A Tluwulahu costume (Qagyuhl)

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)


世界各地の先住民族の声と文献



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私たち文明人は何故にこうも先住民に対して憎悪の目で見るのであろうか。

大地につながって生きる人に対して何故にこうも残虐であり続けるのか。恐

らく彼ら先住民の瞳が純度の高い鏡であり、その鏡に映し出された文明人

自らの顔のおぞましさに震え慄くからなのかも知れない。「先住民とともに生

きる」の著者ベス・リシャロン女史が指摘するように、文明人の遥か遠くに忘

れられた至福の記憶を呼び覚ますものであるが故に、我ら文明人は真の自

らの姿を映し出す彼ら先住民の眼を破壊しようとするのだろう。太古の記憶

に刻まれた至福の記憶とは余りにもかけ離れた自らの姿を見出したとき、

当然にその鏡を憎み破壊しようとする。勿論彼ら先住民が住む大地の豊か

な資源を、我ら文明人はその欲望を満たすだけの道具として利用しようとし

てきたことも事実としてあげられなければならない。我ら文明人が未だに克服

出来ないこの二つの魔物が現代においても、当然の如く先住民の生命と心

を滅ぼそうとしている。下に紹介する声は先住民族の方たちの悲痛な叫び

であるとともに、未来への希望の光である。


 


第二回先住民族サミット(1993)で採択されたオアステペク宣言


「私たちは先住民族の長老や賢者の叡智の権威を信じている。

彼らは、私たちを教え導き、彼らの力、芸術、言葉を伝え残して

くれた。私たちの古文書に書き記された彼らの言葉は、私たち

の日常の記憶や先住民の伝承の中に息づいている。今、500

年の暗黒は過ぎ去り、新しい夜明けが私たちの目の前にある。

それは私たち先住民族の未来の道を照らし出している」


 「先住民族女性リゴベルタ・メンチュウの挑戦」岩波ブックレットより 

   雑記帳「魅せられたもの」1998.4/20「父は空、母は大地」を参照されたし   



ホピの預言


桜の木の物語はわれらの大地に到来する新参者の群れについての

ホピの預言を確証する。ホピは彼らを「バハナ」−白人−と名づけた。

彼らは大群を成して到来すると告げられていた。彼らは二枚舌と甘言

をもって民を騙す狡猾な種族であろう。虚偽によって先住民の大地を

奪うであろう。野心にまみれ、最初の住民の生活を攪乱し、大地と自

然さえ攪乱するであろう。抵抗すれば、彼らは優越する武器をもって

大地を奪い、先住民をみなごろしにしようとするであろう。だが、未来

のために一部は存続するであろう。バハナは最後の先住民が消滅

するまで征服をやめないであろう。これが彼らの目標となろう。


「ホピ 神との契約」 この惑星を救うテククワ・イカチという生き方

トーマス・E・マイルス+ホピ最長老 ダン・エヴェヘマ著より引用


 


1999年1月30日


この世界は、遥か太古から刻まれてきた人類の歴史の中に立つ、多くの無名戦士たちの魂によって

支えられてきた。この無名戦士たちの多くは、その名前さえ人び
との記憶の中に留まることはない。しかし、

その魂は風のようにこの地球に生きる
多くの生命をあるべき道へといざなってきた。



自らの欲望や快適さと引き換えに自
らの根を大地から引き抜き、その魂を売り渡すことなく次の世代に

生きる生命を
守るために自らの欲望と闘ってきた人びと。彼らの魂は遥か遠い祖先の魂と共に生き続けて

いる。



彼らの祖先が命をかけて守り続けた生き方。大地に根をおろし
感謝と祈りと喜びにあふれた世界。その

世界に吹いていた風は心の自由と慈愛を携えていた。そしてそれぞれの時代において、この世界を受け

継いだ感謝の想いと、次の世代に引き継がねばならない責任を感じていた。この先住民と呼ばれる人びと

の無名戦士たちの魂は、太古から未来へと続く時空の聖なる輪のように廻りつづけてきた。



しかし、現代文明に生きる私たちにとって、この先住民族の聖なる輪は駆逐しなければならないものだった。

自らの欲望や快適さのために他の多くの生命の犠牲を求めつづけた。自らの欲望と闘うのではなく、自ら

の欲望のために他の生命や大地と闘い奪ってきたのである。



この今の私が住んでいるこの家の木は何処から来たのだろう。この私が日々使っている物は何処から

掘られたものだろう。それらのものの多くが彼ら無名の戦士たちが命をかけて守ろうとした大地からのもの

かもしれない。



実際に私たち日本人が使っている木材の80%が外国から、それも熱帯雨林といわれる森から持ち込まれ

ている。それはこの森に生きる人びとの生活の場のみならずその生命を奪っていること(サラワクを参照

を意味している。直接には手を出さずとも、私たち文明人は先住民族の土地とそこに生きる生命を今も奪い

つづけている。



細分化された産業構造の中にあって、私たちが何かを手にすることにより、何が消え何が奪われてしまった

かを肌を通して実感することが出来なくなっている。まるでこれらのものが私たちの世界とは異次元の空間

からもたらされたものという傲慢な幻想の上に、大量生産・大量消費の文明が成立してきた。この無関心が

持つ残虐性が世界中に悲劇を産みつづけてきた。



大地との絆、根っこを完全に葬り去ることによって築き上げられたこの文明。そこには先住民への虐殺や

略奪、そしてその後の自己基盤の喪失による高い自殺率、アルコール中毒、貧困が残された。私たちは

これらの重い現実をどのように受け止めればいいのだろう。



数少ないがこの無関心を装ってきた中に潜む残虐性を感じとった人びとがいた、ヴェイユしかり、賢治しか

り、フランシスコしかり、先住民族しかり。これらの偉大な魂は無関心に潜む残虐性と戦い続けた。



このはっきりと断罪することの出来ない魔物。この魔物の正体を見つめる無しに、真の自由や慈愛など

存在しない。その意味で私も彼ら先住民族の無名の戦士
の魂を、自らの欲望や快適さと引き換えに売り

飛ばしてきた醜い人間のひとり
かもしれない。



地球上に生きる多くの生命の輝きや大地を奪ってでも手に入れ
なければならないものとは一体何だろう。

そのような文明を私たちは目指そうと
しているのか。それが私たちの歩くべき道なのだろうか。この残虐な

行為の上
に築かれた文明が、新たな残虐性を自らの胎内から産み出し、自滅への階段を駆け降りていくの

は必然の道なのかも知れない。



私たちの文明がアメリカに
象徴される弱肉強食の社会に向かうのか、それとも憎悪から生まれた共産主義

ではなく、互いに与え合う社会を目指してゆくのだろうか。



無名の戦士たちが守り
続けてきた道に咲く、自由と慈愛の花たちを踏み荒してきた私たち文明人。この自ら

の残虐性に気づくことなしに、未来は見えないし未来への子孫への責任を
全うできるはずもないだろう。この

拙いホームページで紹介させていただいた
インディアンや世界各地の先住民族の声が皆様の魂に、そして

この私にも根を
おろすことを願ってやみません。そしてこの未来を守ってきた無名の戦士の魂が、希望を再び

私たちに取り戻してくれることを。


(K.K)


魅せられたもの・「未来を守る無名の戦士たち」を参照されたし 




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世界各地の先住民族の声





ウェンディー・ローズ作

「ツルガニニ」

最後のタスマニア人のツルガニニは、剥製にされて展示された夫の
死体を見た。そして自分が死んだときは、奥地か海辺に埋葬される
ことを願った。なぜなら、彼女は自分の死体が同じような屈辱にさら
されたくなかったからだ。しかしながら、死を迎えた彼女を待ち受け
ていたのは、自らの剥製化と80年以上にわたっての展示である。

「ネイティブ・アメリカン詩集」アメリカ先住民の現代詩 より引用



もう少し近くに よって来てほしい なぜなら もう この口は ほとんど動かない 

わたしが話すことは 重要だ



わたしは最後のタスマニア人



わたしの乳首から 涙となって白い霧がでる わたしはあんなにもたくさんの

死に絶えた娘たちを見てきた その口はカラカラに渇いて 丸くなっていた

息が止まり 瞳はくもっていた



わたしの手を取り まっ黒にしてほしい 黄色い土が ゆっくり溶けて 大地の

黄金色の草になるようにだ それからわたしは溶けてゆく 夢の世界に戻ってゆく



いかないで 話をしたいから もうひとつ 歌をうたうから



あいつらがわたしをさらってしまう あいつらはすでにやって来た

わたしは息をしているというのに あいつらは わたしが死に絶えるのを 待っている



わたしたち年寄りは とても 時間がかかるんだ



お願いだ わたしの体を 夢が生まれた 夜の中心まで あの偉大な暗黒の砂漠まで

運んでほしい わたしを大きな山の真下に あるいは遠くにある 海の底に隠してほしい



わたしを あいつらが見つけられないところに 隠してほしい




 
グアテマラリゴベルタ・メンチュウの言葉
マレーシアサラワク州の先住民ムータングの言葉
アマゾンアユトン・クレナックの言葉
パプアニューギニアマーロン・クエリナドの言葉
アラスカ・最後のイヤク族マリとアンナの言葉
アラスカ・ユピック族ハロルドの言葉
チベットダライ・ラマの言葉
アマゾン・グアラニ族マルカル・チュパの詩「先住民族解放の祈り」
ブラジル・テレナマルコス・テレナの言葉「森の声の歌をうたおう」
ペルー・ケチュアサルバドール・パロミーノの言葉「ケチュアの宇宙」 
フィリピン・アエタ族パブロ・サントスの言葉
インド・チプコラダー・バットの言葉「ヒマラヤからの声に耳を」
アフリカ・レソト王国モシュシュ二世の言葉「自立への復帰」
アラスカ・コユーコン族長老たちからの贈りもの
西サモアはじめて文明を見た首長ツイアビの言葉
アラスカ・コユーコン族「生き延びるべし」
ハワイハウナニ=ケイ・トラスクの言葉 「新しい世界秩序」



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世界各地の先住民族の文献へ

人間が好き アマゾン先住民の叡智と喜びに満ちた素顔の写真集
パパラギ 西サモア首長ツイアビが白人文明の真の姿を鋭く描く
クジラの消えた日 文字をもたない民チュクチ人に語り継がれた傑作、”大いなる愛”
ベロボディアの輪 シベリアのシャーマンとの驚くべき体験をした精神科医の記録
ラブ・ソトーリーを読む老人 アマゾンの豊潤な世界を舞台に、人間の野蛮さを静かに訴える
ミュータント・メッセージ 虚偽のアボリジニー<真実の人>部族との出会いと体験
生命の織物 世界各地の先住民族の深い洞察の言葉を集めた好著
森の暮らしの記憶 楽園の森が文明国の飽食の犠牲になった悲しい記憶の物語
ヤノマミ
 ヤノマミ、それは人間という意味だ
先住民の中でも特異な文化と風習を貫くヤノマミの姿を、150日間
 という長期同居生活の取材を通して綴る震撼のルポルタージュ。
ヤノマミ 奥アマゾン・原初の森に生きる NHKで放映され反響を呼んだ同番組に未放送映像を加えた劇場版
アマゾンの呪術師 著名なシャーマンとして生きた男が語る、人間、宇宙、神秘
森と氷河と鯨 ワタリガラスの神話探求の旅が深い心の泉へと導かれる
鳥のように、川のように 森の哲人アユトン・クレナックが導くアマゾン先住民たちの叡智
写真集 世界の先住民族
 危機にたつ人びと
先住民族と呼ばれる方たちの血と涙に満ちた魂の悲痛な叫び
先住民族
 地球環境の危機を語る
世界各地の先住民族の言葉一つ一つにほとばしる生命の輝き
世界をささえる一本の木 ブラジル・インディオの人々に語り継がれてきた美しい神話と伝説
アマゾン、インディオからの伝言 アマゾンに流される森と先住民の涙、精霊世界を綴った好著
マヤ文明 聖なる時間の書 時間が生命を持った創造的存在であるマヤ神秘思想を探る名著
アンデス・シャーマンとの対話
 宗教人類学者が見たアンデスの宇宙観
アンデスに住むシャーマン十数人との対話から見えた彼らの宇宙観
大地にしがみつけ 先住民の破滅や文化の売春を強要するハワイ観光産業への怒り
大いなる語り
 グアラニ族インディオの神話と聖歌
密林の住む思想家グアラニ族に伝わる美しい聖歌と偉大な神話。
悲しい物語 
 精霊の国に住む民 ヤノマミ族
1993年、金の盗掘目当てのためヤノマミ族で起きた虐殺の記憶。
図説 人類の歴史 先住民の現在 世界の先住民の慣習、信仰、経済、社会生活を詳細に解説する。
自然のこえ 命のかたち
 カナダ先住民の生みだす美
主にハイダ、トリンギット、イヌイットの優れた芸術作品を紹介する。
生と死の北欧神話 生くることは死にゆくこと。されど、死ぬことは生まるることという
強靭な古代思想
歌う石 アイルランドの古代世界に自身の祖先や根源を探る旅にでる物語
生命の大地(未読) アボリジニの景観、野生観、神話をを対話形式で記述し紹介する。
夜明けへの道 コロンブス新大陸発見は、殺戮という残酷な歴史の始まりだった
ソングライン(未読) アボリジニの「歌の道」には美しい夢があり、夢を辿った足跡があった。
精霊たちのメッセージ(未読) アボリジニが語りつぐ神話の世界観、生命観を体験する神話世界。
もしみんながブッシュマンだったら 自閉症の息子と共にブッシュマンの世界に飛び込んだ人類学者の旅
エスキモーの民話(未読) エスキモーや北方インディアンの部族に語り継がれた多彩な民話
精霊の呼び声(未読) 恵まれた生活を捨て、著者が触れた神秘的なアンデスの信仰世界
シャーマンの弟子になった
 民族植物学者の話(未読)
自然保護の熱意を巧みな文才で綴った第一級の冒険旅行記。
 全世界でベストセラーになる。
グレートジャーニー
「原住民」の知恵(未読)
30年の冒険のなかで世界各地の先住民から教えられた知恵の数々。
図説 世界の先住民族(未読) 世界各地の先住民族の叡智を130点を超える写真・図版で紹介。
先住民族 
コロンブスと闘う人びとの歴史と現在(未読)
世界の先住民族の置かれている世界的状況とその歴史を包括する。
癒しのうた
マレーシア熱帯雨林にひびく音と身体(未読)
テミアーの音がもつ癒しが、身体と響きあうことへの民俗音楽学探求。
アボリジニー神話(未読) 動物の起源、創世神話など彼らの世界観を原型に近い形で採集した。
ダライ・ラマが語る
母なる地球の子どもたちへ(未読)
環境保護や教育問題そして非暴力の大切さを、平易な言葉で語る
スピリット・ジャーニー
 バリの大地からのメッセージ(未読)
バリの精神風土を民話の形で紹介した貴重な文献。
増補 アボリジニー
オーストラリア先住民の昨日と今日(未読)
白人入植時代から現在、アボリジニがたどってきた問題を探る。




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グアテマラ先住民族 リゴベルタ・メンチュウについて
マレーシア・サラワク州の先住民族について
アマゾン先住民族 アユトン・クレナックについて
熱帯森林保護団体(RFJ:Rainforest Foundation Japan)
「パプアニューギニアとソロモン諸島の森を守る会」について 


このページは今後どのような構成にしてゆくか思案中です。まだ貧弱ですが、世界各地の

先住民族の声に耳を傾けていただけたらと思います。特にマレーシア・サラワク州の先住

民族が抱えている問題は日本と密接に絡み合っていますので、是非多くの方にこのサラ

ワク先住民族が置かれている状況を知っていただきたいと思います。詳しくは日本で活動

をしているサラワク・キャンペーン委員会(SCC)をご覧ください。





Rigoberta Menchu el post que se merece - Taringa! より引用


グアテマラ先住民族 リゴベルタ・メンチュウ

 


1821年、グアテマラは中米連邦共和国に加盟して独立し、1838年には独立した

主権国となるが、先住民族の政治参加は認められていなかった。その後の自由

主義改革のもと、輸出産業としてコーヒー栽培が導入され先住民の土地と労働力

が搾取されていく。二十世紀にはいるとアメリカ資本が流入しバナナ栽培が拡大

し、この強大な企業によって、グアテマラの可耕地の半分を所有するにいたる。

1952年に大土地所有制を解体する農業改革法を成立させるが、現地のアメリ

カ企業の要請のもとアメリカ合衆国のCIAの援助を得て、クーデターが起こり成

功する。以来軍部が強大な権力を背景に政治に介入し反政府ゲリラを弾圧し

壊滅させる。その後、マヤ人の民族主義が高揚し、文化的・民族的差別が先住

民の経済的搾取と文化的貧困化をもたらしているとの認識により、伝統文化に

もとづいた草の根共同体や非暴力の農民統一委員会を結成する。このような

民衆運動に対し、軍は弾圧を強め1978年5月にはパンソスで100名をこえる

農民を虐殺していく。リゴベルタ・メンチュウの弟も軍に捕まり、拷問を受けたあ

とで見せしめの為人々の前で焼き殺される。翌1980年には父が政府軍による

弾圧の停止を求めてスペイン大使館の平和的占拠を行ったが、大使館もろとも

焼き打ちされ殺された。そして女性の組織化のために奔走していた母もすさま

じい拷問のあと山の中に放置され殺される。すでに闘いのリーダーの一人に

なっていたリゴベルタも軍から付け狙われ国外に亡命を余儀なくされた。弾圧

は1981年から82年にかけてピークに達し、440の村落が焼き払われ、数万

人殺され、1000万人以上の国内避難民と15万人にのぼる国外難民を生み

出した。この弾圧に加わったのがアメリカであり、その援助資金により数千人

規模の軍隊が掃討作戦を実施し徹底的な弾圧を加えてきたのである。メキシコ

に逃れたリゴベルタは、難民支援組織やメキシコの貧しい人々に助けられなが

ら各地を転々とし、エルサルバドルやアメリカ大陸で抑圧と差別に苦しむ多くの

先住民族や民衆と出会う。そしてグアテマラ統一野党(RUOG)の幹部会に加わ

り、1992年のコロンブス500年に際しては官製の歴史観に対抗して「アメリカ

大陸抵抗の500年」キャンペーンを展開する。この彼女の先住民族の人権向

上運動に与えた影響はグアテマラにとどまらない。そして1992年にはノーベル

平和賞を受ける。


(この文は「先住民族女性リゴベルタ・メンチュウの挑戦」岩波書店、

並びに1993年1月1日朝日新聞を参考にして書きました。)






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マレーシア・サラワク州の先住民族

 


世界の人口の2.5%に過ぎない日本人が世界の熱帯木材の三分の一を輸入して

いるが、その裏にサラワク州の森に生きる先住民の方たちの生存が脅かされて

いる現実を私たち日本人のどれだけが知っているのだろうか。森を伐採し、そし

てそこに生きる動植物が死に絶えることは先住民にとって生きる糧を失い、死をも

意味している。マレーシア政府は文明の果実を享受することが彼ら先住民の残さ

れた生きる道だと言う。しかし、この輝かしい文明の発達と共に我々は何を手にし

たというのだろう。貧富の差、精神的退廃、暴力など数え上げたらきりがない。こ

のサラワク州の先住民ムータングの国連総会で読み上げられるはずだった声明

は彼の逮捕によって実現はしなかったが、彼らサラワク州の先住民の声を是非

多くの方たちに聞いていただきたい。


サラワク・キャンペーン委員会(SCC)を参照して下さい。








 ブラジル先住民族 アユトン・クレナック

 


「思いえがいていたイメージとはうらはらに、アマゾンで出会ったインディオ

たちの多くは、貨幣経済の波に押し流され、伝統文化を失いつつあった。

車やテレビを手にいれようと、森から木を切りだすインディオや、自分たち

の固有な言葉をなくした民族もあった。”はるかむかしから、自然とともに

暮らしてきたインディオも、消費社会に飲みこまれていくのか・・・。”そんな

失望感をいだきながら、アマゾンの旅をつづけるうちに、インディオの自立

を目指す先住民のリーダー、アユトン・クレナックの存在を知った。アユトン

に会った瞬間、相手を引きこむような笑顔、遠くを見るような目に、私は

すっかり魅了された。1953年、アユトンは大西洋岸に近いクレナック族の

村に生まれた。しかし、開発の波は彼の村にも押し寄せ、森は消え、家は

こわされ、村人たちも離散してしまった。17歳の時、サンパウロにでて、

路上の物売りや建築労働者として働きながら生活したが、”もの”にあふ

れた都市生活を見つづけるうち、インディオの将来に絶望的になっていっ

た。クレナック族には夢から多くのことを学ぶという伝統があり、失意のど

ん底にあったアユトンを救ったのが”夢の知恵”だった。彼の夢のなかに

祖先があらわれ、明るい未来を指し示してくれた。この夢が、アユトンの

生き方を決定づけた。1976年、数人の仲間と”インディオ連合(UNI)を

結成し、10年間にわたって各地の民族を訪ね、インディオの自立を説い

てまわった。1988年、UNIが中心になって、ブラジル憲法に先住民の土

地の権利を保証する条項を、盛りこませることにも成功した。現在、彼は

政治活動からはなれ、インディオの経済的自立のプロジェクトに取り組ん

でいる。開発で激減した動物や魚を育て、森や川にもどしたり、森を傷つ

けることなく、樹液や木の実から香料や着色料を抽出し、輸出する計画

をすすめている。この計画のきっかけになったのも、シャバンテ族の長老

シブパの見た夢だった。”森がすこやかに育てば、あなたたちも幸せに

なれる”と、祖先が長老に夢のなかで語った。長老は若いアユトンたち

に、森を再生する仕事を託したのだった。アユトンの計画を推進する旅

に、私も同行した。」

「人間が好き・アマゾン先住民からの伝言」長倉洋海著 福音館書店

「アユトンとの出会い」より引用





熱帯森林保護団体(RFJ:Rainforest Foundation Japan)

 


(以下、サイトより引用しますが、代表の南 研子さんはアマゾンを25回も訪れ、その

体験記を「アマゾン、インディオからの伝言」、「アマゾン、森の精霊からの声」として

出版されています。)



熱帯森林保護団体(RFJ:Rainforest Foundation Japan)はアマゾンの熱帯林及び、

そこに暮らす先住民の支援を目的に、1989年に発足したNGO(国際協力市民組織)

です。2008年8月にNPO法人格を取得しました。



1989年5月にアマゾン・カヤポ族のリーダーであるラオーニとロック歌手のスティング

がアマゾンの自然危機を訴えるために、ワールドツアーを行い来日しました。その際

に、受け入れ機関となり、その後、実質的な活動が開始され現在に至ります。



明るく、楽しく、わかりやすくをモットーに開かれた環境保護活動を心がけています。

アマゾンの環境破壊は、私たちに関係する切羽詰まった問題で、私たちの生活と

アマゾンの森は密接な関係にあります。


 





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 「パプアニューギニアとソロモン諸島の森を守る会」

「森の暮らしの記憶」 自由国民社より引用

 


パプアニューギニアを訪れた12名のグループによって1994年に発足。

現在日本各地に広がり会員数は約300名。次のような活動に取り組んでいる。

(1)パプアニューギニアとソロモン諸島の熱帯雨林とその森の暮らしの素晴らしさを

人々に伝える。ニュースレターの発行、学習会やスライドショウー、資料集や絵葉

書(原生林の暮らしの写真、マーロンさんの絵など)の制作、販売、講演活動。

(2)熱帯雨林の生態系および伐採による影響の調査。

(3)スタディーツアーやエコツアー

(4)原生林を伐採から守ろうとする住民を支援。伝統的なタパ(樹皮布)などのオ

ルタートレイド(民衆と民衆の直接の交易)に協力。

(5)熱帯雨林を守るために、日本の伐採企業との交渉。

(6)熱帯材使用削減、国産材活用を進める。

(7)干ばつに苦しむ住民への救援


「パプアニューギニアとソロモン諸島の森を守る会」の連絡先

03−3492−4245(辻垣)&03−3314−5398(清水)


 




2016年5月8日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




(大きな画像)



森を、そして結果的に、そこに生きるものたちの調和あふれる世界を創ってきたオオカミ。



しかし彼らオオカミの存在は、人間にとって自らの獰猛性を葬り去るための身代わりでしかありませんでした。



世界各地の先住民もオオカミも、西欧人にとって自身の「真の姿を映す鏡」だったが故に、そして自身のおぞましい

姿を見せつけてくるが故に、この鏡を叩き壊さなければいけないものだったのかも知れません。



オオカミは森の、そしてそこに生きるものたちに必要不可欠な存在だけでなく、私たち自身は何者かと問う存在

なのだと思います。



☆☆☆



2年前に上の文章をサイトに書きましたが、今でもその想いはあまり変化しておりません。



オオカミ自身が、人間の持つ残虐性を敏感に感じ取っているからこそ、逆に人間を恐れているのかも知れません。



熊や大型犬が人間を襲ったことが時々ニュースに出ますが、オオカミが人間を襲うことなど、それらに比べると

限りなく低いのです。



また、丹沢の山中でを見ていたとき、鹿の足音がすぐ近くに聞こえておりましたが、増えすぎた鹿のため山が

死にかけています。



生態系をあるべき姿に戻すという意味に限らず、人間自身が「何者か」と、オオカミを通して問われている

気がします。



写真(他のサイトより引用)は「ロミオと呼ばれたオオカミ」、アラスカ・ジュノー町の多くの人々に愛された野生の

オオカミは、「町の人々の嘆き悲しむ姿が見たい」という理由で2人のハンターに殺されます。



誰しもが持っている残虐性、ヴェイユは「純粋に愛することは、へだたりへの同意である」と言いますが、

「へだたり」の重さに耐え切れないところから、残虐性は生まれてくるのかもしれません。



オオカミの肖像






2016年6月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。


UK | FT Photo Diary


自給自足できる国・世界秩序づくり(写真は他のサイトより引用)



端的に言えば、個人・国家が「根づくこと」だと思います。



この根を切り取り、「国境がない、民族間の違いもない」と言ったところで、種は空中に浮揚しているだけで

大地に新たな生命が産みだされることはないのでしょう。



かつて西欧・アメリカが行った植民地・先住民への同化政策により、「根こぎ」された無数の魂や国家が

空中に投げ出されました。



基盤を見失った種が、過激な思想などに自身を依存させてしまうことは容易に想像できます。



人間に限らず動植物においても、その土地の風土に大きな影響を受け、独自の根を張ってきたのではと

思います。



現代ではもてはやされている「グローバルな社会」は、個人・企業の欲、国家の欲が生み出した「根こぎ」を

美化した言葉に過ぎないと私は感じています。



農産物に限らず全ての分野において、国は自給自足の社会を可能な限り目指すべきであり、各国はその

実現に向けて互に協力すべきだと思います。



昔の時代が全て清い世界だったとは言えませんが、人類が歩んできた歴史から未来への礎を見つけだす

ことくらい出来るはずです。








2014年6月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。





(写真は「すべてを明日の糧として 今こそ、アイヌの知恵と勇気を」宇梶静江著 清流出版より引用)



皆さんが地球上で生き残った、ただ一人の人間になったとしたら、何を感じるだろう。



私は恐らく孤独感に蝕まれ、発狂するかも知れない。



人間に限らず生命あるもの、彼らの多くは虐殺などにより、人間が味わうような孤独感に苦しめられ、そして絶滅の道をたどってきた。



私たちに出来ることは、彼らにその道を歩かせないこと、そして同じような境遇で亡くなった全ての生き物に対して手を合わせ、

祈ることだと思う。



アイヌ復権の旗手でもある宇梶静江さんは詩人でもあり、絵本作家でもある。



太古の遺伝子を呼び覚ますことができる人と、そうでない人の違いは、死者のための祈りができるかどうかなのだと感じてならない。



今を生きるものたちだけでなく、その想いを遥か昔までさかのぼることが出来る人。



そのような想いや祈りをもって初めて、アメリカ先住民や多くの世界の先住民が行動の規範とする「七世代先の子どもたちのために」、

と言えるのかも知れない。



勿論、私はそのような祈りができる人間ではないし、どのように祈ればいいのかわからない。



ただ、もしこの想いや祈りが世界にあふれたら、過去から未来へと「いい風」が吹き抜けるに違いない。



☆☆☆☆



(本書より引用)


同胞を受け入れることから始まった母親の生活の激変に、子どもたちはみるみる巻き込まれていったわけ。



私が仕事に、少年少女たちの世話に、と飛び回っているとき、幼いきょうだいはふたりでじっと母親の帰りを待っていた。



子どもたちには、勝手なおっ母で本当にすまなかったと思う。



だけど、そうせざるを得なかったこともふたりには知ってほしい。



私がこの本を書こうと思った理由のひとつはそこにあるんだ。



どうぞ、わかってほしい。



困っている人をけっして見捨てることのできないアイヌの血が、この母の中に流れていることを。



私は、子どもたちが生きやすい社会にしたいと、とんでもない荒れ地に種まきを始めた母親だった。



今、この母は良子と剛士に対し、しょく罪の思いを胸にいっぱいに抱えて生きているよ。



☆☆☆☆







2014年7月17日

「オオカミの肖像」という項目を作りました。


オオカミの肖像


森を、そして結果的に、そこに生きるものたちの調和あふれる世界を創ってきたオオカミ。しかし彼らオオカミの存在は、

人間にとって自らの獰猛性を葬り去るための身代わりでしかありませんでした。世界各地の先住民もオオカミも、西欧人

にとって自身の「真の姿を映す鏡」だったが故に、そして自身のおぞましい姿を見せつけてくるが故に、この鏡を叩き壊さ

なければいけないものだったのかも知れません。オオカミは森の、そしてそこに生きるものたちに必要不可欠な存在だけ

でなく、私たち自身は何者かと問う存在なのだと思います。







2015年11月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




数年前に、ある人に出会った。彼女は看護師さんで入院している患者さんの死期が不思議なことに見えると話していた。



彼女の言葉を確信したのはあることだったのだが、このような千里眼とでもいう能力は世界の先住民やカトリック

ピオ神父などが有名)にも見られる。




アイヌでは故・青木愛子さんは知られているが、沖縄・奄美のユタは殆どが女性で、ある日突然にその兆候が現れる。



日本以外のシャーマンは男性が多く、修行を経てからのに比べると沖縄・奄美のユタは世界的にも珍しいのかも知れない。



詳しくは知らないが、日本の東北地方のイタコ(元々は先天的もしくは後天的に目が見えないか、弱視の女性の職業)や、

瞽女(ごぜ)もそうだった。



盲目の旅芸人「瞽女」、彼女たちを幸いもたらす聖なる来訪者・威力のある宗教者として昔の人々は迎え入れた。



キェルケゴールは、「真理の証人とは、その一生涯、内なる戦い、恐れ、おののき、誘惑、魂の苦悩、霊的苦痛を深く

味わい尽くした人のことである。真理の証人とは、殉教者のことである」と言った。



これに似た苦悩はイヌイット(カナダ北部の先住民)、ブラジルの先住民のシャーマン(パブロ・アマリンゴはNHKでも

特集された)、チベットのある賢者や他の宗教・芸術家にも見出すことが出来ると思う。



しかしそれとは異なる側面を持つ力もあると思う。



エクソシスト(悪魔を追い出して正常な状態に戻す賜物をもった神父)



悪魔や悪魔祓いというと、中世のキリスト教が行なった残酷な魔女裁判を思い浮かべ嫌悪するだろうし、悪魔など

過去の迷信と思っている人も多いだろう。



ただ皆さんも知っているアッシジの聖フランシスコや、前述したピオ神父は魔女裁判とは本質的に異なるもの(悪魔)

に苦しめられていた。



現代のバチカンではエクソシストになるには非常に高い徳性と経験が求められ、先ずその症状が精神性の疾患で

ないことを踏まえたうえで行なわれているが、ある特殊な賜物が与えられていない限り出来ないことだと思う。



ハワイ先住民南米大陸・アマゾン先住民のシャーマンの中には、そのような異なる側面の力を使う者がいることが

書かれているが、それは世界各地・日本でも見出せるのだろう。



ヒッグス粒子、これを神の粒子と呼ぶ人もいるが、それは物理学の次元での真理であり、神の領域とは異なるものだと思う。



宇宙創成から、現在にまで膨張を続ける宇宙、その力は完全に物理学の法則で説明(現代では不可能であっても)し得る

ものを未来の人類は見出すと思う。



ただ、それは力そのものでしかなく、その力とどのように接触するかの姿勢は別の話であると感じる。



真実の話か比喩かわからないが、ブッダは川の水面を歩く行者を見て、その修行に何の意味があるのかを問い

嘆いている。



聖書も「わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰

があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい」(コリント人への第一の手紙)とある。



存在を慈しむことと、存在を否定することの境界。



そこには物理学の真理とは異なる次元と境界、ヴェイユの言葉を借りると「重力と恩寵」の恩寵(おんちょう、神の恵み・

慈しみ)が、私たちと神なる領域の唯一の接点であり跳躍であるのかも知れない。



私にはそれが肌を通して浸透はしていないし、冒頭の彼女のような賜物も有していない。



ただ難しいかも知れないが、方向性だけは見失いたくない。



写真は、惑星状星雲・NGC6543です。







2016年4月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)


アイスランド南部にあるセリャラントスフォス(滝)とオーロラ
(写真1枚目はNASAより、それ以外は他のサイトより引用)



1枚目の写真、幻想絵画かなと思いましたが、滝の水しぶきで何度もレンズを拭きながら撮られた写真です。



オーロラのやや右側に明るく輝く星が織姫星(ベガ)、左側に輝く星が彦星(アルタイル)です。



ですから天の川が位置するところにオーロラが出現したんですね。



北欧では死者と生者の世界を結びつけているのがオーロラであり、イヌイットの伝説ではこの世で善い行いを

した人はオーロラの世界へ行けると言われているようです。



死後の世界を意識することによって、初めて生の意味が問われてきたのかも知れません。



それはギリシャ哲学(ソクラテスプラトンなど)よりも遥か太古の世界、ひょっとしたら私たち現生人類よりも

前の人類にも芽生えた問いかけのように感じています。



オーロラなど天球に映し出される様々な現象(太陽、月、天の川、星、彗星など)を通して、人類は異なる次元の

世界を意識し死後の世界とのつながりを感じてきた。



ただ、精神世界の本に良く見られる「光の国(星)からのメッセージ」的な言葉に違和感を感じているのも事実です。



自分自身の足元の大地にしっかりと根をはらずに、ただ空中を漂っている、或いは彷徨っているような感じしか

受けないからです。



アインシュタインの相対性理論、まだ理解は出来ていませんが、それぞれの立場によって時間や空間が変わる、

それは他者の立場(社会的・文化的・経済的)を想像することと同じ意味を持っているのではと感じます。



もし、相対性理論なしでカーナビを設定すると現在地よりも11キロずれたところを指してしまいますが、それが

人間同士や他の生命間のなかで実際に起こっている。



自分自身の根をはらずに、他者のことを想像することなど出来ないのではないか、その意味で私も大地に根を

はっていないのでしょう。



一度でいいからオーロラを見てみたいです。








2013年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。




ニーチェと宮沢賢治(写真は1年前に作ったレゴの蒸気機関車です)



ニーチェの「神は死んだ」の言葉に象徴される虚無主義(ニヒリズム)と「超人」思想。



私はニーチェの著作に触れたことがなく正しく読み取っていないかも知れませんが、、現世から目を背けている

当時の風潮に対して、彼は果敢な挑戦状を叩きつけたのだと思います。



しかし、来世のことだけを語る宗教への断罪と虚無主義。一部において何故彼がこう考えたのか納得はするも

のの、私たち一人一人は空気や水・食べ物など、地球や他の生命が養い創ったもののなかでしか生きられま

せん。人間は決して単独で存在できるものではありませんし、他のものとの関係性なくしては生きられないので

はないかと疑問に思ったのも事実です。



デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」からニーチェ、ハイデッガー。彼らの「個(人間)」だけを世界から切り

離した思索、人間中心主義が横行した西洋哲学に対して、梅原猛さんはその著「人類哲学序説」の中で鋭く

批判しています。



これらの西洋哲学者の対極にいるのが宮沢賢治先住民と呼ばれる人なのかも知れません。西洋哲学が

人間を世界から切り離して真理に近づこうとしていたのに対し、賢治や先住民は他のものとの関係性(繋がり)

を基軸に据え、賢治の場合は「銀河鉄道の夜」などの童話を通して私たち後世の人に想いを託したのでしょう。



賢治が言う「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、互いの繋がりを

真に肌で感じた者にしか発することが出来ない言葉なのだと思います。



梅原さんは前述した本の中で、宮沢賢治と江戸時代の画家「伊藤若沖」を紹介され、二人の思想の背景には

「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」(国土や動物・草木も仏性を持ち成仏できる意味)が

あり、縄文時代アイヌを含む世界各地の先住民の世界観に共通しているものがあると言われます。



またノーベル賞を受賞した福井謙一さんの言葉「科学はいまに、裁かれる日がくるだろう。自然を征服する科学

および科学技術から、自然と共生する科学および科学技術へと変わらなければいけない」を紹介されていました

が、科学技術文明の基となったデカルト以来の西洋哲学にも同じことが言えると主張されています。



私たちはデカルト以来の西洋哲学を、反面教師として捉える時期なのかも知れません。



ニーチェの「神は死んだ」、私は彼の思索の片鱗も理解できていないかも知れませんが、虚無としか映らない

状況のなか一筋の光りを見た女性がいました。



ニーチェの「超人」思想がヒトラーに悪用され、ハイデッガーがナチスの思想ではなくヒトラーの強い意志に魅了

されていた同じ頃、アウシュヴィッツの強制収容所で亡くなった無名の人ですが、賢治の銀河鉄道と同じように

多くの人の道標として、これからもその軌道を照らしていくのだと思います。



最後に、フランクル「夜と霧」から抜粋引用し終わりにします。



☆☆☆☆



それにも拘わらず、私と語った時、彼女は快活であった。



「私をこんなひどい目に遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ。」と言葉どおりに彼女は私に言った。



「なぜかと言いますと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを

追っていなかったからですの。」



その最後の日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。「あそこにある樹は一人ぽっちの私のただ一つのお友達

ですの。」と彼女は言い、バラックの窓の外を指した。



外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。



病人の寝台の所に屈んで外を見るとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつけた

一本の緑の枝を見ることができた。



「この樹とよくお話しますの。」と彼女は言った。



私は一寸まごついて彼女の言葉の意味が判らなかった。彼女は譫妄状態で幻覚を起こしているだろうか? 

不思議に思って私は彼女に訊いた。



「樹はあなたに何か返事をしましたか? -しましたって!-では何て樹は言ったのですか?」



彼女は答えた。



「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる-私は-ここに-いる。私はいるのだ。永遠のいのちだ。」



☆☆☆☆








2012年2月29日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



写真は「On This Earth: Photographs from East Africa」Nick Brandt著という写真集からです。



1987年、乱獲で生き残っていた3頭の象は1990年にはたったの1頭になっていた。人々は最後の

象、彼女のことを太母(メイトリアーク)と呼んだ。しかし彼女は何処かへ消える。以下、この物語に少

し耳を傾けたい。



☆☆☆☆



生涯、母系社会を維持し、常にコミュニケーションを取り合って暮らしてきた象が、たった1頭のこされ

たとき、彼女はいったい、どこへ行くのだろうか。ワトソンにはある確信があった。彼は、少年時代を

過ごした南アフリカのある場所で、かつて象を見たことがあったのだ。



それはクニスナ地区から国道を越え、森林地帯が終わるころ、そこでアフリカの大地は突然、崖となり、

その下の海面に垂直に落ち込む。切り立った壁の上から大海原が見渡せる。



はたして、ワトソンは、その崖の上にたたずむメイトリアークを見た。そしてその光景を次のように書

き記した。



「私は彼女に心を奪われていた。この偉大な母が、生まれて初めての孤独を経験している。それを

思うと、胸が痛んだ。無数の老いた孤独な魂たちが、目の前に浮かび上がってきた。救いのない

悲しみが私を押しつぶそうとしていた。しかし、その瞬間、さらに驚くべきことが起こった。



空気に鼓動が戻ってきた。私はそれを感じ、徐々にその意味を理解した。シロナガスクジラが海面に

浮かび上がり、じっと岸のほうを向いていた。潮を吹きだす穴までがはっきり見えた。



太母は、この鯨に会いにきていたのだ。海で最も大きな生き物と、陸で最も大きな生き物が、ほんの

100ヤードの距離で向かい合っている。そして間違いなく、意志を通じあわせている。超低周波音の

声で語りあっている。



大きな脳と長い寿命を持ち、わずかな子孫に大きな資源をつぎこむ苦労を理解するものたち。高度

な社会の重要性と、その喜びを知るものたち。この美しい希少な女性たちは、ケープの海岸の垣根

越しに、互いの苦労を分かち合っていた。女同士で、太母同士で、種の終わりを目前に控えた生き

残り同士で」



☆☆☆☆



この物語は「エレファントム」ライアル・ワトソン著で描かれているが、これを紹介した「動的平衡」福岡

伸一著で初めて私はこの物語に触れた。



真偽はわからないが、間違いなく言えることは多くの先住民や生き物たちが、絶滅する直前に感じた

孤独感や喪失感を、この物語は見事に描いている。



もし、自分がたった一人、この地球に取り残されたたった一人の人類だとしたら何を感じるのだろう。



☆☆☆☆



(K.K)



 





2012年8月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



過ちと回心



回心すること、新しく生まれ変わること、その真の意味を私は本当に理解できているの

だろうか。



私たちは先住民に対して、太古の時代から自然と環境に調和する人々と捉えているが、

1万3000年前のアメリカ大陸では現代の私たちがしてきたことと同じように、乱獲などで

31属の大型草食動物が絶滅されたと言われている。



これはアメリカ先住民に限らず、オーストラリアのアボリジニ(最近の研究で明らかに

なりつつある)など世界各地に共通することかも知れない。



過去と現代、同じ過ちを犯していたとしても、彼ら先住民と私たち現代人の決定的な

違いは、過去から学んだ「知の遺産の継承」(国立科学博物館の海部陽介氏が提唱し

ている進化の仮説)、この場合は「回心の継承」とも言うべきものがあるかどうかなの

かも知れない。



先住民は、過去の過ちから学んだ教訓、それが回心となって魂に刻まれたが故に、

1万年以上も渡って世代から世代へと受け継がれてきたのではないだろうか。



私たち現代人は、動植物の絶滅と共に戦争など多くの悲劇を目の当たりにしてきた

が、果してそこから得られた、揺らぐことのない教訓が1万年先の人類にまで共有さ

れたものになっていくのだろうか。またそこに回心と呼べるものが存在しているのだ

ろうか。



ホモ・サピエンス(現生人類)は1万3000年前に一時陸続きになったベーリング海峡

を渡ってアメリカ大陸に来たとされているが、アメリカ先住民の多くはそれを否定し、

「自分たちは天地創造の時に亀の島(アメリカ大陸)に置かれた」と主張している。



ミトコンドリアなどの遺伝子解析から見れば在り得ないことだが、真に回心し、新しく

生まれ変わったことを体感した人ならば「今、私たちは生まれ変わり、そして今、私

たちはここに立つ」と言えるのだと思う。



この回心、それはシャーマニズムアニミズムとも関わってくるが、私自身はシャー

マニズム・アニミズムは1万3000年前より遥か太古の時代に生まれたと思っている

し、その背景にはネアンデルタール人などの旧人と言われた人の存在があったの

ではと感じている。細々と、しかし脈々と受け継がれてきた精神が1万3000年前に

多くの人々に共有され花開いたのかも知れない。



話はそれてしまったが、回心、1万3000年前の現生人類が体感したこと、それは私

が想像するより遥か高い次元での回心であったと感じてならないし、次の世代へ

継承させるために、私たちはこの回心の真の意味を心に感じることから始めなけ

ればいけないのかも知れない。



(K.K)



 





2012年12月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



(大きな画像)

古代マヤ文明の「チチェン・イッツァ遺跡」にあるEl Castillo(エルカスティージョ)とオリオン座

(マヤでは亀を意味しています)。写真はNASAより引用



立教大学社会学部の生徒たちは幸せだと思う。この学部には阿部さん、実松さんという優れた研究者がいる。

阿部珠理さんはアメリカ先住民(インディアン)研究の日本の第一人者であり、実松克義さんも南米の先住民

シャーマニズム研究では第一人者である。お二人に共通することは熱い心と卓越した現地調査力、そして

研究者としての冷徹な視点と平衡感覚を併せ持っていることである。



この一人、宗教人類学者である実松克義さんが2000年に書いた「マヤ文明 聖なる時間の書」は、アメリカ大

陸最大の神話「ポップ・ヴフ」を基に多くのシャーマンたちとの対話の中で、マヤの世界観を明らかにしていくこ

とだった。



「時間とは生命の瞬間の連続であり、世界に生命を与えるものだ」、ヴィクトリアーノ・アルヴァレス・ファレス(グ

アテマラ・マヤ科学研究所の代表者)。



同じ民族のシャーマンでもその世界観や技法は微妙に、或いは大きく異なる。これは沖縄・奄美のユタもそうで

あるが、しかしそれは彼らの中に流れる源流の底知れぬ深遠さを逆に教えてくれるのではないだろうか。人智

を超えた大いなる光の流れ(振動)、この光は一つとして同じものはない遺伝子をもつ生命の魂を共鳴させ、

まるで虹のように様々な色を映し出させているのかも知れない。



「マヤ文明 聖なる時間の書」、私のサイトに書いた当時の感想を以下に引用します。



☆☆☆☆



マヤ民族、それは私たちにどのような想像を植えつけていただろう。



マヤンカレンダー、驚くべき天文学的知識を持った偉大な天文学者、ブルホ(黒呪術)、そして人間の生贄の

儀式の存在など多くの謎に満ちた世界。



しかしマヤ文明の根底に流れている神話、アメリカ大陸最大の神話「ポップ・ヴフ」を紐解く時、彼らの驚くべき

世界・宇宙観が見えてくる。



この神話によると人間の生贄の儀式が復活した時代は、第五段階と呼ばれた退廃の時代であり、現代はその

時代よりも重大な危機を迎えている第七段階に位置していると言われている。



立教大学社会学部教授である著者は、グアテマラに暮らすマヤの末裔・シャーマンを6年にわたって現地調査

し、多くのシャーマンとの対話を通してマヤンカレンダーに代表される彼らの時間の捉え方を解き明かす。



それは時間そのものが生命を持った創造的存在であり、調和の思想だった。



そこには人間の生贄の儀式など存在しない世界・宇宙観が横たわっている。



本書は本格的マヤ神秘思想研究の第一級の書であり、あるべき未来の扉を開く鍵をも提示している。



☆☆☆☆







2014年2月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。



(大きな画像)


今年の2月7日に撮影された、タイのドーイ・インタノン国立公園から見た天の川(写真はNASAより引用)



写真上部の青白い光芒、私は彗星かと思いましたが、南米ベネズエラの近くギアナ・フランス国立宇宙センターから打ち上げられた

ロケット(Ariane 5)です。



南米から打ち上げられたロケットがタイで見られること自体驚きでしたが、それにしても荘厳な天の川です。



タイ最高峰であるインタノン山(2,565m)があるインタノン山国立公園は、多くの滝や常緑植物で溢れており、森にはたくさんの植物・

コケや野生の花が美しく咲いているそうです。



このような土地で生きてきた少数民族・カレン族たち。



しかし、ミャンマーのカレン族においては国からの激しい民族浄化の弾圧を受けてきました。ミャンマーが少しずつ民主化している

現在での状況はわかりませんが、開発の名の下にいつも虐げられてきた多くが先住・少数民族たちです。



文明とは何でしょうね。



写真の天の川とロケット、アニミズムの信仰を持つ民族と知識の継承による発明、それらが共存できる視点・価値観とは何か。



偉そうなことは言えませんが、それを問われているのではと思います。





A Clayoquot maiden

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)







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