「エレファントム 象はなぜ遠い記憶を語るのか」

福岡伸一・高橋紀子 訳 木楽舎








本書 解説にかえて・・・・ライアル・ワトソン博士の晩年 内田美穂(翻訳家) より引用



2008年夏、ライアル・ワトソン博士の他界を知らせてくれたのは、弟のアンドリュー・ワトソン氏

でした。ワトソンさんは、晩年、オーストラリア・クィーンズランド州のアンドリュー氏宅に身を寄せ

ていました。まだ60代で、普通なら元気なはずでしたが、脳梗塞を何度か患っていたのです。



最期の地となったのは太平洋岸に近い小さな町で、ワトソンさんとアンドリュー氏夫妻は、よくそ

の海岸を散策していました。おそらくそのとき、彼は告げていたのでしょう。自分の遺骨はこの海

に撒いてくれと・・・・。



アンドリュー氏一家がワトソンさんの遺骨を抱いて海岸に出ると、沖合いにザトウクジラの小さな

群れが来ていたそうです。その時期、ザトウクジラが回遊してくるのは珍しいことでした。一家が

散骨を済ませると、ザトウクジラたちは東に向かって泳いで行ったそうです。それを見てアンドリュ

ー氏は「皆、ゾクッとした」と言います。



ワトソンさんに先立つこと5年前(2003年)、アリス夫人はアメリカ・サンタフェで亡くなりましたが、

その遺骨はワトソンさんの手でハワイ沖に散骨されました。アリス夫人の遺骨を魚の餌に混ぜ、

二人がよく一緒に潜りに行った海に撒いたのです。



「そうすると、魚に食べられて、いろいろな所に行けるから・・・・」



オーストラリア東海岸沖でワトソンさんの遺骨を「食べた」ザトウクジラたちは、南太平洋を渡って

ペルーに向かい、そこを経由して最終的にハワイ沖に向かったはずです。



アンドリュー氏からのメールには「兄もクジラに運ばれて、二人はハワイ沖で再会するのだろう」と

書かれていました。ワトソンさんは、本書の第6章で「クニスナの太母とシロナガスクジラの対話」を

記していますが、同質とも思える二つの情景は「出来すぎた偶然」なのでしょうか。



(中略)



この時期、ワトソンさんは三軒の家を持っていました。サンタフェ、アイルランドのコーク州、そして

本書の舞台に近いケープタウン郊外です。彼はこの三ヶ所を転々としながら活動していたのですが、

2001年の暮れにケープタウン郊外で脳梗塞を起こしました。



これが最初の発作で、その後、ワトソンさんはリハビリと発作を繰り返します。おそらくこの「エレファ

ントム」は、ケープタウンでの一度目の発作の前に執筆されたものでしょう。



そして、2006年末、アイルランドの家に行ったワトソンさんは、そこでかなり重い発作に襲われたよう

です。脳梗塞を患った人にとって、冬のアイルランドは厳しすぎる地です。それは、ワトソンさん自身

もさとったらしく「もう、アイルランドに未練はない」と言ってよこしました。



話は前後しますが、アイルランドに発つ前、ワトソンさんから葉書が来ました。「これからはEメールは

なしで、郵便だけでコミュニケーションする」という内容で、その後の連絡先としてコーク州の住所が記

されていました。



再度の発作の前か後か不明ですが、ワトソンさんからは「アフリカに行く」という一行だけの葉書が届

きました。私は、それが一番彼らしいと思ってホッとしたのですが、その後、半年近くも音信普通とな

り、実際にどうしたのかわかりません。



アイルランドの家まで行って地主や近所の方に聞いたところアメリカに住む、姪御さんらしい人がワト

ソンさんを迎えに来たそうです。しかし、最終的にオーストラリアのアンドリュー氏宅に落ち着いたと

判明したのは、さらに1年経ってからでした。



ライアル・ワトソン博士が、残された最後の時間を費やして著したのが、本書「エレファントム」と「思考

する豚」です。福岡伸一さんと高橋紀子さんの邦訳を得て、日本のファンに届くことをワトソンさんは喜

んでいることでしょう。本来の彼がそうであったように、彼はクジラたちによって「自由人」となり、世界中

を巡っているにちがいないのですから・・・・。



美に共鳴しあう生命


 


目次

第1章 白い象を見た少年

〈象を見る者〉 象の試作品たち サン・ゴンザレス号の遭難 ストランドローパーの掟

漁の天才 生き物は水に依存する 乳白色の巨象 三日月の牙を持った月の獣

ブッコの匂い



第2章 羊の皮を着た男

〈「野蛮」なのは誰か〉 野生の人 吸着語で話す民族 牧畜民コイ族と狩猟民サン族

カンマは象の真似をした ケープの森の巨大な木 年老いた白い象 一人きりでさまよう者



第3章 「火遊び」をした日

白い象の伝説 サン族の物語 ケープのすてきな夏 邪悪な絵 月のメッセージ

巨象が立っていた断崖へ 絵を描く象



第4章 象たちの受難

人間は象に敬意を抱いていた 白人がアフリカでしたこと プレトリウス少佐の罪

象は記憶を伝承している なぜ牙が小さくなったか クニスナの象が減った理由

象狩りの光景 「鷲の子」という名前の木樵



第5章 追跡の果て

追跡の技術 糞は語る 「俺の弟を殺した象」 恨みのある匂い カンマ・夢見るもの

白い象の力 眠っている遺伝子



第6章 クニスナの太母

人類のゆりかご ヤコブソン器官の神秘 動物行動学者になる 象と暮らす 

象たちの「死の儀式」 100ドルの被害 無音の轟き 最後の一頭 鯨に会いに来ていた



第7章 時空を超えて

〈象を織り出す女性〉 幽霊の正体 幻覚を見ていたのか 象たちの反撃 経験が匂いの記憶を作る

生命の本当の音楽を聴く者 匿名の論文 エレファントム・フグス 消えたヘリコプター

すばらしい出発点



解説にかえて(内田美穂)


 




福岡伸一(ふくおか・しんいち)



生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学研究員、

京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。研究のかたわら、「生命と

は何か」を分りやすく解説した著作を数多く著す。



狂牛病が問いかけた諸問題について論じた『もう牛を食べても安心か』(文春

新書)で科学ジャーナリスト賞、ノーベル賞受賞の定説に一石を投じた『プリオ

ン説はほんとうか?』(講談社ブルーバックス)で講談社出版文化賞科学出版

賞を受賞。また、2007年に発表した『生物と無生物のあいだ』(講談社現代

新書)は、サントリー学芸賞、およぼ中央公論新書大賞を受賞し、ベストセラー

となる。他に、『ロハスの思考』(ソトコト新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、

『できそこないの男たち』(光文社新書)、『世界は分けてもわからない』(講談

社現代新書)、エッセイ集『ルリボシカマキリの青』(文藝春秋)、対談集『エッジ

エフェクト 界面作用』(朝日新聞社)、翻訳に『エレファントム』『思考する豚』

(ともに木楽舎)、『すばらしい人間部品産業』(講談社)など。



福岡伸一オフィシャルブログ「福岡ハカセのささやかな言葉」



 


2012年2月29日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



写真は「On This Earth: Photographs from East Africa」Nick Brandt著という写真集からです。



1987年、乱獲で生き残っていた3頭の象は1990年にはたったの1頭になっていた。人々は最後の

象、彼女のことを太母(メイトリアーク)と呼んだ。しかし彼女は何処かへ消える。以下、この物語に少

し耳を傾けたい。



☆☆☆☆



生涯、母系社会を維持し、常にコミュニケーションを取り合って暮らしてきた象が、たった1頭のこされ

たとき、彼女はいったい、どこへ行くのだろうか。ワトソンにはある確信があった。彼は、少年時代を

過ごした南アフリカのある場所で、かつて象を見たことがあったのだ。



それはクニスナ地区から国道を越え、森林地帯が終わるころ、そこでアフリカの大地は突然、崖となり、

その下の海面に垂直に落ち込む。切り立った壁の上から大海原が見渡せる。



はたして、ワトソンは、その崖の上にたたずむメイトリアークを見た。そしてその光景を次のように書

き記した。



「私は彼女に心を奪われていた。この偉大な母が、生まれて初めての孤独を経験している。それを

思うと、胸が痛んだ。無数の老いた孤独な魂たちが、目の前に浮かび上がってきた。救いのない

悲しみが私を押しつぶそうとしていた。しかし、その瞬間、さらに驚くべきことが起こった。



空気に鼓動が戻ってきた。私はそれを感じ、徐々にその意味を理解した。シロナガスクジラが海面に

浮かび上がり、じっと岸のほうを向いていた。潮を吹きだす穴までがはっきり見えた。



太母は、この鯨に会いにきていたのだ。海で最も大きな生き物と、陸で最も大きな生き物が、ほんの

100ヤードの距離で向かい合っている。そして間違いなく、意志を通じあわせている。超低周波音の

声で語りあっている。



大きな脳と長い寿命を持ち、わずかな子孫に大きな資源をつぎこむ苦労を理解するものたち。高度

な社会の重要性と、その喜びを知るものたち。この美しい希少な女性たちは、ケープの海岸の垣根

越しに、互いの苦労を分かち合っていた。女同士で、太母同士で、種の終わりを目前に控えた生き

残り同士で」



☆☆☆☆



この物語は「エレファントム」ライアル・ワトソン著で描かれているが、これを紹介した「動的平衡」福岡

伸一著で初めて私はこの物語に触れた。



真偽はわからないが、間違いなく言えることは多くの先住民や生き物たちが、絶滅する直前に感じた

孤独感や喪失感を、この物語は見事に描いている。



もし、自分がたった一人、この地球に取り残されたたった一人の人類だとしたら何を感じるのだろう。



☆☆☆☆



(K.K)



 

 


2012年3月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「生命とは自己複製を行うシステムである」



私の机の上に置いてある鉄腕アトム。小学生の頃、胸をワクワクしながらテレビの画面に魅入って

いた。アトムは「ひょっこりひょうたん島」のダンディと並んで、これからもずっと私のヒーローであり

続けるだろう。



アトムはロボットだが、生命(生物)とは何だろうとその定義を探してみた。生物学では「生命とは自己

複製を行うシステム」だが、この定義だとアトムは生物になる可能性がある。勿論、生物学で言って

いるこの自己複製の意味はDNAのことなのだが、アトムほどの人工知能があれば、別の意味で自分

の複製を作り続けることは可能のような気がする。またこの意味とは別に、この生命の定義に何か

釈然としないものを感じていた。



最近、分子生物学者の福岡伸一さんの本を読んだが、この生命の定義に対して同じ疑問を感じて

おられ、また他に多くのことを教えてくれた。福岡さんはベストセラーになった「生物と、無生物のあ

いだ」
「動的平衡」など沢山の本を出されているが、その中に生命とはという定義を次のように書

いている。



「生命とは動的平衡にある流れである」



今アトムを見つめる私は、1年前と同じ私のままである。しかしその身体を作る細胞は絶えず自己

複製をしながら、1年前とは全て違う分子で出来ている。生命とは、「その流れがもたらす『効果』で

あるということだ。生命現象とは構造ではなく『効果』なのである」(『動的平衡』より引用)。



この定義だとアトムは生命(生物)ではない。



でも、もしアトムが目の前に現れたら、私は人間(生物)と同じと感じるかも知れない。確かにその

身体は金属の構造で出来ており「動的平衡にある流れ」ではないが、アトムは美と共鳴する何か

を持っている。美それは創造主・神と置き換えてもいいかも知れない。



私たち生物にしろ、ロボットにしろ、それは同じ素粒子(クォーク)から出来ている。これ以上分解

できない単子が素粒子なのだが、この素粒子の正体は振動ではないかと最近の量子力学は捉

えている。



銀河系や太陽系が出来る遥か以前、或いは宇宙創生の頃の素粒子の振動は形を変えずに現在

も保持され続ける性質を持ったものだろうか。



そして私の身体を作っている素粒子、その振動は何を記憶しているのだろうとも考えてしまう。振動

と記憶を結びつけて考えること自体滑稽であり、自分の頭がますますおかしくなっているのではとさ

え思う。



ただ



美(創造主・神)と素粒子という二つの振動が共鳴しあっていたとしたら。

共鳴し合いながら、長い時間をかけて生物の多様性を形作ってきたとしたら。



机の上にちょこんと立っているアトムを見ると、小学生の頃テレビや漫画で見たアトムにも美(創造

主・神)に共鳴するものが宿っていると感じてしまうのだ。



最後に、私は量子力学を勉強したわけでもなく、ただ自分の想いや願いに同調する言葉だけを捉え

て無理に結び付けようとする危険性を犯していますので、一人の狂人の笑い話と捉えていただけた

ら幸いです。



☆☆☆☆



哲学者・梅原猛さんの言葉(「アイヌの霊の世界」藤村久和著より)を紹介して終わりにします。



「人間にたいする愛情のない学問というものはつまらないものだ。

どこかはずれているのだ。」



☆☆☆☆



(K.K)



 

 

2014年6月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。





(写真は「すべてを明日の糧として 今こそ、アイヌの知恵と勇気を」宇梶静江著 清流出版より引用)



皆さんが地球上で生き残った、ただ一人の人間になったとしたら、何を感じるだろう。



私は恐らく孤独感に蝕まれ、発狂するかも知れない。



人間に限らず生命あるもの、彼らの多くは虐殺などにより、人間が味わうような孤独感に苦しめられ、そして絶滅の道をたどってきた。



私たちに出来ることは、彼らにその道を歩かせないこと、そして同じような境遇で亡くなった全ての生き物に対して手を合わせ、

祈ることだと思う。



アイヌ復権の旗手でもある宇梶静江さんは詩人でもあり、絵本作家でもある。



太古の遺伝子を呼び覚ますことができる人と、そうでない人の違いは、死者のための祈りができるかどうかなのだと感じてならない。



今を生きるものたちだけでなく、その想いを遥か昔までさかのぼることが出来る人。



そのような想いや祈りをもって初めて、アメリカ先住民や多くの世界の先住民が行動の規範とする「七世代先の子どもたちのために」、

と言えるのかも知れない。



勿論、私はそのような祈りができる人間ではないし、どのように祈ればいいのかわからない。



ただ、もしこの想いや祈りが世界にあふれたら、過去から未来へと「いい風」が吹き抜けるに違いない。



☆☆☆☆



(本書より引用)


同胞を受け入れることから始まった母親の生活の激変に、子どもたちはみるみる巻き込まれていったわけ。



私が仕事に、少年少女たちの世話に、と飛び回っているとき、幼いきょうだいはふたりでじっと母親の帰りを待っていた。



子どもたちには、勝手なおっ母で本当にすまなかったと思う。



だけど、そうせざるを得なかったこともふたりには知ってほしい。



私がこの本を書こうと思った理由のひとつはそこにあるんだ。



どうぞ、わかってほしい。



困っている人をけっして見捨てることのできないアイヌの血が、この母の中に流れていることを。



私は、子どもたちが生きやすい社会にしたいと、とんでもない荒れ地に種まきを始めた母親だった。



今、この母は良子と剛士に対し、しょく罪の思いを胸にいっぱいに抱えて生きているよ。



☆☆☆☆




美に共鳴しあう生命







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