「Capablanca's 100 Best Games of Chess」

H.Golombek著

1947年発行 絶版


   

   



Lowestoft Chess Club - David LeMoir Interview

著者 Harry Golombek(右)

この文献の詳しい紹介はこちら(ChessBase)







Russell Brandom :: Whim Quarterly




「Chess Informant 640 Best 64_Golden Games」より引用

史上最強の棋士は誰かと言う質問に対して、カパブランカの名を挙げるチェスファン

は案外多いかも知れない。勿論現代チェス理論並びに日々発展していく定跡を過去の

名人達も精通した上での仮定が大前提であるのだが。その仮定なくして単なるレイティ

ングだけで判断してしまうと、レイティングの性質上常に現代に近い世代のチャンピオン

が常に史上最強者となってしまう。現代チェス理論並びに定跡において共通の分母が

出来ればいいのだが、その判定基準も曖昧であり、史上最強者の名前は人それぞれ

によって異なってくるのは当然かもしれない。ただ、チェス界のドン・ファン的な存在で

あったカパブランカだが、頂点にいた頃「不敗の名人」と呼ばれ、1914年から27年にか

けて負けたのは約220局中たったの5局。勿論この中にはアリョーヒンラスカーなど

一流のプレーヤーが入っているのだが、フィッシャーカスパロフでさえ到達することの

出来なかった極みなのだ。また彼が書いた文献は名著として今も輝いている。




 





歴代世界チャンピオンの肖像Serkan Ergun
serkan-ergun-the-world-chess-champions-by-serkan-ergun | Serkan Ergun

(大きな画像)


歴代チェス世界チャンピオン

名前 チャンピオン在位期間 その時の年齢 
 1 Wilhelm Steinitz 1886〜1894  50〜58
2 Emanuel Lasker  1894〜1921  26〜52
3 Jose Raul Capablanca 1921〜1927 33〜39 
4 Alexander Alekhine 1927〜1935  1937〜1946 35〜43 45〜54
5 Max Euwe 1935〜1937 34〜36 
6 Mikhail Botvinnik  1948〜1957 1958〜1960 1961〜1963 37〜46 47〜49 50〜52
7 Vasily Smyslov  1957〜1958  36 
8 Mikhail Tal  1960〜1961  24 
9 Tigran Petrosian  1963〜1969  34〜40 
10 Boris Spassky  1969〜1972  32〜35 
11 Bobby Fischer  1972〜1975  29〜32 
12 Anatoly Karpov  1975〜1985  24〜34 
13 Garry Kasparov  1985〜1993  22〜30 
14 Vladimir Kramnik  2006〜2007  31〜32 
15 Viswanathan Anand  2007〜2013  38〜43 
16 Magnus Carlsen  2013〜present  22〜






 
   "The Immortal Games of Capablanca" by Reinfeld
この文献で紹介されているカパブランカの棋譜

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Jose Raul Capablanca's Best Games Compiled by KingG
で紹介されているカパブランカの棋譜

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Capablanca's Best Chess Endings (Irving Chernev)
この文献で紹介されているカパブランカの棋譜

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カパブランカの名局



Jose Raul Capablanca vs Juan Corzo
Capablanca - Corzo (1901) ・ Queen Pawn Game: Krause Variation (D02) ・ 1-0




「カパブランカ13歳のときのゲーム。キューバのチャンピオンに対するマッチのなかでも

決め手となったゲームであるとともに、天才児による最高のゲーム。」


「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用



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Ossip Bernstein vs Jose Raul Capablanca
"Phi Beta Capa" (game of the day Sep-17-04)
Moscow 1914 ・ Queen's Gambit Declined: Orthodox Defense. Main Line (D63) ・ 0-1




この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




「カパブランカの最終手はチェス史上最も有名な一手のひとつ。」

「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用



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Jose Raul Capablanca vs Ossip Bernstein
"Idle Ossip" (game of the day Apr-29-07)
St Petersburg (1914) ・ Queen's Gambit Declined: Barmen Variation (D37) ・ 1-0
Master Class - Jose Raul Capablanca: a review | Chess News


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Jose Raul Capablanca vs Alfred Schroeder
Rice Memorial (1916), New York, NY USA, rd 10, Jan-29
Queen's Gambit Declined: Orthodox Defense. Henneberger Variation (D63) ・ 1-0


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Jose Raul Capablanca vs David Janowski
New York (1918) ・ Queen's Gambit Declined: Capablanca Variation (D30) ・ 1-0

Master Class Vol. 04: Jose Raul Capablanca | Chess News

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Jose Raul Capablanca vs Frank James Marshall
"Novelty Gift" (game of the day Nov-19-07)
New York (1918) ・ Spanish Game: Marshall Attack. Original Marshall Attack (C89) ・ 1-0




この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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Jose Raul Capablanca vs Savielly Tartakower
"Rook Before you Leap" (game of the day Jan-10-12)
New York (1924) ・ Horwitz Defense: General (A80) ・ 1-0




この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい

解説がされています。「7段目のルーク・・・カパブランカは、本局でルーク+ポーン終盤の

極意を見せてくれる。ルークで7段目を抑え、キングを6段目に進めるのだ! カパブランカ

は、キングとルークを要所へ向わせるために、貴重なポーンをいくつか犠牲にする。すると、

相手のキングは、メイトの狙いを避けることで手一杯になり、ポーンを守っていられない。数

手の間に4つのポーンが取られ、その後の抵抗ももちろん絶望的となる。カパの整然とした

わかりやすい指し方がとても理解しやすいので、この終盤は美しいだけではなく、それ自体

が見事な教材になっている。」・・・本書より抜粋引用




「カパブランカの最も有名なエンドゲーム。ルークとポーンによるエンドゲームの古典例。」

「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用



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Jose Raul Capablanca vs Rudolf Spielmann
"One Man Gathers What Another Man Spiels" (game of the day Feb-21-11)
New York (1927) ・ Queen's Gambit Declined: Barmen Variation (D37) ・ 1-0



この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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カパブランカ 対 ジャーマン/ミラー/スキリコーン(相談戦)
Jose Raul Capablanca vs Allies
London consultation 1920 ・ Queen's Gambit Declined: Traditional Variation (D30) ・ 1-0




「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい

解説がされています。「戦略的駒繰りの威力・・・本局は、典型的なカパブランカのゲームだ。

つまり、単純で模範的に見えるが、その中には巧妙な駆け引きが潜んでいる。カパブランカ

は、序盤で手に入れた優位を中盤を経て終盤まで引き継いだ局面から勝ちをひねり出す。

その優位は感知できないほどわずかなもので、センターにより近いキングと相手より活動的

なルークだ。それだけでは不十分だが、おかげでカパブランカはあるポーンに注目し、取り

囲んで取り除く。1ポーン得してしまえば、パスポーンが前進する道が開けるので、カパブラン

カが勝つことは朝飯前だ。すべてがスムーズに難なく行われる。カパブランカが『白番、勝ち』

の終盤問題をゲーム内で実証しているかのように。カパブランカのように指すことは無理か

もしれないが、彼のゲームから勝つテクニックを大いに学ぶことはできるだろう。」

・・・本書より抜粋引用




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Aron Nimzowitsch vs Jose Raul Capablanca
"The Other Immortal Zugzwang" (game of the day Feb-01-09)
New York (1927) ・ Caro-Kann Defense: Advance Variation (B12) ・ 0-1




「カパブランカは何とニムゾヴィッチ流で、当の対戦相手の手を指して勝利をおさめた。」

「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用



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Frank James Marshall vs Jose Raul Capablanca
Capablanca - Marshall (1909) ・ Tarrasch Defense: Rubinstein System (D33) ・ 0-1




「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい

解説がされています。「抗しがたいポーンの猛進・・・カパブランカは、いつもの簡単そうな

スタイルで勝ち方を披露している。マーシャルには目立ったミスがないのに、カパブランカは、

たった15手でクイーン側のポーンの優位を勝ち取る。このわずかな利点さえ手に入れれば、

彼が勝つには十分なのだ。黒のポーンが機会あるごとに着実に前進するので、その昇格

を防ぐために、マーシャルはついにピースを捨てねばならなくなる。その続きは、例を見な

いほどおもしろい。2ポーンと引き替えにビショップ得のカパブランカが、マーシャルのキング

をメイトの包囲網で固めるまで、さらに14手しか必要としないのだ。本局について、ライバル

にはお決まりの賛辞しか贈らないラスカーがこう述べている。『カパブランカの指し方は、わ

ずかな優位をどう生かすべきかのお手本である』」・・・本書より抜粋引用




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David Janowski vs Jose Raul Capablanca
"The Left-Right Hook" (game of the day Feb-24-06)
Rice Memorial (1916) ・ Slav Defense: Three Knights Variation (D15) ・ 0-1



「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい

解説がされています。「豪華な棋風で・・・1924年のニューヨーク大会の棋譜集で、アリョーヒン

がカパブランカVSイエーツ戦についてこう述べている。『カパブランカのプランは、ハイパー

モダンの棋士が皆うらやむことしかできない、新鮮な戦略的才能に満ちている』 本局では、

カパブランカが、あらゆる棋士のスタイルを完全に自分の物にしたことを示している! 10手目

で始まる巧妙な戦略は、ラスカーの深遠な構想によるものだろうか。ポーンで相手を強く抑圧

する手は、フィリドールに匹敵する。攻撃方向の転換は、ボゴリュボフの攻撃を思い出させる。

キング側でピースを取るためにクイーン側でポーンを捨てるのは、シュピールマンの棋風だし、

そして、見晴らしのいい中での2ルークによるメイトの狙いは、ニムゾヴィッチVSバーンスタイン

戦(カールスバート1923)の結末に触発されたのかもしれない。全局は、アリョーヒンの息をのむ

ような華麗さにあふれているようだ。カパブランカによって指されたという事実を除けば!」

・・・本書より抜粋引用




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Vera Menchik vs Jose Raul Capablanca
Hastings 1930/31 (1931) ・ Indian Game: Capablanca Variation (A47) ・ 0-1




「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい

解説がされています。「芸術的なピース交換・・・本局には、特段の見せ場がないようだが、

全局を並べるのは楽しい。そこには、カパブランカの驚くべきテクニックの興味深い側面が

見られる。最もありきたりな手順から有利さを引き出す天賦の才能が。本局を例に取ると、

メンチク女史が、できるだけ多くのピースを交換してドローに持ち込もうとする。この単純化

する試みを避けるどころか、カパブランカは交換を歓迎し、交換するたびに少しずつ有利な

局面に変えていく。ピースがほとんどなくなる頃には、彼の陣形的な優位がポーン1個分以

上になっている。カパブランカには、どんな終盤戦も簡単そうに見せる比類なき能力がある

ので、余分のポーン1個あれば十分だし、本局の終盤戦での彼の勝ち方を見るのは楽し

い。」・・・本書より抜粋引用




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Frank James Marshall vs Jose Raul Capablanca
New York (1918) ・ Queen's Gambit Declined: Orthodox Defense. Main Line (D64) ・ 0-1




「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい

解説がされています。「ツークツワンクにはめられて・・・『戦略に秀でたマスターは、攻撃志向

の好敵手より常に勝っている』と言えば、言い過ぎだろうか。それにしても、攻撃志向棋士の

なんと哀れなことよ! 例えばヤノフスキー、マーシャル、イエーツ、コーレ、ボゴリュボフ、

ミーゼス、タルタコーワの攻撃的強豪に対して、カパブランカは、トーナメントとマッチで対戦し

た全62局中2敗しかしていない。(中略) 本局では、カパブランカが中盤戦の初めに優位を

確保するためにポーンを捨てる。少しの間(この戦略に十分な間)、マーシャルのピースたち

が完全に拘束される。攻撃を受けているナイトは動けず、そのナイトを守る両ルークは、どち

らも c ファイルから離れられない。キングは、自分ではほとんど何もできない。マーシャルに

残されたのは、ポーンの弱々しい指し手だけだ。これが尽きると、マーシャルは、はめ手を

一つか二つ試した。これは功を奏さず、彼はキングを倒して降伏することになる。本局での

カパブランカのゲーム運びは、まことに感動的だ。戦略的な指し方の威力を示すこの上ない

実例を見ていこう。」・・・本書より抜粋引用




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Emanuel Lasker vs Jose Raul Capablanca
"Havana Knights" (game of the day Oct-17-08)
Lasker-Capablanca World Championship Match (1921) ・
Queen's Gambit Declined: Orthodox Defense. Rubinstein Variation (D61) ・ 0-1




この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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カパブランカが解説した局

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カパブランカの全棋譜




Chess Notes by Edward Winter

1922年8月23日 ロンドンのトーナメントにて




London (1922)


London (1922)


このトーナメントの全棋譜


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Chess Notes by Edward Winter


ホセ・ラウル・カパブランカ

Jose Raul Capablanca)1893年〜1940年



以下、 「激闘譜」マックス・エイベ著より引用




チェス史上最高の天才の一人といわれるホセ・ラウル・カパブランカは1888年11月19日

ハバナで生まれ1921年から1927年まで世界チャンピオンの座にありました。4才になら

ない頃、彼は父親がその友人と遊んでいるチェスを見ながらルールを覚えてしまったとい

います。小さなホセ坊やが、ハバナ・クラブの強豪であるイグレシヤ氏と、「クイン落ち」の

ハンディキャップ戦ではありますが、生涯の第一局に快勝したのもこのときでした。そして

この勝利は、未来のチャンピオンへの道の急成長を予言するものだったのです。8才、彼

が小学生のとき、日曜ごとにチェス・クラブに精を出し、家でもひまがあればチェス盤をもち

出して研究を続けました。こうして、11才のときにハバナ最強にランク。彼の才能の進歩の

速さは、13才のときに当時のキューバ・チャンピオン、コルソを破ってチャンピオンとなった

ことが示しています。これは当時としてまったく前人未到のスピードだったのです。このあと

彼は大学教育を目指して、アメリカで主に生活しました。しかし、チェスへの情熱が彼のす

べてを奪い、大学はほんの短い期間在籍しただけになりました。そして全米をチェス行脚、

強敵を文字通りなぎ倒しながら・・・・・・・・。


1909年、カパブランカは“最高段者”の仲間入り。当時最強のGMであり、世界チャンピオン

への挑戦者であったマーシャルに対する勝利、そして1911年のサン・セバスチャンGMトー

ナメントでビドマール、ルビンシュタイン、マーシャルを一しゅうしての優勝は彼自身を、全天

にひときわ輝く新星であるとして確立しました。(GMとはグランド・マスターの略) 3年後の

セント・ペテルスブルグ(今のレニングラード)GMトーナメントでラスカーと初めて対戦し最終

局で敗れました。このトーナメントで2位を得た彼は世界チャンピオンへの挑戦権も同時に

獲得。しかし、第一次大戦のため、ラスカー、カパブランカの試合は1921年まで延期の止む

なくとなりました。ハバナでのこの対決は、全然予期されない結果に終りました。カパブランカ

が4勝そして10引分け、24番勝負ということで開始したこの試合で、ラスカーが中途棄権し

てしまったのです。27年間も続けてチャンピオンの座にあり、伝説的な強さを持ったラスカー

が一局も勝つことなしに敗北するとは一人として予想するところではありませんでした。こう

して、カパブランカの夢は現実となりました。


マスコミは彼を“神のちょう児”としてもてはやしました。プレーヤーたちは彼の足跡にあこがれ

“チェス機械” いまでいえば「コンピューター」という仇名をつけもはや、打ち勝つことのできない

超人だと思い込むほどでした。輝かしい、自身にあふれた勝利の数々、マスコミの人気はいよ

いよ上昇、こうしたことがカパブランカをして自から超人である錯覚を持たせました。自己研鑽

と研究の能力もにぶり出し、自己防衛本能が顔を出します。1927年ニューヨークにおける、

マッチ・トーナメントで、彼はアリョーヒン、マーシャル、ビドマール、ニムゾビチシュピールマン

等の挑戦者たちを個別撃破したとき、このことが明白に現われました。ラスカーただ一人不参

加、そしてこれはカパブランカの内密の要求の結果だったといわれています。


この勝利は正に彼の“白鳥の歌”でした。アリョーヒン以外しかし、それを見破ることができなかっ

たかも知れないとしても、全カパブランカではなかったのです。彼には、“チャンピオンの座に再任

される”、神の御恵みによって折りよく与えられた絶好の機会として、懸案のアリョーヒンとの試合

がとっても待ち遠しく感じられたことでしょう。しかし、劇的な大接戦の結果、この試合に準備怠る

ことのなかったアリョーヒンは、ブエノス・アイレスにおいて、ついにチャンピオンの座をカパブランカ

から奪いました。


タイトルを失った後、1928年から1939年にかけて、カパブランカは諸競技会で好成績をあげて

います。最後の公式競技会、1939年ブエノス・アイレス・オリンピックで、彼はキューバ・チーム

の一将として出場しました。彼の無限の才能が、最後の輝きとなり、アリョーヒンに後塵を与えて

一将として優勝。3年後の1942年3月8日彼は永遠の旅立ちとなりました。


カパブランカは、ほんのごく僅かでもよい優勢をどのように導き出すかを知っており、これが

“チェス機械”という仇名の由来でもありました。彼の棋風はまったく合理的で、生涯583局の

うち302勝246引分け、負けはわずか35局。特に1914年から27年にかけて失ったのは

たったの5局。これは今日の最高位者といえども誰にも達成することのない業績で、生涯、

不敗の名人の名が彼につきまとっていた理由が判りましょう。カパブランカは実戦家としてだ

けでなく、チェス・ライターとしても著名でした。彼は世界中のチェス誌に数百の実戦講評や

文章を寄稿しました。1920年処女作“私のチェス歴”を上梓し自選35局を講評。1932年

“初心者の手引き”を世に出し、世界中でベストセラーになりました。カパブランカは史上

最も偉大なプレーヤーの一人。彼が急逝したとき、愛と尊敬をこめて賛美するものが絶えま

せんでした。そして、これを最もよく表現したのが、アリョーヒンだったでしょう。「彼の死に

よって、私たちはもはや決してこの世に見ることのできない最も輝かしい唯一の天才を

失った」。


 
 





以下、「白夜のチェス戦争」ジョージ・スタイナー著 より以下引用




一般のチェス競技者にとって、カパブランカの試合を盤上に再現することは、しびれる

ような体験である。その論考『チェス頭脳(The Chess Mind)において、「カパブランカには、

統御に失敗する危険をなんらおかさずに、手順を算定する判断力があった。ひとつの判断

がべつの判断につぶされても、カパブランカの最終判断がほとんど無効にならなかったこ

とは、マーシャルという名うての攻めの大家を相手どった冷酷な、さけようのないものにみ

えるこの偉大な名人の勝利が立証する」とジェラルド・エイブラムズはのべている。カパブラ

ンカの全盛時には、著名な棋士がたいていこの下りをもってむすぶことになった。いくつか

の可能性に直面したとき、複雑な、あるいは危険な局面にあっても、カパブランカは正しい

手順をえらびだした。ほかのどんな名人にもまして、盤面のもつれた鋼鉄の糸さながらに突

きとおす純粋論理の、最適連続手の武装をかれは点検した。カパブランカの単刀直入な棋

風は、ながらくチェス・コンピュータに組みこまれてきたが、いままでのところ成功していない。

彼の才気には、死のような静けさがある。エイブラムズとともに、そのアンソロジー『チェスの

マスターたちの偉大な輝きの賞受賞試合』(Chess Brilliancy Prize Games of the Chess Mas

ters)』で、オーストリアのルドルフ・スピールマンをくだしたカパブランカの勝利(1927年ニュ

ーヨーク)をフレッド・ラインフェルドば分析している。18手目の、白のビショップとポーン2個

の交換は劇的な一撃だが、綿密にしらべるならば、それはほとんどとるにたらない自明のも

のである。カパブランカは、クイーンを7列目に進めるにあたって、ただ地勢のみとおしをよく

するため、黒のクイーンとルークを盤上からうばいさったのだ。つづく手順は文字どおりの

完全無欠である。


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さらに立派な試合は、1921年の世界選手権の第10局だ。ラスカーが白番で指した最初の

16手のなかに、ほんものの弱点をつきとめることは、きわめてむずかしい。ここから議論と分析

がはじまる。「17手目の配置は」エイブラムズは書いている。「チェスの偉大な歴史的瞬間とし

て当然かたりつがれるだろう。ラスカーが失敗を回避していたら、チェス史の流れはひどくちがっ

たものになっていたはずだ」。よりどころがあったにせよ(ラスカーはあやまったビショップでカパ

ブランカのナイトを攻撃したのか)、チャンピオンのクイーン・ポーンは弱体になった。このたった

ひとつの要因に端を発し、傷のない正確さで、カパブランカのいっさいの措置はとられた。あら

ゆる罠をさけ、物的利益を早々につかみたい誘惑をはねのけて、51手ののち、カパブランカは

もっとも静かな、もっとも致命的な勝利をもぎとった。そのポーンを、クイーンに成る8行目に進

めたのである。


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Capablanca v Bogoljubow, Moscow, 1925





以下、「決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣」

ガルリ・カスパロフ著 近藤隆文訳 NHK出版 より引用




世界チャンピオンはしばしば対を成して登場する。偉大なキューバ人チャンピオン、ホセ・

カパブランカのことを思い浮かべたら、アレクサンドル・アリョーヒンのことを考えずにいる

のはむずかしい。カパブランカは1921年、ハバナでの決戦で初老のエマーヌエル・ラスカー

に圧勝して第三代世界チャンピオンになった。“カパ”は無敵と思われ、10年間に1敗しか

喫しなかった時期もある。



ところが、彼は王冠を6年しか保持できず、1927年にブエノスアイレスでアリョーヒンに奪わ

れることになる。動かぬ山はロシア人の破格の才気と鉄の意思によって動かされた。つづ

く10年間、再試合を求めるカパブランカの努力もむなしく、アリョーヒンは二度とキューバ人

と対戦しようとしなかった。一方でアリョーヒンは格下エフィム・ボゴリューボフ(アリョーヒン

と同じロシアからの亡命者)の挑戦を二度にわたって退け、その後オランダのマックス・

エーヴェとの対戦で“事故”に見舞われ、2年間タイトルを明け渡している。1946年、世界最

高のプレーヤーであった時代はとうに終わっていたものの、アリョーヒンはタイトルを保持

したまま死去した唯一のチャンピオンとなった。現在、ふたりはそれぞれが確立した棋風

の究極のシンボルとして存在する。よどみないポジショナル・プレーを得意とする棋士はか

ならず「カパブランカのように指す」と言われ、鋭い攻撃を持ち味とする者はきまって「アリ

ョーヒン2世」と称される。



カパブランカはいみじくもチェス史上最大の天才として記憶されている。彼は電光石火の

早業で局面を理解し、しかも誤ることはなかったといっていい。明快で整然としたプレーは

棋士仲間からも、のちの世代からも大いに称えられた。もっと早い時期にチャンピオンの

タイトルに挑む実力があったのは間違いないが、第一次世界大戦と財政面の事情から、

その必然的な勝利は先延ばしされたのである。カパブランカはチェス盤を離れても、その

魅力と端麗な容姿で知られていた。故国から名誉職の外交特使に任命されたおかげで、

彼は自由に旅行して人生を楽しむことができ、その使命を存分に活用した。



アリョーヒンは多くの点でカパブランカの対極にあると考えられる。したがって歴史上ふたり

が対になるのは当然であり、避けることはできない。アリョーヒンのチェスは奔放で、たいが

い奇怪なほどむずかしく、他に類のない複雑な意図に満ちていた。私が最初に手に入れた

チェスの本のひとつはアリョーヒンの名局集だった。彼のゲームは何度再現しても、そのたび

に驚きと新しい発見がある。向こう見ずなスタイルは恐れる敵を圧倒した。こういうチェスがや

りたいと私は思ったものである。



アリョーヒンはチェスのことばかり考えていた(飼い猫までチェスと名づけたほどだ)。プレー

しないときは執筆に励み、残りの時間は研究に費やす。およそ魅力的な人物とはいえなかっ

たが、当人はどこ吹く風だった。だが過度の飲酒で健康とキャリアを損ない、1935年の衝撃

的(で短期的)な失冠は、オランダ人挑戦者マックス・エーヴェの強力なプレーと周到な準備

に加えて、飲酒癖も大きな原因になったとされることが多い。以後、敵を見くびることなく、

牛乳を飲んで摂生したアリョーヒンは2年後にタイトルを奪還した。




 


「チェス戦略大全T 駒の活用法」

ルディック・パッハマン著 小笠誠一訳 評言社 より引用



タラッシュの思考の「効率」や試合で起こり得るすべての問題の単純化などの基本的な考えは、第3代世界

チャンピオン、ホセ・ラウル・カパブランカ(1888〜1942)によってその頂点を極めた。カパブランカは多くの讃美

を受け、チェスの天才と一般に考えられている。彼の試合には驚くほどの正確さがある。彼は重大な誤りを犯す

ことはほとんどなく、素晴らしい直感をもっていた。彼はわずかな有利を推し進めて、中盤を簡素にして勝利に

つなげることを得意とした。カパブランカの試合はチェス技法を完成させた。彼の常々の目的は単純化であり、

明瞭でない局面は避け、危うい冒険の手を指すことはなかった。1921年、ラスカーとの世界選手権で勝利を手

にした後、彼は多数の大会に参加し、常に勝利を収めた。そのなかには、1927年のニューヨーク・トーナメント

(6人のトップ・グランドマスターによる、それぞれの4ゲーム・マッチ)も含まれる。この時点ではチェスはあたかも

絶頂に達したかのように見えた。カパブランカ自身、チェスにはもはや謎は何一つないと述べ、卓越したマスター

がお互いにドローへもっていく技術を身に付けたら、試合は死に至ると予言した。しかし、カパブランカが正に

絶頂を謳歌していたそのとき、すでに凋落の兆しが忍び寄っていたのである。




 



チェスの歴史上、最強の人間は誰だったか、それは人の感性や棋力により答えが異なるのは当然かと

思います。現在のレーティング(強さの数値)で判断すると、必ず現在の棋士がトップに来ますが、それは

チェスのイロレーティング(Elo rating)が年に数%づつインフレを起こしているためです。ですから最も公平

な見方は、同時期に存在した多くの名人たちとの比較などでしか判断できないかも知れません。例えば時

代別にA・B・Cの名人を並べると、AとB、BとCは対戦が多く優劣の判断はできるが、AとCは対戦したこと

がない。このような場合、AとC、どちらが強いかを判断するには、Bの存在で測ることも可能です。AとBの

勝率、BとCの勝率などで、AとCの力関係を推察することができる。しかし、この比較も名人と言えども全盛

期とそうでない時期、そして相性の問題も当然あるのでやはり確定することはできないように思います。私

個人としては、モーフィーカパブランカフィッシャーがチェス史上最強かと思いますが、カスパロフに関し

ては序盤研究のプロ集団を雇っていた彼にはその資格はないと思います。そして大事なことは、たまたま

チェスに接することがなかっただけで、その素質は彼らより上という人間も人類誕生から今日まで沢山いた

ことを忘れてはいけないと思っています。


2013年1月31日 K.K





Chess Notes by Edward Winter

前列左から、J.R. Capablanca, Edward Lasker, J. Bernstein and F.J. Marshall




2013年2月5日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



ヴェラ・メンチク(1906-1944)・写真は他のサイトより引用



現在でも光り輝く星・ヴェラ・メンチク、彼女はチェスの世界チャンピオンを倒したこともある実力を持ちながら、

第二次世界大戦のドイツの空爆により、38歳で亡くなる。



上の写真はメンチク(前の女性)がクラブの23人のメンバーと同時対局(18勝1敗4分け)した時の写真である

が、彼女の偉業を称えて、チェス・オリンピックでは優勝した女性チームに「ヴェラ・メンチク・カップ」が現在に

至るまで贈られている。



彼女のような輝く女性の星が再び現われるには、ユディット・ポルガー(1976年生まれ)まで70年もの年月が

必要だった。チェスの歴史上、数多くの神童や天才が出現したが、その中でもひときわ輝いていた(人によっ

て評価は異なるが・・・)のがモーフィー(1837年生まれ)、カパブランカ(1893年生まれ)、フィッシャー(1943年

生まれ)である。



他の分野ではわからないが、このように見ると輝く星が誕生するのは50年から70年に1回でしかない。



20世紀の美術に最も影響を与えた芸術家、マルセル・デュシャン(1887年〜1968年)もピカソと同じく芸術家

では天才の一人かも知れない。1929年、メンチクとデュシャンは対局(引き分け)しているが、デュシャンは

チェス・オリンピックのフランス代表の一員として4回出場したほどの実力を持っていた。



「芸術作品は作る者と見る者という二本の電極からなっていて、ちょうどこの両極間の作用によって火花が

起こるように、何ものかを生み出す」・デュシャン、この言葉はやはり前衛芸術の天才、岡本太郎をも思い出

さずにはいられない。世界的にも稀有な縄文土器の「美」を発見したのは岡本太郎その人だった。



「チェスは芸術だ」、これは多くの世界チャンピオンや名人達が口にしてきた言葉だ。この言葉の真意は、私

のような棋力の低い人間には到底わからないが、それでもそこに「美」を感じる心は許されている。



メンチクの光、芸術の光、それは多様性という空間があって初めて輝きをもち、天才もその空間がなければ

光り輝くことはない。



多様性、それは虹を見て心が震えるように、「美」そのものの姿かも知れない。










麗しき女性チェス棋士の肖像

チェス盤に産みだされた芸術

毒舌風チェス(Chess)上達法

チェス(CHESS)

天空の果実