「コヨーテ老人とともに」

アメリカインディアンの旅物語

ジェイム・デ・アングロ作・画

山尾三省訳 福音館書店








この文献は1953年に出版されたもので、著者は40年もの間インディアンと生活を

共にしてきた白人である。言語学者や人類学者としてインディアンの社会に入って

いった著者はやがてテキストや論文などから摘み取った科学的理論を投げ捨て、

インディアンのものの考え方や宗教的なものに強くひかれるようになっていきます。

この文献に描かれているのは、動物たちがまるで人間のように語り旅をする物語

です。そこにはまた著者が接してきたインディアンたちの普段着の姿が見えてきま

すし、このありのままのインディアンが読者を不思議な物語世界へと誘います。

(K.K)


訳者の山尾三省氏は現在屋久島に住んでおりましたが、2001年8月28日、

屋久島にて亡くなりました。著作として「アニミズムという希望」「リグ・ヴェーダ

の智慧 アニミズムの深化のために」、訳書として「ラマナ・マハリシの教え」

どがあります。






そうなるとあなたは、原始的な考え方に関して大変興味のある多くの事柄を見いだす

ことになるでしょう。彼らの中に住んで、樫の木の下に大の字に寝ころがり、雲やアリ

の行列をながめ、あるいは枯れた松の枝に鷹がとまっているのをながめておしゃべり

をします。あなたたちがあれこれとおしゃべりをしてみると、相手はなんたる嘘つきか

とも思います。二人の老人が、だれが世界を作ったかについて議論を始めるかと思

うと、ひとりの若者は、自分のモーターや電気の火花についての知識とインディアンの

薬や宗教の理念とを符合させようとつとめます。しばらくたつとあなたは、彼らのわけ

のわからない言葉の中に陥っている自分を見いだし、さらに彼らの考え方の内に入っ

てしまっている自分を見いだします。そうなった時に、あなたは自分が出発点にいる

のだということがわかるのです。あなたは、自分がひとりの白人であることを忘れて

はおらず、科学者でもあるらしい。あなたは、自分が自分とゲームをして遊んでいる

のではないかといぶかります。自分自身にわけを説明しようとします。子ども時代に

舞い戻ってしまったのではないかといぶかり、物語世界の不思議な時間、妖精や

奇跡、驚くべき事物に出会う時に戻ってしまったのではないかといぶかります。そし

て、やがてあなたは、動物たちが人間であったころの、もうひとつの物語に耳をか

たむけるようになるでしょう。 (本書・著者あとがき より)







本文の中にも出てくるが、動物たちと人が同じものだということについて、著者とワイルド・ビル

という名のインディアンの会話がノートにはまた記されている。


「ビル、ひとつだけ聞かせてくれ。世界がそこにできて、そこにはたくさんの動物たちが住んで

いたけど、まだそこにはヒトはいなかった・・・・・・・」

「ヒトがいないってどういう意味だい?動物たちはヒトじゃないのか?」

「そう、そうだけど・・・」

「彼らはインディアンじゃないさ。だけど彼らはヒトなんだ。彼らは生きていて・・・・・・・じゃ聞く

が、動物ってのはどういう意味なんだ?」

「うーん・・・・・・・ピットリバーの言葉で、動物のことを何て言うんだい?」

「おら、知らねえ」

「でも、あえて言えばどんな言い方になる?」

「うーん・・・・・・・よくわからないけど、言ってみれば、世界をおおっているもの、すべての生き

ているもの・・・・・・・動物っていう言葉の意味はそんな感じだよ、ドック」

「どうしてそれが動物なのかよくわからないな、ビル。それはヒトの意味でもあるだろう? ヒト

は生きている。そうじゃないかい?」

「そのとおりさ! おれが言っているのはそのことだよ。すべてのものは生きてるんだ。岩だっ

て、あんたが座っているベンチだって、みんな、な。すべてのものは生きている。それがわれ

われインディアンの信じていることなんだ。白人たちは、すべては死んでいると考えるがね・・」

「聞いてくれよ、ビル。ヒトってものは、じゃあ一体どういう意味をあらわすんだい?」

「わからないよ・・・・・・・ただそれだけのものだよ。感じでね」

「ぼくはそれはインディアンのことだと思っていた」

「インディアンだけがヒトで、おれたちみんなヒトじゃないって言うのか?」

「白人たちもふくめてね!」

「白人なんて地獄も同然さ! おれたちはああいうのはごろつきって呼ぶんだ。ごろつき以外

の何者でもない。奴らは、すべての者が生きているんだってことを信じていない。奴らは自分

自身死んでるんだ。ああいうのは、おれはヒトとは呼ばない。奴らはかっこうはいいさ。だけど

何にもわかっちゃいないんだ」


白人にとって手厳しい言葉であるが、コロンブスの大陸「発見」以来、平和に住んでいた土地

を奪われ、文化を奪われ、民族そのものが絶滅に面するほどに虐殺されつづけてきたインデ

ィアンの人たちからすれが、それは当然の感覚ということになるだろう。それはさておき、ここ

に語られている「すべての生きている者はヒトであり、動物たちのみならず岩もベンチも生きて

いるからにはヒトである」という思想は、ただインディアンの世界においてのみ意味があるもの

だと僕には思えない。人間を万物の霊長の位置におき、万物の霊長であるからには、世界を

どのように作り変えてもよいのだという考え方が、西欧文明の基本的なものの考え方の内に

はある。人間は「考える葦」であるという、よく知られた言葉を残したフランスの哲学者パスカル

は、同時にまた次のような言葉を残している。「人間は神とともにいると幸福になるが、神ととも

にいないで自然とともにいると悲惨になる」 この言葉が奇しくも示しているように、自然を排除

し、自然を征服し、そこに人間の理性と便利と幸福の王国を築いてゆくことが、西欧文明の基

本理念であった。現在その文明はひとつの頂点にたっし、その最大最深の欠陥が自然環境の

破壊にあることが明らかになってきた。西欧の合理主義文明は、もう一度その根底から自然観

を見直さねばならぬ時に来ている。アメリカインディアンの世界観が、唯一正しいものだなどと

は思わないが、「すべての生きているものはヒトであり、岩もベンチも生きている」という世界観

は、僕たちがこれから南北ともに作ってゆかねばならないはずの新しい文明にとって、根本的

に大切なものだと思う。幼児たちはそのことをよく知っている。わが家にも二歳半と一歳の幼

児がいるが、二人にとって山のサルはサルというヒトであるし、川にいるオタマジャクシは、オタ

マジャクシというヒトに違いない。ぬいぐるみのクマは生きているし、オニの仮面も生きている。

その感覚を、幼児のものとして低く見たり価値のないものと見なすことは容易であるが、それで

は彼らは低い生のレベルを生きており、彼らの生には幼児としての価値しかないのかといえ

ば、そんなことが元よりあるわけはない。幼児たちの目や手振り足振りが、そして心が、おと

なたちの十倍も輝き、躍動していることは誰でもが知っていることである。この地上にあるも

のすべてがヒトである、というインディアンの世界観は、この地球は力ある人間のものである

という世界観を暗黙の内に退けている。世界は力あるもののものでもあるが、力のないもの

のものでもある。生きもののものでもあるが、無生物のものでもある。このような世界観は、

じつは彼らと同じ人種に属する僕たち日本人にとっては受け入れやすいものである。東洋

人である日本人の伝統は、半ば以上は西欧化されているにもかかわらず、まだインディアン

の人たちと共感し合える自然観、世界観を保ちつづけているので、例えばコヨーテが世界を

作ったと聞いても、さほど奇異は感じないですむ。コヨーテは世界を作った創造者であるが、

それと同時に嘘つきの道化者でもあるというのが面白い。尊敬もされるが、馬鹿にもされる

生のあり方というのは、生のひとつの深いリアリティであると僕は感じる。

(本書・訳者あとがきより)



目次

旅だち

夜明けの歌

タカ族の二人の長老

火打ち石族

コヨーテじいさん

イタチが世界に火をつけた時

ウズラ模様編み

二人のクマ

ムクドリ

二人のカイツブリ

鹿の頭のおとりの話

エリカナーとエリフティキの話

もう一度カイツブリに会う

治療

影をとりもどす

カモシカ族の人たち

ヤマアラシとコヨーテの競争

鹿狩り

イモリの治療師

新しい世界の火

死者の郷

医呪師(メディスン・マン)の歌

世界はどのようにして作られたか

家を建てる

成人の儀式

ツィスナム

冬をすごす

ふたたびの旅だち

若者たち

南からのコヨーテ

チョ・ジョ・ジョ

エピローグ


著者あとがき

訳者あとがき







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