2014年6月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。
(写真は「すべてを明日の糧として 今こそ、アイヌの知恵と勇気を」宇梶静江著 清流出版より引用)
皆さんが地球上で生き残った、ただ一人の人間になったとしたら、何を感じるだろう。
私は恐らく孤独感に蝕まれ、発狂するかも知れない。
人間に限らず生命あるもの、彼らの多くは虐殺などにより、人間が味わうような孤独感に苦しめられ、そして絶滅の道をたどってきた。
私たちに出来ることは、彼らにその道を歩かせないこと、そして同じような境遇で亡くなった全ての生き物に対して手を合わせ、
祈ることだと思う。
アイヌ復権の旗手でもある宇梶静江さんは詩人でもあり、絵本作家でもある。
太古の遺伝子を呼び覚ますことができる人と、そうでない人の違いは、死者のための祈りができるかどうかなのだと感じてならない。
今を生きるものたちだけでなく、その想いを遥か昔までさかのぼることが出来る人。
そのような想いや祈りをもって初めて、アメリカ先住民や多くの世界の先住民が行動の規範とする「七世代先の子どもたちのために」、
と言えるのかも知れない。
勿論、私はそのような祈りができる人間ではないし、どのように祈ればいいのかわからない。
ただ、もしこの想いや祈りが世界にあふれたら、過去から未来へと「いい風」が吹き抜けるに違いない。
☆☆☆☆
(本書より引用)
同胞を受け入れることから始まった母親の生活の激変に、子どもたちはみるみる巻き込まれていったわけ。
私が仕事に、少年少女たちの世話に、と飛び回っているとき、幼いきょうだいはふたりでじっと母親の帰りを待っていた。
子どもたちには、勝手なおっ母で本当にすまなかったと思う。
だけど、そうせざるを得なかったこともふたりには知ってほしい。
私がこの本を書こうと思った理由のひとつはそこにあるんだ。
どうぞ、わかってほしい。
困っている人をけっして見捨てることのできないアイヌの血が、この母の中に流れていることを。
私は、子どもたちが生きやすい社会にしたいと、とんでもない荒れ地に種まきを始めた母親だった。
今、この母は良子と剛士に対し、しょく罪の思いを胸にいっぱいに抱えて生きているよ。
☆☆☆☆
|
|
APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse
(大きな画像)
|
|
2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。
その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。
その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、
世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴
えておられた。
私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は
かに思っていた。
確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私
たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して
理解することは出来ないと思う。
この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。
ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ
の思いを投稿した。
私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。
また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。
今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間
達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。
アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ
るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。
下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり
絶対こうでなければならないという意味ではない。
私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。
☆☆☆☆
太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。
日食のことを次のように言いました。
チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)
日食の際の儀式を紹介します。
男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。
女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。
チュプカムイ 太陽のカムイよ
エ・ライ ナー あなたは重態だ
ヤイヌー パー よみがえれよー
ホーイ オーイ ホーイ オーイ
日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が
あったのです。
太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。
オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。
闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用
☆☆☆☆
(K.K)
|
|
2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
画像省略
厚木市から見た金環日食
僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。
人びとに安らぎが訪れるようにと。
今日は金環日食だった。
昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。
でも、僕は違う人々のことも想像してみた。
インディアンのホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、
日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。
もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。
「太陽、生きてくれ!!!」と。
僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。
しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも
知れない。
日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って
生きてきた人たち。
勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。
でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。
(K.K)
|