「虹の戦士」

Warriors of the Rainbow

翻案 北山耕平 太田出版より

北山耕平さんのホームページ「Native Heart」





この物語は1962年に英語で出版された。原作者は不明という不思議な

感動的な本であるが、アメリカ・インディアンたちの間ではこの物語は

実際にあったことだと信じられている。都会で育った主人公の少年は、

居留地に両親とともに帰るが、焚火のあかりの中で語られる老婆の昔

話にひきつけられる。そしてこの12歳の少年は尋ねる。「おばあちゃん

は昨日の夜、どうやって白人がやってきてぼくたちの土地を奪っていっ

たのかを話してくれました。インディアンたちが、初めて出逢うような骨

までボロボロになる病気にやられて、何千人も死んでいったことや、

おじいちゃんが白人の泥棒を取り押さえようとして殺されたことも聞き

ました。こういう話を聞けば聞くほど、ぼくには知りたくなることがある

んです。いちばん古い母親であるおばあちゃんに、ぼくはどうしても一

度それを教えてもらいたくて、ここに来ました」・・・「いちばん古い母親

であるおばあちゃん、どうして、なぜ、天におられるわたしたちの偉大な

曾祖父は、白人たちがこの大地を奪い去っていくことをおゆるしになら

れたのですか?」・・・そしてこの少年は様々な苦難を超えて、虹のよう

にすべての人間をひとつの家族としてつなげる戦士として旅立つ。

(K.K)


 








本書より引用


「虹は、すべてのもののなかにおられるあのおかたからの

メッセージなのだ。

すべての人間がひとつの家族のようにつながることとを、

虹は教えている。

さあ、あの山の頂にお行き、わたしにつながる愛しい者よ。

どうやったら虹の戦士になれるか、

行け、

行って学ぶがよい。

愛と喜びをみんなの間にひろげることだけが、

この世界の憎しみを理解と優しさに変えることができる。

この世からいっさいの戦争と破壊をなくすために、

残された道はもはやそれひとつしかない!」



アクエサスネ・モホーク・ネーションのセント・レジス・リザベーションの

なかに立つ「トム・ホワイトクラウド」という名前のひとりのネイティブの

墓に刻まれている祈りの言葉(本書より引用)


おお父よ、わたしはあなたの声を風のなかに聞き、

あなたの息はこの世界中のすべてのものに生命を与えています。

お聞きください。

わたしはあなたの前に、あなたのたくさんいる子供たちのひとりとして、

今、立っています。

わたしは小さくて弱く、

あなたの力と智恵とを必要としています。


どうかわたしを、美のなかに歩ませ、

なにとぞこの眼に、赤と紫の夕陽をお見せください。

この両手が、

あなたの創られたものを、尊敬させるようにしてください。

この耳を、

あなたの声が聞こえるように、鋭くしてください。

そうすればきっと、あなたがわたしの一族に与えられた教えを、

一枚一枚の木の葉や、

ひとつひとつの岩のなかにあなたが隠された教訓を、

このわたしも、理解するかもしれません。


父よ、わたしは力を求めています。

偉大なる敵と戦うことができるようになるための力ではなく、

その力で、汚れのない手と、濁りのない眼をもって、

わたし自身があなたのもとを訪れる準備をさせてください。

もしそれがかなうのなら、

日没の太陽が姿を消すように、わたしの生命が終わりを迎えたとき、

いささかも恥いることなく、

わたしのスピリットはあなたのもとを訪れることができることでしょう。


 


ビー・ア・グッド・インディアン --- あとがきにかえて 北山耕平 本書より引用


日本列島でいわゆる「アメリカ・インディアン的な生き方」が主流だった時代は、俗に「縄文時代」

などといわれている時代である。狩猟採集であれ、農耕であれ、その間、日本列島のインディアン

たちは「地球の守護者」としての生き方をとりあえず守り続けた。この時代は、軽く五千年から数万

年は続いたとされる。弥生時代になってから現代までのたった二千五百年ほどの間に、日本列島

のインディアンたちは異なった生き方を選択して日本人になっていった。日本人になるのと引き換

えに、一切の神話や伝承や古代から伝わる儀式などは失われたと見ていい。われわれは、縄文

時代の記憶を喪失した。消されたのかもしれない。巨木の森に覆われていた弓の形をした列島か

ら、まず木々が姿を消していった。そして矮小化された自然を自然とする生き方が醸し出されてい

く。虹はまだ見えるだろうか? 中国大陸と朝鮮半島と北部九州にまたがる海洋国家を構成して

いた「倭人」たちが、混血と陰湿な差別を巧みに利用することで「日本人」をつくりだし、自らそのう

えにのっかかっていったと想像される。日本は、アメリカと同じように、あらかじめ国家として建国さ

れたようだ。日本人はどこからかやってきたのではなく、日本列島においてつくりだされた。神話は

捏造され、わたしたちは、別の生き方を選択し、母なる日本列島、母なる地球という概念を喪失し

た。わたしたちはインディアンであることをやめ、インディアンであった自分を卑しめおとしめ、日本

人であることをトレーニングされることで日本人になっていったのかもしれないのである。かつて公

民権運動華やかなりし頃のアメリカでは、黒人たちが、しばしば「白人のように考える黒人」のこと

を、「外側が黒くてなかが真っ白」として「オレオ(クッキーの商品名)」と呼んだように、インディアン

たちは「白人のように考えるインディアン」のことを「外側が赤くてなかが真っ白」として「アップル」

と呼んでいた。南太平洋では「外側が茶色でなかが真っ白」として、その手の人間のことは「ココ

ナッツ」と呼ばれた。日本人はさしずめ「外側が黄色でなかが真っ白」な「バナナ」かもしれない。

しかし最近ではこうした言い方を耳にすることはあまりなくなりつつある。地球上に点在して、

いまだに先史時代からの英知を守り続けてきた先住民たちが、互いにコミュニケーションをとり

ながら情報を交換する時代が到来しつつあるからだ。ローリング・サンダーが「重要なのは血で

はなくて生き方だ」と喝破したように「人びとはそういう生き方をするように、それのみがただひと

つのリアリティだと信じ込むように、徹底的に訓練されている」のである。1960年代にはじまった

人間性回復運動がもたらした最大の恩恵は、われわれはもし望むなら生き方そのものを変える

ことができるという確信だったと思われる。自分たちが持ち続けた世界観の限界を超えた物の

見方の力を借り受けることによって、われわれは自分たちの生き方をもっと意味あるものへと

押し上げることも不可能ではない。もう一度、日本列島と呼ばれる弓の形をして連なる島々の

上に、大きな虹を見たいものではないか。アメリカ・インディアンの生き方を学ぶことで、わたし

たちなら、ひとりの地球に生きる人間であるとはいかなることかを学びなおすことができる。与

えられた人生に恐れをもたずに立ち向かうこともできるだろう。弓の形をした島で生きる良き

インディアンであれ。



目次


まえがき 文・宮内勝典

バッファローに与える歌

アメリカ・インディアンに古くから伝わる言い伝え

覚え書き

虹の戦士

第一章 大きな疑問

第二章 内側を見つめる

第三章 自然にさわる

第四章 恐怖に打ち勝つ

第五章 技をものにする

第六章 死を敬う

第七章 痛みを知る

第八章 ヴィジョンを求める

あるアメリカ・インディアンの祈り

あとがき



「グランドファーザー」

トム・ブラウン・ジュニア著

飛田妙子訳 徳間書店 より引用


かつては誇りを持って大地に根ざして生きていた人々が、打ちのめされ、閉じ込めされ、

傷つけられているのを見て、あまりのことに言葉もなかった。みな絶えず白人を恐れ、

仲間を恐れて暮らしているのだ。とりわけ悲しかったのは、人びとがまったく希望を失っ

ていることだった。グランドファーザーが大きな絶望感を持ちはじめたのはこのときだっ

た。大地の人びとが目の前で一掃されかかっているのに、彼はなすすべもなくたたずむ

ばかりなのだ。彼の一族はまだ自由ではあるが、ここの人たちも彼と同じ大地の人だ。

白人の迫害を目の当たりにしてようやくその実態を理解し、彼は言い知れぬ嘆きと苦悩

に打ちひしがれた。グランドファーザーはそれから数週間、保留地のはずれに留まった。

弟子のほとんどは彼が教えることに興味を示さなくなったり、別のことをするようになっ

た。ジョンは相変わらず強い興味を持っていたが、ほかの保留地で教えるために去っ

ていった。グランドファーザーはジョンの中に自分の希望が息づいているのを感じた。

ジョンは保留地内の学校で働くことになったので、うまくいけば子供たちに昔の技術や

精霊に関することを教えることができるだろう。グランドファーザーはまた南西部へもど

りながら、ジョンの行く手に待ち受ける戦いの大きさをはっきり読み取っていた。たった

一人の人間が、何らかの希望を与えたり変化をもたらすことなど、ほとんど不可能の

ように思えた。グランドファーザーの心も悲しみで重く沈んでいた。彼は、自分こそが古

来の道を自由に実践できる、残された数少ない一人であることをひしひしと感じた。

実に孤独だった。自分の一族のもとへ帰りながら、グランドファーザーはこれまでにな

いほど落胆していた。孤独感や失望は、ときに耐え難いほどだった。どの保留地にも、

まだ古来の道に従って暮らしている長老がいることは知っていたが、彼が心配するの

はこれから先の世代のことだった。白人による洗脳や、アメリカ先住民を白人の文化

に同化させる計画が、子どもや若者の考え方に影響を与えていた。古来の道は原始的

だと見なされ、そうしたものに興味を示す子どもは嘲笑された。古来の道を学ぼうとし

た子どもが、大勢の前で罰せられることもあった。白人はまやかしや口先だけの約束

をして、子供たちを部族の文化から遠ざけていった。このときグランドファーザーは人

生にほとんど希望を見出すことができず、悲痛な気持ちになっていた。グランドファー

ザーには保留地にいるような抑圧はなかったが、自分も監禁されているような感じだ

った。実際に、自分の好きにどこにでも行ったり来たりするわけにはいかなかった。

祖先のように自由に放浪することができない。旅のあいだ誰かに見られないよう細心

の注意を払わなければならず、ひどく制約を受けていたからだ。堂々と歩くことができ

ずに、やぶに隠れたり夜の闇にまぎれて移動することが多かった。いつも警戒して、

起こりうる危険に備えなければならなかった。こうした考えがしかも現実であることを

悟るようになって、彼の魂も自由を失い、保留地の人たちと同じような苦痛を感じるよ

うになったのだ。信念が揺らぎ、魂が引き裂かれそうだった。すべての希望が消えた

ように思われ、古来の道は自分の死とともに滅びるであろうと、また考えるようになっ

た。ついには大地の民そのものが消滅するかもしれないということに思い至り、激し

い衝撃に自己嫌悪に似た思いにさいなまれた。自分の生き方がまちがっていて、

白人の方が正しいのだろうかと彼は考えた。自分の原始的な生き方は、本当に時代

遅れの人たちにしか役立たないのか。白人たちがみなまちがっているということがあ

り得るのか。ともかく、大地に根ざして生きる人たちがいま監禁されているのだ。もし

先住民の方が造物主に近いならば、白人も海の向こうの国へ追い返すことができた

はずではないか。グランドファーザーは考えれば考えるほど自信がなくなり、気持ち

が重くふさいだ。家はただ自分の一族の人たちのいるところにもどって死にたいと

思った。大きな目標が見えなくなって希望も失せ、いまや彼は教えることに何の意

味も見出せなかった。グランドファーザーは彼の一族のキャンプのすぐはずれの

ところで何日もキャンプした。このような気持ちのままで仲間と顔を合わせたくなか

った。彼の一族はまだ自然のまま自由に生きて古来の道を実践しているが、それ

も幻想にすぎない。彼と同じように、自由はなく制約を受けていたのだ。みなもう老

齢となり、技術を受けつぐ若者もいなかった。古来の道を守っていながらそれを伝

える者を持たない、いずれ死に絶える一族なのだ。彼は悪い知らせを持ってもどり

たくなかったし、彼らが最後の一族だと知らせるのも気が進まなかった。もうみな

年だから、ほかにも野生のまま自由に原野を放浪している部族がいると信じてい

る方が幸せだろう。彼はしばらく時間をとって、考えをまとめてから帰ることにし

た。ある朝、聖地にすわって祈っていると、コヨーテ・サンダーの霊が現れた。

グランドファーザーは曾祖父がそばに立っているのを見て驚いた。彼が口を開く

前にコヨーテは言った。「私たちは何日もおまえが帰ってくるのを知っていた。

おまえがなぜ心を痛めているかも知っている。私も傷ついた人びとの苦悩を見

たのだよ。だから私は一族の者が白人に近づくのを許さなかったのだ。そして

私たちは最後の日が来るまで身を隠していることにしたのだ。おまえはいま希望

をなくしているが、希望はある。耳を傾ける者には誰にでも教えを授けなければ

いけない。真実と精霊に関するものは決して滅びることはなく、最後には必ずす

べてのものに優る。それは常に自然を求め、精霊とともに歩む者の一部なのだ。

人種や信念にこだわらず、大地の教えを求める者すべてに教えなさい。大地の

教えを求める者は、新しい大地の子となるのだから。我々の道が滅びることは

ない。最後の時がくれば、人間は再び我々の知る知恵を求めるだろう」 コヨー

テ・サンダーはグランドファーザーが答える間もなく、無言で立ち去った。グランド

ファーザーは新たに希望が湧き上がってくるのを感じた。以前から、教えることは

彼の夢であり運命であると思っていたが、いま新たに、耳を傾ける人であればアメ

リカ先住民でも白人でも、誰にでも教えるべきだと悟ったのだ。彼はコヨーテ・サン

ダーの言うことは正しいと思った。古来の道や哲学は決して滅びることはない。や

がて白人が彼らの生き方の虚しさや物質的なもののはかなさに気づいたとき、我

々の教えは生まれ変わるだろう。自分は教えを伝えなければならないのだ。そうす

れば、白人が現世的な欲望を超越したものを探求するようになったとき、正しい道

を見つけられるだろう。グランドファーザーはもうためらわず、希望を新たにして一

族のもとに帰り、次の旅を待ち、新しい生徒の出現を待った。



2012年4月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




インディアンの言葉の中には多くの感銘する言葉があるが、私自身一番強烈に響いた言葉が、

放蕩生活からヴィジョン・クエストを通して目覚めたレイム・ディアーの次ぎの言葉である。



「二番煎じは嫌だ」



これはレイム・ディアーが生きた時代背景を捉えないと、単なる既存宗教の批判になってしま

う恐れがある。



彼が言いたかったことは、日々新たな生命・風を心に送り込め、自己の鏡を常に磨けという

ことなのだと思う。の見地から言うと、「一瞬一瞬を生きろ」ということなのかも知れない。



人は同じ位置に留まっていることは出来ない。新たな経験、思索により180度異なる視点を

持つこともあるだろうし、少しずつながら変化していくのは当たり前のことなのだろう。



しかしそれでもこの言葉には創造主への揺るぎない信頼が横たわっている。この処にしっか

りと立ち、そこに自分の根をおろさなければならないことを意味しているのかも知れない。



根づくことなく足下がふらついている時、何かにすがりつかなければ人は倒れてしまう。レイ

ム・ディアーは、当時の白人に対してそのような姿を見出したのだろう。だから彼はこの言葉

を使ったのではと感じてならない。



何かにしがみつくのではなく、深く深く自分の根っこを張れと。



☆☆☆☆



おお父よ、わたしはあなたの声を風のなかに聞き、

あなたの息はこの世界中のすべてのものに生命を与えています。

お聞きください。

わたしはあなたの前に、あなたのたくさんいる子供たちのひとりとして、 

今、立っています。

わたしは小さくて弱く、

あなたの力と智恵とを必要としています。



どうかわたしを、美のなかに歩ませ、

なにとぞこの眼に、赤と紫の夕陽をお見せください。

この両手が、

あなたの創られたものを、尊敬させるようにしてください。

この耳を、

あなたの声が聞こえるように、鋭くしてください。

そうすればきっと、あなたがわたしの一族に与えられた教えを、

一枚一枚の木の葉や、

ひとつひとつの岩のなかにあなたが隠された教訓を、

このわたしも、理解するかもしれません。



父よ、わたしは力を求めています。

偉大なる敵と戦うことができるようになるための力ではなく、

その力で、汚れのない手と、濁りのない眼をもって、

わたし自身があなたのもとを訪れる準備をさせてください。

もしそれがかなうのなら、

日没の太陽が姿を消すように、わたしの生命が終わりを迎えたとき、

いささかも恥いることなく、

わたしのスピリットはあなたのもとを訪れることができることでしょう。



アクエサスネ・モホーク・ネーションのセント・レジス・リザベーションのなかに立つ「トム・ホワ

イトクラウド」という名前のひとりのネイティブの墓に刻まれている祈りの言葉。「虹の戦士」

北山耕平 翻案 太田書店 より引用 注)写真はインディアンを撮り続けたカーティスからの

もので、レイム・ディアーではありません。

☆☆☆☆



(K.K)



 



APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse

(大きな画像)



 


2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。

その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。



その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、

世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴

えておられた。



私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は

かに思っていた。



確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私

たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して

理解することは出来ないと思う。



この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。



ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ

の思いを投稿した。



私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。

また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。



今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間

達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。



アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ

るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。



下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり

絶対こうでなければならないという意味ではない。



私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。



☆☆☆☆



太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。



日食のことを次のように言いました。



チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)



日食の際の儀式を紹介します。



男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。



女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。



チュプカムイ      太陽のカムイよ
エ・ライ ナー   あなたは重態だ
ヤイヌー パー    よみがえれよー
ホーイ オーイ    ホーイ オーイ



日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が

あったのです。



太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。

オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。



闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用



☆☆☆☆







(K.K)



 

 


2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

厚木市から見た金環日食



僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。



人びとに安らぎが訪れるようにと。



今日は金環日食だった。



昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。



でも、僕は違う人々のことも想像してみた。



インディアンホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、

日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。



もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。



「太陽、生きてくれ!!!」と。



僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。



しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも

知れない。



日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って

生きてきた人たち。



勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。



でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。



(K.K)



 

 

2012年5月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





(大きな画像)



題・・・「お父さん、宇宙が、金環日食が、ここにもあるよ」・・・自宅近く



(K.K)



 

2012年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





(大きな画像)



2004年の金星の太陽面通過、太陽の右側に金星が写っています。(写真はNASAより引用)



今日の部分月食は厚い雲に覆われ見ることが出来ませんでした。



でもお陰で近くに天体観望できる開けたところを新たに開拓することが出来たので感謝です。



ところで、明後日の金星の太陽面通過ですが、上の写真は2004年6月8日の時のものです。



じゃあ明後日見逃しても数年後に見れるんだ、と思われたら大きな間違いで、次は105年先に

なってしまいます。



105年先というと、現在の赤ちゃんでも見るのは殆ど出来ず、その赤ちゃんの赤ちゃんが長生

きしてようやく見ることができるのだと思います。



私たちが明後日見る金星の太陽面通過、そして次に目にするであろう世代を想像するとき、

インディアンの言葉を思い出します。



☆☆☆☆



「私たちの生き方では、政治の決め事は、いつも七世代先の人々のことを念頭におきなが

ら行われる。



これからやってくる人々、まだ生まれていない世代の人々が、私たちよりも悪い世界で暮ら

したりすることのないように、できればもっと良い世界に生まれてこられるように心を配るの

が、私たちの仕事なのだ。



私たちが母なる大地の上を歩くときに、いつも慎重に一歩一歩進むのは、これから生まれ

てくる世代の人々が、地面の下から私たちのことを見上げているからだ。



私たちはそのことを、片時たりとも忘れない」



オレン・ライオンズ(オノンダーガ族)



「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」築地書館より



☆☆☆☆




(K.K)










アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)に関する文献

アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)

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