未来をまもる子どもたちへ



小林有方神父(1909〜1999)





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灰色の青春時代を送っていた高校の時、今でも私の宝物である一つの本に出会った。

私の家にはクリスチャンはいなかったのだが、何故かこの本が本棚の片隅に置かれて

いた。家族の誰も手にとったことがない本、それが小林有方神父が書いた「生きるに値

するいのち」だった。人々の悩みや煩悩、痛みを肌を通して理解することができた人だか

らこそ、宗派を超えて共感できるものになっているのかも知れない。この「生きるに値す

るいのち」は、「心の花束」という放送の中で語られた言葉を活字として出版したものであ

る。昭和35年(1960年)に出されたこの本には沢山の「美」が咲き誇っており、出版され

てから十数年後に初めて手にとった悩み多き高校生の私にとって、この「美」にどれほど

希望と勇気をもらったことだろう。まるで砂漠という当時の私の乾いた心に、この清らかな

水は一瞬のうちに自分の体内に吸い込まれ、その水の流れは私の心に新たな泉を作っ

ていった。出版から50年が経ち、既に絶版になっているが、私と同じように日々悩んだり

苦しんでいる人に読んでもらいたく、ここ紹介したいと思います。一話完結でそれぞれ5分

くらいで読めるものです。尚、1960年出版の本ですので、現在では差別用語と呼ばれ

ている単語も散見されますが、決してそのような意図で書かれたものでないことは読ん

でおわかりになられると思いますので、そのまま掲載しております。

(K.K)


 
 


2012年1月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



今から70年前にあった一つの実話を紹介しようと思います。映像は第二次世界大戦中、敵味方

なく愛された歌「リリー・マルレーン」 です。



☆☆☆☆☆☆☆



ところで、先年、ヨーロッパを旅行中、私は一つの興味深い話を聞きました。どこでしたか町の

名は忘れましたが、何でも、ドイツとの国境近くにあるフランスの一寒村に、今度の大戦中に

戦死した、フランスのゲリラ部隊十数名の墓があるのですが、その墓に混じって、ひとりの無名

のドイツ兵の墓が一つ立っているのです。そしてすでに、戦争も終って十数年経った今日も、

なお、その無名のドイツ兵の墓の前には、だれが供えるのか手向けの花の絶えたことがない

とのことです。いったい、そのドイツ兵とは何者なのかと尋ねると、村の人々はひとみに涙を光

らせながら、次のように話してくれることでしょう。



それは第二次世界大戦も末期に近いころのことでした。戦争勃発と共に、電光石火のような

ドイツ軍の進撃の前に、あえなくつぶれたフランスではありましたが、祖国再建の意気に燃え

るフランスの青年たちの中には、最後までドイツに対するレジスタンスに生きた勇敢な人々が

ありまして、ここかしこに神出鬼没なゲリラ戦を展開しては、ナチの将校を悩ましておりました。

が、武運拙くと言いましょうか、十数名のゲリラ部隊がついに敵の手に捕らえられました。残虐

なナチの部隊長は、なんの詮議もなく、直ちに全員に銃殺の刑を申し渡しました。ゲリラ部隊

の隊員の数と同じだけのドイツ兵がずらりと並んでいっせいに銃を構え、自分の目の前のフラ

ンス兵にねらいを定めて「撃て!」という号令を待ちました。と、間一髪、ひとりのドイツ兵が、

突然叫び声をあげました。



「隊長! 私の前のフランス人は重傷を受けて、完全に戦闘能力を失っています。こんな重傷

兵を撃ち殺すことはできません!」 今まで、かつて反抗されたことのないナチの隊長は怒りに

目もくらんだように、口から泡を吹きながら叫び返しました。「撃て! 撃たないなら、お前も、

そいつと一緒に撃ち殺すぞ!」と。けれど、そのドイツ兵は二度と銃を取り上げませんでした。

ソッと銃を足下におくと、静かな足取りで、ゲリラ部隊の中に割って入り、重傷を負うて、うめい

ているフランス兵をかかえ起こすと、しっかりと抱き締めました。次の瞬間、轟然といっせいに

銃が火を吐いて、そのドイツ兵とフランス兵とは折り重なるように倒れて息絶えて行ったという

のです。 (中略)



しかし、そのドイツ兵は撃ちませんでした。のみならず、自分も殺されて行きました。ところで

なにか得があったかとお尋ねになるなら、こう答えましょう。ひとりのドイツ兵の死はそれを

目撃した人々に忘れ得ぬ思い出を残したのみならず、ナチの残虐行為の一つはこの思い出

によって洗い浄められ、その話を伝え聞くほどの人々の心に、ほのぼのとした生きることの

希望を与えました。ナチの残虐にもかかわらず、人間の持つ良識と善意とを全世界の人々

の心に立証したのです。このような人がひとりでも人の世にいてくれたということで、私たちは

人生に絶望しないですむ。今は人々が猜疑と憎しみでいがみ合っていはいても、人間の心の

奥底にこのような生き方をする可能性が残っている限り、いつの日にか再びほんとうの心か

らの平和がやって来ると信ずることができ、人間というものに信頼をおくことができる・・・・これ

が、このドイツ兵の死がもたらした賜物でした。どこの生まれか、名も知らぬ、年もわからぬ

この無名の敵国の一兵士の墓の前に戦後十数年を経た今日、未だに手向けの花の絶える

ことのないという一つの事実こそ、彼の死の贈物に対する人類の感謝のあらわれでなくて何

でありましょう。(後略)



「生きるに値するいのち」小林有方神父 ユニヴァーサル文庫 昭和35年発行より引用



☆☆☆☆☆☆☆



ナチの残虐行為、特にユダヤ人虐殺(ホロコースト)は、生き残った人々の多くに死ぬまで

消え去ることのできない印を刻み込みました。600万人が犠牲になった強制収容所という

極限状況の中で、フランクル著「夜と霧」では人間の精神の自由さを、ヴィーゼル著「夜」

は神の死を、レーヴィ著「アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察」

は人間の魂への関心を決して絶やさなかったことを、そして大石芳野著「夜と霧をこえて 

ポーランド・強制収容所の生還者たち」では癒すことが出来ない忌まわしい記憶に苦しめ

られている人々を私たちに訴えかけています。しかしそのような絶望的な状況の中でもシ

ャート著「ヒトラーに抗した女たち」に見られる、ドイツ全体を覆う反ユダヤの流れに抵抗し

た人もいたのも事実です。



私自身、家族、国家、主義主張を守るため自分の生命を犠牲にすることとを否定するもの

ではありません。ただ先に紹介した一人のドイツ兵のことを思うと、家族、国家、主義主張

を守るため自分の生命を犠牲にすることとは違う次元に立っているよう気がしてなりません。

それは彼が助けることを選んだその瞬間、彼の未来の人生を、守りたかったものへ捧げる

という意味ではなく、未来へと向かって生きる自分自身に対しての意味を感じたと思うので

す。家族とか国家のためではなく、自分自身の未来に責任を持つために。



しかし、もし私が同じような状況に置かれたら間違いなく銃を撃つ側に立つでしょう。「これ

は戦争なのだ」と自分に言い聞かせながら。ただ、実際に銃を撃った他の兵士はその後

どのような人生を送ったのでしょうか。中には生き残って愛する女性と結婚し子育てをし

幸せな老後を迎えた人もいるかも知れません。ただ彼の意識のどこかにいつもこのドイツ

兵の行為が頭から離れなかったことは確かだと思います。「あの時自分がとった行動は

本当に正しかったのか」と。



この時期、夜の11時頃に東の空から「しし座」に輝く一等星レグルス(二重星)が登ってきま

す。77年前第二次世界大戦突入の時に、この星から船出した光が今、私たちの瞳に飛び

込んできています。当時の世界や人々に想いを馳せながら、春の予感を告げるレグルスを

見てみたいものです。



(K.K)


 
 

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「生きるに値するいのち」放送〈心の花束〉第一集

小林有方著 ユニヴァーサル文庫 1960年発行

PDF(全文書83Mbあります) Arikata.pdf


生きるに値するいのち
 


序 画像

第一話 pdf  許しあういのち 画像

第二話 pdf  高めあういのち 画像

第三話 pdf 磨きあういのち 画像

第四話 pdf 理解しあういのち 画像

第五話 pdf 孤独をみつめて 画像

第六話 pdf 考える葦 画像

 第七話 pdf しあわせであることの義務 画像

第八話 pdf 守銭人のなげき 画像

 第九話 pdf 術策と金力で獲得したもの 画像

第十話 pdf 性の解放のもたらすもの 画像

第十一話 pdf 燻銀のような人間美 画像

第十二話 pdf 無限への息吹き 画像

第十三話 pdf 強きものと弱きもの 画像

第十四話 pdf 三百五十円のいのち 画像

第十五話 pdf 思い出話 画像

第十六話 pdf 魂のいのち 画像

第十七話 pdf ただ一つのこと 画像

第十八話 pdf 驚いてみたい 画像

第十九話 pdf 虫けらの知恵 画像

第二十話 pdf 神秘の奥に潜むもの 画像

第二十一話 pdf テ・デウム! 画像

第二十二話 pdf 現代の奇蹟 画像

第二十三話 pdf 自由の掟 画像

第二十四話 pdf 自由人の誇り 画像

 第二十五話 pdf 心の旅路を振り返って 画像

 第二十六話 pdf 生きるに値するいのち 画像


 


2010.2.12 K.K

今から100年前の話をしたいと思います。ドイツでの話ですが、ある少年の真っ直ぐな気持ちとその

運命を思い巡らす時、この世の不条理を超えて、この少年が遺した想いは100年経った今この時にも、

私たちの心に新たな希望という名の息吹を吹き込んでくれていると感じてなりませんでした。

「美しき人間像」小林有方著 昭和35年(1960年)発行 から抜粋引用します。



私が子供の頃に聞いた話があります。子供の頃の事なので人の名前も土地の名前もわかりません。

ただうろ覚えの話ですが、なんでもこんな事でした。日本のある博士が数名の外国人と一緒に、ドイツ

を旅行していた時のこと、珍しい外国人と見て、多数の子供たちがサインをせがんできました。幸い

博士だけが、胸に万年筆を持っていましたので真先にサインをし、その万年筆が次から次へと手渡っ

ている中にバスの発車の時間になりました。博士は自分のペンの事を忘れ、そのまま出発しましたが、

窓の外で何か子供の叫ぶ声が聞こえるので、ふと見ると、一人の子供が博士のペンを片手に高く持っ

て、バスに追いつこうと必死にかけて来るのです。けれども、子供の足ではとても追いつけるはずも

なく、みるみる引き離された子供は、とうとうあきらめたのか立ち止まってしまい、博士の方でも、まあ、

万年筆の一本ぐらいとあきらめ、そのまま旅行を続けて、日本に帰国しましたが、それから数ヶ月

たって、突然ドイツから一つの小包が送られて来ました。



あけて見ると、ペシャンコに押しつぶされた博士の例の万年筆と一通の手紙が出て来ました。何気な

く読みすすむうちに、博士の胸はしめつけられるような感動を覚えました。



「日本の見知らぬ先生に一筆、先生の万年筆を手に、ボンヤリと家に帰ってきた私の子供は、それ

からというもの、毎日毎日先生の住所を探すのに夢中でした。新聞社をはじめ、少しでも関係のあり

そうなところへは残らず手紙を出して、先生のお所を聞きましたがわからず、とうとう数ヶ月が過ぎま

した。ところが、今から一週間ばかり前のこと、子供は、外から勢いよくかけこんで来ると、『お母さん、

日本の博士のおところがわかったよ、わかったよ」と、こおどりしながら、さっそく先生のペンを小包に

して、『お母さん、郵便局に行って来ます』と元気に大喜びで外に飛び出しましたが、それが子供の

最後の姿でした。喜びで夢中になった子供は、横から走って来る自動車に気がつかなかったのです。

子供はひかれて死にました。先生の万年筆も、子供の胸の下で、つぶれました。けれでもお送りし

ます。私の最愛の子供のまごころと一緒に、こわれた先生の万年筆をお返しします。どうぞ、ドイツの

子供は不正直だと思わないで下さいまし」



手紙には、そう書いてあったのです。

皆さん、正しさを追い求めて生きるいのちの尊さを学びたいものですね。

では、今夜もどうやら時間が来たようです。静かにおやすみなさい。



引用終わり



この少年の名前、そしてその万年筆も100年経った今となっては追跡することなど不可能でしょう。

永遠にそれは失われてしまったのかも知れません。しかし、少年の真心、最愛の息子の真心を大事

にしようとした母親の心は、この話に接した人の心にずっと生き続けていくのでしょう。私はそう信じて

います。





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Laudate | 教会をたずねて カトリック米川教会(仙台教区)

隠れキリシタンの里(下) 三経塚 登米市米川町綱木: ふるさと散歩道

宮城米川・里山だより|米川カトリック教会 より以下引用。

綱木沢の岩木屋敷小野寺家から昭和29年、「老聞並伝説記」という古書が発見された。この書には

「三経塚の由来」という一項があり、綱木沢で享保のころキリシタン信者の処刑があったことが判明した。

当時仙台にいた小林有方司教が来村、この塚を見て120名の殉教地をこのままにしてはいけないと、

カトリック教会建設を決意した。司教は早速カナダへ飛び、各地で講演活動を行い厚意の寄付を集めた

という。この寄付を基に昭和31年3月に修道院兼教会・保育院が新築落成した。


 
 






小林有方神父の「生きるに値するいのち」読んだ高校時代に、一つの出会いが

ありました。それは昭和49年2月4日の宮崎日日新聞朝刊の一面に15歳で亡く

なった川畑朋子さんの手記が掲載されたのを読んだ時のことです。当時私より

二つ下の朋子さんが書き綴った日記の一部がそこに書かれており、それを読ん

だ私は35年たった今まで当時の新聞を何故か大事に保存してきました。私自身

悩み多き高校生活を送っていたわけですが、しかし骨肉腫という病気のために

生きたくても生きられなかった一人の女性のことを思うと、とても捨てることが

出来なかったのです。私の心の引き出しには、川端朋子さんの想いというもの

を風化させてはいけないという気持ちが何処かにあったのかもしれません。こ

の出来事から35年経った2009年10月27日、川端朋子さんのこの手記が本に

なっているのを偶然知りました。

「十五歳の絶唱 骨肉腫で亡くなった川畑朋子さんの記録」


 





「永遠の賭け」小林有方・著 あかし書房 1975年発行
より抜粋引用



神への愛と人への愛がひとつの掟として結ばれていますので、私たちが回心して、他を思いやる、ゆるしと愛のいのちに

生きはじめるとき、その瞬間に、神の愛が私たちの実存の奥底に流れこんでくることはたしかです。しかし、実は、私たち

がその時ただちに神の愛に目覚めることは限らないのです。神の愛のいのちに包まれながら、私たちは、それとははっき

り意識することなしに、まず、人の愛に生きはじめるのです。人と人との愛における出会いを通じて、すべての人が神の愛

の目覚めに招かれているものの、ときには、人がついに神との出会いを意識としては体験することなしに、この世のいのち

を終えることもあり得ます。それでもなお、その人のいのちが、回心して自我の扉を、開いたその時から、すでに実存的に

は神を志向し、神に抱き包まれていたのだとは疑い得ぬところと私は確信します。たとえば、溺れ死のうとする子供の姿を

発見して夢中で川に飛びこみ、子供の生命を救いながら自分は力尽きて激流に呑まれた人のいのちが、たとえその人の

口からただの一度も「神よ!」との呼びかけが発しられなかったとしても、「闇は過ぎ去り、まことの光がすでに輝いている」

(ヨハネ第一の手紙2・8)いのちでないとだれが言えるでしょうか。また、貧しい生活をやりくりしながら、妻としてまた母と

して、夫につくし子供を慈しんで自己を棄て切り、忍従の生活の中に燃えつきた女のいのちが、たとえ意識の表層では

ただの一瞬も、神との出会いに目覚めることがなかったとしても、まだ罪の闇の中にいると、だれが信じられるでしょうか。



ですから、イエスは、「最後の審判」という終末論的幻想の描写の中で、審判者としてこう言わせます。



「あなたたちが、私の兄弟であるこれらのもっとも小さな人々のひとりにしてくれたことは、つまり私にしてくれたこと

なのである」(マタイ 25・40)と。









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