「面白いほどよくわかるギリシャ哲学」左近司 祥子・小島 和男 (著)
ソクラテス、プラトン、アリストテレス…現代に生き続ける古典哲学入門 (学校で教えない教科書)









以下、本書より抜粋引用


「知」を愛する哲学者こそ、もっとも神に近い人



アリストテレスは、マケドニアの近くのスタゲイラの生まれである。父がアレクサンドロスの父王の侍医であったので、

それなりの教養は持っていたはずだ。とはいえ、地域的にいえば、当時のギリシャ文化のはずれの地に生きていた。

ギリシャ人の血肉となっている、「素晴らしいものはすべて、神の手にある」という思想には、馴染んでいなかったとも

考えられる。



彼は、若くしてプラトンの門下生になった。その時にはすでに死去していたプラトンの師ソクラテスの、「私は自分が

無知だと言うことだけ知っている」という無知の知を、彼が知らなかったわけはない。この言葉は、知者である神を

前提としている。



もちろん、彼が哲学という言葉を知らなかったはずもない。哲学とはギリシャ語で「愛・知」ということだ。「愛」とは、

自分にない良いものを求めることである。「知を愛する」哲学者は、自分にない善いものとして、知を求めた。ソクラ

テスは、哲学者を、「神」対「人間」の図式の真ん中に置き、「人間の中では最も神に近い人」だとしたのである。



この話が、悲劇的色彩を帯びるのは、人間の最高位にいる(と自称している)哲学者は、「知を愛する者」であり、

自分には「知」がないことを自覚して、「知」を追いかける者ではあるが、「知」を手に入れられる者ではないからだ。

手に入れてしまったら、「知者(知る者)」であり、もう「愛知者(「知」を愛する者)」ではない。人間ではなく、神になって

しまうのだ。



人間が神になることなど、プラトンも、その師のソクラテスも全く考えていなかった。その点でこの二人は、古代の

ギリシャ人らしいギリシャ人だ。アリストテレスも、この二人に異を唱えなかった。しかも、アリストテレスの神も

非人間的神だった。アリストテレスの説く、自分のことばかり見ている神に、人間がなれるはずはない。アリスト

テレスも、どんなに努力しても、常に「もっと無条件の知」があるということを知らなくてはならなかった。不幸の

ほうに陥ってしまう危険性は、残る。それでも、頑張って「知」を求めていくのは、わかっているのに諦めない人間、

外から見ていたコロスには不思議にみえたはずだ。







アリストテレスが説く「観想的生活」とは?



今までの話からでは、善いこととは、自分が自分で「可能的なあり方」を「現実化し続ける」ことだった。そうする

「力」には、完成度の高い力もあれば、低い力もある。理性的部分のもつ一番の力は、「神」のもつ「思惟(深く

考える)力」だった。「神」の場合は、思惟の対象が自分なので、「神」の「思惟」は対象を見失うことはない。

だから、思惟を永遠に現実化し続けられる。「人間」には、もちろんそれは無理である。たとえ、自分で自分を

思惟してみたところで、自分は永遠にあるものではない。思惟はいつか終わる。とはいえ、「人間」の魂の

理性的部分は、「思惟力」を持ちはする。だから、現実に思惟している、そのわずかな時が、人間にとっては

一番充実した、幸福な時だということになる。



思惟し続けているのは「神」だった。アリストテレスは、この「神」の思惟し続ける生活を「観想的生活」と呼び、

人間の目標とした。「観想的生活」をしている「神」は、アリストテレスにとっても人柱である。その「神」にならって

「人間」が「観想的生活」を行なおうとするならば、その「人間」には仲間はいらない。だから、その「人間」は、

ポリス的動物ではなくなる。








「哲学大図鑑」 (大型本)

ウィル バッキンガム (著), 小須田 健 (翻訳) 三省堂 より抜粋引用




プラトンの理論を疑問視する



教育の仕事から解放されたアリストテレスは野生の生きものを研究したいというみずからの情熱を満たす機会

を得た。その結果、師のイデア論はまちがっているのではないかという思いが彼のなかで強くなる。だが、アリスト

テレスの議論は、すでにそれ以前からプラトンになんらかの逆影響を与えていたのではないかと想像してみたく

もなる。と言うのも後期の対話篇で、プラトンは、みずからの初期の理論に誤りがあったと認めているのだ。

むろん、確かなことはわからない。とはいえ、アリストテレスがプラトンのイデア論を論駁するのに用いた「第三の

人間」の論証をプラトンは知っていたらしい。この論証はおおよそ次のように進行する。もしイデアの領域に人間

の完全なるモデルとなっているとしたら、このイデアは、それが空疎な虚偽で終わらないためには、人間のイデア

ににもとづいていなければならないだろう・・・・そして、このイデアもそれはそれでみずからが依拠するいっそう

高次のイデアにもちづいていなければならないくなり、これが無限につづく。



イデア論にたいするアリストテレスのさらにのちの時期の論駁はずっと簡明で、自身の自然界の研究により

直接にリンクしている。彼が気づいたのは、諸事物の現実の姿はすでに日常の事物のうちに内在しているのが

見てとられるのだから、イデアという仮説上の領域が別にあると想定する必要などないということだった。



おそらくは、父が医者だったこともあって、科学へのアリストテレスの関心は、こんにちでは生物学と呼ばれる

ものに向かった。それにたいして、プラトンにとって揺るぎない背景となったのは数学であった。背景のこのちがい

が、両者のアプローチのちがいを理解する助けとなろう。数学、とりわけ幾何学は、日常の世界から隔絶した

抽象概念を扱うが、生物学は私たちをとりまく日常世界に関心をはらい、ほぼ全面的に観察に依拠する。プラトン

が完全な円といった観念からイデアの領域を確保しようと努めたとすれば、アリストテレスは確実で恒常的なもの

は自然界を吟味することで発見可能だと考えていた。




目的論説明



自然界の分類を進めるなかで、アリストテレスにわかってきたもうひとつの事実は、生きものの「形相」が肌や

毛皮、羽ないし鱗といった物理的特長につきるものではなく、その生きものの行動やふるまい方にもかかわる

ということであった。アリストテレスにとってそれは、倫理的な含意をもつことであった。



この点を理解するには、アリストテレスが世界のあらゆるものは四原因・・・・これによって事物の存在がくまなく

説明される・・・・によって、すべて解明されると考えていた点をおさえておく必要がある。四原因とは、第一に

事物がなにからできているかを示す資料因、第二に事物の配列ないし形を示す形相因、第三に事物がどのよう

に存在するにいたるかを示す作用因、第四に事物がなんのためにあるのかつまり目的を示す目的因だ。

そして、倫理にかかわるのは最後の「目的因」であり、これによってアリストテレスにとって、倫理は科学と分離

しえず、生物学の論理的延長線上に位置づけられることになる。なぜか。



アリストテレスが挙げる例は、眼にかかわる。眼の目的因、つまりその存在理由は、見ることだ。この働きこそ

が、眼の存在理由であり、目的だ。テロスというギリシャ語は、自然のうちに認められる目的の研究を意味する

「目的論」の語源だ。こうしたわけで、事物を目的論的に説明することは、その事物の存在理由を知ることと

等置され、事物の存在理由を知ることは、その事物のあり方が「よい」か「悪い」かを判定することでもあることに

なる。たとえば、「よい」眼とは見ることにかんしてすぐれた眼であるという具合だ。



こうして人間の場合には、「よい」人生とは私たちが自分の目的を成就している人生、ないし人間を完全なもの

にするあらゆる特徴が活用されている人生だ。ある人間が「よい」人間であるには、当人が生まれながらの

諸特徴を活用しているかぎりでのことであり、幸福でありうるのは、徳の実現のためにもてる能力をすべて駆使

している場合にのみのことだ。アリストテレスの考えでは、この徳の実現の最高度の形式が叡智だ。こうして

私たちは、徳と呼びうる事物をどのようにしてそれと認識するかという問いへともどってきたわけだ。それに

たいするアリストテレスの解答は、この場合でも、それは観察によって得られるというものだ。私たちは、

みずからの周囲にいる「よい人生」を送っている人びとを観察することで、「よい人生」とはどういうものかを

理解する。




 

2016年4月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)


アイスランド南部にあるセリャラントスフォス(滝)とオーロラ
(写真1枚目はNASAより、それ以外は他のサイトより引用)



1枚目の写真、幻想絵画かなと思いましたが、滝の水しぶきで何度もレンズを拭きながら撮られた写真です。



オーロラのやや右側に明るく輝く星が織姫星(ベガ)、左側に輝く星が彦星(アルタイル)です。



ですから天の川が位置するところにオーロラが出現したんですね。



北欧では死者と生者の世界を結びつけているのがオーロラであり、イヌイットの伝説ではこの世で善い行いを

した人はオーロラの世界へ行けると言われているようです。



死後の世界を意識することによって、初めて生の意味が問われてきたのかも知れません。



それはギリシャ哲学(ソクラテスプラトンなど)よりも遥か太古の世界、ひょっとしたら私たち現生人類よりも

前の人類にも芽生えた問いかけのように感じています。



オーロラなど天球に映し出される様々な現象(太陽、月、天の川、星、彗星など)を通して、人類は異なる次元の

世界を意識し死後の世界とのつながりを感じてきた。



ただ、精神世界の本に良く見られる「光の国(星)からのメッセージ」的な言葉に違和感を感じているのも事実です。



自分自身の足元の大地にしっかりと根をはらずに、ただ空中を漂っている、或いは彷徨っているような感じしか

受けないからです。



アインシュタインの相対性理論、まだ理解は出来ていませんが、それぞれの立場によって時間や空間が変わる、

それは他者の立場(社会的・文化的・経済的)を想像することと同じ意味を持っているのではと感じます。



もし、相対性理論なしでカーナビを設定すると現在地よりも11キロずれたところを指してしまいますが、それが

人間同士や他の生命間のなかで実際に起こっている。



自分自身の根をはらずに、他者のことを想像することなど出来ないのではないか、その意味で私も大地に根を

はっていないのでしょう。



一度でいいからオーロラを見てみたいです。




 

2013年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。




ニーチェと宮沢賢治(写真は1年前に作ったレゴの蒸気機関車です)



ニーチェの「神は死んだ」の言葉に象徴される虚無主義(ニヒリズム)と「超人」思想。



私はニーチェの著作に触れたことがなく正しく読み取っていないかも知れませんが、、現世から目を背けている

当時の風潮に対して、彼は果敢な挑戦状を叩きつけたのだと思います。



しかし、来世のことだけを語る宗教への断罪と虚無主義。一部において何故彼がこう考えたのか納得はするも

のの、私たち一人一人は空気や水・食べ物など、地球や他の生命が養い創ったもののなかでしか生きられま

せん。人間は決して単独で存在できるものではありませんし、他のものとの関係性なくしては生きられないので

はないかと疑問に思ったのも事実です。



デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」からニーチェ、ハイデッガー。彼らの「個(人間)」だけを世界から切り

離した思索、人間中心主義が横行した西洋哲学に対して、梅原猛さんはその著「人類哲学序説」の中で鋭く

批判しています。



これらの西洋哲学者の対極にいるのが宮沢賢治先住民と呼ばれる人なのかも知れません。西洋哲学が

人間を世界から切り離して真理に近づこうとしていたのに対し、賢治や先住民は他のものとの関係性(繋がり)

を基軸に据え、賢治の場合は「銀河鉄道の夜」などの童話を通して私たち後世の人に想いを託したのでしょう。



賢治が言う「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、互いの繋がりを

真に肌で感じた者にしか発することが出来ない言葉なのだと思います。



梅原さんは前述した本の中で、宮沢賢治と江戸時代の画家「伊藤若沖」を紹介され、二人の思想の背景には

「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」(国土や動物・草木も仏性を持ち成仏できる意味)が

あり、縄文時代アイヌを含む世界各地の先住民の世界観に共通しているものがあると言われます。



またノーベル賞を受賞した福井謙一さんの言葉「科学はいまに、裁かれる日がくるだろう。自然を征服する科学

および科学技術から、自然と共生する科学および科学技術へと変わらなければいけない」を紹介されていました

が、科学技術文明の基となったデカルト以来の西洋哲学にも同じことが言えると主張されています。



私たちはデカルト以来の西洋哲学を、反面教師として捉える時期なのかも知れません。



ニーチェの「神は死んだ」、私は彼の思索の片鱗も理解できていないかも知れませんが、虚無としか映らない

状況のなか一筋の光りを見た女性がいました。



ニーチェの「超人」思想がヒトラーに悪用され、ハイデッガーがナチスの思想ではなくヒトラーの強い意志に魅了

されていた同じ頃、アウシュヴィッツの強制収容所で亡くなった無名の人ですが、賢治の銀河鉄道と同じように

多くの人の道標として、これからもその軌道を照らしていくのだと思います。



最後に、フランクル「夜と霧」から抜粋引用し終わりにします。



☆☆☆☆



それにも拘わらず、私と語った時、彼女は快活であった。



「私をこんなひどい目に遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ。」と言葉どおりに彼女は私に言った。



「なぜかと言いますと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを

追っていなかったからですの。」



その最後の日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。「あそこにある樹は一人ぽっちの私のただ一つのお友達

ですの。」と彼女は言い、バラックの窓の外を指した。



外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。



病人の寝台の所に屈んで外を見るとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつけた

一本の緑の枝を見ることができた。



「この樹とよくお話しますの。」と彼女は言った。



私は一寸まごついて彼女の言葉の意味が判らなかった。彼女は譫妄状態で幻覚を起こしているだろうか? 

不思議に思って私は彼女に訊いた。



「樹はあなたに何か返事をしましたか? -しましたって!-では何て樹は言ったのですか?」



彼女は答えた。



「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる-私は-ここに-いる。私はいるのだ。永遠のいのちだ。」



☆☆☆☆





シモーヌ・ヴェイユ(ヴェーユ)



ほくと未来ネットワーク:マイケル・サンデル より引用


   



NHK DVD ハーバード白熱教室 DVD BOX [DVD]

【収録内容】



■DISC.1 ・第1回  「殺人に正義はあるか」  Lecture1 犠牲になる命を選べるか  Lecture2 サバイバルのための殺人

・第2回  「命に値段をつけられるのか」  Lecture1 ある企業のあやまち  Lecture2 高級な 「喜び」 低級な 「喜び」



■DISC.2 ・第3回  「「富」 は誰のもの?」  Lecture1 課税に正義はあるか  Lecture2 「私」 を所有しているのは誰?

・第4回  「この土地は誰のもの?」  Lecture1 土地略奪に正義はあるか  Lecture2 社会に入る 「同意」



■DISC.3 ・第5回  「お金で買えるもの 買えないもの」  Lecture1 兵士は金で雇えるか  Lecture2 母性 売り出し中

・第6回  「動機と結果 どちらが大切?」  Lecture1 自分の動機に注意  Lecture2 道徳性の最高原理



■DISC.4 ・第7回  「嘘をつかない練習」  Lecture1 「嘘」 の教訓  Lecture2 契約は契約だ

・第8回  「能力主義に正義はない?」  Lecture1 勝者に課せられるもの  Lecture2 私の報酬を決めるのは…



■DISC.5 ・第9回  「入学資格を議論する」  Lecture1 私がなぜ不合格?  Lecture2 最高のフルートは誰の手に

・第10回 「アリストテレスは死んでいない」  Lecture1 ゴルフの目的は歩くこと?  Lecture2 奴隷制に正義あり?



■DISC.6 ・第11回  「愛国心と正義 どちらが大切?」  Lecture1 善と善が衝突する時  Lecture2 愛国心のジレンマ

・第12回 「善き生を追求する」  Lecture1 同性結婚を議論する  Lecture2 正義へのアプローチ



【特典映像】 ・「ハーバード白熱教室@東京大学」   前編:「イチローの年棒は高すぎる?」(58分)

後編:「戦争責任を議論する」(58分) (10月3日・10日 NHK教育テレビにて放送)

・サンデル教授スペシャルインタビュー(70分)[未放送映像含]



<音声・字幕 切替機能付> 本編の講義部分については、音声(日本語吹替/英語オリジナル)、

および字幕(表示なし/日本語/英語)を選択することができます。

字幕は、「英語オリジナル」音声のタイミングに合わせて表示されます。 2010年 放送


 
 


「10代からの哲学図鑑」マーカス・ウィークス著 スティーブン・ロー監修 日暮雅通・訳 三省堂 より以下、抜粋引用



自由と正義は両立するか?



人々が文明社会の恩恵をこうむるには、人びとを統治する法律がなくてはなりません。市民には自分のために好き勝手な

ことをする自由がない、ということになりますが、その法律が市民の財産、安全、健康、基本的人権を守るのです。ただし、

それが認められるには、法律が公正とみなされなくてはなりません。



殺してはならない



正義を確保できるような社会のまとめ方について、哲学者からはさまざまな解釈が出されました。どんな種類の政治体制

でも、市民にルールを、つまり市民の安全を保護する法律を課します。個人の権利と自由をどの程度保護し、どの程度制限

するか、その両方がつりあうところがはっきりしていることはめったにありません。たとえば、トマス・ホッブスは生命と財産を

保護する権威主義政体を支持しましたが、その対極にあるジャン=ジャック・ルソーの意見は、人民が社会全体のために

法律を定めるべきだというもので、制約というより、自由の発見でした。



限度内の自由



ジョン・スチュアート・ミルは、そうした両極端の説の間をとって、英国自由主義を確立しました。ミルが影響を受けたのは、

道徳性は最大多数の最大幸福によって評価されると主張した、ジェレミー・ベンサムの功利主義的な考えです。ただし、それ

を政治にあてはめると、実際的な問題が出てきます。・・・・大多数の幸福が、一部の人の幸福を侵害するかもしれません。

ミルの主張によると、個人の幸福すなわち公益と考え、「自分がしてもらいたいように人にもしなさい」という原則に従って

行動するよう、人々を啓発するのが、社会の役目です。自分の幸福を追求する自由は誰にでもあるが、社会は「危害原則」

という制約を課すべきというのです。他の者に危害を加えないかぎり、人々には好きなことをする自由があるが、その限度を

超えれば自由を制限されるということです。そして、個人の行動が国家に関わりがある場合だけは社会が動くことになり、

政権や法律は、社会を守るためにしか、個人の自由に干渉すべきではなというのです。



公正さか、資格か?



「正義」の定義は何かということは、現代でもなお争点となります。米国の哲学者ジョン・ロールズとロバート・ノージックは、

それぞれ違った解釈を提唱しました。ロールズによると、正義とは公正の問題・・・・社会における権利、資源、地位の公正な

分配です。思考実験として、理想的な社会を想像し、そこではあらゆるものがどう分配されるかを考えてみました。ただし、

その社会で自分がどういう位置を占めているかはわかりません。その「無知のヴェール」(自分と他者の立場や能力がわか

らないこと)のせいで、私たちは私利私欲に影響されず、誰にとっても公平な社会をつくり出すことになるのだと言います。

一方、ノージックによれば、正義とは資格の問題です。自分が所有するものを、所有する資格がある場合が正義だというの

です。財産は公平に譲渡されなければならず、所有者間の同意なしに政権が処理に関与するのは、その財産を資格のない

者が入手した場合だけ・・・・たとえば、何かが盗まれた場合などだけです。



「唯一その名に値する自由とは、自分自身の幸福を自分なりに追求することだ。」 ジョン・スチュアート・ミル






2012年3月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

「NHK DVD ハーバード白熱教室 正義」



NHKの番組でサンデル教授の授業が印象深かったので、レンタルで借りて見た。教授の例え話は

勿論のこと、学生達の言わんとしていることを的確に掴み、対話を通して議論を深めていく技術。

現代に甦ったソクラテスなのではないかと感心してしまった。



また教授の質問に自分の意見を瞬時に見い出していくハーバード大学生の優秀さと同時に、その

道徳性の高さにも驚き、サンデル教授の「対話しながら善の一致を探る」姿勢は感動的すらあった。



ただこれらの対話の中で、質問に対し瞬時に反応できるとはどういうことだろうと考えてみた。確か

に教授から投げ掛けられた設問を常日頃から考察してきた結果とみることも出来るが、私たちは

身の回りに起きている多くの事象を、好き嫌いなど直感的な感情や過去の経験などに縛られ捉え

ていることが多いと思う。



相手の質問に対し自身の直感的な感情を排し、その質問の全体像を再構築させるためにはある

程度の時間が必要になるのではないかと感じてしまうのもまた事実だった。



現代では瞬時に論理的な反応を示すことが「頭がいい」という流れにあるのかも知れない。ただ

友達と土手に座り雨上がりの虹を見ながら、「どうして虹はいろいろな光を映し出すんだろう」という

友達の問いに、「それは空気中の水滴がプリズムの役割をするため、光が分解されて見えるんだ」

という答えと、「君の目に涙がなければ魂に虹は見えないんだ」という答え。そのどちらも併せ持つ

ことこそが求められているのかも知れない。



ちなみに「目に涙がなければ魂に虹は見えない」は北米ミンカス族のことわざから引用しました。



☆☆☆☆



人間の左脳と右脳の働きを理解した私の祖先たちは、個々人の中で左右の脳のコミュニケーション

を活性化させるために、これら学びの物語の原形を編み出したのです。



彼らは左脳が話し言葉(ないし書き言葉)を処理する傾向にあり、右脳がイメージ(アルファベットに

もとづかないアメリカ先住民伝来の手話を含む)を処理する傾向にあることを理解していたので、学

びの物語には、話し言葉で語りながら、同時に心のなかで鮮明なイメージを生み出すような工夫を

凝らしました。



それによって右脳が刺激され、左右の脳のコミュニケーションが活性化になるのです。



「知恵の三つ編み」
ポーラ・アンダーウッド(イロコイ族)著より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 

 

2012年11月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。




他の動画を見ていたら、偶然サンデル教授が日本で行った「震災後の民主主義の復活」という動画に

出会った。講演という時間的な制約のなかでも、聴衆者の相反する立場の意見が聴き、それを新たな

議論へと導くサンデル教授の手法にいつも感心してしまう。



本当ならもっと掘り下げた議論を聞きたかったけれど、一つ一つの問題を深く議論すれば膨大な時間

がかかるものだし、少し消化不良なものを感じたのも仕方ないことだと思う。



講義の内容とは関係ないが、サンデル教授や全ての聴衆者には同時通訳用の機械が渡されていたの

にも関わらず、聴衆者の日本人同士が自分の意見を言い合う場面で、相手の日本人に対して、英語で

応える日本人が何人かいた。



尊敬している山中教授の受賞会見でも感じたことだが、話の内容に共感することはあっても、日本人

同士の会話で日本語で話すことは私にとっては当たり前のことだと思っているし、日常の会話で英語

の単語を多く使いたがる人間に昔から違和感を感じていた。勿論、これは私自身英語が苦手なので

そう思うのかもしれない。



自分の考えや想い、それを如何に相手に正確に伝えるか、それは本当に難しいことで英語の単語を

使わず日本語だけを話せば解決する問題でも決してないし、日本語の特殊性(音訓読みなど)も関係

しているのだろうか。



西洋の言語が枝分かれして成立してきたのに対し、日本語は逆に様々な言語が一つの幹となってきて

いること。これは安部公房さんが提唱されてきたことで、母語の違う集団(弥生人と縄文人)の子供たち

が遊びの中で、自然に新しい文法や言葉が生まれてきたという説(「縄文 謎の扉を開く」を参照)がある。



ただ、見知らぬ人間相手に英語の単語を多用する人は、この説(子供の遊びの中で自然に)とは違う

次元にいるのではと感じてしまう。



話を最初に戻すが、講演後の中学生の言葉で、「いろいろな意見が聴けて面白かったし勉強になった」

という言葉、この柔らかな感受性はいつまでも忘れたくないものだと思う。



☆☆☆☆



追記 2017年6月1日 
「英語化は愚民化」施光恒・著 同化政策の悲劇を知らない悲しい日本人
 を参照されたし。














2012年4月8日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



ティナ・シーリグ教授(写真は他のサイトより引用)



マイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」に感銘を受けて、「スタンフォード白熱教室」の

ティナ・シーリグ教授のDVDを借りて見た。



スタンフォード大学は多くの企業家を生み出してきた大学として有名らしいのだが、その授業の中

でもティナ・シーリグ教授の手法(集団発想法)は常識を打ち破る新たな創造性を産みだしている。



私はまだ4巻の内2巻しか見ていないのだが、マインドマップなど様々な道具を利用しながら発想

方法を学んでいく。これまで特に印象に残ったのが「最悪のものと思える」ことから新たなものが

生まれる可能性があるということ。勿論、企業家を目指すための講座なのだが、私たち一般の

人間にとっても、日々の生活の中でそれらの手法は活かせるのではないかと思ってしまった。



ただ私の中で、マイケル・サンデル教授もそうだが、テレビに映る画面を見ながら言葉を聴いて

いると、それらの言葉が頭の中をすり抜けていくような感じになってしまう。脳の老化現象なのか

も知れないが、そのためこれらの講座を私は目を閉じて言葉を聴くようにしている。



しかし暗闇の中で言葉が降りてくると、何故この言葉を使ったのだろう、この言葉に隠された感情

は何だろう、などとイメージが新たな方向に膨らんでいくのが不思議だった。



チェスでも最近は頭の中で棋譜を追い続けるよう訓練している。強いアマチュアやプロ棋士だった

ら盤を見ない「盲指し」は誰でも出来るが、逆に「盲指し」をやり過ぎると脳にいい影響を与えないと

も言われている。チェスが強かった旧ソ連でこの研究結果が出たと記憶しているが、確かにイメー

ジの世界と現実とのかいりが人格を分断させてしまう可能性はあるのかも知れない。



この研究結果が本当のことなのかわからないが、イメージと現実の世界を常に行ったり来たりする

ことで脳の平衡状態が生みだされ、悪い影響を避けることができるのだろう。



家のベランダに置いてある睡蓮鉢では、睡蓮の葉が水中で大きくなり、メダカがもう卵を抱えている。

春、生命の躍動を感じてしまう季節だ。



☆☆☆☆



知識から自由になる(『超訳 ブッダの言葉』小池龍之介・編訳)より引用


内面を見つめる力や集中力や落ち着きといった能力をトレーニングをするかわりに知識を増やそう

とするのは、愚か者の証。



哲学・政治学・経済学・心理学・文学・さまざまな言語なんかの知識をむやみに増やすことによって、

記憶のメインメモリーは不必要な情報のノイズで埋め尽くされ、頭が混乱するだけ。



「せっかく学んだのだから他人にひけらかしたいよー」とか「せっかく学んだのだからこの知識を使っ

てみたいよー」などと、それらの知識への執着が生じるがゆえに、知らず知らずのうちに知識に

支配される。



その知識のフィルターを通してしか物事を感じることができなくなり、いつの間にか不幸になってしまう。



頭を混濁させる小ざかしい知識のフィルターを離れて、ものごとをありのままに感じるように。



法句経72



☆☆☆☆



(K.K)



 



Forgetful? Distracted? Foggy? How to keep your brain young | The Independent




人類発祥時からの流れをつかむ、その探求を避けては真の哲学の意味など見出せないでしょう。

哲学=西洋哲学ではなく、人類が先ず世界とどのように関わってきたのか、太古からの生き方を

受け継ぐ世界各地の先住民族の考え方や視点、そしてその世界観を知ることを基底としなければ

ならないと思います。現在の自分自身の立っている場を正しく捉えるためにも、この探求は必要

不可欠なものだと感じます。




「ギリシャ、エジプト、古代印度、古代中国、世界の美、芸術・科学におけるこの美の純粋にして正しい

さまざまの反映、宗教的信条を持たない人間の心のひだの光景、これらすべてのものは、明らかに

キリスト教的なものと同じくらい、私をキリストの手にゆだねるために貢献したという私の言葉も信じて

いただいてよいと思います。より多く貢献したと申してもよいとすら思うのです。眼に見えるキリスト教

の外側にあるこれらのものを愛することが、私を教会の外側に引き留めるのです。」

シモーヌ・ヴェイユ「神を待ちのぞむ」より






アビラの聖女テレサ(イエズスの聖テレジア)の生涯と「霊魂の城」

「夜と霧」 ドイツ強制収容所の体験記録 ヴィクトール・フランクル著 霜山徳繭訳 みすず書房

「100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか」ジュリアン バジーニ (著), 河井美咲 (イラスト), 向井 和美 (翻訳) 紀伊国屋書店

「薩垂屋多助 インディアンになった日本人」 スーザン小山 著

「シャーマニズムの精神人類学」癒しと超越のテクノロジー ロジャー・ウォルシュ著 安藤治+高岡よし子訳 春秋社

「哲学大図鑑」ウィル バッキンガム (著), 小須田 健 (翻訳) 三省堂

「チベット永遠の書・宇宙より遥かに深く」テオドール・イリオン著 林陽訳 徳間書店

「人類哲学序説」梅原猛・著 岩波新書

「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」比嘉康雄著 集英社新書

「みるみる理解できる相対性理論」Newton 別冊

「相対性理論を楽しむ本」よくわかるアインシュタインの不思議な世界 佐藤勝彦・監修

「生物と無生物のあいだ」福岡伸一 著 講談社現代新書

「英語化は愚民化」施光恒・著 同化政策の悲劇を知らない悲しい日本人

「進化しすぎた脳」 中高生と語る大脳生理学の最前線 池谷裕二著 講談社

「死に至る病 (まんがで読破)」キェルケゴール・作 バラエティアートワークス

「生と死の北欧神話」水野知昭・著 松柏社

プラトン 「饗宴」・「パイドロス」

「人類がたどってきた道 “文化の多様化”の起源を探る」海部陽介著 NHKブックス

良寛『詩歌集』 「どん底目線」で生きる  (100分 de 名著) NHKテレビテキスト 龍宝寺住職 中野東禅・著

カール・ラーナー古希記念著作選集「日常と超越 人間の道とその源」カール・ラーナー著 田淵次男 編 南窓社

「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」ウォール&アーデン著 舟木 アデル みさ訳 築地書館

「ホピ 神との契約」この惑星を救うテククワ・イカチという生き方 トーマス・E・マイルス+ホピ最長老 ダン・エヴェヘマ 林陽訳 徳間書店

「火の神の懐にて ある古老が語ったアイヌのコスモロジー」松居友著 小田イト語り 洋泉社

「新版 日本の深層」縄文・蝦夷文化を探る 梅原猛 著 佼成出版社

「沖縄文化論 忘れたれた日本」岡本太郎著 中公文庫

「ソクラテスの弁明(マンガで読む名作)」プラトン・原作 & サンデル「正義とは」・ハーバード白熱教室

「意識の進化とDNA」柳澤桂子著 集英社文庫

「宗教の自殺 さまよえる日本人の魂」 梅原猛 山折哲雄 著 祥伝社

「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」福岡伸一 著 木楽舎

「アンデス・シャーマンとの対話」宗教人類学者が見たアンデスの宇宙観 実松克義著 現代書館

「沖縄の宇宙像 池間島に日本のコスモロジーの原型を探る」松井友 著 洋泉社

「木が人になり、人が木になる。 アニミズムと今日」岩田慶治著 第16回 南方熊楠賞 受賞 人文書館

「10代からの哲学図鑑」マーカス・ウィークス著 スティーブン・ロー監修 日暮雅通・訳 三省堂

「面白いほどよくわかるギリシャ哲学」左近司 祥子・小島 和男 (著)

「哲学者とオオカミ 愛・死・幸福についてのレッスン」マーク・ローランズ著 今泉みね子・訳 白水社

「エデンの彼方」狩猟採集民・農耕民・人類の歴史 ヒュー・ブロディ著 池央耿・訳 草思社

「カラマーゾフの兄弟 (まんがで読破)」ドストエフスキー・作 バラエティアートワークス

「罪と罰 (まんがで読破)」ドストエフスキー・作 バラエティアートワークス

「夜間飛行 (まんがで読破)」サン=テグジュペリ・作 バラエティアートワークス

「若きウェルテルの悩み (まんがで読破)」ゲーテ・作 バラエティアートワークス



美に共鳴しあう生命

オオカミの肖像







夜明けの詩(厚木市からの光景)

美に共鳴しあう生命

シモーヌ・ヴェイユ(ヴェーユ)

ホピの預言(予言)

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天空の果実


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