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知里幸恵 「アイヌ神謡集」岩波文庫より引用 大正十一年三月一日 その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。 天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく 生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであっ たでしょう。 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせ ず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白 い?の歌を友に木の葉の様な小舟を浮かべてひねもす魚を漁り、花咲く 春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀る小鳥と共に歌い暮らして蕗 (ふき)とり蓬(よもぎ)摘み、紅葉の秋は野分に稲揃うすすきをわけて、 宵まで鮭とる篝(かがり)も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円(まど) かな月に夢を結び、嗚呼なんという楽しい生活でしょう。 平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転 をなし、山野は村に、村は町に次第々々に開けてゆく。 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に山辺に嬉々 として暮らしていた多くの民の行方も亦いずこ。僅かに残る私たちの 同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり、しかもその 眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の 輝きは失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わか ず、よその御慈悲にすがらねばならぬ。 あさましい姿、おお亡びゆくもの・・・・・・それは今の私たちの名、なんと いう悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。 時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残 の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強 いものが出て来たら、進みゆく世と歩を並べる日も、やがては来ましょう。 それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座います。 けれど・・・・・・愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通じる為に 用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらの ものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょう か。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。 アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇ある 毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな 話の一つ二つを拙い筆に書連ねました。 私たちを知って下さる多くの方に読んでいただくこと事が出来ますならば、 私は、私たちの同族先祖と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に 存じます。 |
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私が18歳のとき、一人で北海道各地を旅したことがあり、阿寒湖の近くだったかアイヌが 住む近くのお土産やで興味半分に「ここはアイヌの人が住んでいるんですか?」と中年の 女性の店員に聞いたことがある。その女性が半ば警戒したような様々な感情が入り混じっ た眼で一瞬私を睨んだような気がした。私はこの時初めて自分がアイヌに関して何も知ら ず、そして彼らが辿ってきた歴史に何か隠されたものがあると感じ、そんな軽はずみな質 問をした自分を恥ずかしく思った。それから月日が流れアメリカ先住民インディアンの言葉 にひかれるようになったのだが、何故か日本の先住民族、アイヌや奄美・沖縄の人たちの ことを積極的に知ろうとはしなかった。
奄美は幼少の頃育ててくれた土地だし、あの時のアイヌの女性の眼は時々私の脳裏を かすめていたのだが。遠くの国のインディアンの悲惨な歴史や精神性に関心を持ち、世界 各地の先住民のことを知る途上で、アメリカと全く同じ差別的な政策が日本に移入されアイ を苦しめていた事実を初めて知った自分。無知とはなんと恐ろしいことだろう。自分の足元 でインディアンと同じ歴史が繰り広げられ、その豊穣な精神性が過去の記憶になりつつ あった。私たちの祖先やその隣人がアイヌの人たちにどのようなひどい仕打ちをしてきた か。私自身の足元で行なわれていた迫害、遠い国のアメリカのインディアンたちが受け続 けてきた迫害の歴史が、この日本でも行なわれていたという事実。「美しい国、日本」「単 一民族、日本」、冗談ではない。何が美しいのか? 伝統文化、宗教をことごとく破壊し、強 制移住させてきた日本人の何処が美しいのだろう。言葉や文化、宗教が違う先住民族が おりながら、日本は単一民族と言い張る下劣な人間が何故いるのだろう。
確かに国家権力と結びつく前の原始神道の価値観は、アイヌ、奄美・沖縄と共通した多く のものがあり、それが現代も生き続けてきたことは唯一日本の救いなのだが、その反面、 その母体であるアイヌの全てを破壊してきたのも日本人であることを私たちはどのように 感じるべきなのだろうか。 この「アイヌ&奄美・沖縄の言葉と文献」をインディアンの項目に置きます。インディアン や先住民に関心を寄せる人が、日本の先住民にも眼を向けて欲しいと願うからです。 まだまだ未熟な項目ですが、少しずつ充実していければと思っています。
「アイヌの宗教や世界観は、日本文化の根底をなしている宗教や世界観であり、それ を読む人は、自らの魂と思想の根底を見る思いがするにちがいない。アイヌ文化研究 は、日本文化研究のもっとも重大な要点であり、全ての日本人に関わりをもっている のである。」 梅原猛・・・・「アイヌ、神々と生きる人々」藤村久和著より引用 |
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アイヌ川村シンリツ・エオリパック・アイヌの言葉 |
アイヌ萱野茂(萱野茂アイヌ記念館館長)の言葉 |
アイヌ小田イトの言葉「妹、障害をもった和人のもらい子」 |
「アイヌ神謡集」知里幸恵 | アイヌが置かれた苦境の中で、重い心臓病をもつ19歳のアイヌの 少女が命を懸けて美しい記憶の言葉を残した名著。 |
「ユタ」の黄金言葉 | 沖縄・奄美のシャーマン(ユタ)たちが語る貴重な神の声 |
日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る |
差別されてきた蝦夷・アイヌこそ日本の深層であることを探る |
火の神の懐にて | 古老を通して語られるアイヌの祈りと慈愛に満ちた豊かな世界観 |
すべてを明日の糧として | 詩人でもあり絵本作家でもある著者の、アイヌとして生きる自覚と再生 |
アイヌ 母(ハポ)のうた 伊賀ふで詩集 |
少女時代の美しい世界から引き離された一人の女性の魂の詩集 |
アイヌ・モシリの風 | 母から受け継いだアイヌ文様刺繍への想いと出会いの旅 |
日本人の魂の現郷 沖縄久高島 | 「母神」を守護神とする古代人の魂が継承されてきた久高島、この 島の祭祀の多層な場面を30年近く記録してきた貴重な文献。 |
写真集 世界の先住民族 危機にたつ人びと |
先住民族と呼ばれる方たちの血と涙に満ちた魂の悲痛な叫び |
先住民族 地球環境の危機を語る |
世界各地の先住民族の言葉一つ一つにほとばしる生命の輝き |
炎の馬 | アイヌの伝承世界に息づく豊穣な魂を綴った民話と神話集 |
アイヌ学の夜明け | アイヌの古老や研究者との対談から人類のあるべき姿が見える |
知里幸恵「アイヌ神謡集」への道 | 知里幸恵、神謡集の魅力を各界で活躍する33人の人々が熱く語る |
アイヌの碑 | アイヌ民族の文化伝承に生涯を捧げている著者の自叙伝 |
21世紀に残したい沖縄の民話 | 沖縄各地から聴取した七万話から選ばれた次の世代への贈り物 |
奄美 神々とともに暮らす島 | 奄美の神々と共に生きる美しい自然の姿を収めた写真集。 |
奄美 二十世紀の記録 シマの暮らし、忘れえぬ日々 |
1959年から2000年までおよそ四十年にわたる奄美群島の記録写真集 |
沖縄の宇宙像 | 古老から聞いた死と誕生、引導渡し、生贄、厄除けなどを語りつくす |
沖縄文化論 忘れられた日本 | 画家・岡本太郎が沖縄に日本のあるべき姿を見い出そうとする名著 |
夜明けへの道 | 新大陸発見から続く残酷な歴史を世界各地の先住民が語る |
アイヌの昔話 | 昔話の世界には、遥か昔からの先祖たちの伝言が込められている。 |
神女(シャーマン)誕生 徳之島に生まれた祝女の記録 |
シャーマンとして生きる覚悟、そこに至るまでの心の苦悩と葛藤。 |
アイヌ、神々と生きる人々 | アイヌの精神世界を、誕生、成長、老から死へと再現し紹介する |
アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ 伝承の知恵の記録 |
アイヌに継承されてきた一人の女性による産婆術、治療のための 特殊な掌、薬草、整体手法、シャーマンの技量をその言葉と共に紹介 |
「アイヌの霊の世界」 | 偏見と誤謬に満ちたアイヌの信仰こそ日本文化の基層を支えている |
奄美学 その地平と彼方(未読) | 奄美の人が奄美を認識し自己を規定していく奄美学、その意味を問う |
アニミズムという希望(未読) | 屋久島において生涯を終えた山尾三省による大学での講義録。 |
図説 世界の先住民族(未読) | 世界各地の先住民族の叡智を130点を超える写真・図版で紹介 |
サルウンクル物語 アイヌ民族シリーズ |
祖父が遺したウパシクマ(言い伝え)、著書の文集をまとめた物語 |
アイヌのイタクタクサ 言葉の清め草(未読) |
アイヌの生き方や知恵・神話を、言霊を守り続けてきた萱野茂が語る |
「アイヌの星」 | アイヌに伝わる星にまつわる伝承を記録した貴重な文献 |
「甦る縄文の思想」梅原猛・中上健次 有学書林 より以下抜粋引用 このような視点で日本文化をみるとき、縄文文化こそは日本の深層文化あるいは基層文化であり、その深層 文化あるいは基層文化の上に、それから以後の文化、弥生文化、古墳文化、律令文化、王朝文化、武家文化 などがのっかっていて、後世の文化は深くこの深層あるいは基層にある縄文文化の影響を受けているという ことにならざるを得ない。 とすれば、アイヌ文化や東北文化が従来とはまったく違った視野のもとに見えてくるのである。それらの文化は、 わが日本文化の深層にある縄文文化の名残りを最も強く残す文化であるということになる。 縄文文化が最も純粋に残存する文化はアイヌ文化であると思われるが、不幸なことに日本人は明治以降、 アイヌを日本人とまったく血のつながりのない人種とみなして、アイヌ文化を日本文化とまったく異質な文化 とし、そのような未開の文化を一掃して、アイヌに一般の日本人並みの文化を享受させることがアイヌにとって 最もよいことだと信じてきた。そのために、北海道開発の名のもとに、アイヌ文化を全体として消滅させること に政策の重点が置かれたのである。百年にわたるこの誤った政策によって、アイヌ文化は絶滅に瀕している。 アイヌ語を話し、アイヌの神事を行うアイヌは、七、八十代の古老を除いて、ほとんどいなくなってしまったので ある。私はこのことを、近代日本が行った最大の文化的蛮行の一つであったと思う。しかも、そのことについて、 日本人はまったく罪の意識をもっていないのである。アイヌを原始的生活状態から救うという名目で、日本人は 自己の基層文化を、最も明確にとどめている大切な文化を、自らの手で葬ってしまったのである。 |
既読の文献
各文献の前のをクリックすると表紙・目次並びに引用文が出ます。
これ程に悲しみを湛えた序文を、そして文字通り命をかけて成し遂げたかった |
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「火の神の懐にて」 北海道を終いの住処ときめた著者が、ひとりのアイヌの古老とじっくり膝 私は、イトばあちゃんのなかにきらめくミクロコスモスをできるかぎり忠実 |
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「ユタ」の黄金言葉 シャーマニズム、これは人類最古の宗教的あるいは医学的、心理的なもの |
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「アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ 伝承の知恵の記録」 青木愛子 述 長井博 記録 樹心社 青木愛子さん(1914年3月10日〜1995年10月24日)は、古代から継承されてきた 産婆術だけに留まらず、診察・治療のための特殊な手、そしてウエインカラ(何で も見える千里眼)を通してシャーマン的な役割を担ってきた方である。愛子さんの ウエインカラは、初対面の人と対座した時だけでなく、電話の相手でもその人の 過去と未来がわかる特殊な力を持っていた。それは相手の血液の赤血球や白血 球の流れがまるで顕微鏡を見ているように見えることも意味していた。 愛子さんの産婆術に関しては本書に詳しく書かれているが、驚くべきことは5代目 の愛子さんに継承されたこの秘伝は1756年(宝暦6年)フィリピンのパギオシティー、 イゴロット族の聖地アシュラムから始まっていることである。この初代の産婆さん の名前は天静一(テンシンイチ)と言うが、その出身地など不明である。そしてこの 男性がアイヌに来て結婚し、産婆や子育ての技術、薬草等の治療術を生かしなが ら、夫婦で北海道各地のアイヌコタン(村)を巡回したという。 この南の島からの秘伝と聞くと、ハワイ先住民の呪術師(カフナ)たちが行ってい た秘術として知られている「ホ・オポノポノ」とアイヌには何か共通点があるのかも 知れない。ハワイ先住民のカフナは、エジプトのピラミッド文明時代、国内情勢が 悪化したため、最高の宝(呪術の秘法)を守るためエジプトを脱出し祖国(ポリネ シア)に辿り着いた民だという説がある。 またこの説では、カフナ12部族のうち10部族がインド洋経由で各地に秘術を植え 付けたが、祖国帰還の途中で日本にも渡り、古神道の呪術の基礎を据えたとい うのである。時代は異なると思うが、イスラエルの12部族のうち失われた10部族 を考えると、この数字はただの偶然なのか、それとも何か意味を持っているのだ ろうか。 私自身1980年頃かつてマルコス政権下のフィリピンのスラム街など、同級生や シスター達とフィリピンに行ったことがあるが、その旅行中にパギオにも立ち寄っ たことがあり、パギオの近くだったか記憶があやふやだが、森に住む先住民の 方にも会ったことを思い出す。その時は経済開発の名の下に住む場所を奪わ れていく先住民の現状を見ただけだった。 話は随分それてしまったが、青木愛子さんの後を受け継いだ長井博さん、そして 長井さんの次女へと途絶えることなく継承されていることに感慨深いものを感じて ならない。 (K.K) 赤ちゃんは喜びながら生まれてくる 青木愛子はアイヌコタンに代々続いた産婆の家に生まれ、古代から継承されて 来た産婆術(イコインカル)、診察、治療のための特殊な掌(テケイヌ)、薬草(ク スリ)、整体手法、あるいはシャーマンとしての技量(ウエインカラツス)をも駆使 (ウエポタラ)して、地域住民の心身健康の守り役、相談役として活躍した。 本書は十年にわたって愛子の施療の実際を見て、その言葉の一つ一つを丹念 に記録した、アイヌの信仰と文化の実態に迫る伝承の知恵の書。 (本書・帯文より引用) 見えないはずのものが見える 死者の霊が見える。例えば愛子の親しい友人が交通事故で死亡した。死亡して から四十九日の間は、その友人の霊が愛子の処に遊びに来るのが見えて、対話 する。愛子にとっては日常的なことなので恐ろしいという気持ちは起きない。四十 九日が来ると、既に死亡している友人の親族の霊が友人の霊と一緒に現れて歌 をうたったりする様子が見え、その声も聞こえる。これは四十九日で終る場合で ある。 この場合、愛子の親しい友人でなくとも、死者の霊を見ることがあり、四十九日を 過ぎた者の霊を見ることもある。これは完全にポクナモシリ(地獄)に堕ちている 霊であると解釈している。いわゆる自縛霊のことである。自縛霊は人間に限らず、 犬や猫等の動物である場合もある。 一人一人が持っている光が見える。明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く 見える人が多い。何も見えないほど暗い人もある。暗い人の過去現在をウエイン カラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚醒剤、物欲 の強い様子が見える。明るく見える人をウエインカラしてみると、他人に対して尽く している様子が見える。ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、 無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。現在財宝をたくさん所有し ているかどうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。 (本書より抜粋引用) 五代目継承者の愛子は父ウトレントク、母ウコチャテクの第七子四女である。 |
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過酷な歴史の波に翻弄されながらも、現代のわれわれが見失った古代日本
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「新版 日本の深層」縄文・蝦夷文化を探る 梅原猛 著 佼成出版社 かつて蝦夷の末裔と呼ばれ、偏見を持たれてきた東北地方。しかしそこ に残るお寺・遺跡や祭、そして歴史を紐解くと、かつて日本全国にあった 縄文文化を色濃く残していることがわかる。それは文学においても東北 出身の石川啄木・太宰治・宮沢賢治の感性が生まれた土壌を探る旅でも あった。梅原猛氏はアイヌの文化に触れたときの確信を、この東北地方の 旅でも再認識させられ、そこに日本の原風景を感じとるのである。また 大陸から来た弥生人の倫理観が、如何にして縄文文化を席巻したかの 考察をしている。本書を通して、縄文土器の芸術の素晴らしさを初めて 理解した芸術家の故・岡本太郎氏と同じく、梅原猛氏の感性の素晴らしさ と洞察力が発揮された文献で、多くの日本人に是非読んでもらいたいと 思う。 原日本文化への旅立ち(本書より引用) 東北人は、長いあいだ、心の中に、密かなる誇りをいだきながら、蝦夷の 後裔であることに、耐えてきた。そして自分が、アイヌと同一視されることを 頑強に拒否してきた。蝦夷は人種的概念ではなく、ただの政治的概念に すぎない。そして、「蝦夷はアイヌではない」そういう結論は、東北人にとって のぞましい、はなはだ願わしい結論のようであった。このような願わしい結 論にそって、東北を、古くから倭人の住む、古くから稲作農業が発展した 国と考える見解が、戦後の東北論の主流であったように思われる。それは 東北人を後進性の屈辱から救うものであったとしても、かえって東北特有の 文化の意味を見失うことになると思う。 蝦夷の子孫であることが、蝦夷の後裔であることが、なぜわるいのであろう。 アイヌと同血であり、同文化であるということを、なぜ恥としなくてはならない のか。日本は平等の国家である。幕末に戦った二つの権力、薩長方も徳川 方も、平等に日本国民としての権利と義務をもっているのではないか。倭人 と蝦夷の対立はもっと昔のことなのである。その昔の対立が、なぜ現代まで 差別になって生き続けねばならないのか。蝦夷の後裔であること、アイヌと 同血であることを、恥とする必要はすこしもないのである。むしろ、日本の文 化は、蝦夷の文化、アイヌの文化との関係を明らかにすることによって、明ら かになるはずである。 私のこの旅は、ほんの短い期間の旅である。芭蕉は、『奥の細道』の旅に5ヶ 月を要した。私は公務の都合で、10日しかこの旅に使うことはできなかった。 もとより、前にも何度か東北の各地を訪れたことはある。このささやかな旅で 私は、東北文化のほんのわずかしか触れることはできなかった。しかし、見方 が変われば、うわべを見ただけでも、やはりその解釈は変わってくる。このささ やかな「紀行記」が、今後の東北論の出発点になり、今後の新しい「原日本文 化論」の基礎になることを願うものである。 |
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「アイヌ、神々と生きる人々」 藤村久和著 小学館ライブラリー 私たち日本人とアイヌを対比しながら、それを人生の各場面において 平易な言葉で紹介する好著である。アイヌの古老の信頼を得て古来から 受け継がれてきたアイヌの伝統・精神世界を分かりやすく教え、今なにが 失われ、なにが求められているのか考えさせられる文献であり、アイヌの ことを知りたいと願う人には最良の部類に入る文献かも知れない。 藤村久和君のこと・・・・解説にかえて 梅原猛 より引用 藤村君は、まだ若い前途洋々たるアイヌ研究者であるが、彼の研究方法は 今まで、アイヌは日本人と全く異なった人種であり、その結果、言語も文化も |
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沖縄の精神文化を語る上で、久高島の祭祀を知れなければ沖縄のこと 沖縄本島の東の海上に浮かぶ小さな島・・・・久高島(くだかじま)に、琉球 |
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「アイヌの星」 末岡外美夫・著 旭川叢書 第12巻 本書・序 野尻抱影(遺稿・昭和52年10月30日歿)より引用 アイヌの星名が機縁で末岡外美夫氏と逢った頃、サビタの洋化したヒドラ シジャが豪華な純白の花鞠を点け傘もつけて、雨をふくんで八方へ枝支れ ていたのを覚えている。氏の行動は驚くべきもので時に西方の風を巻いて くるかと思えばアイヌの国から土の香を一杯に詰めた魔法の袋を持って やってくる。日毎に増えつづける氏の記録は私にとって大きな楽しみの ひとつであった。 アンデスを歩きロッキーを駆ける氏はコヨーテの吠ゆる叢にインディアンを 尋ねてアイヌの古老の姿を求めた。その記録を「アイヌの星」と題して出版 することを勧めてきたのだが慎重な氏は一向にその気がなかったようで ある。とうとう私が友人の編集者に紹介して出版に踏み切ろうと氏に迫って、 この珠編が生まれた。氏はまだまだ考証が足りぬと言ふが、これほどの 資料を足で集めて考証した例は近来に稀である。考証の範囲も氏の語学 力と行動力で実に広い範囲にわたっている。 |
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「アイヌ学の夜明け」 哲学者として著名な梅原猛氏とアイヌの研究者として有名な藤村和久氏、 私はやはりみんな死ぬと同じあの世にいけるというアイヌの人たちの考え |
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「すべてを明日の糧として 今こそ、アイヌの知恵と勇気を」 宇梶静江・著 清流出版 これまで幾度となく繰り返してきた問いを、胸に呟いてみる。なぜ、アイヌは ないがしろにされたのだろう?差別を受けるほど取るに足らない民族だったの だろうか? いいえ、とんでもない。本や資料を読み漁って知れば知るほど、 アイヌ民族はその真逆のすばらしい民族だったのだ。 まず、すごいなあと思ったのは、世襲制のないこと。最近、国会議員の世襲が 世間で問題になっているけどね。親の威光が子に及ぶなんてへんてこな話だ よね? アイヌでは村の長を決めるときに、その親や親族など一切関係なし。 人格者で、勇気と知恵にあふれ、愛の深い人がみんなから選ばれるんだ。 これもすごいなあと思ったのは、どこかに侵略したという歴史もなければ、侵略 のための武器を作ったという歴史もないこと。仇討ちの歴史だってない。これは よっぽどしっかりとした哲学とモラルを持ち、強い心の共同体でなければできる ことではないよ。 そして、老人・子ども、身よりのない者を、村のみんなで面倒をむる心の広さ。 道具ひとつにしても手を抜かずに作るので芸術に近い仕上がりになり、大切に 使う。明治政府に禁止されるまでは、人が死ぬと、死者に持たせる意味で、 その家を焼いていたほど「財産」や「所有」に執着しない潔さにはおったまげる ばかり。 アイヌはいつだって自然と共に生きてきた。でも、それは、ただ自然の中で ぼうっと生きてきたんじゃなく、自然と真摯に対話してつつましく、誇り高く生き てきたんだ! アイヌの古い布をひとつほどいてみるとね。小さな四角形模様がきれいに 並んでいて、刺繍はきちんと左右対称になっているよ。文字は持たなかった けれど、祖先たちは直感的にかなりのレベルの幾何学や計算ができたんだ と思うよ。 アイヌのおじいさんたちやおばあさんたちの手による小さな刺繍ひとつ、縄 一本の見事さ。それは学校で教えてもらうことでもなく、多くの口伝や伝承の 中で育まれてきたもの。アイヌみんなの共有財産なんだ。 だから、たとえ古布絵で私ひとりが世に出て注目されたって、祖先はちっとも 喜ばないだろうし、私だってうれしくない。 私たちアイヌが現代に生き直すためには、アイヌの誇りをアイヌで共有すること、 そして、ひとりひとりがアイヌである自分に自信を持ち、愛することが先決。そう してこそ、世の中に、アイヌのさまざまな知恵を発信していけるはずだから。 (本書より引用) |
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「アイヌ・母(ハポ)のうた」伊賀ふで詩集 伊賀ふで・著 麻生直子+植村佳弘・編 CD「はるとりのウポポ」(アイヌ語音声)付 現代書館 少女時代の熊送りの儀式の悲しみ、青春時代の喜びに溢れた世界、そして 酒で暴れる夫に苦しめられつつ自身も肺病になってしまう人生の中で、アイヌ として、母としての誇りを失わなかった伊賀ふでさんが書き綴った詩集とその ウポポ(歌劇)を録音したCD。伊賀ふでさんの詩は純朴そのものであり、喜び、 悲しみ、怒り、苦しみが直接心にこだましてくるような感じがしてならなかった。 ふでさんの背中を見て育ったチカップ美恵子さんにとって、ふでさんは「言葉を 奪われた民族の文字による表現と記録への挑戦」者であり、目標だった。 この宇宙や地球は神(カムイ)からの借り物であり、自分たちは未来の子ども たちに、水や空気も汚さずに引き渡さなければならない、というアイヌ民族の 自然観や精神文化を身近に感じる。ふでさんのアイヌ語と日本語のバイリンガ ルの詩は、「ウエノソイマ エミナ カイクシ:おてんばは喜ぶ春」や「ポン レタラ アパッポ(レヘ オイラ:鈴蘭」などに代表されるように、自然や動植物や子ども たちの呼吸が、リズム感をもって伝えられる。 詩集後半の生活実感がにじみ出た詩の多くは、日記の断片のような独白のこと ばになっている。1913(大正2)年生まれのふでさんが、戦中、戦後の困難な時代、 多くの母たちが味わった窮乏生活のなかで、家族のこと、病気や入院生活、自 分の夢や欲望や悲嘆や死さえも、ことばに吐き出し、それが、かえって詩を書く ことをよりどころにしていた独りの母や女性の姿を映し出す。 チカップさんの詩群は昨年、『チカップ美恵子の世界』(北海道新聞社)として アイヌ文様刺繍とともに作品集に収載された。『アイヌ・母(ハポ)のうた・・・・伊賀 ふで詩集』はこのたび植村さんと一緒に編むことができ、そこにいたるまでいろ いろな人にご協力をいただいた。なによりもチカップさんにそのことを伝えたい。 〈あなたの心にそっとふれさせてください〉という読者への願いもこめた詩集なの です。(本書より引用) |
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「アイヌ・モシリの風」 チカップ美恵子・著 NHK出版 伊賀ふでさんの娘として生まれ、アイヌ文様刺繍に託された想いを多くの人に 紹介してきたチカップ美恵子さんのアイヌ文様刺繍への想い、そして世界各地で めぐり合ってきた人や土地の想いが綴られている。 しかし、共生と調和があれば、それに対立するように破壊がある。それはアイ ヌ語のカムイに魔神としての意味合いがあるように・・・・。先住民族にとって破壊 とは環境破壊であり、それは精神の破壊、人間性の破壊につながっていくことを 意味する。 心も失ったとき、人に優しさや思いやりの心はあるのだろうか。魂が調べる詩や 歌や人びとの心から聞こえてくるだろうか。荒廃した心は何もうたわない。 社会は集団から個の尊重へ移行した。しかし、個は孤立することではない。集団 と個のバランスが現代社会に欠落しているように思うのである。人は他者との一 体感があってこそ、生きているという実感を感じるものである。すべてのものが つながり合って生きているということを忘れてはいないだろうか。 つながり合う“環”は和となり、調和となるということを。 アイヌ・ラックル=天地創造は人生を神話にたとえた素晴らしい魂の調べである。 アイヌ・ラックルとは「人間のような神様」という意味である。アイヌ・ラックルのメッ セージはどんなに時代が変化しても、変わらないものがある。それは“人間性”と いう人の心であり、人は人の心をもった人としての人生を創造することであると 伝えている。アイヌ・ラックルの話はこれで終わるけれでも、ここから先はあなた 自身の人生が創造のドラマを語る番である。 (本書より引用) |
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「写真集 世界の先住民族 危機にたつ人びと」
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「先住民族 - 地球環境の危機を語る」 世界各地の先住民族が訴える現代の危機的状況。それは民族とし したがって、環境の悪化を問題にするときは、西側の文化と西側以外 |
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「炎の馬」 神話学者のジョセフ・キャンベル「私たちには、時間という壁が消えて奇跡 |
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「アイヌの霊の世界」 藤村久和 小学館 全編対談という形式でアイヌの霊の世界、宗教観を掘り下げようとする力作 である。梅原猛、河合隼雄、そして京都大学の地理学・人類学、心理学、哲学、 動物生態学、社会学、民俗学の専門家がアイヌに深く関わってきた藤村久和 氏との対談を通してアイヌの文化について語り合ったのを収録した文献である。 特に梅原猛氏は言語学、宗教儀式などを通してアイヌ文化にこそ日本文化の 基層があることを問うている。 アイヌ文化はやはり宗教文化です。宗教に関心をもたないとアイヌ文化はわか らない。金田一さんなど宗教に関心をもたない。その点バチェラーはちがってア イヌの宗教に強い関心をもっているけれども、アイヌの宗教を物神崇拝の一語で 片づけている。みな物神崇拝だという。ところが、たとえばアイヌの熊祭を見ると、 たいへん興味深い考え方で、これはヨーロッパ人にはちょっと理解できない。カム イは天の一角に住んでいる。そのカムイがたまたま熊の仮面をつけて現れた。だ から熊を育て、それを殺すことによってカムイを熊という仮面から解放して神その ものに帰す。その儀式をまちがえると神に帰せないかもしれない。どうせ帰すなら ば喜ばせて帰さなければいけない。喜ばせて帰さないとまた熊になってこの世に 現れてこない。これは熊の本質は神で、われわれの見る熊は熊という仮面をか ぶった神の仮象であるという、そういう観念に裏づけされていると思う。 ところがそういう観念はヨーロッパにはないのです。あったとしてもずっと昔になく なった。ヨーロッパには犠牲という観念しかない。中国でもそうです。儒教では牛を 殺してささげる。犠牲としてささげる。ヨーロッパでもそうですね。だからアイヌの熊が 神であって、それを殺すことによって神に帰すという観念は、とても中国流の宗教 観念でも、キリスト教の観念でも理解できないものなのです。これはたいへん深い 考え方だと思う。日本人の心の底にはそういう考え方があるのではないかと思う。 (梅原猛 本書より引用) |
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アイヌの文化伝承に多大な力を注いでいる著者の半生を綴った書であり、 これは「本」ではない。何万年の歴史を生きてきたひとつの民族、ひとつの |
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美しい自然に抱かれ、精霊や神々と響き合って暮らす島人たちの表情は
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「奄美 二十世紀の記録 シマの暮らし 忘れえぬ日々」 越間誠 著 南方新社 この写真集は1959年から2000年までおよそ四十年にわたる奄美群島の記録 である。長い間写しとった奄美の素朴の中から、あれこれ逡巡の末、この内容と なった。島々に伝承される祭りや信仰、そして人、居住環境などを中心にした。 さて、奄美の主な祭りにはほとんど毎年のように出かけている。ニュース取材も あるが、よく人から、毎回撮っても未だ足りないのか、などと声をかけられる。 僕にとってはもっとうまく撮りたい、いいアングルはないかなどと考えながら、時代 と共にうつり変わる行事の成りゆきを見届けたい気持ちもある。しかし、それと 同時に祭りを支えている人たちの事も気になるのである。島の伝統文化を絶や すまいと懸命に頑張る人たちに会うのはやはりうれしい。五穀豊穣、豊作と無病 息災などを神に祈り、感謝する奄美の祭り。今稲作の衰退や人の志向の多様化、 過疎、高齢化などにより伝承の危機にある。その中でも祖先から受け継いだしき たりを守り抜こうとする人たちがいる。(中略) 本書はいわば奄美の四十年の 一つの断層である。そして風景や祭、人の暮らしなどを現象のみでなく、願わくば、 それに関わる島人の心の絆、神への祈りと感謝、そしてしたたかな生命力を、 いささかなりとも感受していただけたらと思う。 (本書より引用) |
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「知里幸恵 『アイヌ神謡集』への道」 財団法人 北海道文学館 編 各界で活躍する33人が、知里幸恵そして「アイヌ神謡集」への熱い想いを 語った本格論集ですが、この中には「付編 知里幸恵 東京での129日 小野 有五 編)という知里幸恵の手紙や日記などに収められた幸恵自身の言葉が 収められている。知里幸恵という存在が如何に後世の人々に多くの影響を与 えたか、その意味を知ることができるであろう。 幸恵にとっては、婚約者、村井との結婚が最大の問題であった。村井家が 農家であるが故に、そこでの過酷な労働を恐れて、生母ナミは結婚に反対し たのであったが、人並みに結婚し、子供をつくり幸せな家庭を築くということ 自体が、これまでのようにユカラを必死に書き記す生活からの離脱を意味する ことを、幸恵はもとより感じ取っていたはずである。金田一のいる東京へ出かけ るという行為そのものが、幸恵の心の底では、ただ幸せな家庭を夢見る村井 への裏切りであり、彼の愛を踏みにじるものであった。 アイヌ語と日本語の完全なバイリンガルとして育った幸恵の特異性。それは つきつめれば、生母と養母、アイヌとヤソという彼女が背負ったそもそもの 二重性に由来する。日本人とも、また同族の大多数とも異なってしまうその ような己れの特異性をすべて切り捨て、幸恵が幼なじみのマテアルにふと もらしたように、ごく普通のアイヌとして、同じアイヌと普通に結ばれることが 人間としてのいちばんの幸せだと思う気持ちと、それらすべての異質性を、 神が自らに与えたこの上ない恵みとして受け入れ、生きる限りそれを輝かさ ねばならぬという使命感。19歳の幸恵はこの二つの方向のあいだで最後まで 揺れ続け、その答えを知るために、自分の体は東京の暑さに死ぬかもしれな いと覚悟したうえで、村井と登別の両親を振り切り、東京への旅に賭けたのだ。 どちらも自分。厳然としてある己れの姿である。だが、その二つは、おそろしい ほどに全く正反対の方向をさして、未来へと続いている。ほんとうの自分とは 何者か、どちらがほんとうの自分なのか、その問いは、すべての若者に、否、 どれほど年を重ねたものにとっても、常に重くのしかかる。それから目をそむ けず、答え続ける者だけが、真に人生を生きた者といえるのであろう。幸恵の 19年の人生が私たちを打つのは、まさにその故である。 ( 本書 生きる意味 知里幸恵とキリスト教 小野有五 より抜粋引用) |
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「沖縄の宇宙像」 死後、霊魂はどこへ行くのか?近代が喪ってしまった悠久の時間が沖縄・池間 科学は、地球が太陽の周りを回っていることを証明したが、逆にそれは昔から |
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「21世紀に残したい沖縄の民話 21話」 沖縄各地から聴取した七万話の民話の中から、沖縄県民の方たちが選んだ
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「アイヌの昔話 ひとつぶのサッチポロ」 萱野茂 著 平凡社 昔話、それは自分自身が主人公になって、何を感じ何を考え何を為すのかを |
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「夜明けへの道」 All my relations ソンノ イヤイライケレ (本当にありがとう - アイヌ語) 堀越由美子 (本書より引用) |
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「神女(シャーマン)誕生」 シャーマニズムとは、はるか太古の時代に自然界の森羅万象を畏れ敬い、 |
未読の文献
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アイヌ語口承文芸コーパス ー音声・グロス付きー|A Glossed Audio Corpus of Ainu Forklore 「ここ10年間で、言語が消滅の危機にさらされているということは世界的に認知されてきました。また、 アイヌ文化交流センター(財団法人 アイヌ文化振興・研究推進機構)がアーバンスクエア八重洲 に出来ました。「舞踊、音楽、工芸品など、古来よりアイヌ民族が長い時間をかけて育み今に伝え てきた伝統文化には、私たちが忘れかけている素朴な美しさやたくましさが溢れています。当セン ターは、多くの方々にアイヌ文化について知っていただくことを目的として、アイヌ伝統工芸品など の常設展示のほか、セミナー、ビデオ鑑賞会の開催、インターネットや図書資料による情報提供 などを行っています」。JR東京駅八重洲南口・徒歩5分、営団地下鉄京橋駅・徒歩5分。平日21 時(入館は20時まで)まで開いています。お問い合わせの電話・03−3245−9831で詳しいこ とを聞いていただけたらと思います。 北海道日高支庁平取町(びらとりちょう)の萱野茂・二風谷(にぶたに)アイヌ資料館長(七二) =前参院議員=が二十二日、アイヌ語の語り部を育てる「萱野茂アイヌ語育英資金」を設立した。 「言葉こそ民族のあかしだ」と主張する萱野さんは、後継者育成への資金協力を広く求めている。 道内に住む人が、企業の広報誌に載った萱野さんのインタビュー記事を読み、アイヌ語の伝承に かける萱野さんの熱意に感動し、百万円を寄付した。萱野さんも五十万円を出し、計百五十万円 の資金でスタートした。アイヌ文化振興法ができても、アイヌ語への支援不足に批判的な萱野さん は、寄付に触発されて、独自の後継者づくりに踏み切った。「踊りや料理などへ補助金の支援が あっても、アイヌ語自体への補助金は不十分だ」と話す。十七年ほど前、自力で木造のアイヌ語 教室を建てた。ほとんどが、講師の手弁当や生徒たちの熱意で運営してきた。一期生だった小学 生たちは、もう社会人や大学を卒業する年ごろになっている。現在、子供の部に二十五人、大人 の部に四十五人が在籍する。資金を資料代や生徒たちの交通費などに充て、生徒たちが学びや すい環境づくりを進めたいという。萱野さんは約四十年間、アイヌ民族のお年寄りから話を聞き取っ て学んだが、その多くは亡くなってしまった。お年寄り、そして萱野さんに続く、後継者を萱野さん自 身が強く望んでいる。萱野さんは「(年を考えれば)正直、焦っています。ぼけないうちは頑張るが、 いつまでもそうとは限らない。一人でも二人でも、育英資金に賛同してくれればうれしい」と話してい る。育英資金の振り込み先はここです。(1999年1月22日 朝日新聞ニュース速報より引用) 苫小牧信用金庫平取支店の普通預金口座145306「萱野茂アイヌ語育英資金」。 |
2014年6月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 (写真は「すべてを明日の糧として 今こそ、アイヌの知恵と勇気を」宇梶静江著 清流出版より引用) 皆さんが地球上で生き残った、ただ一人の人間になったとしたら、何を感じるだろう。 私は恐らく孤独感に蝕まれ、発狂するかも知れない。 人間に限らず生命あるもの、彼らの多くは虐殺などにより、人間が味わうような孤独感に苦しめられ、そして絶滅の道をたどってきた。 私たちに出来ることは、彼らにその道を歩かせないこと、そして同じような境遇で亡くなった全ての生き物に対して手を合わせ、 祈ることだと思う。 アイヌ復権の旗手でもある宇梶静江さんは詩人でもあり、絵本作家でもある。 太古の遺伝子を呼び覚ますことができる人と、そうでない人の違いは、死者のための祈りができるかどうかなのだと感じてならない。 今を生きるものたちだけでなく、その想いを遥か昔までさかのぼることが出来る人。 そのような想いや祈りをもって初めて、アメリカ先住民や多くの世界の先住民が行動の規範とする「七世代先の子どもたちのために」、 と言えるのかも知れない。 勿論、私はそのような祈りができる人間ではないし、どのように祈ればいいのかわからない。 ただ、もしこの想いや祈りが世界にあふれたら、過去から未来へと「いい風」が吹き抜けるに違いない。 ☆☆☆☆ (本書より引用) 同胞を受け入れることから始まった母親の生活の激変に、子どもたちはみるみる巻き込まれていったわけ。 私が仕事に、少年少女たちの世話に、と飛び回っているとき、幼いきょうだいはふたりでじっと母親の帰りを待っていた。 子どもたちには、勝手なおっ母で本当にすまなかったと思う。 だけど、そうせざるを得なかったこともふたりには知ってほしい。 私がこの本を書こうと思った理由のひとつはそこにあるんだ。 どうぞ、わかってほしい。 困っている人をけっして見捨てることのできないアイヌの血が、この母の中に流れていることを。 私は、子どもたちが生きやすい社会にしたいと、とんでもない荒れ地に種まきを始めた母親だった。 今、この母は良子と剛士に対し、しょく罪の思いを胸にいっぱいに抱えて生きているよ。 ☆☆☆☆ |
2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年7月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 写真はNASAより引用 東京で何をしていいか彷徨っていた時、駅で若い女性に声をかけられ行った先が統一教会の 信者が生活する施設だった。そこで僕は20代後半くらいの医療関係の雑誌をを編集している 女性と会い、一年間くらいここに通って彼女といろいろなことを話した。世間で問題になりつつ ある時期だったが、彼女は僕の考えをじっくり聞いてくれたように思う。 独りぼっちで何かを求めていた僕は「あーあ、こんな女性がいつも近くにいてくれたらいいな」と 思ってばかりで、統一原理など聞いても全く頭に入ってこなかった。ただ、彼女が大勢を前にし て統一原理を話す眼差しや口調は、僕と話すときの彼女とは別人だった。 就職したとき、ある友人が高橋桂子さんの講演を聴きにいかないかと誘われた。彼女は自身 のことを「キリストとブッダを統合した上の次元にいるもの」という話を聞きながら、またしても 僕は「あーあ、こんな綺麗な女性と結婚できたらいいな」と思って聴いていた。 まあ男性だったら女性にこのような想いを抱くのは極自然なことなのだが、何が彼女たちから 自分を離したのかを思うと今でもはっきりしない。 ただ母の存在と神秘体験(今思うと疑問だが)かも知れないと思うことがある。母親に関しては、 どんなに宗教家が美辞麗句を並べても、母の子への無償の愛という行為に勝るものはない。 それと奄美などの自然、美しいものでありながら怖い存在でもあった自然。それらの記憶が道を 外れそうになった自分をあるべき所に戻そうとしたのかも知れない。 様々な宗教、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユは「さまざまとある正しい宗教の伝承は、すべて 同一の真理の種々ことなった反映にすぎず、おそらくその貴重さはひとしいのです」と言い、インド の偉大な師であったラマナ・マハリシが様々な宗教について問われたとき沈黙で応えたように、多 くの人も宗教はどこかで結びついていると感じていても、その源泉ははっきりとはわからない。 恐らく何千年、何万年先でないとその姿は明らかにならないような気がするし、それだけの時間を かけなければいけないものだと思う。 私が若い頃出会った女性、もう高齢だとは思うが「幸あれ」と願いたい。 ☆☆☆☆ 写真は、地球から約3000光年離れた位置にあるキャッツアイ星雲(NGC 6543)の姿です。 鋭い猫の目を思わせることからこの名前がつけられましたが、実際は死にゆく星から放出された ガスとちりの造形です。 不思議なことにこの放出は1500年ごとに現れ、それが同心円状の構造やジェットに見ることができ ますが、何故この質量放出が1500年ごとに繰り返されるのかまだわかっていません。 ☆☆☆☆ (K.K) |
2013年1月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (写真は他のサイトより引用) 1991年に刊行された柳澤さんの「意識の進化とDNA」を最近読みました。2004年に生命科学者としての 視点を踏まえながら般若心経に迫った「生きて死ぬ智慧」は注目を集めましたが、土台はその十数年前 に芽生えていたのですね。 柳澤桂子さんは前途有望な生命科学者でしたが、その後原因不明の病気で、36年間闘病生活を強いら れます。生命科学者としての目、そして自殺も考えた心の痛み、この2つが彼女の死生観の根底にある と思います。 「意識の進化とDNA」は彼女の専門分野の遺伝子に限らず、心理学、哲学、芸術などの底流にある関連 性について、二人の男女の会話を通して小説風に書かれた読みやすい本です。 彼女は言います。「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己である」と。そして意識の進化は「自己を否定 して、宇宙と一体になる。これが“悟り”すなわち宗教の世界である」と考えます。 私自身、“悟り”がどのようなものかわかりませんが、彼女の言う意識の進化は、必ずしも生命に多くの美 を宿すことにつながっていないような気がします。 私たち日本人の基層として位置づけられるアイヌの人々、彼らは縄文時代の世界観を受け継いだ人々 でした。果たして昔のアイヌの人々と現代人、どちらが多くの美を宿しているのでしょう。 美、あるいは美を感じる心とは何でしょう。それは、私と他者(物)との「へだたり」への暗黙の、そして完全 な同意から産まれるものと感じますし、「純粋に愛することは、へだたりへの同意である」と言うヴェイユの 眼差しに共鳴してしまいます。 動物や植物、太陽や月、天の川と星ぼしたち。 現代の私たちは科学の進歩により、この「へだたり」を狭くしてきました。しかし、その一方で峡谷は逆に深 くなり、底が見えなくなっているのかも知れません。それはこの世界の混沌とした状況によく似ています。 世界屈指の古人類学者のアルスアガは、「死の自覚」が今から40万〜35万年前のヒト族(現生人類では ありません)に芽生えたと推察していますが、「死」という隔たりを自覚したヒト属にどんな美が宿っていた のでしょう。 私は星を見るとき、あの星団はネアンデルターレンシスが生きていた時代に船出した光、あの星は大好き な上杉謙信が生きていた時代、などと時々思い浮かべながら見るのが好きです。 そこで感じるのは、柳澤さんが問いかけている「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己」に近い不思議な 感覚でした。 意識の進化にはいろいろ議論はあるかも知れませんが、柳澤さんの眼差しには宇宙創世からの大きな時 の流れそのものを感じてなりませんでした。 |
2014年7月17日 「オオカミの肖像」という項目を作りました。 森を、そして結果的に、そこに生きるものたちの調和あふれる世界を創ってきたオオカミ。しかし彼らオオカミの存在は、 人間にとって自らの獰猛性を葬り去るための身代わりでしかありませんでした。世界各地の先住民もオオカミも、西欧人 にとって自身の「真の姿を映す鏡」だったが故に、そして自身のおぞましい姿を見せつけてくるが故に、この鏡を叩き壊さ なければいけないものだったのかも知れません。オオカミは森の、そしてそこに生きるものたちに必要不可欠な存在だけ でなく、私たち自身は何者かと問う存在なのだと思います。 |
2015年11月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 数年前に、ある人に出会った。彼女は看護師さんで入院している患者さんの死期が不思議なことに見えると話していた。 彼女の言葉を確信したのはあることだったのだが、このような千里眼とでもいう能力は世界の先住民やカトリック (ピオ神父などが有名)にも見られる。 アイヌでは故・青木愛子さんは知られているが、沖縄・奄美のユタは殆どが女性で、ある日突然にその兆候が現れる。 日本以外のシャーマンは男性が多く、修行を経てからのに比べると沖縄・奄美のユタは世界的にも珍しいのかも知れない。 詳しくは知らないが、日本の東北地方のイタコ(元々は先天的もしくは後天的に目が見えないか、弱視の女性の職業)や、 瞽女(ごぜ)もそうだった。 盲目の旅芸人「瞽女」、彼女たちを幸いもたらす聖なる来訪者・威力のある宗教者として昔の人々は迎え入れた。 キェルケゴールは、「真理の証人とは、その一生涯、内なる戦い、恐れ、おののき、誘惑、魂の苦悩、霊的苦痛を深く 味わい尽くした人のことである。真理の証人とは、殉教者のことである」と言った。 これに似た苦悩はイヌイット(カナダ北部の先住民)、ブラジルの先住民のシャーマン(パブロ・アマリンゴはNHKでも 特集された)、チベットのある賢者や他の宗教・芸術家にも見出すことが出来ると思う。 しかしそれとは異なる側面を持つ力もあると思う。 エクソシスト(悪魔を追い出して正常な状態に戻す賜物をもった神父) 悪魔や悪魔祓いというと、中世のキリスト教が行なった残酷な魔女裁判を思い浮かべ嫌悪するだろうし、悪魔など 過去の迷信と思っている人も多いだろう。 ただ皆さんも知っているアッシジの聖フランシスコや、前述したピオ神父は魔女裁判とは本質的に異なるもの(悪魔) に苦しめられていた。 現代のバチカンではエクソシストになるには非常に高い徳性と経験が求められ、先ずその症状が精神性の疾患で ないことを踏まえたうえで行なわれているが、ある特殊な賜物が与えられていない限り出来ないことだと思う。 ハワイ先住民や南米大陸・アマゾン先住民のシャーマンの中には、そのような異なる側面の力を使う者がいることが 書かれているが、それは世界各地・日本でも見出せるのだろう。 ヒッグス粒子、これを神の粒子と呼ぶ人もいるが、それは物理学の次元での真理であり、神の領域とは異なるものだと思う。 宇宙創成から、現在にまで膨張を続ける宇宙、その力は完全に物理学の法則で説明(現代では不可能であっても)し得る ものを未来の人類は見出すと思う。 ただ、それは力そのものでしかなく、その力とどのように接触するかの姿勢は別の話であると感じる。 真実の話か比喩かわからないが、ブッダは川の水面を歩く行者を見て、その修行に何の意味があるのかを問い 嘆いている。 聖書も「わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰 があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい」(コリント人への第一の手紙)とある。 存在を慈しむことと、存在を否定することの境界。 そこには物理学の真理とは異なる次元と境界、ヴェイユの言葉を借りると「重力と恩寵」の恩寵(おんちょう、神の恵み・ 慈しみ)が、私たちと神なる領域の唯一の接点であり跳躍であるのかも知れない。 私にはそれが肌を通して浸透はしていないし、冒頭の彼女のような賜物も有していない。 ただ難しいかも知れないが、方向性だけは見失いたくない。 写真は、惑星状星雲・NGC6543です。 |
2013年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。 ニーチェと宮沢賢治(写真は1年前に作ったレゴの蒸気機関車です) ニーチェの「神は死んだ」の言葉に象徴される虚無主義(ニヒリズム)と「超人」思想。 私はニーチェの著作に触れたことがなく正しく読み取っていないかも知れませんが、、現世から目を背けている 当時の風潮に対して、彼は果敢な挑戦状を叩きつけたのだと思います。 しかし、来世のことだけを語る宗教への断罪と虚無主義。一部において何故彼がこう考えたのか納得はするも のの、私たち一人一人は空気や水・食べ物など、地球や他の生命が養い創ったもののなかでしか生きられま せん。人間は決して単独で存在できるものではありませんし、他のものとの関係性なくしては生きられないので はないかと疑問に思ったのも事実です。 デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」からニーチェ、ハイデッガー。彼らの「個(人間)」だけを世界から切り 離した思索、人間中心主義が横行した西洋哲学に対して、梅原猛さんはその著「人類哲学序説」の中で鋭く 批判しています。 これらの西洋哲学者の対極にいるのが宮沢賢治や先住民と呼ばれる人なのかも知れません。西洋哲学が 人間を世界から切り離して真理に近づこうとしていたのに対し、賢治や先住民は他のものとの関係性(繋がり) を基軸に据え、賢治の場合は「銀河鉄道の夜」などの童話を通して私たち後世の人に想いを託したのでしょう。 賢治が言う「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、互いの繋がりを 真に肌で感じた者にしか発することが出来ない言葉なのだと思います。 梅原さんは前述した本の中で、宮沢賢治と江戸時代の画家「伊藤若沖」を紹介され、二人の思想の背景には 「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」(国土や動物・草木も仏性を持ち成仏できる意味)が あり、縄文時代やアイヌを含む世界各地の先住民の世界観に共通しているものがあると言われます。 またノーベル賞を受賞した福井謙一さんの言葉「科学はいまに、裁かれる日がくるだろう。自然を征服する科学 および科学技術から、自然と共生する科学および科学技術へと変わらなければいけない」を紹介されていました が、科学技術文明の基となったデカルト以来の西洋哲学にも同じことが言えると主張されています。 私たちはデカルト以来の西洋哲学を、反面教師として捉える時期なのかも知れません。 ニーチェの「神は死んだ」、私は彼の思索の片鱗も理解できていないかも知れませんが、虚無としか映らない 状況のなか一筋の光りを見た女性がいました。 ニーチェの「超人」思想がヒトラーに悪用され、ハイデッガーがナチスの思想ではなくヒトラーの強い意志に魅了 されていた同じ頃、アウシュヴィッツの強制収容所で亡くなった無名の人ですが、賢治の銀河鉄道と同じように 多くの人の道標として、これからもその軌道を照らしていくのだと思います。 最後に、フランクル「夜と霧」から抜粋引用し終わりにします。 ☆☆☆☆ それにも拘わらず、私と語った時、彼女は快活であった。 「私をこんなひどい目に遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ。」と言葉どおりに彼女は私に言った。 「なぜかと言いますと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを 追っていなかったからですの。」 その最後の日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。「あそこにある樹は一人ぽっちの私のただ一つのお友達 ですの。」と彼女は言い、バラックの窓の外を指した。 外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。 病人の寝台の所に屈んで外を見るとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつけた 一本の緑の枝を見ることができた。 「この樹とよくお話しますの。」と彼女は言った。 私は一寸まごついて彼女の言葉の意味が判らなかった。彼女は譫妄状態で幻覚を起こしているだろうか? 不思議に思って私は彼女に訊いた。 「樹はあなたに何か返事をしましたか? -しましたって!-では何て樹は言ったのですか?」 彼女は答えた。 「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる-私は-ここに-いる。私はいるのだ。永遠のいのちだ。」 ☆☆☆☆ |
2013年11月14日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 本日11月14日の夜明け(5時43分〜6時33分)の光景です。 フィリピンの台風被害の甚大さ、心を酔わせる自然もあれば、牙をむく自然もある。アイヌの 方は、理不尽なことに遭遇すると、先ず神に何故?と文句を言います。そしてその後で、神 の言い分を自ら考えて妥協点を見い出そうとします。 もちろん、彼らアイヌの人は常日頃から、神との接点があるがゆえに、大声で文句を言う ことができるのだと思います。私たちは、怒りや悲しみを内にこめてしまいがちですが、 それではそれらの感情が増殖し続けていくのかも知れませんし、裏をかえせば、私も含め、 神との接点をないがしろにしていると言っていいのかも知れません。 思いっきり神に対して文句を言う。それは体が自然と息をするように、生きている信仰を 体現している人にしかできないのかもしれませんね。 ☆☆☆☆ |
2012年6月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 40億年後の地球 250万光年も離れているアンドロメダ座大銀河は時速40万kmで、天の川銀河に近づいてきています。 そして40億年後に天の川銀河に衝突します。 そのシュミレーションがこの画像ですが、40億年後の人類、いや人類も進化の過程の通過点だとすれば、 どのような生物がこの光景を目にすることが出来るでしょうか。 私たちとは全く異なる体つきをしているのか、またその心は何を感じているのか。 進化論が正しいにせよ誤りにせよ、何らかの方向性を生物は与えられているように感じるときがあります。 私は古代の人より現代人が科学の面で進化しているものの、自然と人、人と人の絆は逆に退化している ように思います。 与えられた方向性とは違う軌道を科学がとるとき、生物の取り囲む環境は物質的にも精神的にも混沌の 中に彷徨うことになるのかも知れません。 40億年後の生物、その生物は現在の混沌をさらに深めているのか、それともこのアンドロメダ座大銀河と 天の川銀河の衝突のように再び一つの身体になっているのか。 それを決めていくのは、現在の私たち一人一人なのかも知れません。 (K.K) |
2012年9月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 本日9月2日撮影した、雨上がりの睡蓮と障碍を持ったメダカ メダカも他の生物と同じように不思議な生き物だ。 メダカは産卵時期には多くの卵を産むが、生き残るのはそれ程多くはない。孵化せずに 死んでしまうものもいれば、写真のメダカのように骨が変形して生まれてくるものがいる。 遺伝子の多様性は頭では理解しているつもりでも、同じ環境の下で育てているはずが 何故と問いかけたくなる。 インディアンのラコタ族の伝統では、障碍者は聖なる者であり、人々に何かを教えるため に遣わされた存在だと考えられていた。 そこでは「できない」ことではなく、「できる」ことに焦点をあてようとする世界観・人間観が あると「アメリカインディアンの現在 女が見た現代オグララ・ラコタ社会」の本の中で、 デイ多佳子さんが紹介している。 沖縄・奄美のシャーマン・ユタ。最初彼女たちは「目に見えないものが見え」「聞こえない ものが聞こえ」る体験を通してユタになるのが殆どである。 世界のシャーマンの中でも「神のお告げ」とも受け取れる稀有な現象は、沖縄・奄美特有 のものだと今まで思っていた。 しかし、これは世界中で起こっていることかも知れず、ただ私たちはその現象を安易に 精神的な病として片づけているのかも知れない。 勿論、本当に精神的な病に苦しんでいる人たちがいるのも事実だが、異質なものをある がままに受け止め、その意味を感じ取る風土が古代から受け継がれてきたのも事実で ある。 このような風土、世界観・人間観をもつ社会は、「あるがままの」存在の重さを感じること によって導かれるものかも知れない。 骨が変形しているメダカ、このメダカを見ていると何かを語りかけようとしている、とふと 感じてしまう。 (K.K) |
2013年6月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) オレゴン州クレーターレイクに広がる、天の川と大気光(写真はNASAより引用) 写真の中央に広がる湖はクレーターレイクと呼ばれ、最深597mでアメリカでは最も深い (世界では7番目)湖です。 今から40万年前にマザマ山は火山として誕生し、高さ3400mにも達しましたが紀元前 4860年頃、マザマ山は大噴火し頂上が760〜1000mも崩落してしまいます。 この崩落により巨大なカルデラが出来、それが現在の湖となりますが、大噴火と崩落を 目撃した当時のインディアンは伝説という形で後世の人たちに伝えてきました。 富士山に例えると7合目まで崩落してしまうのですから、マザマ山の大噴火が如何に すさまじいものであったのか、そして人びとが如何に驚愕したのかを想像できそうです。 真ん中の小さな島が摩周湖と似ていますが、不思議なことに摩周湖もマザマ山と同じ 時期の大噴火(7000年前)によって出来たカルデラ湖です。 アイヌの方々は摩周湖のことを「キンタン・カムイ・トー(山の神の湖)」と呼びますが、 「クレーターレイク」近くのインディアンの人びとの伝説では、地の世界と天の世界の 戦いの場でした。 空に広がる緑の大気光、オーロラのような美しさですね。 |
2014年4月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。 APOD: 2014 April 2 - Mars Red and Spica Blue (大きな画像) 火星が地球に最接近(写真はNASAより引用) 明日4月14日に火星が地球に再接近(マイナス1等級に輝く)しますが、お月様とも接近した姿が見られます。 写真は、3月末にスウェーデンで撮影された火星と「おとめ座」の1等星・スピカで、オークの木のすき間から 赤と青の対比する輝き(「はくちょう座」のアルビレオを思い起こさせます)が見えています。 アイヌの方は、スピカを狼(おおかみ)星という意味の「ホルケウノチウ」と呼んでいますが、日本語での語源 は大神(おおかみ)で、山の神として山岳信仰とも結びついてきました。 「かしこき神(貴神)にしてあらわざをこのむ」と日本書紀に記述されているようですが、ヨーロッパやイエロー ストーン国立公園で成功したように日本の森に狼を放すこと、それに対して異論や不安(恐怖)はあるかと 思います。 ただ私は、かつて日本の森を守っていた狼、彼らの遠吠えをこの日本で聞いてみたいと思います。 100年以上前に絶滅したと言われる日本狼、何処かで生き抜いていて欲しいと願っています。 |
2014年4月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 (大きな画像) 本日4月27日の夜明け(4時25分〜5時12分)の光景です。 バチカンのサンピエトロ広場において、先々代のローマ法王ヨハネ・パウロ2世(在位1978〜2005年)と、 第261代法王ヨハネ23世(同1958〜63年)の列聖式(カトリック教会で最高の崇敬対象である「聖人」と する)が、本日4月27日行われました。 ヨハネ23世はキューバ危機において米ソ双方の仲介に尽力し、他教会や他宗教との対話に積極的であり、 有名な第2バチカン公会議を開催をした卓越した法王でした。無心論者や他の宗教をどのように捉えるの かをも話し合われたこの公会議、その指導的な神学者だったカール・ラーナーの本には心打たれました。 現在バチカンは一部の聖職者による児童への性的虐待の問題で揺れていますが、アメリカ先住民への 同化政策が行われていたころ、カトリック・プロテスタントを問わず、親元から強制的に引き離された彼らの 子供に対して、同じ過ちをした聖職者たちがいました。これらの同化政策(アイヌの方も同じです)の影は、 現在においてもアメリカ先住民社会に暗い影を落としています。 2000年3月12日、当時の法王ヨハネ・パウロ二世は「回心と和解の日」のミサの中で、「イスラエルの民に対して 犯した罪の告白」(ユダヤ人虐殺を黙認してきた歴史)、そしてアメリカ先住民などの世界各地の先住民に対して の文化と宗教を破壊してきた歴史への謝罪を行いましたが、その時に話された一部を紹介します。 ☆☆☆ 「世界の主、すべての人の父よ、あなたは御子を通してわたしたちに、敵を愛し、わたしたちを憎む人々に善を行い、 わたしたちを迫害する人々のために祈るよう求められました。 しかしキリスト者はしばしば福音を否定し、権力というメンタリティに傾倒し、諸民族の権利を侵し、彼らの文化と 宗教的伝統を侮辱してきました。 どうか、わたしたちに対し寛容で、慈しみを示し、あなたのゆるしをお与えください。主キリストによって。」 法王ヨハネ・パウロ二世 ☆☆☆ |
2015年8月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 アイヌ民族や世界の先住民、特にアメリカ先住民(インディアン)の文献に多く触れてきたためか、国の同化政策により部族の言語を 失うことがどれほど悲痛なことか。 言語の消滅はその部族の伝統文化の消滅を意味している。 そしてその痛みを分からない日本人があらゆる分野のトップに就こうとしている。 以前にも書いたが日本語は世界的にみても希有な言語である。 祖語があり、そこから枝分かれした西欧の言語とは違い、日本語はさまざまな言語が融合した世界にも類がない言語。 この独特な言語が、日本独自の感性を養ってきた要因の一つであることは容易に推察できる。 勿論、他言語との架け橋として英語の大切さは言うまでもないが、それは自己の言語に誇りを持った上での話である。 2018年からの小学校では、将来的に「英語で討論・交渉できること」を目指した実践的な英語教育が始まるそうである。 文科省といい企業のトップといい、言語という自己を育んできた存在に対しての無知さが垣間見えてならない。 つい最近、日本の漢文学者・古代漢字学で著名な故・白川静さんの「常用字解」という辞書を購入したが、漢字にはこんな意味が あったのかと本を開くたびに自分の無知を痛感させられ、また新たな発見の驚きがある。 多くの人に日本語そして漢字の素晴らしさを改めて感じてもらいたい、その上で必要としている人は英語を勉強してほしいと 願っている。 追記 2017年6月1日 「英語化は愚民化」施光恒・著 同化政策の悲劇を知らない悲しい日本人 を参照されたし。 |
2015年8月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 縄文のヴィーナス(2012年、国宝に指定された土偶の3分の1のレプリカ) (大きな画像) 実物の「縄文のヴィーナス」はこちら 土偶が何故創られたのか様々な説がある。生命の再生、災厄などをはらう、安産のための身代わり、大地の豊穣を願うなどなど。 今後も新たな説が生まれてくると思うが、時代の背景を踏まえながら全ての先入観を捨て(完璧には不可能だとしても)、純度の 高い目で土偶に向き合う姿が求められているのかも知れない。 今から30年前、この土偶に関しての衝撃的な見解が「人間の美術 縄文の神秘」梅原猛・監修に示された(私自身、最近になって 知ったことだが)。 殆どの土偶(全てではない)に共通する客観的な事実、「土偶が女性しかも妊婦であること」、「女性の下腹部から胸にかけて線が 刻まれている(縄文草創期は不明瞭)」、「完成された後に故意に割られている」など。 アイヌ民族や東北に見られた過去の風習、妊婦が亡くなり埋葬した後に、シャーマンの老婆が墓に入り母親の腹を裂き、子供を 取り出し母親に抱かせた。 それは胎内の子供の霊をあの世に送るため、そして子供の霊の再生のための儀式だった。 また現在でもそうかも知れないが、あの世とこの世は真逆で、壊れたものはあの世では完全な姿になると信じられており、葬式の 時に死者に贈るものを故意に傷つけていた。 このような事実や背景などから、梅原猛は「土偶は死者(妊婦)を表現した像」ではないかと推察しており、そこには縄文人の深い 悲しみと再生の祈りが込められていると記している。 「縄文のヴィーナス」、現在でも創った動機は推察の域を出ないが、そこに秘められた想いを私自身も感じていかなければと思う。 縄文人に限らず、他の人類(ネアンデルタール人、デニソワ人など)や、私たち現生人類の変遷。 過去をさかのぼること、彼らのその姿はいろいろな意味で、未来を想うことと全く同じ次元に立っていると感じている。 |
2015年9月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 スターリン、ヒトラーなどの独裁者に共通するもの 自身が絶対正義だと陶酔し、意見の異なる人を邪魔者として抹殺する。 最近の日本では小泉がそうでしたが、今回の安保法案の賛成・反対派の両者とも、その危険性のある議員や民が いるのを感じました。 聖徳太子の十七条憲法(604年4月3日に臣下を集め提示したこの憲法は、日本で初めての成文法と言われています) の第十条にはこう書かれています。 「心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。 人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと 思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだという わけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。おたがい だれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、 むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって 行動しなさい。」 十七条憲法は崇高な理念が書かれているのではなく、モーゼの十戒「殺すな、盗むな、姦淫するな」と同じく 行動規範が書かれています。 ただ、この第十条だけを抜粋して十七条憲法を語るのは卑怯な態度なので、憲法全文を時間がありましたら見て いただけたらと思います。 第七条にはこうも書かれています。 「人にはそれぞれの任務がある。それにあたっては職務内容を忠実に履行し、権限を乱用してはならない。賢明な 人物が任にあるときはほめる声がおこる。よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。世の中には、 生まれながらにすべてを知りつくしている人はまれで、よくよく心がけて聖人になっていくものだ。事柄の大小に かかわらず、適任の人を得られればかならずおさまる。時代の動きの緩急に関係なく、賢者が出れば豊かに のびやかな世の中になる。これによって国家は長く命脈をたもち、あやうくならない。だから、いにしえの聖王は 官職に適した人をもとめるが、人のために官職をもうけたりはしなかった。」 欺瞞・汚職にまみれた中国に限らず日本でも、聖徳太子のような人物が出てきたらと思っていますが、現代の 民主主義では不可能ではないかとさえ思うことがあります。 言霊、「言葉には霊力があるから、決して嘘をついてはいけない」、これは昔の日本だけでなくアメリカ先住民 (インディアン)にも共通していたことです。 選挙で聖徳太子のような人が選ばれるには、全ての民に言霊が宿って初めて実現するのですが、それは 聖徳太子の時代から1400年経っても殆ど変わらない姿を見ると悲観的にもなってしまいます。 ただ、そんな荒波の中でも、名もない知られざる英雄がいたことを指標として、自身が出来ることを模索して いかねばと思っています。 写真は9月15日に撮影した合歓の木(ネムノキ)です。 |
2015年10月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 先日9月28日ののスーパームーンと皆既月食(写真はNASAより引用) 大西洋方面(ヨーロッパやアフリカ、南北アメリカ)ではこの二つの現象が重なり合いましたが、次にこの 二つの現象が見えるのは18年後の2033年です。 北海道のアイヌと共に、縄文人の遺伝子の多くを引き継ぐ沖縄、彼ら沖縄の人々の月への想いはどの ようなものだったのか。 「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」比嘉康雄著 集英社新書より以下引用します。 <月の神> ◎月も、太陽と並ぶ久高島の最高神である。 月神は<マチヌシュラウヤサメー>(マチは待つ、シュラは美しい、ウヤサメーは尊い親の意)といっている。 月の光の柔らかなイメージが女性のイメージと同質と考えたのか、月神は神女たちの象徴で、家レベルでは 根神が、シマレベルでは外間ノロがその司祭者である。 また月は女親であって産む能力を持っていて、久高一人一人の命に責任があると考えられ、出生のとき、 結婚のときは月神に報告し守護を頼む。年始めの健康願いも月神に祈る。 穀物を生産する力も月神で、麦、粟で作った濁酒は月神の守護力を持った尊いものである。麦、粟の 農作祈願祭祀はこの濁酒を神女たちが「共飲して」おこなわれる。 太陽が一日の周期を考えるのに対し、月は一ヶ月の周期で考えられる。つまり、月の満ち欠けによって 月日を読む。 月もその光によって守護力が発揮されると考え、十三、十五、十八夜は守護力が強い吉日と考え、祭祀の 適日である。イザイホーも十五の満月の夜から始める。一年で月神の守護力である月光が最も充実して いるのは旧暦八月の十五夜である。 この満月の夜に穀物の豊作と神女たちの健康願いがおこなわれる。月神も太陽神と同じく地上に降臨 することはなく、香炉もないまま、神饌を供える高膳が外間殿にあるだけである。月神を象徴する色は白である。 また月は普通、チチと呼ばれている。なお、日食は月神と太陽神の逢引といわれている。 |
Selawik girl
Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)