Nez Perce brave

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)


インディアンの伝記や物語を記した文献








先ずこの「インディアンの伝記や物語を記した文献」の中には偽書と呼ばれている

ものも紹介している。フォレスト・カーターが書いた「リトル・トリー」「ジェロニモ」がそ

れである。フォレスト・カーター自身、白人優越主義者の過激派集団として知られる

クークラックスクラン(KKK)の最高幹部であり、「リトル・トリー」も自伝的な回想録な

どではなく全くの創作ものであることも判明している。勿論この「リトル・トリー」の文

学的価値は高いものであるかも知れない。事実私自身でさえ強い感動を覚えた一

人であるからだ。ただ私のホームページは、インディアンに関する文学の情報を流

すことを目的としているのではない。各文献や言葉の中に秘められたインディアン

の魂、叫びや喜びを伝えたいと願って創られたものである。その意味で自らの作品

に描かれた視点と180度異なる生き方をしていた人物が産み出した「リトル・トリー」

「ジェロニモ」は、インディアンの魂を社会的名誉や金のために売り飛ばした卑劣な

ものであると言っても過言ではない。たとえフォレスト・カーターがKKKに入る動機が

自らの意志であろうが、何らかの事情で強制的に入らされたものであろうが、その

血と暴力に染まった手を心から後悔しているなら、何故この「リトル・トリー」という小

説を自分の真の自叙伝と主張出来たのであろう。また何故「リトル・トリー」を完成

させた同じ時期に、白人至上主義の雑誌を編集し記事を書いていたのか。私たち

も先の戦争で、アジアの多くの方たちに同じことをしてきたが、これらの残虐行為に

加担してしてきた人間自身が、まるで自分こそが韓国・中国人であり、日本の残虐

行為の被害者であることを主張していながら、その一方で韓国・中国人に迫害を

加え続けている次元と全く同じである。KKKに入った理由はなんであれ、もし彼が

KKKに関わったことを真剣に反省し、改めてインディアンの視点に立ち戻っていた

ならば、決してこの小説を自叙伝などとは主張しなかっただろうし、、その後も白人

至上主義の雑誌を編集し記事を書くことはなかっただろう。フォレスト・カーターは

血と暴力に染まった人生を、ふと完全に消し去ってしまいたいと思った時期があっ

たに違いない。そしてこの小説の架空の人物に自分を置き換えてみたかった。確

かに「リトル・トリー」は文学的に名著の部類に入るだろう。しかし、過去の過ちから

目を背け謝罪することもなく、真の自叙伝と主張してきたところに、彼の欺まんさが

隠されている。インディアンの文献を多数日本に紹介し交流もある北山耕平さん、

スーザン小山さんの話によると、このような白人によるインディアンの魂への侵略

は現代でも生きており、彼らは自分たちの魂を守るために必死になって戦っている

のである。このフォレスト・カーターの経歴についての推察には様々な感じ方がある

のも事実である。ただこの問題に対してもっとも口をはさむことを許された人間は、

私などの部外者ではなく、インディアン自身なのだということを胆に命じるべきだと

思う。何故なら彼らインデアンこそ、KKKに代表される人種差別主義者により最も

血塗られた歴史を歩みつづけた人々であり、そのような絶望的な状況でもインディ

アン(全てではないが)は、命をかけて古来の道を守りつづけてきたのである。その

彼らが「リトル・トリー」を白人による新たな侵略として位置づけていることを私たちは

どのように感じ理解しなければならないのだろうか。インディアンの豊穣な精神文化

を、社会的名声や金儲けの道具としたものに、真のインディアンの魂は存在するは

ずはない。私は敢えてこの「インディアンの伝記や物語を記した文献」という項目に

この偽書を置く。そうすることにより多くのインディアンの魂への侵略が現在でも続

いていることを知っていただきたいと思うからである。そしてこのことに気づくことな

く今まで高い評価をしてきた私自身の無知も謝りたい。1998.6/7


「The Education of Little Tree and Forrest Carter」 What Is Known? What Is Knowable?

The American Experience 有名な人種差別主義者のゴーストライターであったとされる記事


最後の野生インディアン「イシ」

傑出した英雄「テクムセ」

真実のポカホンタス











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既読の文献
各文献の前のをクリックすると表紙・目次並びに引用文が出ます。


この文献の詳細ページへ「ブラック・エルクは語る」 
J・G ナイハルト著 
阿部珠理監修 宮下嶺夫訳 めるくまーる

私がインディアンの精神文化にひかれるようになった時から、どうしても
読みたいと思い続けた文献があった。ブラック・エルクが語ったこの「終り
なき夢と闘い」がそうである。しかし1973年に出版されたこの文献は既
に絶版となり、その後出た同じ原書の翻訳書「ブラック・エルクは語る」
社会思想社も絶版となって久しい。しかしある古本屋を通してこのブラッ
ク・エルクの言葉に触れることが出来た。この聖者ブラック・エルクが9歳
のとき見た壮大なヴィジョン、そしてその意味を探る道程においての白人
との闘いと死に絶えようとする部族への深い悲しみ。やがてブラック・エル
クは多くの肉体的・精神的病を癒す力が自らの中に宿っていることに気
づき、人びとに聖なる輪の中に希望を見させる聖者となってゆくが、その
道も白人の飽くなき欲望のために消え去ろうとしていた。しかし最後にブ
ラック・エルクの祈りの言葉に偉大なる精霊が応え、聖なる木の根がまだ
死んでいないことを告げる。そしてこの聖なる木を豊かに花咲かせるのは、
今この時代を生きている私たちとその子供たちの手に委ねられていると
いうことを、ブラック・エルクはこの文献を通して彼の夢と希望を私たちに
託したのだ。・・・・・・・・幸いにしてこの文献は2001年7月に「ブラック・エ
ルクは語る」という題で出版された。

ワシチュ(白人)はインディアンから土地と資源を奪い、嘘を返す。ウソ
は食えない。戦わねばならぬ、退かねばならぬ。憤りと血と涙! つかの
まの晴れ間のようによぎる幸福! 虹と稲妻に輝き、嵐にさかまく壮烈な
ビジョンが、夢であり理念でありそして力である彼らの日々が、聖者ブラッ
ク・エルクによって語られ、詩人ナイハルトによって綴られた。その切実さ
と生まなましさが、彼らと私たちをへだてる時間と空間を飛び越えて迫る。
・・・・・・・ベトナム侵略に胸を傷め、公害にあえぐわれわれは、本書の中
で、その原点にぶちあたった痛さを感じないではいられない。アメリカの
侵略は、ベトナムよりはるか以前に、国内で始められていたのだ。インデ
ィアンが食べるためにだけ殺した野牛を、白人たちは根こそぎ殺した。
インディアンには大した用もない“黄色い金属(キン)”のために白人たち
は気ちがいのようになった。狂気の沙汰のゴールド・ラッシュは、先住民
への侵略以外のなにものでもなかった。白人の町に初めて立ったブラッ
ク・エルクは、白人の生き方はまちがっていると断じた。物と心の自然を
破壊する白人の文明を直ちに否定する、侵略される側の論理が、ここで
は哀切な挽歌となって展開される。・・・・「終りなき夢と闘い」帯文より引用

心に残る言葉「ブラック・エルク(オガララ・ラコタ族)の言葉」
「ウンデッド・ニーにおけるゴースト・ダンスと虐殺」

 



この文献の詳細ページへ「グランドファーザー」 
トム・ブラウン・ジュニア著 
飛田妙子訳 徳間書店 

一人のインディアンが生涯をかけて真理を探究し続けた驚くべき実話。白人
が大地との絆を忘れ破壊させてきたこの世界を再び甦らせるべき、絶望と
孤独を突き抜けてきた探求の物語。その言葉は未来を託されている私たち
一人一人への遺言であり贈り物でもある。このストーキング・ウルフが精霊に
導かれ、あるべき古来の道を、多くの犠牲を払いながら見極めていく生涯に
私は心奪われる。世界はこのような偉大な魂に、最後の日まで真理を探究し
続けた真に尊い魂に導かれていくのだろう。彼の魂は本著を通して、大地と
の絆を取り戻す多くの魂に限りない勇気と希望をいつまでも注ぎ続けるだろう。
まさしくこの魂は、自らの生涯を平和の道具として貫きとおした偉大なるもの
である。

今日、彼のヴィジョンは、私のどれほど情熱的な夢よりも強く、私の中で
生きているのだ。私は何度も自分はそれに値しないと感じたり、自分の
物質的な生活に負けそうになるが、教えることを探求する気持ちは心の
奥深くでいつも燃えている。グランドファーザーを駆り立てた炎と同じ炎が
私を駆り立てているのだ。私には希望がある。それは何年も前に彼が私
の魂に授けたのと同じ希望である。炎はまだ燃えており、いま私が出会っ
た多くの人たちの心の中で燃えるようになった。グランドファーザーは正し
かった。いつの日か人びとは、唯一の真理である古来の道を再び追い求
めるようになるであろう。この数々の話は私にとって非常に重要な意味を
持つ。それは単にグランドファーザーが私に教えてくれたことが大切だった
だけではなく、私自身、彼が放浪したさまざまな場所を旅する原動力となっ
たからだ。私はこの本を読んだ人たちが、本当の真理を探し求めてくれる
よう希望している。多くの人が必要としているからといって、やり方を目指
すところではない。私が目標とするのは、私たちがいま住んでいる世界、
忘れられた母なる大地の世界を読者の目の前に映し出すことなのだ。
この本で説明しているように、それは簡単に得られるものではない。また、
真理とその知識を得るためには、真摯な探求を行なわなければならない
のだ。グランドファーザーの人生は、喜びや悲しみ、驚きや苦しみなどあ
ふれるような感情と豊かな心に満ちていたが、それは長老の話を聞いて
学んだものではなかった。彼が自分自身で探し求めなければならなかっ
たように、私も読者のみなさんにそうしてほしいと望んでいる。
私は「コヨーテ先生」なのだ。・・・・・・・トム・ブラウン・ジュニア
(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「アメリカの空へ」 
大探検を助けた少女、サカジャウェア 
ケネス・トーマスマ著 
西江雅之監修 加原奈穂子訳 出窓社 

アメリカ史上もっとも重要な女性6人に数えられるサカジャウェア。この少女
が探検後に歩んだ道、そしてその死に関しては多くの説がありますが、この
献身的なそして偉大な功績を残した少女がどのような道を辿ったのか、今と
なっては霧に包まれています。ただ、彼女がその後の人生を幸福に送ったと
は言えなくても、私の心のなかには、多くのインディアンの勇者と同じように
サカジャウェアが遺した献身的な崇高さ、そしてそれを尊敬のまなざしで見守っ
た二人の隊長の姿は生き続けてゆくことでしょう。

1805年春、16歳の少女は、生まれたばかりの赤ん坊を背負い、史上名
高いルイスとクラーク探検隊の一員として、壮大な旅に出発しました。それは、
ミズーリ川の源流を遡り、ロッキー山脈を越え、太平洋へと向かう21ヶ月に
も及ぶ苦難の旅でした。そしてこの大探検の成功に、サカジャウェアは計り
知れない貢献をしたのです。アメリカ合衆国は、少女の知恵と勇気をたたえ、
2000年発行の新1ドルコインの肖像としました。

赤ん坊を背負ったネイティブ・アメリカンの少女が、1ドルコインとなってアメ
リカ史に甦ると決まった時、著者と私は抱き合って喜んだ。はるか昔にベーリ
ング海峡を渡り広大な大地に独自の文化を発展させたモンゴロイドの子孫と、
大西洋を自由を求めて渡り独立を勝ちとった人々が、お互いの文化と知恵を
尊重しながら、新しい太平洋時代を開いた偉業は、混迷と迷走を続ける現代
に人間の叡智と献身の美しさを圧倒的に感じさせてくれる。この本は、美わし
のサカジャウェアに導かれ、ルイス=クラーク探検隊の人たちが太平洋に沈
む夕日に感動しているその場に、私たちを立ちあわせてくれる。
浜野安宏(本書帯文より引用)

 
この文献の詳細ページへ「レイム・ディアー」 「インディアン魂」
ジョン・ファイアー・レイム・ディアー
口述 リチャード・アードス編 北山耕平訳 河出書房新社

750ページを超すこの大きな本の最初には、レイム・ディアーがメディスンマン
として目覚めるまでの放蕩生活が語られるが、ヴィジョンを追い求める者として、
彼はメディスンマンになる運命が待ち受けていた。インディアンの多くの聖なる
儀式の持つ意味が詳しく語られ、いつしかそれは、祈りへと導かれてゆく。この
本の原書(英語)は1972年に発行され、フランスやドイツでベストセラーになった
ほどの古典的傑作である。またこの本の文庫版である「インディアン魂」(「レイ
ム・ディアー」の改題)が現在河出書房新社から出ている。そして彼の息子レオ
ナルドもメディスンマンとして部族の霊的指導者として後を引き継ぐが、四世代
にわたる物語をレオナルドが「魂の指導者 クロウ・ドッグ」という文献に記して
いる。

雑記帳「魅せられたもの」1997.3/6「レイム・ディアー」を参照されたし

 
この文献の詳細ページへ「ローリング・サンダー」
ダグ・ボイド 著 北山耕平・谷山大樹訳 平河出版社

この本の主人公であるローリング・サンダーは、一族の秘密を守る者であり、
現代を生きるひとりのメディスンマンである。著者のダグ・ボイドは、メニンガー・
ファウンデーションの研究部門によって主催されたある会議で、ローリング・サン
ダーのヒーリングの儀式を目の当たりにして以来、彼に示されることになるかも
しれぬ、そうした隠されてきた癒しの力の神秘に魅せられて、自らの心を開きき
る決心をした。ボイドのこの本は、現代のひとりの白人によってまとめあげられた
アメリカ・インディアンたちの心の内側の叙述であり、ある種の人間ならこれを
「現実」として受け入れるかもしれぬ世界への、一つの探求の物語でもある。信
じるか否かを別としても、ボイドの体験は現代人にまったくといっていいほど知ら
れていないある世界に読者を引きこみ、かつその心に挑戦する。
・・・・・・・ディー・ブラウン 同著・序文より

「魅せられたもの」1997.5/4「チェロキーインディアンからのメッセージ」

 
 
この文献の詳細ページへ「聖なる魂」 
デニス・バンクス/森田ゆり共著 朝日文庫 

現代アメリカ・インディアン指導者、デニス・バンクスの半生を記録したもの
だが、この著名な指導者の半生を描いたものはこの本だけである。「マルカ
ムX自伝」や「ルーツ」を書いているアレックス・ヘイリーやアメリカの大手出版
社が、デニスの伝記を書きたいと言ってきたがすべて断り、日本語版でのみ
の出版となった。デニス・バンクスの言葉によるとその理由は二つある。仏教
僧である藤井日達との衝撃的な出会いが、彼の人生に大きな影響を与えた
点と、英語を語る人々がインディアン運動の語る言葉を、自分達の都合のい
いように解釈し続けており、現代においても合衆国の歪曲された歴史を訂正
しようともしない点である。

五歳の時、親から引き離された彼は悪名高い「インディアン学校」の寄宿舎
に入れられる。インディアンの言葉・宗教・生活習慣をすべて厳しく禁じ、その
代わり白人の英語・キリスト教が徹底的に教え込まれる。アメリカによるインデ
ィアン抹殺が現代においても多くの悲劇を生んでいる。それは自殺率・アルコ
ール中毒などはアメリカの平均より大きく超えているという事実があげられる。
自分達の文化をすべてにわたって殴り倒し、白人と同じように生きることを強
要する。これは今のアメリカを見ていても容易に想像出来ることだろう。デニス・
バンクスもアルコール中毒に犯され生活は乱れ刑務所生活を送ることになる。
しかし、その中で彼は先住民意識に目覚めインディアン指導者として立ち上が
る激動の半生記。


「死ぬには良い日だ オジブエ族の戦士と奇跡」デニス・バンクス 
リチャード・アードス著を参照されたし

雑記帳「魅せられたもの」1997.5/30「禅と聖なる魂」を参照されたし
「心に響く言葉」1997.5/18を参照をされたし

 

この文献の詳細ページへ「イシ・北米最後の野生インディアン」 
シオドーラ・クローバー著 行方昭夫 訳 岩波書店 

アメリカ・インディアンのヤナ族は3千人いたと推測されているが、その多く
が白人の虐殺により死に絶えていたと思われていた。しかし、1911年8月29日、
一人の飢餓寸前の老インディアンが捕らえられる。この男こそヤナ族最後の
インディアンの「イシ」だった。イシは家族数名と共に虐殺から逃れ山中に逃
げ込むが、測量のために入っていきた白人に見つかり、ばらばらとなる。恐
らくイシ以外の者はなんらかの理由で死に、イシは五年間も孤独な一人だけ
の生活を続けるのだが彼の行動範囲はますます狭くなり、その日の糧を得
ることも難しかったのだろうと思われる。この著書はイシの部族ヤナ族が如何
にして白人達の虐殺に会ってきたかを歴史的資料を駆使して再現したもので
あると共に、イシが保護され死に至るまでのカリフォルニア大学博物館の良き
理解者の下で過ごした数年間の彼の人生を綴っている。尚、著者の娘である
ル=グウィンは有名なファンタジー「ゲド戦記」を書いた人であり、そこには
インディアンやユングの考え方がちりばめられている。

「そのようにして、我慢強く何も恐れずに、アメリカ最後の野生インディアン
はこの世を去った。彼は歴史の一幕を閉じる。彼は文明人を知恵の進んだ
子供---頭はいいが賢くはない者と見ていた。われわれは多くのことを知った
が、その中の多くは偽りであった。イシは常に真実である自然を知っていた。
彼の性格は永遠に続くものであった。親切で、勇気があり、自制心も強かった。
そして彼はすべてを奪われたにも拘らず、その心にはうらみはなかった。彼
の魂は子供のそれであり、彼の精神は哲学者のそれであった。
・・・・・・・・・・サクストン・ホープ

ホープはカリフォルニア大学医学部の教師であり、イシと親交があった。
またイシが現代文明に生きる人々を見て、新しいものを創る知性には長け
ているものの、精神的には子供であると言った言葉が忘れられない。

 

この文献の詳細ページへ「セブン・アローズ」TUV 
ヘェメヨースツ・ストーム著 阿部珠理 訳 地湧社

「聖なる輪の教え」「心の目をひらく旅」「よみがえる魂の物語」の三部作。
作家の中上健次氏が「叡智と神話力に満ちた比類なく美しい本、それが
インディアン系の作家ヘェメヨースツ(チャック)・ストームの“セブン・アロー
ズ”である。1979年私が初めて長期滞在したロスアンゼルスで一冊を前
にした時、心臓に電撃のような衝撃を受けたのだった。13年後の今その
日本語版がここにある。」と絶賛した宇宙のハーモニーの中で生きること
を教える、アメリカ・インディアンの原点の書。

T・「聖なる輪の教え」<白い楯>一族に戦さの気配がしのびよる。人びと
がこれまで信じてきた道は、白人たちの新しい道の前で滅びようとしている
のか? 一族のチーフが子供たちに語り聞かせたのは、<跳ぶネズミ>の
物語、一匹の小さなネズミが聖なる力を捜し求めて旅する物語だった。

U・「心の目をひらく旅」楯の兄弟たちの絆がこわれはじめ、部族の人びと
を取りまく状況はだんだん過酷になってゆく。戦さが続く中、一人の若者が
ヴィジョン・クエストの儀式にのぞむ。何ものにも負けない強い心と”与える
こと”を学んだ若者は、新しく<夜の熊>と名づけられた。

V・「よみがえる魂の物語」学びのための数々の物語がからみあいながら
展開する最終巻。分裂していた人びとが絆を取りもどし、自らの歩むべき
道に再び目覚めてゆく。しかし歴史はいやおうなく人びとに敗北を与えよう
としていた。そして時は、現代。彼らが学び、守り、伝えてきたスピリットは
生きていた。

阿部珠理さんの著作
「アメリカ先住民・民族
再生にむけて」
「アメリカ先住民の精神世界」
「大地の声 アメリカ先住民の知恵のことば」
「ともいきの思想 自然と生きるアメリカ先住民の聖なる言葉」

 
この文献の詳細ページへ「インディアンに囚われた白人女性の物語」 
T.メアリー・ローランソン夫人の捕囚と救済の物語 
U.メアリー・ジェミソン夫人の生涯の物語 
白井洋子訳 刀水書房

牧師夫人であったローランソン夫人は約三ヶ月の間、インディアンに囚わ
れ、多くの肉親を目の前で殺された。そんな中にも女性特有の強靭な精神
力と信仰を持ち開放されるまでの日々を綴ったものである。確かにこの書
は一人の白人女性の試練に対して勇敢に立ち向った記録としては多くの
人々に感銘を与えたであろう。しかし、悲しいことにこの書は長い間に渡っ
てインディアンの歪められた姿を人々に植え付けてしまった。何故インディ
アンがこのような残虐な行為に走ってしまったのか冷静に良心に基づいて
考える誠実さがあったなら、この自分に降りかかった悲劇の原因を振り返
られたであろう。しかし、この書は神から、教会から次第に離れてゆく当時
の白人社会への警鐘を目的とするものに変質されてゆく。地獄の番犬、異
教徒ども、悪魔、野蛮人などの言葉と対比してクリスチャン、聖書の素晴ら
しさが高らかに歌われる。ローランソン夫人と同じように肉親をインディアン
に殺され、囚われの身となったジェミソン夫人はこのインディアンの残虐な
行為が白人の裏切りと虐殺が原因であると気づくのである。ジェミソン夫人は
言う。「インディアンの人格的特質は(このように言うのが許されるなら)悪に
汚染されていないことです。かれらの誠実さは完璧であり、それは周知のこ
とです。厳しいほど正直で、騙したり嘘をつくことを軽蔑します。とくに貞節さを
尊び、それを破るのは神を冒涜するに等しいのです。欲望を制し、感情はお
だやかで、どんな問題でもそれが重要な事柄であれば自分の意見を礼をつく
して率直に述べます」。このような人間を残虐な行為にまで追いつめていった
のは、白人による虐殺とキリスト教による徹底したインディアンの崇高な精神
文化の剥奪であった。カトリックは第二バチカン公会議よりこの他宗教に対
しての侵略を間違いであったと認め、大きく変身しようとしている。しかし、二
千年もの長き時間を費やさなければならないものであったのだろうか。この
気が遠くなる時間の中で、どれだけ多くの血と涙が流されたのであろうか。
ローランソン夫人の言葉に象徴されている、一神教が持つ他の精神文化に
対する戦闘行為が何故生まれてきたのかを探ることは、未来の地球・人類
を語る上で、そしてキリスト教の未来をも含めて欠かせないものかも知れな
い。また常に人間優位のもとに繰り広げられた深刻な環境破壊を救うものが
何処にあるのかを早急に探し出すことは、未来に対しての私たちに背負わさ
れた責任であると感じる。
 
この文献の詳細ページへ「虹の戦士」 
Warriors of the Rainbow 
翻案 北山耕平 太田出版 

この物語は1962年に英語で出版された。原作者は不明という不思議な感動
的な本であるが、アメリカ・インディアンたちの間ではこの物語は実際にあった
ことだと信じられている。都会で育った主人公の少年は、居留地に両親ととも
に帰るが、焚火のあかりの中で語られる老婆の昔話にひきつけられる。そして
この12歳の少年は尋ねる。「おばあちゃんは昨日の夜、どうやって白人がやっ
てきてぼくたちの土地を奪っていったのかを話してくれました。インディアンたち
が、初めて出逢うような骨までボロボロになる病気にやられて、何千人も死んで
いったことや、おじいちゃんが白人の泥棒を取り押さえようとして殺されたことも
聞きました。こういう話を聞けば聞くほど、ぼくには知りたくなることがあるんです。
いちばん古い母親であるおばあちゃんに、ぼくはどうしても一度それを教えても
らいたくて、ここに来ました」・・・「いちばん古い母親であるおばあちゃん、どうして、
なぜ、天におられるわたしたちの偉大な曾祖父は、白人たちがこの大地を奪い
去っていくことをおゆるしになられたのですか?」・・・そしてこの少年は様々な
苦難を超えて、虹のようにすべての人間をひとつの家族としてつなげる戦士とし
て旅立つ。

「虹は、すべてのもののなかにおられるあのおかたからのメッセージなのだ。
すべての人間がひとつの家族のようにつながることとを、虹は教えている。さあ、
あの山の頂にお行き、わたしにつながる愛しい者よ。どうやったら虹の戦士に
なれるか、行け、行って学ぶがよい。愛と喜びをみんなの間にひろげることだけ
が、この世界の憎しみを理解と優しさに変えることができる。この世からいっさい
の戦争と破壊をなくすために、残された道はもはやそれひとつしかない!」
(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「アンパオ」 
太陽と月と大地の物語 
ジュマーク・ハイウォーター作 フリッツ・ショルダー絵 
金原瑞人訳 ベネッセ 

ワシントン・ポスト紙に「ごくまれに、時代を超えた作品が現れることがある。
アンパオは、まさにそのような作品だ」と賞せられたとても美しい物語。著者は
インディアンの各部族の神話や伝説を基礎に置き、新たな創作物語を読者に
語りかける。それはまるで火を囲みながら、年寄りの語り部から流れ出る言葉
に耳をじっと傾ける昔の原風景を現実に体験しているような不思議な感覚をも
たらしている。

アンパオの旅の物語も、インディアンの物語を保存して伝えるという、むかし
からの仕事と同じで、それを新しい聴衆に、もっと広い聴衆に伝えたいというの
がわたしの目ざしたことだったのです。わたしが「アンパオ」を書きあげたとき、
何人かの年上のインディアンの友だちがこれを読んで、たずねました。「いった
いどれだけの白人がきみの書いたものを理解できると思っているのか?」と。
わたしは長いこと考えて答えをだしました。「アンパオ」という作品のイメージは、
コロンブスやコルテスやアンドルー・ジャクソンたち(これらインディアンの世界
の侵略者たちはインディアンを人間以下のものと考えていました)の時代ならわ
かりにくいものだったかもしれません。しかし世界は変わってきたし、われわれ
は新しい考えに到達しているのです。それは、自然や、宇宙における人間存在
についてのインディアン的な考えのなかに根源的なリアリティがあるとする考え
なのです。こうした考えが広く認められるようになったのは歴史上はじめてのこ
とでしょう。「アンパオ」のなかでさまざまなことが語られているのですが、そのな
かでもっとも中心的な考えは、アメリカ・インディアンの宗教を研究している注目
すべき学者のひとりポール・レイディンの言葉にうまく集約されています。この
レイディンの言葉は「アンパオ」という作品に光をあててくれるだけでなく、インデ
ィアン全体にたいしても光をあててくれるはずです。「われわれ白人は人格を持
つものと人格を持たないものとを区別するが、インディアンはそういった区別を
まったくしない。インディアンが興味を持っているのは、存在とはなにか、現実と
はなにかということである。そして、認識できるもの、考えることができるもの、
感じることができるもの、夢にみることができるもの、インディアンにとってこれら
はすべて現実に存在しているのである。」・・・・本書より引用

 


「伝説の日々」 <幻の馬物語>Vol.1
「汚れなき儀式」 <幻の馬物語>Vol.2
「暁の星をおびて」 <幻の馬物語>Vol.3
 
ジュマーク・ハイウォーター作 金原瑞人訳 ベネッセ

この「<幻の馬>物語」シリーズは現在「伝説の日々」「汚れなき儀式」、そし
て本書の「暁の星をおびて」の三冊が刊行されている。著者はインディアンの
血をひいて産まれるが、父親の交通事故死により白人の家に引き取られ、
白人とインディアンの文明の狭間で悩み苦しんできた。その意味でこの「<幻
の馬>物語」シリーズは、著者の自伝的な要素が強く反映されたものと言える
し、多くのインディアンが通過しなければならなかっ道でもある。白人が作った
「インディアン学校」に、親から強制的に引き離された子供たちが数多く収容さ
れた。そこでは部族の言葉や習慣は禁止され、白人の宗教や価値観、生活
習慣が叩き込まれた。この白人による同化政策による自己基盤の破壊は、
今でもインディアンの社会に暗い影を落としている。本書の主人公もそのよう
な時代を生き、多くの大切なものを失う。しかし、祖母が最後まで生き抜いた
インディアンの道は、主人公の辛く苦しい日々の中でも絶えず希望の光を灯
しつづけていた。美しい夢と自分自身であることをこよなく愛した主人公、そし
て著者の見事な構成力、語り部としての才能、清かさと気迫が本書を真に
感動的なものとしている。
 
この文献の詳細ページへ「三人の偉大なインディアン」 
アン・マクガバーン原作 ジーン・デビス・池田広子訳 信山社 

本書には「沼の戦士・オセオラ」「聡明な指導者・テカムシ(テカムセ)」「名誉
の人・コーチース」という有名なインディアンの英雄の生涯を記したものである。
私自身多くのインディアンの英雄の中でもテカムセの慈愛と勇敢さ、誇り高さ
にはインディアンの真の姿を映し出した者としてだけではなく、あるべき人間像
として具現化した崇高な魂を感じてならない。そしてこのような人々が何故に闘
わなければならなかったを想うとき、このインディアンが受けてきた血塗られて
きた歴史は、決して過去の遺物ではない。それは私たちも守り続けなくてはな
らないものに対して、テカムセに象徴されているようにインディアンの勇敢な
戦士として挑んでいかねばならないことを意味しているのではないだろうか。
たとえその道が絶望的な闘いであるにせよ。

これは彼等の民族の自由と自分の所有する土地に住む権利の為に戦った、
三人の偉大なインディアン指導者の興味をそそるも悲しい物語を述べたもの
である。闘いはアメリカ国民が急激に領土を拡張しようとしていた時代に、フロ
リダの沼地や中西部から西部の広野にかけて起こった、前進という名の下に
土地は没収され、幾千人もの人が殺されたり、捕虜にされたのでだった。これ
らの物語はわが国における人間の自由の為の、長い年月にわたる苦闘の一
部であるとともに初期のアメリカ史の悲惨なそう話の一つである。
(本書・はしがきより引用)

 
この文献の詳細ページへ「大酋長フィリップ王」 
消されたアメリカ・インディアン
加藤恭子著 春秋社 

1620年12月、メイフラワー号で上陸した巡礼始祖たちは最初の困窮した
状況の中で人数が半減し50名を残すのみだった。その彼らを助けたのが
ワムパノアグ族の酋長であるマサイットであった。この頃の白人とインディ
アンの関係は友好的なものであり、1621年の秋、感謝祭の際にもマサイット
は多くの食料を持参して列席した。しかし、入植者が急激に増加しインディ
アンの土地を売るように要求するだけに止まらず、インディアン文化に対す
る侮辱、強引なキリスト教の布教や、インディアンに不利な裁判などでイン
ディアンの白人に対する反感は膨れ上がっていた。マサイットの子どもであ
るメタカム(フィリップ王)はそれでも白人との友好関係を続けていくことに
苦心していたが、彼の心を邪推した白人の仕返しにメタカム(フィリップ王)
は遂に立ちあがる。この書は多くの文献や残存する記録、そして著者自身
が彼の足跡を追いながら記したメタカム(フィリップ王)の生涯の物語であり、
フィリップ王の魂の叫びを聴くことが出来る書である。

 
  この文献の詳細ページへ「ハスティーン・クラー」
 ナバホ最高のメディスンマン・砂絵師の物語

フランク・J・ニューカム著 鈴木幸子訳 生活書院

ナバホの砂絵や儀式で使う様々な歌(チャント)に精通した最後のメディスン
マン、ハスティーン・クラー。その4代に渡る歴史、そしてクラーと深い信頼関係
にあった著者(白人女性)が共に経験した砂絵に代表される治癒の儀式などを
細かく記録し、後世の人のために残した貴重な文献である。

アメリカ南西部・・・・リオ・グランデ川とコロラド川のあいだに広がる広大な
一帯は、遥か昔から先住民が生を営む荒野であり、「大地の支配者」と呼ば
れたナバホの民が君臨する聖なる地であった。他の部族との絶え間ない緊張
や入植者・合衆国軍による侵攻、強制移住、干ばつ、そして共生への模索・・
・・ナバホ民族は、傑出した酋長であるナーボナのもとで苛烈な歴史を歩んで
いく。本書の主人公であるハスティーン・クラーは、ナーボナの曾孫として生ま
れ、やがて史上最高のメディスンマン(呪医)として全米にその名を馳せた人物
である。彼こそが、複雑かつ独特なナバホの神話世界を完璧に継承した最後
の人物であった。象徴的な砂絵を描き、降霊した神々と語らい、薬草を処方し
て人々を癒し導く・・・・超越的な力を駆使して儀式を執り行なう「メディスンマン」
とは、一体何者なのか。そのすべてを知る賢者として、クラーはいかなる人生を
経験したのか。ナバホ族から揺るぎない信頼を得た白人女性であり、驚異的な
記憶力により儀式の砂絵を水彩画として残した筆者が本書に記したこと、それ
はクラー一族が四代にわたる「困難に満ちた迫害や隷属、さらに飢餓寸前にま
で陥った英雄的ともいえる自己抑制の日々」の物語である。
(本書 表紙 より引用)

「プラセボ効果 信じる者は癒される」 ナショナル ジオグラフィック 
2016年12月号
を参照されたし

 
この文献の詳細ページへ「魂の指導者 クロウ・ドッグ」 
スー族メディスンマンの物語 
レオナルド・クロウ・ドッグ/リチャード・アードス著 
伊藤由紀子訳 サンマーク出版

四代にわたるスー族メディスンマンのクロウ・ドッグの物語だが、現在の
レオナルド・クロウ・ドッグが歩んだ苦難の道が主に書かれている。1890
年に大虐殺が行われたウンデッド・ニー(サウスダコタ州、パインリッジ
居留地)においての占拠事件では、1960−1970年代を駆け抜けた
アメリカ・インディアンの人権回復運動の中で、虐げられてきた多くの
インディアンが誇りと名誉を取り戻すべく立ち上がり、レオナルド・クロウ・
ドッグも霊的な指導者として加わることになる。この中には「聖なる魂」
記したデニス・バンクスやレオナルド・クロウ・ドッグの妻となる「ラコタ・
ウーマン」
のマリー・クロウ・ドッグがいた。1973年に起こったこの占拠
事件までのインディアンが置かれた状況は屈辱的なもので、白人が面白
半分でインディアンを殺しても犯人が刑務所に行くことは殆どなかった。
このような信じられない状況がつい30年前までアメリカで行われており、
現在においても形を変えた侵略戦争がインディアンを襲いつづけている
のである。詳しくは「アメリカ・インディアンの現在」「白人の国、インディ
アンの国土」
の各文献を参考にして頂けたらと思う。このような悲惨な
状況の中でもインディアンの魂を命をかけて守ってきた人びとの壮絶な
闘いの記録が本書であり、このレオナルドの父が有名なレイム・ディアー
ことヘンリー・クロウ・ドッグで、「レイム・ディアー」(インディアン魂)は彼
の自叙伝。

雑記帳「魅せられたもの」1997.3/6「レイム・ディアー」を参照されたし
「ともいきの思想 自然と生きるアメリカ先住民の『聖なる言葉』
」阿部珠理著 参照されたし

 
この文献の詳細ページへ「熱きアラスカ魂」 
最後のフロンティア・インディアンは語る 
シドニー・ハンチントン著 ジム・リアデン編 
和田穹男訳 めるくまーる 

シドニー・ハンチントン・・・・1915年、コユーコン族の母と元金鉱掘り
の白人の父のもと、北アラスカ、コユコック川のほとりに生まれる。5歳
にして、母の事故死に遭い、熊がさまよう原野に弟妹と取り残されたの
を皮切りに、以後の生涯は波乱と冒険に満ちたものとなる。少年期より、
冬は零下50度の雪原に犬ぞりを駆って狩りをし、夏は大河ユーコンで
鮭を獲った。大地からじかに恵みを得る暮らしの中で、部族の古い習慣、
伝統精神を学ぶ。のち、アラスカ州漁業狩猟局のメンバーとして野生生
物の保護管理に当たる。インディアン子弟の教育にも情熱を注いだ。
数々の社会的貢献により、アラスカ大学から名誉博士号を贈られる。

本書は、ヒトが美しくも苛酷な環境で生命をつなぐことの喜びを静か
に謳い上げる。その厳しさの中で自然に育まれる他の人びとや動物た
ちへの愛情と思いやり。ただひたすらに、いま生きて在ることを感謝し、
慎ましく幸あれと願う祈り。それはまさに、われわれが失ったものだが、
逆にいえば、われわれはけっして多くを失ったわけではない。一度でも
いい、胸の奥底から真実に込み上げる涙が目にあふれたら、<永遠>
を垣間見ることができる。そのとき流れるのは、妻子とともに生きのび
るため、勇者の中の勇者として母親の首を締めなければならなかった
男の涙。真冬の原野で倒れた父親を助けようと、雪の中を一日中歩き
通した四歳の子どもを迎える隣人の涙。だれもが胸の奥の奥にそんな
涙の湖を宿している。ヒトの物語はその湖のほとりで紡がれてきたのだ。
けれども、老シドニーは犬そりがスノーモービルに変わったことを嘆い
てはいない。サケや狼の生息を管理するようになったことを非難しては
いない。さまざまな痛みや苦しみをともないながらも、アラスカに訪れた
新しい時代をおおむね歓迎しているように見える。彼自身が二つの血を
併せ持つ人間だからかもしれない。それとも、抗いがたい変化をおおら
かに受け入れることがアラスカの掟であり、古来ヒトの道だからだろうか。
自然や野生動物や先住民文化の保護について、われわれ現代人は少
し前にくらべてずいぶん拓けた考え方を身につけてきたと思う。が、多く
の場合、現場を知らずに想像や推測で判断している。狩人と先住民の
世界をじかに覗いてから、私はエコロジスト(英語の“生態学者”ではなく
日本語の軽い意味で)として歯切れが悪くなった。かつてのように手彫り
のカヌーを駆って鯨を獲りたがる沿岸インディアンに、どう思いとどまら
せるのか。狼の毒殺や空からの銃殺に、現地の住民が一定の理解を
示しているのは間違いだと決めつけられるのか・・・。以前なら即答でき
たであろう問いに、たくさんの人の話を聞き、長い時間をかけないと答え
られなくなってきた。答えの出せない問いもあることがわかってきた。急
いで答えを出さず、いったん立ち止まって狩人のようにじっくり周囲の
世界に目を凝らそう。諦めなければ、きっと道は拓ける。本書を通して
アラスカという大いなる物語の片鱗を覗いたら、読者もそんな気持ちに
傾くかもしれない。(本書・物語を紡ぐ土地 星川淳 より引用)

アラスカ・コユーコン族・「長老たちからの贈りもの」を参照されたし

 
 この文献の詳細ページへ「ラコタ・ウーマン」 
マリー・クロウ・ドッグ著 
リチャード・アードス編 石川史江訳 第三書館

1960−1970年代を駆け抜けたアメリカ・インディアンの人権回復運動の中
で、虐げられてきた多くのインディアンが誇りと名誉を取り戻すべく立ち上がって
きた。1890年に大虐殺が行われたウンデッド・ニー(サウスダコタ州、パインリ
ッジ居留地)においてオグララ・スー族国家の合衆国からの独立を宣言する為
にこの地を占拠したオグララ・スー・そしてAIM(アメリカン・インディアン・ムーブメ
ント)の戦士たち。この中には「聖なる魂」の著作として有名なデニス・バンクス氏
も含まれており、71日間におよぶ激しい銃撃戦が繰り広げられた。そしてこの本
の著者であるマリー・クロウ・ドッグも妊娠していながらも女性戦士として加わり、
銃弾が飛び交うなか出産した。この本は彼女が荒れた青春時代を乗り越えて、
自らのインディアンとしての意識に目覚めてゆく日々を詳しく綴ったものである。
この本は1989年「アメリカン・ブック・アワード」を獲得し、アメリカのケーブルテ
レビでも放映された勇気と誇りに満ちた物語です。

女たちの心が叩きのめされない限り、クニは決して滅びることがない。しかし、
その心が叩きのめされたとき、クニは滅びる。どんなに、勇敢な戦士がいようと
も、どんなに、強力な武器があろうとも。「シャイアン族の古い諺」 本書より引用

 
この文献の詳細ページへ「ふたりの老女」 
ヴェルマ・ウォーリス著 
亀井よし子訳 草思社 

はるか昔からアラスカ・インディアンに伝わる知恵と勇気の物語。あるとても
寒さの厳しい冬、グウィッチン族ははげしい飢えにみまわれ、部族のお荷物
だったふたりの老女を置いて旅立った。これは昔からの老人を大切にする
伝統に背くものであったが、それほど部族の飢えは深刻なものであった。心
に深い傷を互いに負いながら、「生きる」ことに必死で立ち向かった老女と悲
しい決断をしなければならなかったリーダーが再び出会い、許すまでの軌跡
を追った物語であると同時に、どんな年寄りでも驚くべき可能性を秘めている
ことを悟らせてくれる物語でもある。

ヴェルマ・ウォーリス・・・1960年、アラスカに生まれる。北極圏からわずか
数キロ離れただけのユーコン川のほとりの村で、アラスカ・インディアンの伝統
にのっとった教育を受けて育つ。現在も昔ながらの狩猟・採集の生活を営みな
がら、執筆活動をしている。彼女が自分の母から実際に聞いたこの伝説は、
アラスカのみならずアメリカ全土で話題を呼んだ。現在はインディアンとしての
彼女自身の成長の物語を執筆中。(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「はみだしインディアンのホントにホントの物語」 
シャーマン・アレクシー 著 エレン・フォーニー 絵 
さくまゆみこ 訳 小学館
2007年全米図書賞受賞
2008年ボストングローブ・ホーンブック賞受賞

ニューヨークタイムズベストセラーに連続34週ランクイン 

スポケーン族の保留地で生まれた主人公の周りには人生そのものに対し
ての諦めや貧困が蔓延し、多くの者が酒におぼれ自殺への道をたどってい
た。インディアンとしての誇りを心の片隅に持ちながら、主人公はこの死んだ
世界から必死に抜け出そうとする実話(一部フィクション)だが、その文体は
実に率直で飾り気がなくユーモアに満ちあふれている。読者を最初のページ
から一気に引き込ませる卓越した力と、感情をありのまま表現し描写できる
特質がこの本をベストセラーにしたのかも知れない。しかしそこには保留地
の中で生きるインディアンたちが背負っている貧困・アルコール依存・自殺と
いう暗い現実問題が、インディアン社会に影を落としていることを著者は本書
を通して訴えているのかも知れない。

(訳者のあとがき 2009年12月 さくまゆみこ より抜粋) これは、北米
先住民のスポケーン族の保留地で生まれ育ち、生き抜いていくためにさまざ
まな冒険をせざるをえなかった少年の、ホントにホントで、ちょっぴりフィクシ
ョンの自伝的物語です。(ちなみに後にホーンブック賞を受けたときのスピー
チでは、78パーセントが事実であるとアレクシーは語っています。)ある日、
アメリカの書評誌でこの本を見つけたわたしは、さっそく原著を取り寄せて読
んでみました。すると・・・・。やたらにおもしろいので、食事もぬかし、お茶も飲
まずに、わたしはひたすら一気に読んでしまいました。主人公のアーノルド
(ジュニア)ばかりでなく、怒れるラウディ、秀才のゴーディ、過食症の美しき
ペネロピー、ちんちくりんのP先生、人間のできたばあちゃんなど、登場人物
も個性派ぞろいです。文体も新鮮だし、イラストもゆかい。先住民たちの置か
れている状況も、おかしな白人たちへの皮肉も、伝承物語も書かれています。
それに、先住民でなくても若い時代にはだれでも抱くような悩みや望みや
不安も、恋や友情も、みごとな筆致で描写されています。
 
この文献の詳細ページへ「グラス・ダンサー」 
スーザン・パワー著 小沢瑞穂訳 めるくまーる 

アーネスト・ヘミングウェイ賞を受賞した新進スー族女性作家による幻想物語。
母親は純血のスー族で、本書は世界10数ヶ国で翻訳されている。

主人公のスー族青年ハーリーは、伝統的なダンスの名手であり、同級生の
シャーリーンは彼に届かぬ思いを寄せている。魔女と恐れられている彼女の
祖母や、メディスンマンの老人など、多くの男女の秘められた過去が明らかに
なるにつれて、彼らと先祖たちとの神秘的なつながりが浮かび上がる。精霊や
夢が人の運命を左右する、インディアン固有の精神世界を、現代の物語に映
し出した異色作。 (本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「夜明けの少年」 
ローラ・アダムズ・アーマー著 
和田穹男+アキコ・フリッド訳 めるくまーる

児童文学賞として最も権威のあるニューベリー賞を受賞した本書には、
白人との抗争は見られず、純粋にこの世界の美を探究していく一人の少年
の心の軌跡を綴っている。著者が生きていた時代、それはインディアンが
徹底した同化政策により急速に昔からの伝統から引き離され、人間として
扱われなかった時代背景に立っている。著者はこの現実を前にして、白人
の文化とインディアンの文化が互いに尊重し共存できる道がどこかにある
はずだと模索していたのかもしれない。著者のこの希望の源は、現実という
深い悲しみの泉から湧き上がってきたものであるからこそ、この悲痛な現実
を希望と美の物語で抱きしめずにはいられなかった。何故か私にはそのよう
に感じられてならない。

本書は1931年に出版され、児童文学賞として最も権威のあるニューベリー
賞を受賞した作品である。著者ローラ・アダムズ・アーマー(1874-1965)は40
台後半になってから北アリゾナの先住民ナバホ族の保留地を訪れ、当時の
メディスンマンの篤い信頼を得た。ナバホ独自の砂絵は癒しの儀式のために
用意される聖なる絵であり、外部の人に見せることはタブーとされ、儀式終了
とともに壊されてしまう。ところがそのメディスンマンは、アーマーのナバホ文化
に対する理解と敬意がほんものであることに心を動かされ、彼女のためにとく
に砂絵を作って見せるまでになった。彼女が数十点に及ぶ砂絵を模写したが、
それらはニューメキシコ州サンタフェのロックフェラー美術館のコレクションに
加えられている。このように、アーマーはナバホの世界に深く入りこむことを
許された数少ない白人の一人だった。本書が単なる想像の産物ではなく、
ナバホの人たちの考えかた、生きかたなどを精確に生き生きと描き出し、
記録としての価値をも持ちえているのはそのためであろう。・・・・・・・
本書「訳者あとがき」より抜粋引用

 
この文献の詳細ページへ「モホ・ワット 少女を救った少年の物語」 
ケネス・トーマスマ著 
浜野安宏 監修 おびかゆうこ 訳 出窓社 

シープイータといわれるショショニ・インディアンに伝えられている1700年代
の物語。この物語の主人公モホ・ワット(ショショニ語で「片手のない」の意)は
多くの困難を乗り越えて、初恋の女性を救い出してゆく。その勇気と知恵、と
ても8歳の少年とは思えないほどの行動力が奇跡の物語として現在まで語り
継がれている。著者はインディアンの伝承に魅せられ、それらを集めた「すば
らしいインディアンの子供たち」シリーズは現在7冊が出版され、プロの語り部
としてもアメリカ全土、デンマーク、オランダなどの国々で、語り聞かせを展開
している。本書の一気に読了させてしまう語り部としての技能と、物語の美しさ
が絡み合い、読者をモホ・ワットの冒険に引きずり込んで離さないだろう。同じ
著者による少女の生還の物語「ナヤ・ヌキ」も著者の語り部としての高い技能
を垣間見させてくれるものである。

18世紀、アメリカ西部の大平原には、まだ白人の姿はなく、インディアンた
ちが部族ごとに独自の狩猟生活を営んでいた。狩りで片手を失ったショショニ
族の少年は、知恵と勇気で、敵対部族に捕らえられた少女をたった一人で救
い出す。敵の追跡を逃れ、少年たちは、家族の待つ遠い故郷の山をめざし命
がけの旅をする。生死の境に追いつめられるたびに、必死に生きようとする子
どもたちの姿が胸をうつ。1997年度ワイオミング州児童文学賞受賞をはじめ、
全米各州で大好評の書。(同著・帯文より)

 
この文献の詳細ページへ「ナヤ・ヌキ 大草原を逃げ帰った少女」 
ケネス・トーマスマ著 
浜野安宏監修 おびかゆうこ訳 出窓社 

「モホ・ワット」に続くケネス・トーマスマによる邦訳二作目となる本書は
ショショニ・インディアンに長く伝わっている物語を著者の幾分かの脚色を
交え世に出したものである。この物語が実際に起こった年は1801年の
夏、1600キロという途方もない距離をたったの11歳の少女が故郷に
生還する。ショショニ語の「ナヤ・ヌキ」という名前は、「逃げ帰った少女」を
意味し、その知恵と勇気をショショニ族が長く語り伝えてきたものである。
語り部として高い技能を持つ著者の文体は、読者の心を一気に200年前
へと飛び込ませる。

自然と密着して暮らすインディアンの人びとは、幼いうちから大自然で生
きぬく知恵を身につけていた。とらわれた敵部族の村を脱出し、はるか
1600キロも離れた故郷をめざす11歳の少女も、地形や星で故郷の位置
を知り、バッファローや灰色熊から身を守り、自然のなかから巧みに食糧を
探し出し、40日におよぶ危険な旅を成し遂げる。また、ナヤ・ヌキと一緒に
とらえられ別れ別れとなった親友サカジャウィアとの4年後の劇的な再会は、
アメリカ西部開拓史を彩る感動的なエピソードである。1986年度ワイオミ
ング州児童文学受賞をはじめ、全米各州で大好評のシリーズ第2弾。
(本書・帯文より引用)

 
この文献の詳細ページへ「パスキ・ナナ ナゾをといた少女」 
ケネス・トーマスマ著 
浜野安宏・監修 おびかゆうこ・訳 出窓社 

いつも失敗ばかりし、ふさぎこんでいる8歳のクーテナイ族の少女パスキ・
ナナ。この少女は自分を変えるため、守護精霊を探しに一人で村を出る
決意をする。しかし、その旅の途上、村を裏切る男の現場を目撃したため
に殺されかける。知恵と勇気をもってこの危機を乗り乗り越えていくこの
少女の物語は、1780年代の歴史的事実を織りこんだ創作だが、息を抜
かせないその語り口にはひきずりこまれてしまうだろう。1993年度ワイオ
ミング州児童文学賞シリーズの第三作目。

パスキと動物たちとの不思議な出会いは、張りつめた逃亡劇のなかでも、
ほっとする場面です。ハクチョウの愛情と、カワウソの知恵、どちらも少女
にとって大切な宝物となりました。こうした知恵と愛情は、クーテナイ族が
代々敬い、大切に伝えてきたものです。クワイエット・ワンは、パスキにこん
な言葉をのこしてこの世を去りました。「わしらの愛を、その胸にしっかり受
けとめるんだよ。そして、いつかその愛を、おまえの子どもたちに分け与え
てやっておくれ」 こんなふうに愛することを伝えてこの世を去ることができ
たら、またその愛を受け継ぐことができたら、どんなにすばらしいでしょう。
新しい世代に何をのこし、どんなことを伝えていくか。人間にとってかけが
えのないものは何なのか。クワイエット・ワンの言葉は、パスキだけでなく、
この物語を読む人それぞれの胸に深くきざまれることと思います。人情に
あつく、困っている人がいたら必ず手をさしのべるクーテナイ族の人びとは、
とても魅力的です。カット・イヤーズの言葉を信じて村に迎え入れたのも、
クーテナイ族ならではの人のよさでしょう。著者のトーマスマさんによると、
クーテナイの人びとは、今もそんな部族の性質をまったく失っていないと
のこと。少しはにかみながら微笑むパスキのような女の子きっといるにちが
いありません。自分が他の子より劣っていると思いこんでいる子どもたちを、
パスキの物語はこれからもずっと励ましつづけることでしょう。
(訳者あとがきより引用)

 

この文献の詳細ページへ「アシハヤ」 
イロコイ・インディアンに残された物語 
北山耕平 再話 菊地慶短 作画 星雲社 

この文献の詳細ページへ「星の少年」 
シャイアン・インディアンに残された物語 
北山耕平 再話 菊地慶短 作画 星雲社

この文献の詳細ページへ「鷲と少年」 
ズニ・インディアンに残された物語 
北山耕平 再話 菊地慶短 作画 星雲社

この文献の詳細ページへ「ますらお」 
クリンギット・インディアンに残された物語 
北山耕平 再話 菊地慶短 作画 星雲社

昔インディアンの若者や子供たちは火の周りを囲み、長老たちが語る物語
を楽しみに聴いていました。そこで語られる物語は、部族の歴史の中で起こ
った教訓的なことがらです。人や自然の関わりを通して何が大切なことかを
暗に教え、若者や子供がこれからどう考え生きていかねばならないのかの
基盤を作る意味を持っていました。北山さんはイロコイ、シャイアン、ズニの
各部族の中で語り継がれてきた多くの物語の中から4つの物語を紹介してい
ます。「アシハヤ」は同じ年頃の仲間からからかわれていた存在でしたが、
如何に「平和の時」を守ったかが語られます。「星の少年」は空の国で育った
少年が、亡くなった母親の故郷を数々の困難から救う物語です。「鷲と少年」
は家の仕事をなおざりにし鷲の子供の世話ばかりしていた少年が、鷲と共に
空の国に行き、様々な経験を通して一人前の人間になっていく物語です。
「ますらお」はトーテムポールやワタリガラスの伝説で有名なクリンギット・
インディアンが舞台です。部族の皆からなまけものと見られていた「うすよご
れ」は誰も知られず秘密に鍛錬していました。そして村を襲う困難から救い、
最後には世界を乗せた柱を支える偉大な者になっていくのです。
 
「コヨーテ老人とともに」 
アメリカインディアンの旅物語 
ジェイム・デ・アングロ作・画 
山尾三省訳 福音館書店 

この文献は1953年に出版されたもので、著者は40年もの間インディアン
と生活を共にしてきた白人である。言語学者や人類学者としてインディアン
の社会に入っていった著者はやがてテキストや論文などから摘み取った科学
的理論を投げ捨て、インディアンのものの考え方や宗教的なものに強くひか
れるようになっていきます。この文献に描かれているのは、動物たちがまるで
人間のように語り旅をする物語です。そこにはまた著者が接してきたインディ
アンたちの普段着の姿が見えてきますし、このありのままのインディアンが読
者を不思議な物語世界へと誘います。

そうなるとあなたは、原始的な考え方に関して大変興味のある多くの事柄
を見いだすことになるでしょう。彼らの中に住んで、樫の木の下に大の字に
寝ころがり、雲やアリの行列をながめ、あるいは枯れた松の枝に鷹がとまっ
ているのをながめておしゃべりをします。あなたたちがあれこれとおしゃべり
をしてみると、相手はなんたる嘘つきかとも思います。二人の老人が、だれ
が世界を作ったかについて議論を始めるかと思うと、ひとりの若者は、自分
のモーターや電気の火花についての知識とインディアンの薬や宗教の理念
とを符合させようとつとめます。しばらくたつとあなたは、彼らのわけのわか
らない言葉の中に陥っている自分を見いだし、さらに彼らの考え方の内に入
ってしまっている自分を見いだします。そうなった時に、あなたは自分が出発
点にいるのだということがわかるのです。あなたは、自分がひとりの白人であ
ることを忘れてはおらず、科学者でもあるらしい。あなたは、自分が自分と
ゲームをして遊んでいるのではないかといぶかります。自分自身にわけを
説明しようとします。子ども時代に舞い戻ってしまったのではないかといぶか
り、物語世界の不思議な時間、妖精や奇跡、驚くべき事物に出会う時に戻っ
てしまったのではないかといぶかります。そして、やがてあなたは、動物たち
が人間であったころの、もうひとつの物語に耳をかたむけるようになるでしょう。
 (本書・著者あとがき より引用)

 
この文献の詳細ページへ「モカシン靴のシンデレラ」 
中沢新一 訳 牧野千穂 絵 マガジンハウス 

本書 帯文及び解説 より引用だれもが知っているフランスのペロー版を
見事に改変した北米インディアン・ミクマク版こそ、真正の「シンデレラ」?! 
“ほんとうの幸福を追求する”神話の真骨頂を説く、著者解説つき。

「この話はたしかに、われわれの神話とよく似てはいる。しかし、大事なと
ころでこの話は、まちがった道へ入り込んでいる。シンデレラという少女は、
いつも灰のそばにいたからこそ、霊の世界に入っていける資格をもったの
だし、霊の世界のことがよく見えていたからこそ、幸運をあたえられたんじゃ。
ところが白人たちの語るこの話では、彼女は美しい容姿をもち、またそれを
ひきたてる美しい衣装を身につけていたから、王子の心をつかむことができ
たということになっておる。また王子も王子で、女の美しさというものを、ただ
外見の美しさだけで判断して、自分の結婚相手を決めようとしている。まった
くあさましい話ではないか。女の美しさは、まずその人のたましいの美しさの
うちにこそ見出されるものであり、高貴な王子たるものは、霊の世界にも通じ
ていくそのたましいの気高さや美しさによって、相手を判断しなければならない。
まったく、白人たちにかかると、気高い神話でさえこんなふうに調子の低いも
のになりさがってしまう。よし、われわれでひとつ、このシンデレラの話を正しい
形に戻してやることにしよう」

 
この文献の詳細ページへ「伝説のアメリカン・ヒーロー」 
西江雅之著 岩波書店 

アメリカのルーツに出会う40章という題で、先住民の戦い・フロンティア精神
の伝統・マイノリティーの歴史・移民文化の創出など光と陰の物語が紹介され
ている。この中にはサカガウェア(建国の母となったインディアン)、セコイア
(チェロキー文字を創った男)、ジェロニモ(アパッチ族のスーパー・ヒーロー)、
イシ(二つの世界を生きたインディアン)、エドワード・S・カーティス(インディアン
の威厳を撮る)、アパッチ族(異人との遭遇で失ったもの)、セミノール族(フロリ
ダに自由を求めて)、ココペッリ(砂漠のフルート吹き)、タバコ(聖なる煙、精霊
との交わり)、バッファロー(甦るアメリカの象徴)などインディアンに関する項目
も多数含まれている。

 
この文献の詳細ページへ「孤独なインディアン」 
アメリカ先住民名品集 
リディア・マリア・チャイルド著 牧野有通訳 本の友社

「動物記」やボーイスカウトなどを産んだアーネスト・シートン(1860−1946)
の優れた文献「レッドマンのこころ」は、インディアンへの差別と偏見に満ちた
時代の中において光を投げかける数少ない存在であったが、この「孤独なイン
ディアン」の著者はシートンの前の世代(1802−1880)に生きた白人女性
作家であり、1990年代からアメリカで再評価されている人物である。勿論この
時代はまだ白人とインディアンとの戦いは終わっておらず、インディアンが絶滅
寸前まで追い詰められて時代でもあった。このような時期に真実のインディアン
を理解し、それを基にした短編を書いてきた著者は19世紀の反インディアン
差別、反奴隷制、反父権主義を掲げた活動家でもあった。この文献にはインデ
ィアンに関する四つの短編と、「インディアンのための訴え」が収録されているが、
事実を基に描いた「ウィリー・ウォートン」やインディアンへの不当な差別を訴え
た「インディアのための訴え」に、著者の悲しみや怒りそして希望が込められて
おり、真の文明とは何かと問わずにはいられないものである。

 
この文献の詳細ページへ「コヨーテを愛した少女」 
ナンシー・ウッド作 ダイアナ・ブライヤー絵 
寮美千子訳 パロル舎 

「今日は死ぬのにもってこいの日」の著者がコヨーテに関する新しい
創作物語。

ここにある十二の物語は、インディアンたちが決して手放すことのなかった心
の中の神聖な場所からやってきました。それは絵空事ではなくて、かれらにとっ
てはほんとうのことです。わたしたちは、それを理解するにはあまりにも遠くまで
きてしまったかもしれません。けれど、わたしたちも遠いかれらの兄弟のひとり。
かつては、大地からの収穫を神からの贈り物として感謝して受けとる民族でした。
きっと心のどこかで響きあうことができるはずです。
 (寮美千子 本書帯文より引用)

 
この文献の詳細ページへ「カナダのインディアンに伝わる30の話」 
マーガレット・ベミスター編 
くまり莞奈子訳 中央アート出版社 

「この本に納められた多くの物語は、世代を超えて引き継がれてきた物語の
語り部たちから直接に聞き書きしたものです。この本により、はじめて印刷、
出版のかたちをとったものもあります。すでによく知られている物語をあらた
めて編集しここに収めたものもあります。カナダ・インディアンの伝説集“イン
ディアンとウィグワム”は、この本を編集するための参考とさせていただきま
した。1912年 マーガレット・ベミスター」今から90年も前に発行されたもの
で、当時のインディアンから直接聞き取ったものが多い。編者のベミスターは
1877年に生まれ長年教職の後バンクーバーに移り住む。
 
この文献の詳細ページへシカ星 -アメリカ・インディアンはうたう 
アメリカ・インディアン口承詩からの英語訳 メアリー・オースティン 
絵・ミヤギユカリ 日本語訳・だいこくかずえ 葉っぱの坑夫 

出版社・著者からの紹介夏の夜あけ、東の空低いところにあらわれる「シリ
ウス」の名で知られる明るい星の物語。ミヤギユカリのドローイングとパイユート
の詩がひとつに溶けあって、沙漠の丘陵を、セージの原野を、サボテン台地を、
風のように走り抜けます。一枚絵による蛇腹折り、横へ横へと繰りだされる長
大なランドスケープ。詩と絵と造本がぴったり重なって生まれた、今までにない
動的でダイナミックな詩画集です。

さあ聞いて、シカ星のはなしを
ずっと昔のものがたりを
ひとりの若者が、狩りに行こうと起きだした
夜あけの青い光の中。
赤シカ狩りへと起きだしたはいいけれど
さあ狩人はどうする
矢に羽根をつけたこともなく
弓に弦を張ったこともない狩人は。
女たちは戸口から笑いのめし、娘たちは泉ではやしたてた。
だって、こんなたるんだ狩りは恥ずべきこと、見たことない。
年寄りたちは頭をふってぶつぶつ、が若者はこう言い放った。
「狩りの道具なんかなくたって、おれは赤シカをしとめるぞ」
(詩「シカ星」より引用)

 
この文献の詳細ページへ 「グレイ・アウル」野性を生きた男 
ラヴァット・ディクソン著
中沢新一+馬場郁 訳 角川文庫

子供の頃からインディアンの生き方に憧れつづけていたグレイ・アウルは
スコットランド人であることに、白人であることに常に嫌悪感を抱いていた。
その後カナダの大森林の中で罠猟師などで生活の糧を得ていたが、毛皮
目的のため無秩序に殺され続けていたビーバーの子供との出会いにより、
彼の罠猟師としての生き方が次第に変化し、ついにその保護に立ち上がる。
本書はグレイ・アウルの生涯を追った伝記であり、1930年代の西欧でもっ
とも有名な人物の波瀾万丈の、そして多くの誤解を生んだ軌跡を検証して
いる文献である。尚、1930年にグレイ・アウルとビーバーを撮った記録映画
は当時西欧社会で大きな反響を呼び、幸いなことに「Beavers」というIMAXで
上映された感動的な作品(1987年製作)の中の一部で紹介されている。こ
のIMAX映画「Beavers」は、ビーバーの生態を美しい映像と共に撮ったもの
であり、ビーバーだけに留まらず多くの生命の放つ輝きを見事に描き出した
傑作である。ビーバー、「小さなインディアン」とインディアンから呼ばれていた
28時間の生活周期を持つこの動物は、川にダムをつくることで有名だが、
生まれつき戦うということを知らない性質をもった生き物である。そのため罠
にもかかりやすく、その褐色の毛皮は柔らかくて丈夫なため乱獲され絶滅
寸前まで追い込まれていく。この事態に立ち上がったのがグレイ・アウルで
あった。私自身グレイ・アウルの歩んだそして決断してきた全てを受け入れ
ることは出来ないが、ビーバーや自然にとって彼は最大の友人であり、理解
者であったことは疑いもない事実なのである。

「カナダの森で ビーバーとインディアンの少女」グレイ・アウル作

 
この文献の詳細ページへ「精霊と魔法使い」アメリカ・インディアンの民話 
マーガレット・コンプトン再話 ローレンス・ビヨルクンド絵 
渡辺茂男訳 国土社

本書に収載されたインディアン民話は、太古より伝承されたまま採録された
ものである。したがって、物語は、多くのインディアン部族が、居留地に強制移
住させられたり、あるいは、編集者の意図により、「翻案」されたりする以前に、
語り伝えられたままのものである。1895年初版の本書は、1870年代と18
80年代にアメリカ・インディアンの風俗習慣を調査した政府派遣の調査研究
者たちによる記録に基づいたものである。物語は、中西部の大草原、太平洋
沿岸、ニューイングランドの山岳地、その他の平原やいろいろな川の流域の
村々やキャンプ地で、さまざまな部族の語り部たちによって語られたものであ
る。すべての国、また、ほとんどすべての人種は、それぞれの神話、民話、
フェアリー・テールをもっている。これら物語類の基本的なテーマ群には、おど
ろくべき類似性があり、登場人物たちの間には、名前の変化と地理的背景や、
自然の境界の影響によるわずかな相違があるのみである。広大な海によって、
他の人種から隔離されたアメリカ・インディアンの間に伝わる物語が、北欧の
神話や、ヨーロッパ中部の昔話や、アジアや太平洋に散在する島々の空想
物語と、かぎりない共通性をもつことは、わたしにとっては、興味のつきないこ
とである。イングランドの小妖精たちの特徴は、インディアンの「小人たち」に
見いだせるし、ヴァイキングの神々の巨大な所業は、インディアンのマニトゥー
とよばれる神々の、神秘な力と似かよっている。火、水、空、風は、かけはなれ
た世界じゅうの国々の神話で、相似の役割をもつ。古いアジアの竜は、アメリカ
に同類がいるし、素朴な人々が語る物語の中で、動物たちが人間そっくりにふ
るまうのも、世界共通である。記憶のかなたにある太古、大陸がわき腹を接し、
東と西を陸橋がつないでいたころには、もしかしたら、すべての人類の先祖一
族が、太古の樹の木陰にすわり、空想物語を、とめどもなく創りあっていたかも
しれない。太古の創り話から織りなされた物語が綾をなし、諸大陸を語り伝えら
れて、アメリカ・インディアンのウィグワムにまではこばれたかもしれない。 
ローレンス・F・ビヨルクンド(本書 はじめに より引用)

 
この文献の詳細ページへ「白い征服者との闘い」 
アメリカ・インディアン酋長レッド・フォックスの回想 
レッド・フォックス記述 キャッシュ・アシャー編集 
秋川一夫 訳 サイマル出版会 1971年 

既に絶版になってしまったこの文献の貴重さを上げるとするなら、まずウン
デッド・ニー
大虐殺に至までの経過を詳しく記述したものであろう。これは同じ
時代に生きたスー族の聖者ブラック・エルクの証言と同じ貴重な証言として、
その真実の姿を私たちに垣間見させてくれる。そして西洋文化の中で生きる
心の二重性に苦しみながら、インディアンである誇りを失わなず、自尊と幸福
とを手に入れるために注意深く見守らねばならないところの真実を探求して
きた魂の遍歴の物語である。「追記」 この文献の最も重要なウーンデッドニ
ーの虐殺の記述は1940年に出版された
ジェームス・マクレガーというインディ
アン研究家の本からの書き写しであることが判明し
ています。この情報は
北山耕平さんからいただきましたが、インディアンの文献の偽作の
研究書
「Cheating and deception」 J.Bowyer Bell, Barton Whaley に詳しく書かれて
いる
そうです。

コロンブスに大陸を「発見」されたばかりに、アメリカ・インディアンは、白人
移住者たちに虐殺され、土地を奪われ、居留地へと押しこめられてきた。
インディアンを野蛮人とみなすこと、それこそが、白人が自己の行為を正当
化できた唯一の方法であった。<輝けるアメリカ建国史>とは、白人征服者
たちによるアメリカ・インディアン迫害の血ぬられた歴史だったのである。
本書の著者、酋長レッド・フォックスは、1870年、スー族インディアンの天幕
小屋に生まれてから、一世紀におよぶ波瀾と忍苦の人生をおくってきた、
「失われゆく遺産」の歴史的証言者である。この回想録は、インディアン最後
の勝利となったカスター将軍=第七騎兵隊との戦い、武器を放棄した数百人
のインディアンが惨殺されたウーンデッド・ニーの大虐殺をはじめ、自ら体験し、
また叔父クレイジー・ホースから聞かされてきた幾つもの戦いと、大平原に創
られたインディアン独自の思想と文化について、インディアン自らがはじめて
語ったものである。酋長レッド・フォックスの数奇な生涯のモノローグで、白い
征服者との戦いの痛哭の抒情詩である本書は、インディアン復権の書、さら
には「アメリカ民主主義」への指弾の書でもある。(本書より引用)

 
 

「ハイアワサの歌」 
インディアン神話の英雄叙事詩 
H.W.ロングフェロー著 三宅一郎訳 
付録・Longfellow英文原詩 解題・横須賀孝弘 
白い人「ハイアワサ」荒このみ 
作品社

優雅で、洗練されたロングフェローの叙情詩「ハイアワサの歌」は文学的に
は非常に優れた名作として多くの人に読まれている。しかし、インディアン側か
ら見た場合それは「白人詩人が頭の中で編み出した架空の物語」であり、各
部族の伝説や文化を寄せ集めたものとしか評価できないかも知れない。特に
最後の章「ハイアワサの旅立ち」に出てくるが、同胞に対して「宣教師たちから
真実を学びなさい」と語っているところなど言語道断である。私は「インディアン
の伝記や物語」に関して、部外者の白人が架空の物語を創って発表し続けた
ことに対して抵抗を感じてしまうのも事実だ。この「ハイアワサの歌」もその中
の一つになるだろう。しかし、文学的にはこの叙情詩の中で紡ぎだされた言葉
は輝く世界を描き出しており、ドヴォルザークの交響曲「新世界」など多くの芸術
家に影響を与えてきたことも忘れてはいけないのかも知れない。


本書 帯文 より引用
『ハイアワサの歌』は、19世紀半ばに、北米インディアンのオジブワ族に伝わる
英雄
神話をもとに、アメリカの著名な詩人ロングフェローにおって書かれた長編
叙情詩で
ある。この詩は刊行後すぐさま反響を呼び、こえい触発されたボードレ
ールは詩『ハ
イアワサの幼年期』を書き、ドボルジャークは交響曲「新世界」を
作曲した。また、平
易で明快なため、アメリカでは今でも教科書の教材として用
いられているほどよく知
られ、名著の誉れ高い詩集である。ここには、豊かな
自然とともに暮らすインディアン
たちの様子と、勇壮な英雄の姿が生き生きと
描かれている。本書はその本邦初の完
訳である。


訳者解説・三宅一郎 (本書より引用)
『ハイアワサの歌』を読む人にとって、まず最初になによりも知っておいてもら
わねばならないことは、この叙情詩はロングフェローという詩人によって書か
れた文学作品であって、金田一京助博士の『ユーカラ』や知里真志保博士、
知里幸恵女史の一連のアイヌに伝わる民譚や神謡、リュンロットがフィンランド
のカレリ地方の民謡を採取編集した英雄叙情詩神話「カレワラ」のような、口碑
伝承の神話や伝説を言語で採集して翻訳したものではないということである。
こうしたものと『ハイアワサの歌』を混同してはならないし、そういう先入観をもっ
てはいけない。だから、こうした形の民譚などはないし、インディアンの言語で
書いたものも存在しないのである。

『ハイアワサの歌』は、作者が〈序の文〉で述べているように、北アメリカ先住民
のオジブワ族に伝わる英雄伝説神話をベースに彼らの生活ぶりなどを織り込
み、ハイアワサという主人公の名のみイロコイ族のものから採用した創作叙情
詩であり、『ハイアワサの歌』という神謡が存在してるわけではない。

それなのに、この作品がアメリカでベストセラーになって今日まで名作として扱
われ、その一部を教科書として使われたり児童書化されたりして、ほとんどの
アメリカ人は子供のころに何らかの形でハイアワサというインディアンの神話上
の英雄の話に接ている。そして、その名は少し気がきいた辞典にも載るように
なり(日本の英和辞典にも)、常識としての固有名詞になった。たいていのアメ
リカ人は、ハイアワサと言うと即座にはははんと解ってくれる。つまり、ハイアワ
サは、北米インディアンの代表的な神話の英雄になったのであるが、このこと
については後ほどもういちど述べるとして、その前に、とかく誤って考えられて
いる日本人のアメリカ・インディアン観について一言しておきたい。



 
この文献の詳細ページへ「スピリット・ソング」 
マリー・サマー・レイン著 
越宮照代訳 VOICE 

正直言ってこの本にはアボリジニーの精神文化を紹介したとされた「ミュータ
ント・メッセージ」
という偽書と同じ血が流れているのを感じてならない。勿論、こ
の判断はチペワ族、並びにその研究家たちの手に委ねられているので軽率に
私が判断することは出来ない。ただ本書はチベット密教、ダンテの「神曲」、エド
ガー・ケイシー、旧約聖書などから著者の都合のいい部分だけを抽出し完成さ
せた全くの創作物語ではないかと感じている。このような精神世界に関する文
献に関しては、その体験が真実か否かを立証することが難しい。カスタネダの
文献にしろそうであるのだろう。いずれにしろチペワ族の方たち、及び彼らの
精神文化に詳しい研究家の声を聴くことなしに、この本を真実と呼ぶことは出
来ないと感じている。

「コロラドの山中に一人住む老メディスン・ウーマン”ノー・アイ”との対話の
中で、”真実”とはなにかを、ユニークな方法で学んでいく著者のノンフィクシ
ョン・ノベル(本書より)」。このノー・アイから多くの知恵や未来の世界の姿を
見聞きしてきた著者の回想記。
(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「リトル・トリー」 
フォレスト・カーター著 和田穹男訳 めるくまーる 

「当初、”ぼくと祖父”というタイトルを予定されていた本書は、東チェロキーの
山中における祖父母との生活をつづった自伝的な回想録である。1930年代、
経済恐慌下の一生活記録として貴重だが、単にそれだけのものにとどまらず、
どんな時代のどんな人にも共感を与えうる人間的な記録に高められている。
万人の精神に語りかけ、魂の最深部に訴えかける力を持っているのである。」
(南イリノイ大学法学部長 レナード・ストリックランド)本書の「”リトル・トリー”を
分かち合う喜び」より引用。


金原瑞人(法政大学教授)さんの「リトル・トリー」に関する新聞記事
金原さんはインディアンの物語「アンパオ」「暁の星をおびて」などを訳され
ています。

朝日新聞 1992年1月12日

ちよっと変わった経歴を持った本だ。七六年に出版されてからまもなく絶版と
なり、八六年に復刊。その後、年々評価が高まり、ついに九一年十月にはニュ
ーヨーク・夕イムズでぺーパーバックのべス卜セラー第一位にランクされて、
売り上げ部数六十万部を突破したという。『リ卜ル・卜リー』はチェロキー・イン
ディアン作家フオレス卜・カー夕ーの自伝小説で、両親を失った五歳の少年
リトル・卜リーが、チェロキー族の祖父母に引き取られ、そこで様々なことを学
んでいく数年間を描いたものだ。アメリカ・インディアンの話というと、ケビン・コ
スナーの『ダンス・ウイズ・ウルブズ』を思い出す人もあるかもしれないが、内容
も雰囲気も、正反対だ。インディアンを思いきり美化して、物語をドラマティック
にセンチメン夕ルに盛り上げたコスナーの映画とは違って、ここでは山のなか
に暮らすチェロキー・インディアンの生活や、インディアンの目からみた白人社
会が淡々と描かれている。祖父といっしょにスイカや卜ウモロコシを植えたり、
魚をとったり、山七面鳥をわなでつかまえたり、ウイスキーの密造を手伝ったり、
キツネ狩りをしたり、ガラガラ蛇に襲われたり、白人のクリスチャンに小づかい
をだましとられたり、行商人のおじさんが珍しいものを持って訪ねてきたり、
そういった毎日がゆったりとした時の流れのなかで、ゆったりとつむがれていく。
悪役もいなければ英雄もいない。「夏は終わりを告げようとしていた。そのさま
は、末期を迎えた人が残り少ない日々をうとうとと眠って過ごすのに似ていた。
太陽はもう、ギラギラと命のたぎる白い光をまき散らさない。おぼろな黄金色の
光で午後の天地をかすませ、夏が息を引き取るのをうながしている」そんな
自然のなかで起こる出来事は楽しいときもあり、悲しいときもあるが、そのどれ
もが温かい光をたたえている。とくに、谷間に畑を作ろうとする貧しい白人一家
と、それを助けようとする兵士を描いた「夢と土くれ」という章がすばらしい。風
のささやきも、葉ずれの音も、鳥の鳴き声も、すべてが何かを語りかけている
ような気持ちにさせられる一冊。
(金原瑞人)


毎日新聞 1999年4月7日

私自身、金原瑞人さんのこの記事を読んではおりませんが、この記事を要約
したものを須賀廣さんがホームページに書いておられ、そこから引用させてい
ただきました。


1・フォレスト・カーターの本名は Asa Earl Carter (通称 Ace Carter) という
白人で,The Southerner という白人至上主義の雑誌を編集し,自らも記事を
書いている。

2・1970年代「The Education of Little Tree」を出版した時期にも,同時に
このThe Southernerを出版している。(このことは彼が「改心した」元人種差別
主義者という説を否定する)

3・カーターはチェロキー・インディアンの文化についてはほとんど無知で
ある。(このことは彼の作品を読めば明らか)

4・「リトル・トリー」を出版している the University of New Mexico Press が
相変わらずこの本を「自伝」としているのはおかしい。米国では第二次情報も
入手できるが,これが外国に翻訳されている現状では誤ったチェロキー・
インディアンの文化を紹介することになる。
(金原瑞人)
 
この文献の詳細ページへ「ジェロニモ」 
フォレスト・カーター著 和田穹男訳 めるくまーる

「リトル・トリー」の著者が描く、アパッチ・インディアン最後の戦士の戦いと
愛のの物語。1858年のある日、インディアン戦士達の留守中にアパッチ・
ベドンコーエ族はメキシコのスペイン兵に虐殺された。その中にはジェロニモ
の妻・母・三人の子供たちも含まれていた。ジェロニモは復讐を誓った。当時
のアパッチ族は白人による止まることを知らない卑劣な侵略や虐殺、法と
協定の無視に絶体絶命の窮地に追い込まれていたが、戦略家として卓越し
ていたジェロニモは、最後のアパッチ戦士として戦いを挑む。

同じ著者による「リトル・トリー」を参照されたし


 

 


未読の文献

各文献の前のをクリックすると表紙・目次並びに引用文が出ます。

 

この文献の詳細ページへ「オールド・マン・ハットの息子」
あるナバホ・インディアンの回想
ウォルター・ダイク記録 猪熊博行訳 新思索社

わたしがなぜこのような言葉で解説を始めたかというと、現在出回っている
多くのインディアン本、特に字を持たず、英語を話せなかった彼らの伝記や
箴言集が、どこまで事実を伝えているのかという疑問を感じていたからである。
そういう不安の中で本書の原本を「Soul of Old Man Hat」を手にしたとき、初
めて「これは本物だ」と確信したのだ。わたしは三年半にわたって、ナバホ族
立大学ディッネ・カレッジで「ナバホ学」を学んだが、その時期、先生方からこ
の本を読むよう強く勧められ、副教材にも指定された。相当厚い本なので、
暇を見つけては、アパートの庭やスーパーマーケットのベンチで読みふけった。
するとそばを通ったナバホがニコニコして近づいてきては、「その本いいだろう。
おれも読んだよ」などと声をかけてきた。本書の原典は、アメリカの文化人類学
のクラスで副読本として広く使われているが、そればかりではなく、古き良き
時代に思いを巡らせるナバホの人々のベストセラーでもあったのだ。ナバホの
人々は、この本に対して、なでてやりたいようないとおしさを持っているのだ。
(本書 訳者の解説及びあとがき より引用)

 
この文献の詳細ページへ「アメリカ先住民の日々 バッファローが疾駆した世界」 
エルシー・クルーズ・パーソンズ 編著 神徳昭甫 訳 三重大学出版局


(本書 訳者あとがき より引用)
「はじめに」や「序文」でも明らかにされている通り、本書はアメリカ先住民に
ついて書かれた、いわゆる「学術論文集」ではない。「絵本や伝記風の読み物
に」という編集者エルシー・クルーズ・パーソンズの企画に応じて、アメリカの
著名な人類学者たちが、それぞれの研究分野であり、フィールドワークの対象
にしている特定の部族について書き下ろし寄稿した「物語集」なのである。その
意味で、八つの地域ごとに分類された23部族についての「逸話」類は、事実とい
う制約を離れることを許されない、堅苦しい「論文」集ではなく、ある程度はその
拘束を脱して、想像力を加味することもまた、作者の自由な裁量に任される、い
わゆる「小説」や「ロマンス」の領域に属する本と言ってもよいであろう。一人の
主人公(実在の人物とは限らない)を設定し、彼(もしくは彼女)の内面の描写を
通して彼らが体験する外的な事件や背景を、浮かび上がらせていく手法は明ら
かに「小説的」なものであるからだ。しかしながら、描かれたその事件の一つ一
つは、紛れもなく実際に起こった「事実」、もしくは事実に近い出来事である。従っ
て本書に収められたこれら27の逸話類は、いわば「史実」に基づく「歴史小説」で
あっても、決して根も葉もない架空の物語ではないのだ。

(中略)
原著が初めて世に出た1922年においては事態は完全に終息し、すべての先住
民はかつての広大な土地を奪われ、保留区に拘束された不自由な生活を余儀
なくされていた。従ってここに描かれたせ界とは既にその時点においても、遠い
「過去」に属する風景であり、もはや目にすることの叶わぬ、「往時」の懐かしい
光景なのである。その意味で本書は、かつては大平原を疾駆するバッファロー
の大群や、雪原を移動するカリブーの集団を追って、広大な大陸を縦横に駆け
巡った先住民に捧げられた「讃歌」であり、失われた彼らの栄光の歴史を今に
甦らそうとして建立された「記念碑」とも言えるだろう。

 
  この文献の詳細ページへ「死ぬには良い日だ オジブエ族の戦士と奇跡」
デニス・バンクス リチャード・アードス著
石川史江&越川威夫 訳 三五館



本書アリス・ウォーカー(カラーパープルの著者)が見たデニス・バンクス
(以下本書より引用)

刑の宣告から2、30年が経過し、目を覆いたくなるような悲劇をも含んだ
驚異の物語である彼の自伝(本書)が出版されました。デニスは本書で、私
たちが理想への信念を失わずにいれば、ある種の癒しの現象が必ず起こる
ということを人々に示唆しています。実際、私たちの祖先の魂は再び蘇るこ
とができました。私は本書を数ヶ月間吟味し、私にとって最も重要なメッセー
ジとは何かを考えました。そして出た結論は、私たちは自分たちに起こってい
る状況を直感する能力を取り戻さなければならないということです。こういった
本能を、私たちは完全に失ってしまったように思えます。


デニスがアメリカン・インディアン・ムーブメントとともに歩んだ精神的な道こそ、
その生命力に違いありません。彼がそれを発見したのです。瞑想、スウェット・
ロッジ、サンダンス、祈りの儀式で、私たちは自分たちの感情や知性を研ぎ
澄ませることができるのです。ネイティブ・アメリカンの生存のための闘いは、
現実のものです。ゲームなどでは決してありません。クリストファー・コロンブス
がこの大陸に到着して以来、終わることのない闘いでした。インディアンの苦労
を知ったからといって、暗い気持ちになる必要はありません。実際私は、アフリ
カ系アメリカ人、ネイティブ・アメリカン、ヨーロッパ系(イギリス諸島)の血筋を引
いていますが、それを考えると子どもじみた好奇心でわくわくします。


どうしてこんな普通でない、混ざり合いのドラマが起こったのでしょう? いった
いアメリカ人とは誰なのでしょう? 私という小さな存在は、どのように国の歴史
と繋がっているのでしょう? もちろんその中には多くの悲劇も存在するのでしょ
うが・・・・。それに私がよく感じる、とてつもなく大きな愛の感覚は何なのでしょう? 
この愛の感覚は私の祖先の「愛」から来ているに違いありません。彼らはあらゆ
る事柄に抵抗してきた人々でした。特に政府と教会に対する対抗には力強いも
のがありました。私たちの祖先は子孫を、はるか彼方の銀河系や星々を包み込
む「ワンネス」の世界へ、宇宙と一体であるという調和のとれた愛の世界に導くた
めに闘ってきたのです。たぶん私たちは、コロンブスが言ったように、今もなお、
寛大で親切、かつ誇り高い民族なのでしょう。でも、一時的に私たちの本能で
ある直感力を失ってしまっているのです。


私たちの祖先のように、命の素晴らしさを讃えることは必要なことです。すでに
たくさんのものが奪われてしまいましたが、まだ驚嘆すべきものは残っています。
宇宙と結びつく喜び、はなはだしい暴力と直面したときの平常心です。昨今、私
たちを征服した者たちは、その征服の過程ですべてを失ってしまったことをはっ
きりと認識しはじめています。だから彼らにコンプレックスを感じる必要はまった
くないのです。私の父の言うように、世界中のネイティブは母なる大地を大事にし
て、いつか大地に回帰します。母なる大地は、私たちの心の奥底にあり、決して
大地を離れることはありません。もちろん、そんなことも夢にも見さえしないのです。

2008年 春 ハワイ・モロカイにて アリス・ウォーカー

  

「聖なる魂」デニス・バンクス/森田ゆり共著 朝日文庫を参照されたし

 
 「クレイジー・ホース」 
ラッセル・フリードマン著 ぬくみ ちほ訳 パロル舎

オレゴン街道を西へ、幌馬車が長い列をつくって旅をしはじめたころ、少年
はまだ村の中を裸足で無邪気に駆けまわっていた。村の人々は、勇敢な部族
テトン・スーに属する人々だ。アメリカ合衆国には、どの部族よりも大きくて一度
として戦いに負けたことのない先住民、スー族が残っていた。彼らは広大な
平原にどんどん領土を広げつつあった。大きくまっ黒なバッファローの群を
追いながら、邪魔する部族がいれば戦い、その土地を手に入れていった。
ところが、のちにクレイジー・ホースと呼ばれるその少年が大人になるころ、
スーの人々は、自由を求めてもがき苦しむようになっていった。彼らが暮らす
土地は、続々とやってくる白い肌の侵略者たちに取り囲まれていく。狩猟の
土地と伝統の暮らしを守るため、スーの人々は戦いに明け暮れるようになる。
(本書 より抜粋引用)

 
 「儀式」
レスリー・M・シルコウ著 荒このみ訳 講談社文芸文庫

「儀式」の舞台となるのは第二次世界大戦の後、ラグーナ・プエブロ族に
住むニュー・メキシコ州の地域です。主人公のテイヨと伯母さんや伯父さん、
おばあちゃんたちの家族に、戦争へ一緒に参加したインディアンの若者た
ちが登場します。若者たちはテイヨのように戦争後遺症にかかってはいな
いかもしれませんが、アメリカ社会への順応がうまくできません。軍隊に入
って初めて白人の世界を体験した部族の若者が、戦争が終わってから行
き場をなくして悩む。もはや白人世界ではインディアンを必要としていないし、
部族社会の暮らしにはかれらが満足しなくなっているのです。このような
状況は現実にあったことでした。主人公は白人の病院でも治療を受けます
が、いつまでも治りません。白人の医師は主人公も故郷の家族のもとへ戻
します。そして主人公は部族に伝わるメディスン・マンの治療の儀式を通して
ようやく未来へ向かって立ち直っていくのです。物語の流れはこのように
説明できるでしょう。物語は蜘蛛の女チチナコの登場で始まります。「思う女」
であるチチナコが話を語りはじめるのです。蜘蛛の女は作者シルコウといっ
てもいいでしょう。そうやって部族の女たちは物語を語り継いできたのです。
出来事を言葉にしてきたのです。言葉にしながら語り手と聞き手と登場人物
は心の平安を得たり、豊かな気持ちになっていきます。作者シルコウは主人
公テイヨのメディスン・ウーマンでもあるのです。物語のなかのメディスン・マン
は砂絵を描きながらテイヨを導きましたが、「言葉の織姫」シルコウの呪術は
言葉です。言葉という霊の力がテイヨの治癒を成しとげるのです。
(本書 解説より引用)

 

「あるインディアンの自伝」 
北米ウィネバゴ族の生活と文化 
ポール・ラディン著 滝川秀子訳 原ひろ子解説 思索社

この本について 原ひろ子 
この本は、ミシガン湖の西岸、ミルウォーキーの北方、グリーン・ベイの南方
に住むウィネバゴ族の男性の自叙伝を、民俗学者ポール・ラディンが編集し、
細かく解説を加えたものである。この自叙伝の著者(S.B氏)の年齢は詳ら
かでないが、19世紀後半に生まれた人のように思われ、この自叙伝を執筆
した1910年代にはすでに中年に達していたようだ。(中略) ラディンによる
本書の「はじめに」にも記されているように、この本にさきがけて、彼は、一人
の傑出したウィネバゴ族の男の自叙伝を刊行し、米国の学界で好評を得た。
これに続き、その傑出した人物の義弟にあたるS.B氏の自叙伝を手がけて、
この本が作られた。S.B氏は、優れた猟師で、歌う声のきれいな人物であっ
たようだが、多くの伝記や自叙伝の主人公となる酋長たちのような特別のリー
ダーシップを示したりもせず、極端に風変わりな芸術家でもなく、どちらかと
いえば凡人であったらしい。人生のさまざまな場面で、バランス感覚十分な
判断を下し、時には大真面目にずっこける。ともあれ、この自叙伝に見られる
描写力には舌をまかずにはいられない。ウィネバゴ族の文化や生活をご存知
ない読者にも、その時その時の情景が目に浮かぶように描かれている。
(本書より引用)

 
 

「明日はどの道を行こう」 
インディアン少女 サカジャウィア物語 
ジュディス・セントジョージ著 杉本恵理子訳 グリーンアロー出版社

19世紀初め、アメリカ合衆国大統領トマス・ジェファーソンに命を受けた
「ルイスとクラーク探検隊」は、未開の地、西部に向けて旅立った。探検隊
に通訳兼ガイドとして同行したのがインディアンの娘、サカジャウィアだった。
彼女はわずか16歳、しかも出発する前に産みおとした小さな赤ん坊を背負
っていた。しかし、たぐいまれな能力を持つ少女は、つらいときにも決してくじ
けず、生きる知恵をたくさん身につけていた。おかげで探検隊は、飢えをしの
ぎ、インディアンの薬で病を癒し、彼女の通訳で馬を手に入れ、数々の困難を
乗りこえることができた。年月にして2年半、距離にして8千キロにもおよぶ
奇跡の旅を成功させた、伝説のヒロイン・サカジャウィアの物語 
(本書・帯文より引用)

 

「白いインディアン」 
ジェイムズ・ヒューストン著 工藤政司訳 株式会社サンリオ

17歳の白人の娘サラは、侵入してきたアブナキ・インディアンの一隊によっ
てニューハンプシャーの農園から連れ去られてしまう。それにつづくカナダへ
向けての地獄のような強行軍と奴隷生活で、サラはいくたびか死に直面する。
植民地時代のアメリカ・ニューイングランドを舞台にしたこの作品は、フレンチ
=インディアン戦争の渦中に巻きこまれた一人の娘の恐ろしい体験を生々と
伝えてくれるものである。そしてなによりも、森の伝説、見慣れぬ風習、過酷な
自然への呪術と知恵にとらわれた野生の男たちとともに暮らすうちにサラには、
それでも美しいとさえいえる人間性が浮き彫りになってくる。この愛と憎しみの
物語は、生きのびることと、自由という滅びることのない人間の渇望の証言で
あると同時に、類まれな、おぞましくも輝かしい歴史の再現ともなっている。
(本書より引用)

 
 「ポッツヌが生きた世界」 
プエブロの女性インディアン・アーティスト 
ジーン・シューツ&ジル・メリック著 飯野朝世訳 めるくまーる

インディアンは木や動物、そして岩の形ひとつにも美を見出して、
神聖なものとして守ろうとします。人間が生きる糧とする植物や動物、そし
てそれらをお創りになった神様に、絶えず感謝しています。私たちの部族は、
千里一望の地に住んでいます。部族の人々は、大地や天空のさまざまな
自然現象をもとに、生き方、信仰、儀式などすべてを培ってきました。だか
ら、ダンスも歌も、詩も装飾のデザインも、みんなそういう自然現象や文化
事象を表すことで創作してきました。・・・・(中略)・・・・人間は神に対して常
に感謝し、自分たち人間が生き長らえるのに植物や動物の命を頂くことに
対して常に感謝しなければいけません。生命維持に欠かせない水も天頂や
天底から頂くのですから。空からは雪、霜、雨が降り、地中から泉や井戸水
が湧き出ます。空から降ってくるものは方角に関係しています。雪は北から、
大雨はヘメズ山脈の西方からやってきます。雨も霧も稲光も雲も、ダンス
や歌詞や装飾の重要なテーマです。雲は儀式に登場する雨の神々と同じ
です。このように、あらゆる自然の様相や力を崇拝する気持ちが美術品を
生み出してきました。    
(本書より引用)

 
 「輝く星」 
ホピ・インディアンの少年の物語 
ジョアン・プライス著 北山耕平訳 地湧社

「自分の理解できないものを好きな人間などどこにもおらん」
ジョアン・プライスの書いた「輝く星」という小説には、深く印象に残る言葉が、
夜空の星のようにいくつもちりばめられている。とりわけわたしにとって忘れ
られない言葉は、ここに引用したメディスンマンの老人の言葉である。世界
が憎しみと暴力にあふれているとき、いちばんたりないものが「理解」である
からだ。相手の存在にたいする理解、文化にたいする理解、生き方にたい
する理解。そうしたものの欠如がひとびとを導く先は、想像するにおぞましい
世界である。小説「輝く星」は、プエブロと呼ばれる北米大陸南西部の沙漠
に暮らす農耕の民の世界と物理的精神的に深くかかわりを持つひとりの
アメリカ人女性によって書かれた。彼女はアリゾナに生まれ、その赤い大地
を愛して育ち、その土地で生きる人たちの精神を理解している。われわれは
この本をつうじて、次の世代に、暴力に頼ることなく、世界を愛し、受けいれ
るための伝統的な知恵を学ぶことができるだろう。
(本書 訳者あとがき より抜粋引用)

 
「スピリット島の少女 オジブウェー族の一家の物語」 
ルイーズ・アードリック作 宮木陽子訳 福音館書店 

訳者あとがき 本書より引用
アメリカの開拓時代の一家を描いた名作に、『大きな森の小さな家』シリーズ
がありますが、ここにまたひとつ、ひとりの少女の目をとおして、同時代の一
家を描いたすばらしい作品が登場したのを、たいへんうれしく思います。
『スピリット島の少女」は、「全米図書賞」のファイナリスト、「親が選ぶ最優秀
作品賞」、「パブリッシャーズ・ウィークリーの年間最優秀作品賞」、「ジェーン
・アダムズ・オーナー賞」など、十三の賞を受賞した作品です。この物語の
主人公、オマーカヤズはアメリカの先住民で、『大きな森の小さな家』の主人
公、ローラと同じく、明るくて活発で、心やさしい少女です。どちらの作品も、
ときには、きびしい自然と戦いながら、またときには、自然の豊かさ、温かさ、
恵みに感謝しながら生きていく人々の姿が、ほんとうにみごとに映しだされ
ています。『大きな森の小さな家』は、著者のローラ・インガルス・ワイルダー
が、六十五歳のときに少女時代をふりかえって描いた作品です。一方、この
物語は著者のルイーズ・アードリックがお母さんや妹といっしょに、祖先の
歴史をたどって描いた作品だといいます。時代は1847年、場所は北アメリカ
五大湖のひとつ、スペリオル湖にあるモーニングワネーカニングという島です。
現在この島はマデリン島といわれています。このあたりで暮らす先住民は、
オジブウェー族といわれる部族です。
 
 

「インディアン・キラー」 
シャーマン・アレクシー著 金原瑞人訳 東京創元社

本書のタイトル「インディアン・キラー」にはふたつの意味がある。白人を
殺して頭皮を剥ぎ、フクロウの羽根を残していく殺人者とインディアンを殺す
者だ。(中略) 読者はこのインディアン・キラーが意味するものが反転する
瞬間に衝撃をおぼえ、世界に対する覚醒に導かれることだろう。そこには、
長いあいだ虐げられてきたうえに、以前とは別の図式のなかでインディアン
を裏切ろうとするアメリカ社会に対する、アレクシーの激しい怒りと深い絶望
感が刻み込まれているからだ。
(解説 大場正明 より抜粋引用)

 
 

「二人の小さな野蛮人」 
アーネスト・T・シートン著 中山理訳 秀英書房

白人の物質文明を否定して、自然と調和して暮らすインディアンの生活に
あこがれる、ヤンとサムの二人の少年。二人はカナダの奥地、サンガーの
農場の森でキャンプ生活を送り、自然の中で暮らすインディアンの知恵を学
びとっていく。自分たちの手で、住まいのティピーを建て、生活に必要な道具
を作り、数々の冒険をとおして、何ごとをも恐れず、努力してなしとげることの
喜びを知り、自分の価値と可能性を発見する。野生の動植物への深い関心、
インディアンの生活と文化への共感、知識にたいする激しい渇き、森や野で
冒険と自然の探求にあけくれる日々、父親の反対にもかかわらず博物学を
自分の将来の職業に選んだ固い決意。主人公の一人ヤンは、まさに若き
シートンの姿そのもので、本書は博物学者シートンを形づくった少年時代の
出来事と真剣な思索をいきいきと伝える、感銘深い作品である。
(本書・帯文より引用)

 
 

「エイプリル・レイントゥリーを探して 
   カナダ先住民系姉妹の歩んだ道」
 
ビアトリス・カルトン・モジニェー著 真壁知子、佐藤和代 訳 明石書店

ネイティブの子どもの成長過程・・・・親元とコミュニティから引き離され、
遠方の学校の寄宿舎や里親の下で母国語を失い、生来の文化からも
切り離されて成長した・・・・も本書で語られている重要な問題点だろう。
成長過程がネイティブのアイデンティティの形成にもたらしたインパクト
を問題として投げかけている点は、見逃せないところだ。語られるスト
ーリーの中で、ネイティブの現実に起こっている問題のほとんどすべて
に証拠、証言が成長過程と関連されて描き出されている・・・・病気、
貧困、家庭崩壊、里親制度、アルコール依存症、犯罪、レイプ、家庭
内暴力、買春、自殺、そして人種差別。これらの問題を主人公・・・・
6歳になったばかりの子どもから、成人して結婚、そして離婚するまで
・・・・を通して、一人のメイティス女性が個人的に経験した現実のなか
で考察され記述され、著者だけが作り出せるストーリーを生んでいる。
(本書 解説 より抜粋引用)

 
 

「野菜畑のインディアン」 
バーバラ キングソルヴァー著 真野明裕訳 早川書房

この奇妙な青春のストーリーは、わたしが貧しく希望のない町をオンボロ
車に乗って逃げ出したことから始まった。オクラホマのチェロキー・ネーショ
ンを通過中、インディアンの少女が近づいてきて、頼みもしないのに車の
座席に小さな子供を置いていった。わたしの身体にしがみつこうとするばか
りで、声も出せず、体じゅうに生々しいあざがあった。しかもその子は、女の
子だったのだ。突然ころがりこんだインディアンの子供を連れたまま、わたし
はアリゾナのとある町にたどりつく。そこにはまた、乳呑児をかかえ夫に捨
てられた女や、暗い過去をまとうグアテマラからの亡命者夫妻がいた。それ
ぞれの痛みや悲しみにとまどい、途方に暮れながらも、わたしはその町で
生活の糧を得て、傷だらけの子供の閉ざされた心に光をあてようと試みる
のだが・・・・やがて、子供の心にさらに傷を負わせる事件が起こった。へら
ず口を叩きつつひたむきに生きる若い女主人公と、いたいけなインディアン
の女の子との心の交流を描く感動作! 
(本書より引用)

 
 

「水の国を見た少年」 
マイケル・ドリス 著 中村融 訳 新潮社

訳者あとがき 本書より抜粋引用
先住民の若者が、思春期特有の問題に悩んだり、迷ったりしながら成長
していく姿を、美しい大自然をバックに描いたもの・・・・とまとめてしまえ
ば、これまでの二作「朝の少女」(新潮文庫)、「森の少年」(新潮社)と同
じだが、本書には前二作と大きくちがう点がひとつある。前二作が、あり
ふれた日常生活に起きるちょっとした事件をスケッチ風に描いていたの
に対し、本書は通過儀礼を真正面からとりあげ、波瀾万丈の冒険物語を
展開している点だ。

 

「カナダの森で ビーバーとインディアンの少女」 
グレイ・アウル 作 吉田健正 訳 伊藤美貴 絵 星の環会

人間は、毛皮が欲しいばかりに、手あたりしだいに動物を殺していく。
これでいいのか。グレイ・アウルは、これまで自分自身のしてきたことが
なさけなくなってきました。グレイ・アウルは、残された二匹の赤ちゃん
ビーバーを見て、もう動物を殺すのはやめよう、と強く心にちかいました。
これからは、一生涯、森の動物たちを守る仕事を続けよう、そう決心しま
した。二匹の赤ちゃんビーバーは、グレイ・アウルが、小屋につれて行っ
て、育てました。育ててみると、ビーバーがまるで人間のように思われて、
動物に対する愛情がますます深まってくるのでした。グレイ・アウルは、
こうしてビーバーのことを書くようになったのです。この物語に出てくる
チカニーとチラウィーは、グレイ・アウルが助けたあの赤ちゃんビーバー
たちに、きっとちがいありません。
 (著者紹介 グレイ・アウル 吉田健正 本書より引用)

 
 

「ウォッキニ 幸せへの内なる旅」 
ニコラス・スパークス&ビリー・ミルズ著 加藤諦三訳 大和書房

ネイティブ・アメリカンの生きる知恵 訳者まえがき 加藤諦三 
(本書より引用)
これはデーヴィッドというネイティブ・アメリカンの少年が、父親から与えられ
た一枚の絵巻から幸せと人生の意味を学ぶ寓話である。読者は、この少年
と一緒にネイティブ・アメリカンに古くから伝わる幸せと人生の意味を、巻物
を通して学ぶことができる。その巻物には七枚の絵が並んでいる。父親は
落ち込んだ少年に、そこにはお前がどうすれば幸せになれるかが描かれて
いるという。これはその絵の意味するところを学ぶための少年の旅の物語
である。そして少年は、ネイティブ・アメリカンの伝説そのままの小屋のある
場所を訪れる。その丘に住む男から幸せになる方法を教わる。これは、幸
せになるためのすべての知恵を教えてくれる絵巻物、つまり、ネイティブ・ア
メリカンの幸せになるための教えである。幸せになることが、この絵巻を読
む目的である。この本は、幸せになるためのネイティブ・アメリカンの秘訣を
書いた本である。この本を読めば、多くの人は努力の仕方を間違えなけれ
れば、幸せになれるということが分かるだろう。この本には、一見目新しいこ
とが書かれていないように思えるかもしれないが、人が生きていく上で本当
に大切なことが書かれている。一行一行じっくりと読むに値するネイティブ・
アメリカンの生きる知恵である。ネイティブ・アメリカンでない私たちも、丘に
住むこの人生の師から幸せになる教えを学びたい。

 
 

「翼 cry for the moon」 
村山由佳 著 集英社

内容(「BOOK」データベースより)父の自殺、学校での苛め、母には徹底的
に拒まれて…。N.Y.大学の学生、篠崎真冬は心に深い傷を抱えて生きてきた。
恋人、ラリーの幼い息子ティムも、実の母親から虐待を受けて育った子供
だった。自分の居場所を求めて模索し幸せを掴みかけたその時、真冬にさら
なる過酷な運命が襲いかかる。舞台は広大なアリゾナの地へ。傷ついた魂は
再び羽ばたくことができるのか。自由と再生を求める感動長編。

 

「夢を編む」

グレッグ・サリス著 澤西康史訳 中央アート出版社

 
   「ポカホンタス」
スーザン・ドネル著 池田真紀子 訳 竹書房文庫

本書 著者まえがき より引用 
私は、日々の暮らしや世界中を飛び回る生活に忙殺され、何年もの間ポカ
ホンタスのことを忘れていた。そんなころ、私が深く愛したバージニアの実家
が火事で焼けてしまい、いろいろな事情から建て直すことができなかった。
私の一族は、250年にわたってその土地で暮らしてきた。当時、私はイギリ
スに住んでいたが、ひどく打ちのめされたような気がした。急いで自分の
バックグラウンドを再確認しなくてはならないという衝動にとらわれた。いま、
自分のバックグラウンド、すなわち家族の歴史を何冊かの本にまとめようと
思っている。私は机に向かうと、歴史にその名を残すパウアタン族の王女に
ついて書き始めた。私から数えて14代前、直系の先祖であるこの王女に
ついて。

本書 訳者あとがき より引用 
本書の著者スーザン・ドネルは、ポカホンタス直系の子孫である。子孫が
書いたからといって、数あるポカホンタス物語の中で本書こそが真実の姿
であるとは断言できないことは承知している。それでも、ポカホンタスの
純粋で偏見のない美しい心と、愛のためにはときには残酷な行為も辞さな
かった彼女の暗黒面との両面を、これほどリアルに見事に描ききった作品
はなかったのではないか。これまで、ともすれば過剰に美化されて伝えら
れきたポカホンタス。それを考えると、私は、本書こそが「もっとも真実に
近い」ポカホンタス物語なのではな
いかと確信している。
 
   「白い羽の王女 ポカホンタス」
マリ・ヘインズ作 高橋芳江 訳 中村悦子 画

本書 はじめに より引用
たくさんのイギリス人の手紙や日記にこまごまとした出来事が書いてあっ
たため、ポカホンタスについてはおどろくほどいろいろなことがわかって
います。この本の物語は、歴史の事実に基づいています。創作してつけ
加えた部分では、1600年代前半のアルゴンキン族の王女であるポカホン
タスが実際に生活し、活動した様子を描きだすようにしてみました。ウォ
ルト・ディズニーの映画「ポカホンタス」には、この若い少女について今ま
で知られていたのとちがう魅力がふんだんに盛り込まれています。けれ
ども、脚色するまでもなく、実際の話のほうがはるかに冒険と勇気にあふ
れ、意味深いものです。若くこの世を去ったポカホンタスの冒険の物語は
多くの本に残されています。ジェームズタウンに行ったこと、イギリスへ旅
したことなども記録されています。この本では、ポカホンタスのそうした旅
の中でもっとも大きな意味をもつ、心の旅に重点をおいています。

本書 この本を読んでくださったあなたに より引用
いわゆる「西部開拓」という歴史のなかで、アメリカ先住民は次々に征服
され、滅ぼされていったのです。いまでも、テレビや映画の題材にされる
ことを見ても、この歴史がいかにアメリカ大陸に大きな意味のあることで
あるかが、想像できます。このような悲劇を思うにつけ、ポカホンタスの
存在がどんなに大切な意味をもっているか、改めて痛感させられます。
いまは、原始林のなかで敵を待ち伏せするというような恐れを経験する
ことはめったにないでしょう。また、自分の土地でないところに侵略に
よってはいりこむということもないでしょう。しかし、たがいに敵対する
関係は絶えません。人間同士や団体、国の間にも、疑惑と敵対心が
なくなることはありません。ポカホンタスの心をもつ少年、少女が求め
られているのです。愛によって、目に見えないものをも信じる勇気をもつ
心の持ち主が。
 
   「ポカホンタス」
和栗隆史 著 講談社

本書 「追記 ヴァージニア後日譚」より引用

自分たちが吸う分だけのタバコを作っていたパウアタンの人々は、はじめ
ロルフのことを無駄なことをする人だと笑っていたが、しまいには彼らはそ
のロルフによってパウアタンの森から追い払われることになってしまった
のだ。レベッカを思いレベッカのためにタバコ畑に力を注いだロルフは、
気がつくといつの間にか彼女の故郷パウアタンの森を荒らしていた。さら
に彼はアメリカ大陸で最初に黒人奴隷を使った農園主として名を残すこと
になった。広がる一方のタバコ農園は常に人手不足に悩まされていたの
だが、1619年8月20日、オランダの商船から黒人20人を購入し奴隷労働
者とした。それがアメリカにおける黒人奴隷の始まりである。

ロルフから娘の死を聞かされたパウアタン首長は、レベッカが死んだその
翌年に亡くなり、弟オペカンカノが後を継いだ。そのオペカンカノは、植民
地につぎつぎと船がやってきて白い人々が増え、ロルフがパウアタンの
森を奪っていくことに堪えきれず、ついに1622年、パウアタンの戦力を
結集して植民地と農園を襲いイギリス人350人を殺害した。この紛争で
ヴァージニアの名士は帰らぬ人となった。彼がレベッカの忘れ形見トマス
に会うことは、ロンドンで別れて以来二度となかったのである。

オペカンカノの急襲に激怒したヴァージニアのイギリス人たちは、国際法
に反したパウアタンの人々を皆殺しにしろと口々に叫び、無差別に彼らを
殺害し、村々に火を放った。飢えて苦しんだときに助けてくれたあのパウ
アタンの人々の命とパウアタンの森を奪っていった。パウアタンの人々は、
絶滅寸前のジェイムズタウンを救い、食料を与え、パウアタンの大地で生
きる術を伝え、タバコの栽培を教え、そしてその見返りに白い人々の銃弾
を浴びて死んでいった。やがてポカホンタスの故郷パウアタンの森は消え、
パウアタン部族連合は滅びた。

ロルフとレベッカの一人息子トマスは成人するまでロンドンで育ち、父の死
後その遺志を継ぐために初めてヴァージニアに渡り、農園を成功させた。
そしてイギリス人女性と結婚。その子供たちがランドルフ家、ボリングス家
などヴァージニアの著名な家系につながっていった。レベッカの血、ポカホ
ンタスの血は、今もアメリカに脈々と流れ続けているのである。

ジョン・スミスは、ヴァージニアとポカホンタスの記憶を『ヴァージニアに起き
た注目すべき出来事』『ヴァージニア総史』といった著作にまとめた。アメリ
カに関する最初の記録文学ともいえる彼の一連の著作が、イギリスの新大
陸への関心をさらに高め、歴史的な植民船メイフラワー号を送り出すことに
なった。1631年6月、ジョン・スミスは生涯独身のままポカホンタスの思い出
を抱いてこの世を去った。

 
   「ポカホンタスの秘密」
「ポカホンタス」研究会 データハウス

本書 「はじめに」 より抜粋引用
学校の世界史の教科書にポカホンタスに関する記述はないけれど、実は
ポカホンタスのおかげで今日の世界があると言ってもいいほど歴史的に
彼女の果たした役割がとてつもなく大きいものだったことに気付かされる。
恐らくその存在を知ってしまったら、もう二度と忘れることができないだろう。
ひょっとしたら試験にだって出るかもしれない。そこで、ポカホンタスを誰よ
りも愛し研究する私たち「ポカホンタス研究会」は、ディズニー版『ポカホン
タス』とそして講談社版「ポカホンタス』に隠れたさまざまなメッセージや謎
を読み解き、どどーんと発表しようと思う。実は、そこにはとてつもなく大き
な「生きる知恵」なるものも隠されていたのだ。
(中略)
おそらく『ポカホンタス』とう実在の人物を知ってしまったなら、彼女が生き
たヴァージニアを訪ねてみたくなる人が大勢いると思う。そんな方々にとっ
て本書は、世界で唯一、そして世界で初めての「ポカホンタスを訪ねる旅
のツアーガイド」である。あなたはそこで、あなたの中のポカホンタスに
出会うことになる。さあそれでは、ポカホンタスをめぐる旅に出かけること
にしよう。


未購入(新刊も含む)の文献

    

   







Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)


アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)に関する文献

夜明けの詩(厚木市からの光景)

アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)

美に共鳴しあう生命

ホピの預言(予言)

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