Nez Perce brave
Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
先ずこの「インディアンの伝記や物語を記した文献」の中には偽書と呼ばれている ものも紹介している。フォレスト・カーターが書いた「リトル・トリー」「ジェロニモ」がそ れである。フォレスト・カーター自身、白人優越主義者の過激派集団として知られる クークラックスクラン(KKK)の最高幹部であり、「リトル・トリー」も自伝的な回想録な どではなく全くの創作ものであることも判明している。勿論この「リトル・トリー」の文 学的価値は高いものであるかも知れない。事実私自身でさえ強い感動を覚えた一 人であるからだ。ただ私のホームページは、インディアンに関する文学の情報を流 すことを目的としているのではない。各文献や言葉の中に秘められたインディアン の魂、叫びや喜びを伝えたいと願って創られたものである。その意味で自らの作品 に描かれた視点と180度異なる生き方をしていた人物が産み出した「リトル・トリー」 「ジェロニモ」は、インディアンの魂を社会的名誉や金のために売り飛ばした卑劣な ものであると言っても過言ではない。たとえフォレスト・カーターがKKKに入る動機が 自らの意志であろうが、何らかの事情で強制的に入らされたものであろうが、その 血と暴力に染まった手を心から後悔しているなら、何故この「リトル・トリー」という小 説を自分の真の自叙伝と主張出来たのであろう。また何故「リトル・トリー」を完成 させた同じ時期に、白人至上主義の雑誌を編集し記事を書いていたのか。私たち も先の戦争で、アジアの多くの方たちに同じことをしてきたが、これらの残虐行為に 加担してしてきた人間自身が、まるで自分こそが韓国・中国人であり、日本の残虐 行為の被害者であることを主張していながら、その一方で韓国・中国人に迫害を 加え続けている次元と全く同じである。KKKに入った理由はなんであれ、もし彼が KKKに関わったことを真剣に反省し、改めてインディアンの視点に立ち戻っていた ならば、決してこの小説を自叙伝などとは主張しなかっただろうし、、その後も白人 至上主義の雑誌を編集し記事を書くことはなかっただろう。フォレスト・カーターは 血と暴力に染まった人生を、ふと完全に消し去ってしまいたいと思った時期があっ たに違いない。そしてこの小説の架空の人物に自分を置き換えてみたかった。確 かに「リトル・トリー」は文学的に名著の部類に入るだろう。しかし、過去の過ちから 目を背け謝罪することもなく、真の自叙伝と主張してきたところに、彼の欺まんさが 隠されている。インディアンの文献を多数日本に紹介し交流もある北山耕平さん、 スーザン小山さんの話によると、このような白人によるインディアンの魂への侵略 は現代でも生きており、彼らは自分たちの魂を守るために必死になって戦っている のである。このフォレスト・カーターの経歴についての推察には様々な感じ方がある のも事実である。ただこの問題に対してもっとも口をはさむことを許された人間は、 私などの部外者ではなく、インディアン自身なのだということを胆に命じるべきだと 思う。何故なら彼らインデアンこそ、KKKに代表される人種差別主義者により最も 血塗られた歴史を歩みつづけた人々であり、そのような絶望的な状況でもインディ アン(全てではないが)は、命をかけて古来の道を守りつづけてきたのである。その 彼らが「リトル・トリー」を白人による新たな侵略として位置づけていることを私たちは どのように感じ理解しなければならないのだろうか。インディアンの豊穣な精神文化 を、社会的名声や金儲けの道具としたものに、真のインディアンの魂は存在するは ずはない。私は敢えてこの「インディアンの伝記や物語を記した文献」という項目に この偽書を置く。そうすることにより多くのインディアンの魂への侵略が現在でも続 いていることを知っていただきたいと思うからである。そしてこのことに気づくことな く今まで高い評価をしてきた私自身の無知も謝りたい。1998.6/7
「The Education of Little Tree and Forrest Carter」 What Is Known? What Is Knowable? The American Experience 有名な人種差別主義者のゴーストライターであったとされる記事
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既読の文献
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「ブラック・エルクは語る」 J・G ナイハルト著 阿部珠理監修 宮下嶺夫訳 めるくまーる 私がインディアンの精神文化にひかれるようになった時から、どうしても 読みたいと思い続けた文献があった。ブラック・エルクが語ったこの「終り なき夢と闘い」がそうである。しかし1973年に出版されたこの文献は既 に絶版となり、その後出た同じ原書の翻訳書「ブラック・エルクは語る」 社会思想社も絶版となって久しい。しかしある古本屋を通してこのブラッ ク・エルクの言葉に触れることが出来た。この聖者ブラック・エルクが9歳 のとき見た壮大なヴィジョン、そしてその意味を探る道程においての白人 との闘いと死に絶えようとする部族への深い悲しみ。やがてブラック・エル クは多くの肉体的・精神的病を癒す力が自らの中に宿っていることに気 づき、人びとに聖なる輪の中に希望を見させる聖者となってゆくが、その 道も白人の飽くなき欲望のために消え去ろうとしていた。しかし最後にブ ラック・エルクの祈りの言葉に偉大なる精霊が応え、聖なる木の根がまだ 死んでいないことを告げる。そしてこの聖なる木を豊かに花咲かせるのは、 今この時代を生きている私たちとその子供たちの手に委ねられていると いうことを、ブラック・エルクはこの文献を通して彼の夢と希望を私たちに 託したのだ。・・・・・・・・幸いにしてこの文献は2001年7月に「ブラック・エ ルクは語る」という題で出版された。 ワシチュ(白人)はインディアンから土地と資源を奪い、嘘を返す。ウソ |
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「グランドファーザー」 トム・ブラウン・ジュニア著 飛田妙子訳 徳間書店 一人のインディアンが生涯をかけて真理を探究し続けた驚くべき実話。白人 が大地との絆を忘れ破壊させてきたこの世界を再び甦らせるべき、絶望と 孤独を突き抜けてきた探求の物語。その言葉は未来を託されている私たち 一人一人への遺言であり贈り物でもある。このストーキング・ウルフが精霊に 導かれ、あるべき古来の道を、多くの犠牲を払いながら見極めていく生涯に 私は心奪われる。世界はこのような偉大な魂に、最後の日まで真理を探究し 続けた真に尊い魂に導かれていくのだろう。彼の魂は本著を通して、大地と の絆を取り戻す多くの魂に限りない勇気と希望をいつまでも注ぎ続けるだろう。 まさしくこの魂は、自らの生涯を平和の道具として貫きとおした偉大なるもの である。 今日、彼のヴィジョンは、私のどれほど情熱的な夢よりも強く、私の中で |
「アメリカの空へ」 大探検を助けた少女、サカジャウェア ケネス・トーマスマ著 西江雅之監修 加原奈穂子訳 出窓社 アメリカ史上もっとも重要な女性6人に数えられるサカジャウェア。この少女 が探検後に歩んだ道、そしてその死に関しては多くの説がありますが、この 献身的なそして偉大な功績を残した少女がどのような道を辿ったのか、今と なっては霧に包まれています。ただ、彼女がその後の人生を幸福に送ったと は言えなくても、私の心のなかには、多くのインディアンの勇者と同じように サカジャウェアが遺した献身的な崇高さ、そしてそれを尊敬のまなざしで見守っ た二人の隊長の姿は生き続けてゆくことでしょう。 1805年春、16歳の少女は、生まれたばかりの赤ん坊を背負い、史上名 赤ん坊を背負ったネイティブ・アメリカンの少女が、1ドルコインとなってアメ |
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「薩垂屋多助 インディアンになった日本人」 スーザン小山・著 歴史のみならず、インディアンの伝統文化、世界・価値観に熟知した者。なお かつ400年前に生きた彼らが未来に残した想いを掬い取るものだけに許された 物語。それがスーザン小山さんが書かれた小説「薩垂屋多助 インディアンに なった日本人」である。実際に江戸時代初期に徳川家康に外交顧問として仕え たイングランド人航海士・三浦 按針(ウィリアム・アダムス)と多助との出会い。 才覚を認められ通訳として彼・三浦 按針の元で様々な経験を積み、インド生ま れの娼婦との恋を経ながら、イギリスに旅たつ多助。そこで彼の一生を決めた のはディズニー映画でも有名なアニメ「ポカホンタス」、その彼女を育んだラナペ 族(ポウハタン族)との出会いだった。この小説には過去の歴史的事実に、 「多助」という架空の日本人を織り込むことによって、現代に新たな命を吹き込ん でいる。 スーザン小山さんが書かれたインディアン関連の5冊の文献(2冊は全国学校 図書館選定図書)は素晴らしいが、この「薩垂屋多助 インディアンになった 日本人」は彼女の集大成とも言える感動の小説である。ラナペ族(ポウハタン 族)の未来への想い、多助の未来への想い、それはスーザン小山さん自身が 「多助」そのものであることに気づかされる。歴史的事実や背景を基に、400年 前のインディアンの魂の叫びを聴き取った第一級の作品である。 本書より以下引用。 「私がこれから言うことを心して聞け。私は今夜この世を去る。だが私はひとり で逝くのではない。戦士や族母たち、そして多くの老若男女もまた死ぬであろう。 ラナペ族は今夜、民族として絶えるのだ。だがわれらの誰かがラナペの血を 後世に伝えなければならない。我らがこの地に生きたあかしを、この大地は 我らのものであることを、我らの赤い道と天地の真実を七代の子孫に伝える ために、そして七代の子孫がさらにその七代の子孫に伝えるために、誰かが 生き続けねばならぬ」 多助は部族最高の精神指導者の言葉を聞きながら、それが自分の心に、まるで 以前から聞いていたことがらのように自然に響くことに奇異の念と感動を覚えた。 かたわらの三人は頭を垂れ、その言葉にじっと聞き入っている。同じ思いでいる のであろうか。だがトモコモの深い目の色は、多助には見えない中空の何かを 見据えていた。その言葉が再び静かに響く。 |
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「レイム・ディアー」 「インディアン魂」 ジョン・ファイアー・レイム・ディアー 口述 リチャード・アードス編 北山耕平訳 河出書房新社 750ページを超すこの大きな本の最初には、レイム・ディアーがメディスンマン として目覚めるまでの放蕩生活が語られるが、ヴィジョンを追い求める者として、 彼はメディスンマンになる運命が待ち受けていた。インディアンの多くの聖なる 儀式の持つ意味が詳しく語られ、いつしかそれは、祈りへと導かれてゆく。この 本の原書(英語)は1972年に発行され、フランスやドイツでベストセラーになった ほどの古典的傑作である。またこの本の文庫版である「インディアン魂」(「レイ ム・ディアー」の改題)が現在河出書房新社から出ている。そして彼の息子レオ ナルドもメディスンマンとして部族の霊的指導者として後を引き継ぐが、四世代 にわたる物語をレオナルドが「魂の指導者 クロウ・ドッグ」という文献に記して いる。 |
「ローリング・サンダー」 ダグ・ボイド 著 北山耕平・谷山大樹訳 平河出版社 この本の主人公であるローリング・サンダーは、一族の秘密を守る者であり、 現代を生きるひとりのメディスンマンである。著者のダグ・ボイドは、メニンガー・ ファウンデーションの研究部門によって主催されたある会議で、ローリング・サン ダーのヒーリングの儀式を目の当たりにして以来、彼に示されることになるかも しれぬ、そうした隠されてきた癒しの力の神秘に魅せられて、自らの心を開きき る決心をした。ボイドのこの本は、現代のひとりの白人によってまとめあげられた アメリカ・インディアンたちの心の内側の叙述であり、ある種の人間ならこれを 「現実」として受け入れるかもしれぬ世界への、一つの探求の物語でもある。信 じるか否かを別としても、ボイドの体験は現代人にまったくといっていいほど知ら れていないある世界に読者を引きこみ、かつその心に挑戦する。 ・・・・・・・ディー・ブラウン 同著・序文より |
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「聖なる魂」 デニス・バンクス/森田ゆり共著 朝日文庫 現代アメリカ・インディアン指導者、デニス・バンクスの半生を記録したもの だが、この著名な指導者の半生を描いたものはこの本だけである。「マルカ ムX自伝」や「ルーツ」を書いているアレックス・ヘイリーやアメリカの大手出版 社が、デニスの伝記を書きたいと言ってきたがすべて断り、日本語版でのみ の出版となった。デニス・バンクスの言葉によるとその理由は二つある。仏教 僧である藤井日達との衝撃的な出会いが、彼の人生に大きな影響を与えた 点と、英語を語る人々がインディアン運動の語る言葉を、自分達の都合のい いように解釈し続けており、現代においても合衆国の歪曲された歴史を訂正 しようともしない点である。 五歳の時、親から引き離された彼は悪名高い「インディアン学校」の寄宿舎 「死ぬには良い日だ オジブエ族の戦士と奇跡」デニス・バンクス リチャード・アードス著を参照されたし 雑記帳「魅せられたもの」1997.5/30「禅と聖なる魂」を参照されたし 「心に響く言葉」1997.5/18を参照をされたし |
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「イシ・北米最後の野生インディアン」 シオドーラ・クローバー著 行方昭夫 訳 岩波書店 アメリカ・インディアンのヤナ族は3千人いたと推測されているが、その多く が白人の虐殺により死に絶えていたと思われていた。しかし、1911年8月29日、 一人の飢餓寸前の老インディアンが捕らえられる。この男こそヤナ族最後の インディアンの「イシ」だった。イシは家族数名と共に虐殺から逃れ山中に逃 げ込むが、測量のために入っていきた白人に見つかり、ばらばらとなる。恐 らくイシ以外の者はなんらかの理由で死に、イシは五年間も孤独な一人だけ の生活を続けるのだが彼の行動範囲はますます狭くなり、その日の糧を得 ることも難しかったのだろうと思われる。この著書はイシの部族ヤナ族が如何 にして白人達の虐殺に会ってきたかを歴史的資料を駆使して再現したもので あると共に、イシが保護され死に至るまでのカリフォルニア大学博物館の良き 理解者の下で過ごした数年間の彼の人生を綴っている。尚、著者の娘である ル=グウィンは有名なファンタジー「ゲド戦記」を書いた人であり、そこには インディアンやユングの考え方がちりばめられている。 「そのようにして、我慢強く何も恐れずに、アメリカ最後の野生インディアン |
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「セブン・アローズ」TUV ヘェメヨースツ・ストーム著 阿部珠理 訳 地湧社 「聖なる輪の教え」「心の目をひらく旅」「よみがえる魂の物語」の三部作。 作家の中上健次氏が「叡智と神話力に満ちた比類なく美しい本、それが インディアン系の作家ヘェメヨースツ(チャック)・ストームの“セブン・アロー ズ”である。1979年私が初めて長期滞在したロスアンゼルスで一冊を前 にした時、心臓に電撃のような衝撃を受けたのだった。13年後の今その 日本語版がここにある。」と絶賛した宇宙のハーモニーの中で生きること を教える、アメリカ・インディアンの原点の書。 T・「聖なる輪の教え」<白い楯>一族に戦さの気配がしのびよる。人びと U・「心の目をひらく旅」楯の兄弟たちの絆がこわれはじめ、部族の人びと V・「よみがえる魂の物語」学びのための数々の物語がからみあいながら |
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「インディアンに囚われた白人女性の物語」 T.メアリー・ローランソン夫人の捕囚と救済の物語 U.メアリー・ジェミソン夫人の生涯の物語 白井洋子訳 刀水書房 牧師夫人であったローランソン夫人は約三ヶ月の間、インディアンに囚わ れ、多くの肉親を目の前で殺された。そんな中にも女性特有の強靭な精神 力と信仰を持ち開放されるまでの日々を綴ったものである。確かにこの書 は一人の白人女性の試練に対して勇敢に立ち向った記録としては多くの 人々に感銘を与えたであろう。しかし、悲しいことにこの書は長い間に渡っ てインディアンの歪められた姿を人々に植え付けてしまった。何故インディ アンがこのような残虐な行為に走ってしまったのか冷静に良心に基づいて 考える誠実さがあったなら、この自分に降りかかった悲劇の原因を振り返 られたであろう。しかし、この書は神から、教会から次第に離れてゆく当時 の白人社会への警鐘を目的とするものに変質されてゆく。地獄の番犬、異 教徒ども、悪魔、野蛮人などの言葉と対比してクリスチャン、聖書の素晴ら しさが高らかに歌われる。ローランソン夫人と同じように肉親をインディアン に殺され、囚われの身となったジェミソン夫人はこのインディアンの残虐な 行為が白人の裏切りと虐殺が原因であると気づくのである。ジェミソン夫人は 言う。「インディアンの人格的特質は(このように言うのが許されるなら)悪に 汚染されていないことです。かれらの誠実さは完璧であり、それは周知のこ とです。厳しいほど正直で、騙したり嘘をつくことを軽蔑します。とくに貞節さを 尊び、それを破るのは神を冒涜するに等しいのです。欲望を制し、感情はお だやかで、どんな問題でもそれが重要な事柄であれば自分の意見を礼をつく して率直に述べます」。このような人間を残虐な行為にまで追いつめていった のは、白人による虐殺とキリスト教による徹底したインディアンの崇高な精神 文化の剥奪であった。カトリックは第二バチカン公会議よりこの他宗教に対 しての侵略を間違いであったと認め、大きく変身しようとしている。しかし、二 千年もの長き時間を費やさなければならないものであったのだろうか。この 気が遠くなる時間の中で、どれだけ多くの血と涙が流されたのであろうか。 ローランソン夫人の言葉に象徴されている、一神教が持つ他の精神文化に 対する戦闘行為が何故生まれてきたのかを探ることは、未来の地球・人類 を語る上で、そしてキリスト教の未来をも含めて欠かせないものかも知れな い。また常に人間優位のもとに繰り広げられた深刻な環境破壊を救うものが 何処にあるのかを早急に探し出すことは、未来に対しての私たちに背負わさ れた責任であると感じる。 |
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「虹の戦士」 Warriors of the Rainbow 翻案 北山耕平 太田出版 この物語は1962年に英語で出版された。原作者は不明という不思議な感動 的な本であるが、アメリカ・インディアンたちの間ではこの物語は実際にあった ことだと信じられている。都会で育った主人公の少年は、居留地に両親ととも に帰るが、焚火のあかりの中で語られる老婆の昔話にひきつけられる。そして この12歳の少年は尋ねる。「おばあちゃんは昨日の夜、どうやって白人がやっ てきてぼくたちの土地を奪っていったのかを話してくれました。インディアンたち が、初めて出逢うような骨までボロボロになる病気にやられて、何千人も死んで いったことや、おじいちゃんが白人の泥棒を取り押さえようとして殺されたことも 聞きました。こういう話を聞けば聞くほど、ぼくには知りたくなることがあるんです。 いちばん古い母親であるおばあちゃんに、ぼくはどうしても一度それを教えても らいたくて、ここに来ました」・・・「いちばん古い母親であるおばあちゃん、どうして、 なぜ、天におられるわたしたちの偉大な曾祖父は、白人たちがこの大地を奪い 去っていくことをおゆるしになられたのですか?」・・・そしてこの少年は様々な 苦難を超えて、虹のようにすべての人間をひとつの家族としてつなげる戦士とし て旅立つ。 「虹は、すべてのもののなかにおられるあのおかたからのメッセージなのだ。 |
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「アンパオ」 太陽と月と大地の物語 ジュマーク・ハイウォーター作 フリッツ・ショルダー絵 金原瑞人訳 ベネッセ ワシントン・ポスト紙に「ごくまれに、時代を超えた作品が現れることがある。 アンパオの旅の物語も、インディアンの物語を保存して伝えるという、むかし |
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「伝説の日々」 <幻の馬物語>Vol.1 「汚れなき儀式」 <幻の馬物語>Vol.2 「暁の星をおびて」 <幻の馬物語>Vol.3 ジュマーク・ハイウォーター作 金原瑞人訳 ベネッセ この「<幻の馬>物語」シリーズは現在「伝説の日々」「汚れなき儀式」、そし て本書の「暁の星をおびて」の三冊が刊行されている。著者はインディアンの 血をひいて産まれるが、父親の交通事故死により白人の家に引き取られ、 白人とインディアンの文明の狭間で悩み苦しんできた。その意味でこの「<幻 の馬>物語」シリーズは、著者の自伝的な要素が強く反映されたものと言える し、多くのインディアンが通過しなければならなかっ道でもある。白人が作った 「インディアン学校」に、親から強制的に引き離された子供たちが数多く収容さ れた。そこでは部族の言葉や習慣は禁止され、白人の宗教や価値観、生活 習慣が叩き込まれた。この白人による同化政策による自己基盤の破壊は、 今でもインディアンの社会に暗い影を落としている。本書の主人公もそのよう な時代を生き、多くの大切なものを失う。しかし、祖母が最後まで生き抜いた インディアンの道は、主人公の辛く苦しい日々の中でも絶えず希望の光を灯 しつづけていた。美しい夢と自分自身であることをこよなく愛した主人公、そし て著者の見事な構成力、語り部としての才能、清かさと気迫が本書を真に 感動的なものとしている。 |
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「三人の偉大なインディアン」 アン・マクガバーン原作 ジーン・デビス・池田広子訳 信山社 本書には「沼の戦士・オセオラ」「聡明な指導者・テカムシ(テカムセ)」「名誉 の人・コーチース」という有名なインディアンの英雄の生涯を記したものである。 私自身多くのインディアンの英雄の中でもテカムセの慈愛と勇敢さ、誇り高さ にはインディアンの真の姿を映し出した者としてだけではなく、あるべき人間像 として具現化した崇高な魂を感じてならない。そしてこのような人々が何故に闘 わなければならなかったを想うとき、このインディアンが受けてきた血塗られて きた歴史は、決して過去の遺物ではない。それは私たちも守り続けなくてはな らないものに対して、テカムセに象徴されているようにインディアンの勇敢な 戦士として挑んでいかねばならないことを意味しているのではないだろうか。 たとえその道が絶望的な闘いであるにせよ。 これは彼等の民族の自由と自分の所有する土地に住む権利の為に戦った、 |
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「大酋長フィリップ王」 消されたアメリカ・インディアン 加藤恭子著 春秋社 1620年12月、メイフラワー号で上陸した巡礼始祖たちは最初の困窮した 状況の中で人数が半減し50名を残すのみだった。その彼らを助けたのが ワムパノアグ族の酋長であるマサイットであった。この頃の白人とインディ アンの関係は友好的なものであり、1621年の秋、感謝祭の際にもマサイット は多くの食料を持参して列席した。しかし、入植者が急激に増加しインディ アンの土地を売るように要求するだけに止まらず、インディアン文化に対す る侮辱、強引なキリスト教の布教や、インディアンに不利な裁判などでイン ディアンの白人に対する反感は膨れ上がっていた。マサイットの子どもであ るメタカム(フィリップ王)はそれでも白人との友好関係を続けていくことに 苦心していたが、彼の心を邪推した白人の仕返しにメタカム(フィリップ王) は遂に立ちあがる。この書は多くの文献や残存する記録、そして著者自身 が彼の足跡を追いながら記したメタカム(フィリップ王)の生涯の物語であり、 フィリップ王の魂の叫びを聴くことが出来る書である。 |
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「ハスティーン・クラー」 ナバホ最高のメディスンマン・砂絵師の物語 フランク・J・ニューカム著 鈴木幸子訳 生活書院 ナバホの砂絵や儀式で使う様々な歌(チャント)に精通した最後のメディスン マン、ハスティーン・クラー。その4代に渡る歴史、そしてクラーと深い信頼関係 にあった著者(白人女性)が共に経験した砂絵に代表される治癒の儀式などを 細かく記録し、後世の人のために残した貴重な文献である。 アメリカ南西部・・・・リオ・グランデ川とコロラド川のあいだに広がる広大な |
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「魂の指導者 クロウ・ドッグ」 スー族メディスンマンの物語 レオナルド・クロウ・ドッグ/リチャード・アードス著 伊藤由紀子訳 サンマーク出版 四代にわたるスー族メディスンマンのクロウ・ドッグの物語だが、現在の レオナルド・クロウ・ドッグが歩んだ苦難の道が主に書かれている。1890 年に大虐殺が行われたウンデッド・ニー(サウスダコタ州、パインリッジ 居留地)においての占拠事件では、1960−1970年代を駆け抜けた アメリカ・インディアンの人権回復運動の中で、虐げられてきた多くの インディアンが誇りと名誉を取り戻すべく立ち上がり、レオナルド・クロウ・ ドッグも霊的な指導者として加わることになる。この中には「聖なる魂」を 記したデニス・バンクスやレオナルド・クロウ・ドッグの妻となる「ラコタ・ ウーマン」のマリー・クロウ・ドッグがいた。1973年に起こったこの占拠 事件までのインディアンが置かれた状況は屈辱的なもので、白人が面白 半分でインディアンを殺しても犯人が刑務所に行くことは殆どなかった。 このような信じられない状況がつい30年前までアメリカで行われており、 現在においても形を変えた侵略戦争がインディアンを襲いつづけている のである。詳しくは「アメリカ・インディアンの現在」、「白人の国、インディ アンの国土」の各文献を参考にして頂けたらと思う。このような悲惨な 状況の中でもインディアンの魂を命をかけて守ってきた人びとの壮絶な 闘いの記録が本書であり、このレオナルドの父が有名なレイム・ディアー ことヘンリー・クロウ・ドッグで、「レイム・ディアー」(インディアン魂)は彼 の自叙伝。 雑記帳「魅せられたもの」1997.3/6「レイム・ディアー」を参照されたし |
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「熱きアラスカ魂」 最後のフロンティア・インディアンは語る シドニー・ハンチントン著 ジム・リアデン編 和田穹男訳 めるくまーる シドニー・ハンチントン・・・・1915年、コユーコン族の母と元金鉱掘り の白人の父のもと、北アラスカ、コユコック川のほとりに生まれる。5歳 にして、母の事故死に遭い、熊がさまよう原野に弟妹と取り残されたの を皮切りに、以後の生涯は波乱と冒険に満ちたものとなる。少年期より、 冬は零下50度の雪原に犬ぞりを駆って狩りをし、夏は大河ユーコンで 鮭を獲った。大地からじかに恵みを得る暮らしの中で、部族の古い習慣、 伝統精神を学ぶ。のち、アラスカ州漁業狩猟局のメンバーとして野生生 物の保護管理に当たる。インディアン子弟の教育にも情熱を注いだ。 数々の社会的貢献により、アラスカ大学から名誉博士号を贈られる。 本書は、ヒトが美しくも苛酷な環境で生命をつなぐことの喜びを静か に謳い上げる。その厳しさの中で自然に育まれる他の人びとや動物た ちへの愛情と思いやり。ただひたすらに、いま生きて在ることを感謝し、 慎ましく幸あれと願う祈り。それはまさに、われわれが失ったものだが、 逆にいえば、われわれはけっして多くを失ったわけではない。一度でも いい、胸の奥底から真実に込み上げる涙が目にあふれたら、<永遠> を垣間見ることができる。そのとき流れるのは、妻子とともに生きのび るため、勇者の中の勇者として母親の首を締めなければならなかった 男の涙。真冬の原野で倒れた父親を助けようと、雪の中を一日中歩き 通した四歳の子どもを迎える隣人の涙。だれもが胸の奥の奥にそんな 涙の湖を宿している。ヒトの物語はその湖のほとりで紡がれてきたのだ。 けれども、老シドニーは犬そりがスノーモービルに変わったことを嘆い てはいない。サケや狼の生息を管理するようになったことを非難しては いない。さまざまな痛みや苦しみをともないながらも、アラスカに訪れた 新しい時代をおおむね歓迎しているように見える。彼自身が二つの血を 併せ持つ人間だからかもしれない。それとも、抗いがたい変化をおおら かに受け入れることがアラスカの掟であり、古来ヒトの道だからだろうか。 自然や野生動物や先住民文化の保護について、われわれ現代人は少 し前にくらべてずいぶん拓けた考え方を身につけてきたと思う。が、多く の場合、現場を知らずに想像や推測で判断している。狩人と先住民の 世界をじかに覗いてから、私はエコロジスト(英語の“生態学者”ではなく 日本語の軽い意味で)として歯切れが悪くなった。かつてのように手彫り のカヌーを駆って鯨を獲りたがる沿岸インディアンに、どう思いとどまら せるのか。狼の毒殺や空からの銃殺に、現地の住民が一定の理解を 示しているのは間違いだと決めつけられるのか・・・。以前なら即答でき たであろう問いに、たくさんの人の話を聞き、長い時間をかけないと答え られなくなってきた。答えの出せない問いもあることがわかってきた。急 いで答えを出さず、いったん立ち止まって狩人のようにじっくり周囲の 世界に目を凝らそう。諦めなければ、きっと道は拓ける。本書を通して アラスカという大いなる物語の片鱗を覗いたら、読者もそんな気持ちに 傾くかもしれない。(本書・物語を紡ぐ土地 星川淳 より引用) |
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「ラコタ・ウーマン」 マリー・クロウ・ドッグ著 リチャード・アードス編 石川史江訳 第三書館 1960−1970年代を駆け抜けたアメリカ・インディアンの人権回復運動の中 で、虐げられてきた多くのインディアンが誇りと名誉を取り戻すべく立ち上がって きた。1890年に大虐殺が行われたウンデッド・ニー(サウスダコタ州、パインリ ッジ居留地)においてオグララ・スー族国家の合衆国からの独立を宣言する為 にこの地を占拠したオグララ・スー・そしてAIM(アメリカン・インディアン・ムーブメ ント)の戦士たち。この中には「聖なる魂」の著作として有名なデニス・バンクス氏 も含まれており、71日間におよぶ激しい銃撃戦が繰り広げられた。そしてこの本 の著者であるマリー・クロウ・ドッグも妊娠していながらも女性戦士として加わり、 銃弾が飛び交うなか出産した。この本は彼女が荒れた青春時代を乗り越えて、 自らのインディアンとしての意識に目覚めてゆく日々を詳しく綴ったものである。 この本は1989年「アメリカン・ブック・アワード」を獲得し、アメリカのケーブルテ レビでも放映された勇気と誇りに満ちた物語です。 女たちの心が叩きのめされない限り、クニは決して滅びることがない。しかし、 |
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「ふたりの老女」 ヴェルマ・ウォーリス著 亀井よし子訳 草思社 はるか昔からアラスカ・インディアンに伝わる知恵と勇気の物語。あるとても 寒さの厳しい冬、グウィッチン族ははげしい飢えにみまわれ、部族のお荷物 だったふたりの老女を置いて旅立った。これは昔からの老人を大切にする 伝統に背くものであったが、それほど部族の飢えは深刻なものであった。心 に深い傷を互いに負いながら、「生きる」ことに必死で立ち向かった老女と悲 しい決断をしなければならなかったリーダーが再び出会い、許すまでの軌跡 を追った物語であると同時に、どんな年寄りでも驚くべき可能性を秘めている ことを悟らせてくれる物語でもある。 ヴェルマ・ウォーリス・・・1960年、アラスカに生まれる。北極圏からわずか |
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「はみだしインディアンのホントにホントの物語」 シャーマン・アレクシー 著 エレン・フォーニー 絵 さくまゆみこ 訳 小学館 2007年全米図書賞受賞 2008年ボストングローブ・ホーンブック賞受賞 ニューヨークタイムズベストセラーに連続34週ランクイン スポケーン族の保留地で生まれた主人公の周りには人生そのものに対し ての諦めや貧困が蔓延し、多くの者が酒におぼれ自殺への道をたどってい た。インディアンとしての誇りを心の片隅に持ちながら、主人公はこの死んだ 世界から必死に抜け出そうとする実話(一部フィクション)だが、その文体は 実に率直で飾り気がなくユーモアに満ちあふれている。読者を最初のページ から一気に引き込ませる卓越した力と、感情をありのまま表現し描写できる 特質がこの本をベストセラーにしたのかも知れない。しかしそこには保留地 の中で生きるインディアンたちが背負っている貧困・アルコール依存・自殺と いう暗い現実問題が、インディアン社会に影を落としていることを著者は本書 を通して訴えているのかも知れない。 (訳者のあとがき 2009年12月 さくまゆみこ より抜粋) これは、北米 先住民のスポケーン族の保留地で生まれ育ち、生き抜いていくためにさまざ まな冒険をせざるをえなかった少年の、ホントにホントで、ちょっぴりフィクシ ョンの自伝的物語です。(ちなみに後にホーンブック賞を受けたときのスピー チでは、78パーセントが事実であるとアレクシーは語っています。)ある日、 アメリカの書評誌でこの本を見つけたわたしは、さっそく原著を取り寄せて読 んでみました。すると・・・・。やたらにおもしろいので、食事もぬかし、お茶も飲 まずに、わたしはひたすら一気に読んでしまいました。主人公のアーノルド (ジュニア)ばかりでなく、怒れるラウディ、秀才のゴーディ、過食症の美しき ペネロピー、ちんちくりんのP先生、人間のできたばあちゃんなど、登場人物 も個性派ぞろいです。文体も新鮮だし、イラストもゆかい。先住民たちの置か れている状況も、おかしな白人たちへの皮肉も、伝承物語も書かれています。 それに、先住民でなくても若い時代にはだれでも抱くような悩みや望みや 不安も、恋や友情も、みごとな筆致で描写されています。 |
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「グラス・ダンサー」 スーザン・パワー著 小沢瑞穂訳 めるくまーる アーネスト・ヘミングウェイ賞を受賞した新進スー族女性作家による幻想物語。 母親は純血のスー族で、本書は世界10数ヶ国で翻訳されている。 主人公のスー族青年ハーリーは、伝統的なダンスの名手であり、同級生の |
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「夜明けの少年」 ローラ・アダムズ・アーマー著 和田穹男+アキコ・フリッド訳 めるくまーる 児童文学賞として最も権威のあるニューベリー賞を受賞した本書には、 白人との抗争は見られず、純粋にこの世界の美を探究していく一人の少年 の心の軌跡を綴っている。著者が生きていた時代、それはインディアンが 徹底した同化政策により急速に昔からの伝統から引き離され、人間として 扱われなかった時代背景に立っている。著者はこの現実を前にして、白人 の文化とインディアンの文化が互いに尊重し共存できる道がどこかにある はずだと模索していたのかもしれない。著者のこの希望の源は、現実という 深い悲しみの泉から湧き上がってきたものであるからこそ、この悲痛な現実 を希望と美の物語で抱きしめずにはいられなかった。何故か私にはそのよう に感じられてならない。 本書は1931年に出版され、児童文学賞として最も権威のあるニューベリー |
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「モホ・ワット 少女を救った少年の物語」 ケネス・トーマスマ著 浜野安宏 監修 おびかゆうこ 訳 出窓社 シープイータといわれるショショニ・インディアンに伝えられている1700年代 の物語。この物語の主人公モホ・ワット(ショショニ語で「片手のない」の意)は 多くの困難を乗り越えて、初恋の女性を救い出してゆく。その勇気と知恵、と ても8歳の少年とは思えないほどの行動力が奇跡の物語として現在まで語り 継がれている。著者はインディアンの伝承に魅せられ、それらを集めた「すば らしいインディアンの子供たち」シリーズは現在7冊が出版され、プロの語り部 としてもアメリカ全土、デンマーク、オランダなどの国々で、語り聞かせを展開 している。本書の一気に読了させてしまう語り部としての技能と、物語の美しさ が絡み合い、読者をモホ・ワットの冒険に引きずり込んで離さないだろう。同じ 著者による少女の生還の物語「ナヤ・ヌキ」も著者の語り部としての高い技能 を垣間見させてくれるものである。 18世紀、アメリカ西部の大平原には、まだ白人の姿はなく、インディアンた |
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「ナヤ・ヌキ 大草原を逃げ帰った少女」 ケネス・トーマスマ著 浜野安宏監修 おびかゆうこ訳 出窓社 「モホ・ワット」に続くケネス・トーマスマによる邦訳二作目となる本書は 自然と密着して暮らすインディアンの人びとは、幼いうちから大自然で生 |
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「パスキ・ナナ ナゾをといた少女」 ケネス・トーマスマ著 浜野安宏・監修 おびかゆうこ・訳 出窓社 いつも失敗ばかりし、ふさぎこんでいる8歳のクーテナイ族の少女パスキ・ パスキと動物たちとの不思議な出会いは、張りつめた逃亡劇のなかでも、 |
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「アシハヤ」 イロコイ・インディアンに残された物語 北山耕平 再話 菊地慶短 作画 星雲社 「星の少年」 シャイアン・インディアンに残された物語 北山耕平 再話 菊地慶短 作画 星雲社 「鷲と少年」 ズニ・インディアンに残された物語 北山耕平 再話 菊地慶短 作画 星雲社 「ますらお」 クリンギット・インディアンに残された物語 北山耕平 再話 菊地慶短 作画 星雲社 昔インディアンの若者や子供たちは火の周りを囲み、長老たちが語る物語 を楽しみに聴いていました。そこで語られる物語は、部族の歴史の中で起こ った教訓的なことがらです。人や自然の関わりを通して何が大切なことかを 暗に教え、若者や子供がこれからどう考え生きていかねばならないのかの 基盤を作る意味を持っていました。北山さんはイロコイ、シャイアン、ズニの 各部族の中で語り継がれてきた多くの物語の中から4つの物語を紹介してい ます。「アシハヤ」は同じ年頃の仲間からからかわれていた存在でしたが、 如何に「平和の時」を守ったかが語られます。「星の少年」は空の国で育った 少年が、亡くなった母親の故郷を数々の困難から救う物語です。「鷲と少年」 は家の仕事をなおざりにし鷲の子供の世話ばかりしていた少年が、鷲と共に 空の国に行き、様々な経験を通して一人前の人間になっていく物語です。 「ますらお」はトーテムポールやワタリガラスの伝説で有名なクリンギット・ インディアンが舞台です。部族の皆からなまけものと見られていた「うすよご れ」は誰も知られず秘密に鍛錬していました。そして村を襲う困難から救い、 最後には世界を乗せた柱を支える偉大な者になっていくのです。 |
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「コヨーテ老人とともに」 アメリカインディアンの旅物語 ジェイム・デ・アングロ作・画 山尾三省訳 福音館書店 この文献は1953年に出版されたもので、著者は40年もの間インディアン と生活を共にしてきた白人である。言語学者や人類学者としてインディアン の社会に入っていった著者はやがてテキストや論文などから摘み取った科学 的理論を投げ捨て、インディアンのものの考え方や宗教的なものに強くひか れるようになっていきます。この文献に描かれているのは、動物たちがまるで 人間のように語り旅をする物語です。そこにはまた著者が接してきたインディ アンたちの普段着の姿が見えてきますし、このありのままのインディアンが読 者を不思議な物語世界へと誘います。 そうなるとあなたは、原始的な考え方に関して大変興味のある多くの事柄 |
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「モカシン靴のシンデレラ」 中沢新一 訳 牧野千穂 絵 マガジンハウス 本書 帯文及び解説 より引用だれもが知っているフランスのペロー版を 見事に改変した北米インディアン・ミクマク版こそ、真正の「シンデレラ」?! “ほんとうの幸福を追求する”神話の真骨頂を説く、著者解説つき。 「この話はたしかに、われわれの神話とよく似てはいる。しかし、大事なと |
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「伝説のアメリカン・ヒーロー」 西江雅之著 岩波書店 アメリカのルーツに出会う40章という題で、先住民の戦い・フロンティア精神 |
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「孤独なインディアン」 アメリカ先住民名品集 リディア・マリア・チャイルド著 牧野有通訳 本の友社 「動物記」やボーイスカウトなどを産んだアーネスト・シートン(1860−1946) |
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「コヨーテを愛した少女」 ナンシー・ウッド作 ダイアナ・ブライヤー絵 寮美千子訳 パロル舎 「今日は死ぬのにもってこいの日」の著者がコヨーテに関する新しい 創作物語。 ここにある十二の物語は、インディアンたちが決して手放すことのなかった心 |
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「カナダのインディアンに伝わる30の話」 マーガレット・ベミスター編 くまり莞奈子訳 中央アート出版社 「この本に納められた多くの物語は、世代を超えて引き継がれてきた物語の 語り部たちから直接に聞き書きしたものです。この本により、はじめて印刷、 出版のかたちをとったものもあります。すでによく知られている物語をあらた めて編集しここに収めたものもあります。カナダ・インディアンの伝説集“イン ディアンとウィグワム”は、この本を編集するための参考とさせていただきま した。1912年 マーガレット・ベミスター」今から90年も前に発行されたもの で、当時のインディアンから直接聞き取ったものが多い。編者のベミスターは 1877年に生まれ長年教職の後バンクーバーに移り住む。 |
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「シカ星 -アメリカ・インディアンはうたう」 アメリカ・インディアン口承詩からの英語訳 メアリー・オースティン 絵・ミヤギユカリ 日本語訳・だいこくかずえ 葉っぱの坑夫 出版社・著者からの紹介夏の夜あけ、東の空低いところにあらわれる「シリ ウス」の名で知られる明るい星の物語。ミヤギユカリのドローイングとパイユート の詩がひとつに溶けあって、沙漠の丘陵を、セージの原野を、サボテン台地を、 風のように走り抜けます。一枚絵による蛇腹折り、横へ横へと繰りだされる長 大なランドスケープ。詩と絵と造本がぴったり重なって生まれた、今までにない 動的でダイナミックな詩画集です。 さあ聞いて、シカ星のはなしを |
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「グレイ・アウル」野性を生きた男 ラヴァット・ディクソン著 中沢新一+馬場郁 訳 角川文庫 子供の頃からインディアンの生き方に憧れつづけていたグレイ・アウルは |
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「精霊と魔法使い」アメリカ・インディアンの民話 マーガレット・コンプトン再話 ローレンス・ビヨルクンド絵 渡辺茂男訳 国土社 本書に収載されたインディアン民話は、太古より伝承されたまま採録された |
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「白い征服者との闘い」 アメリカ・インディアン酋長レッド・フォックスの回想 レッド・フォックス記述 キャッシュ・アシャー編集 秋川一夫 訳 サイマル出版会 1971年 既に絶版になってしまったこの文献の貴重さを上げるとするなら、まずウン |
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「ハイアワサの歌」 |
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「スピリット・ソング」 マリー・サマー・レイン著 越宮照代訳 VOICE 正直言ってこの本にはアボリジニーの精神文化を紹介したとされた「ミュータ ント・メッセージ」という偽書と同じ血が流れているのを感じてならない。勿論、こ の判断はチペワ族、並びにその研究家たちの手に委ねられているので軽率に 私が判断することは出来ない。ただ本書はチベット密教、ダンテの「神曲」、エド ガー・ケイシー、旧約聖書などから著者の都合のいい部分だけを抽出し完成さ せた全くの創作物語ではないかと感じている。このような精神世界に関する文 献に関しては、その体験が真実か否かを立証することが難しい。カスタネダの 文献にしろそうであるのだろう。いずれにしろチペワ族の方たち、及び彼らの 精神文化に詳しい研究家の声を聴くことなしに、この本を真実と呼ぶことは出 来ないと感じている。 「コロラドの山中に一人住む老メディスン・ウーマン”ノー・アイ”との対話の |
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「リトル・トリー」 フォレスト・カーター著 和田穹男訳 めるくまーる 「当初、”ぼくと祖父”というタイトルを予定されていた本書は、東チェロキーの 山中における祖父母との生活をつづった自伝的な回想録である。1930年代、 経済恐慌下の一生活記録として貴重だが、単にそれだけのものにとどまらず、 どんな時代のどんな人にも共感を与えうる人間的な記録に高められている。 万人の精神に語りかけ、魂の最深部に訴えかける力を持っているのである。」 (南イリノイ大学法学部長 レナード・ストリックランド)本書の「”リトル・トリー”を 分かち合う喜び」より引用。 金原瑞人(法政大学教授)さんの「リトル・トリー」に関する新聞記事 金原さんはインディアンの物語「アンパオ」や「暁の星をおびて」などを訳され ています。 朝日新聞 1992年1月12日 ちよっと変わった経歴を持った本だ。七六年に出版されてからまもなく絶版と なり、八六年に復刊。その後、年々評価が高まり、ついに九一年十月にはニュ ーヨーク・夕イムズでぺーパーバックのべス卜セラー第一位にランクされて、 売り上げ部数六十万部を突破したという。『リ卜ル・卜リー』はチェロキー・イン ディアン作家フオレス卜・カー夕ーの自伝小説で、両親を失った五歳の少年 リトル・卜リーが、チェロキー族の祖父母に引き取られ、そこで様々なことを学 んでいく数年間を描いたものだ。アメリカ・インディアンの話というと、ケビン・コ スナーの『ダンス・ウイズ・ウルブズ』を思い出す人もあるかもしれないが、内容 も雰囲気も、正反対だ。インディアンを思いきり美化して、物語をドラマティック にセンチメン夕ルに盛り上げたコスナーの映画とは違って、ここでは山のなか に暮らすチェロキー・インディアンの生活や、インディアンの目からみた白人社 会が淡々と描かれている。祖父といっしょにスイカや卜ウモロコシを植えたり、 魚をとったり、山七面鳥をわなでつかまえたり、ウイスキーの密造を手伝ったり、 キツネ狩りをしたり、ガラガラ蛇に襲われたり、白人のクリスチャンに小づかい をだましとられたり、行商人のおじさんが珍しいものを持って訪ねてきたり、 そういった毎日がゆったりとした時の流れのなかで、ゆったりとつむがれていく。 悪役もいなければ英雄もいない。「夏は終わりを告げようとしていた。そのさま は、末期を迎えた人が残り少ない日々をうとうとと眠って過ごすのに似ていた。 太陽はもう、ギラギラと命のたぎる白い光をまき散らさない。おぼろな黄金色の 光で午後の天地をかすませ、夏が息を引き取るのをうながしている」そんな 自然のなかで起こる出来事は楽しいときもあり、悲しいときもあるが、そのどれ もが温かい光をたたえている。とくに、谷間に畑を作ろうとする貧しい白人一家 と、それを助けようとする兵士を描いた「夢と土くれ」という章がすばらしい。風 のささやきも、葉ずれの音も、鳥の鳴き声も、すべてが何かを語りかけている ような気持ちにさせられる一冊。 (金原瑞人) 毎日新聞 1999年4月7日 私自身、金原瑞人さんのこの記事を読んではおりませんが、この記事を要約 したものを須賀廣さんがホームページに書いておられ、そこから引用させてい ただきました。 1・フォレスト・カーターの本名は Asa Earl Carter (通称 Ace Carter) という 白人で,The Southerner という白人至上主義の雑誌を編集し,自らも記事を 書いている。 2・1970年代「The Education of Little Tree」を出版した時期にも,同時に このThe Southernerを出版している。(このことは彼が「改心した」元人種差別 主義者という説を否定する) 3・カーターはチェロキー・インディアンの文化についてはほとんど無知で ある。(このことは彼の作品を読めば明らか) 4・「リトル・トリー」を出版している the University of New Mexico Press が 相変わらずこの本を「自伝」としているのはおかしい。米国では第二次情報も 入手できるが,これが外国に翻訳されている現状では誤ったチェロキー・ インディアンの文化を紹介することになる。 (金原瑞人) |
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「ジェロニモ」 フォレスト・カーター著 和田穹男訳 めるくまーる 「リトル・トリー」の著者が描く、アパッチ・インディアン最後の戦士の戦いと 愛のの物語。1858年のある日、インディアン戦士達の留守中にアパッチ・ ベドンコーエ族はメキシコのスペイン兵に虐殺された。その中にはジェロニモ の妻・母・三人の子供たちも含まれていた。ジェロニモは復讐を誓った。当時 のアパッチ族は白人による止まることを知らない卑劣な侵略や虐殺、法と 協定の無視に絶体絶命の窮地に追い込まれていたが、戦略家として卓越し ていたジェロニモは、最後のアパッチ戦士として戦いを挑む。 同じ著者による「リトル・トリー」を参照されたし |
未読の文献
各文献の前のをクリックすると表紙・目次並びに引用文が出ます。
「オールド・マン・ハットの息子」 |
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「アメリカ先住民の日々 バッファローが疾駆した世界」 エルシー・クルーズ・パーソンズ 編著 神徳昭甫 訳 三重大学出版局 (本書 訳者あとがき より引用) 「はじめに」や「序文」でも明らかにされている通り、本書はアメリカ先住民に ついて書かれた、いわゆる「学術論文集」ではない。「絵本や伝記風の読み物 に」という編集者エルシー・クルーズ・パーソンズの企画に応じて、アメリカの 著名な人類学者たちが、それぞれの研究分野であり、フィールドワークの対象 にしている特定の部族について書き下ろし寄稿した「物語集」なのである。その 意味で、八つの地域ごとに分類された23部族についての「逸話」類は、事実とい う制約を離れることを許されない、堅苦しい「論文」集ではなく、ある程度はその 拘束を脱して、想像力を加味することもまた、作者の自由な裁量に任される、い わゆる「小説」や「ロマンス」の領域に属する本と言ってもよいであろう。一人の 主人公(実在の人物とは限らない)を設定し、彼(もしくは彼女)の内面の描写を 通して彼らが体験する外的な事件や背景を、浮かび上がらせていく手法は明ら かに「小説的」なものであるからだ。しかしながら、描かれたその事件の一つ一 つは、紛れもなく実際に起こった「事実」、もしくは事実に近い出来事である。従っ て本書に収められたこれら27の逸話類は、いわば「史実」に基づく「歴史小説」で あっても、決して根も葉もない架空の物語ではないのだ。 (中略) 原著が初めて世に出た1922年においては事態は完全に終息し、すべての先住 民はかつての広大な土地を奪われ、保留区に拘束された不自由な生活を余儀 なくされていた。従ってここに描かれたせ界とは既にその時点においても、遠い 「過去」に属する風景であり、もはや目にすることの叶わぬ、「往時」の懐かしい 光景なのである。その意味で本書は、かつては大平原を疾駆するバッファロー の大群や、雪原を移動するカリブーの集団を追って、広大な大陸を縦横に駆け 巡った先住民に捧げられた「讃歌」であり、失われた彼らの栄光の歴史を今に 甦らそうとして建立された「記念碑」とも言えるだろう。 |
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「死ぬには良い日だ オジブエ族の戦士と奇跡」 デニス・バンクス リチャード・アードス著 石川史江&越川威夫 訳 三五館 本書アリス・ウォーカー(カラーパープルの著者)が見たデニス・バンクス (以下本書より引用) 刑の宣告から2、30年が経過し、目を覆いたくなるような悲劇をも含んだ
2008年 春 ハワイ・モロカイにて アリス・ウォーカー |
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「クレイジー・ホース」 ラッセル・フリードマン著 ぬくみ ちほ訳 パロル舎 オレゴン街道を西へ、幌馬車が長い列をつくって旅をしはじめたころ、少年 |
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「儀式」 レスリー・M・シルコウ著 荒このみ訳 講談社文芸文庫 「儀式」の舞台となるのは第二次世界大戦の後、ラグーナ・プエブロ族に |
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「あるインディアンの自伝」 |
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「明日はどの道を行こう」 19世紀初め、アメリカ合衆国大統領トマス・ジェファーソンに命を受けた |
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「白いインディアン」 |
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「ポッツヌが生きた世界」 プエブロの女性インディアン・アーティスト ジーン・シューツ&ジル・メリック著 飯野朝世訳 めるくまーる インディアンは木や動物、そして岩の形ひとつにも美を見出して、 |
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「輝く星」 ホピ・インディアンの少年の物語 ジョアン・プライス著 北山耕平訳 地湧社 「自分の理解できないものを好きな人間などどこにもおらん」 |
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「スピリット島の少女 オジブウェー族の一家の物語」 ルイーズ・アードリック作 宮木陽子訳 福音館書店 訳者あとがき 本書より引用 アメリカの開拓時代の一家を描いた名作に、『大きな森の小さな家』シリーズ がありますが、ここにまたひとつ、ひとりの少女の目をとおして、同時代の一 家を描いたすばらしい作品が登場したのを、たいへんうれしく思います。 『スピリット島の少女」は、「全米図書賞」のファイナリスト、「親が選ぶ最優秀 作品賞」、「パブリッシャーズ・ウィークリーの年間最優秀作品賞」、「ジェーン ・アダムズ・オーナー賞」など、十三の賞を受賞した作品です。この物語の 主人公、オマーカヤズはアメリカの先住民で、『大きな森の小さな家』の主人 公、ローラと同じく、明るくて活発で、心やさしい少女です。どちらの作品も、 ときには、きびしい自然と戦いながら、またときには、自然の豊かさ、温かさ、 恵みに感謝しながら生きていく人々の姿が、ほんとうにみごとに映しだされ ています。『大きな森の小さな家』は、著者のローラ・インガルス・ワイルダー が、六十五歳のときに少女時代をふりかえって描いた作品です。一方、この 物語は著者のルイーズ・アードリックがお母さんや妹といっしょに、祖先の 歴史をたどって描いた作品だといいます。時代は1847年、場所は北アメリカ 五大湖のひとつ、スペリオル湖にあるモーニングワネーカニングという島です。 現在この島はマデリン島といわれています。このあたりで暮らす先住民は、 オジブウェー族といわれる部族です。 |
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「インディアン・キラー」 本書のタイトル「インディアン・キラー」にはふたつの意味がある。白人を |
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「二人の小さな野蛮人」 |
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「エイプリル・レイントゥリーを探して |
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「野菜畑のインディアン」 |
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「水の国を見た少年」 |
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「カナダの森で ビーバーとインディアンの少女」 人間は、毛皮が欲しいばかりに、手あたりしだいに動物を殺していく。 |
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「ウォッキニ 幸せへの内なる旅」 |
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「翼 cry for the moon」 |
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グレッグ・サリス著 澤西康史訳 中央アート出版社 |
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「ポカホンタス」 スーザン・ドネル著 池田真紀子 訳 竹書房文庫 本書 著者まえがき より引用 私は、日々の暮らしや世界中を飛び回る生活に忙殺され、何年もの間ポカ ホンタスのことを忘れていた。そんなころ、私が深く愛したバージニアの実家 が火事で焼けてしまい、いろいろな事情から建て直すことができなかった。 私の一族は、250年にわたってその土地で暮らしてきた。当時、私はイギリ スに住んでいたが、ひどく打ちのめされたような気がした。急いで自分の バックグラウンドを再確認しなくてはならないという衝動にとらわれた。いま、 自分のバックグラウンド、すなわち家族の歴史を何冊かの本にまとめようと 思っている。私は机に向かうと、歴史にその名を残すパウアタン族の王女に ついて書き始めた。私から数えて14代前、直系の先祖であるこの王女に ついて。 本書 訳者あとがき より引用 本書の著者スーザン・ドネルは、ポカホンタス直系の子孫である。子孫が 書いたからといって、数あるポカホンタス物語の中で本書こそが真実の姿 であるとは断言できないことは承知している。それでも、ポカホンタスの 純粋で偏見のない美しい心と、愛のためにはときには残酷な行為も辞さな かった彼女の暗黒面との両面を、これほどリアルに見事に描ききった作品 はなかったのではないか。これまで、ともすれば過剰に美化されて伝えら れきたポカホンタス。それを考えると、私は、本書こそが「もっとも真実に 近い」ポカホンタス物語なのではな いかと確信している。 |
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「白い羽の王女 ポカホンタス」 マリ・ヘインズ作 高橋芳江 訳 中村悦子 画 本書 はじめに より引用 たくさんのイギリス人の手紙や日記にこまごまとした出来事が書いてあっ たため、ポカホンタスについてはおどろくほどいろいろなことがわかって います。この本の物語は、歴史の事実に基づいています。創作してつけ 加えた部分では、1600年代前半のアルゴンキン族の王女であるポカホン タスが実際に生活し、活動した様子を描きだすようにしてみました。ウォ ルト・ディズニーの映画「ポカホンタス」には、この若い少女について今ま で知られていたのとちがう魅力がふんだんに盛り込まれています。けれ ども、脚色するまでもなく、実際の話のほうがはるかに冒険と勇気にあふ れ、意味深いものです。若くこの世を去ったポカホンタスの冒険の物語は 多くの本に残されています。ジェームズタウンに行ったこと、イギリスへ旅 したことなども記録されています。この本では、ポカホンタスのそうした旅 の中でもっとも大きな意味をもつ、心の旅に重点をおいています。 本書 この本を読んでくださったあなたに より引用 いわゆる「西部開拓」という歴史のなかで、アメリカ先住民は次々に征服 され、滅ぼされていったのです。いまでも、テレビや映画の題材にされる ことを見ても、この歴史がいかにアメリカ大陸に大きな意味のあることで あるかが、想像できます。このような悲劇を思うにつけ、ポカホンタスの 存在がどんなに大切な意味をもっているか、改めて痛感させられます。 いまは、原始林のなかで敵を待ち伏せするというような恐れを経験する ことはめったにないでしょう。また、自分の土地でないところに侵略に よってはいりこむということもないでしょう。しかし、たがいに敵対する 関係は絶えません。人間同士や団体、国の間にも、疑惑と敵対心が なくなることはありません。ポカホンタスの心をもつ少年、少女が求め られているのです。愛によって、目に見えないものをも信じる勇気をもつ 心の持ち主が。 |
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「ポカホンタス」 和栗隆史 著 講談社 本書 「追記 ヴァージニア後日譚」より引用 自分たちが吸う分だけのタバコを作っていたパウアタンの人々は、はじめ ロルフのことを無駄なことをする人だと笑っていたが、しまいには彼らはそ のロルフによってパウアタンの森から追い払われることになってしまった のだ。レベッカを思いレベッカのためにタバコ畑に力を注いだロルフは、 気がつくといつの間にか彼女の故郷パウアタンの森を荒らしていた。さら に彼はアメリカ大陸で最初に黒人奴隷を使った農園主として名を残すこと になった。広がる一方のタバコ農園は常に人手不足に悩まされていたの だが、1619年8月20日、オランダの商船から黒人20人を購入し奴隷労働 者とした。それがアメリカにおける黒人奴隷の始まりである。 ロルフから娘の死を聞かされたパウアタン首長は、レベッカが死んだその オペカンカノの急襲に激怒したヴァージニアのイギリス人たちは、国際法 ロルフとレベッカの一人息子トマスは成人するまでロンドンで育ち、父の死 ジョン・スミスは、ヴァージニアとポカホンタスの記憶を『ヴァージニアに起き |
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「ポカホンタスの秘密」 「ポカホンタス」研究会 データハウス 本書 「はじめに」 より抜粋引用 学校の世界史の教科書にポカホンタスに関する記述はないけれど、実は ポカホンタスのおかげで今日の世界があると言ってもいいほど歴史的に 彼女の果たした役割がとてつもなく大きいものだったことに気付かされる。 恐らくその存在を知ってしまったら、もう二度と忘れることができないだろう。 ひょっとしたら試験にだって出るかもしれない。そこで、ポカホンタスを誰よ りも愛し研究する私たち「ポカホンタス研究会」は、ディズニー版『ポカホン タス』とそして講談社版「ポカホンタス』に隠れたさまざまなメッセージや謎 を読み解き、どどーんと発表しようと思う。実は、そこにはとてつもなく大き な「生きる知恵」なるものも隠されていたのだ。 (中略) おそらく『ポカホンタス』とう実在の人物を知ってしまったなら、彼女が生き たヴァージニアを訪ねてみたくなる人が大勢いると思う。そんな方々にとっ て本書は、世界で唯一、そして世界で初めての「ポカホンタスを訪ねる旅 のツアーガイド」である。あなたはそこで、あなたの中のポカホンタスに 出会うことになる。さあそれでは、ポカホンタスをめぐる旅に出かけること にしよう。 |
未購入(新刊も含む)の文献
Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
A Koskimo house Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
ワタリガラスの伝説 「森と氷河と鯨」星野道夫 文・写真 世界文化社 より引用。
今から話すことは、わたしたちにとって、とても大切な物語だ。だから、しっかりと 聞くのだ。たましいのことを語るのを決してためらってはならない。ずっと昔の 話だ。どのようにわたしたちがたましいを得たか。ワタリガラスがこの世界に森 をつくった時、生き物たちはまだたましいをもってはいなかった。人々は森の 中に座り、どうしていいのかわからなかった。木は生長せず、動物たちも魚た ちもじっと動くことはなかったのだ。ワタリガラスが浜辺を歩いていると海の中 から大きな火の玉が上がってきた。ワタリガラスはじっと見つめていた。すると 一人の若者が浜辺の向こうからやって来た。彼の嘴は素晴らしく長く、それは 一羽のタカだった。タカは実に速く飛ぶ。「力を貸してくれ」 通り過ぎてゆく タカにワタリガラスは聞いた。あの火の玉が消えぬうちにその炎を手に入れ なければならなかった。「力を貸してくれ」 三度目にワタリガラスが聞いた 時、タカはやっと振り向いた。「何をしたらいいの」 「あの炎をとってきて欲し いのだ」 「どうやって?」 ワタリガラスは森の中から一本の枝を運んでくる と、それをタカの自慢の嘴に結びつけた。「あの火の玉に近づいたなら、 頭を傾けて、枝の先を炎の中に突っ込むのだ」 若者は地上を離れ、ワタ リガラスに言われた通りに炎を手に入れると、ものすごい速さで飛び続け た。炎が嘴を焼き、すでに顔まで迫っていて、若者はその熱さに泣き叫 んでいたのだ。ワタリガラスは言った。「人々のために苦しむのだ。この世 を救うために炎を持ち帰るのだ」 やがて若者の顔は炎に包まれ始めた が、ついに戻ってくると、その炎を、地上へ、崖へ、川の中へ投げ入れ た。その時、すべての動物たち、鳥たち、魚たちはたましいを得て動き だし、森の木々も伸びていった。それがわたしがおまえたちに残したい 物語だ。木も、岩も、風も、あらゆるものがたましいをもってわたしたちを 見つめている。そのことを忘れるな。これからの時代が大きく変わってゆ くだろう。だが、森だけは守ってゆかなければならない。森はわたしたち にあらゆることを教えてくれるからだ。わたしがこの世を去る日がもうすぐ やって来る、だからしっかり聞いておくのだ。これはわたしたちにとって とても大切な物語なのだから。
(クリンギットインディアンの古老、オースティン・ハモンドが1989年、死ぬ 数日前に、クリンギット族の物語を伝承してゆくボブをはじめとする何人 かの若者たちに託した神話だった。この古老の最後の声を、ボブはテー プレコーダーに記録したのだ。
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