決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣

ガルリ・カスパロフ著 近藤隆文訳 NHK出版 より引用




本書 訳者あとがき より抜粋引用


ガルリ・カスパロフはチェスファンにはあらためて紹介する必要もない不世出の棋士である。

そういわれてぴんとこないとしても、かつてIBMのスーパーコンピューター(ディープ・ブルー)

とチェスの対戦をした世界チャンピオン(当時)、あるいは2007年4月にモスクワの反政府デモ

に参加して逮捕され、日本でも紙面をにぎわせた元世界チャンピオンの活動家といえば、知

らない方はいないのではないだろうか。


本書は、2005年に現役を引退したカスパロフがプロ棋士時代を振り返り、チェスで得た教訓、

知恵を伝授する一冊だ。したがって当然、カスパロフはチェスについて語る。だが、彼の関心

はそれだけにとどまらない。ビジネスや政治にも造詣が深いカスパロフは、マイクロソフトやボ

ーイングの事例を分析し、ウィンストン・チャーチルや孫子の思想を引き、軍事史をひもといて

古今の戦いを俎上にのせる。そしてあぶり出されるのは、チェスのみならず、仕事や人生全般

に活かせる考え方、戦略と戦術だ。物(マテリアル)、時間、質という三つのファクターをキーワ

ードに、直感や大胆な想像力の重要性を説く一方で、入念な準備と緻密な分析・評価・冷静な

判断の大切さにも目をくばる元世界王者の言葉には、大きな説得力がある。企業など各方面

から講演の依頼が絶えない所以だろう。


もちろん、本書が貴重なチェス文献であるのはいうまでもない。カスパロフは1984年の世界

チャンピオン戦をはじめとする自身の対局を臨場感たっぷりに語り、名手たちや彼らの明暗

を分けた対局を解説している。そこでは世界一知的といわれるゲームの歴史をたどりつつ、

一般にも応用可能な成功の秘訣や、稀代の勝負師の意思決定プロセスを知ることができる

だろう。


さて、本書の「もうひとつのエピローグ」でも詳述されているように、カスパロフは現在、ロシア

の民主化を目指した活動に情熱を注いでいる。2007年9月には翌年の選挙に向け、対抗勢力

の大統領候補に選出された。たしかに、ウラジーミル・プーチンの築いた要塞は堅牢であり、

現段階ではどんな結果となるか未知数だが、おそらく案ずるにはおよばない。現役時代は深

い読みと攻めの姿勢こそ最大の長所と自負していたカスパロフのこと、たとえ挫折が待ち受

けていようと、すでに絶妙なつぎの手を考えているはずである。そして何より、チェスの格付け

(レイティング)で20年間第1位という地位に安住することなく政界に新天地を求め、不利な形勢

にあってもチャレンジをつづけるその勇気には、誰もが励まされるにちがいない。


2007年10月


 
 



「Chess Informant 640 Best 64_Golden Games」より引用


 


はじめに 成功の秘訣

(本書より引用)


チェス熱の高いソ連が生んだ十代のスター棋士として、私はごく若い時分からたびたび

インタビューを受けたり人前で話したりするようになった。ときおり趣味や女性について訊

かれたことを別にすれば、こうした初期のインタビューではもっぱら私のチェスのキャリア

に焦点があてられていた。ところがその後、1985年に22歳で史上最年少世界チャンピ

オンになると、投げかけられる質問の種類が一変する。人々は対局や大会についてでは

なく、私がいかにして前例のない成功をおさめたのか知りたがるようになった。どうしてそ

んなに努力するようになったのか? 何手先まで読むのか? 対局中にはどんなことを

考えるのか? 毎晩寝るまえに何をするのか? 要するに、成功の秘訣は何ですか? 

まもなく私は、聞き手がこちらの答えにがっかりすることに気づいた。努力するのは、母に

そう教えられたからだった。何手先まで読むかは、そのときの局面しだいだ。対局中には、

準備したことを思い出して手筋を読むことに努める。記憶力はいいほうだが、写真並みとい

うほどでもない。いつも対局の前に食べるのは、スモークサーモンとステーキ、トニックウォ

ーターの腹もちがいいランチ(残念ながら、30代後半を迎えたとき、フィジカルトレーナーの

指示によってこの“規定食”は過去のものとなった)。毎晩寝るまえには歯を磨く。どれも

示唆に富む回答ではない。どうやら人々が求めているのは明解な方法、かならず素晴ら

しい結果を導いてくれる普遍的な秘策のようだった。著名な作家はどんな紙やペンを使っ

ているのか訊かれる。まるで道具のおかげで彼らの作品があるといわんばかりに、こうし

た質問はもちろん、私たち人間がみな類のない存在でDNAにはじまって現在まで連綿と

つづく無数の要素と変化の結果であることを見落としている。人はそれぞれ独自に意思

決定の公式を立てる。私たちのゴールはこの公式を最大限に活用すること、それを割り

出し、その効果を評価し、その改善法を見つけることが。この本では、私自身の公式の

成り立ちを説明し、そのプロセスを当時の私がどう見ていたか、そしていま思い返すとどう

思えるかを記していく。その過程で、直接、間接を問わず、公式の発展に貢献してくれた

多くの人物を回顧してみたい。私にとって最初のチェスのヒーロー、アレクサンドル・アリョ

ーヒンの閃きに富む対局が、サー・ウィンストン・チャーチルと並んで語られるだろう。いま

も私はことあるごとにチャーチルの言葉と著書を読み返している。ここに挙げるような例か

ら読者が意志決定者としての自己の成長と、そのいっそうの進化を促す方法を深く理解

できるよう願っている。これをかなえるには自分自身を、自分の可能性がどれだけ実現さ

れているかを正直に評価することが必要だ。手っ取り早い解決策などないし、この本は

コツやヒントを紹介するものではない。自己認識と挑戦についての本、最高の判断を下せ

るようになるために自己と他者にどう挑むかを書いた本である。本書の構想が浮かんだの

は、「あなたの頭のなかはどうなっているのか?」という不滅の質問に当意即妙な答えを

返すよりも、実際に自分で探求するほうが興味深いと気づいたときのことだった。だがプロ

棋士の生活は、移動、対局、準備の日程が厳密に定められている。そのため、哲学的な

(実用の対局にある)省察に時間をかけることは許されなかった。2005年3月に現役を引退

してようやく、自分の経験を振り返り、それを効果的に語る時間と視点が得られたのである。

チェスから政治へと思いきった転身をするまえに書きあげていたら、この本はまったく別の

ものになっていただろう。まず、私にはチェス人生で得た教訓を吸収する時間が必要だった。

そして、新たな経験からは自分が何者で、何ができるかを考えるよう強いられている。熱心

に民主主義を唱えるだけでは足りない。連帯を築いたり会議を組織したりするには、戦略

ヴィジョンなど、チェスのスキルを新たに適応させることを求められる。25年間は専門家とし

て安全な場所にいたが、いまの私は新しいチャレンジに向けて自己を確立、再確立するた

めに能力を分析しなければならない。 (以下 略)


 


目次


はじめに

成功の秘訣 精神の地図


第1部 必須の技能


1.教訓

世界チャンピオンの個人レッスン 決定のプロセスを自覚する

私の人生を決めた対戦相手・・・・アナトリー・イェヴゲニェーヴィチ・カルポフ


2.人生がチェスを模倣する

チェス、ハリウッドへ行く 現実世界のチェスプレーヤー ロイヤル・ゲームの起源

スポーツか、芸術か、科学か? 意思決定のプロセスのモデル

妥協なき長老・・・・ミハイル・モイセーエヴィチ・ボトヴィニク


3.戦略

どんな速い決断にも戦略を ゴールと中間目標を決める 一貫性と適応性は共存できるか?

自分の土俵でプレーせよ 戦場を選べないときには 変化のための変化か、必要な変化か?

人の不首尾を当てにしない “なぜ?”が戦術家を戦略家にする いったん戦略を手にしたら

戦略プラン・・・・1985年世界チャンピオン戦・・・・モスクワ(ソ連)


4.戦略と戦術

戦術と戦略の関係 戦略的展望・・・・ボーイング社の場合 時間切迫との戦い

答えよりも肝心なのは、問い

創始者たち・・・・ポール・モーフィ、ヴィルヘルム・シュタイニッツ


5.読み

先を読むときのポイント 想像力を味方に コンピューターと協働する

意見を異にする賢者たちのライバル関係・・・・ジークベルト・タラッシュエマーヌエル・ラスカー


6.才能

一日の終わりに仕事ぶりを振り返る 想像力で慣例を打ち破る 読みだけでは乗りきれない

空想する習慣を身につける 見たい展開を夢想する これまでの自己評価に耳を貸さない

対立する偶像として生きる天才たち・・・・ホセ・ラウル・カパブランカアレクサンドル・アレクサンドロヴィッチ・アリョーヒン


7.準備

肝心なのは結果 閃きvs努力 準備は結局、報われる 時間の不足を言い訳にしない

自分にもうひと踏ん張りさせるための方法を知る


第2部 評価・分析


8.マテリアル、時間、質

無意識のプロセスを意識化する 持ち駒をリアルに評価する 時は金なり 置かれた状況を認識する

持ち駒の評価 長期的要因と流動的要因 バッド・ビショップはどこが悪いのか?いま、この局面で必要なこと

両刃の評価 投資と回収のバランス 価値は変動すると知れ 家庭におけるMTQ

純然たる攻撃のマジック・・・・ミハイル・ネヘミエヴィチ・タリ


9.交換と不均衡

ゲームをフリーズする 弱点を長所に転じる 相手の弱点をつく マイクロソフトの戦略

変化に代償はつきもの 過剰拡大という落とし穴 変えられるもの、変えられないものを選別する

ふたつの対照的なチェスの知の泉・・・・チグラン・ヴァルタノヴィッチ・ペトロシアンボリス・ヴァシリエーヴィチ・スパスキー


10.革新

独創性とは努力である イノベーション指数を高めるには 意外性がもつ価値 問いを正確に設定する

独創性獲得の手順 模倣者から革新者へ 革新と適応 発明のもつ潜在的意味を理解する

そして子供たちが私たちを導く コンピューターが人間のゲームを発展させる 発想は社会を反映する

変化に尻ごみしていないか? 確実性を手放す勇気を

サー・ウィンストン・チャーチル


11.ゲームの段階

序盤がゲームの行方を決める 先例に改善を加える 中盤に効いてくるケーススタディ

終盤の落とし穴 段階に対する偏見をなくす 銃撃戦にナイフを持っていくべからず

輝かしい伝統と悲しき遺産・・・・ロバート・ジェームズ・フィッシャー


12.意思決定プロセス

情報をうのみにしない 攻撃性と柔軟性を併せ持って 情報過多と情報過少 選択肢を絞る

後戻りできるかを問う

ハイパーモダン派、新たな地平を探検する・・・・アーロン・ニムツォヴィチ、

サヴィエリ・グリゴリェーヴィチ・タルタコワリハルド・レーティ


13.アタッカーの強み

競争心に火をつける 主導権はめったに二度ベルを鳴らさない アタッカーという選択 主導権はゼロサムではない

防御は合理的か? 成功をリスクにさらす 好機を察知する力


第3部 総合力


14.成功を疑う

成功は未来の成功の敵 過去の成功の重み 自己満足と闘う 批判は侮辱ではなく、新たなチャレンジ

私の大敵・・・・ウラジーミル・クラムニク


15.心のゲーム

盤に向かうまえに決着をつける 静けさのまえの嵐 手を抜くのは事実上の失敗 挑発にどう対応するか?

みずからコントロールできることの大切さ プレッシャーの呪縛を解く せっぱつまったときこそ客観的に

ベストを尽くしても足りない場合は 無冠のもっとも偉大なプレーヤー

王位を目指した者たち・・・・ミハイル・チゴーリン、アキーバ・ルービンスタインパウリ・ケレス

ダヴィト・ブロンシュティンヴィクトール・コルチノイ


16.男、女、コンピューター

我慢できるうちは負けろ みずからに限界を設けない 万能スタイルを創出する 能力は素質か、環境か?

スーパーコンピューター vs 人間 長いものには巻かれろ 未知の分野への好奇心

コンピューターチェス


17.全体像

盤全体を意識する 必要な情報を関連づける 専門化の是非

外に、前に、後ろに目を向ける 勝つために負ける

今日のロシアでの闘い


18.直感

未知の分野で直感がはたらくことはない 集中時の直感は分析を超える

直感を鍛えるサイクル 傾向を無視する危険


19.危機的状況

宿敵との対戦 危機が危機になるまえに感知する 相手の戦法でプレーする

決断をどこまで先送りにするか? 両陣営の過ち 危機から学ぶ タイトルを保持する


エピローグ

人生とは準備である 成功の秘訣


もうひとつのエピローグ

民主主義への戦略


訳者あとがき

巻末用語解説




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Garry Kasparov - The Greatest Chess Player of All-Time



「人間対機械 チェス世界チャンピオンとスーパーコンピューターの闘いの記録」 より引用



1963年4月13日に旧アゼルバイジャン・ソビエト共和国の首都バクーで生まれた。元チェス世界チャンピ

オンのボトヴィニクに師事した。13歳で国際試合の世界に足を踏み入れた。初めて参加したソビエト連邦

外の試合・・・フランスのワティーニュで開催された第3回世界ジュニア選手権・・・では、第3位を分け合っ

た。西欧で開催される国際競技会で、わずか13歳の少年がソビエト連邦代表になったのは、このときが

始めてだった。



1979年、16歳のときには、ユーゴスラビアでの大会でプレイする機会を与えられた。そこには14人の手強

いインターナショナル・グランドマスターが参加していたが、ガルリはそのトーナメントで優勝し、未来の世

界チャンピオンの有力候補としての地位を確立した。21歳になると、ガルリは第12代世界チャンピオンの

アナトリィ・カルポフと初めて世界タイトルのかかった試合に臨んだ。最初の対戦は中止されたので、カル

ポフは世界チャンピオンの王冠を保持することができたが、その後、カスパロフは22歳でカルポフを破っ

て世界チャンピオンの座を獲得し、以来12年間そのタイトルを守りつづけている。1986年、1987年、1990

年にはカルポフの挑戦を退け、1993年にはイギリス人のナイジェル・ショートから、1995年にはインドの星

ヴィシュワナータン・アーナンドからタイトルを防衛している。



34歳の現在、ガルリはチェス史上最強のプレイヤーとして広く認められている。これまでに数多くの本を

書き、東欧の政治、教育、社会の改革に関する傑出したスポークスマンとしても国際的に評価されてい

る。慈善活動にも積極的に参加し、モスクワにカスパロフ基金を設立した(1917年の共産革命以後、初

めての個人基金)。またチェスを学校の教育科目にする運動を積極的に推進しており、カスパロフ・イン

ターナショナル・チェス・アカデミーを設立した。彼はロシア情勢の専門家として広く認められ、ウォール

ストリート・ジャーナルの最年少の寄稿者となっている。



1993年には、「プロフェッショナル・チェスの新時代のために、そして私たちのスポーツを家庭のゲームに

するために」、プロフェッショナル・チェス・アソシエーション(PCA)の設立に尽力した。また、スペインの

ダヴォスでのワールド・エコノミック・フォーラムやマドリッドでのクルソス・ヴェラノなどの国際大会に定期

的に講演者として招かれている。



(中略)



この本は、わが友ガルリ・カスパロフについて私が知っている通りに書いたものだ。ここに書かれたこと

について、あまりに主観的だと思う読者も多いだろうし、なかには反感を感じる人さえいるかもしれない。

何が真実であり真意だったのかという判断は、言うまでもなく読者に委ねられているが、私の目的は、

ガルリ・カスパロフを私の視点から、3つの歴史的事件というプリズムを通して示すことにある。この3つ

の歴史的事件とは、1995年の世界選手権であり、1996年と97年の2回にわたって繰り広げられたIBMの

スーパーコンピューター、ディープ・ブルーとの対戦のことである。このエキシビジョン・マッチは、チェス

だけでなく人類の進化の新時代を象徴するものとして世界の注目を集めた。



カスパロフがこの類を見ない挑戦を受けて立ったのは、私には意外なことではなかった。なぜなら、彼

はこれまでずっと新時代の象徴となるように運命付けられてきたからだ。ガルリ・カスパロフは世界一

のチェス・プレイヤーとして有名だが、かつて1980年代初期にはチェスの新時代の象徴だったこと、

そして1980年代後半にはソビエトの政治と社会の新時代の象徴だったことを多くの人は忘れてしまっ

ている。



22歳でチェス史上最年少の世界チャンピオンになったガルリ・カスパロフは、個人と精神の自由を勝ち

取るために共産主義体制と戦い、少し歳をとって早くも白髪まじりの頭になってからは、崩壊するソビエト

帝国の廃墟の中で難民の生命を救い、ロシアの身体障害児たちの環境を改善する仕事に力を貸した。

そして、34歳になってからすっかり風格の出てきたガルリ・カスパロフは、チェスの世界を変える男となっ

た。この本は、ガルリ・カスパロフによる序文および指手解説によって一層充実したので、彼にこのこと

を感謝したい。   (後略)



1997年、ミハイル・コダルコフスキー








歴代世界チャンピオンの肖像Serkan Ergun
serkan-ergun-the-world-chess-champions-by-serkan-ergun | Serkan Ergun

(大きな画像)


歴代チェス世界チャンピオン

名前 チャンピオン在位期間 その時の年齢 
 1 Wilhelm Steinitz 1886〜1894  50〜58
2 Emanuel Lasker  1894〜1921  26〜52
3 Jose Raul Capablanca 1921〜1927 33〜39 
4 Alexander Alekhine 1927〜1935  1937〜1946 35〜43 45〜54
5 Max Euwe 1935〜1937 34〜36 
6 Mikhail Botvinnik  1948〜1957 1958〜1960 1961〜1963 37〜46 47〜49 50〜52
7 Vasily Smyslov  1957〜1958  36 
8 Mikhail Tal  1960〜1961  24 
9 Tigran Petrosian  1963〜1969  34〜40 
10 Boris Spassky  1969〜1972  32〜35 
11 Bobby Fischer  1972〜1975  29〜32 
12 Anatoly Karpov  1975〜1985  24〜34 
13 Garry Kasparov  1985〜1993  22〜30 
14 Vladimir Kramnik  2006〜2007  31〜32 
15 Viswanathan Anand  2007〜2013  38〜43 
16 Magnus Carlsen  2013〜present  22〜




ガルリ・カスパロフ 「決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣」より引用

『わが偉大ななる先人たち』の仕事を進めるうちに、私は世界チャンピオンたちの実績に

対する敬意を深めるだけでなく、チェスプレーヤー全般に、そしてチェスというゲームが

人間の知性の粋を引き出すやり方にいままで以上に感服するようになった。プロのチェス

トーナメントほど人間の能力に負担をかける活動はまずない。記憶力は酷使され、すば

やい計算が欠かせず、どの指し手にも結果はついてまわり、それが何時間も何日も、世

界じゅうに見守られながらつづいていく。心身を崩壊させるには絶好のシナリオだ。


そんなわけで、歴代世界チャンピオンの対局の分析をはじめたとき、私は多少寛大にな

る準備ができていた。分析に関してではなく、先人たちのミスに対する姿勢としてである。

こちらは21世紀にいて、いつでもギガヘルツのチェス処理能力をもつ巨人に頼ることが

できる。そんな優位で後知恵という客観性も保証される立場から、先達を厳しく裁いてい

いはずがない。そう自分に言い聞かせた。私にしても、戦いの熱気のなかで犯したミスは

容赦してもらいたいのだから。


このプロジェクトの肝となる部分は、こうした過去の対局に対する関連の分析を網羅する

こと、とくにプレーヤー本人や同時代の人々による発表ずみの分析を集めることだった。

シリーズの眼目はチェスの進化を示すことにある。したがって、当時の注釈はその時代の

棋士の考え方を明らかにする点で、ゲームそのものに劣らず貴重なのだ。


分析する者は静かな書斎で作業し、駒を動かす時間に制限がないのだから、プレーヤー

本人に較べてずっと仕事がしやすいと思われるかもしれない。結局のところ、あとから振り

返れば何でも見えるはずなのだ。だが、私は早い段階にこんなことを発見した。前コンピ

ューター時代(おおよそ1995年以前)におこなわれたチェスの分析に関するかぎり、あとか

ら振り返るときは遠近両用眼鏡が必要なのである。


矛盾しているようだが、通常、名手たちが雑誌や新聞のコラムで対局について書く場合、

注釈のなかで犯すミスは盤を前にしたときよりはるかに多い。自分の対局の分析を発表

したときでさえ、往々にして実際のプレー中より説得力に欠けるのだ。


(中略)


このゲームに関する当時の一般的な論調はつぎのようなものである。黒番のシュタイニッツ

は明らかに勝てる局面にあった。ラスカーは黒のキングに無謀な攻めをしかけ、ピースをサク

リファイスする。若干のプレッシャーを受けたものの、まだ優勢だったシュタイニッツがここで

致命的なミスを犯し、そのゲームを落とす。大悪手を指したショックはあまりに大きく、シュタイ

ニッツはその後の4局と世界タイトルを失った。


19世紀の分析の大半はそんな筋書きであり、以来、同じような説明がくりかえされてきた。こ

れを改訂するとしたら、つぎのようになるだろう。シュタイニッツは客観的に勝勢の局面にあっ

たが、いくつかミスをしてラスカーに危険な攻撃を許し、局面はがぜん複雑化した。挑戦者の

その後のプレーと駒捨てから、黒は多くの現実的な問題をかかえることになった。プレッシャー

を受けつづけるシュタイニッツは的確な守りができずに敗北する。最後にミスを犯した局面で、

シュタイニッツはすでに敗勢にあった。一見単純な勝勢の局面から逆転されたことで心理的

打撃を受け、この対戦中に立ち直ることができなかったのだ。この敗北に揺らいだのは彼の

自信だけではない。シュタイニッツは大切に育んできた堅実で論理的なチェスの原理に裏切

られたように見えた。勝利を確信し、みずからの哲学に従ってプレーした自負がありながら、

彼は敗れたのである。


ラスカーがゲーム中に感じたこと、多くの名手たちが分析時に見落とすとはどういうことだろう?

当のラスカーでさえ、のちの所見で公式の解釈に異議を唱えなかったが、直感はゲーム中、彼を

的確に導いたのである。これは1世紀後の私の対局と私の分析を含めて考えても、決してめず

らしいことではない。ゲーム中に達する集中のレベルを再現するのは不可能だとういうのが、ひと

つの理由だ。駒を動かすことが杖となり、それを支えとして精神のかわりに目を使うようになること

がある。盤を前に座るとき、われわれに選択肢はない。


こうした伝説の人物たちは何度となく、キャリア上の重要な場面で直感的に最善の手を見つけて

きた。競争の重圧が彼らを深く追いこんだのだ。プレッシャーがないとき、私たちの感覚の一部は

スイッチが切れている。分析とは、目の見える人が点字を学ぶようなものだ。私たちの考える優位

・・・・時間、情報・・・・はときにもっと大事なものを、すなわち私たちの直感をショートさせるのである。



カスパロフが上に解説した試合(1894年 ラスカー対シュタイニッツ 世界選手権第7局)



LaskerSteinitz1894.pgn へのリンク

 


カスパロフの名局


Smbat Gariginovich Lputian vs Garry Kasparov
"Gulliver and the Lputian" (game of the day Jul-29-09)
Tbilisi 1976 ・ King's Indian Defense: Saemisch Variation (E80) ・ 0-1


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




lputian_kasparov_1976.pgn へのリンク





Garry Kasparov vs Lajos Portisch
"Very Garry" (game of the day Jun-26-07)
Niksic 1983 ・
Queen's Indian Defense: Kasparov-Petrosian Variation. Petrosian Attack (E12) ・ 1-0


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。



「1980年代スタイルのキング・ハント。カスパロフは、近年で最も輝かしいゲームを

つくりあげた。」


「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用




kasparov_portisch_1983.pgn へのリンク





Anatoli Karpov vs Garry Kasparov
"The Brisbane Bombshell" (game of the day Nov-05-08)
Karpov-Kasparov World Championship Match 1985 ・
Sicilian Defense: Paulsen Variation. Gary Gambit (B44) ・ 0-1


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。



「驚くべき(もしかすると成立していないかもしれない)8手目のポーン・サクリファイスはアンソロジーに

収録されることを決定づけた。ガルリーは対戦相手を手も足も出ない状態に追いこんでいる。」


「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用




karpov_kasparov_1985.pgn へのリンク





Garry Kasparov vs Anatoli Karpov
"Tossed on the Flohr" (game of the day Aug-15-10)
Karpov-Kasparov World Championship Rematch 1986 ・
Spanish Game: Closed Variations. Flohr System (C92) ・ 1-0


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。



「カスパロフによると1986年のマッチにおける最高のゲーム。懐疑的な論評も多いが、

ガルリーは32手目からすべて読みきっていたと主張する。」

「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用




karpov_kasparov_1986.pgn へのリンク





Jeroen Piket vs Garry Kasparov
"Crossing the Piket Line" (game of the day Aug-14-10)
Tilburg 1989 ・
King's Indian Defense: Orthodox Variation.
Classical System Neo-Classsical Line (E99) ・ 0-1


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




piket_kasparov_1989.pgn へのリンク





Garry Kasparov vs Anatoly Karpov
"Garry Garry Quite Contrary" (game of the day Nov-08-08)
Kasparov-Karpov World Championship Match (1990) ・
Spanish Game: Closed Variations. Flohr System (C92) ・ 1-0


「1990年の世界選手権試合の第2戦での素晴らしい勝利は、カスパロフがタイトル保持に

向いつつあることの証明のようであった。」


「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」
から引用




kasparov_karpov_1990.pgn へのリンク





Garry Kasparov vs Anatoly Karpov
"Special K" (game of the day Nov-26-07)
Kasparov-Karpov World Championship Match (1990) ・
Spanish Game: Closed Variations. Flohr System (C92) ・ 1-0


Nunnの名著「Understanding Chess move by move」、この試合を一手ごと詳しく解説。



karpov_kasparov_1990.pgn へのリンク





Anatoli Karpov vs Garry Kasparov
"Rated G" (game of the day Mar-26-11)
Linares ;CBM 34 Anand 1993 ・
King's Indian Defense: Saemisch Variation (E86) ・ 0-1



karpov_kasparov_1993.pgn へのリンク





Garry Kasparov vs Nigel Short
"French Toast" (game of the day Nov-23-12)
8th Euwe Memorial (1994) ・ French Defense: Steinitz. Boleslavsky Variation (C11) ・ 1-0


Nunnの名著「Understanding Chess move by move」、この試合を一手ごと詳しく解説。



kasparov_short_1994.pgn へのリンク





Garry Kasparov vs Vladimir Kramnik
It (cat.19) 1994 ・
Sicilian Defense: Lasker-Pelikan. Sveshnikov Variation Chelyabinsk Variation (B33) ・ 1-0



kramnik_kasparov_1994.pgn へのリンク





Garry Kasparov vs Alexey Shirov
Horgen SWZ 1994 ・
Sicilian Defense: Lasker-Pelikan. Sveshnikov Variation Chelyabinsk Variation (B33) ・ 1-0


Nunnの名著「Understanding Chess move by move」、この試合を一手ごと詳しく解説。



kasparov_shirov_1994.pgn へのリンク





Garry Kasparov vs Viswanathan Anand
Kasparov-Anand World Championship Match (1995) ・
Spanish Game: Open Variations. Karpov Gambit (C80) ・ 1-0


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




kasparov_anand_1995.pgn へのリンク





Garry Kasparov vs Ivan Sokolov
32nd ol, Yerevan ARM 1996 ・ Scotch Game: Mieses Variation (C45) ・ 1-0


Nunnの名著「Understanding Chess move by move」、この試合を一手ごと詳しく解説。



kasparov_sokolov_1996.pgn へのリンク





Garry Kasparov vs Veselin Topalov
"Kasparov's Immortal" (game of the day Aug-23-08)
It (cat.17), Wijk aan Zee (Netherlands) 1999 ・ Pirc Defense: General (B06) ・ 1-0


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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Rustam Kasimdzhanov vs Garry Kasparov
XXII Torneo Ciudad de Linares (2005) ・
Semi-Slav Defense: Meran. Wade Variation (D47) ・ 0-1


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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カスパロフが負けた名局

Nigel Short vs Garry Kasparov
Brussels 1986 ・ Sicilian Defense: Scheveningen Variation. English Attack (B80) ・ 1-0


「ナイジェルは世界チャンピオンに対してセンセーショナルな勝利を

記録した。はたしてこれがタイトル戦の行方を占う一局となるか?。」

「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用




short_kasparov_1986.pgn へのリンク





カスパロフが負けた名局

Deep Blue (Computer) vs Garry Kasparov
"Sacre Blue!" (game of the day Jun-05-08)
Match 1996 ・ Sicilian Defense: Alapin Variation. Barmen Defense Modern Line (B22) ・ 1-0



この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。



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カスパロフの名局集
Garry Kasparov's Best Games
Compiled by KingG

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カスパロフの全棋譜集はこちら

 



ガルリ・カスパロフが過去に国際チェス連盟と騒動を起こし、イギリスのショートと共にチェス界を分裂さ

せたことを忘れることができません。1993年、チャンピオン・カスパロフと挑戦者・ショートは、彼らの世界

選手権を乗っ取り、彼らが作ったプロチェス協会(PCA)の元で行なうことを宣言しました。彼ら理由として、

「国際チェス連盟(FIDE)の規則では、世界選手権決勝マッチの開催地はFIDE、世界チャンピオン、挑戦

者の3者の合議で決定することとなっていた。しかし、カンポマネス(FIDE会長)はこれらの規則を破って、

開催地をマンチェスターと宣言した」からだとしていますが、確かにFIDEの官僚体制などいろいろ問題が

あったかも知れません。しかし、彼らカスパロフとショートが動いた根本動機は私利私欲であった面は否定

できないと思います。カスパロフは以前からカンポマネスに不信感をもっており、自分主導でチェス界を

引っ張っていく想いが強かったのかもしれませんが、ただ言えることは、彼が現在のチャンピオンになる

ことが出来たのは、地方・国など多くのチェス組織があってこそだと思います。会長への憎しみだけのため、

今まで自分を育ててくれた組織を分裂させてしまったカスパロフとショートの行動は批判されるべきかも

知れません。カスパロフは最近、あの行動は間違っていたと語り、その責任の多くがショートにあると主張

していますが、これもチェス界の悲しい遺産の一つです。



2013年月.30日 (K.K)

 



チェスの歴史上、最強の人間は誰だったか、それは人の感性や棋力により答えが異なるのは当然かと

思います。現在のレーティング(強さの数値)で判断すると、必ず現在の棋士がトップに来ますが、それは

チェスのイロレーティング(Elo rating)が年に数%づつインフレを起こしているためです。ですから最も公平

な見方は、同時期に存在した多くの名人たちとの比較などでしか判断できないかも知れません。例えば時

代別にA・B・Cの名人を並べると、AとB、BとCは対戦が多く優劣の判断はできるが、AとCは対戦したこと

がない。このような場合、AとC、どちらが強いかを判断するには、Bの存在で測ることも可能です。AとBの

勝率、BとCの勝率などで、AとCの力関係を推察することができる。しかし、この比較も名人と言えども全盛

期とそうでない時期、そして相性の問題も当然あるのでやはり確定することはできないように思います。私

個人としては、モーフィーカパブランカフィッシャーがチェス史上最強かと思いますが、カスパロフに関し

ては序盤研究のプロ集団を雇っていた彼にはその資格はないと思います。そして大事なことは、たまたま

チェスに接することがなかっただけで、その素質は彼らより上という人間も人類誕生から今日まで沢山いた

ことを忘れてはいけないと思っています。


2013年1月31日 K.K











元世界チャンピオンのガルリ・カスパロフと将棋の羽生義治のチェス対局が2014年11月28日、

六本木ニコファーレにて行なわれました。持ち時間は各25分で一手につき10秒加算する方式

です。結果はカスパロフの2戦2勝でした。



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