Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
1998.8/27
希望
この体内を創造主の息吹が吹き抜けていく。一つ一つの生命体の姿・形が 異なるように、この創造主の息吹の音色は異なる響きをもってまた新たな風 を産み出す。しかし、天頂から足の裏にいたるこの通り道を私たちは個人 主義の名のもとに、このトンネルを爆破し遮断している。そして後に残った ものは、私さえよければ、今さえよければという完全に他の生命体から隔 離し、つながりを失ってしまった退廃的な生命。そしてこの生命は他の多 くの生きとし生けるものの犠牲を要求しつづけていく。樹は訴える。どんな に私の回りに漂う空気が汚染されたものであろうとも、私の地下にはった 根がどす黒いものしか見つけられなかったとしても、私の生命に創造主 の息吹が吹き抜けている限り、わたしはこの息吹から産まれ出る音色を 他のものと分かち合うのだ。オガララ・ラコタ族のブラック・エルクは言う。 「いちばん重要な、最初の平和は、人の魂のなかに生まれる。人間が宇宙 やそのすべての力とのあいだに、つながりや一体感を見いだせたとき、その 平和が生まれるのだ」。菩薩の犠牲死を生きた宮沢賢治にとって動物や植 物すべての生命が心をもっていると感じ、次のように言う。「自我の意識は 個人から集団社会宇宙と次第に進化する。この方向は古い聖者の踏みま た教へた道ではないか。新たな時代は世界が一の意識になり生物となる 方向にある。正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じ ていくことである。われらは世界のまことの幸福を索ねよう。求道すでに道 である」。私自身時々この世界の未来に対して絶望的になることがある。 ブラック・エルクなどの先住民族の方たちや賢治の体内に吹き抜けてい た風のトンネルが、退廃的な生命によって今でも壊されつづけている。 しかし、だからと言って私自身のトンネルを自ら塞ぐことは許されない。 この創造主の息吹から産み出される波動を失うこと、それは私自身が 他の生命体とのつながりを絶ってしまうことと同じことなのだ。もし私の体 内を吹き抜ける創造主の息吹が一つの美しい旋律を奏でるとき、その ときはじめて他の生命のさまざまな旋律を、一つの交響曲として聴きと ることが出来るのだろう。確かにこの世界に希望を見出すことは難しい かもしれない。だが創造主の息吹がこの世界に吹き抜けている限り、 希望が存在している。一人一人がこの風に身をゆだねるとき、未来へ の希望が大地に花咲くにちがいない。
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