「アニミズムという希望」

講演録・琉球大学の五日間

山尾三省著 野草社 より引用










アニミズムについて 本書より引用


今日から五日間、一日に90分を三コマですから、4時間半ずつ五日間お話をするわけ

ですが、通しのテーマとしては、アニミズムということを頭に入れてというか、胸に置いて

考えていてください。アニミズムという言葉は、ご存知の方もたくさんいらっしゃると思うん

ですけれども、アニマという言葉がその源なんですね。ラテン語のアニマ(anima)。アニマ

というラテン語の意味は、生命あるいは命、あるいは精霊、霊魂。霊魂という意味がいち

ばん強いかもしれません。自然の万物の内には、このアニマが宿っている、精霊あるい

は霊魂が宿っているという考え方がアニミズムというものなんですね。ですから、宗教的

に見れば、宗教のいちばん最初、そもそもの始まりというのは、アニミズムから出てくる。

アニミズムからやや展開してシャーマニズムになる。この琉球地域の風土の中で、現在

でも力を持っているノロやユタと呼ばれる方達の存在は一般的にいえばシャーマニズム

という範疇に入るんだろうと思うんでけれども、そのシャーマニズムに発展して、その後

でやがてユダヤ教徒かキリスト教とかイスラム教とか仏教であるという、いわゆる民族的

な世界的な大宗教に発展してきたというのが、従来の発達宗教史観なんです。宗教も

また発達していくという見方だったわけです。ですけど、これはもう文明全般にしてもそう

ですけども、何かが発展する、進歩するのが万全の価値であるという考え方というのは、

最近はあまりはやらなくなってきましたね。はやらないといったらおかしいですけれども、

ぼくは進歩が善であるというふうにあまり考えてないんです。特に今世紀の後半以降、

哲学的には実存主義や構造主義がはやりだしましたが、そのような立場に立ってみる

と、たとえばぼくが現在住み、暮らしている屋久島という島があって、そこにある種の文

化・文明があるわけですが、その文化・文明とたとえばヨーロッパやアメリカという文化・

文明とではどちらが優れているかということを考えるのは、あまり意味のないことです。

ミクロネシアなりメラネシアなりの島の文化が、ヨーロッパの文化に比べて劣っていると

いう見方をするのが発達文明史観ですが、そういう文明史観に対して反省が起こって、

どのような文化あるいは文明も、価値としては同じなんだという考え方が一般的になって

きたと思います。70年代以降は、それが世界の思想の主流になってきているわけです

けれども、宗教観においてもそれは同じです。ですから仏教であるとかキリスト教である

とかイスラム教、そういういわゆる大宗教がもっとも進んだ宗教で、シャーマニズムのよう

な、あるいはこれから展開していくアニミズムというような宗教はいちばん遅れた、つまり

もっとも劣った宗教形態であるという考え方は、もう進歩主義学者達の過去の幻想にな

りつつあるんです。


いずれにしても、アニマというひとつの概念、精霊、命、霊魂、そういうものをテーマにして、

これから五日間の話をしていきたいと思っております。それにはいろんな理由があるんです

けれども、ひとつには、日本の神道というのはアニミズムというものに立脚している宗教で

す。日本の神道については、またお話する機会があると思いますけれども、沖縄あるいは

奄美、屋久島を含めて、いわゆる南西諸島と呼ばれている風土にいちばん息づいている宗

教といいますか、宗教と呼ぶのが嫌いであれば、息づいている生活形態、文化といいます

か、それはアニミズムというものに基づいているとするのが、適当ではないかと思うからな

んです。(中略) ぼくはお隣の鹿児島県の屋久島という島に住んでいますが、その島は杉

が大変よく知られています。原生林に入っていって、天然の巨大な杉があちこちに見られる

奥岳に行けば、ただそれだけで、何かあるもの、を与えてもらえます。何ともいえないいい気

持ちといいますか、深い気持ちといいますか、力感といいますか、そういうものを与えられま

す。そういうことが日本および世界のどこの地域に行っても、それぞれの風土に無限に秘め

られているわけです。そういう事物が世界には無限に存在しているんですね。それを森羅

万象といいます。森羅万象の中には、生命として、精霊として、霊魂としてのアニマが宿って

います。そういう原初心性としての感受性をアニミズムというんですね。森羅万象のうちには

アニマが宿っているという考え方をアニミズムといいます。


もうひとつアニマという言葉に関していいますと、これはユング(1875〜1961)の心理学、

ユングという人は深層心理学、あるいは潜在意識界からの心理学という分野を探った人で

すけども、この人が提出した重要なコンセプトの中に、アニマという言葉とアニムス(animus)

という言葉の二つがあります。これは二十世紀の出来事ですから、そんなに昔のことではな

いんですが、ユングの心理学においては、男性の潜在意識のうちに宿っている女性的なも

のへの憧憬の原理をアニマと呼びます。一方で女性の潜在意識のうちに宿っている男性的

なものへの憧憬の原理をアニムスといいます。アニマとアニムスは、両性の意識の潜在場所

にあって、現代でいえばDNAレベルの基層にあって、生命の展開を祈願しているんですね。

アニマという言葉の中には、そういう意味もあります。原初的には、精霊、命、霊魂という意味

ですけども、二十世紀に入ってユングがアニマないしはアニムスという概念を付け加えたこと

によって、その言葉の意味がかなり膨らんできたということですね。


ついでに言いますと、もう皆さんはアニメーションで育った世代ですから、何らかの意味でアニメ

の影響を受けていると思います。このアニメーションというのはもちろんこのアニマから来ていま

すね。たくさんの絵のコマをつないで生きているがごとくに画像を構成するわけですから、アニメ

ーションというのは、生命なり霊魂を付与された画面ですね。ですから、アニメーション世代の

皆さんは、アニマというものと深いところでつながっているともいえます。現代に再生されたアニマ

の世界、それが宮崎駿さんに象徴されるアニメーションという方法論なのだと思います。ぼくも

宮崎駿さんのように映像としてアニマの世界をお伝えできるとよいのですが、自分としては詩を

読むという方法、方法といいますか詩を読むという行為において、それをお伝えしていこうと思っ

ています。今日の資料として、お手元に配ってあるのが三篇ですけでも、他にもたくさん詩を読

ませていただきます。そしてその詩の解説をしたり背景を探ったりしながら、アニミズムという話

を進めていこうと思っています。

(本書 第一話 土というカミ より引用)


 
 


目次

第一話 土というカミ

アニミズムについて

歌の起源

神を求めて泣きなさい

土というカミ


第二話 山に向かって

まことの光

唯識哲学

聖老人


第三話 小(くう)さ 愛(かな)さ

「部族」

小さ 愛さ

火を焚きなさい

生命地域主義


第四話 家族について

流域の思想

個人的な願い

家族について

大工という夢


第五話 新しい自然神話

生きることの意味

新しい自然神話


第六話 私は誰か

心を以って心に伝える

自分の住む場所

地獄は一定住みかぞかし

太陽と水に祈る

私は誰か


第七話 存在するものの智慧

自我と自己

存在するものの智慧

土の道

「春と修羅」


第八話 ユウナの花

農民芸術概論綱要

地霊の呼吸

地域の地質学

原郷の道

「雨ニモマケズ」


第九話 水というカミ

水が流れている

水を原理としたタレス

科学と宗教


第十話 ついの栖

生涯の仕事に出会う

小林一茶のアニミズム

「故郷性存在」


第十一話 「出来事」というカミ

二十四節気七十二侯

不生不滅

「出来事」というカミ

踊り


第十二話 静かな心

ブラフマン

カミの語源

縄文の火

火を原理としたヘラクレイトス


第十三話 びろう葉帽子の下で

ヨーガの五つの道

国と郷

縄文杉への道


第十四話 回帰する時間

親和力

アイ・キン・イー

直進する時間と回帰する時間


第十五話 日月燈明如来

石になる、樹になる

海如来

日月燈明如来

新しい時代への道


あとがき



訳者の山尾三省氏は現在屋久島に住んでおりましたが、2001年8月28日、屋久島に

て亡くなりました。著作として「コヨーテ老人とともに アメリカインディアンの旅物語」

「ラマナ・マハリシの教え」「リグ・ヴェーダの智慧 アニミズムの深化のために」など

があります。




2012年8月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



過ちと回心



回心すること、新しく生まれ変わること、その真の意味を私は本当に理解できているの

だろうか。



私たちは先住民に対して、太古の時代から自然と環境に調和する人々と捉えているが、

1万3000年前のアメリカ大陸では現代の私たちがしてきたことと同じように、乱獲などで

31属の大型草食動物が絶滅されたと言われている。



これはアメリカ先住民に限らず、オーストラリアのアボリジニ(最近の研究で明らかに

なりつつある)など世界各地に共通することかも知れない。



過去と現代、同じ過ちを犯していたとしても、彼ら先住民と私たち現代人の決定的な

違いは、過去から学んだ「知の遺産の継承」(国立科学博物館の海部陽介氏が提唱し

ている進化の仮説)、この場合は「回心の継承」とも言うべきものがあるかどうかなの

かも知れない。



先住民は、過去の過ちから学んだ教訓、それが回心となって魂に刻まれたが故に、

1万年以上も渡って世代から世代へと受け継がれてきたのではないだろうか。



私たち現代人は、動植物の絶滅と共に戦争など多くの悲劇を目の当たりにしてきた

が、果してそこから得られた、揺らぐことのない教訓が1万年先の人類にまで共有さ

れたものになっていくのだろうか。またそこに回心と呼べるものが存在しているのだ

ろうか。



ホモ・サピエンス(現生人類)は1万3000年前に一時陸続きになったベーリング海峡

を渡ってアメリカ大陸に来たとされているが、アメリカ先住民の多くはそれを否定し、

「自分たちは天地創造の時に亀の島(アメリカ大陸)に置かれた」と主張している。



ミトコンドリアなどの遺伝子解析から見れば在り得ないことだが、真に回心し、新しく

生まれ変わったことを体感した人ならば「今、私たちは生まれ変わり、そして今、私

たちはここに立つ」と言えるのだと思う。



この回心、それはシャーマニズムアニミズムとも関わってくるが、私自身はシャー

マニズム・アニミズムは1万3000年前より遥か太古の時代に生まれたと思っている

し、その背景にはネアンデルタール人などの旧人と言われた人の存在があったの

ではと感じている。細々と、しかし脈々と受け継がれてきた精神が1万3000年前に

多くの人々に共有され花開いたのかも知れない。



話はそれてしまったが、回心、1万3000年前の現生人類が体感したこと、それは私

が想像するより遥か高い次元での回心であったと感じてならないし、次の世代へ

継承させるために、私たちはこの回心の真の意味を心に感じることから始めなけ

ればいけないのかも知れない。



(K.K)



 







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