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アイヌ&奄美・沖縄





知里幸恵 「アイヌ神謡集」岩波文庫より引用

大正十一年三月一日



その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。  

天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく

生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであっ

たでしょう。



冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせ

ず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白

い?の歌を友に木の葉の様な小舟を浮かべてひねもす魚を漁り、花咲く

春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀る小鳥と共に歌い暮らして蕗

(ふき)とり蓬(よもぎ)摘み、紅葉の秋は野分に稲揃うすすきをわけて、

宵まで鮭とる篝(かがり)も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円(まど)

かな月に夢を結び、嗚呼なんという楽しい生活でしょう。



平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転

をなし、山野は村に、村は町に次第々々に開けてゆく。



太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に山辺に嬉々

として暮らしていた多くの民の行方も亦いずこ。僅かに残る私たちの

同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり、しかもその

眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の

輝きは失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わか

ず、よその御慈悲にすがらねばならぬ。



あさましい姿、おお亡びゆくもの・・・・・・それは今の私たちの名、なんと

いう悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。



時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残

の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強

いものが出て来たら、進みゆく世と歩を並べる日も、やがては来ましょう。

それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座います。 



けれど・・・・・・愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通じる為に

用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらの

ものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょう

か。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。



アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇ある

毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな

話の一つ二つを拙い筆に書連ねました。



私たちを知って下さる多くの方に読んでいただくこと事が出来ますならば、

私は、私たちの同族先祖と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に

存じます。



 



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「銀のしずく」館(知里幸恵記念館)(仮称)建設に向けて

知里幸恵(青空文庫)


 
 


私が18歳のとき、一人で北海道各地を旅したことがあり、阿寒湖の近くだったかアイヌが

住む近くのお土産やで興味半分に「ここはアイヌの人が住んでいるんですか?」と中年の

女性の店員に聞いたことがある。その女性が半ば警戒したような様々な感情が入り混じっ

た眼で一瞬私を睨んだような気がした。私はこの時初めて自分がアイヌに関して何も知ら

ず、そして彼らが辿ってきた歴史に何か隠されたものがあると感じ、そんな軽はずみな質

問をした自分を恥ずかしく思った。それから月日が流れアメリカ先住民インディアンの言葉

にひかれるようになったのだが、何故か日本の先住民族、アイヌや奄美・沖縄の人たちの

ことを積極的に知ろうとはしなかった。


奄美は幼少の頃育ててくれた土地だし、あの時のアイヌの女性の眼は時々私の脳裏を

かすめていたのだが。遠くの国のインディアンの悲惨な歴史や精神性に関心を持ち、世界

各地の先住民のことを知る途上で、アメリカと全く同じ差別的な政策が日本に移入されアイ

を苦しめていた事実を初めて知った自分。無知とはなんと恐ろしいことだろう。自分の足元

でインディアンと同じ歴史が繰り広げられ、その豊穣な精神性が過去の記憶になりつつ

あった。私たちの祖先やその隣人がアイヌの人たちにどのようなひどい仕打ちをしてきた

か。私自身の足元で行なわれていた迫害、遠い国のアメリカのインディアンたちが受け続

けてきた迫害の歴史が、この日本でも行なわれていたという事実。「美しい国、日本」「単

一民族、日本」、冗談ではない。何が美しいのか? 伝統文化、宗教をことごとく破壊し、強

制移住させてきた日本人の何処が美しいのだろう。言葉や文化、宗教が違う先住民族が

おりながら、日本は単一民族と言い張る下劣な人間が何故いるのだろう。


確かに国家権力と結びつく前の原始神道の価値観は、アイヌ、奄美・沖縄と共通した多く

のものがあり、それが現代も生き続けてきたことは唯一日本の救いなのだが、その反面、

その母体であるアイヌの全てを破壊してきたのも日本人であることを私たちはどのように

感じるべきなのだろうか。


この「アイヌ&奄美・沖縄の言葉と文献」をインディアンの項目に置きます。インディアン

や先住民に関心を寄せる人が、日本の先住民にも眼を向けて欲しいと願うからです。

まだまだ未熟な項目ですが、少しずつ充実していければと思っています。

(K.K)


「アイヌの宗教や世界観は、日本文化の根底をなしている宗教や世界観であり、それ

を読む人は、自らの魂と思想の根底を見る思いがするにちがいない。アイヌ文化研究

は、日本文化研究のもっとも重大な要点であり、全ての日本人に関わりをもっている

のである。」  梅原猛・・・・「アイヌ、神々と生きる人々」藤村久和著より引用





「脳科学が解き明かす 善と悪」なぜ虐殺は起きるのか ナショナルジオグラフィック
を参照されたし






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アイヌ&奄美・沖縄の声

アイヌ川村シンリツ・エオリパック・アイヌの言葉
アイヌ萱野茂(萱野茂アイヌ記念館館長)の言葉
アイヌ小田イトの言葉「妹、障害をもった和人のもらい子」


アイヌ&奄美・沖縄の文献


「アイヌ神謡集」知里幸恵 アイヌが置かれた苦境の中で、重い心臓病をもつ19歳のアイヌの
少女が命を懸けて美しい記憶の言葉を残した名著。
「ユタ」の黄金言葉 沖縄・奄美のシャーマン(ユタ)たちが語る貴重な神の声
日本の深層
縄文・蝦夷文化を探る
差別されてきた蝦夷・アイヌこそ日本の深層であることを探る
火の神の懐にて 古老を通して語られるアイヌの祈りと慈愛に満ちた豊かな世界観
すべてを明日の糧として 詩人でもあり絵本作家でもある著者の、アイヌとして生きる自覚と再生
アイヌ 母(ハポ)のうた
 伊賀ふで詩集
少女時代の美しい世界から引き離された一人の女性の魂の詩集
アイヌ・モシリの風 母から受け継いだアイヌ文様刺繍への想いと出会いの旅
日本人の魂の現郷 沖縄久高島  「母神」を守護神とする古代人の魂が継承されてきた久高島、この
 島の祭祀の多層な場面を30年近く記録してきた貴重な文献。  
写真集 世界の先住民族
 危機にたつ人びと
先住民族と呼ばれる方たちの血と涙に満ちた魂の悲痛な叫び
先住民族
 地球環境の危機を語る
世界各地の先住民族の言葉一つ一つにほとばしる生命の輝き
炎の馬 アイヌの伝承世界に息づく豊穣な魂を綴った民話と神話集
アイヌ学の夜明け アイヌの古老や研究者との対談から人類のあるべき姿が見える
知里幸恵「アイヌ神謡集」への道 知里幸恵、神謡集の魅力を各界で活躍する33人の人々が熱く語る
アイヌの碑 アイヌ民族の文化伝承に生涯を捧げている著者の自叙伝
21世紀に残したい沖縄の民話 沖縄各地から聴取した七万話から選ばれた次の世代への贈り物
奄美 神々とともに暮らす島 奄美の神々と共に生きる美しい自然の姿を収めた写真集。
奄美 二十世紀の記録 
シマの暮らし、忘れえぬ日々
1959年から2000年までおよそ四十年にわたる奄美群島の記録写真集
沖縄の宇宙像 古老から聞いた死と誕生、引導渡し、生贄、厄除けなどを語りつくす
沖縄文化論 忘れられた日本 画家・岡本太郎が沖縄に日本のあるべき姿を見い出そうとする名著
夜明けへの道 新大陸発見から続く残酷な歴史を世界各地の先住民が語る
アイヌの昔話  昔話の世界には、遥か昔からの先祖たちの伝言が込められている。 
神女(シャーマン)誕生
徳之島に生まれた祝女の記録
シャーマンとして生きる覚悟、そこに至るまでの心の苦悩と葛藤。
アイヌ、神々と生きる人々 アイヌの精神世界を、誕生、成長、老から死へと再現し紹介する
アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ
 伝承の知恵の記録
アイヌに継承されてきた一人の女性による産婆術、治療のための
 特殊な掌、薬草、整体手法、シャーマンの技量をその言葉と共に紹介
「アイヌの霊の世界」 偏見と誤謬に満ちたアイヌの信仰こそ日本文化の基層を支えている
奄美学 その地平と彼方(未読) 奄美の人が奄美を認識し自己を規定していく奄美学、その意味を問う 
アニミズムという希望(未読) 屋久島において生涯を終えた山尾三省による大学での講義録。
図説 世界の先住民族(未読) 世界各地の先住民族の叡智を130点を超える写真・図版で紹介
サルウンクル物語
 アイヌ民族シリーズ
祖父が遺したウパシクマ(言い伝え)、著書の文集をまとめた物語
アイヌのイタクタクサ
 言葉の清め草(未読)
アイヌの生き方や知恵・神話を、言霊を守り続けてきた萱野茂が語る
「アイヌの星」 アイヌに伝わる星にまつわる伝承を記録した貴重な文献
 


「甦る縄文の思想」梅原猛・中上健次 有学書林 より以下抜粋引用



このような視点で日本文化をみるとき、縄文文化こそは日本の深層文化あるいは基層文化であり、その深層

文化あるいは基層文化の上に、それから以後の文化、弥生文化、古墳文化、律令文化、王朝文化、武家文化

などがのっかっていて、後世の文化は深くこの深層あるいは基層にある縄文文化の影響を受けているという

ことにならざるを得ない。



とすれば、アイヌ文化や東北文化が従来とはまったく違った視野のもとに見えてくるのである。それらの文化は、

わが日本文化の深層にある縄文文化の名残りを最も強く残す文化であるということになる。



縄文文化が最も純粋に残存する文化はアイヌ文化であると思われるが、不幸なことに日本人は明治以降、

アイヌを日本人とまったく血のつながりのない人種とみなして、アイヌ文化を日本文化とまったく異質な文化

とし、そのような未開の文化を一掃して、アイヌに一般の日本人並みの文化を享受させることがアイヌにとって

最もよいことだと信じてきた。そのために、北海道開発の名のもとに、アイヌ文化を全体として消滅させること

に政策の重点が置かれたのである。百年にわたるこの誤った政策によって、アイヌ文化は絶滅に瀕している。

アイヌ語を話し、アイヌの神事を行うアイヌは、七、八十代の古老を除いて、ほとんどいなくなってしまったので

ある。私はこのことを、近代日本が行った最大の文化的蛮行の一つであったと思う。しかも、そのことについて、

日本人はまったく罪の意識をもっていないのである。アイヌを原始的生活状態から救うという名目で、日本人は

自己の基層文化を、最も明確にとどめている大切な文化を、自らの手で葬ってしまったのである。




美に共鳴しあう生命





 


既読の文献
各文献の前のをクリックすると表紙・目次並びに引用文が出ます。

 

この文献の詳細ページへ 「アイヌ神謡集」
 知里幸恵 編訳 岩波文庫


これ程に悲しみを湛えた序文を、そして文字通り命をかけて成し遂げたかった
アイヌに伝わる伝承物語の中に息づくアイヌの豊穣な精神性を見て心を揺さぶ
られてしまった。大正時代に出版されたこの文献は、アイヌの人にとって自己の
アイヌとしての基盤を世に認めさせた最初の文献であったが、それでもアイヌへ
の差別はその後も続いていくこととなる。アイヌの悲惨な歴史の中で知里幸恵は、
幼少の頃の美しい思い出を糧に、その精神性をこの文献を通して語り継ぐ使命
を感じていたのだろう。「アイヌとして生きる」そして生きた知里幸恵のこの文献は
私の心の中でいつまでも消えることの無い熱い炎を燃やすだろう。

「銀のしずく」館(知里幸恵記念館)(仮称)建設に向けて
知里幸恵(青空文庫)

 
 
 

この文献の詳細ページへ 「火の神の懐にて」 
ある古老が語ったアイヌのコスモロジー 
松居友 著 小田イト 語り 洋泉社


アイヌの古老、小田イトさんの素朴な語り、その深い慈愛と祈りに満ちた
世界観という気泡が、深い泉の底から静かに浮かびあがり、いつしか私の
心に弾んでいた。このアイヌ並びに先住民族の方々の視点なくして、どの
ように未来を語れるというのだろう。私たちの遥か太古に刻まれた記憶を
呼び戻すこと、それは自分自身が何者であるかを知る旅であり、未来へ
の礎であることを改めて教えてくれるものである。そして昔から語り継がれ
てきた伝説や神話が、どれほど深く子供の心を豊かに育んできたのかを
思い知らされてしまう。本書がまた優れている点は、児童文学の世界に長
い間関わってきた著者ならではの暖かい語り口と、スエデンボルグなどと
対比しながら展開する奥深さにもあるのだと感じられてならない。

北海道を終いの住処ときめた著者が、ひとりのアイヌの古老とじっくり膝
をまじえ、話を聞いた。その古老の語ることばや生き方のなんと黄金のよう
にきらめいていることか。死と葬儀と引導渡し、臨死体験と死後霊、鮭の霊
送り、熊送り、一匹の蝿も神になるなど、神々と人間の交歓を描いて、アイヌ
の精神文化と豊かな世界に私どもを誘ってくれる。(本書 帯文より)

私は、イトばあちゃんのなかにきらめくミクロコスモスをできるかぎり忠実
にマクロコスモスの中でとらえ、多くの人々に共感し理解していただくために、
だれにでもわかる描写で再現するために最大限の努力をしたつもりです。
この作品の目的は、あくまでもこのイトさんの言葉からあふれる事実をふま
え、その言葉のなかにコンカニ(黄金)のようにきらめくコスモロジーをできる
だけ浮き上がらせて描写することであり、大上段にかまえてアイヌ文化とは
何かを解説するものではありません。ですからこの作品は、いわゆるアイヌ
文化研究者による調査報告とは異なります。アイヌ文化のような偉大な精神
文化は、記録として博物館や図書館の片隅に保存されることも必要ですが、
新たな時代の思想として復活されることこそが必要であると思うのです。
(本書 まえがきより)

 
 
 

この文献の詳細ページへ 「ユタ」の黄金言葉 
沖縄・奄美のシャーマンがおろす神の声 
西村仁美 著 東邦出版


シャーマニズム、これは人類最古の宗教的あるいは医学的、心理的なもの
の源泉であるが、それをどのように自分の中に構築しようとも、摩訶不思議な
神秘的な次元に立っており、それに近づくことさえ出来ないのを感じる。また
シャーマニズムが持つ特性として、ある一つの教義に縛られることがないため、
それぞれの土地の風土や、そこに生きる人々の集合体としての意識(無意識
を含む)の指向性により、多種多様な形のシャーマニズムが世界各地で存在
してきた。しかし、形は異なるにせよシャーマンは自然の神々と人間を結ぶ架
け橋であり、それを通して、人々は霊的な教えに触れ、心と体を癒されてきた。
「ユタの黄金言葉」という、沖縄・奄美のユタ(シャーマン)11名の言葉を集め
たこの文献に登場するユタの多くが女性であり、その召命は自ら選んだもの
や世襲制ではなく、文字通り神の召しだしによって選ばれた特性を持つ人た
ちである。このようなシャーマンとしての特性は、世界中においても、奄美
沖縄にしか見られないものかも知れない。ユタは自然の神々や亡くなったた
祖先を実際に見たり、それらの声を聞いたりすることが出来る。そして心や
体の悩みをもって相談に来る人に対して、語りかける霊の声を代弁し助言す
るのである。この行為は悩んで苦しんでいたりする人を助けることであり、
相談者の心をあるべき方向への導くものである。しかし、現代においてたとえ
召しだしを受けても、ユタの道が険しいものであるため、その声に素直に従う
人は少ない。実際この本で紹介されている11人のユタの殆どが「なりたくて
ユタになったのではない。出来るならなりたくなかった」と述懐している。
シャーマニズム、かつて世界中のシャーマンは多くの迫害を受けながらも
現代に生き残ってきた。昔NHKでも特集された著名なシャーマン、パブロ・
アマリンゴ
は言う。「よい呪術師にとって重要な三つの要素は、まず第一に
謙虚なこと、そして愛があること、それから高い霊性を持っていることだ。
呪術師は学ぶための謙虚さ、悦びをもたらすための愛、よりよく生きるた
めの霊性を備えなければならない。さらに、勇気があって強くなくてはいけな
い」。奄美・沖縄ユタの言葉を聞いていると、紹介された11名全てのユタがこ
の3つの要素を持っていることに気づく。そして私たちもその視点を持って
生きていくことを求められているのだろう。そこにこそシャーマンが私たちに
伝えたい真実があるのではないだろうか。

 
 
  この文献の詳細ページへ 「アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ 
    伝承の知恵の記録」
 
     青木愛子 述 長井博 記録 樹心社

青木愛子さん(1914年3月10日〜1995年10月24日)は、古代から継承されてきた
産婆術だけに留まらず、診察・治療のための特殊な手、そしてウエインカラ(何で
も見える千里眼)を通してシャーマン的な役割を担ってきた方である。愛子さんの
ウエインカラは、初対面の人と対座した時だけでなく、電話の相手でもその人の
過去と未来がわかる特殊な力を持っていた。それは相手の血液の赤血球や白血
球の流れがまるで顕微鏡を見ているように見えることも意味していた。

愛子さんの産婆術に関しては本書に詳しく書かれているが、驚くべきことは5代目
の愛子さんに継承されたこの秘伝は1756年(宝暦6年)フィリピンのパギオシティー、
イゴロット族の聖地アシュラムから始まっていることである。この初代の産婆さん
の名前は天静一(テンシンイチ)と言うが、その出身地など不明である。そしてこの
男性がアイヌに来て結婚し、産婆や子育ての技術、薬草等の治療術を生かしなが
ら、夫婦で北海道各地のアイヌコタン(村)を巡回したという。

この南の島からの秘伝と聞くと、ハワイ先住民の呪術師(カフナ)たちが行ってい
た秘術
として知られている「ホ・オポノポノ」とアイヌには何か共通点があるのかも
知れない。ハワイ先住民のカフナは、エジプトのピラミッド文明時代、国内情勢が
悪化したため、最高の宝(呪術の秘法)を守るためエジプトを脱出し祖国(ポリネ
シア)に辿り着いた民だという説がある。

またこの説では、カフナ12部族のうち10部族がインド洋経由で各地に秘術を植え
付けたが、祖国帰還の途中で日本にも渡り、古神道の呪術の基礎を据えたとい
うのである。時代は異なると思うが、イスラエルの12部族のうち失われた10部族
を考えると、この数字はただの偶然なのか、それとも何か意味を持っているのだ
ろうか。

私自身1980年頃かつてマルコス政権下のフィリピンのスラム街など、同級生や
シスター達とフィリピンに行ったことがあるが、その旅行中にパギオにも立ち寄っ
たことがあり、パギオの近くだったか記憶があやふやだが、森に住む先住民の
方にも会ったことを思い出す。その時は経済開発の名の下に住む場所を奪わ
れていく先住民の現状を見ただけだった。

話は随分それてしまったが、青木愛子さんの後を受け継いだ長井博さん、そして
長井さんの次女へと途絶えることなく継承されていることに感慨深いものを感じて
ならない。

(K.K)



赤ちゃんは喜びながら生まれてくる

青木愛子はアイヌコタンに代々続いた産婆の家に生まれ、古代から継承されて
来た産婆術(イコインカル)、診察、治療のための特殊な掌(テケイヌ)、薬草(ク
スリ)、整体手法、あるいはシャーマンとしての技量(ウエインカラツス)をも駆使
(ウエポタラ)して、地域住民の心身健康の守り役、相談役として活躍した。

本書は十年にわたって愛子の施療の実際を見て、その言葉の一つ一つを丹念
に記録した、アイヌの信仰と文化の実態に迫る伝承の知恵の書。
(本書・帯文より引用)



見えないはずのものが見える
死者の霊が見える。例えば愛子の親しい友人が交通事故で死亡した。死亡して
から四十九日の間は、その友人の霊が愛子の処に遊びに来るのが見えて、対話
する。愛子にとっては日常的なことなので恐ろしいという気持ちは起きない。四十
九日が来ると、既に死亡している友人の親族の霊が友人の霊と一緒に現れて歌
をうたったりする様子が見え、その声も聞こえる。これは四十九日で終る場合で
ある。

この場合、愛子の親しい友人でなくとも、死者の霊を見ることがあり、四十九日を
過ぎた者の霊を見ることもある。これは完全にポクナモシリ(地獄)に堕ちている
霊であると解釈している。いわゆる自縛霊のことである。自縛霊は人間に限らず、
犬や猫等の動物である場合もある。

一人一人が持っている光が見える。明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く
見える人が多い。何も見えないほど暗い人もある。暗い人の過去現在をウエイン
カラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚醒剤、物欲
の強い様子が見える。明るく見える人をウエインカラしてみると、他人に対して尽く
している様子が見える。ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、
無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。現在財宝をたくさん所有し
ているかどうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。

(本書より抜粋引用)

五代目継承者の愛子は父ウトレントク、母ウコチャテクの第七子四女である。
以上を簡単に整理すると、青木愛子に伝わるアイヌイコインカル(助産術)や
テケイヌ等は、ルソン島のイゴロット族のアシュラム(聖地)から運ばれている
ことになる。アシュラムの方にはヒーリング(心霊技術)が歴代継承され、既に
他界したが、トニー・アグパオアが現れて、その手術の真偽が世界的な話題に
なったようだ。真偽の問題を論ずる趣味は筆者にはないが、聴診器も注射も
メスも使わずに手当てを行なう特殊な掌をアイヌ語でテケイヌと呼ぶことを報告
しておきたい。二代目、三代目はヤマモンベツコタンに、四代目、五代目は
二風谷に定住した。初代以降五代目まで、アイヌの信仰と文化の中で人生を
送っている。しかし、アイヌと結婚した者は、現在までの調査では四代目ウコ
チャテク一人が判明しているだけである。
(本書より引用)


「ウテキアニ(育みわかちあう愛) 青木愛子ババの一周忌に思う」
を参照されたし


 
 

この文献の詳細ページへ 「沖縄の文化論 忘れられた日本」 
岡本太郎著 中公文庫


過酷な歴史の波に翻弄されながらも、現代のわれわれが見失った古代日本
の息吹を今日まで脈々と伝える沖縄の民俗。その根源に秘められた悲しくも美
しい島民の魂を、画家の眼と詩人の直感で見事に把えた、毎日出版文化賞受賞
の名著。


この名著は1959年、敗戦後のアメリカ占領下にあった沖縄を画家・岡本太郎
が半月かけて旅し、その受けた想いを綴った文献である。生命が放つ眩しいほど
の輝きとは何だろう? そんな根源的な問いを抱きつづけてきた岡本太郎が投げ
かける痛烈な非難は、日本舞踊、歌舞伎、神道、仏教など形式化・形骸化された
ものに向けられ、日々の生活の中で息づいている沖縄の宗教や踊りのそれと
比較されている。真剣に命と向き合い、そして芸術と向き合ってきた岡本太郎でし
か書けない名著であり、その言葉は50年経った今でも斬新であり、根源的な問
いかけを私たちに投げかける。

 
 




 
この文献の詳細ページへ 「新版 日本の深層」縄文・蝦夷文化を探る 
梅原猛 著 佼成出版社

かつて蝦夷の末裔と呼ばれ、偏見を持たれてきた東北地方。しかしそこ
に残るお寺・遺跡や祭、そして歴史を紐解くと、かつて日本全国にあった
縄文文化を色濃く残していることがわかる。それは文学においても東北
出身の石川啄木・太宰治・宮沢賢治の感性が生まれた土壌を探る旅でも
あった。梅原猛氏はアイヌの文化に触れたときの確信を、この東北地方の
旅でも再認識させられ、そこに日本の原風景を感じとるのである。また
大陸から来た弥生人の倫理観が、如何にして縄文文化を席巻したかの
考察をしている。本書を通して、縄文土器の芸術の素晴らしさを初めて
理解した芸術家の故・岡本太郎氏と同じく、梅原猛氏の感性の素晴らしさ
と洞察力が発揮された文献で、多くの日本人に是非読んでもらいたいと
思う。



原日本文化への旅立ち(本書より引用)

東北人は、長いあいだ、心の中に、密かなる誇りをいだきながら、蝦夷の
後裔であることに、耐えてきた。そして自分が、アイヌと同一視されることを
頑強に拒否してきた。蝦夷は人種的概念ではなく、ただの政治的概念に
すぎない。そして、「蝦夷はアイヌではない」そういう結論は、東北人にとって
のぞましい、はなはだ願わしい結論のようであった。このような願わしい結
論にそって、東北を、古くから倭人の住む、古くから稲作農業が発展した
国と考える見解が、戦後の東北論の主流であったように思われる。それは
東北人を後進性の屈辱から救うものであったとしても、かえって東北特有の
文化の意味を見失うことになると思う。

蝦夷の子孫であることが、蝦夷の後裔であることが、なぜわるいのであろう。
アイヌと同血であり、同文化であるということを、なぜ恥としなくてはならない
のか。日本は平等の国家である。幕末に戦った二つの権力、薩長方も徳川
方も、平等に日本国民としての権利と義務をもっているのではないか。倭人
と蝦夷の対立はもっと昔のことなのである。その昔の対立が、なぜ現代まで
差別になって生き続けねばならないのか。蝦夷の後裔であること、アイヌと
同血であることを、恥とする必要はすこしもないのである。むしろ、日本の文
化は、蝦夷の文化、アイヌの文化との関係を明らかにすることによって、明ら
かになるはずである。

私のこの旅は、ほんの短い期間の旅である。芭蕉は、『奥の細道』の旅に5ヶ
月を要した。私は公務の都合で、10日しかこの旅に使うことはできなかった。
もとより、前にも何度か東北の各地を訪れたことはある。このささやかな旅で
私は、東北文化のほんのわずかしか触れることはできなかった。しかし、見方
が変われば、うわべを見ただけでも、やはりその解釈は変わってくる。このささ
やかな「紀行記」が、今後の東北論の出発点になり、今後の新しい「原日本文
化論」の基礎になることを願うものである。

 
  この文献の詳細ページへ 「アイヌ、神々と生きる人々」 
藤村久和著 小学館ライブラリー



私たち日本人とアイヌを対比しながら、それを人生の各場面において
平易な言葉で紹介する好著である。アイヌの古老の信頼を得て古来から
受け継がれてきたアイヌの伝統・精神世界を分かりやすく教え、今なにが
失われ、なにが求められているのか考えさせられる文献であり、アイヌの
ことを知りたいと願う人には最良の部類に入る文献かも知れない。

藤村久和君のこと・・・・解説にかえて 梅原猛 より引用 
人の一生を変えてしまうような出会いは、そう人生に何度もないが、私は
藤村久和君とそのような出会いを数年前にもった。私は、日本の基層文化
を解く鍵がアイヌ文化にあると漠然と考えていたが、藤村君との出会いに
よってそれはまちがいないと確信し、今その仮説を追究中である。私の日本
文化論は、藤村君との出会いによって、新しい展開を得たのである。藤村君
は、いわば私の学問的恩人の一人なのである。

藤村君は、まだ若い前途洋々たるアイヌ研究者であるが、彼の研究方法は
たいへん変わっている。アイヌ語をしゃべり、アイヌの伝承をよく知っている
アイヌのじいちゃんばあちゃんを見つけると、彼はそこに通いつめ、便所掃
除までして、そのじいちゃんばあちゃんと親しくなり、その結果、じいちゃん
ばあちゃんは藤村君を信用して、それまで誰にも語らなかったアイヌの伝承
を語るのである。そして、彼はそれを一所懸命に学び、ついにその古老の
ように、アイヌ語でユーカラをうたい、アイヌのカムイノミの儀式を自ら行なう
ことができるようになるのである。それは、従来の同情と侮蔑の混ざった目
でアイヌを見、一段高い所からアイヌを研究する学者たちとは全く異なった
研究の仕方である。

今まで、アイヌは日本人と全く異なった人種であり、その結果、言語も文化も
宗教も全く異なった民族であると考えられてきた。しかし、これは全く大和
民族の傲慢さが生み出した考え方であることが次第にわかってきた。アイヌ
は土着の日本人であり、アイヌ文化は、日本の土着文化がもっともはっきり
残存したものとして、日本文化と深い関わりをもっている。自然人類学にお
いては、この考え方は、明らかにされてきた。言語学や民俗学の研究は、
まだそこまでいっていないが、私は、二十一世紀までにはっきり実証される
と思う。この藤村君が、長い間のアイヌの人たちと尊敬と愛情に満ちた交わ
りを通じて知りえた、アイヌの宗教や世界観は、日本文化の根底をなしてい
る宗教や世界観であり、それを読む人は、自らの魂と思想の根底を見る思
いがするにちがいない。アイヌ文化研究は、日本文化研究のもっとも重大な
要点であり、全ての日本人に関わりをもっているのである。どちらかといえば、
ものを書くことをおっくうにしていた藤村君が、多年の研究の結果を一冊の本
にしたことは、まことに喜ばしい。

 
 
 

この文献の詳細ページへ 「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」 
比嘉康雄著 集英社新書


沖縄の精神文化を語る上で、久高島の祭祀を知れなければ沖縄のこと
を口に出すことは許されないかもしれない。そう思えるほどの濃厚な精神
文化、祭祀の姿が、本書を通して読者の目の前に繰り広げられる。30年
近くもこの精神文化を追いつづけ、西銘シズさんを初めノロたちの信頼を
受けた著者が彼女たちから託された想い。それは現代文明の荒波の前
に崩れ去ろうとしている久高島の精神文化や祭祀を後世の人たちに伝え
ることだった。日本人の根っこを知るうえで貴重な一冊であり、私たちは
この精神文化の豊穣さから何を学ぶべきなのだろうか。

沖縄本島の東の海上に浮かぶ小さな島・・・・久高島(くだかじま)に、琉球
王朝よりはるか昔、古代人の心情から生まれ、「母神」を守護神とみる祭祀
の形があった。それは、ノロをはじめとする女性神職者たちによって担われ、
今日まで継承されてきている。12年に1度の大祭「イザイホー」、海の神が
鎮まる海岸で豊漁を祈り草束を振るう神女や、海の彼方にある魂の原郷
ニラーハラーの神となって登場する神女の威厳に満ちた姿が、かずかずの
祭祀を彩っている。30年近くも琉球弧の祭祀を追いつづけてきた著者が、
久高島祭祀の多層なシーンをカメラとペンで記録した。30余枚の写真とと
もに、古代人の鎮魂のありようと伝える貴重な一冊。(本書より引用)

 
 
この文献の詳細ページへ 「アイヌの星」 
末岡外美夫・著 旭川叢書 第12巻


本書・序 野尻抱影(遺稿・昭和52年10月30日歿)より引用

アイヌの星名が機縁で末岡外美夫氏と逢った頃、サビタの洋化したヒドラ
シジャが豪華な純白の花鞠を点け傘もつけて、雨をふくんで八方へ枝支れ
ていたのを覚えている。氏の行動は驚くべきもので時に西方の風を巻いて
くるかと思えばアイヌの国から土の香を一杯に詰めた魔法の袋を持って
やってくる。日毎に増えつづける氏の記録は私にとって大きな楽しみの
ひとつであった。

アンデスを歩きロッキーを駆ける氏はコヨーテの吠ゆる叢にインディアン
尋ねてアイヌの古老の姿を求めた。その記録を「アイヌの星」と題して出版
することを勧めてきたのだが慎重な氏は一向にその気がなかったようで
ある。とうとう私が友人の編集者に紹介して出版に踏み切ろうと氏に迫って、
この珠編が生まれた。氏はまだまだ考証が足りぬと言ふが、これほどの
資料を足で集めて考証した例は近来に稀である。考証の範囲も氏の語学
力と行動力で実に広い範囲にわたっている。


 
 

この文献の詳細ページへ 「アイヌ学の夜明け」 
梅原猛・藤村久和 編 小学館ライブラリー


哲学者として著名な梅原猛氏とアイヌの研究者として有名な藤村和久氏、
並びにアイヌの古老、ヨーロッパのアイヌ研究者との対談から、アイヌ文化
の真の姿を垣間見ることができる。また現代においてこのアイヌ文化の持
つ視点の重要さを考える時、それは合わせて人類の未来のあり方を探る
ものともなっていくに違いない。インディアンを始め先住民族共通の視点が
この日本にも存在していたことを、そして私たち一人一人のの血の中にも
この太古からの記憶が残っていることを改めて再認識させてくれる文献で
ある。

私はやはりみんな死ぬと同じあの世にいけるというアイヌの人たちの考え
方は、いいと思いますね。キリスト教や仏教のようにあの世にいって裁判を
されて、地獄や極楽へいかされるとう考え方は、どうもいやですね。この世
の恨みをあの世ではらすということですから、これは人間のあさましい考え
方です。それに対してアイヌや沖縄の他界には地獄も極楽もない。本来、
人類の他界には、地獄も極楽もなかった。それは農耕や牧畜をやるように
なって、貧富の差や差別が発生し、そして都市や国家が発生する。そこで
人生がどうしようもなく苦しくなる。その逃げ道としてあの世での地獄とか極楽
を考えるようになったのです。だから貧富の差のない狩猟採集社会の段階に
おいては、人類は地獄も極楽も考えなかったと思う。たとえば浄土真宗で、
とにかく南無阿弥陀仏さえとなえれば極楽へいって仏になれるという考え方が
でてきて、それ日本で多くの人の支持をえた背景には、やはり仏教以前の
日本には、だれもが等しく同じあの世へいけるという、アイヌや沖縄に今も
残っている信仰があったからだと思います。だから日本人はどこかで、だれ
もが同じように極楽にいけると思っているのでしょうね。
梅原猛・・・本書「アイヌの古老に訊く」対談より引用

 
 
この文献の詳細ページへ 「すべてを明日の糧として 今こそ、アイヌの知恵と勇気を」 
宇梶静江・著 清流出版

これまで幾度となく繰り返してきた問いを、胸に呟いてみる。なぜ、アイヌは
ないがしろにされたのだろう?差別を受けるほど取るに足らない民族だったの
だろうか? いいえ、とんでもない。本や資料を読み漁って知れば知るほど、
アイヌ民族はその真逆のすばらしい民族だったのだ。

まず、すごいなあと思ったのは、世襲制のないこと。最近、国会議員の世襲が
世間で問題になっているけどね。親の威光が子に及ぶなんてへんてこな話だ
よね? アイヌでは村の長を決めるときに、その親や親族など一切関係なし。
人格者で、勇気と知恵にあふれ、愛の深い人がみんなから選ばれるんだ。

これもすごいなあと思ったのは、どこかに侵略したという歴史もなければ、侵略
のための武器を作ったという歴史もないこと。仇討ちの歴史だってない。これは
よっぽどしっかりとした哲学とモラルを持ち、強い心の共同体でなければできる
ことではないよ。

そして、老人・子ども、身よりのない者を、村のみんなで面倒をむる心の広さ。

道具ひとつにしても手を抜かずに作るので芸術に近い仕上がりになり、大切に
使う。明治政府に禁止されるまでは、人が死ぬと、死者に持たせる意味で、
その家を焼いていたほど「財産」や「所有」に執着しない潔さにはおったまげる
ばかり。

アイヌはいつだって自然と共に生きてきた。でも、それは、ただ自然の中で
ぼうっと生きてきたんじゃなく、自然と真摯に対話してつつましく、誇り高く生き
てきたんだ!

アイヌの古い布をひとつほどいてみるとね。小さな四角形模様がきれいに
並んでいて、刺繍はきちんと左右対称になっているよ。文字は持たなかった
けれど、祖先たちは直感的にかなりのレベルの幾何学や計算ができたんだ
と思うよ。

アイヌのおじいさんたちやおばあさんたちの手による小さな刺繍ひとつ、縄
一本の見事さ。それは学校で教えてもらうことでもなく、多くの口伝や伝承の
中で育まれてきたもの。アイヌみんなの共有財産なんだ。

だから、たとえ古布絵で私ひとりが世に出て注目されたって、祖先はちっとも
喜ばないだろうし、私だってうれしくない。

私たちアイヌが現代に生き直すためには、アイヌの誇りをアイヌで共有すること、
そして、ひとりひとりがアイヌである自分に自信を持ち、愛することが先決。そう
してこそ、世の中に、アイヌのさまざまな知恵を発信していけるはずだから。
(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ 「アイヌ・母(ハポ)のうた」伊賀ふで詩集
伊賀ふで・著 麻生直子+植村佳弘・編 
CD「はるとりのウポポ」(アイヌ語音声)付
現代書館

少女時代の熊送りの儀式の悲しみ、青春時代の喜びに溢れた世界、そして
酒で暴れる夫に苦しめられつつ自身も肺病になってしまう人生の中で、アイヌ
として、母としての誇りを失わなかった伊賀ふでさんが書き綴った詩集とその
ウポポ(歌劇)を録音したCD。伊賀ふでさんの詩は純朴そのものであり、喜び、
悲しみ、怒り、苦しみが直接心にこだましてくるような感じがしてならなかった。
ふでさんの背中を見て育ったチカップ美恵子さんにとって、ふでさんは「言葉を
奪われた民族の文字による表現と記録への挑戦」者であり、目標だった。



この宇宙や地球は神(カムイ)からの借り物であり、自分たちは未来の子ども
たちに、水や空気も汚さずに引き渡さなければならない、というアイヌ民族の
自然観や精神文化を身近に感じる。ふでさんのアイヌ語と日本語のバイリンガ
ルの詩は、「ウエノソイマ エミナ カイクシ:おてんばは喜ぶ春」や「ポン レタラ
 アパッポ(レヘ オイラ:鈴蘭」などに代表されるように、自然や動植物や子ども
たちの呼吸が、リズム感をもって伝えられる。

詩集後半の生活実感がにじみ出た詩の多くは、日記の断片のような独白のこと
ばになっている。1913(大正2)年生まれのふでさんが、戦中、戦後の困難な時代、
多くの母たちが味わった窮乏生活のなかで、家族のこと、病気や入院生活、自
分の夢や欲望や悲嘆や死さえも、ことばに吐き出し、それが、かえって詩を書く
ことをよりどころにしていた独りの母や女性の姿を映し出す。

チカップさんの詩群は昨年、『チカップ美恵子の世界』(北海道新聞社)として
アイヌ文様刺繍とともに作品集に収載された。『アイヌ・母(ハポ)のうた・・・・伊賀
ふで詩集』はこのたび植村さんと一緒に編むことができ、そこにいたるまでいろ
いろな人にご協力をいただいた。なによりもチカップさんにそのことを伝えたい。

〈あなたの心にそっとふれさせてください〉という読者への願いもこめた詩集なの
です。(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ 「アイヌ・モシリの風」
チカップ美恵子・著 NHK出版

伊賀ふでさんの娘として生まれ、アイヌ文様刺繍に託された想いを多くの人に
紹介してきたチカップ美恵子さんのアイヌ文様刺繍への想い、そして世界各地で
めぐり合ってきた人や土地の想いが綴られている。

しかし、共生と調和があれば、それに対立するように破壊がある。それはアイ
ヌ語のカムイに魔神としての意味合いがあるように・・・・。先住民族にとって破壊
とは環境破壊であり、それは精神の破壊、人間性の破壊につながっていくことを
意味する。

心も失ったとき、人に優しさや思いやりの心はあるのだろうか。魂が調べる詩や
歌や人びとの心から聞こえてくるだろうか。荒廃した心は何もうたわない。

社会は集団から個の尊重へ移行した。しかし、個は孤立することではない。集団
と個のバランスが現代社会に欠落しているように思うのである。人は他者との一
体感があってこそ、生きているという実感を感じるものである。すべてのものが
つながり合って生きているということを忘れてはいないだろうか。

つながり合う“環”は和となり、調和となるということを。

アイヌ・ラックル=天地創造は人生を神話にたとえた素晴らしい魂の調べである。
アイヌ・ラックルとは「人間のような神様」という意味である。アイヌ・ラックルのメッ
セージはどんなに時代が変化しても、変わらないものがある。それは“人間性”と
いう人の心であり、人は人の心をもった人としての人生を創造することであると
伝えている。アイヌ・ラックルの話はこれで終わるけれでも、ここから先はあなた
自身の人生が創造のドラマを語る番である。
(本書より引用)

 
 

この文献の詳細ページへ 「写真集 世界の先住民族 危機にたつ人びと」 
アート・デイヴィッドソン著 鈴木清史+中坪央暁訳 明石書店


本書を以下の人びとに捧げる。
民族と土地と生活を守るために、闘いながら死んでいった
先住民族の人たちに。
世界中の子どもたちに。
世界の人びとが自分たちの生活様式で生きていくことが
できることを知ってもらうために。
(本書より・アート・デイヴィッドソン)


この名著から世界各地の先住民族と呼ばれる人びとの魂の叫びが聞
こえてくる。この中にはインディアンを始めとして、アマゾン、アンデス、
チベット、アイヌ、サラワク、インドネシア、アボリジニ、ブッシュマン、トゥ
アレグなど数多くの先住民族がおり、今日どのような現実に置かれてい
るのかを現地の先住民族の声と共に訴えている。その多くは文明人と
いわれる大地を憎む人々の野蛮さや傲慢さにより、絶滅寸前に追い込
まれている。一説によると現在でも世界各地で毎年約25万人の先住民
の方たちが殺されており、先住民独自の言葉の多くが次の世代には消
えてなくなっていくことだろう。そしてそれは私たち文明人の未来をも奪う
ことになってしまうことを意味していることに気づきさえしない。先住民族
は物質文明の流れに乗れず溺れていった悲運の民族などではなく、私
たちの未来を語る上での試金石なのである。このかけがえのない先住
民族の方たちの視点を失うこと、奪い取ることこそ、自らのそして未来の
世界・子孫への殺戮そのものなのであり、この世界を破滅へと導いてい
くものだろう。しかしこの私たちに何が出来るというのだろう。余りにも
複雑化してしまった現代文明の中で、そしてその歯車の一部として動い
ている自分自身を振り返るとき、その無力感に囚われてしまうのも事実
だ。ただ、次の世代を荷う子どもたちに先住民族の方たちの視点・魂が
宿ることを願っていきたい。たとえどのような世界が待ち受けようとも、
このような魂と共に生きる子どもたちが、あるべき姿をした新しい世界を
創造してゆくに違いない。

 
 
 

この文献の詳細ページへ 「先住民族 - 地球環境の危機を語る」 
インター・プレス・サービス編 清水和久訳 明石書店


世界各地の先住民族が訴える現代の危機的状況。それは民族とし
ての消滅を意味しているだけでなく、地球に生きるすべての生命が脅
かされいる姿をも明らかにする。本書には世界の16の先住民族の声
が紹介されいるが、その一つ一つがとても重く心に沈んでいく。彼らの
声がこの正反対に突き進んでいる文明社会から、生命の輝きを取り戻
し、大地と空にあるべき道の指標として響き渡る日が来るのだろうか。

したがって、環境の悪化を問題にするときは、西側の文化と西側以外
の文化とを明確に区別するのが正しい。伝統的な社会の文化は支配的
な開発のパラダイムに目立った影響を与えてこなかった。また、そうした
パラダイムの適用による直接の結果としての環境の悪化に対しても、こ
れという影響は及ぼさないできた。伝統的文化は西側文化とは反対に、
自然を神聖視している。その価値体系は環境危機を招いた消費謳歌
主義とは無縁であり、いわば何光年も遠く離れている。にもかかわらず、
伝統的社会の立場は環境に関する国際的議論では無視されている。
その立場が採択される決定に反映されることを全く許されないでいる。
さらに、非西側の文化が人類の大多数を代表しているという事実を考慮
するならば、参加と情報の両面で、巨大な真空が存在することはあきら
かである。本書の目的は単純明白である。伝統的社会、母なる大地、
母なる地球というその哲学、人類と自然の関係についての哲学、伝統的
生活様式の根底にある価値体系、天然資源の乱開発の結果と影響、
環境破壊への対処の仕方などを提示する。 --- これが本書の目的で
ある。(本書・編者まえがきより)

 
 
 

この文献の詳細ページへ 「炎の馬」 
アイヌ民話集 
萱野茂著 すずさわ書店


自然とともに生きたアイヌの暮らしと精神文化の源流を伝承する30の
物語を収録する。アイヌが語りアイヌが記録した貴重なウウェペケレは
アイヌ初の国会議員となった萱野茂氏の代表作であるにとどまらず、先住
民族の方達が持つ豊穣な魂をより深く理解できる架け橋である。多くの
大人がこの非常に美しい物語を、未来を担う子供たちに読んであげること
を切に願っています。アイヌの精神文化を詳しく知りたい方は松居友氏の
「火の神の懐にて」並びに梅原猛氏の「アイヌ学の夜明け」を参考にしてい
ただけたらと思います。また著者、萱野茂氏の半生を記した書として「アイヌ
の碑」などがありますが、絵本では沙流川を舞台にした竜神カンナカムイが
語る「火の雨 氷の雨」があります。

神話学者のジョセフ・キャンベル「私たちには、時間という壁が消えて奇跡
が現れる神聖な場所が必要だ。今朝の新聞になにが載っていたか、友達は
だれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるのか、そんなことを一切
忘れるような空間、ないしは一日のうちのひとときがなくてはならない。本来
の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所だ。
これは創造的な孵化場だ。はじめは何も起こりそうにもないが、もし自分の
聖なる場所をもっていてそれを使うなら、いつか何かが起こるだろう。人は
聖地を創り出すことによって、動植物を神話化することによって、その土地
を自分のものにする。つまり、自分の住んでいる土地を霊的な意味の深い
場所に変えるのだ。(「旅をする木」星野道夫著より引用」

 
 
この文献の詳細ページへ 「アイヌの霊の世界」 
藤村久和 小学館


全編対談という形式でアイヌの霊の世界、宗教観を掘り下げようとする力作
である。梅原猛、河合隼雄、そして京都大学の地理学・人類学、心理学、哲学、
動物生態学、社会学、民俗学の専門家がアイヌに深く関わってきた藤村久和
氏との対談を通してアイヌの文化について語り合ったのを収録した文献である。
特に梅原猛氏は言語学、宗教儀式などを通してアイヌ文化にこそ日本文化の
基層があることを問うている。



アイヌ文化はやはり宗教文化です。宗教に関心をもたないとアイヌ文化はわか
らない。金田一さんなど宗教に関心をもたない。その点バチェラーはちがってア
イヌの宗教に強い関心をもっているけれども、アイヌの宗教を物神崇拝の一語で
片づけている。みな物神崇拝だという。ところが、たとえばアイヌの熊祭を見ると、
たいへん興味深い考え方で、これはヨーロッパ人にはちょっと理解できない。カム
イは天の一角に住んでいる。そのカムイがたまたま熊の仮面をつけて現れた。だ
から熊を育て、それを殺すことによってカムイを熊という仮面から解放して神その
ものに帰す。その儀式をまちがえると神に帰せないかもしれない。どうせ帰すなら
ば喜ばせて帰さなければいけない。喜ばせて帰さないとまた熊になってこの世に
現れてこない。これは熊の本質は神で、われわれの見る熊は熊という仮面をか
ぶった神の仮象であるという、そういう観念に裏づけされていると思う。

ところがそういう観念はヨーロッパにはないのです。あったとしてもずっと昔になく
なった。ヨーロッパには犠牲という観念しかない。中国でもそうです。儒教では牛を
殺してささげる。犠牲としてささげる。ヨーロッパでもそうですね。だからアイヌの熊が
神であって、それを殺すことによって神に帰すという観念は、とても中国流の宗教
観念でも、キリスト教の観念でも理解できないものなのです。これはたいへん深い
考え方だと思う。日本人の心の底にはそういう考え方があるのではないかと思う。

(梅原猛 本書より引用)

 
 

この文献の詳細ページへ 「アイヌの碑」 
萱野茂著 朝日文庫


アイヌの文化伝承に多大な力を注いでいる著者の半生を綴った書であり、
幼い頃の辛く悲しい思い出から如何にアイヌ文化伝承に目覚めていったか
を語ったものである。著者は小学校卒業後、山子などの出稼ぎをしながら
アイヌ民族としての自覚と誇りを持つようになり、アイヌ民具を収集すること
から文化伝承の道を歩み始める。そしてその貴重な収集物は、1972年
「二風谷アイヌ資料館」に収蔵されることになる。また著者はアイヌの民話を
まとめた「ウエペケレ集大成」などで菊池寛賞、吉川英治賞を受賞し、現在
もアイヌ語のCD−ROM辞典や民話を集めたCD−ROMなどを世に送りだ
している。アイヌ文化が根絶されようとしている現実に危機感を持ち、その
活動は今でも(1926年生まれ)衰えを知らない。1999年には「アイヌ語語り
部育成へ育英資金」を設立し、「言葉こそ民族のあかしだ」とのもとに後継者
育成への資金協力を広く求める活動を始めた。著者自身、アイヌ語をアイヌ
民族のお年寄りから話を聞き取って学んだが、その多くは亡くなり後継者不足
が早急で深刻な問題として今問われている。「(年を考えれば)正直、焦ってい
ます。ぼけないうちは頑張るが、いつまでもそうとは限らない。一人でも二人で
も、育英資金に賛同してくれればうれしい」と語る著者の活動に賛同される方は
次の振り込み先までお願いします。
苫小牧信用金庫平取支店の普通預金口座145306
「萱野茂アイヌ語育英資金」

これは「本」ではない。何万年の歴史を生きてきたひとつの民族、ひとつの
文化が、いま正に風前の灯にある、その灯を消すまいと、必死に祈り、戦い、
怒り、しかし静かに語る魂・・・・憤死した先祖たちが萱野氏というアイヌを通し
て全日本人に呼びかける「声」そのものだ。本多勝一 本書より引用

 
 

この文献の詳細ページへ 「奄美 神々とともに暮らす島」 
濱田康作 著 毎日新聞社


美しい自然に抱かれ、精霊や神々と響き合って暮らす島人たちの表情は
生気に満ちている。死や闇の世界が身近にあるからこそ、生はいっそう輝く
のだ。大島、加計呂麻島、与路島、徳之島・・・。失われた日本の原型が、
ここにある。(本書 帯文より引用)


奄美の美しい自然と、そこに生き、祈る人々を撮った素晴らしい写真集です。
写真も素晴らしいのですが、序文にある「奄美・・・現代と古代が同居する“すべ
てが美しい島”」を書いた小林照幸さんの言葉がまた比類なき輝きを湛えてい
ます。この言葉を読んで改めてこの写真の数々を見ると、よりその深みが肌を
通して理解できるのではないでしょうか。少し長くなりますが、この小林さんの文
を掲載しましたのでお読みくだされば幸いです。私の父は船乗りでしたので、
ユタが真剣に海に祈りを捧げている姿が心に残ります。この奄美で幼少の頃を
過ごした大ばか者の私は、本当は幸せ者かもしれません。多くの人にこの写真を、
そして言葉を見て読んでもらいたいです。

 
 
  この文献の詳細ページへ 「奄美 二十世紀の記録 シマの暮らし 忘れえぬ日々」 
越間誠 著 南方新社

この写真集は1959年から2000年までおよそ四十年にわたる奄美群島の記録
である。長い間写しとった奄美の素朴の中から、あれこれ逡巡の末、この内容
なった。島々に伝承される祭りや信仰、そして人、居住環境などを中心にした。

さて、奄美の主な祭りにはほとんど毎年のように出かけている。ニュース取材も
あるが、よく人から、毎回撮っても未だ足りないのか、などと声をかけられる。
僕にとってはもっとうまく撮りたい、いいアングルはないかなどと考えながら、時
と共にうつり変わる行事の成りゆきを見届けたい気持ちもある。しかし、それと

同時に祭りを支えている人たちの事も気になるのである。島の伝統文化を絶や
すまいと懸命に頑張る人たちに会うのはやはりうれしい。五穀豊穣、豊作と無病
息災などを神に祈り、感謝する奄美の祭り。今稲作の衰退や人の志向の多様化、
過疎、高齢化などにより伝承の危機にある。その中でも祖先から受け継いだしき
たりを守り抜こうとする人たちがいる。(中略) 本書はいわば奄美の四十年の
一つの断層である。そして風景や祭、人の暮らしなどを現象のみでなく、願わくば、
それに関わる島人の心の絆、神への祈りと感謝、そしてしたたかな生命力を、
いささかなりとも感受していただけたらと思う。
(本書より引用)

 
  この文献の詳細ページへ 「知里幸恵 『アイヌ神謡集』への道」 
財団法人 北海道文学館 編



各界で活躍する33人が、知里幸恵そして「アイヌ神謡集」への熱い想いを
語った本格論集ですが、この中には「付編 知里幸恵 東京での129日 小野
有五 編)という知里幸恵の手紙や日記などに収められた幸恵自身の言葉が
収められている。知里幸恵という存在が如何に後世の人々に多くの影響を与
えたか、その意味を知ることができるであろう。

幸恵にとっては、婚約者、村井との結婚が最大の問題であった。村井家が
農家であるが故に、そこでの過酷な労働を恐れて、生母ナミは結婚に反対し
たのであったが、人並みに結婚し、子供をつくり幸せな家庭を築くということ
自体が、これまでのようにユカラを必死に書き記す生活からの離脱を意味する
ことを、幸恵はもとより感じ取っていたはずである。金田一のいる東京へ出かけ
るという行為そのものが、幸恵の心の底では、ただ幸せな家庭を夢見る村井
への裏切りであり、彼の愛を踏みにじるものであった。

アイヌ語と日本語の完全なバイリンガルとして育った幸恵の特異性。それは
つきつめれば、生母と養母、アイヌとヤソという彼女が背負ったそもそもの
二重性に由来する。日本人とも、また同族の大多数とも異なってしまうその
ような己れの特異性をすべて切り捨て、幸恵が幼なじみのマテアルにふと
もらしたように、ごく普通のアイヌとして、同じアイヌと普通に結ばれることが
人間としてのいちばんの幸せだと思う気持ちと、それらすべての異質性を、
神が自らに与えたこの上ない恵みとして受け入れ、生きる限りそれを輝かさ
ねばならぬという使命感。19歳の幸恵はこの二つの方向のあいだで最後まで
揺れ続け、その答えを知るために、自分の体は東京の暑さに死ぬかもしれな
いと覚悟したうえで、村井と登別の両親を振り切り、東京への旅に賭けたのだ。

どちらも自分。厳然としてある己れの姿である。だが、その二つは、おそろしい
ほどに全く正反対の方向をさして、未来へと続いている。ほんとうの自分とは
何者か、どちらがほんとうの自分なのか、その問いは、すべての若者に、否、
どれほど年を重ねたものにとっても、常に重くのしかかる。それから目をそむ
けず、答え続ける者だけが、真に人生を生きた者といえるのであろう。幸恵の
19年の人生が私たちを打つのは、まさにその故である。

( 本書 生きる意味 知里幸恵とキリスト教 小野有五 より抜粋引用)
 
 

この文献の詳細ページへ 「沖縄の宇宙像」 
池間島に日本のコスモロジーの原型を探る 
松居友著 洋泉社


死後、霊魂はどこへ行くのか?近代が喪ってしまった悠久の時間が沖縄・池間
島にはゆったりと流れている。そこに住まう古老が格好の聞き手を得て、余すと
ころなく語りつくした。死と誕生、引導渡し、ヤナムン、ニライカナイ、生け贄、そし
て厄除け・・・・を。古老の聞き書きにアイヌ・シベリア等の少数民族のシャマニズ
ムなどと重ねながら比較検討し、総合する労作。十年の歳月をかけ遂に完成。 
(本書 帯文より引用)

科学は、地球が太陽の周りを回っていることを証明したが、逆にそれは昔から
伝わってきた生と死を巡る様々な儀式やその土台となる宇宙像・死生観を過去
の遺物にしてしまったのかも知れない。そして過去の世界観で生きてきた古老が
いなくなる現実の中で加速度的に遺物への道を突き進んでいる。著者は言う、
「しかし、科学的な宇宙像が支配する時代において、あきらかに非科学的である
宇宙像を再構築する意味がどこに
あるのであろうか。そこにははたして、現代に
も通用する重要なメッセージが含まれて
いるのであろうか。もし、含んでいるとした
ならば、何であろうか。明らかに迷妄である
古代の宇宙像に、ひょっとしたら今も
消えることのないある真実があり、その真実が21
世紀から始まる新たな時代の
新たな宇宙観を形成するための重要な要素になるとした
ら、何であろうか。いつ
かこうした点についても書きたいと思うが、この本では、あえて
そうした問題には
触れていない。その答えは、ここでは読者一人ひとりにゆだねたい。」
本書はこの
新たな宇宙像との接点を見出すためにも、古代の宇宙像をこと細かく記録した
労作であり、古老がいなくなりつつある現代において、その持つ意味は大きい。

 
 
 

この文献の詳細ページへ 「21世紀に残したい沖縄の民話 21話」 
文・遠藤庄治 絵・安室二三雄 琉球新報社


沖縄各地から聴取した七万話の民話の中から、沖縄県民の方たちが選んだ
21話を紹介し、それぞれの民話の背景を詳しく解説している。子供たちにとって
読みやすい絵本に仕上がっており、この民話が出来た背景を知ることによって、
より深く沖縄の文化や生活を感じることが出来るかも知れない。


21世紀の架け橋(琉球新報社代表取締役社長 宮里昭也)沖縄は「民話の
宝庫である」とよく言われます。話者も、内容も、その数も、全国の中で群を抜い
ています。まさに悠久の彼方から時空をこえて、口承されてきたものが民話です。
その豊かな民話を発掘しつづけてきたのが、遠藤庄治氏を代表とする沖縄民話
の会の活動です。その存在なしに、「民話の宝庫」もないのです。語る人、伝える
人がいて残ったのです。記録して作業と、活用していく努力。それらが民話の豊か
さを支えているのです。(中略) 21世紀を担う子供らに、豊かな郷土の文化を
知ってもらい、語り継ぐことによって、21世紀の架け橋になってほしいと思います。
この民話集が、広く県民の間で活用してもらえるよう願っています。
(本書より引用)

 
 
  この文献の詳細ページへ 「アイヌの昔話 ひとつぶのサッチポロ」
萱野茂 著 平凡社


昔話、それは自分自身が主人公になって、何を感じ何を考え何を為すのかを
問わずにはいられない。子どもへの躾や教育、それは親や教師などから押し付
けられたものだと、自我の欲求との折り合いがつくはずもない。ただ、それが自
分自身が主体的に、そしてその昔話の世界がまるで子どもの心の世界に溶け
込んでしまったら、その昔話に宿る教訓は子どもの力となり生きる指針をも与え
るものになるのかも知れない。民族が太古の昔からの経験を通して、次の世代
に引き継がなければならない大切なものを伝えていく。まるでそれは太古の生
きた人間からの贈り物であり、彼らが生きた証でもあるのだろう。私たちは、こ
の昔話に込められた想いを感じることが出来るのだろうか。

アイヌの人々の間で口伝えに語り継がれてきたウゥェペケレ(昔話)、20話。
悪い根性を懲らす痛快な、よい生活の作法を教える温かな話の中に、人間と
自然と神とが自在に交流し共生する世界のあり方を告げる。

 
 

この写真集の詳細ページへ「夜明けへの道」
はじまりの500年に寄せて アメリカ先住民は語る 

翻訳者 本出みさ 山尾三省 木村理真 高橋純平 松田トム 斉藤由佳 
大畑豊 坂口典和 北山耕平 宮田雪 弥永健一・光代 河本和郎 森田ゆり 
大羽正律 村上美理子 
人間家族 特別号 スタジオ・リーフ

“インディアン・タイム”という言葉がある。杓子定規で時間割に追われる人間
から見れば、それはルーズでいいかげんとも写るが、どうして奥のある言葉だ。
物事は、時が来ないと進まない。自然が時を教えてくれる。人間が決めるべき
コトではなく、自然という神の采配によって時が決まり、コトはそのように進む、
という意味である。本書はまさに“インディアン・タイム”で進行した。ちょうど一年
前、モホーク事件を(私の知り得た限りにおいて)まとめた小冊子「The Sacred
Hoop」を出版したときから始まった。以来、「五百年」という言葉のその重みが、
呪文のようにくり返されて交錯した。「五百年」・・・・何という歳月であろう。地球
の年月から見ればわずかな時間かもしれないが、人間の罪という面から考え
ると、気の遠くなりそうな長い年月である。コロンブスのアメリカ大陸到来には
じまる影響は、南北アメリカ大陸だけの歴史の変化だけでは断じてない。地球
上のすみずみにまで波及し、そして現代という結果につながっている。日々
エントロピーを増やしつづける人間の勝手な行為、今なお行われている侵略・
戦いの数々、そしてなおも残る奴隷制。五百年前のことではなく、現在のこと
である。世界中の誰もが、この五百年間に行われてきたことごとに決して目を
つむってはならないし、心にきざまなければならない時だ。本書の作業は、
アメリカ・インディアンの人たちに「あなたにとっての五百年とは?」という質問
を投げかけることから始まった。どれだけの人たちが、それに応えてくれるか
見当もつかなかった。ただ待つしかなかった。もしかしたら、ひとりも応えてく
れないかもしれないとさえ思っていた。結果は、レポートやエッセイ、インタビ
ュー等が、次々と亀の島から送られてきた。彼らへの質問は、同時に「わた
し自身」への問いかけであり、「わたし」のアイデンティティーを探る旅でもあった。
そして「ホピの予言」の上映活動や「セイクレッド・ラン」を通して北米先住民族
の世界を垣間見、アイヌの文化にふれ、それらの奥の深さにただ圧倒される
ばかりの「わたし」を知ることであり、「五百年」を学び直すことは「すべてに
つながる」ことでもあった。浅学、未熟な私には、歴史の史実を語ることなど
とても出来ない。充分な内容の歴史書はすでに出版されているので、それらの
史料を読んでいただきたい。本書は、インディアン・タイムの進行の結果、少し
の背景の説明と、現実問題のレポートを載せているが、主として現在生きてい
る先住民族の生の声をレポートしている。彼らからのメッセージが「夜明けへ
の道」につながらんことを心から切望し、どうかゆっくりじっくり時間をかけてお
読みいただきたい。また本書は、たくさんのネイティブ・アメリカンの人たち、
日本の人たち、そしてアイヌ民族の想いによって出来上がった合作の本である。
それらの運搬係のつもりで、企画、監修にたずさわらせていただいた。そして
92年10月12日、フルムーンにあたるコロンブス・ディに、本書を亀の島に奉納さ
せていただく。

All my relations

ソンノ イヤイライケレ

(本当にありがとう - アイヌ語)

堀越由美子

(本書より引用)

 
 

この文献の詳細ページへ 「神女(シャーマン)誕生」 
徳之島に生まれた祝女2万6000日の記録 
松堂玖邇 著 フォレスト


松堂玖邇が体験した神仏との語らい、そして預言。その信憑性云々に関して
は、霊性などない私が言葉をはさむことは許されないが、ただシャーマンとして
の自覚が芽生えるまでの心の苦悩や葛藤を描いた本書は、ユタが神からの呼
び出しに応えていく心の軌跡そのものであり、その語り口は見聞きした者を強く
ひきよせる不思議な力を持っている。心の揺れを実直に、そして何も装飾しない
で語る著者自身の誠実で謙虚な態度、それはシャーマンに共通するものであり、
共同体やそこに生きる人間のため自己犠牲的な覚悟を選んだ者だけが発する
ことを許された言葉の重みを感じずにはいられない。

シャーマニズムとは、はるか太古の時代に自然界の森羅万象を畏れ敬い、
絶対的なものとして捉えた人々の一つの心性とも言えるものです。大自然は生
きとし生けるものに空気を与えたり与えなかったりという差別はしません。自然
の恵みの中に、自然そのものとして存在し、その波動を自らの内に受け入れて
生きて行く、そのような人間の最古層の能力の一つがシャーマニズムと呼ばれ
るものです。それは現在の組織化された宗教が発生以前の原初的な形といえ
ます。既存の制度化された宗教は民族の利害と結びついてほぼ二千年を経た
今日、実態としては空洞化し形骸化してしまいました。ところがいますべてを
地球規模で考えなければならない時代となり、そのような形骸化された宗教で
は世の中を変える力に成りえなくなってしまったのです。だからこそ、原初の力
を秘めたシャーマニズムが復活しなければならないのです。そして、神仏の
エネルギーは生きた天性のシャーマンのエネルギーによって保たれ続けられ
ます。(本書 あとがき より抜粋引用)

 



未読の文献

各文献の前のをクリックすると表紙・目次並びに引用文が出ます。

  この文献の詳細ページへ 「図説 世界の先住民族」 
ジュリアン・バージャー著 綾部恒雄 監修 
やまもとくみこ・速水洋子・金基淑・細谷広美・森正美・葛野浩昭 訳 
明石書店


本書は、一個人でも先住民族の正義のために貢献できるという信念に基づ
いて書かれている。先住民族の社会を破壊したという責任は、全部とはいわ
ないが、少なくとも一部は裕福な人々が負うべきである。政府、銀行、法人は
主に市場の需要に応じるために、往々にして先住民族に不利な政策を施行
したり、あるいはそういう体制を支援したりしてきた。電動ノコギリを握るのは
消費者の手なのである。だが普通の人々が無力だということはない。それぞ
れの声は小さいかもしれないが、他の人々と合わせれば、強力な権力機構
にさえその声を聞かせることができる。もし、あなたが何かをしたい、あるい
はもっと知りたいと思うのならば、本書の巻末に掲載された組織はあなたの
支援を歓迎するであろう。「図説 世界の先住民族」は、先住民族の寄稿者、
人権問題の専門家、関心をもつ人類学者、報道関係者など多くの人々やグ
ループによる共同作業で誕生した。皆の共通した目的は先住民族の関心事
を忠実に反映することであった。それは多分、各々の専門分野だけで成し遂
げるのは不可能な仕事であろう。本書の計画、著述、編集のすべてにわたっ
て先住民族の人々が深く関わってきた。本書は、著者が何年にもわたって森
の村や僻地、町のスラム、国連の会合、その他多くの場所で先住民族の人々
と分かち合ってきた彼らのさまざまな状況や意見を、すべて集約しようと試み
ている。これは多くの人々の仕事であるが、その文責は編集者にある。もし誤
りや誤解があるならば、それはひとり編集者にのみ帰されるべきものである。
(本書 著者はじがき より引用)

 
  この文献の詳細ページへ 「アイヌ民族シリーズ 増補版 サルウンクル物語」 
川上勇治著 すずさわ書店


本書 あとがき 川上勇治 より引用 
昭和45年(1970)から書き始めた私のウパシクマ(言い伝え)集、『サルウ
ンクル物語』が出版されたのは、昭和51年でした。文中に書いてありますよ
うに、父母、祖父母が亡くなってから幾年月、私にとっては、忘れることの出
来ない長い苦闘の連続でした。私たち兄弟を、無事に一人前に養育してく
れた老夫婦の祖父母に対して、孫のわたしがせめてもの供養になれば、と
書き綴ったのが、このウパシクマ集であります。しかし、考えてみると、私の
書いたものが、一冊の本として活字になるということは、想像もしておりませ
んでした。幸いにして、最初に書いた祖父のウパシクマを、北海道の文化誌
にとり上げていただき、次に東京から柳田国男の研究誌に載せていただき
次に平取町史の一頁に掲載され、さらには姫田忠義氏の御好意で、この
祖父のウパシクマと他、私の文集の一部とを合わせて、サルウンクル物語
というタイトルをつけて、近畿日本ツーリストが出している「あるく、みる、きく」
という雑誌に載せていただきました。このような経過をたどり、多くの人達の
温かい御支援によりまして、私の幼稚な文章が世に出る運びになったので
あります。この本は、著者自身が言うのはおかしいのですが、わりあい好評
でした。どこかで病む人があれば見舞いに行き、誰かが死んだという知らせ
があれば、どんなに自分の仕事がいそがしくとも、五里も六里もの道を歩い
て、アスッタサ(とむらい)に行き、火事になって住む家を失った人には、
コタン全員総出で、新しい家を作って贈り、食べ物、着る物を持ち寄って助
け合い、和人にだまされても、うたがうことを知らず、人を裏切らず、神々を
敬い、ウウェペケレや、ウパシクマで、子供達に人の道を教え、自然と対話
しながら、本当に貧しいながらも、人間らしい生活を続けてきたのが、沙流
川すじの各コタンに住んでいた、エカシ(爺さん)、フチ(婆さん)達でした。
現在は、文化も進み、私達ウタリ(同胞)の生活もいちじるしく向上して参り
ましたが、それと同時に、人の心は乱れ、自分さえよければ他人はどうなっ
てもかまわない、つまり義理人情うすい人が多くなってきたような気がします。
そのような中で、私の書いたこの本が、昔のアイヌの精神文化の一端を知る
よすがになれば、本当に幸せだなあと思います。

 
  この文献の詳細ページへ 「アイヌのイタクタクサ―言葉の清め草」 
萱野茂 著 冬青社


本書 まえがき 萱野茂 より抜粋引用 
平成12年北海道功労賞を受賞の折りに、妻れい子が夫である茂の側面を、
と依頼を受けて書いた「ベレー帽にわらじ履き・・・・妻が見た茂の側面」をこ
の本の中に収録させていただきました。創作民話「穴の空いた丸木舟・・・・
エカシの知恵」、この話は少年時代に測量労働者として山を歩き、そのとき
に年上のアイヌの小父さんが、教えてくれた話を思い出しながら書きました。
「カムイになったハンカチ」は半分以上は実話ですが、丸木舟の横棒の入れ
方を、ハンカチに語らせながらさりげなく若者たちに伝えたいと思って書いた
ものです。本の題名に選んだ、アイヌの“イタクタクサ=言葉の清め草”で祓
い清める、この言葉は私が大好きな言葉で、いままでこの言葉を、この話を
大切に暖めていましたがここへ載せました。アイヌの自然観については、シャ
ケを獲りに行く場合、一緒に行く人を“チェプコイキクスアラパアンロー=魚を
苛めに行きましょう”という言い方で誘います。山狩りに行くときは、山にいる
獲物の総称を“チコイキプ=私たちが苛めるもの”、という言い方をするその
根底には、魚に対してあるいはシカやクマに、ごめんなさい、私たちアイヌは
あなた方を苛めて、その肉を頂戴して命をつないでいるのです、と感謝とお詫
びの心を常に忘れないように心掛けているものです。アイヌ語の面白さ、色の
イロいろの項ではどのような描写で色のイロを表現するか、具体的な例を挙
げながら並べてみました。アイヌと神々との関わりについては、樹木それぞれ
に名前を付けるにも、役に立つ木かそうではないかによって、ありったけの
敬称をつけるか、普通の木とするか決めるという具合に、アイヌの側から見る
神も、神そのものが絶対的な存在ではなく、役に立つか立たないかによって
のもので、神は常にアイヌの目の高さにあるものと考えていました。この小さ
な本の中味は、アイヌ民族の心の一断面でありまして、文化の総てでないこ
とは言うまでもありませんが、ほんの少しでも知ってもらえれば望外のしあわ
せです。お読み下さった方が、うちの村、二風谷へ遊びに来て下さることを、
心待ちにしつつ、まえがきに代える次第であります。

 
 
  この文献の詳細ページへ 「アニミズムという希望」 
講演録・琉球大学の五日間 
山尾三省著 野草社


いずれにしても、アニマというひとつの概念、精霊、命、霊魂、そういうものを
テーマにして、これから五日間の話をしていきたいと思っております。それには
いろんな理由があるんですけれども、ひとつには、日本の神道というのはアニ
ミズムというものに立脚している宗教です。日本の神道については、またお話
する機会があると思いますけれども、沖縄あるいは奄美、屋久島を含めて、い
わゆる南西諸島と呼ばれている風土にいちばん息づいている宗教といいます
か、宗教と呼ぶのが嫌いであれば、息づいている生活形態、文化といいますか、
それはアニミズムというものに基づいているとするのが、適当ではないかと思う
からなんです。(中略) ぼくはお隣の鹿児島県の屋久島という島に住んでいま
すが、その島は杉が大変よく知られています。原生林に入っていって、天然の
巨大な杉があちこちに見られる奥岳に行けば、ただそれだけで、何かあるもの、
を与えてもらえます。何ともいえないいい気持ちといいますか、深い気持ちとい
いますか、力感といいますか、そういうものを与えられます。そういうことが日本
および世界のどこの地域に行っても、それぞれの風土に無限に秘められている
わけです。そういう事物が世界には無限に存在しているんですね。それを森羅
万象といいます。森羅万象の中には、生命として、精霊として、霊魂としての
アニマが宿っています。そういう原初心性としての感受性をアニミズムというん
ですね。森羅万象のうちにはアニマが宿っているという考え方をアニミズムとい
います。
(本書より引用)

 
  この文献の詳細ページへ 「奄美学 その地平と彼方」 
「奄美学」刊行委員会編 南方新社


序 奄美学 その地平と彼方 
山下欣一さんの大学退職に寄せた奄美からの発信として 刊行委員会

今、私たちは「奄美」に暮らしています。ここでの「奄美」とは、奄美諸島を構
成する八島の島々の総称としてあることを、ひとまず確認しておかなければ
なりません。このように特定して語らねば、この「奄美」という言葉が多様な
意味を喚起していくことになるからです。むしろこうした揺らいだ言葉としての
ありようこそが、島嶼地域社会のありのままを含意しているのだと言ってい
いのかもしれません。そして、それぞれの位置からこの「奄美学」を介して、
私たちは様々な表現を試み、またそれらを深めようとしてきました。こうして
この「奄美」を介して表現を試みる私たちにとって、大切な友人として、躊躇
なく山下欣一さんの名前を挙げることができるでしょう。その山下さんが、
大学退職というひとつの節目を迎えることになりました。事改めるまでもなく、
「奄美」から拡げられていった民族研究の足跡は、計り知れない大きさと
なって積み重ねられてきました。それ以上に、私たちの身近へと届けられた
「奄美」からの、そして「奄美」へのこれまでの発信によって、どれほど私た
ちは知の勇気を、刺激を、そして挑発を受けてきたことでしょうか。1974年
(昭和49年)、「奄美の人が奄美を認識し、自己を規定していく、奄美学を
確立する時期にきている」とした問題提起は、鮮烈な問いとなって響きまし
た。他方にヤポネシアを論じる島尾敏雄さんが対峙しての二人の議論は、
確かに「奄美」を鍛える熱い言葉となっていったことを忘れません。それ以降、
私たちは「奄美学」という言葉に、『奄美」のアイデンティティーを語る可能性
を見てきたことも確かです。そして今、山下欣一さんの新たな出発に際して、
私たちもこの発せられた問いに改めて向き合うことによって、今この時の歩
みを新たにしてみたいと考えています。二十一世紀のパスワードのようにし
てあるグローバリゼーション、その世界の一元化への対抗として多文化主義
が主張されています。しかし、その土地に育まれたとする地方の文化的特殊
性を強調するだけでは、新しい知の構築とはなりません。むしろ日本の中で
周縁化されることで、「奄美」を特殊なものとして自己主張するあまり、逆に
普遍的な日本を強化するような陥穽にはまる危険性に気付いておくべきでも
あるのです。この間、「奄美」という言葉が多様な意味を生み出してきました。
では「奄美学」を介して私たちは何を明らかにしてきたでしょうか。またそこ
には何が欠落していたでしょうか。こうしたひとつひとつを明確にしていくこと
が、新たな歩みには必要だと考えています。「奄美」固有の文化や価値観が
あると語ることによって、どれだけ日本を、そしてその近・現代を相対化でき
たでしょうか。私たちが、ここに掲げるように「奄美学 その地平と彼方」とす
るのは、こうした問いとともに新しい「奄美」の知のあり方を考えていこうとす
るからです。そしてこのことが、一人の知の旅人としての山下さんと私たちの
「奄美」を介した結びつきを、また知の友情を表現していくことになると考えて
いるのです。(本書より引用)




アイヌ語口承文芸コーパス ー音声・グロス付きー|A Glossed Audio Corpus of Ainu Forklore

「ここ10年間で、言語が消滅の危機にさらされているということは世界的に認知されてきました。また、

言語ドキュメンテーションは、危機言語のデータを用いた多目的コーパスの構築を中心に独立の分野

として確立されてきています。



現在、アイヌ語の危機的な状況は深刻です。しかし、アイヌ語はもともと文字を用いない言語でしたが、

一世紀以上前からさまざまな表記法が模索され、また筆録や音声の録音によって人々が記録に努め

てきたおかげで、アイヌ語やアイヌ文化、アイヌの口承文芸に関する資料は豊富に残されています。

よって、アイヌ研究は今後も絶えることなく、国際的により広く発表されることで成長もしていくことでしょう。

そうした研究は、これから先、似たような状況にあるほかの危機言語コミュニティとの繋がりも強めていく

はずです。



『アイヌ語口承文芸コーパス―音声・グロスつき―』は、日本語と英語による訳とグロスや注解がついた

初めてのアイヌ口承文芸デジタル集成です。ここで扱った音声資料は、中川裕が1977年から1983年に

記録し、非常に優れたアイヌ語話者で語り部でもあった木村きみさん(1900-1988、沙流川上流域の

ペナコリ出身)が語ったものです。きみさんは、日本語よりもアイヌ語を自由に使えるほどの技量を

持っていた方でした。その物語の豊富なレパートリーと語り口のテンポのよさには圧倒されます。」






アイヌ文化交流センター(財団法人 アイヌ文化振興・研究推進機構)がアーバンスクエア八重洲

に出来ました。「舞踊、音楽、工芸品など、古来よりアイヌ民族が長い時間をかけて育み今に伝え

てきた伝統文化には、私たちが忘れかけている素朴な美しさやたくましさが溢れています。当セン

ターは、多くの方々にアイヌ文化について知っていただくことを目的として、アイヌ伝統工芸品など

の常設展示のほか、セミナー、ビデオ鑑賞会の開催、インターネットや図書資料による情報提供

などを行っています」。JR東京駅八重洲南口・徒歩5分、営団地下鉄京橋駅・徒歩5分。平日21

時(入館は20時まで)まで開いています。お問い合わせの電話・03−3245−9831で詳しいこ

とを聞いていただけたらと思います。





アイヌ語語り部育成への育英資金設立について

北海道日高支庁平取町(びらとりちょう)の萱野茂・二風谷(にぶたに)アイヌ資料館長(七二)

=前参院議員=が二十二日、アイヌ語の語り部を育てる「萱野茂アイヌ語育英資金」を設立した。

「言葉こそ民族のあかしだ」と主張する萱野さんは、後継者育成への資金協力を広く求めている。

道内に住む人が、企業の広報誌に載った萱野さんのインタビュー記事を読み、アイヌ語の伝承に

かける萱野さんの熱意に感動し、百万円を寄付した。萱野さんも五十万円を出し、計百五十万円

の資金でスタートした。アイヌ文化振興法ができても、アイヌ語への支援不足に批判的な萱野さん

は、寄付に触発されて、独自の後継者づくりに踏み切った。「踊りや料理などへ補助金の支援が

あっても、アイヌ語自体への補助金は不十分だ」と話す。十七年ほど前、自力で木造のアイヌ語

教室を建てた。ほとんどが、講師の手弁当や生徒たちの熱意で運営してきた。一期生だった小学

生たちは、もう社会人や大学を卒業する年ごろになっている。現在、子供の部に二十五人、大人

の部に四十五人が在籍する。資金を資料代や生徒たちの交通費などに充て、生徒たちが学びや

すい環境づくりを進めたいという。萱野さんは約四十年間、アイヌ民族のお年寄りから話を聞き取っ

て学んだが、その多くは亡くなってしまった。お年寄り、そして萱野さんに続く、後継者を萱野さん自

身が強く望んでいる。萱野さんは「(年を考えれば)正直、焦っています。ぼけないうちは頑張るが、

いつまでもそうとは限らない。一人でも二人でも、育英資金に賛同してくれればうれしい」と話してい

る。育英資金の振り込み先はここです。(1999年1月22日 朝日新聞ニュース速報より引用)

苫小牧信用金庫平取支店の普通預金口座145306「萱野茂アイヌ語育英資金」。






2014年6月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。





(写真は「すべてを明日の糧として 今こそ、アイヌの知恵と勇気を」宇梶静江著 清流出版より引用)



皆さんが地球上で生き残った、ただ一人の人間になったとしたら、何を感じるだろう。



私は恐らく孤独感に蝕まれ、発狂するかも知れない。



人間に限らず生命あるもの、彼らの多くは虐殺などにより、人間が味わうような孤独感に苦しめられ、そして絶滅の道をたどってきた。



私たちに出来ることは、彼らにその道を歩かせないこと、そして同じような境遇で亡くなった全ての生き物に対して手を合わせ、

祈ることだと思う。



アイヌ復権の旗手でもある宇梶静江さんは詩人でもあり、絵本作家でもある。



太古の遺伝子を呼び覚ますことができる人と、そうでない人の違いは、死者のための祈りができるかどうかなのだと感じてならない。



今を生きるものたちだけでなく、その想いを遥か昔までさかのぼることが出来る人。



そのような想いや祈りをもって初めて、アメリカ先住民や多くの世界の先住民が行動の規範とする「七世代先の子どもたちのために」、

と言えるのかも知れない。



勿論、私はそのような祈りができる人間ではないし、どのように祈ればいいのかわからない。



ただ、もしこの想いや祈りが世界にあふれたら、過去から未来へと「いい風」が吹き抜けるに違いない。



☆☆☆☆



(本書より引用)


同胞を受け入れることから始まった母親の生活の激変に、子どもたちはみるみる巻き込まれていったわけ。



私が仕事に、少年少女たちの世話に、と飛び回っているとき、幼いきょうだいはふたりでじっと母親の帰りを待っていた。



子どもたちには、勝手なおっ母で本当にすまなかったと思う。



だけど、そうせざるを得なかったこともふたりには知ってほしい。



私がこの本を書こうと思った理由のひとつはそこにあるんだ。



どうぞ、わかってほしい。



困っている人をけっして見捨てることのできないアイヌの血が、この母の中に流れていることを。



私は、子どもたちが生きやすい社会にしたいと、とんでもない荒れ地に種まきを始めた母親だった。



今、この母は良子と剛士に対し、しょく罪の思いを胸にいっぱいに抱えて生きているよ。



☆☆☆☆



 

APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse

(大きな画像)



 


2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。

その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。



その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、

世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴

えておられた。



私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は

かに思っていた。



確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私

たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して

理解することは出来ないと思う。



この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。



ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ

の思いを投稿した。



私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。

また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。



今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間

達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。



アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ

るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。



下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり

絶対こうでなければならないという意味ではない。



私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。



☆☆☆☆



太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。



日食のことを次のように言いました。



チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)



日食の際の儀式を紹介します。



男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。



女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。



チュプカムイ      太陽のカムイよ
エ・ライ ナー   あなたは重態だ
ヤイヌー パー    よみがえれよー
ホーイ オーイ    ホーイ オーイ



日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が

あったのです。



太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。

オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。



闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用



☆☆☆☆







(K.K)



 

 


2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

厚木市から見た金環日食



僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。



人びとに安らぎが訪れるようにと。



今日は金環日食だった。



昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。



でも、僕は違う人々のことも想像してみた。



インディアンホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、

日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。



もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。



「太陽、生きてくれ!!!」と。



僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。



しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも

知れない。



日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って

生きてきた人たち。



勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。



でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。



(K.K)



 

 

2012年7月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)

写真はNASAより引用



東京で何をしていいか彷徨っていた時、駅で若い女性に声をかけられ行った先が統一教会の

信者が生活する施設だった。そこで僕は20代後半くらいの医療関係の雑誌をを編集している

女性と会い、一年間くらいここに通って彼女といろいろなことを話した。世間で問題になりつつ

ある時期だったが、彼女は僕の考えをじっくり聞いてくれたように思う。



独りぼっちで何かを求めていた僕は「あーあ、こんな女性がいつも近くにいてくれたらいいな」と

思ってばかりで、統一原理など聞いても全く頭に入ってこなかった。ただ、彼女が大勢を前にし

て統一原理を話す眼差しや口調は、僕と話すときの彼女とは別人だった。



就職したとき、ある友人が高橋桂子さんの講演を聴きにいかないかと誘われた。彼女は自身

のことを「キリストブッダを統合した上の次元にいるもの」という話を聞きながら、またしても

僕は「あーあ、こんな綺麗な女性と結婚できたらいいな」と思って聴いていた。



まあ男性だったら女性にこのような想いを抱くのは極自然なことなのだが、何が彼女たちから

自分を離したのかを思うと今でもはっきりしない。



ただ母の存在神秘体験(今思うと疑問だが)かも知れないと思うことがある。母親に関しては、

どんなに宗教家が美辞麗句を並べても、母の子への無償の愛という行為に勝るものはない。



それと奄美などの自然、美しいものでありながら怖い存在でもあった自然。それらの記憶が道を

外れそうになった自分をあるべき所に戻そうとしたのかも知れない。



様々な宗教、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユは「さまざまとある正しい宗教の伝承は、すべて

同一の真理の種々ことなった反映にすぎず、おそらくその貴重さはひとしいのです」と言い、インド

の偉大な師であったラマナ・マハリシが様々な宗教について問われたとき沈黙で応えたように、多

くの人も宗教はどこかで結びついていると感じていても、その源泉ははっきりとはわからない。



恐らく何千年、何万年先でないとその姿は明らかにならないような気がするし、それだけの時間を

かけなければいけないものだと思う。



私が若い頃出会った女性、もう高齢だとは思うが「幸あれ」と願いたい。



☆☆☆☆



写真は、地球から約3000光年離れた位置にあるキャッツアイ星雲(NGC 6543)の姿です。



鋭い猫の目を思わせることからこの名前がつけられましたが、実際は死にゆく星から放出された

ガスとちりの造形です。



不思議なことにこの放出は1500年ごとに現れ、それが同心円状の構造やジェットに見ることができ

ますが、何故この質量放出が1500年ごとに繰り返されるのかまだわかっていません。



☆☆☆☆




(K.K)



 

2013年1月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(写真は他のサイトより引用)



1991年に刊行された柳澤さんの「意識の進化とDNA」を最近読みました。2004年に生命科学者としての

視点を踏まえながら般若心経に迫った「生きて死ぬ智慧」は注目を集めましたが、土台はその十数年前

に芽生えていたのですね。



柳澤桂子さんは前途有望な生命科学者でしたが、その後原因不明の病気で、36年間闘病生活を強いら

れます。生命科学者としての目、そして自殺も考えた心の痛み、この2つが彼女の死生観の根底にある

と思います。



「意識の進化とDNA」は彼女の専門分野の遺伝子に限らず、心理学、哲学、芸術などの底流にある関連

性について、二人の男女の会話を通して小説風に書かれた読みやすい本です。



彼女は言います。「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己である」と。そして意識の進化は「自己を否定

して、宇宙と一体になる。これが“悟り”すなわち宗教の世界である」と考えます。



私自身、“悟り”がどのようなものかわかりませんが、彼女の言う意識の進化は、必ずしも生命に多くの美

を宿すことにつながっていないような気がします。



私たち日本人の基層として位置づけられるアイヌの人々、彼らは縄文時代の世界観を受け継いだ人々

でした。果たして昔のアイヌの人々と現代人、どちらが多くの美を宿しているのでしょう。



美、あるいは美を感じる心とは何でしょう。それは、私と他者(物)との「へだたり」への暗黙の、そして完全

な同意から産まれるものと感じますし、「純粋に愛することは、へだたりへの同意である」と言うヴェイユ

眼差しに共鳴してしまいます。



動物や植物、太陽や月、天の川と星ぼしたち。



現代の私たちは科学の進歩により、この「へだたり」を狭くしてきました。しかし、その一方で峡谷は逆に深

くなり、底が見えなくなっているのかも知れません。それはこの世界の混沌とした状況によく似ています。



世界屈指の古人類学者のアルスアガは、「死の自覚」が今から40万〜35万年前のヒト族(現生人類では

ありません)に芽生えたと推察していますが、「死」という隔たりを自覚したヒト属にどんな美が宿っていた

のでしょう。



私は星を見るとき、あの星団はネアンデルターレンシスが生きていた時代に船出した光、あの星は大好き

な上杉謙信が生きていた時代、などと時々思い浮かべながら見るのが好きです。



そこで感じるのは、柳澤さんが問いかけている「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己」に近い不思議な

感覚でした。



意識の進化にはいろいろ議論はあるかも知れませんが、柳澤さんの眼差しには宇宙創世からの大きな時

の流れそのものを感じてなりませんでした。




 

2014年7月17日

「オオカミの肖像」という項目を作りました。


オオカミの肖像


森を、そして結果的に、そこに生きるものたちの調和あふれる世界を創ってきたオオカミ。しかし彼らオオカミの存在は、

人間にとって自らの獰猛性を葬り去るための身代わりでしかありませんでした。世界各地の先住民もオオカミも、西欧人

にとって自身の「真の姿を映す鏡」だったが故に、そして自身のおぞましい姿を見せつけてくるが故に、この鏡を叩き壊さ

なければいけないものだったのかも知れません。オオカミは森の、そしてそこに生きるものたちに必要不可欠な存在だけ

でなく、私たち自身は何者かと問う存在なのだと思います。



 

2015年11月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




数年前に、ある人に出会った。彼女は看護師さんで入院している患者さんの死期が不思議なことに見えると話していた。



彼女の言葉を確信したのはあることだったのだが、このような千里眼とでもいう能力は世界の先住民やカトリック

ピオ神父などが有名)にも見られる。




アイヌでは故・青木愛子さんは知られているが、沖縄・奄美のユタは殆どが女性で、ある日突然にその兆候が現れる。



日本以外のシャーマンは男性が多く、修行を経てからのに比べると沖縄・奄美のユタは世界的にも珍しいのかも知れない。



詳しくは知らないが、日本の東北地方のイタコ(元々は先天的もしくは後天的に目が見えないか、弱視の女性の職業)や、

瞽女(ごぜ)もそうだった。



盲目の旅芸人「瞽女」、彼女たちを幸いもたらす聖なる来訪者・威力のある宗教者として昔の人々は迎え入れた。



キェルケゴールは、「真理の証人とは、その一生涯、内なる戦い、恐れ、おののき、誘惑、魂の苦悩、霊的苦痛を深く

味わい尽くした人のことである。真理の証人とは、殉教者のことである」と言った。



これに似た苦悩はイヌイット(カナダ北部の先住民)、ブラジルの先住民のシャーマン(パブロ・アマリンゴはNHKでも

特集された)、チベットのある賢者や他の宗教・芸術家にも見出すことが出来ると思う。



しかしそれとは異なる側面を持つ力もあると思う。



エクソシスト(悪魔を追い出して正常な状態に戻す賜物をもった神父)



悪魔や悪魔祓いというと、中世のキリスト教が行なった残酷な魔女裁判を思い浮かべ嫌悪するだろうし、悪魔など

過去の迷信と思っている人も多いだろう。



ただ皆さんも知っているアッシジの聖フランシスコや、前述したピオ神父は魔女裁判とは本質的に異なるもの(悪魔)

に苦しめられていた。



現代のバチカンではエクソシストになるには非常に高い徳性と経験が求められ、先ずその症状が精神性の疾患で

ないことを踏まえたうえで行なわれているが、ある特殊な賜物が与えられていない限り出来ないことだと思う。



ハワイ先住民南米大陸・アマゾン先住民のシャーマンの中には、そのような異なる側面の力を使う者がいることが

書かれているが、それは世界各地・日本でも見出せるのだろう。



ヒッグス粒子、これを神の粒子と呼ぶ人もいるが、それは物理学の次元での真理であり、神の領域とは異なるものだと思う。



宇宙創成から、現在にまで膨張を続ける宇宙、その力は完全に物理学の法則で説明(現代では不可能であっても)し得る

ものを未来の人類は見出すと思う。



ただ、それは力そのものでしかなく、その力とどのように接触するかの姿勢は別の話であると感じる。



真実の話か比喩かわからないが、ブッダは川の水面を歩く行者を見て、その修行に何の意味があるのかを問い

嘆いている。



聖書も「わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰

があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい」(コリント人への第一の手紙)とある。



存在を慈しむことと、存在を否定することの境界。



そこには物理学の真理とは異なる次元と境界、ヴェイユの言葉を借りると「重力と恩寵」の恩寵(おんちょう、神の恵み・

慈しみ)が、私たちと神なる領域の唯一の接点であり跳躍であるのかも知れない。



私にはそれが肌を通して浸透はしていないし、冒頭の彼女のような賜物も有していない。



ただ難しいかも知れないが、方向性だけは見失いたくない。



写真は、惑星状星雲・NGC6543です。



 

2013年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。




ニーチェと宮沢賢治(写真は1年前に作ったレゴの蒸気機関車です)



ニーチェの「神は死んだ」の言葉に象徴される虚無主義(ニヒリズム)と「超人」思想。



私はニーチェの著作に触れたことがなく正しく読み取っていないかも知れませんが、、現世から目を背けている

当時の風潮に対して、彼は果敢な挑戦状を叩きつけたのだと思います。



しかし、来世のことだけを語る宗教への断罪と虚無主義。一部において何故彼がこう考えたのか納得はするも

のの、私たち一人一人は空気や水・食べ物など、地球や他の生命が養い創ったもののなかでしか生きられま

せん。人間は決して単独で存在できるものではありませんし、他のものとの関係性なくしては生きられないので

はないかと疑問に思ったのも事実です。



デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」からニーチェ、ハイデッガー。彼らの「個(人間)」だけを世界から切り

離した思索、人間中心主義が横行した西洋哲学に対して、梅原猛さんはその著「人類哲学序説」の中で鋭く

批判しています。



これらの西洋哲学者の対極にいるのが宮沢賢治先住民と呼ばれる人なのかも知れません。西洋哲学が

人間を世界から切り離して真理に近づこうとしていたのに対し、賢治や先住民は他のものとの関係性(繋がり)

を基軸に据え、賢治の場合は「銀河鉄道の夜」などの童話を通して私たち後世の人に想いを託したのでしょう。



賢治が言う「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、互いの繋がりを

真に肌で感じた者にしか発することが出来ない言葉なのだと思います。



梅原さんは前述した本の中で、宮沢賢治と江戸時代の画家「伊藤若沖」を紹介され、二人の思想の背景には

「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」(国土や動物・草木も仏性を持ち成仏できる意味)が

あり、縄文時代アイヌを含む世界各地の先住民の世界観に共通しているものがあると言われます。



またノーベル賞を受賞した福井謙一さんの言葉「科学はいまに、裁かれる日がくるだろう。自然を征服する科学

および科学技術から、自然と共生する科学および科学技術へと変わらなければいけない」を紹介されていました

が、科学技術文明の基となったデカルト以来の西洋哲学にも同じことが言えると主張されています。



私たちはデカルト以来の西洋哲学を、反面教師として捉える時期なのかも知れません。



ニーチェの「神は死んだ」、私は彼の思索の片鱗も理解できていないかも知れませんが、虚無としか映らない

状況のなか一筋の光りを見た女性がいました。



ニーチェの「超人」思想がヒトラーに悪用され、ハイデッガーがナチスの思想ではなくヒトラーの強い意志に魅了

されていた同じ頃、アウシュヴィッツの強制収容所で亡くなった無名の人ですが、賢治の銀河鉄道と同じように

多くの人の道標として、これからもその軌道を照らしていくのだと思います。



最後に、フランクル「夜と霧」から抜粋引用し終わりにします。



☆☆☆☆



それにも拘わらず、私と語った時、彼女は快活であった。



「私をこんなひどい目に遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ。」と言葉どおりに彼女は私に言った。



「なぜかと言いますと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを

追っていなかったからですの。」



その最後の日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。「あそこにある樹は一人ぽっちの私のただ一つのお友達

ですの。」と彼女は言い、バラックの窓の外を指した。



外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。



病人の寝台の所に屈んで外を見るとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつけた

一本の緑の枝を見ることができた。



「この樹とよくお話しますの。」と彼女は言った。



私は一寸まごついて彼女の言葉の意味が判らなかった。彼女は譫妄状態で幻覚を起こしているだろうか? 

不思議に思って私は彼女に訊いた。



「樹はあなたに何か返事をしましたか? -しましたって!-では何て樹は言ったのですか?」



彼女は答えた。



「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる-私は-ここに-いる。私はいるのだ。永遠のいのちだ。」



☆☆☆☆




 

2013年11月14日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。





本日11月14日の夜明け(5時43分〜6時33分)の光景です。



フィリピンの台風被害の甚大さ、心を酔わせる自然もあれば、牙をむく自然もある。アイヌの

方は、理不尽なことに遭遇すると、先ず神に何故?と文句を言います。そしてその後で、神

の言い分を自ら考えて妥協点を見い出そうとします。



もちろん、彼らアイヌの人は常日頃から、神との接点があるがゆえに、大声で文句を言う

ことができるのだと思います。私たちは、怒りや悲しみを内にこめてしまいがちですが、

それではそれらの感情が増殖し続けていくのかも知れませんし、裏をかえせば、私も含め、

神との接点をないがしろにしていると言っていいのかも知れません。



思いっきり神に対して文句を言う。それは体が自然と息をするように、生きている信仰を

体現している人にしかできないのかもしれませんね。



☆☆☆☆

 

2012年6月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





40億年後の地球



250万光年も離れているアンドロメダ座大銀河は時速40万kmで、天の川銀河に近づいてきています。



そして40億年後に天の川銀河に衝突します。



そのシュミレーションがこの画像ですが、40億年後の人類、いや人類も進化の過程の通過点だとすれば、

どのような生物がこの光景を目にすることが出来るでしょうか。



私たちとは全く異なる体つきをしているのか、またその心は何を感じているのか。



進化論が正しいにせよ誤りにせよ、何らかの方向性を生物は与えられているように感じるときがあります。



私は古代の人より現代人が科学の面で進化しているものの、自然と人、人と人の絆は逆に退化している

ように思います。



与えられた方向性とは違う軌道を科学がとるとき、生物の取り囲む環境は物質的にも精神的にも混沌の

中に彷徨うことになるのかも知れません。



40億年後の生物、その生物は現在の混沌をさらに深めているのか、それともこのアンドロメダ座大銀河と

天の川銀河の衝突のように再び一つの身体になっているのか。



それを決めていくのは、現在の私たち一人一人なのかも知れません。




(K.K)



 

2012年9月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)

本日9月2日撮影した、雨上がりの睡蓮と障碍を持ったメダカ



メダカも他の生物と同じように不思議な生き物だ。



メダカは産卵時期には多くの卵を産むが、生き残るのはそれ程多くはない。孵化せずに

死んでしまうものもいれば、写真のメダカのように骨が変形して生まれてくるものがいる。



遺伝子の多様性は頭では理解しているつもりでも、同じ環境の下で育てているはずが

何故と問いかけたくなる。



インディアンのラコタ族の伝統では、障碍者は聖なる者であり、人々に何かを教えるため

に遣わされた存在だと考えられていた。



そこでは「できない」ことではなく、「できる」ことに焦点をあてようとする世界観・人間観が

あると「アメリカインディアンの現在 女が見た現代オグララ・ラコタ社会」の本の中で、

デイ多佳子さんが紹介している。



沖縄・奄美のシャーマン・ユタ。最初彼女たちは「目に見えないものが見え」「聞こえない

ものが聞こえ」る体験を通してユタになるのが殆どである。



世界のシャーマンの中でも「神のお告げ」とも受け取れる稀有な現象は、沖縄・奄美特有

のものだと今まで思っていた。



しかし、これは世界中で起こっていることかも知れず、ただ私たちはその現象を安易に

精神的な病として片づけているのかも知れない。



勿論、本当に精神的な病に苦しんでいる人たちがいるのも事実だが、異質なものをある

がままに受け止め、その意味を感じ取る風土が古代から受け継がれてきたのも事実で

ある。



このような風土、世界観・人間観をもつ社会は、「あるがままの」存在の重さを感じること

によって導かれるものかも知れない。



骨が変形しているメダカ、このメダカを見ていると何かを語りかけようとしている、とふと

感じてしまう。




(K.K)



 

2013年6月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



(大きな画像)


オレゴン州クレーターレイクに広がる、天の川と大気光(写真はNASAより引用)



写真の中央に広がる湖はクレーターレイクと呼ばれ、最深597mでアメリカでは最も深い

(世界では7番目)湖です。



今から40万年前にマザマ山は火山として誕生し、高さ3400mにも達しましたが紀元前

4860年頃、マザマ山は大噴火し頂上が760〜1000mも崩落してしまいます。



この崩落により巨大なカルデラが出来、それが現在の湖となりますが、大噴火と崩落を

目撃した当時のインディアンは伝説という形で後世の人たちに伝えてきました。



富士山に例えると7合目まで崩落してしまうのですから、マザマ山の大噴火が如何に

すさまじいものであったのか、そして人びとが如何に驚愕したのかを想像できそうです。



真ん中の小さな島が摩周湖と似ていますが、不思議なことに摩周湖もマザマ山と同じ

時期の大噴火(7000年前)によって出来たカルデラ湖です。



アイヌの方々は摩周湖のことを「キンタン・カムイ・トー(山の神の湖)」と呼びますが、

「クレーターレイク」近くのインディアンの人びとの伝説では、地の世界と天の世界の

戦いの場でした。



空に広がる緑の大気光、オーロラのような美しさですね。



 

2014年4月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。



APOD: 2014 April 2 - Mars Red and Spica Blue

(大きな画像)



火星が地球に最接近(写真はNASAより引用)



明日4月14日に火星地球に再接近(マイナス1等級に輝く)しますが、お月様とも接近した姿が見られます。



写真は、3月末にスウェーデンで撮影された火星と「おとめ座」の1等星・スピカで、オークの木のすき間から

赤と青の対比する輝き(「はくちょう座」のアルビレオを思い起こさせます)が見えています。



アイヌの方は、スピカを狼(おおかみ)星という意味の「ホルケウノチウ」と呼んでいますが、日本語での語源

は大神(おおかみ)で、山の神として山岳信仰とも結びついてきました。



「かしこき神(貴神)にしてあらわざをこのむ」と日本書紀に記述されているようですが、ヨーロッパやイエロー

ストーン国立公園で成功したように日本の森に狼を放すこと、それに対して異論や不安(恐怖)はあるかと

思います。



ただ私は、かつて日本の森を守っていた狼、彼らの遠吠えをこの日本で聞いてみたいと思います。



100年以上前に絶滅したと言われる日本狼、何処かで生き抜いていて欲しいと願っています。



 

2014年4月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。




(大きな画像)


本日4月27日の夜明け(4時25分〜5時12分)の光景です。



バチカンのサンピエトロ広場において、先々代のローマ法王ヨハネ・パウロ2世(在位1978〜2005年)と、

第261代法王ヨハネ23世(同1958〜63年)の列聖式(カトリック教会で最高の崇敬対象である「聖人」と

する)が、本日4月27日行われました。



ヨハネ23世はキューバ危機において米ソ双方の仲介に尽力し、他教会や他宗教との対話に積極的であり、

有名な第2バチカン公会議を開催をした卓越した法王でした。無心論者や他の宗教をどのように捉えるの

かをも話し合われたこの公会議、その指導的な神学者だったカール・ラーナーの本には心打たれました。



現在バチカンは一部の聖職者による児童への性的虐待の問題で揺れていますが、アメリカ先住民への

同化政策が行われていたころ、カトリック・プロテスタントを問わず、親元から強制的に引き離された彼らの

子供に対して、同じ過ちをした聖職者たちがいました。これらの同化政策(アイヌの方も同じです)の影は、

現在においてもアメリカ先住民社会に暗い影を落としています。



2000年3月12日、当時の法王ヨハネ・パウロ二世は「回心と和解の日」のミサの中で、「イスラエルの民に対して

犯した罪の告白」(ユダヤ人虐殺を黙認してきた歴史)、そしてアメリカ先住民などの世界各地の先住民に対して

の文化と宗教を破壊してきた歴史への謝罪を行いましたが、その時に話された一部を紹介します。



☆☆☆



「世界の主、すべての人の父よ、あなたは御子を通してわたしたちに、敵を愛し、わたしたちを憎む人々に善を行い、

わたしたちを迫害する人々のために祈るよう求められました。



しかしキリスト者はしばしば福音を否定し、権力というメンタリティに傾倒し、諸民族の権利を侵し、彼らの文化と

宗教的伝統を侮辱してきました。



どうか、わたしたちに対し寛容で、慈しみを示し、あなたのゆるしをお与えください。主キリストによって。」



法王ヨハネ・パウロ二世



☆☆☆



 

2015年8月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





アイヌ民族や世界の先住民、特にアメリカ先住民(インディアン)の文献に多く触れてきたためか、国の同化政策により部族の言語を

失うことがどれほど悲痛なことか。



言語の消滅はその部族の伝統文化の消滅を意味している。



そしてその痛みを分からない日本人があらゆる分野のトップに就こうとしている。



以前にも書いたが日本語は世界的にみても希有な言語である。



祖語があり、そこから枝分かれした西欧の言語とは違い、日本語はさまざまな言語が融合した世界にも類がない言語。



この独特な言語が、日本独自の感性を養ってきた要因の一つであることは容易に推察できる。



勿論、他言語との架け橋として英語の大切さは言うまでもないが、それは自己の言語に誇りを持った上での話である。



2018年からの小学校では、将来的に「英語で討論・交渉できること」を目指した実践的な英語教育が始まるそうである。



文科省といい企業のトップといい、言語という自己を育んできた存在に対しての無知さが垣間見えてならない。



つい最近、日本の漢文学者・古代漢字学で著名な故・白川静さんの「常用字解」という辞書を購入したが、漢字にはこんな意味が

あったのかと本を開くたびに自分の無知を痛感させられ、また新たな発見の驚きがある。



多くの人に日本語そして漢字の素晴らしさを改めて感じてもらいたい、その上で必要としている人は英語を勉強してほしいと

願っている。




追記 2017年6月1日 
「英語化は愚民化」施光恒・著 同化政策の悲劇を知らない悲しい日本人
 を参照されたし。

 

2015年8月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




縄文のヴィーナス(2012年、国宝に指定された土偶の3分の1のレプリカ)

(大きな画像)

実物の「縄文のヴィーナス」はこちら



土偶が何故創られたのか様々な説がある。生命の再生、災厄などをはらう、安産のための身代わり、大地の豊穣を願うなどなど。



今後も新たな説が生まれてくると思うが、時代の背景を踏まえながら全ての先入観を捨て(完璧には不可能だとしても)、純度の

高い目で土偶に向き合う姿が求められているのかも知れない。



今から30年前、この土偶に関しての衝撃的な見解が「人間の美術 縄文の神秘」梅原猛・監修に示された(私自身、最近になって

知ったことだが)。



殆どの土偶(全てではない)に共通する客観的な事実、「土偶が女性しかも妊婦であること」、「女性の下腹部から胸にかけて線が

刻まれている(縄文草創期は不明瞭)」、「完成された後に故意に割られている」など。



アイヌ民族や東北に見られた過去の風習、妊婦が亡くなり埋葬した後に、シャーマンの老婆が墓に入り母親の腹を裂き、子供を

取り出し母親に抱かせた。



それは胎内の子供の霊をあの世に送るため、そして子供の霊の再生のための儀式だった。



また現在でもそうかも知れないが、あの世とこの世は真逆で、壊れたものはあの世では完全な姿になると信じられており、葬式の

時に死者に贈るものを故意に傷つけていた。



このような事実や背景などから、梅原猛は「土偶は死者(妊婦)を表現した像」ではないかと推察しており、そこには縄文人の深い

悲しみと再生の祈りが込められていると記している。



「縄文のヴィーナス」、現在でも創った動機は推察の域を出ないが、そこに秘められた想いを私自身も感じていかなければと思う。



縄文人に限らず、他の人類(ネアンデルタール人、デニソワ人など)や、私たち現生人類の変遷。



過去をさかのぼること、彼らのその姿はいろいろな意味で、未来を想うことと全く同じ次元に立っていると感じている。




 

2015年9月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





スターリン、ヒトラーなどの独裁者に共通するもの



自身が絶対正義だと陶酔し、意見の異なる人を邪魔者として抹殺する。



最近の日本では小泉がそうでしたが、今回の安保法案の賛成・反対派の両者とも、その危険性のある議員や民が

いるのを感じました。



聖徳太子の十七条憲法(604年4月3日に臣下を集め提示したこの憲法は、日本で初めての成文法と言われています)

の第十条にはこう書かれています。



「心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。

人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと

思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだという

わけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。おたがい

だれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、

むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって

行動しなさい。」



十七条憲法は崇高な理念が書かれているのではなく、モーゼの十戒「殺すな、盗むな、姦淫するな」と同じく

行動規範が書かれています。



ただ、この第十条だけを抜粋して十七条憲法を語るのは卑怯な態度なので、憲法全文を時間がありましたら見て

いただけたらと思います。



第七条にはこうも書かれています。



「人にはそれぞれの任務がある。それにあたっては職務内容を忠実に履行し、権限を乱用してはならない。賢明な

人物が任にあるときはほめる声がおこる。よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。世の中には、

生まれながらにすべてを知りつくしている人はまれで、よくよく心がけて聖人になっていくものだ。事柄の大小に

かかわらず、適任の人を得られればかならずおさまる。時代の動きの緩急に関係なく、賢者が出れば豊かに

のびやかな世の中になる。これによって国家は長く命脈をたもち、あやうくならない。だから、いにしえの聖王は

官職に適した人をもとめるが、人のために官職をもうけたりはしなかった。」



欺瞞・汚職にまみれた中国に限らず日本でも、聖徳太子のような人物が出てきたらと思っていますが、現代の

民主主義では不可能ではないかとさえ思うことがあります。



言霊、「言葉には霊力があるから、決して嘘をついてはいけない」、これは昔の日本だけでなくアメリカ先住民

(インディアン)
にも共通していたことです。



選挙で聖徳太子のような人が選ばれるには、全ての民に言霊が宿って初めて実現するのですが、それは

聖徳太子の時代から1400年経っても殆ど変わらない姿を見ると悲観的にもなってしまいます。



ただ、そんな荒波の中でも、名もない知られざる英雄がいたことを指標として、自身が出来ることを模索して

いかねばと思っています。



写真は9月15日に撮影した合歓の木(ネムノキ)です。



 

2015年10月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。







(大きな画像)


先日9月28日ののスーパームーンと皆既月食(写真はNASAより引用)



大西洋方面(ヨーロッパやアフリカ、南北アメリカ)ではこの二つの現象が重なり合いましたが、次にこの

二つの現象が見えるのは18年後の2033年です。



北海道のアイヌと共に、縄文人の遺伝子の多くを引き継ぐ沖縄、彼ら沖縄の人々の月への想いはどの

ようなものだったのか。



「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」比嘉康雄著 集英社新書より以下引用します。



<月の神>



◎月も、太陽と並ぶ久高島の最高神である。



月神は<マチヌシュラウヤサメー>(マチは待つ、シュラは美しい、ウヤサメーは尊い親の意)といっている。



月の光の柔らかなイメージが女性のイメージと同質と考えたのか、月神は神女たちの象徴で、家レベルでは

根神が、シマレベルでは外間ノロがその司祭者である。



また月は女親であって産む能力を持っていて、久高一人一人の命に責任があると考えられ、出生のとき、

結婚のときは月神に報告し守護を頼む。年始めの健康願いも月神に祈る。



穀物を生産する力も月神で、麦、粟で作った濁酒は月神の守護力を持った尊いものである。麦、粟の

農作祈願祭祀はこの濁酒を神女たちが「共飲して」おこなわれる。



太陽が一日の周期を考えるのに対し、月は一ヶ月の周期で考えられる。つまり、月の満ち欠けによって

月日を読む。



月もその光によって守護力が発揮されると考え、十三、十五、十八夜は守護力が強い吉日と考え、祭祀の

適日である。イザイホーも十五の満月の夜から始める。一年で月神の守護力である月光が最も充実して

いるのは旧暦八月の十五夜である。



この満月の夜に穀物の豊作と神女たちの健康願いがおこなわれる。月神も太陽神と同じく地上に降臨

することはなく、香炉もないまま、神饌を供える高膳が外間殿にあるだけである。月神を象徴する色は白である。

また月は普通、チチと呼ばれている。なお、日食は月神と太陽神の逢引といわれている。





Selawik girl

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)







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