「新版 日本の深層」縄文・蝦夷文化を探る

梅原猛 著 佼成出版社


 








かつて蝦夷の末裔と呼ばれ、偏見を持たれてきた東北地方。しかしそこに残るお寺・

遺跡や祭、そして歴史を紐解くと、かつて日本全国にあった縄文文化を色濃く残して

いることがわかる。それは文学においても東北出身の石川啄木・太宰治・宮沢賢治

の感性が生まれた土壌を探る旅でもあった。梅原猛氏はアイヌの文化に触れたとき

の確信を、この東北地方の旅でも再認識させられ、そこに日本の原風景を感じとる

のである。また大陸から来た弥生人の倫理観が、如何にして縄文文化を席巻したか

の考察をしている。本書を通して、縄文土器の芸術の素晴らしさを初めて理解した

芸術家の故・岡本太郎氏と同じく、梅原猛氏の感性の素晴らしさと洞察力が発揮さ

れた文献で、多くの日本人に是非読んでもらいたいと思う。



(K.K)


 




原日本文化への旅立ち(本書より引用)



東北人は、長いあいだ、心の中に、密かなる誇りをいだきながら、蝦夷の後裔であること

に、耐えてきた。そして自分が、アイヌと同一視されることを頑強に拒否してきた。蝦夷は

人種的概念ではなく、ただの政治的概念にすぎない。そして、「蝦夷はアイヌではない」そ

ういう結論は、東北人にとってのぞましい、はなはだ願わしい結論のようであった。このよ

うな願わしい結論にそって、東北を、古くから倭人の住む、古くから稲作農業が発展した

国と考える見解が、戦後の東北論の主流であったように思われる。それは東北人を後進

性の屈辱から救うものであったとしても、かえって東北特有の文化の意味を見失うことに

なると思う。



蝦夷の子孫であることが、蝦夷の後裔であることが、なぜわるいのであろう。アイヌと同血

であり、同文化であるということを、なぜ恥としなくてはならないのか。日本は平等の国家で

ある。幕末に戦った二つの権力、薩長方も徳川方も、平等に日本国民としての権利と義務

をもっているのではないか。倭人と蝦夷の対立はもっと昔のことなのである。その昔の対立

が、なぜ現代まで差別になって生き続けねばならないのか。蝦夷の後裔であること、アイヌ

と同血であることを、恥とする必要はすこしもないのである。むしろ、日本の文化は、蝦夷の

文化、アイヌの文化との関係を明らかにすることによって、明らかになるはずである。



私のこの旅は、ほんの短い期間の旅である。芭蕉は、『奥の細道』の旅に5ヶ月を要した。私

は公務の都合で、10日しかこの旅に使うことはできなかった。もとより、前にも何度か東北の

各地を訪れたことはある。このささやかな旅で私は、東北文化のほんのわずかしか触れるこ

とはできなかった。しかし、見方が変われば、うわべを見ただけでも、やはりその解釈は変わ

ってくる。このささやかな「紀行記」が、今後の東北論の出発点になり、今後の新しい「原日本

文化論」の基礎になることを願うものである。


 



梅原猛 (本書より引用)



以下、本書より引用



しかし、この土器の芸術的な美しさを発見したのは、岡本太郎氏であった。前衛芸術の

旗手として、はなやかな青春時代をパリで送った岡本太郎氏は、日本に帰って、日本の

伝統芸術に絶望した。日本の伝統芸術には、なにひとつ太郎氏を満足されるものはな

かった。太郎氏がたったひとつ感激したのは、縄文土器と土偶であった。彼はそこに、

まさに日本が世界に誇るべき芸術を見たのである。



岡本太郎氏が縄文土器や土偶に芸術をみとめたのは、もちろんピカソの影響であろう。

ピカソは、アフリカの土着人の彫刻に影響を受けて、抽象絵画の運動を起こした。その

ピカソの影響のもとにあった岡本太郎氏の眼が、やはりアフリカの土着人の芸術と、ど

こか共通なものをもつ縄文の土器や土偶に、素晴らしい芸術作品を見出したのであろう。



日本が韓国あるいは中国の影響をもろに受けるのは、弥生時代以後である。紀元前

300年ごろ、稲作農業をもったひとにぎりの人たちが北九州の一角にやってきて、そこ

に日本ではじめて水稲農業を行った。この水稲農業の技術はたいへん優れているとこ

ろをみると、それは秦による中国の統一の勢いに圧せられた戦国時代の、どこかの国

のアッパークラスの民が、朝鮮半島にしばらく滞在した後に、亡命してきたにちがいない

のである。稲作農業はこの高温で、水に恵まれた日本には適合し、たちまちのうちに日

本は稲作農業の国になった。



それが弥生時代の到来である。稲作農業は北九州から瀬戸内海沿岸を東進し、近畿

地方にやってきて、肥沃な平野に恵まれた筑紫地方と近畿地方が大きな稲作農業文明

の根拠地となった。そして日本の国づくりがはじまるのである。あちこちにたくさんの国が

でき、国と国とが戦い、そして、その国々はやがて大和を中心とするひとつの国家に統一

されていく。この稲作農業は、縄文文化の影響の強い東の国では強い抵抗にあい、なか

なか尾張と三河のあいだが破れなかったが、200年ほどして、やがて東の地にも伝えら

れ、ついに紀元2世紀ごろには東北の果てにまでおよんだ。



日本の支配者は、この稲作農業民の子孫であり、彼らは土着の縄文人と混血したとは

いえ、「自分は外来者である」という意識を失わなかった。それが「記紀」において「天(あ

ま)ツ神(かみ)が国(くに)ツ神(かみ)を征服する」という思想になるわけである。



賢治の世界観は、どこか藤原清衡の世界観を思わせるところがある。彼は岩手県を

「イートハトヴ」といい、花巻を「羅須(らす)」とよび、北上川の川岸を「イギリス海岸」と

よんだ。それは、東北を日本の辺境と見ず、広く世界に通じる普遍的場所と考えたゆえ

であろう。中尊寺を中心として、そこにひとつの世界を構成しようという清衡の世界観と

は多少内容はちがうが、ほぼ似た世界観がここにある。賢治の世界には、宇宙に偏在

する生命にたいする強い共感が見られる。彼は多くの童話と詩を書いたが、けっして小

説は書かなかった。それは賢治の世界観と深く関係しているように思われる。小説は、

やはり人間中心の物語である。賢治は人間だけが世界において特別な権利をもってい

るとは考えない。鳥や木や草、獣や山や川にいたるまで、すべてが人間と同じように永遠

の生命をもっていると賢治はみなしている。



永遠なる生命を付与されながら争わざるをえない人間の宿命と、その宿命からの超越、

それが賢治が詩で歌い、童話で語る世界である。そのような世界観を、私はかつては

仏教の世界観と見ていたが、あるいはそれは、仏教移入以前の日本にすでに存在した

世界観かもしれない。そして、この東北の地が、そのような世界観を永く保存し、それが

賢治の詩や童話となってあらわれたと見るべきだろう。



賢治の童話にはときどき、われわれの世界とはちがった世界に住んでいる、もうひとつ

の世界の住人が出てくる。たとえば、『祭の晩』などがそれである。それは山の神の秋の

祭の晩に、亮二という子供が山人と出会った話である。亮二は山男に金を貸した。山男

は、ちょっとばかりの借金に、百把の薪と栗の実をどっさりもってくる。この山男というの

はなにか。山人は、マタギのことであろうか。おそらくそれは、マタギではあるまい。マタギ

は山人であるが、農耕をする里人となかよく暮らしている山人だが、この山人はちがう。

農耕している人間から隔絶された山奥で、この世界とはまったくちがった、不思議な生活

をしている人間なのである。しかし、この山人は正直なのだ。この世界の人間よりずっと

よい人間だということを賢治は言おうとしているのだ。



あの有名なシュバイツァーは、動物の中に人間と同じような生命があることを直感し、黒人

の救済に一生を捧げようと決意したという。キリスト教の聖書によれば、植物はもちろん、

すべての動物はもともと人間に奉仕するよう神によって創造されているのである。こういう

思想が常識となっている西洋人にとって、あのシュバイツァーの直感は、むしろ反聖書的な

思想であり、そういう思想に基づいて彼は、従来のヨーロッパ人がなしえなかったヒューマ

ニズムの行動を、あえてすることができたのである。



ヨーロッパ人にとっては、新しい思想であるシュバイツァーの直感も日本人にとってまこと

に常識的な思想である。動物に人間と同じような生命をみとめるのは日本の思想の常識

である。しかし、賢治の思想は、はるかに先に進んでいるように思われる。賢治は、熊に

宗教的な儀式を行なわさせているのである。おそらくは人間よりもはるかに丁重に、殺し

た人間を葬って、その魂を天に送る。熊は、人間よりもはるかに冴え冴えとして、笑って

いるようにさえ見えたという。小十郎は、喜んでいるのである。熊を殺さねば生きていけな

い修羅の世界を超えて、熊のために自らを犠牲にしたのを喜んでいるのである。小十郎

は菩薩になったのである。そして、熊たちは、菩薩となった小十郎に心からの祈りを捧げ

て、小十郎の霊を清い清い天に送ろうとしているのである。小十郎の霊は天にいき、あの

雪空に光り輝く星のひとつになるにちがいないのである。



賢治がそれを意識し得たかどうかはわからない。しかし、私は優れた詩人は、民族の忘れ

られた記憶をよびもどす霊力をもっていると思う。賢治はこのような霊力をもった詩人であ

る。『なめとこ山の熊』の話は童話である。しかし、それは子供だけが読む童話ではない。

きわめて深い意味をその中に秘めている童話である。宮沢賢治は、まだ発見されたばか

りの詩人であり、思想家なのである。



想像力の能力は、嘘の能力でもある。啄木はけっして普通の意味において、誠実な人間で

あったとは思えない。彼の書いた小説や日記に、すべて本当のことが書いてあるとは思えな

い。彼は『悲しき玩具』で、

「あの頃はよく嘘を言ひき。平気にてよく嘘を言ひき。汗が出づるかな。」

「もう嘘をいはじと思ひき。それは今朝、今また一つ嘘をいへるかな。」

などとうたっているが、嘘は想像力の裏側なのである。東北の人たちの話を聞いていると、

嘘か本当かよくわからないことがある。多くの東北人は豊かな想像力に恵まれていて、奔放

な想像力のままにいろいろ話をしているうちに、その話に酔って、自分でも嘘と本当のけじめ

がわからなくなってしまうのであろう。詩人啄木のこの嘘の告白は、はなはだ率直な東北人

の自己告白ではないかと、私は思う。この点も啄木は、太宰と似ている。



強い自負と奔放な想像力において、啄木も太宰も賢治も共通であるが、賢治には啄木と太宰

のもたないものがある。それは賢治は、啄木や太宰とちがって、現実生活においても思想に

おいても、東北にいすわっていることである。啄木や太宰は、やはり思想的に、近代主義者で

ある。近代主義者であった啄木や太宰は、東北人としての自分を、心の底に深い愛着を抱き

つつも激しく呪った。しかし賢治はちがう。彼は東北を愛し、その思想も、近代主義を超えてい

るのである。賢治は自ら意識せずしてこの地にはるか縄文時代から伝わる思想を根底としつ

つ、近代思想を超えて、人類が救われるべきはるか遠くの未来の思想を指し示していたので

ある。



この縄文土器の美を発見したのは、前にも述べたように岡本太郎氏である。美というのは、

すでに存在しているものであるが、やはりそれは誰かによって見い出されるものである。日本

の仏像の美を見い出したのは、フェノロサや岡倉天心であったし、木喰(もくじき)や円空(え

んくう)の仏像や民芸の美を見い出したのは柳宗悦なのである。縄文土器もそれまで、数多く

の人が見ていたはずであるが、それが美であり、芸術であるとはっきり宣言するのには、や

はり岡本太郎氏の前衛芸術によって養われた審美眼を待たねばならなかった。おそらく田中

さんなどの昭和20年代における縄文土器の発掘者にも、岡本太郎氏の影響があるにちがい

ないのである。



縄文土器は、科学的に明らかになり、芸術的にもその美をみとめられたといえる。しかし、そ

れによって縄文土器が理解されたとはいえないのである。



ヴォリンガーの言葉によれば、ひとつの文化にはひとつの芸術意志が支配しているという。彼

は世界の文化の芸術意志を二つに分けた。抽象と感情移入。西ヨーロッパは感情移入的な

表現の意志を、そしてエジプトや小アジアは抽象的な表現の意志をもつと、彼は考えた。



いま、もし縄文土器の代表を中期の諏訪地方の土器にとり、それを弥生式土器と比べると、

そこに明らかに表現意志のちがいがある。弥生式土器の場合、それははなはだ機能に忠実

である。瓶(かめ)なら瓶、壺なら壺がどのようにあるべきか、どのような瓶や壺が、もっとも

使用に便利であるか。そういう機能性によって、弥生式土器はつくられている。そして弥生式

土器には文様はほとんどない。わずかに、あるいは口のあたりに、あるいは首のあたりに、

少しだけ線が刻まれているだけである。それを貫く表現意思は、機能性の意志であり、単純

化への意志である。この弥生式土器のかたわらに縄文式土器、特に中期の諏訪地方の土器

を置いてみると、それがまったくちがった精神に貫かれていることがよくわかる。



それはどういうふうに使われたかはよくわからないが、その形はふつうの意味の機能を大き

く離れている。むしろ縄文土器の形は機能に抵抗し、機能を否定するかのようにすら見える。

そこに支配しているのは、機能性への意志ではなくして、呪術性への意志であり、そのあまり

にも強烈な呪術性は、過剰な形となり、複雑な文様となり、土器の外に溢れんばかりなので

ある。



あれだけアイヌ文化を研究し、アイヌ文化を愛したはずの金田一京助は、多くの国語辞典は

つくったが、ついにアイヌ語辞典はつくらなかった。また、知里真志保もバチェラーの辞典を

ひどく悪口をいったが、聞くところによると、彼はたえずバチェラーの辞典をもって歩いたとい

うのである。知里真志保はアイヌの血を受けた人であるが、彼はもともとアイヌの習俗をきら

って、英文学者になろうと志したのである。やがて彼はアイヌ語研究にもどったが、彼は必ず

しも上手にアイヌ語を話せなかったらしいのである。知里真志保は戦争中、文部省の依頼を

受けて人体と動植物に関する辞典をつくったが、それはたしかによい辞典であるが、多少、

趣味に偏るきらいがある。たとえば男女の生殖器に関する言葉が異常に多いのである。こ

れは、アイヌ語にそういう言葉が多いことにもよるかもしれないが、ひとつは知里真志保の

趣味であったように思われるバチェラーの辞典の悪口をあれほどいうならば、もっとよいア

イヌ語の辞典をつくることが、アイヌにたいする真の愛情であると私は思うのだが、どうであ

ろうか。知里真志保とともに金田一京助の弟子であった久保寺逸彦は、アイヌの神謡の研究

者として大きな仕事をしたが、ひそかに辞典をつくっていたのである。それは主として、自分

の研究のためのものであろうが、出版するあてもなかった。師の金田一京助によって、アイヌ

語は日本語とまったく関係のない、滅びつつある異国人の言語にすぎないものとされた以上、

だれがいったい好んでアイヌ語を勉強しようか。金田一理論は、無意識的にアイヌ語の研究

の息の根をとめたと、私は思う。



久保寺逸彦の密かにつくっていた辞書ばかりか、まだ他にも辞書をつくっていた人がいたの

である。知里真志保の兄の知里高央も英語の教師をしつつ、アイヌ語の辞書をつくり死後出

版されたが、それはなにぶんにも未整理であるのが惜しまれるのである。また、帯広でアイヌ

の教育に一生を捧げ、アイヌ学校の廃止以来、アイヌの言語や文化の研究に力を尽くしてき

た吉田巌は、アイヌの辞書を、アイヌ文化の研究書とともにつくっていたのである。それは広告

や生徒の出勤簿の裏に書かれた原稿である。おそらく原稿用紙を買う金がないために、そう

いう紙を用いたのであろうが、きちんといつでも出版できるように、それはつくられていたので

ある。私はそれを見て目頭が熱くなり、ある出版社に話して近く出版されることになった。どう

して日本人は、このようにアイヌ研究を虐待したのであろうか。遠い東南アジアやアフリカの

調査に多くの金を注ぎ込んでいるのに、なぜアイヌ研究に限ってこのような虐待をするのか。

私は、それは明治以降の日本のアイヌ政策と深く関係していると思う。この政策の根本的な

反省が必要とされるのである。



しかし、会津は、疑いもなく、東北の中でも例外的に弥生文化の浸透が早い。それはなぜか。

それは広い盆地と水と暖気候のせいであろう。この会津盆地は、かつて湖であったといわれ

る。おそらくはそうであろう。稲作農業文化が紀元前3世紀頃から日本に入ってきて、わずか

数世紀の間に日本中に広がったというのは、当時の日本の地質学的状況と関係があるらし

い。なぜなら、氷河時代が終り、氷がとけることによって大陸の端にある日本列島はたいへん

な影響を受けたのである。日本列島は氷河時代においてもともと大陸の一部であった。それ

が氷がとけるにつれて、大陸から離れ、ほぼ1万年前には大陸から完全に孤立してしまった

のである。この最近の地質学の成果の語るこの事実は、日本と日本人を語る場合に見逃す

ことができないと思う。それはあまりに恐ろしい体験である。自己の住んでいる土地がだんだ

ん沈んでゆく、それはユダヤ民族におけるノアの箱舟以上の恐ろしい日本人の原体験であっ

たと思われるが、日本の神話にはそういう話はない。しかし、そういう神話がないからといって、

日本人の下意識の中に、このような自分たちの住んでいる大地が徐々に沈んでゆき、他の

人類から自分たちだけが孤立してゆくという恐怖感が存在しないであろうか。この地面の沈下、

海面の隆起は、今から約6千年前に頂点に達する。この時代には、河内平野も関東平野も

ほとんど海につかってしまったのである。6千年前といえば、それほど古いことではなく、縄文

中期から前期にかけてである。火焔土器において頂点に達するあの縄文の神秘主義は、こ

のような陸の沈下、海の高まりの恐怖とはたして無関係であろうか。



自分の中に存在し、一切の自分の行為を知り、自分を守る憑き神を信じていたら、そうやす

やす嘘はつけない。なぜなら、その憑き神は、自分の知らないうちに、他人の憑き神に真実

を知らせるかも知れないからである。



言霊の信仰もおそらく、そのことと関係があろう。言霊信仰はアイヌもたいへん強いが、古代

日本にもたいへん強かった。言霊は、けっして書かれた文字にあるのではない。それは、口

に出して言い表した言葉にあるのである。いったん言葉が言い出されたからには、その言葉

を守らねばならない。それでないと言霊に罰せられる。



これが古代日本人とアイヌのもっとも中心的な信条であり、倫理であり、このような信条、倫理

が守れない人間は、一人前の人間として扱われない。



こういう倫理はアイヌ社会にもttも強く残っているが、これは古代日本人の倫理でもあり、現代

日本人にもそういう倫理の残存がある。



しかし、このような倫理は、アイヌに強く残る縄文人の倫理であっても、弥生人はそれと別の

倫理をもっていたと思う。いって見れば、彼らは必ずしも全面的に言霊を信じていなかったよ

うである。



たとえば、記紀にあらわれた神武天皇や日本武尊の話、そして彼等が、まつろわぬ蝦夷まで

平げたのは、ひとつには武力によるが、それ以上、詭計によるのである。そしてまたアイヌ側

には、倭人にだまされた多くの話が残っている。



縄文人と弥生人の嘘についての倫理的判断はちがっていたと思われる。縄文人にとって、嘘

は悪どころか、本来、それは不可能なものである。しかし、弥生人はもはや、そんな憑き神を

信じない。そこでは嘘も方便なのである。むしろ結果がよかったら、嘘は許されるというより、

奨励すべきものであり、嘘をつかないのは、馬鹿ということになる。



このような倫理はどこからくるのか。私は、この日本に稲作農業をもたらし、国をつくった弥生

人は、多くマキャベリストではなかったかと思う。なぜなら、紀元前3世紀というのは、秦の始皇

帝によって中国が統一され、戦国時代が終りを告げた時代であるが、おそらく、弥生文化を

もって日本にきたのは、中国の戦国時代のどこかの国の遺民であるにちがいない。



戦国時代は、マキャベリズムの全盛時代である。儒教も、孟子の性善説はすたれ、荀子の

性悪説が流行した時代である。性悪説は、孫子や、戦国策などの兵家思想と結びつく。六韜

三略の思想が全盛した時代に、戦に敗れて、新しい土地を求めて日本に亡命した弥生人が、

マキャベリズムの思想の信仰者であったのは当然であろう。マキャベリズム思想をすこしでも

信じる限り、嘘はけっして悪ではないのである。



美に共鳴しあう生命


 


目次

改訂にあたって



序章 日本文化の源流を探る

「故郷」としての東北

世界最古の文化

「縄魂弥才」ということ

隠された原日本人の魂

日本の基層文化

アイヌ文化と縄文文化

原日本文化への旅立ち



一章 大和朝廷の前進基地・多賀城

多賀城と大宰府

戦いの碑

わが母なる東北



二章 「大盗」もふれえなかった平泉文化の跡

奥州の中心地・平泉

アイヌ文化と平泉

優雅なる毛越寺

藤原氏滅亡のあとに



三章 宮沢賢治の童話の語る日本人の隠された心の深層

日いずるところ・北上

鬼と権現様

縄文の遺民・マタギ

宮沢賢治の世界

修羅の世界を超えて

賢治の霊力

光太郎の自虐



四章 山人と神々の声のこだまする遠野

柳田国男と『遠野物語』

山人と里人

おしらさまと性器崇拝



五章 強い自負と奔放な想像力をもつ東北の詩人たち

失意の詩人・啄木

東北の自負



六章 洞窟の奥深く隠されたもの

祭と熱狂

「洞窟」の意味するもの

「火」と縄文文化

黄泉への入口



七章 みちのくの果てに栄えた華麗な文化

北上川の哀感

俘囚の民

火の神とともに

夷には夷を

白木の霊性

霊地と死霊信仰

祖先の血のぬくもり

磨消縄文の世界

縄文文化の「ハレ」と「ケ」

土偶の呪術性



八章 ディオニュソス的空想と熱狂の地・津軽

祭と死霊

ディオニュソスの熱狂

虚無思想の誘惑

太宰治と津軽

津軽人の自尊心

津軽人の豊かな想像力

津軽を彩る霊の世界



九章 「おしらさま」の意味するもの

おしらさまの本山・久渡寺

聖なる女性 イタコ

人形の原形

地にあるものたちへの共感

白木崇拝の意味

ストンサークルの謎

石柱は宇宙のシンボル

アイヌと古代日本人

アイヌ異民族説の誤謬

閉ざされていたアイヌ研究

なまはげの怒り



十章 生霊・死霊の故郷、出羽三山

死霊の棲む山

山岳崇拝と仏教

山人のすさまじき顔

聖域としての温泉



終章 新たな文化原理の発掘



別章 会津魂の深層

『古事記』の世界

出会いの場所

越の縄文文化とのつながり

古代文化の先進地

二つの文化の基層

美意識と倫理のちがい

古墳にみる中央権力

反中央権力の僧

徳一と会津

会津の中の日本


 


「甦る縄文の思想」梅原猛・中上健次 有学書林 より抜粋引用



昭和58年の秋に、私は「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」なる本を書いた。それは、東北の文化を縄文

文化・蝦夷文化の視点から見直そうとした著書であるが、ここで私は、従来の東北論とはいささか異なった

視点で、東北文化を見た。



従来、多くの日本人の東北地方にもつイメージは、雪に閉ざされた生産力の低い辺境の地であるというイメージ

と、中央政府の意向に従わない野蛮な蝦夷の住む国であるというイメージであった。東北は、この二つのイメージ

を重くその背に負っていた。東北の各地の博物館などをまわってすぐに気のつくことは、どこの博物館でも、いか

に東北地方に早く稲作農業が伝わったか、いかに中央政府の華がこの東北地方に見事に咲いたかを強調して

いることである。自分たちの住んでいるこの地方が決して稲作に適していない国ではなく、また自分たちが決して

野蛮な蝦夷の子孫ではなく、まがうことなき倭人、純粋日本人の子孫であることを懸命に強調しているかのよう

だった。



このように東北人は、自分たちが蝦夷の子孫であることを隠し、自分たちがおそらくは蝦夷の最も純粋な子孫

であると思われるアイヌと同一民族とされるのを極端に嫌ったのである。



私の東北論は、このような従来の東北論と正反対である。東北人は肉体的にも精神的にも蝦夷の血を多分に

受けている。それゆえ東北人は、最も純粋な蝦夷の子孫であるアイヌと深い関係をもっているということである。

しかも、この蝦夷というのは、もともと日本に土着していた旧石器時代の人間の血を引く縄文人の子孫である

が、その縄文文化は、狩猟採集文化としては、世界的に見ても非常に高度な独自性をもった文化なのである。

その土着の縄文人と、紀元前3世紀以後に日本に渡来した稲作農業の民、弥生人の混血によって生じた倭人

は、いつまでも狩猟採集生活という、倭人から見れば一時代前の生活形態を捨て切れない蝦夷を軽蔑の目で

もって見てきた。しかしその蝦夷の文化は意外に高く、そして長い間この蝦夷と血を血で洗う戦いを続けた後に

この国の支配者となった倭人すら、その生産形態や政治組織こそ、先進農業国であった東アジア大陸の国々

から学んだが、その風俗・習慣・言語・宗教などは土着文化すなわち蝦夷文化に負っている。それが私の新しい

東北文化論の視点であった。



このような視点で日本文化をみるとき、縄文文化こそは日本の深層文化あるいは基層文化であり、その深層

文化あるいは基層文化の上に、それから以後の文化、弥生文化、古墳文化、律令文化、王朝文化、武家文化

などがのっかっていて、後世の文化は深くこの深層あるいは基層にある縄文文化の影響を受けているという

ことにならざるを得ない。



とすれば、アイヌ文化や東北文化が従来とはまったく違った視野のもとに見えてくるのである。それらの文化は、

わが日本文化の深層にある縄文文化の名残りを最も強く残す文化であるということになる。



縄文文化が最も純粋に残存する文化はアイヌ文化であると思われるが、不幸なことに日本人は明治以降、

アイヌを日本人とまったく血のつながりのない人種とみなして、アイヌ文化を日本文化とまったく異質な文化

とし、そのような未開の文化を一掃して、アイヌに一般の日本人並みの文化を享受させることがアイヌにとって

最もよいことだと信じてきた。そのために、北海道開発の名のもとに、アイヌ文化を全体として消滅させること

に政策の重点が置かれたのである。百年にわたるこの誤った政策によって、アイヌ文化は絶滅に瀕している。

アイヌ語を話し、アイヌの神事を行うアイヌは、七、八十代の古老を除いて、ほとんどいなくなってしまったので

ある。私はこのことを、近代日本が行った最大の文化的蛮行の一つであったと思う。しかも、そのことについて、

日本人はまったく罪の意識をもっていないのである。アイヌを原始的生活状態から救うという名目で、日本人は

自己の基層文化を、最も明確にとどめている大切な文化を、自らの手で葬ってしまったのである。







2012年4月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



フィリピンの刑務所に服役している方が作った聖母マリア像で大切にしているものです。



随分前のテレビでブッダの足跡を追ったNHKの番組があり、梅原猛さんと瀬戸内寂聴さんが解説して

おられた。晩年のブッダが母親の故郷だったか亡くなった場所を目指していたのではないかとの問い

に、瀬戸内寂聴さんは「それはありません。ブッダはそれを超えた目的のために向かった」と話してお

られましたが、梅原猛さんは瀬戸内寂聴さんに対して「いや、仏陀の心の奥深くにはそれがあった」と

言っておられたのが強く印象に残っています。



ブッダ、そして梅原猛さんも生まれて1週間後に母を亡くしています。宗教学者の山折哲雄さんは梅原

猛さんのことを次ぎのように記しています。



「仏教にたいする梅原さんの心情の奥底には、母恋いの気持が隠されている。それは微かに沈殿して

いるときもあるが、激流となってほとばしることもある。梅原さんがしばしば語っているように、それは養

父母に育てられた体験からきているのかもしれない。とりわけ、母上に早く死なれてしまった辛い体験

が、その後の梅原さんの思想の形成に大きな影を落としているためなのであろう。その深い喪失感が、

梅原さんの文章に切迫した気合いをみなぎらせ、その言葉に美しいリズムを生みだす源になっている

のだと思う。」



ブッダ、そして梅原猛さんは同じ喪失感を味わったものだけしか理解しあえない次元で繋がっているの

かも知れません。



勿論、瀬戸内寂聴さんの「仏教塾」は万人に理解できる言葉で仏教を紹介している素晴らしい文献です

が、それと同様に梅原猛さんの「梅原猛の授業 仏になろう」はユーモアを交えながらも奥の深さを感じ

ます。また手塚治虫が書いた漫画「ブッダ」と共に、今読み始めている「超訳 ブッダの言葉」小池龍之介

・翻訳もそのような優れたものなのかも知れません。



私は読んだことはありませんが、当時の日本の哲学界の重鎮であった西田幾太郎や田辺元を梅原猛

さんは評価しながらも批判をしています。



「西田・田辺の精神はよろしい。西洋哲学と東洋哲学を総合して、今後の人類に生きる道を示すような

独創的な哲学を立てるという精神には大賛成です。だけど、もっとやさしく語れ、もっと事実に即して語れ

というのが、私の学生時代からの西田先生、田辺先生に対する批判です。」



専門家向けに書かれた本なら専門用語を駆使して書くことは当然かも知れません。しかし万人を対象と

するとき、敢えて難しい言い回しや専門用語を使うことは、自らの学問の使命を忘れているのではと感じ

てなりません。勿論私の読解力のなさがそう思わせている面もあるのですが、学問は人類に限らず地球

や地球に生きるもののためのものであるはずです。学問を自分自身の名声・名誉や金銭、社会的地位

を得るための手段としてしか捉えられない者は、哲学であれ科学であれ道を踏み外しているように思い

ます。



「母の愛を象徴化したような観音やマリア崇拝が、宗教の根源ではないか」と梅原猛さんは言っています

が、梅原猛さんが母の慈愛を観音様に重ね合わせるように、私は聖母マリアに重ね合わせているので

しょう。



ただ児童虐待などで母の慈愛を感じらずに育った子供たちは、物心がつくまえに母を亡くした方と同じよ

うな喪失感が横たわっているのかもしれません。



(K.K)



 

 


2012年3月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



火焔型土器(縄文土器)の真価を初めて発見した岡本太郎



私は読んでいませんが、岡本太郎著「画文集・挑む」1977年、岡本太郎著「みずゑ」1952年2月号

「縄文土器論」の中で、「太陽の塔」で有名な芸術家、故・岡本太郎氏は次ぎのように記しています。



☆☆☆☆



○「偶然、上野の博物館に行った。考古学の資料だけを展示してある一隅に何ともいえない、不

思議なモノがあった。 ものすごい、こちらに迫ってくるような強烈な表現だった。何だろう。・・・・

縄文時代。それは紀元前何世紀というような先史時代の土器である。驚いた。そんな日本があっ

たのか。いや、これこそ日本なんだ。身体中に血が熱くわきたち、燃え上がる。すると向こうも燃え

あがっている。異様なぶつかりあい。これだ!まさに私にとって日本発見であると同時に、自己

発見でもあったのだ。」



○「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する隆線文、これでもかこれでもかと

執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を

主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである。」



☆☆☆☆



この縄文時代の火焔型土器は、岡本太郎氏より前に多くの考古学者や人類学者が目にしてき

ました。彼らは刻まれた文様などの解釈に悩んでいたのだと思います。しかし彼らの頭の中では

論理的思考しか働いておらず、土器が持つ「生命力」を感じることが出来ずにいました。この火焔

型土器(縄文土器)の再発見のいきさつを思うと、左脳の論理的思考だけでは真実は見えてこな

い、右脳の創造性や直感も如何に大事かを教えてくるのではと思います。この意味での「平衡感

覚」が「在るべき人間」に備わっていると私は感じます。



先に紹介した分子生物学者の福岡伸一氏は、「光の画家」として知られるフェルメール(1632年か

ら1675年)の作品に独自の解釈をした文献も出されているようです。学者の中でもこのような平衡

感覚が備わっている方はいますが、「在るべき人間」とは、知能や知識などで判断されるものでは

決してないと思います。



誰が話したか覚えていませんが、「毎朝、妻の寝顔を見ると、新しい女がいつもそこに眠っている」

という感覚。縄文人にとっては、一日一日が美や創造の再発見であったのかも知れません。



最後に私が尊敬する哲学者・梅原猛氏の岡本太郎氏に関する記述を紹介して終わりにします。

これは「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」梅原猛著からの引用です。



☆☆☆☆



この縄文土器の美を発見したのは、前にも述べたように岡本太郎氏である。美というのは、すで

に存在しているものであるが、やはりそれは誰かによって見い出されるものである。日本の仏像

の美を見い出したのは、フェノロサや岡倉天心であったし、木喰(もくじき)や円空(えんくう)の仏像

や民芸の美を見い出したのは柳宗悦なのである。縄文土器もそれまで、数多くの人が見ていたは

ずであるが、それが美であり、芸術であるとはっきり宣言するのには、やはり岡本太郎氏の前衛

芸術によって養われた審美眼を待たねばならなかった。



☆☆☆☆




(K.K)



 

 


2012年3月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



知里幸恵(ちり ゆきえ)1903年〜1922年



知里幸恵さんは、「アイヌ神謡集」を完成させたその夜に心臓発作のため19歳の生涯を閉じる。

それはカムイユカラを「文字」にして後世に残そうという金田一京助からの要請を受け、東京の

金田一宅で生活していた時のことであった。



私は今までインディアンのことを知ろうとしたが、今振り返るとそれは自分が全く安全な場で考え、

思いを巡らせることに安住していたのかも知れないと思うことがある。



私が18歳の時、北海道各地を一人旅したのだが、阿寒湖の近くのお土産屋さんで興味半分に

「ここはアイヌの人が住んでいるんですか?」と聞くと、女性の店員は警戒したような様々な感情

が入り混じった眼で一瞬私を睨んだ。



私はその時、自分がアイヌに関して何も知らず、そして彼らが辿ってきた歴史に何か隠された

ものがあると感じ、そんな軽はずみな質問をした自分を恥ずかしく感じたことを思い出す。



アイヌや奄美・沖縄が辿った苦難の歴史、それはインディアンと違い、自分は安全な場で考え、

思いを巡らせることはできないのかも知れない。何故なら私の祖先が加害者や被害者、そして

無関心という傍観者として何らかの形でアイヌ・蝦夷と沖縄に関わってきたのは事実なのである

から。



アイヌ文化を研究してきた金田一京助、しかし日本人の基層であるアイヌ・縄文文化を滅び行

く文化として葬り去ったのは金田一京助本人かも知れない。



最後に知里幸恵さんの言葉を紹介して終わりにします。



☆☆☆☆



平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は

町に次第々々に開けてゆく。



太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に山辺に嬉々として暮らしていた多くの

民の行方も亦いずこ。僅かに残る私たちの同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはる

ばかり、しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝き

は失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらね

ばならぬ。



あさましい姿、おお亡びゆくもの・・・・・・それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を私たち

は持っているのでしょう。



時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の

私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩を並べる

日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座い

ます。 



「アイヌ神謡集」知里幸恵より抜粋引用



☆☆☆☆



(K.K)



 

 

2012年6月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





4月16日に投稿した円空の像、もっと知りたいと思い「歓喜する円空」梅原猛著を読みました。



江戸初期1632年、岐阜県に生まれた円空は、兵庫から北海道まで足を伸ばして、大地の異変を鎮め、

人間ばかりかすべての衆生を救うために12万体の仏像を彫ります。



円空は縄文時代からの神と仏教を習合させた修験者でしたが、その生涯は常に衆生救済を目的とし、

64歳のときに長良川畔にて入定しました。



入定とは土中の石室などに入り、掘り出されずに埋まったままの即身仏のことを言います。



長良川畔を入定の地として選んだのは、洪水の害を防ごうとする円空の強い意志を示しており、それ

は彼の生母が洪水で死んだという梅原氏の仮説を裏づけるものだそうです。



また土地の人々は長良川に大水が出ると円空の霊が蛇となって現われ、避難を勧めるという言い伝

えがあります。



現代の前衛芸術を凌駕する円空仏像に見られる感性、そして和歌に見られる神々と遊ぶ子どもの

ような円空の魂、私は円空に魅せられてしまいました。



この文献で心に残った箇所を下に紹介しようと思います。



☆☆☆☆



◎円空は私にとってもはや一人の芸術家にすぎない存在ではない。むしろ彼は私に神仏習合思想の

深い秘密を教える哲学者なのである。



◎『円空歌集』の和歌には「楽」「喜」「歓」という言葉がしばしば登場する。私は円空の思想の中心は

生きている喜び、楽しみを礼賛することであると思う。それはまさに神々の清らかな遊びである。



◎私はあえて言いたい。今回、円空の歌集を西行の『山家集』とともに読んだが、西行の歌より円空

の歌の方により強い感銘を覚えた。円空の歌を西行の歌と比較するなど、とんでもないことであると

多くの人は言うかもしれない。たしかに歌としては西行の歌の方がはるかに巧みである。また、円空

の歌には誤字や脱字があり、「てにをば」も誤っている。にもかかわらず、円空の歌には今までどの

ような日本人の歌にも見られない雄大な世界観が脈打っている。まるで超古代人の声が聞こえてく

るようである。



◎「祭るらん 産の御神も 年越へて 今日こそ笑へ 小児子(ちごのね)ノ春」(一一七三)

春になり年が明けた。今日こそ産土(うぶすな)の神を祀って、大いに笑おう、子どもたちよ。

良寛のように子どもたちと無心に遊んでいる円空の姿が目に浮かぶようである。この笑いの精神は

空海の精神に結びつく。私は若い時、人生を不安・絶望の相に見る実存哲学から自己を解放する

ために「笑いの哲学」なるものを構想し、笑いを価値低下という概念で考えたが、笑いはそのような

概念で解釈されるべきものではない。その時はまだ私は空海の言う「大笑」というものをよく理解し

ていなかった。今ようやく円空を通じて空海の「大笑」の意味が少しは理解できるようになったので

はないかと思う。



◎「老ぬれは 残れる春の 花なるか 世に荘厳(けだかけ)き 遊ふ文章(たまづさ)」(一四二一)

これは今の私の心境をぴたりと表したものである。円空がこの歌を作ったのは六十歳頃であると思

われるが、私はそれよりさらに二十年の歳をとり、八十歳を超えた。そのような老人にも春があるの

である。私はまだ花を咲かせたい。学問の花、芸術の花を咲かせたい。学問や芸術はしょせん遊び

なのである。遊びのない学問や芸術はつまらない。作者が無心になって遊んでいるような学問や芸

術なくして、どうして人を喜ばせることができようか。円空の仏像制作は地球の異変を鎮め、人間ば

かりかすべての衆生を救うためであった。菩薩は人を救うことを遊びとしている。私もこの歳になって

ようやく菩薩の遊び、円空の遊びが分ってきた。その遊びは荘厳なる遊びでもある。遊びと荘厳、そ

れはふつうは結びつかない概念であるが、それが結びついたところに円空の芸術の秘密があろう。



☆☆☆☆




(K.K)



 


2012年3月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「生命とは自己複製を行うシステムである」



私の机の上に置いてある鉄腕アトム。小学生の頃、胸をワクワクしながらテレビの画面に魅入って

いた。アトムは「ひょっこりひょうたん島」のダンディと並んで、これからもずっと私のヒーローであり

続けるだろう。



アトムはロボットだが、生命(生物)とは何だろうとその定義を探してみた。生物学では「生命とは自己

複製を行うシステム」だが、この定義だとアトムは生物になる可能性がある。勿論、生物学で言って

いるこの自己複製の意味はDNAのことなのだが、アトムほどの人工知能があれば、別の意味で自分

の複製を作り続けることは可能のような気がする。またこの意味とは別に、この生命の定義に何か

釈然としないものを感じていた。



最近、分子生物学者の福岡伸一さんの本を読んだが、この生命の定義に対して同じ疑問を感じて

おられ、また他に多くのことを教えてくれた。福岡さんはベストセラーになった「生物と、無生物のあ

いだ」
「動的平衡」など沢山の本を出されているが、その中に生命とはという定義を次のように書

いている。



「生命とは動的平衡にある流れである」



今アトムを見つめる私は、1年前と同じ私のままである。しかしその身体を作る細胞は絶えず自己

複製をしながら、1年前とは全て違う分子で出来ている。生命とは、「その流れがもたらす『効果』で

あるということだ。生命現象とは構造ではなく『効果』なのである」(『動的平衡』より引用)。



この定義だとアトムは生命(生物)ではない。



でも、もしアトムが目の前に現れたら、私は人間(生物)と同じと感じるかも知れない。確かにその

身体は金属の構造で出来ており「動的平衡にある流れ」ではないが、アトムは美と共鳴する何か

を持っている。美それは創造主・神と置き換えてもいいかも知れない。



私たち生物にしろ、ロボットにしろ、それは同じ素粒子(クォーク)から出来ている。これ以上分解

できない単子が素粒子なのだが、この素粒子の正体は振動ではないかと最近の量子力学は捉

えている。



銀河系や太陽系が出来る遥か以前、或いは宇宙創生の頃の素粒子の振動は形を変えずに現在

も保持され続ける性質を持ったものだろうか。



そして私の身体を作っている素粒子、その振動は何を記憶しているのだろうとも考えてしまう。振動

と記憶を結びつけて考えること自体滑稽であり、自分の頭がますますおかしくなっているのではとさ

え思う。



ただ



美(創造主・神)と素粒子という二つの振動が共鳴しあっていたとしたら。

共鳴し合いながら、長い時間をかけて生物の多様性を形作ってきたとしたら。



机の上にちょこんと立っているアトムを見ると、小学生の頃テレビや漫画で見たアトムにも美(創造

主・神)に共鳴するものが宿っていると感じてしまうのだ。



最後に、私は量子力学を勉強したわけでもなく、ただ自分の想いや願いに同調する言葉だけを捉え

て無理に結び付けようとする危険性を犯していますので、一人の狂人の笑い話と捉えていただけた

ら幸いです。



☆☆☆☆



哲学者・梅原猛さんの言葉(「アイヌの霊の世界」藤村久和著より)を紹介して終わりにします。



「人間にたいする愛情のない学問というものはつまらないものだ。

どこかはずれているのだ。」



☆☆☆☆



(K.K)



 


2013年2月5日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



ヴェラ・メンチク(1906-1944)・写真は他のサイトより引用



現在でも光り輝く星・ヴェラ・メンチク、彼女はチェスの世界チャンピオンを倒したこともある実力を持ちながら、

第二次世界大戦のドイツの空爆により、38歳で亡くなる。



上の写真はメンチク(前の女性)がクラブの23人のメンバーと同時対局(18勝1敗4分け)した時の写真である

が、彼女の偉業を称えて、チェス・オリンピックでは優勝した女性チームに「ヴェラ・メンチク・カップ」が現在に

至るまで贈られている。



彼女のような輝く女性の星が再び現われるには、ユディット・ポルガー(1976年生まれ)まで70年もの年月が

必要だった。チェスの歴史上、数多くの神童や天才が出現したが、その中でもひときわ輝いていた(人によっ

て評価は異なるが・・・)のがモーフィー(1837年生まれ)、カパブランカ(1893年生まれ)、フィッシャー(1943年

生まれ)である。



他の分野ではわからないが、このように見ると輝く星が誕生するのは50年から70年に1回でしかない。



20世紀の美術に最も影響を与えた芸術家、マルセル・デュシャン(1887年〜1968年)もピカソと同じく芸術家

では天才の一人かも知れない。1929年、メンチクとデュシャンは対局(引き分け)しているが、デュシャンは

チェス・オリンピックのフランス代表の一員として4回出場したほどの実力を持っていた。



「芸術作品は作る者と見る者という二本の電極からなっていて、ちょうどこの両極間の作用によって火花が

起こるように、何ものかを生み出す」・デュシャン、この言葉はやはり前衛芸術の天才、岡本太郎をも思い出

さずにはいられない。世界的にも稀有な縄文土器の「美」を発見したのは岡本太郎その人だった。



「チェスは芸術だ」、これは多くの世界チャンピオンや名人達が口にしてきた言葉だ。この言葉の真意は、私

のような棋力の低い人間には到底わからないが、それでもそこに「美」を感じる心は許されている。



メンチクの光、芸術の光、それは多様性という空間があって初めて輝きをもち、天才もその空間がなければ

光り輝くことはない。



多様性、それは虹を見て心が震えるように、「美」そのものの姿かも知れない。





2012年4月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



ダウン症の女流書家【金澤翔子】の活動とパソコン教室日記 より引用



「ことだま」 金澤翔子さん・書 写真は他のサイトより引用



「ことだま」という言葉の響きにずっとひかれていた。



言葉というものは体の中から外の世界へ吹きだされる風、その風に乗ってつむぎだされていく。



昔の人はこの言葉に霊力があると感じてたが、そのように捉える感性を私は忘れてしまってい

るように感じる。



言葉に霊力があるから、決して嘘をついてはいけない。



これはアイヌインディアン世界の先住民族に共通する捉え方だったように思う。



しかし、私から吐き出される言葉から嘘が時どき出てしまう。



相手のことを考えた「いい嘘」もあれば、そうでない「わるい嘘」もある。



金澤翔子さんが書いた「言霊」に接すると、本来の言葉のもつ霊力を感じ、立ち戻らなければ

と感じてしまう。



(K.K)



 


2013年1月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



(大きな画像)


本日1月9日、夜明け前の光景です。


冬の思い出、私が小学1年の頃だったか、火鉢の沸騰したヤカンを足に落としたことがあった。

足が真っ赤に腫れ、母は私をおんぶして遠くの病院まで連れて行ったが、当時は救急車など

なかったのだろう。



鹿児島市内に火傷に関しては名医がいるというので、その病院に行ったのだが、そのお陰で

大きな火傷の跡は残っていない。ただ、おんぶされて何度も病院に通ったとき感じた母の背中

の温もりや想いは、私の心に刻まれている。



児童虐待など、母や父の想いを感じられず育った子供は、その穴を、長い人生をかけて何ら

かの方法で埋めていかなければならない。昔の人が言った「三つ子の魂百まで」は、幼いころ

の性格は年をとっても変らないことを意味しているが、自我が確立しておらず、無意識の中に

いる3歳までの時期は、その後の長い人生を形作るといってもいいのかも知れない。



異論はあると思うが、少なくとも3歳までは周りの人たちの助けを借りながら、親の想いを浴び

つづける満たされた時期であってほしい。



ブッダ、日本各地に赴き12万体の仏像を彫った円空、そして私が尊敬する哲学者・梅原猛さん

は幼いときに母親を亡くした。この深い喪失感は体験した者だけしかわからないのだろう。ブッダ、

円空、多くの人々を救ってきた彼らの光は、私には垣間見ることさえ出来ない深みから発せられ

ているのかも知れない。



☆☆☆☆



2015年8月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




縄文のヴィーナス(2012年、国宝に指定された土偶の3分の1のレプリカ)

(大きな画像)

実物の「縄文のヴィーナス」はこちら



土偶が何故創られたのか様々な説がある。生命の再生、災厄などをはらう、安産のための身代わり、大地の豊穣を願うなどなど。



今後も新たな説が生まれてくると思うが、時代の背景を踏まえながら全ての先入観を捨て(完璧には不可能だとしても)、純度の

高い目で土偶に向き合う姿が求められているのかも知れない。



今から30年前、この土偶に関しての衝撃的な見解が「人間の美術 縄文の神秘」梅原猛・監修に示された(私自身、最近になって

知ったことだが)。



殆どの土偶(全てではない)に共通する客観的な事実、「土偶が女性しかも妊婦であること」、「女性の下腹部から胸にかけて線が

刻まれている(縄文草創期は不明瞭)」、「完成された後に故意に割られている」など。



アイヌ民族や東北に見られた過去の風習、妊婦が亡くなり埋葬した後に、シャーマンの老婆が墓に入り母親の腹を裂き、子供を

取り出し母親に抱かせた。



それは胎内の子供の霊をあの世に送るため、そして子供の霊の再生のための儀式だった。



また現在でもそうかも知れないが、あの世とこの世は真逆で、壊れたものはあの世では完全な姿になると信じられており、葬式の

時に死者に贈るものを故意に傷つけていた。



このような事実や背景などから、梅原猛は「土偶は死者(妊婦)を表現した像」ではないかと推察しており、そこには縄文人の深い

悲しみと再生の祈りが込められていると記している。



「縄文のヴィーナス」、現在でも創った動機は推察の域を出ないが、そこに秘められた想いを私自身も感じていかなければと思う。



縄文人に限らず、他の人類(ネアンデルタール人、デニソワ人など)や、私たち現生人類の変遷。



過去をさかのぼること、彼らのその姿はいろいろな意味で、未来を想うことと全く同じ次元に立っていると感じている。






Forgetful? Distracted? Foggy? How to keep your brain young | The Independent




人類発祥時からの流れをつかむ、その探求を避けては真の哲学の意味など見出せないでしょう。

哲学=西洋哲学ではなく、人類が先ず世界とどのように関わってきたのか、太古からの生き方を

受け継ぐ世界各地の先住民族の考え方や視点、そしてその世界観を知ることを基底としなければ

ならないと思います。現在の自分自身の立っている場を正しく捉えるためにも、この探求は必要

不可欠なものだと感じます。




「ギリシャ、エジプト、古代印度、古代中国、世界の美、芸術・科学におけるこの美の純粋にして正しい

さまざまの反映、宗教的信条を持たない人間の心のひだの光景、これらすべてのものは、明らかに

キリスト教的なものと同じくらい、私をキリストの手にゆだねるために貢献したという私の言葉も信じて

いただいてよいと思います。より多く貢献したと申してもよいとすら思うのです。眼に見えるキリスト教

の外側にあるこれらのものを愛することが、私を教会の外側に引き留めるのです。」

シモーヌ・ヴェイユ「神を待ちのぞむ」より






アビラの聖女テレサ(イエズスの聖テレジア)の生涯と「霊魂の城」

「夜と霧」 ドイツ強制収容所の体験記録 ヴィクトール・フランクル著 霜山徳繭訳 みすず書房

「100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか」ジュリアン バジーニ (著), 河井美咲 (イラスト), 向井 和美 (翻訳) 紀伊国屋書店

「薩垂屋多助 インディアンになった日本人」 スーザン小山 著

「シャーマニズムの精神人類学」癒しと超越のテクノロジー ロジャー・ウォルシュ著 安藤治+高岡よし子訳 春秋社

「哲学大図鑑」ウィル バッキンガム (著), 小須田 健 (翻訳) 三省堂

「チベット永遠の書・宇宙より遥かに深く」テオドール・イリオン著 林陽訳 徳間書店

「人類哲学序説」梅原猛・著 岩波新書

「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」比嘉康雄著 集英社新書

「みるみる理解できる相対性理論」Newton 別冊

「相対性理論を楽しむ本」よくわかるアインシュタインの不思議な世界 佐藤勝彦・監修

「生物と無生物のあいだ」福岡伸一 著 講談社現代新書

「脳科学が解き明かす 善と悪」なぜ虐殺は起きるのか ナショナルジオグラフィック

「英語化は愚民化」施光恒・著 同化政策の悲劇を知らない悲しい日本人

「進化しすぎた脳」 中高生と語る大脳生理学の最前線 池谷裕二著 講談社

「野の百合・空の鳥」&「死に至る病 」(漫画) キルケゴール(キェルケゴール)

「生と死の北欧神話」水野知昭・著 松柏社

プラトン 「饗宴」・「パイドロス」

「人類がたどってきた道 “文化の多様化”の起源を探る」海部陽介著 NHKブックス

良寛『詩歌集』 「どん底目線」で生きる  (100分 de 名著) NHKテレビテキスト 龍宝寺住職 中野東禅・著

カール・ラーナー古希記念著作選集「日常と超越 人間の道とその源」カール・ラーナー著 田淵次男 編 南窓社

「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」ウォール&アーデン著 舟木 アデル みさ訳 築地書館

「ホピ 神との契約」この惑星を救うテククワ・イカチという生き方 トーマス・E・マイルス+ホピ最長老 ダン・エヴェヘマ 林陽訳 徳間書店

「火の神の懐にて ある古老が語ったアイヌのコスモロジー」松居友著 小田イト語り 洋泉社

「新版 日本の深層」縄文・蝦夷文化を探る 梅原猛 著 佼成出版社

「沖縄文化論 忘れたれた日本」岡本太郎著 中公文庫

サンデル「正義とは」ハーバード白熱教室 & 「ソクラテスの弁明(マンガで読む名作)」プラトン・原作

「意識の進化とDNA」柳澤桂子著 集英社文庫

「宗教の自殺 さまよえる日本人の魂」 梅原猛 山折哲雄 著 祥伝社

「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」福岡伸一 著 木楽舎

「アンデス・シャーマンとの対話」宗教人類学者が見たアンデスの宇宙観 実松克義著 現代書館

「沖縄の宇宙像 池間島に日本のコスモロジーの原型を探る」松井友 著 洋泉社

「木が人になり、人が木になる。 アニミズムと今日」岩田慶治著 第16回 南方熊楠賞 受賞 人文書館

「史上最強の哲学入門」飲茶・著 河出文庫

「10代からの哲学図鑑」マーカス・ウィークス著 スティーブン・ロー監修 日暮雅通・訳 三省堂

「面白いほどよくわかるギリシャ哲学」左近司 祥子・小島 和男 (著)

「哲学者とオオカミ 愛・死・幸福についてのレッスン」マーク・ローランズ著 今泉みね子・訳 白水社

「エデンの彼方」狩猟採集民・農耕民・人類の歴史 ヒュー・ブロディ著 池央耿・訳 草思社

「ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く」 リサ・ランドール著 塩原通緒・訳 NHK出版

「カラマーゾフの兄弟 (まんがで読破)」ドストエフスキー・作 バラエティアートワークス

「罪と罰 (まんがで読破)」ドストエフスキー・作 バラエティアートワークス

「夜間飛行 (まんがで読破)」サン=テグジュペリ・作 バラエティアートワークス

「若きウェルテルの悩み (まんがで読破)」ゲーテ・作 バラエティアートワークス



美に共鳴しあう生命

オオカミの肖像







アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)に関する文献

夜明けの詩(厚木市からの光景)

アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)

美に共鳴しあう生命

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