「すべてを明日の糧として 今こそ、アイヌの知恵と勇気を」

 宇梶静江・著 清流出版














あなたがあなたの役割を持って生まれてきたように、

私には私の役割があって、アイヌに生まれた。

それは、古布絵を通じてアイヌの文化を多くの人に知ってもらうこと。

そして、いじめや差別に傷ついた心に

「大丈夫。あなたはあなたのままでいい。生きている、

そのことだけで人生は素晴らしい!」

と伝えること。

(本書 帯文より)



本書より引用


ちょっと考えてほしいんだ。これまでの生活をわけもわからず他人からひっくり返されたらどう思う?

たとえばこんなふうに・・・・。

これまで獲っていたサケを川で獲ってはいけない。心から感謝してその肉や皮をいただいていたシカを

山で獲ってはいけない。これまで使っていた言葉を使ってはいけない。とにかく暮らし方のすべてを変え

なくてはいけない。



これまで平和に暮らしていた自分たちの土地によそからどかどかと押し寄せてきた人たちに突然そんな

ことを命令され、「土人」と呼ばれたら、どんな気がする? ほんの少しでも想像してみてほしい。私たち

アイヌはそんな仕打ちを受けた民族なんだ。



アイヌはおそらく1万年以上も前から北海道やその近辺に住んでいたといわれる先住民族。大地や山河の

恵みをつつしみ深くいただき、万物に宿る自然界の神々を敬い、礼節を重んじ、争いを好まない。自立した

穏やかな民族だったよ。中世にはアイヌの居住地は「蝦夷地」と呼ばれていたそうな。明治維新後、蝦夷地

一円は「北海道」と呼ばれて、明治政府の統治を受けるようになったんだ。ときあたかも文明開化の大波。

明治政府は日本中の古い習慣を「悪しき因習」としてやめさせようとやっきになった。だから、アイヌ文化

の独自性なんてまるで無視。日本人に同化させようという同化政策が打ち出された。アイヌは、言語も

生活習慣も和人に合わせさせられ、開拓のためにどんどん北海道に入ってくる和人のために農業権も

漁業権も全部取り上げられてしまってね。そんな貧しいアイヌの村に生まれたのが、この私。








その上げ金を何に使うかって? おいしい魚とおいしい酒をあり余るほど買ってね、近所の飲んべえさん

から、貧しい人たちやら、ひとり暮らしのおじいさんやおばあさんやら、夫を戦争にとられて必死に働いて

いるお母さんやらをみんなうちに招待するのさ。



夜も昼も囲炉裏の火はぼんぼん燃えてて、テーブルいっぱいに、魚や酒。母ちゃんが作るおいしいおかず

や漬物もずらりと並んでいる。父ちゃんのお金のある間、この昼夜ぶっ通しのにぎやかな饗宴は続くんだ。

さんざん飲んで、食べて、歌って、踊って・・・・一週間もたつと、父ちゃんの上げ金は底をつき、みんなは

満ち足りた顔で帰っていく。



そこで我が家の貯蓄はゼロになって、また一家で働き続ける「春」が始まるというわけ。母ちゃんにしてみた

ら、子どもたちに春の靴下の一足ずつでも買ってやりたかったろうに。でも、小言ひとつ言うでもなく、ニコニコ

と料理をふるまっていた母ちゃんだった。



のちに私は上京して、北海道から私を頼って出てくるアイヌの少年たちを家に住まわせたり、就職先をみつけ

たりと、奔走することになるんだけどね。そうした活動を始めてから、父ちゃんと母ちゃんはなぜ有り金はたいて

まで大盤ぶるまいをしていたのか、やっとわかったよ。



つまり、こういうこと。いい芝居や映画って、観たあとも、ずっといい気分で暮らせるよね? 非日常の楽しい

ことって、生きていく潤滑油になるじゃない。大人になって、そのことに気づいたとき、「父ちゃんと母ちゃんっ

て、いつも人のことも考えていたんだなあ」ってつくづく思ったよ。



何の楽しみもやく貧しさの極みで生活するアイヌの人たち。年に一回だけ存分に飲み食いして、楽しい一週間

を過ごし、「また来年の春になったら、ツネさんが楽しませてくれる」と待ちわびる。そうしたら、次の春まで楽し

みごとのない貧しい生活でもなんとか精神的に持ちこたえられるわけ。



うーん、父ちゃんもすごければ、母ちゃんもすごい! 今、私はただ頭を垂れるだけ。








うちの庭で撮られた写真を、新聞社に勝手にカレンダーにされたこともあったよ。当時のアイヌは世の中の

ことを何も知らず、読み書きのできない人が多かったので、自分たちが学者がマスコミにどう扱われてよう

が、されるがままに立場だった。「違う」ということを訴えるすべも知らなかった。



それをよいことに、児玉教授は私たちアイヌを採集標本のように利用し、アイヌの骨格などの論文を書いて、

国から勲章までもらったんだ。



当の私たちは、自分たちがどう調査され、どう論文にまとめられているか、何も知り得なかった。学術調査の

名のもとに、アイヌの墓地が盗掘され、頭骨や装飾品が、膨大な「児玉コレクション」とされたことさえ。アイヌ

たちは、ただ肉体労働をして食べていくのに必死だったから。



アイヌはどうして貧しいのか。差別されるのか。そのわけを知りたくて、のちに私はアイヌについての書物を

読みあさり、勉強を始めたよ。そして、勉強をすればするほど、アイヌの置かれた状況がわかってきて、くやしさ

に唇を噛んだものさ。



つまりね、こういうことだったんだ。明治に入ってから、日本のナショナリズムは盛り上がった。日本の起源に

ついての研究も活発になっていたった。そんな流れの中で、アイヌの人骨の発掘や収集が、昭和に入っても

続けられたんだね。研究者の手柄のために、盗掘という手段さえ使われて。



児玉教授が私たちにしたことは『学問の暴力』(春風社・植木哲也著)という本に詳しく書かれているよ。アイヌ

の墓から盗掘された頭骨や装飾品はいまだ返却されることなく、教授の死後も「児玉コレクション」として人目

にさらされ続けている。私たちアイヌはこの学者を許すことはできない。けっして!








これまで幾度となく繰り返してきた問いを、胸に呟いてみる。なぜ、アイヌはないがしろにされたのだろう?

差別を受けるほど取るに足らない民族だったのだろうか? いいえ、とんでもない。本や資料を読み漁って

知れば知るほど、アイヌ民族はその真逆のすばらしい民族だったのだ。



まず、すごいなあと思ったのは、世襲制のないこと。最近、国会議員の世襲が世間で問題になっているけど

ね。親の威光が子に及ぶなんてへんてこな話だよね? アイヌでは村の長を決めるときに、その親や親族

など一切関係なし。人格者で、勇気と知恵にあふれ、愛の深い人がみんなから選ばれるんだ。



これもすごいなあと思ったのは、どこかに侵略したという歴史もなければ、侵略のための武器を作ったと

いう歴史もないこと。仇討ちの歴史だってない。これはよっぽどしっかりとした哲学とモラルを持ち、強い

心の共同体でなければできることではないよ。



そして、老人・子ども、身よりのない者を、村のみんなで面倒をむる心の広さ。



道具ひとつにしても手を抜かずに作るので芸術に近い仕上がりになり、大切に使う。明治政府に禁止され

るまでは、人が死ぬと、死者に持たせる意味で、その家を焼いていたほど「財産」や「所有」に執着しない

潔さにはおったまげるばかり。



アイヌはいつだって自然と共に生きてきた。でも、それは、ただ自然の中でぼうっと生きてきたんじゃなく、

自然と真摯に対話してつつましく、誇り高く生きてきたんだ!



アイヌの古い布をひとつほどいてみるとね。小さな四角形模様がきれいに並んでいて、刺繍はきちんと

左右対称になっているよ。文字は持たなかったけれど、祖先たちは直感的にかなりのレベルの幾何学

や計算ができたんだと思うよ。



アイヌのおじいさんたちやおばあさんたちの手による小さな刺繍ひとつ、縄一本の見事さ。それは学校で

教えてもらうことでもなく、多くの口伝や伝承の中で育まれてきたもの。アイヌみんなの共有財産なんだ。



だから、たとえ古布絵で私ひとりが世に出て注目されたって、祖先はちっとも喜ばないだろうし、私だって

うれしくない。



私たちアイヌが現代に生き直すためには、アイヌの誇りをアイヌで共有すること、そして、ひとりひとりが

アイヌである自分に自信を持ち、愛することが先決。そうしてこそ、世の中に、アイヌのさまざまな知恵を

発信していけるはずだから。






2014年6月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。





(写真は「すべてを明日の糧として 今こそ、アイヌの知恵と勇気を」宇梶静江著 清流出版より引用)



皆さんが地球上で生き残った、ただ一人の人間になったとしたら、何を感じるだろう。



私は恐らく孤独感に蝕まれ、発狂するかも知れない。



人間に限らず生命あるもの、彼らの多くは虐殺などにより、人間が味わうような孤独感に苦しめられ、そして絶滅の道をたどってきた。



私たちに出来ることは、彼らにその道を歩かせないこと、そして同じような境遇で亡くなった全ての生き物に対して手を合わせ、

祈ることだと思う。



アイヌ復権の旗手でもある宇梶静江さんは詩人でもあり、絵本作家でもある。



太古の遺伝子を呼び覚ますことができる人と、そうでない人の違いは、死者のための祈りができるかどうかなのだと感じてならない。



今を生きるものたちだけでなく、その想いを遥か昔までさかのぼることが出来る人。



そのような想いや祈りをもって初めて、アメリカ先住民や多くの世界の先住民が行動の規範とする「七世代先の子どもたちのために」、

と言えるのかも知れない。



勿論、私はそのような祈りができる人間ではないし、どのように祈ればいいのかわからない。



ただ、もしこの想いや祈りが世界にあふれたら、過去から未来へと「いい風」が吹き抜けるに違いない。



☆☆☆☆



(本書より引用)


同胞を受け入れることから始まった母親の生活の激変に、子どもたちはみるみる巻き込まれていったわけ。



私が仕事に、少年少女たちの世話に、と飛び回っているとき、幼いきょうだいはふたりでじっと母親の帰りを待っていた。



子どもたちには、勝手なおっ母で本当にすまなかったと思う。



だけど、そうせざるを得なかったこともふたりには知ってほしい。



私がこの本を書こうと思った理由のひとつはそこにあるんだ。



どうぞ、わかってほしい。



困っている人をけっして見捨てることのできないアイヌの血が、この母の中に流れていることを。



私は、子どもたちが生きやすい社会にしたいと、とんでもない荒れ地に種まきを始めた母親だった。



今、この母は良子と剛士に対し、しょく罪の思いを胸にいっぱいに抱えて生きているよ。



☆☆☆☆



 

APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse

(大きな画像)



 


2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。

その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。



その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、

世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴

えておられた。



私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は

かに思っていた。



確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私

たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して

理解することは出来ないと思う。



この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。



ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ

の思いを投稿した。



私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。

また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。



今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間

達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。



アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ

るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。



下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり

絶対こうでなければならないという意味ではない。



私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。



☆☆☆☆



太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。



日食のことを次のように言いました。



チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)



日食の際の儀式を紹介します。



男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。



女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。



チュプカムイ      太陽のカムイよ
エ・ライ ナー   あなたは重態だ
ヤイヌー パー    よみがえれよー
ホーイ オーイ    ホーイ オーイ



日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が

あったのです。



太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。

オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。



闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用



☆☆☆☆







(K.K)



 

 


2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

厚木市から見た金環日食



僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。



人びとに安らぎが訪れるようにと。



今日は金環日食だった。



昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。



でも、僕は違う人々のことも想像してみた。



インディアンホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、

日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。



もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。



「太陽、生きてくれ!!!」と。



僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。



しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも

知れない。



日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って

生きてきた人たち。



勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。



でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。



(K.K)



 







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