ人の手で始められた野獣化の作業は、敗れた

ドイツ人によって完成された。



人を殺すのも人間だし、不正を行い、それに屈するのも人間だ。だが抑制のすべてなく

なって、死体と寝床をともにしているのはもはや人間ではない。隣人から4分の1のパン

を奪うためにその死を待つものは、それが自分の罪ではないにしろ、最も野蛮なピグミ

ーや最も残忍なサディストよりも、考える存在としての人間の規範からはずれている。



私たちの存在の一部はまわりにいる人たちの心の中にある。だから自分が他人から物

とみなされる経験をしたものは、自分の人間性が破壊されるのだ。私たち3人はこうした

ことの大部分から逃れられた。これにはお互いに感謝している。だから私とシャルルの

友情は、時の流れに耐えられるはずだ。




あれから多くの時が流れた。この本も多くの出来事を経験した。そして私の現在のまった

く正常な生活と、アウシュヴィッツでの非人間的な過去との間に、つくりものの記憶として

だけではなく、奇妙にも、防護壁として、介在している。私は皮肉屋と思われたくないから、

ためらいつつ言っておこう。今日ラーゲルのことを思い出しても、怒りや悲しみはもう感じ

ない、と。まったく正反対だ。私の短くも悲劇的だった囚人としての経験には、その後の

作家=証人としての長く複雑な経験が続いていて、その勘定は確実にプラスになってい

る。全体的に見るなら、この過去は、私は豊かで、確かな人間にしてくれた。若くしてラー

フェンスブリュックの女性収容所に入れられた私の友人は、収容所は私にとって大学で

した、と語っている。私も同じことを言えると思う。つまりあの出来事を生き抜き、後に考

え、書くことで、私は人間と世界について多くのことを学んだのだ。




しかしこうした前向きの結果はわずかな人にしか訪れなかったことを、すぐにつけ加え

ておこう。たとえばイタリアの流刑囚では、わずか5パーセントが帰還できただけで、し

かもその中の多くは、家族、友人、財産、健康、精神的安定、若さを失ってしまった。

私が生きのび、無傷で帰還できたのは、私の考えでは、幸運によるところが大きい。

あらかじめ備わっていた要因、たとえば山の生活に馴れていたことや、化学者であっ

たこと(囚人生活の最後の数ヶ月にはある程度の特典を授けてくれた)などは、わず

かの役割しか果たさなかった。おそらく、人間の魂への関心を決して絶やさなかった

ことや、単に生きのびるだけでなく(大多数はこうした考えだった)、体験し、耐え忍ん

だことを語るために生きのびるのだ、というはっきりした意思を持っていたことが、私

を助けてくれたのだろう。そして、最も苦しくつらい日々にも、仲間や私は、物ではなく

人間だ、と考える意思を執拗に持ち続け、こうすることによって、多くのものに精神的

な難破をもたらした。完全な屈服状態と道徳的堕落をまぬがれえたことが、役に立っ

たのだろう。


1976年11月 プリーモ・レーヴィ



 





 


訳者あとがき より抜粋引用

アウシュヴィッツの収容所の生活を描いた作品では、フランクルの「夜と霧」、エリ・ヴィーゼルの

「夜」などが、日本の読者にはなじみの深いことだろう。本書「アウシュヴィッツは終わらない」も、

こうした作品に続いて、アウシュヴィッツについての理解を深める役割を果たせるのではないか

と思う。本書の特色は、まず、収容所の生活をきめ細かく具体的に描いたこと、収容所内の人間

模様を鮮やかに浮かび上がらせたことにある。だが何よりも、ものを考えることが死につながると

いう、人間にとっての極限状態にあって、人間の魂がいかに破壊されてゆくかを、克明に、静か

に描き出したことに、優れた点があるだろう。著者の抑制のきいた、簡潔で禁欲的な文体は、確

かに本書のドキュメントとしての価値を高めている。また著者の古典への造詣、特にダンテの

「神曲」を念頭に置いた叙述の進め方は、本書に「現代の地獄篇」たる趣を与え、作品の奥ゆき

を深いものにしている。


だが著者が抑制のきいた静かな調子を選んだからといって、ファシズムに怒りを燃やしてはいな

い、ということにはならない。これは巻末の「若い読者に答える」を一読すれば分かることだろう。

本書の刊行から30年後に書かれたこの解説で、著者は、本文の抑制のきいた調子を捨て、ファ

シズムの蛮行を弾劾し、ファシズムの復活は決して許さないという固い決意を述べている。この

解説には、あくまでも理性に信頼を置こうとする著者の立場がはっきり見えていて、ヨーロッパの

主知的伝統を感じさせてくれる。著者は序文でこう述べている。「ファシズムはまだ死に絶えてい

ない。虎視たんたんと復讐を狙っている。『この怪物を生み出した子宮はいまだ健在である』」と。

こうした言葉が、アウシュヴィッツという地獄を生き抜いた著者のような人物の口から出る時、その

重さははかり知れない。それは、むだな危惧だと言って笑いとばせないような、ずっしりとくる重さ

である。


アウシュヴィッツの記録は、なぜか人の興味をひきつける。それは想像を絶する、おぞましい蛮行

への、好奇心のあらわれかもしれない。だがそれだけではないはずだ。おそらくアウシュヴィッツと

いう現象に、人間の心の奥に潜む悪が顕在化していることを、みな無意識のうちに感じ取っている

のだ。なぜいまアウシュヴィッツなのか、なぜすんだことをいまさらのようにむしかえすのか、という

問いには、私はこう答えたい。アウシュヴィッツという現象は、もう過去のものになった、ある邪悪

な体制が生み出した暴虐というだけにとどまらない、もっと一般的な、人間の心の奥にひそむ悪を

も表わしている、と。アウシュヴィッツでなされた蛮行は、人をとまどわせ、判断力を停止させてしま

うようなところがある。何百万人もの人間をガス室で殺し、焼却炉で焼き、死体の髪でじゅうたんを

織り、脂肪で石けんをつくったという事実を知る時、そのおぞましさは、人の通常の想像力を麻痺さ

せ、判断力を停止させ、目の前に暗い淵を見るような思いだけを残す。この淵を飛び越すには、

想像力を途方もなく遠くまで飛翔させなければならない。だがそれは普通の人の飛翔力の限界を

はるかに超えている。おそらく、こうした事実は、社会力学的に説明できるのだろう。だがそれと

並んで、人間の心の動き、人間の意識のありかたを解明する努力が必要だ、さもなければ、また

同じ誤りが繰り返されてしまう、という気がする。



本書はガス室に直接送られたのではなく、労働奴隷として精神破壊の過程に投げこまれたものの

記録である。この過程の中で著者が考え検討したことは、人間の本性に関する鋭い洞察として、

本書の中にちりばめられている。本書を読みすすめる中でこうした洞察にぶつかると、ナチの兇暴

な反ユダヤ主義の原因がほのかに見えてくるような気がしてくる。別の言葉で言うと、あの反ユダ

ヤ主義の原因を、私たちの日常生活の水準にまで引き降ろして考える手がかりが見つかるような

気がするのだ。たとえば108ページでは、ユダヤ人の名士について「それに加えて、抑圧者のもと

では吐け口のなかった彼自身の憎悪が、不条理にも、被抑圧者に向けられることになる。そして

上から受けた侮辱を下のものに吐き出す時、快感を覚えるのだ」と述べられている。だがこの悲し

むべき現象はユダヤ人の名士だけでなく、ユダヤ人の一段上にいた「アーリア人」名士にもあて

はまる現象だ。なぜなら彼らは犯罪者であり、ドイツ社会の中では底辺にいて、抑圧された存在

だっただろうからだ。そして、この種の現象は、収容所の内部だけでなく、ドイツ社会全体に、階層

的に見られたはずだ。著者はナチの反ユダヤ主義を「プロレタリアートが資本家階級に抱いてい

た憎悪を、ユダヤ人にそらす」行為だとしている。だがこの行為は、人間の意識の側から見れば、

上から受けた侮辱を下のものに吐き出して、快感を得るという、不条理で卑劣な心の動きとして

現われるのではないだろうか?



こうした行為が究極的にはアウシュヴィッツを生み出すのではないか、と問われる時、私たちは

やはり遠方まで想像力をはばたかせなければならない。だがおぞましい暴虐を目の前にしてたた

ずんだ時の途方もない距離に比べたら、おの距離のほうがずっと小さいはずだ。私たちの日常

生活の枠組みにより近いからだ。こうした糸口になりそうな洞察は本書の中にまだ見いだせると

思う。たとえば「私たちの存在の一部はまわりにいる人たちの心の中にある。だから自分が他人

から物とみなされる経験をしたものは、自分の人間性が破壊されるのだ」という言葉、あるいは

「ラーゲルの外でも、下層労働者が戦うのは、めったにないかったことだ。『ぼろきれたち』は反乱

を起こさないのだ」という言葉などである。



だが本書を読むうえで忘れてはならないのは、私たち日本人は必ずしも著者と同じ立場に立って

この本を読めるわけではない、ということだ。つまりファシズムに対するレジスタンス闘争に参加

し、捕えられ、アウシュヴィッツで魂の死を経験し、それを生きのびた著者と同じ立場から、ファシ

ズムを指弾できないのだ。なぜなら、日本の近・現代史を考えれば、私たちの立場は、アウシュ

ヴィッツの暴虐の正体であったドイツ国民の立場に近いからだ。つまり日本もナチの暴虐になぞ

らえられる、また別の蛮行の主体であったからだ。ゆえに本書は喉もとにつきつけられた剣のよ

うなものとして読まれるべきだろう。




1979年12月 竹山博英


 
 


目次

若者たちに


地獄の底で

通過儀礼

カー・ベー

私たちの夜

労働

良い一日

善悪の此岸

溺れるものと助かるもの

化学の実験

オデュッセウスの歌

夏の出来事

1944年10月

クラウシュ

研究所の三人

最後の一人

十日間の物語


若い読者に答える


訳者あとがき


 


2012年1月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



今から70年前にあった一つの実話を紹介しようと思います。映像は第二次世界大戦中、敵味方

なく愛された歌「リリー・マルレーン」 です。



☆☆☆☆☆☆☆



ところで、先年、ヨーロッパを旅行中、私は一つの興味深い話を聞きました。どこでしたか町の

名は忘れましたが、何でも、ドイツとの国境近くにあるフランスの一寒村に、今度の大戦中に

戦死した、フランスのゲリラ部隊十数名の墓があるのですが、その墓に混じって、ひとりの無名

のドイツ兵の墓が一つ立っているのです。そしてすでに、戦争も終って十数年経った今日も、

なお、その無名のドイツ兵の墓の前には、だれが供えるのか手向けの花の絶えたことがない

とのことです。いったい、そのドイツ兵とは何者なのかと尋ねると、村の人々はひとみに涙を光

らせながら、次のように話してくれることでしょう。



それは第二次世界大戦も末期に近いころのことでした。戦争勃発と共に、電光石火のような

ドイツ軍の進撃の前に、あえなくつぶれたフランスではありましたが、祖国再建の意気に燃え

るフランスの青年たちの中には、最後までドイツに対するレジスタンスに生きた勇敢な人々が

ありまして、ここかしこに神出鬼没なゲリラ戦を展開しては、ナチの将校を悩ましておりました。

が、武運拙くと言いましょうか、十数名のゲリラ部隊がついに敵の手に捕らえられました。残虐

なナチの部隊長は、なんの詮議もなく、直ちに全員に銃殺の刑を申し渡しました。ゲリラ部隊

の隊員の数と同じだけのドイツ兵がずらりと並んでいっせいに銃を構え、自分の目の前のフラ

ンス兵にねらいを定めて「撃て!」という号令を待ちました。と、間一髪、ひとりのドイツ兵が、

突然叫び声をあげました。



「隊長! 私の前のフランス人は重傷を受けて、完全に戦闘能力を失っています。こんな重傷

兵を撃ち殺すことはできません!」 今まで、かつて反抗されたことのないナチの隊長は怒りに

目もくらんだように、口から泡を吹きながら叫び返しました。「撃て! 撃たないなら、お前も、

そいつと一緒に撃ち殺すぞ!」と。けれど、そのドイツ兵は二度と銃を取り上げませんでした。

ソッと銃を足下におくと、静かな足取りで、ゲリラ部隊の中に割って入り、重傷を負うて、うめい

ているフランス兵をかかえ起こすと、しっかりと抱き締めました。次の瞬間、轟然といっせいに

銃が火を吐いて、そのドイツ兵とフランス兵とは折り重なるように倒れて息絶えて行ったという

のです。 (中略)



しかし、そのドイツ兵は撃ちませんでした。のみならず、自分も殺されて行きました。ところで

なにか得があったかとお尋ねになるなら、こう答えましょう。ひとりのドイツ兵の死はそれを

目撃した人々に忘れ得ぬ思い出を残したのみならず、ナチの残虐行為の一つはこの思い出

によって洗い浄められ、その話を伝え聞くほどの人々の心に、ほのぼのとした生きることの

希望を与えました。ナチの残虐にもかかわらず、人間の持つ良識と善意とを全世界の人々

の心に立証したのです。このような人がひとりでも人の世にいてくれたということで、私たちは

人生に絶望しないですむ。今は人々が猜疑と憎しみでいがみ合っていはいても、人間の心の

奥底にこのような生き方をする可能性が残っている限り、いつの日にか再びほんとうの心か

らの平和がやって来ると信ずることができ、人間というものに信頼をおくことができる・・・・これ

が、このドイツ兵の死がもたらした賜物でした。どこの生まれか、名も知らぬ、年もわからぬ

この無名の敵国の一兵士の墓の前に戦後十数年を経た今日、未だに手向けの花の絶える

ことのないという一つの事実こそ、彼の死の贈物に対する人類の感謝のあらわれでなくて何

でありましょう。(後略)



「生きるに値するいのち」小林有方神父 ユニヴァーサル文庫 昭和35年発行より引用



☆☆☆☆☆☆☆



ナチの残虐行為、特にユダヤ人虐殺(ホロコースト)は、生き残った人々の多くに死ぬまで

消え去ることのできない印を刻み込みました。600万人が犠牲になった強制収容所という

極限状況の中で、フランクル著「夜と霧」では人間の精神の自由さを、ヴィーゼル著「夜」

は神の死を、レーヴィ著「アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察」

は人間の魂への関心を決して絶やさなかったことを、そして大石芳野著「夜と霧をこえて 

ポーランド・強制収容所の生還者たち」では癒すことが出来ない忌まわしい記憶に苦しめ

られている人々を私たちに訴えかけています。しかしそのような絶望的な状況の中でもシ

ャート著「ヒトラーに抗した女たち」に見られる、ドイツ全体を覆う反ユダヤの流れに抵抗し

た人もいたのも事実です。



私自身、家族、国家、主義主張を守るため自分の生命を犠牲にすることとを否定するもの

ではありません。ただ先に紹介した一人のドイツ兵のことを思うと、家族、国家、主義主張

を守るため自分の生命を犠牲にすることとは違う次元に立っているよう気がしてなりません。

それは彼が助けることを選んだその瞬間、彼の未来の人生を、守りたかったものへ捧げる

という意味ではなく、未来へと向かって生きる自分自身に対しての意味を感じたと思うので

す。家族とか国家のためではなく、自分自身の未来に責任を持つために。



しかし、もし私が同じような状況に置かれたら間違いなく銃を撃つ側に立つでしょう。「これ

は戦争なのだ」と自分に言い聞かせながら。ただ、実際に銃を撃った他の兵士はその後

どのような人生を送ったのでしょうか。中には生き残って愛する女性と結婚し子育てをし

幸せな老後を迎えた人もいるかも知れません。ただ彼の意識のどこかにいつもこのドイツ

兵の行為が頭から離れなかったことは確かだと思います。「あの時自分がとった行動は

本当に正しかったのか」と。



この時期、夜の11時頃に東の空から「しし座」に輝く一等星レグルス(二重星)が登ってきま

す。77年前第二次世界大戦突入の時に、この星から船出した光が今、私たちの瞳に飛び

込んできています。当時の世界や人々に想いを馳せながら、春の予感を告げるレグルスを

見てみたいものです。



(K.K)


 







「夜と霧」 フランクル

影響を受けた人・本

神を待ちのぞむ


「夜と霧」に戻る