「TIPPI ティッピアフリカに育まれた少女 より引用



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希望ある未来とは
じっと聴いてごらん、そしてそれを楽しんでごらん
名を知られていないアマゾン先住民の言葉
シャイアン・インディアン祈り
子供たちへの贈りもの







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希望ある未来とは一人一人の喜び、悲しみを共に分かち合う社会


君たちはこの世界・社会を見て今どのように感じているんだろうか。学校や家庭内でのいじめや

無視、暴力や受験勉強などの荒波を君たちは必死になって戦っている。そんな現実や社会に対し

ての疑問を持ったとしても、そしてそれを誰かに言ったとしても、聴いてくれる人はほとんどいない。



もう全てのものに希望や光が射し込まない暗闇の世界に生きていると感じているかも知れない。

そして君たちはそんな世界でも必死になって立ちつづけている。



今、君たちが生きている時代は人生の中でもっとも多感な時期なんだよ。だから悩んだり不安に

なったりするんだ。でもそんな時代だからこそ多くの世界の声を聴くことが出来ると僕は思うんだ。

ただそんな余裕なんて君たちにはないかも知れない。毎日毎日が敷かれたレールの上を踏み外す

ことなく走ることを要求され続けている。



多くの経験を通して、そのみずみずしい感覚を広げてゆくのではなく、逆に摘み取ってしまう社会に

なってしまっている。こんな社会にどんな未来があるというのだろう。どんな希望があるのだろうか。



実はおじさんも君たちと同じような現実の中で小中学校を過ごしてきたんだ。おじさんは君たちより

少し年をとり、いろいろな世界に触れて何かが間違っているとしか思えないと感じるようになって

きている。君たちの周りに、君たちの喜びや悲しみに耳を傾ける人がいれば、多くの悲劇が避けら

れたかも知れない。



そんな僕にとって来るべき希望の未来とは「一人一人の喜び、悲しみを共に分かち合う社会」なん

だ。そのような社会を創ることなしに未来とか希望とかとても描けないような気がする。でもそのよ

うな社会が果たして出来るんだろうか。きっと君たちも夢物語でしかないと感じているかも知れない。



でもね、昔そのような社会があったんだよ。一人一人の喜びや悲しみを共に分かち合う社会が、

昔の先住民族と呼ばれる人々の中に生きていたんだね。日本では北海道のアイヌと呼ばれている

人たちや沖縄の人たちがそうだけど、外国ではインディアン(アメリカ先住民)やアボリジニー

(オーストラリア先住民)がそのような社会を創っていたんだ。



ではどうしてこのような今の社会が産まれてきたのか、そして何故この伝統に生きる先住民族社会

が今の文明社会に滅ぼされつつあるのかを知ることが、君たちの未来を語る上で欠かせないもの

となってくると思う。それと共に彼らの世界観を知ることにより、今の君にも何らかの助けとなるかも

しれないと僕は思っている。



実は彼らは人間は勿論のこと、動植物も自分達の兄弟として大切に扱っていたんだ。それは一つ

一つの生命が発する声にじっと聴くことを子供の時に最初に学んだからなんだ。それらの聴く訓練を

通して多くの生命の尊さが体を通して理解することが出来たんだね。そして自分自身が苦しい時に、

これらの声にじっと耳を傾け、そしてその声が語ってくれることを聴くことによって癒されてきたんだ。


 
 



アメリカインディアンの祈り







ツオタイ・タリーの喜びの歌

N・スコット・ママデー 作

「ネイティブ・アメリカン詩集」アメリカ先住民の現代詩 より引用


僕は輝かしい空を飛ぶ鳥だ

僕は平原を疾走する青い馬だ

僕は水の中でくるりと体を回転させ、きらきら光る魚だ

僕は子どものあとを追う影だ

僕は夕方の光 平原の輝きだ

僕は風とたわむれる鷲だ

僕はひとかたまりのあざやかなビーズだ

僕は一番遠い星だ

僕は夜明けの寒さだ

僕はざあざあと激しく降る雨だ

僕は雪原の輝きだ

僕は湖面に映る月光の長い影だ

僕は四つの色の炎だ

僕は夕暮れにぽつねんと立っている一頭の鹿だ

僕は漆の木とパメブランチが生い茂る原野だ

僕は冬空を斜めに飛んで行く雁の群れだ

僕は飢えた若い狼だ

僕はこれらをまるごとすっかりひっくるめた夢だ



ほら 僕は生きている 僕は生きている

僕は大地と仲良くいっしょに立っている

僕は神々と仲良くいっしょに立っている

僕はすべての美しいものと仲良くいっしょに立っている

ティーセン・タインテの娘と仲良くいっしょに立っている

ほら 僕は生きている 生きている




未来をまもる無名の戦士たち



 




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じっと聴いてごらん、そしてそれを楽しんでごらん


「子供の訓練は、じっと座っていなさい、そしてそれを楽しんでごらん、という教えから、

はじめられるものである。子供たちは、嗅覚を敏感にして、なにも見るものがないとこ

ろになにかを見たり、まったくの静寂のなかに、じっとなにかを聞き取ったりするよう

に、と教えられた。じっと座っていることのできない子供は、ちゃんと成長していない

子供だ」 ・・・・・・・・ ルーサー・スタンディング・ベア(アメリカ・インディアンの首長)



君たちの耳にはいろいろな音が入ってきている。それは自動車やテレビの音、電話など実に沢山の

雑音が君たちの周りを取り囲んでいるよね。でもそんな音から離れて、風の音くらいしか聞こえない所に

投げ出されたとしたら、君たちはどう感じるだろうか。



多くの人はきっとそのあまりにも空虚な響きに耐えられなくなるかも知れない。まるで自分がたった一人で

ポツンと誰もいない所に置かれた時のような孤独感を味わうかもしれない。「沈黙」という得体の知れない

ものに脅えている自分自身に震え上がるかも知れない。



でも先住民と呼ばれる人たちは自分たちの子供たちをまずこの「沈黙」の中に放り込んだんだ。そして

「じっと聴いてごらん、そしてそれを楽しんでごらん」という言葉だけしか言わない。たとえそこに森や泉や

動物がいなくてもじっと聴くことを学ばせた。



インディアンの社会では「じっと聴く」ことが出来ないものは成熟した大人として認めなかったんだよ。その

ようにして先住民族の子供たちは自分たちが立っている世界のさまざまな声を心で聴いたんだね。でも、

この「沈黙」の中で何の声が聞こえるというのだろう。その重い孤独感にどのように耐えるというのだろう。



事実、おじさんだって何かの声がはっきりと聞こえることはない。でもじっと木を抱きしめたり鳥のさえずりを

聴いていると、何か心が癒されているのを感じることがあるんだ。



そしておじさんよりもっと感動する喜びを知っている君たちだったら、何かを聴き取ることが出来るかもしれ

ない。最初はとても怖く感じるかも知れない。でもこれを通過することなしには君たちの心の根は大地には

届かないんだよ。君たちが立っている大地にしっかりと根が降りたら、いろいろなつらいことにも倒れないで

耐えることができるかも知れない。



本当に生きているって苦しいと感じることが沢山ある。どうして自分はこんなに苦しまなければならないのか、

どうして自分はこんなことで悩むのかと。おじさんだって数え切れないくらいそう感じたことがあるんだよ。

そんな時、君たちがこの沈黙の中でじっと生命の声を聴き取ることが出来たら、君たちの根っこは大地に

つながり支えてくれると思う。



そしてこの根っこが深ければ深いほど、どんなに苦しいことにも耐えていけるだけの力を根っこから吸い

込むことが出来ると思うんだ。君たちの近くにいる人に、このような大地につながった力強い根っこを見た

ことがあるだろうか。君たちの声をじっと聴こうとする人間が何人いるだろうか。まるで根無し草のように

生きている人が多いのではないだろうか。



僕を含めてそのような人は、インディアンや先住民族の人たちから見れば成熟した大人じゃないんだよ。

だから君たちが抱えているさまざまな精神的・肉体的暴力にさらされていることを感じることが出来ないん

だね。



大地に根をはった人、つまりこの「聴くこと」を真に知っているものは、他の人の喜びや悲しみにも耳を傾け

ることができると僕は思うんだ。そして君たちもこのことを学んで欲しいと願わずにはいられない。それは

きっと君たちを強くし、そして希望ある未来を創り出すと信じているからなんだよ。



カトリックの聖者でリジュの聖テレーズという人が、困難な時に遭遇したらそれをくぐりぬけなさいと話した

ことがあるんだ。困難というハードルに立ち向かいそれを乗り越えるのではなく、自分自身を低くしてくぐり

ぬけなさいと。きっとこの聖テレーズという人も大地にしっかり根っこをはっていたんだと思う。苦しい時にも

「あるがまま」の自分を認め、じっとたたずむことが出来る人は倒れないだろうね。それは沈黙を通して

大地としっかりつながっているからだと思うんだ。



だから君たちもインディアンの「じっと聴いてごらん、そしてそれを楽しんでごらん」という言葉を忘れないで

ほしい。どんなにつらい時があっても、きっと多くの声が君たちを力づけてくれる。ただ君たちが恐喝や暴力

などの精神的・肉体的暴力を受けているとしたら、話は別だよ。たとえ加害者が小中学生であろうが、その

行為はりっぱな犯罪行為なんだ。犯罪に対して黙っていてはいけないよ。親とか先生、子供の人権を守る

ところへ通報する勇気を持って欲しいんだ。



ここでインディアンのシャイアン族に伝わる言葉を下に紹介したいと思う。そして君たちが何かを聴くことが

出来たらそれを分かち合えればと願っている。君たちの心に多くの生命の声が響き、どんなつらい時にも、

これらの声たちが希望を運んでくれることを心から願い祈っている。






名を知られていないアマゾン先住民の言葉



○旅は私にとって自己を知り、自分の成長を目指す手段です。旅は人生の教訓であり、学校なの

です。すばらしい人とは、良い歌をつくり、歌える人。感情豊かにユーモアと恥じらいをもち、母の

愛情を表現できて、孤独な子どもといっしょに泣くことができる人。



「人間が好き」アマゾン先住民からの伝言


☆☆☆☆



 




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シャイアン・インディアン 祈り


独りぼっち だったり

困りはてて いたり

誰かの 助けが 必要なときは

まぶたを 閉じて

わたしを 思い

わたしの 名前を よびなさい

そうすれば わたしは くる。

見上げる 夏の日の 大空に

わたしの 姿を さがしもとめ

道に響く わたしの 足音に

あなたの 耳を こらしなさい。

石を 持ちあげて みれば

そこに わたしは いる。

HO!


「シャイアン・インディアン祈り」

 北山耕平 訳 三五館(ポケット・オラクル・シリーズ) 



 









夜明けの詩(厚木市からの光景)







子供たちへの贈りもの


ここに紹介する幾つかの言葉は君たちへの贈りものなんだ。生きるって苦しいなと思う

時は誰にでもあると思う。でもそんな時、これらの言葉を少しでもいいから思い出して

ほしい。大地にしっかりと根をはった魂から産まれたこれらの言葉は、きっと君たちを

立ち上がらせてくれると思うんだ。だから忘れないで欲しい。心の何処か片隅でもいい

から、いつでも引き出すことが出来るように大切にしまっていてほしいんだ。


「宇宙を感じる七日間」宮本延春・著

宇宙の神秘さ、それは私たち一人一人の中にも宿っているんだ)

イグルーク・エスキモーに残されている格言

(とても短い格言ですが、私はこの言葉からたくさんの希望と勇気をもらいました)

アメリカ・インディアンの祈り

(イロコイの祈りとして知られているこの祈りは、美しく、また力強い)

「癩者へ」、「生きがいについて」

(ハンセン病の施設に精神科医として長年勤めた、神谷美恵子の言葉)

ホピの少女ナタリー(10歳)の言葉

(遥か太古の昔から受け継がれてきた祈りと許し)

子どもたちへ

(インディアンの子どもたちが最初に教わったこと)

美しい人生を

(わが子に託す母の想いがとても美しい)

「木に話しかけて」メアリー・ヤングブラッド

(いつもいじめられていた少女を慰め、生きる希望を与えてくれた樫の木)

お地蔵さんの本より

(生きる勇気と希望が湧いてくる言葉が、素朴なお地蔵さんの絵と共に心に響いてやまない)

レイチェル・カーソンの願い

(1962年に環境の汚染と破壊の実態を告発した「沈黙の春」。この本を書いた

レイチェル・カーソンが死ぬまぎわに、君たち子供たちへ一つのの願いを託す)

見果てぬ夢

私にとってこの旋律は、心に希望と力を感じさせてくれる数少ない曲(MIDI)のひとつです。








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ホピの少女ナタリー(10歳)の言葉 1975年

「子どもの神秘生活」生と死・神・宇宙をめぐる証言より引用


空がわたしたちのことを見ていて、わたしたちの言うことを聞いてくれる。

空はわたしたちに話しかける。そしてわたしたちの返事を待っているの。

空には白人の神様が住んでいるって先生が言っていた。あなたたちの神

様はどこに住んでいるのでしょうって先生が聞くから、わたしは知りません

って答えた。だって本当に知らないんだもの! わたしたちの神様は空。

だから空のあるところには必ずいる。太陽も月もわたしたちの神様。それ

にホピ族の人たちも。わたしたちはここに住んでいなければならないの。

ここからはなれたら、神様もきえてしまうから。(中略) でも、白人はわた

したちの言うことに耳をかさない、自分たちの言うことしか耳に入らないっ

て、四六時中白人とつきあっているお父さんが言ってた(父親はトラックの

運転手であった)。おばあちゃんはね、白人は空をせいふくしようとしてい

るけど、わたしたちは空に祈りをささげるために生きているって。せいふく

しようとする人に話してもむだだから、白人の分もいのるしかないって。

だからわたしたちはただニヤニヤして白人に《イエス》ばかり言うのよ。

そしてあの人たちのためにいのるだけ」





ブラッキー(少女の愛犬)と散歩していたとき、空にけむりのすじを見たの。

ひこうき雲。いったいだれがのっているのかなって思った。わたし、ひこう場に

行ったことないんだ。学校で写真は見せてもらったことはあるけど。ブラッキー

と二人でひこうきにのっているところをそうぞうした、太陽にむかってどんどん

とぶところをね! そんなことしたらひこうきがとけちゃうって知っているよ。

太陽に近づくと、なんだってとけちゃうって学校で習ったもの。でもたましいま

ではとかせないよ! わたしたちはお日様やお星様に手をふるんだ。光を

おくってありがとうって。ずっとずっと前のおくりものを、いまわたしたちがうけ

とっているんだよね。わたしって空想するのがとくいなんだ! ホピ族のご

先祖様たちに会って、先のことを話したい。みんながまたいっしょになれる

ときのことを。川には水がたっぷり流れていて、お日様が地球のさむいとこ

ろをあたためて、すっごくあついところは少しのあいだあまりてりつけないよう

にする。そして世界の人が大きな輪にすわる。みんな、きょうだいってわけ! 

そのとき世界中の霊が出てきておどりくるう。星もお日様も月もよ。鳥たちも

地面にまい下りておどる。人間たちがそこらじゅうでおどったり、またすわって

輪をつくったり。輪はすっごく大きいから、メサの上に立って地平線のほうを

見ても、どこまでつづいているかわからない。でもみんなうれしそう。けんか

なんかしない。けんかするのは、まいごになって、先祖のことをわすれて、

わることをしでかすから。いつか、みんなが大きい輪になって手をつなげる

ときがくる。ホピ族だけじゃなくて、みんなよ。そうなったらほんとうに《いい》

んだよね。先生が良いこと、良いものの例をあげなさいって言ったことがあ

るの。ブラッキーはいいよ。だってだれもきずつけないもん。この世界もみん

なが大きな輪をつくれるようになったらいいね。ぐるぐる回りながら、世界中

の人がその輪に入ってきたらさ」


ホピの預言(予言) を参照されたし。






縄文服 相模原市立博物館 2018年4月7日

 




フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した映像です。



夜明けの詩(空と大地の風景)

YouTube画面の設定(右下)で画質をHD(高画質)にして見ると、写真がそれ程ぼやけないと思います。












2013年8月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)

フィリピンのスラム街の子供たち

34年位前の写真ですが、子供たちは貧しくても明るくたくましく生きていました。


 


2012年4月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。


Obrázky Liberec.cz より引用


(大きな画像)



円空(1632~1695)が創った像(庚申像)

この像は自分が苦しいとき、その時に本当に会いたい顔の一つかも知れません。円空の像は

この表情だけではなく、様々な顔を見せてくれます。



生涯12万体を作ったとされる円空。時の権力者にすり寄らず庶民のために、人を救うために

像を作り続けた円空。梅原猛さんによると、円空は私生児として生まれ幼くして母を洪水で失い、

お寺のお坊さんになったと言われています。



遠くは北海道のアイヌの人と生活し、多くの地で仏像を作り続け庶民に愛された円空。その円空

の仏像も、明治初めの廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などで失われ、12万体のうちの数千体しか

残されていません。しかし、人を救うために円空が仏像に込めた願いや祈りは、時を超えて人び

との心に刻み続けていくのかも知れません。



☆☆☆☆



円空は、仏像を芸術品としてつくったのではありません。売るためでもないし、芸術家として有名

になりたいためでもありません。



円空は人を救うために仏像をつくりました。



池の怪物を鎮めるために、千体の仏を池に沈めたという話もあります。



また、ぼろぼろの朽ちた木を仏にするために仏像をつくったといわれます。



芸術というものは、本当はそういうものなんです。



芸術は人を救うためにあるものです。



「梅原猛の授業 仏になろう」より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 

 

2012年6月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略


「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」が日本人の約4割



「助けてあげる必要はない」と答えた人の割合は日本が38%で1位、2位はアメリカで28%、中国9%、

イギリス8%、フランス8%、インド8%、ドイツ7%の順だそうです。



これは2007年のThe Pew Global Attitudes Project 「What the World Thinks in 2007」の調査らしい

ですが、調査方法や設問の仕方、その信憑性について私は詳しくは知りません。



また調査した時点での日本の政治・社会状況も背景にあるのかもしれません。



ただ私はいつ事故や病気などで体が不自由になってしまうかわかりませんし、それは自己の努力で

回避できる性質のものでないように思います。



勿論日頃の養生や危機管理が出来ていれば、その可能性を低くすることは出来ても、完全に防ぐ

ことなど不可能です。



また障碍を持って生まれてくる子どもたちは遺伝的に必ずある割合で起こることであり、その多様性

なくして私たちは今の人類という姿にはなれなかったでしょう。



逆に言うと天才も決して生まれてこなかったと思います。



いつか古代の社会、そして先住民の社会を踏まえてこのことを書きたいと思っています。



☆☆☆☆



上の写真は「TIPPI ティッピ」アフリカに育まれた少女 より引用しました。




(K.K)





UK | FT Photo Diary



1992年8月17日撮影 千葉県・大原



Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)







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