1992年10月に花巻を旅したときの写真です。


宮沢賢治




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2012年6月29日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)



宮沢賢治「よだかの星」(写真は岩田山公園にて)

宮沢賢治の童話「よだかの星」、あらすじを「ウィキペディア」より引用します。



☆☆☆☆



よだかは、美しいはちすずめやかわせみの兄でありながら、容姿が醜く不格好なゆえに

鳥の仲間から嫌われ、鷹からも「たか」の名前を使うなと改名を強要される。



自分が生きるためにたくさんの虫の命を食べるために奪っていることを嫌悪して、彼は

ついに生きることに絶望し、太陽へ向かって飛びながら、焼け死んでもいいからあなた

の所へ行かせて下さいと願う。



太陽に、お前は夜の鳥だから星に頼んでごらんと言われて、星々にその願いを叶えて

もらおうとするが、相手にされない。



居場所を失い、命をかけて夜空を飛び続けたよだかは、いつしか青白く燃え上がる

「よだかの星」となり、今でも夜空で燃える存在となる。



☆☆☆☆




(K.K)



 


1999年1月30日


この世界は、遥か太古から刻まれてきた人類の歴史の中に立つ、多くの無名戦士たちの魂によって

支えられてきた。この無名戦士たちの多くは、その名前さえ人び
との記憶の中に留まることはない。しかし、

その魂は風のようにこの地球に生きる
多くの生命をあるべき道へといざなってきた。



自らの欲望や快適さと引き換えに自
らの根を大地から引き抜き、その魂を売り渡すことなく次の世代に

生きる生命を
守るために自らの欲望と闘ってきた人びと。彼らの魂は遥か遠い祖先の魂と共に生き続けて

いる。



彼らの祖先が命をかけて守り続けた生き方。大地に根をおろし
感謝と祈りと喜びにあふれた世界。その

世界に吹いていた風は心の自由と慈愛を携えていた。そしてそれぞれの時代において、この世界を受け

継いだ感謝の想いと、次の世代に引き継がねばならない責任を感じていた。この先住民と呼ばれる人びと

の無名戦士たちの魂は、太古から未来へと続く時空の聖なる輪のように廻りつづけてきた。



しかし、現代文明に生きる私たちにとって、この先住民族の聖なる輪は駆逐しなければならないものだった。

自らの欲望や快適さのために他の多くの生命の犠牲を求めつづけた。自らの欲望と闘うのではなく、自ら

の欲望のために他の生命や大地と闘い奪ってきたのである。



この今の私が住んでいるこの家の木は何処から来たのだろう。この私が日々使っている物は何処から

掘られたものだろう。それらのものの多くが彼ら無名の戦士たちが命をかけて守ろうとした大地からのもの

かもしれない。



実際に私たち日本人が使っている木材の80%が外国から、それも熱帯雨林といわれる森から持ち込まれ

ている。それはこの森に生きる人びとの生活の場のみならずその生命を奪っていること(サラワクを参照

を意味している。直接には手を出さずとも、私たち文明人は先住民族の土地とそこに生きる生命を今も奪い

つづけている。



細分化された産業構造の中にあって、私たちが何かを手にすることにより、何が消え何が奪われてしまった

かを肌を通して実感することが出来なくなっている。まるでこれらのものが私たちの世界とは異次元の空間

からもたらされたものという傲慢な幻想の上に、大量生産・大量消費の文明が成立してきた。この無関心が

持つ残虐性が世界中に悲劇を産みつづけてきた。



大地との絆、根っこを完全に葬り去ることによって築き上げられたこの文明。そこには先住民への虐殺や

略奪、そしてその後の自己基盤の喪失による高い自殺率、アルコール中毒、貧困が残された。私たちは

これらの重い現実をどのように受け止めればいいのだろう。



数少ないがこの無関心を装ってきた中に潜む残虐性を感じとった人びとがいた、ヴェイユしかり、賢治しか

り、フランシスコしかり、先住民族しかり。これらの偉大な魂は無関心に潜む残虐性と戦い続けた。



このはっきりと断罪することの出来ない魔物。この魔物の正体を見つめる無しに、真の自由や慈愛など

存在しない。その意味で私も彼ら先住民族の無名の戦士
の魂を、自らの欲望や快適さと引き換えに売り

飛ばしてきた醜い人間のひとり
かもしれない。



地球上に生きる多くの生命の輝きや大地を奪ってでも手に入れ
なければならないものとは一体何だろう。

そのような文明を私たちは目指そうと
しているのか。それが私たちの歩くべき道なのだろうか。この残虐な

行為の上
に築かれた文明が、新たな残虐性を自らの胎内から産み出し、自滅への階段を駆け降りていくの

は必然の道なのかも知れない。



私たちの文明がアメリカに
象徴される弱肉強食の社会に向かうのか、それとも憎悪から生まれた共産主義

ではなく、互いに与え合う社会を目指してゆくのだろうか。



無名の戦士たちが守り
続けてきた道に咲く、自由と慈愛の花たちを踏み荒してきた私たち文明人。この自ら

の残虐性に気づくことなしに、未来は見えないし未来への子孫への責任を
全うできるはずもないだろう。この

拙いホームページで紹介させていただいた
インディアンや世界各地の先住民族の声が皆様の魂に、そして

この私にも根を
おろすことを願ってやみません。そしてこの未来を守ってきた無名の戦士の魂が、希望を再び

私たちに取り戻してくれることを。


(K.K)


1999.1/30未来を守る無名の戦士たち を参照されたし。


 




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古本においては、Amazonが一番充実しているかも知れません。


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各作品の前のをクリックすると表紙・目次並びに引用文が出ます。

   

この文献の詳細ページへ 「桑島法子のイーハトーヴ朗読紀行 
宮澤賢治「銀河鉄道の夜」「春と修羅」 
DVD

 IBC岩手放送製作

花巻そして賢治ゆかりの地の映像を見ながら朗読
される「銀河鉄道の夜」。これは桑島法子さんの声優
としての実力と共に、賢治に対する熱い想いが根底
にあるが故にこれほど人の心を打つのだろう。映画
やCGとは違い、賢治が生きて見た風景を自分の心
の中で想像しながら「銀河鉄道の夜」を聴くことが出
来るこの作品は、傑作と言っても過言ではないと思い
ます。

『機動戦士ガンダムSEED』『犬夜叉』などで活躍す
る人気アイドル声優・桑島法子。彼女の故郷・イーハ
トーヴ(=岩手)各地の美しい自然を背景に、岩手県が
生んだ巨匠・宮澤賢治の代表作「銀河鉄道の夜」「春
と修羅」を朗読するニュータイプの紀行DVD。ハイビ
ジョン撮影による超鮮明な映像と、岩手県出身の著
名アーティスト作曲による音楽、そして桑島法子の
唯一無二と言える作品朗読が一体となって、現代そ
して未来へとつながる新しい「宮沢賢治の世界」を
描き出します。(DVDより引用)


 
 
   

この文献の詳細ページへ 「銀河鉄道の夜」 
原作・宮沢賢治 影絵と文 藤城清治 講談社

私が影絵に最初に出会ったのがこの絵本「銀河
鉄道の夜」を通してだった。宮沢賢治の「銀河鉄道
の夜」が大好きだった私は、ある本屋でこの本を見
た瞬間、今まで見たことがない光と影がかもしだす
奥の深さに魅入られてしまった。影絵とは言えない
かもしれないが、昔、電灯の光を利用して手で壁に
鳥や動物を映し出されたのを見て、単純素朴なが
ら光と影の不思議な世界を見た頃の思い出がよみ
がえってくるようだった。


【影絵劇「銀河鉄道の夜」受賞歴】1956年度国際
演劇参加読売児童演劇祭奨励賞、日本ユネスコ
協会連盟賞受賞、1982年文化庁芸術祭優秀賞受
賞、影絵劇を撮影し、講談社より出版された絵本
「銀河鉄道の夜」(2006年12月時点で52刷)が1983年
チェコスロバキアの国際絵本原画展BIB金のリンゴ
賞受賞

 
 
 

この文献の詳細ページへ 「銀河鉄道の夜」DVD KAGAYA




原作「銀河鉄道の夜」の幻想的な雰囲気をそのまま、非常に美しいフルCGアニメーションにて再現し、
観客を異次元の空間へ誘う作品。銀河鉄道を題材にした映画はいくつかあるが、私にとっては
「銀河鉄道の夜」出演・田中真弓、坂本千夏のものと同じように心に残るものである。


以下内容紹介より引用


宮沢賢治不朽の名作「銀河鉄道の夜」の現像世界を徹底考察し、ついに映像化。“これらのわたくしの
おはなしは、みんな林や野原や鉄道線路やらで、虹や月明かりかれもらってきたのです・・・” 80年前の
作品、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」、そこに描かれた風景が、デジタル映像として完成。映像は、透明感
あるれる作風で国内外に多くのファンを持つアーティストKAGAYA。3年の歳月をかけて創り込まれた
精緻で臨場感あふれる映像は現像の世界へと誘います。声の出演は、宮沢賢治と同郷で、人気・実力を
兼ね備えた声優の桑島法子、そして音楽は、夢の兄弟コラボレートが実現した、ミュージシャン加賀谷玲
が参加。これまで目にしたことのない感動の風景に包まれて、ほんとうの銀河鉄道に乗っているかのような
夢の時間をご体験ください。

イラストレーション&ムービー KAGAYA

1968年生まれ。幼い頃より星の世界に憧れ、描き続けるアーティスト。世界に先駆けデジタルペイン
ティングの手法を確立する。宇宙に関する作品を多数発表。天文図書や月刊誌のイラスト、ポスター、
CGアニメーション製作、アクセサリーデザインなども広く手がける。透明感あふれる独特な作風で、
国内外に、多くのファンを持つ。「the Zodiac 12星座シリーズ」はジグソーパズルのベストセラー。

 


DVD 「銀河鉄道の夜」

1985年製作のアニメ映画「銀河鉄道の夜」。
主人公並びに登場人物の多くが猫という設定
だが、何故かそれが違和感なく逆に幻想的に
見えてしまうほどの素晴らしいアニメ映画。
声優は、田中真弓/坂本千夏/納谷悟朗/
一城みゆ希などで、上映時間は1時間47分。
 
   
この文献の詳細ページへ 「銀河鉄道の夜」 
原作・宮沢賢治 絵・清川あさみ リトルモア

『幸せな王子』『人魚姫』につづく、清川あさみ、
絵本シリーズで、この『銀河鉄道の夜』にもビーズ
や布、クリスタル、糸で織りなす眩い宇宙が拡がっ
ています。しかしこのような素材でこの物語を織り
なす作者の感性には驚かされました。子供向けと
いうより大人の絵本なのかも知れません。


清川あさみ
1979年9月15日生まれ。学生時代より、モデル
として人気を得て連載やスタイリングを手がけ
る。現在 糸や布を使ったアート作品、衣装、
空間、映像、イラストレーションを創作するア
ーティストとして多方面で活躍中。そのオリジ
ナルな手法と世界観をもつ作品を発表し続け、
世代をこえて注目されている。また、数々の
CDジャケットや広告のアートディレクションを
手がけている。作品集や展覧会も多数。おも
な著書に作品集『futo』(マドラ出版)、『美女
採集』(INFAS)、『caico』(求龍堂)、絵本に『幸
せな王子』、『人魚姫』(ともにリトルモア)などが
ある。
www.asamikiyokawa.com

 
    この文献の詳細ページへ 「銀河鉄道の夜」
     宮沢賢治童話傑作選 
宮沢賢治・作 田原田鶴子・絵 偕成社 

この絵本は原作のイメージを忠実に視覚化した
もので、「銀河鉄道の夜」を題材にした絵本の中で
は油絵を使用した独自のものである。また最後に
用語解説があり、この言葉はどんな意味があるの
か知りたいときにとても便利である。

田原 田鶴子 (タハラ タズコ)       
1956年岩手県盛岡市に生まれる。岩手大学教育
学部甲一類美術科卒業。
美術関係出版社に勤務ののち結婚退社。育児のか
たわら毎日新聞日曜版、PR冊子、JTBパンフレット
などの挿し絵、イラストの仕事を重ねる。現在は宮沢
賢治童話の世界にしぼって油彩画の制作に励み、
盛岡市・川崎市などで個展を数回開催。出版の仕事
では「おかみさん日記」のイラストレーションがある

「青空文庫」のホームページへ「青空文庫」のホームページへ

青空文庫には、著作者の死後50年以上を経て著作権が消滅した作品と、著作

権者が公 開に同意した作品を収録しています。宮沢賢治の次の作品も公開

されておりますので、是非お読みになってくださればと思います。それぞれの

作品はテキストファイル形式、HTML形式、エキスパンドブック形式の三種類

で収録されております。

『インドラの網』『オツベルと象』『風の又三郎』『ガドルフの百合』『雁の童子』

『銀河鉄道の夜』『疾中』『セロ弾きのゴーシュ』『毒もみのすきな署長さん』

『猫の事務所』『農民芸術概論・農民芸術概論綱要』『春と修羅』(初版本)

『双子の星』『マグノリアの木』『やまなし』『よだかの星』

 散文詩「遥かなる銀河」に私の賢治への想いを書いています。

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おれたちはみな農民である。ずいぶん忙しく仕事もつらい

もつと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい

われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あつた

近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直感の一致に於いて論じたい

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する

この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか

新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある

正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じていくことである

われらは世界のまことの幸福を索ねよう

求道すでに道である


「農民芸術概論綱要」より




 
 





「新版 日本の深層」縄文・蝦夷文化を探る 

梅原猛 著より引用


賢治の世界観は、どこか藤原清衡の世界観を思わせるところがある。彼は岩手県を

「イートハトヴ」といい、花巻を「羅須(らす)」とよび、北上川の川岸を「イギリス海岸」と

よんだ。それは、東北を日本の辺境と見ず、広く世界に通じる普遍的場所と考えたゆえ

であろう。中尊寺を中心として、そこにひとつの世界を構成しようという清衡の世界観と

は多少内容はちがうが、ほぼ似た世界観がここにある。賢治の世界には、宇宙に偏在

する生命にたいする強い共感が見られる。彼は多くの童話と詩を書いたが、けっして小

説は書かなかった。それは賢治の世界観と深く関係しているように思われる。小説は、

やはり人間中心の物語である。賢治は人間だけが世界において特別な権利をもってい

るとは考えない。鳥や木や草、獣や山や川にいたるまで、すべてが人間と同じように永遠

の生命をもっていると賢治はみなしている。



永遠なる生命を付与されながら争わざるをえない人間の宿命と、その宿命からの超越、

それが賢治が詩で歌い、童話で語る世界である。そのような世界観を、私はかつては

仏教の世界観と見ていたが、あるいはそれは、仏教移入以前の日本にすでに存在した

世界観かもしれない。そして、この東北の地が、そのような世界観を永く保存し、それが

賢治の詩や童話となってあらわれたと見るべきだろう。



賢治の童話にはときどき、われわれの世界とはちがった世界に住んでいる、もうひとつ

の世界の住人が出てくる。たとえば、『祭の晩』などがそれである。それは山の神の秋の

祭の晩に、亮二という子供が山人と出会った話である。亮二は山男に金を貸した。山男

は、ちょっとばかりの借金に、百把の薪と栗の実をどっさりもってくる。この山男というの

はなにか。山人は、マタギのことであろうか。おそらくそれは、マタギではあるまい。マタギ

は山人であるが、農耕をする里人となかよく暮らしている山人だが、この山人はちがう。

農耕している人間から隔絶された山奥で、この世界とはまったくちがった、不思議な生活

をしている人間なのである。しかし、この山人は正直なのだ。この世界の人間よりずっと

よい人間だということを賢治は言おうとしているのだ。



あの有名なシュバイツァーは、動物の中に人間と同じような生命があることを直感し、黒人

の救済に一生を捧げようと決意したという。キリスト教の聖書によれば、植物はもちろん、

すべての動物はもともと人間に奉仕するよう神によって創造されているのである。こういう

思想が常識となっている西洋人にとって、あのシュバイツァーの直感は、むしろ反聖書的な

思想であり、そういう思想に基づいて彼は、従来のヨーロッパ人がなしえなかったヒューマ

ニズムの行動を、あえてすることができたのである。



ヨーロッパ人にとっては、新しい思想であるシュバイツァーの直感も日本人にとってまこと

に常識的な思想である。動物に人間と同じような生命をみとめるのは日本の思想の常識

である。しかし、賢治の思想は、はるかに先に進んでいるように思われる。賢治は、熊に

宗教的な儀式を行なわさせているのである。おそらくは人間よりもはるかに丁重に、殺し

た人間を葬って、その魂を天に送る。熊は、人間よりもはるかに冴え冴えとして、笑って

いるようにさえ見えたという。小十郎は、喜んでいるのである。熊を殺さねば生きていけな

い修羅の世界を超えて、熊のために自らを犠牲にしたのを喜んでいるのである。小十郎

は菩薩になったのである。そして、熊たちは、菩薩となった小十郎に心からの祈りを捧げ

て、小十郎の霊を清い清い天に送ろうとしているのである。小十郎の霊は天にいき、あの

雪空に光り輝く星のひとつになるにちがいないのである。



賢治がそれを意識し得たかどうかはわからない。しかし、私は優れた詩人は、民族の忘れ

られた記憶をよびもどす霊力をもっていると思う。賢治はこのような霊力をもった詩人であ

る。『なめとこ山の熊』の話は童話である。しかし、それは子供だけが読む童話ではない。

きわめて深い意味をその中に秘めている童話である。宮沢賢治は、まだ発見されたばか

りの詩人であり、思想家なのである。



想像力の能力は、嘘の能力でもある。啄木はけっして普通の意味において、誠実な人間で

あったとは思えない。彼の書いた小説や日記に、すべて本当のことが書いてあるとは思えな

い。彼は『悲しき玩具』で、

「あの頃はよく嘘を言ひき。平気にてよく嘘を言ひき。汗が出づるかな。」

「もう嘘をいはじと思ひき。それは今朝、今また一つ嘘をいへるかな。」

などとうたっているが、嘘は想像力の裏側なのである。東北の人たちの話を聞いていると、

嘘か本当かよくわからないことがある。多くの東北人は豊かな想像力に恵まれていて、奔放

な想像力のままにいろいろ話をしているうちに、その話に酔って、自分でも嘘と本当のけじめ

がわからなくなってしまうのであろう。詩人啄木のこの嘘の告白は、はなはだ率直な東北人

の自己告白ではないかと、私は思う。この点も啄木は、太宰と似ている。



強い自負と奔放な想像力において、啄木も太宰も賢治も共通であるが、賢治には啄木と太宰

のもたないものがある。それは賢治は、啄木や太宰とちがって、現実生活においても思想に

おいても、東北にいすわっていることである。啄木や太宰は、やはり思想的に、近代主義者で

ある。近代主義者であった啄木や太宰は、東北人としての自分を、心の底に深い愛着を抱き

つつも激しく呪った。しかし賢治はちがう。彼は東北を愛し、その思想も、近代主義を超えてい

るのである。賢治は自ら意識せずしてこの地にはるか縄文時代から伝わる思想を根底としつ

つ、近代思想を超えて、人類が救われるべきはるか遠くの未来の思想を指し示していたので

ある。


 
 

梅原猛の言葉

1990年4月、ソウルで開催された、韓国仏教放送局開局記念講演にて


先にのべましたように、日本は中国や韓国より、より深く仏教の影響を受け、

日本人のほとんどすべてが仏教信者になりました。おそらくインド本国より日本

の隅々まで広がりました。菩薩の理想は、すべての日本人の心のどこかに隠

れています。その日本人の心に隠れている菩薩道の理想を引き出し、あらた

めて日本人の目の前に見せた文学者があります。  それは宮沢賢治です。

宮沢賢治は1896年、日本の辺境というべき岩手県に生まれました。1933

年、結核で死ぬまで、ほとんど彼はこの岩手県の地を離れませんでした。そこ

で彼は教師をしたり、農民運動をしたりしますが、一生無名のままであった。

彼が死んでからおびただしい詩や童話が書き残されているのが発見されまし

た。彼は、大乗仏教の教義を広めるために詩や童話を書いたわけです。それ

ゆえ、彼の童話は、けっして子供のためにのみ書かれたものではありません。

むしろ、これはおとなに大乗仏教の教義をやさしく語るために書かれたのです。

童話という形をとったのは、彼は、生きとし生けるものすべてに仏性があると考

えたからです。「悉有仏性」というのは大乗仏教の経典である「涅槃経」に語ら

れる思想ですが、賢治は、すべての動物ばかりか、すべての植物さえ、人間

のごとき心をもっていると考える。彼の童話は、動物や植物、すべての生きと

し生けるものは心をもって、互いに争い、互いに愛し合う話です。彼はこういう

思想に基づいて多くの美しい童話を書きましたが、彼の最も強い思想は、苦し

む衆生のために自分の身を捧げるという菩薩の「犠牲死」という思想でした。

その思想を彼はさまざまな童話のなかで表現します。私は、賢治はやはり

菩薩であったと思います。むしろすべての人が欲望に仕えるこの近代資本

主義社会に、彼は、日本人の心にひそかに存在する菩薩道の理想を人々に

示すためにあらわれた一人の菩薩だと私には思われます。そして彼は他人の

ために働き、過労のために死にました。彼は、念願通り菩薩行の死をとげた

わけです。・・・・・・・「森の思想が人類を救う」小学館ライブラリーより


魅せられたもの 「希望」1998.8/27参照されたし

ホームページ「宮沢賢治の宇宙」では賢治の全てを紹介しています。






  宮澤賢治の教え子インタビュー
映画DVDプロモーション1
 

“宮沢賢治の教え子インタビュー映画”DVD 
「賢治の学校 宮沢賢治の教え子たち」
全11巻 セット価格52,500円

この映画を編集した四宮さんは、元宮城教育
大学学長の林竹二さんの授業を映画にした方
です。林さんは、四宮さんたちが林先生の授業
を映画にしたいと言った時、「私を撮らないで、
子どもを撮ること。子どものからだの中でどのよ
うに授業が成り立っていくかを撮ること。」という
ような条件をだしたそうです。 この賢治の教え
子シリーズも、賢治の教え子たちが語る様子、
ことば、動きの中に、教師宮沢賢治先生の一部
が見えてきます。この映画は教え子たちが語る
宮沢賢治の情報ではなく、70年経っても教え子
たちのからだに残っている教師宮沢賢治先生の
姿なのです。 林竹二氏は、子どもの中に事件が
起きない授業は授業ではない。」とおっしゃった方
です。この映画も観る人の中に事件が起こるよう
に創られているかもしれません。しかも繰り返し
観る度に新しく何かが生まれるように創られている
かもしれません。東京賢治の学校の授業も基本
的にこの授業観を受けついでいます。この映画
を理解することは、東京賢治の学校の授業を理解
することにつながっていくかもしれません。 現在
賢治の教え子でご存命の方はおられません。また
この映画が10本連続で一般上映されたことはあ
りません。初めて公開される映画がほとんどです。
(上記の紹介サイトより引用)


 
  宮澤賢治の教え子インタビュー
映画DVDプロモーション2
 

シュタイナー教育を実践する 
NPO法人 東京賢治の学校

 

 




 


 

「賢治が見た星空」




A Koskimo house

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)


ワタリガラスの伝説

「森と氷河と鯨」星野道夫 文・写真 世界文化社 より引用。


今から話すことは、わたしたちにとって、とても大切な物語だ。だから、しっかりと

聞くのだ。たましいのことを語るのを決してためらってはならない。ずっと昔の

話だ。どのようにわたしたちがたましいを得たか。ワタリガラスがこの世界に森

をつくった時、生き物たちはまだたましいをもってはいなかった。人々は森の

中に座り、どうしていいのかわからなかった。木は生長せず、動物たちも魚た

ちもじっと動くことはなかったのだ。ワタリガラスが浜辺を歩いていると海の中

から大きな火の玉が上がってきた。ワタリガラスはじっと見つめていた。すると

一人の若者が浜辺の向こうからやって来た。彼の嘴は素晴らしく長く、それは

一羽のタカだった。タカは実に速く飛ぶ。「力を貸してくれ」 通り過ぎてゆく

タカにワタリガラスは聞いた。あの火の玉が消えぬうちにその炎を手に入れ

なければならなかった。「力を貸してくれ」 三度目にワタリガラスが聞いた

時、タカはやっと振り向いた。「何をしたらいいの」 「あの炎をとってきて欲し

いのだ」 「どうやって?」 ワタリガラスは森の中から一本の枝を運んでくる

と、それをタカの自慢の嘴に結びつけた。「あの火の玉に近づいたなら、

頭を傾けて、枝の先を炎の中に突っ込むのだ」 若者は地上を離れ、ワタ

リガラスに言われた通りに炎を手に入れると、ものすごい速さで飛び続け

た。炎が嘴を焼き、すでに顔まで迫っていて、若者はその熱さに泣き叫

んでいたのだ。ワタリガラスは言った。「人々のために苦しむのだ。この世

を救うために炎を持ち帰るのだ」 やがて若者の顔は炎に包まれ始めた

が、ついに戻ってくると、その炎を、地上へ、崖へ、川の中へ投げ入れ

た。その時、すべての動物たち、鳥たち、魚たちはたましいを得て動き

だし、森の木々も伸びていった。それがわたしがおまえたちに残したい

物語だ。木も、岩も、風も、あらゆるものがたましいをもってわたしたちを

見つめている。そのことを忘れるな。これからの時代が大きく変わってゆ

くだろう。だが、森だけは守ってゆかなければならない。森はわたしたち

にあらゆることを教えてくれるからだ。わたしがこの世を去る日がもうすぐ

やって来る、だからしっかり聞いておくのだ。これはわたしたちにとって

とても大切な物語なのだから。


(クリンギットインディアンの古老、オースティン・ハモンドが1989年、死ぬ

数日前に、クリンギット族の物語を伝承してゆくボブをはじめとする何人

かの若者たちに託した神話だった。この古老の最後の声を、ボブはテー

プレコーダーに記録したのだ。


 


「星野道夫の仕事 第2巻 北極圏の生命」 朝日新聞社 より引用。


「われわれは、みな、大地の一部。

おまえがいのちのために祈ったとき、

おまえはナヌークになり、

ナヌークは人間になる。

いつの日か、わたしたちは、

氷の世界で出会うだろう。

そのとき、おまえがいのちを落としても、

わたしがいのちを落としても、

どちらでもよいのだ」



「星野道夫の仕事 第1巻 カリブーの旅」

「星野道夫の仕事 第3巻 生きものたちの宇宙」

「星野道夫の仕事 第4巻 ワタリガラスの神話」


星野氏の著作「イニュニック(生命)」「Alaska 風のような物語」「旅をする木」

「森と氷河と鯨」「長い旅の途上」「オーロラの彼方へ」「ラブ・ストーリー」「森に還る日」

「最後の楽園」





2013年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。




ニーチェと宮沢賢治(写真は1年前に作ったレゴの蒸気機関車です)



ニーチェの「神は死んだ」の言葉に象徴される虚無主義(ニヒリズム)と「超人」思想。



私はニーチェの著作に触れたことがなく正しく読み取っていないかも知れませんが、、現世から目を背けている

当時の風潮に対して、彼は果敢な挑戦状を叩きつけたのだと思います。



しかし、来世のことだけを語る宗教への断罪と虚無主義。一部において何故彼がこう考えたのか納得はするも

のの、私たち一人一人は空気や水・食べ物など、地球や他の生命が養い創ったもののなかでしか生きられま

せん。人間は決して単独で存在できるものではありませんし、他のものとの関係性なくしては生きられないので

はないかと疑問に思ったのも事実です。



デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」からニーチェ、ハイデッガー。彼らの「個(人間)」だけを世界から切り

離した思索、人間中心主義が横行した西洋哲学に対して、梅原猛さんはその著「人類哲学序説」の中で鋭く

批判しています。



これらの西洋哲学者の対極にいるのが宮沢賢治先住民と呼ばれる人なのかも知れません。西洋哲学が

人間を世界から切り離して真理に近づこうとしていたのに対し、賢治や先住民は他のものとの関係性(繋がり)

を基軸に据え、賢治の場合は「銀河鉄道の夜」などの童話を通して私たち後世の人に想いを託したのでしょう。



賢治が言う「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、互いの繋がりを

真に肌で感じた者にしか発することが出来ない言葉なのだと思います。



梅原さんは前述した本の中で、宮沢賢治と江戸時代の画家「伊藤若沖」を紹介され、二人の思想の背景には

「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」(国土や動物・草木も仏性を持ち成仏できる意味)が

あり、縄文時代アイヌを含む世界各地の先住民の世界観に共通しているものがあると言われます。



またノーベル賞を受賞した福井謙一さんの言葉「科学はいまに、裁かれる日がくるだろう。自然を征服する科学

および科学技術から、自然と共生する科学および科学技術へと変わらなければいけない」を紹介されていました

が、科学技術文明の基となったデカルト以来の西洋哲学にも同じことが言えると主張されています。



私たちはデカルト以来の西洋哲学を、反面教師として捉える時期なのかも知れません。



ニーチェの「神は死んだ」、私は彼の思索の片鱗も理解できていないかも知れませんが、虚無としか映らない

状況のなか一筋の光りを見た女性がいました。



ニーチェの「超人」思想がヒトラーに悪用され、ハイデッガーがナチスの思想ではなくヒトラーの強い意志に魅了

されていた同じ頃、アウシュヴィッツの強制収容所で亡くなった無名の人ですが、賢治の銀河鉄道と同じように

多くの人の道標として、これからもその軌道を照らしていくのだと思います。



最後に、フランクル「夜と霧」から抜粋引用し終わりにします。



☆☆☆☆



それにも拘わらず、私と語った時、彼女は快活であった。



「私をこんなひどい目に遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ。」と言葉どおりに彼女は私に言った。



「なぜかと言いますと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを

追っていなかったからですの。」



その最後の日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。「あそこにある樹は一人ぽっちの私のただ一つのお友達

ですの。」と彼女は言い、バラックの窓の外を指した。



外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。



病人の寝台の所に屈んで外を見るとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつけた

一本の緑の枝を見ることができた。



「この樹とよくお話しますの。」と彼女は言った。



私は一寸まごついて彼女の言葉の意味が判らなかった。彼女は譫妄状態で幻覚を起こしているだろうか? 

不思議に思って私は彼女に訊いた。



「樹はあなたに何か返事をしましたか? -しましたって!-では何て樹は言ったのですか?」



彼女は答えた。



「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる-私は-ここに-いる。私はいるのだ。永遠のいのちだ。」



☆☆☆☆




 


2012年4月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



さそり座のアンタレスと球状星団M4 (写真はNASAより引用)



宮沢賢治が好きだった、さそり座のアンタレス。「銀河鉄道の夜」にはこの焼け死んだ

さそりの物語が登場してきます。



さそり座はこの時期、午前2時ごろに南の空から昇ってきますが、一等星のアンタレス

は日本では「赤星」と呼ばれています。



賢治は「ルビーよりも赤くすきとおり、リチウムよりもうつくしく酔ったようになって、その

火は燃えているのでした」と書いていますが、画像でも黄色い星雲の中でひときわ明る

く輝いています。



アンタレスの下、画像中央やや左に見えるのが球状星団M4で、地球からこの星団まで

の距離は約1万光年です。



日本で1万年前というと縄文時代が花開いていた時代でした。この縄文時代の光が今

ようやく地球に到達しているんですね。



画像は長時間撮影したもので、肉眼や望遠鏡ではこのような美しい星雲は見えません。

双眼鏡ですと、同じ視界にアンタレスとぼんやりした姿のM4が映ります。



(K.K)



 

 


2012年3月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

写真は「生きて死ぬ智慧 心訳 般若心経」柳澤桂子著より引用



私が尊敬する人で仏教にひかれている人は多い。宮沢賢治、哲学者の梅原猛さん、生命科学者

の柳澤桂子さんなどがそうである。



しかし葬式仏教の姿や住職が高級外車に乗り、ロレックスの金時計などしているのを見ると、本来

の仏教とはかけ離れたものになっているのではないかと感じていた。



ただ、前の投稿にも書いたが職場の同僚が高野山に出家したときから、仏教にたいしての自分の

無知がいろいろな偏見に繋がっているのではないかと思うようになっていた。



柳澤桂子さんは前途有望な生命科学者だったが、原因不明の病気で36年もの間苦しみ自殺も考

えたという。しかし彼女が一般の人向きに書かれた遺伝子に関する本は高い評価を受ける。そん

な彼女が書いた「生きて死ぬ智慧 心訳 般若心経」は、自身が研究してきた遺伝子という科学の

視点、そして何より闘病の苦しみの中から般若心経を自分の視点で捉えなおしたものだった。



何か日本人として遅すぎはしたが、ブッダのことをもっと知らなければならないと感じている。



☆☆☆☆



私たちは生まれながらにして、仏性、神性を善とする考えをもっていると思います。



私たちの意識の進化の方向は、他人をたいせつにする方向に向いているのです。



あるいは、自己本位であることが、私たちの本来の性格であると思うこともあるかもしれませんが、

私たちは、自己中心性を超越して、他人のために尽くすことに喜びを感じるよう成熟しつつあるの

だと私は思っています。



そのような視点から見て、これから人間たちの前途に大きく立ちふさがるのは、科学のまちがった

使い方です。



人間のつくったホルモン作用攪乱物質や放射能によって、私たちの地球は汚染され、生物が住め

ないような状態になってしまうかもしれません。



子孫が、そのようなことで苦しまないように、われわれは全力を尽くすべきです。



地球上のどこにも闘いのない、思いやりに満ちた人間社会をつくることができるよう願っております。



「永遠のなかに生きる」柳澤桂子著より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 

 


2012年4月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

イータ・カリーナ星雲 (写真はNASAより引用)



もし皆さんが南半球を旅することがあったら、南十字星(サザンクロス)の近くにあるイータ・カリーナ

星雲を見てください。



私はまだ見たことはありませんが、天の川の中にこの星雲の全体を肉眼でも見ることが出来ると思

います。上の写真はこの星雲を拡大したものです。



南十字星、サザンクロスは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にも出てきますが、この南十字星の直ぐ左

下にコールサック星雲(石炭袋)という暗黒星雲が広がっています。「銀河鉄道の夜」にも出てくる

石炭袋、これは背後の星たちの光をこの星雲がさえぎっているため黒く見えるんですね。



そして南十字星の右側に赤く広がっているのが写真のイータ・カリーナ星雲で、私たちに馴染みの

あるオリオン大星雲の1000倍もの明るさを持って広がっています。



肉眼でも素晴らしいと思いますが、いつか双眼鏡で見てみたいものです。



☆☆☆☆



「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一諸に行かう。僕はもうあの

さそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」



「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。



「けれどもほんとうのさいわいは一体何だらう。」ジョバンニが云いました。



「僕わからない。」カムパネルラ がぼんやり云いました。



「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云い

ました。



「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」カムパネルラが少しそっちを避けるようにしながら天の川の

ひととこを指さしました。



ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。



天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。



その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼が

しんしんと痛むのでした。ジョバンニが云いました。



「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこま

でもどこまでも僕たち一諸に進んで行かう。」



「ああきっと行くよ。 ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集ってるねえ。あすこがほんとう

の天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ。」カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれ

いな野原を指して叫びました。



宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 

 

2014年10月31日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。




(大きな画像)


天の川とデビルスタワー(ワイオミング州北東部) 写真はNASAより引用



この巨岩は約2億年前に、ロッキー山脈が隆起した際のマグマです。



この時代(三畳紀末)はアンモナイトの絶滅など、全生物種の76パーセントが絶滅した時代ですが、その原因として

火山活動や隕石衝突などが考えられています。



隕石衝突説の根拠として、岐阜県坂祝町にある木曽川の河床の地層(約2億1500万年前)から、隕石に豊富に含ま

れている白金族元素が通常の20倍から5000倍の濃度で見つかっています。



ところで、この巨岩は近くに住んでいたアメリカ先住民(インディアン)の部族が熊信仰の対象としており、また岩の

垂直方向の割れ目は灰色熊によってつけられたものとされています。



「クマとアメリカ・インディアンの暮らし」ロックウェル著(私は未だ読んでいません)に詳しく書かれているのではと

思いますが、アイヌの方と同じ視点を持っていたのかも知れません。



また宮沢賢治の童話「なめとこ山の熊」にも、この視点が流れているように思います。








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