1992年10月に花巻を旅したときの写真です。 |
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2012年6月29日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 宮沢賢治「よだかの星」(写真は岩田山公園にて) 宮沢賢治の童話「よだかの星」、あらすじを「ウィキペディア」より引用します。 ☆☆☆☆ よだかは、美しいはちすずめやかわせみの兄でありながら、容姿が醜く不格好なゆえに 鳥の仲間から嫌われ、鷹からも「たか」の名前を使うなと改名を強要される。 自分が生きるためにたくさんの虫の命を食べるために奪っていることを嫌悪して、彼は ついに生きることに絶望し、太陽へ向かって飛びながら、焼け死んでもいいからあなた の所へ行かせて下さいと願う。 太陽に、お前は夜の鳥だから星に頼んでごらんと言われて、星々にその願いを叶えて もらおうとするが、相手にされない。 居場所を失い、命をかけて夜空を飛び続けたよだかは、いつしか青白く燃え上がる 「よだかの星」となり、今でも夜空で燃える存在となる。 ☆☆☆☆ (K.K) |
この世界は、遥か太古から刻まれてきた人類の歴史の中に立つ、多くの無名戦士たちの魂によって を意味している。直接には手を出さずとも、私たち文明人は先住民族の土地とそこに生きる生命を今も奪い このはっきりと断罪することの出来ない魔物。この魔物の正体を見つめる無しに、真の自由や慈愛など ではなく、互いに与え合う社会を目指してゆくのだろうか。
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「桑島法子のイーハトーヴ朗読紀行 花巻そして賢治ゆかりの地の映像を見ながら朗読 『機動戦士ガンダムSEED』『犬夜叉』などで活躍す
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「銀河鉄道の夜」
私が影絵に最初に出会ったのがこの絵本「銀河
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原作「銀河鉄道の夜」の幻想的な雰囲気をそのまま、非常に美しいフルCGアニメーションにて再現し、
イラストレーション&ムービー KAGAYA 1968年生まれ。幼い頃より星の世界に憧れ、描き続けるアーティスト。世界に先駆けデジタルペイン |
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DVD 「銀河鉄道の夜」 1985年製作のアニメ映画「銀河鉄道の夜」。 主人公並びに登場人物の多くが猫という設定 だが、何故かそれが違和感なく逆に幻想的に 見えてしまうほどの素晴らしいアニメ映画。 声優は、田中真弓/坂本千夏/納谷悟朗/ 一城みゆ希などで、上映時間は1時間47分。 |
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「銀河鉄道の夜」 原作・宮沢賢治 絵・清川あさみ リトルモア 『幸せな王子』『人魚姫』につづく、清川あさみ、 絵本シリーズで、この『銀河鉄道の夜』にもビーズ や布、クリスタル、糸で織りなす眩い宇宙が拡がっ ています。しかしこのような素材でこの物語を織り なす作者の感性には驚かされました。子供向けと いうより大人の絵本なのかも知れません。 清川あさみ 1979年9月15日生まれ。学生時代より、モデル として人気を得て連載やスタイリングを手がけ る。現在 糸や布を使ったアート作品、衣装、 空間、映像、イラストレーションを創作するア ーティストとして多方面で活躍中。そのオリジ ナルな手法と世界観をもつ作品を発表し続け、 世代をこえて注目されている。また、数々の CDジャケットや広告のアートディレクションを 手がけている。作品集や展覧会も多数。おも な著書に作品集『futo』(マドラ出版)、『美女 採集』(INFAS)、『caico』(求龍堂)、絵本に『幸 せな王子』、『人魚姫』(ともにリトルモア)などが ある。 www.asamikiyokawa.com |
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「銀河鉄道の夜」 宮沢賢治童話傑作選 宮沢賢治・作 田原田鶴子・絵 偕成社
この絵本は原作のイメージを忠実に視覚化した 1956年岩手県盛岡市に生まれる。岩手大学教育 学部甲一類美術科卒業。 美術関係出版社に勤務ののち結婚退社。育児のか たわら毎日新聞日曜版、PR冊子、JTBパンフレット などの挿し絵、イラストの仕事を重ねる。現在は宮沢 賢治童話の世界にしぼって油彩画の制作に励み、 盛岡市・川崎市などで個展を数回開催。出版の仕事 では「おかみさん日記」のイラストレーションがある |
青空文庫には、著作者の死後50年以上を経て著作権が消滅した作品と、著作
権者が公 開に同意した作品を収録しています。宮沢賢治の次の作品も公開
されておりますので、是非お読みになってくださればと思います。それぞれの
作品はテキストファイル形式、HTML形式、エキスパンドブック形式の三種類
で収録されております。
『インドラの網』『オツベルと象』『風の又三郎』『ガドルフの百合』『雁の童子』
『銀河鉄道の夜』『疾中』『セロ弾きのゴーシュ』『毒もみのすきな署長さん』
『猫の事務所』『農民芸術概論・農民芸術概論綱要』『春と修羅』(初版本)
『双子の星』『マグノリアの木』『やまなし』『よだかの星』
散文詩「遥かなる銀河」に私の賢治への想いを書いています。 |
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おれたちはみな農民である。ずいぶん忙しく仕事もつらい もつと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あつた 近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直感の一致に於いて論じたい 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない 自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか 新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある 正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じていくことである われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である
「農民芸術概論綱要」より |
「新版 日本の深層」縄文・蝦夷文化を探る 梅原猛 著より引用
賢治の世界観は、どこか藤原清衡の世界観を思わせるところがある。彼は岩手県を
あの有名なシュバイツァーは、動物の中に人間と同じような生命があることを直感し、黒人
想像力の能力は、嘘の能力でもある。啄木はけっして普通の意味において、誠実な人間で
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梅原猛の言葉 1990年4月、ソウルで開催された、韓国仏教放送局開局記念講演にて
先にのべましたように、日本は中国や韓国より、より深く仏教の影響を受け、 日本人のほとんどすべてが仏教信者になりました。おそらくインド本国より日本 の隅々まで広がりました。菩薩の理想は、すべての日本人の心のどこかに隠 れています。その日本人の心に隠れている菩薩道の理想を引き出し、あらた めて日本人の目の前に見せた文学者があります。 それは宮沢賢治です。 宮沢賢治は1896年、日本の辺境というべき岩手県に生まれました。1933 年、結核で死ぬまで、ほとんど彼はこの岩手県の地を離れませんでした。そこ で彼は教師をしたり、農民運動をしたりしますが、一生無名のままであった。 彼が死んでからおびただしい詩や童話が書き残されているのが発見されまし た。彼は、大乗仏教の教義を広めるために詩や童話を書いたわけです。それ ゆえ、彼の童話は、けっして子供のためにのみ書かれたものではありません。 むしろ、これはおとなに大乗仏教の教義をやさしく語るために書かれたのです。 童話という形をとったのは、彼は、生きとし生けるものすべてに仏性があると考 えたからです。「悉有仏性」というのは大乗仏教の経典である「涅槃経」に語ら れる思想ですが、賢治は、すべての動物ばかりか、すべての植物さえ、人間 のごとき心をもっていると考える。彼の童話は、動物や植物、すべての生きと し生けるものは心をもって、互いに争い、互いに愛し合う話です。彼はこういう 思想に基づいて多くの美しい童話を書きましたが、彼の最も強い思想は、苦し む衆生のために自分の身を捧げるという菩薩の「犠牲死」という思想でした。 その思想を彼はさまざまな童話のなかで表現します。私は、賢治はやはり 菩薩であったと思います。むしろすべての人が欲望に仕えるこの近代資本 主義社会に、彼は、日本人の心にひそかに存在する菩薩道の理想を人々に 示すためにあらわれた一人の菩薩だと私には思われます。そして彼は他人の ために働き、過労のために死にました。彼は、念願通り菩薩行の死をとげた わけです。・・・・・・・「森の思想が人類を救う」小学館ライブラリーより
ホームページ「宮沢賢治の宇宙」では賢治の全てを紹介しています。 |
宮澤賢治の教え子インタビュー 映画DVDプロモーション1 “宮沢賢治の教え子インタビュー映画”DVD 「賢治の学校 宮沢賢治の教え子たち」 全11巻 セット価格52,500円 この映画を編集した四宮さんは、元宮城教育 大学学長の林竹二さんの授業を映画にした方 です。林さんは、四宮さんたちが林先生の授業 を映画にしたいと言った時、「私を撮らないで、 子どもを撮ること。子どものからだの中でどのよ うに授業が成り立っていくかを撮ること。」という ような条件をだしたそうです。 この賢治の教え 子シリーズも、賢治の教え子たちが語る様子、 ことば、動きの中に、教師宮沢賢治先生の一部 が見えてきます。この映画は教え子たちが語る 宮沢賢治の情報ではなく、70年経っても教え子 たちのからだに残っている教師宮沢賢治先生の 姿なのです。 林竹二氏は、子どもの中に事件が 起きない授業は授業ではない。」とおっしゃった方 です。この映画も観る人の中に事件が起こるよう に創られているかもしれません。しかも繰り返し 観る度に新しく何かが生まれるように創られている かもしれません。東京賢治の学校の授業も基本 的にこの授業観を受けついでいます。この映画 を理解することは、東京賢治の学校の授業を理解 することにつながっていくかもしれません。 現在 賢治の教え子でご存命の方はおられません。また この映画が10本連続で一般上映されたことはあ りません。初めて公開される映画がほとんどです。 (上記の紹介サイトより引用) |
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宮澤賢治の教え子インタビュー 映画DVDプロモーション2 シュタイナー教育を実践する NPO法人 東京賢治の学校 |
A Koskimo house Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
ワタリガラスの伝説 「森と氷河と鯨」星野道夫 文・写真 世界文化社 より引用。
今から話すことは、わたしたちにとって、とても大切な物語だ。だから、しっかりと 聞くのだ。たましいのことを語るのを決してためらってはならない。ずっと昔の 話だ。どのようにわたしたちがたましいを得たか。ワタリガラスがこの世界に森 をつくった時、生き物たちはまだたましいをもってはいなかった。人々は森の 中に座り、どうしていいのかわからなかった。木は生長せず、動物たちも魚た ちもじっと動くことはなかったのだ。ワタリガラスが浜辺を歩いていると海の中 から大きな火の玉が上がってきた。ワタリガラスはじっと見つめていた。すると 一人の若者が浜辺の向こうからやって来た。彼の嘴は素晴らしく長く、それは 一羽のタカだった。タカは実に速く飛ぶ。「力を貸してくれ」 通り過ぎてゆく タカにワタリガラスは聞いた。あの火の玉が消えぬうちにその炎を手に入れ なければならなかった。「力を貸してくれ」 三度目にワタリガラスが聞いた 時、タカはやっと振り向いた。「何をしたらいいの」 「あの炎をとってきて欲し いのだ」 「どうやって?」 ワタリガラスは森の中から一本の枝を運んでくる と、それをタカの自慢の嘴に結びつけた。「あの火の玉に近づいたなら、 頭を傾けて、枝の先を炎の中に突っ込むのだ」 若者は地上を離れ、ワタ リガラスに言われた通りに炎を手に入れると、ものすごい速さで飛び続け た。炎が嘴を焼き、すでに顔まで迫っていて、若者はその熱さに泣き叫 んでいたのだ。ワタリガラスは言った。「人々のために苦しむのだ。この世 を救うために炎を持ち帰るのだ」 やがて若者の顔は炎に包まれ始めた が、ついに戻ってくると、その炎を、地上へ、崖へ、川の中へ投げ入れ た。その時、すべての動物たち、鳥たち、魚たちはたましいを得て動き だし、森の木々も伸びていった。それがわたしがおまえたちに残したい 物語だ。木も、岩も、風も、あらゆるものがたましいをもってわたしたちを 見つめている。そのことを忘れるな。これからの時代が大きく変わってゆ くだろう。だが、森だけは守ってゆかなければならない。森はわたしたち にあらゆることを教えてくれるからだ。わたしがこの世を去る日がもうすぐ やって来る、だからしっかり聞いておくのだ。これはわたしたちにとって とても大切な物語なのだから。
(クリンギットインディアンの古老、オースティン・ハモンドが1989年、死ぬ 数日前に、クリンギット族の物語を伝承してゆくボブをはじめとする何人 かの若者たちに託した神話だった。この古老の最後の声を、ボブはテー プレコーダーに記録したのだ。
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「われわれは、みな、大地の一部。 おまえがいのちのために祈ったとき、 おまえはナヌークになり、 ナヌークは人間になる。 いつの日か、わたしたちは、 氷の世界で出会うだろう。 そのとき、おまえがいのちを落としても、 わたしがいのちを落としても、 どちらでもよいのだ」
星野氏の著作「イニュニック(生命)」、「Alaska 風のような物語」、「旅をする木」、 「森と氷河と鯨」、「長い旅の途上」、「オーロラの彼方へ」、「ラブ・ストーリー」、「森に還る日」
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2013年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。 ニーチェと宮沢賢治(写真は1年前に作ったレゴの蒸気機関車です) ニーチェの「神は死んだ」の言葉に象徴される虚無主義(ニヒリズム)と「超人」思想。 私はニーチェの著作に触れたことがなく正しく読み取っていないかも知れませんが、、現世から目を背けている 当時の風潮に対して、彼は果敢な挑戦状を叩きつけたのだと思います。 しかし、来世のことだけを語る宗教への断罪と虚無主義。一部において何故彼がこう考えたのか納得はするも のの、私たち一人一人は空気や水・食べ物など、地球や他の生命が養い創ったもののなかでしか生きられま せん。人間は決して単独で存在できるものではありませんし、他のものとの関係性なくしては生きられないので はないかと疑問に思ったのも事実です。 デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」からニーチェ、ハイデッガー。彼らの「個(人間)」だけを世界から切り 離した思索、人間中心主義が横行した西洋哲学に対して、梅原猛さんはその著「人類哲学序説」の中で鋭く 批判しています。 これらの西洋哲学者の対極にいるのが宮沢賢治や先住民と呼ばれる人なのかも知れません。西洋哲学が 人間を世界から切り離して真理に近づこうとしていたのに対し、賢治や先住民は他のものとの関係性(繋がり) を基軸に据え、賢治の場合は「銀河鉄道の夜」などの童話を通して私たち後世の人に想いを託したのでしょう。 賢治が言う「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、互いの繋がりを 真に肌で感じた者にしか発することが出来ない言葉なのだと思います。 梅原さんは前述した本の中で、宮沢賢治と江戸時代の画家「伊藤若沖」を紹介され、二人の思想の背景には 「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」(国土や動物・草木も仏性を持ち成仏できる意味)が あり、縄文時代やアイヌを含む世界各地の先住民の世界観に共通しているものがあると言われます。 またノーベル賞を受賞した福井謙一さんの言葉「科学はいまに、裁かれる日がくるだろう。自然を征服する科学 および科学技術から、自然と共生する科学および科学技術へと変わらなければいけない」を紹介されていました が、科学技術文明の基となったデカルト以来の西洋哲学にも同じことが言えると主張されています。 私たちはデカルト以来の西洋哲学を、反面教師として捉える時期なのかも知れません。 ニーチェの「神は死んだ」、私は彼の思索の片鱗も理解できていないかも知れませんが、虚無としか映らない 状況のなか一筋の光りを見た女性がいました。 ニーチェの「超人」思想がヒトラーに悪用され、ハイデッガーがナチスの思想ではなくヒトラーの強い意志に魅了 されていた同じ頃、アウシュヴィッツの強制収容所で亡くなった無名の人ですが、賢治の銀河鉄道と同じように 多くの人の道標として、これからもその軌道を照らしていくのだと思います。 最後に、フランクル「夜と霧」から抜粋引用し終わりにします。 ☆☆☆☆ それにも拘わらず、私と語った時、彼女は快活であった。 「私をこんなひどい目に遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ。」と言葉どおりに彼女は私に言った。 「なぜかと言いますと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを 追っていなかったからですの。」 その最後の日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。「あそこにある樹は一人ぽっちの私のただ一つのお友達 ですの。」と彼女は言い、バラックの窓の外を指した。 外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。 病人の寝台の所に屈んで外を見るとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつけた 一本の緑の枝を見ることができた。 「この樹とよくお話しますの。」と彼女は言った。 私は一寸まごついて彼女の言葉の意味が判らなかった。彼女は譫妄状態で幻覚を起こしているだろうか? 不思議に思って私は彼女に訊いた。 「樹はあなたに何か返事をしましたか? -しましたって!-では何て樹は言ったのですか?」 彼女は答えた。 「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる-私は-ここに-いる。私はいるのだ。永遠のいのちだ。」 ☆☆☆☆ |
2012年4月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年3月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年4月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2014年10月31日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。 (大きな画像) 天の川とデビルスタワー(ワイオミング州北東部) 写真はNASAより引用 この巨岩は約2億年前に、ロッキー山脈が隆起した際のマグマです。 この時代(三畳紀末)はアンモナイトの絶滅など、全生物種の76パーセントが絶滅した時代ですが、その原因として 火山活動や隕石衝突などが考えられています。 隕石衝突説の根拠として、岐阜県坂祝町にある木曽川の河床の地層(約2億1500万年前)から、隕石に豊富に含ま れている白金族元素が通常の20倍から5000倍の濃度で見つかっています。 ところで、この巨岩は近くに住んでいたアメリカ先住民(インディアン)の部族が熊信仰の対象としており、また岩の 垂直方向の割れ目は灰色熊によってつけられたものとされています。 「クマとアメリカ・インディアンの暮らし」ロックウェル著(私は未だ読んでいません)に詳しく書かれているのではと 思いますが、アイヌの方と同じ視点を持っていたのかも知れません。 また宮沢賢治の童話「なめとこ山の熊」にも、この視点が流れているように思います。 |