「伝説のチェス王者」フィッシャーを救え 羽生善治

私が小泉首相あてに嘆願のメールを送った理由
 文藝春秋 2004年11月号




Essent Chess Tournament 2005 open 羽生義治氏記録紹介|freeml より引用
 


「人工知能の核心」羽生善治・NHKスペシャル取材班・著 を、参照されたし。





文藝春秋 2004年11月号 「伝説のチェス王者」フィッシャーを救え 羽生善治 より抜粋引用


「一本勝ち」がフィッシャー流

フィッシャーさんのチェスの素晴らしさについてもう少し述べます。チェスと将棋の最大の違いは、

チェスでは取った駒を使うことができないところです。だから試合が進むにつれて盤上の駒が少

なくなり、引分けに終わることが多い。高度なレベル同士の対戦になればなるほど、差がつきに

くく、見ていて地味な印象に映る傾向があります。たとえていえば、レアル・マドリード対ACミラン

のような、最高レベルのサッカーの試合になるほど、逆に点が入りにくいのといっしょです。



ところが、フィッシャーさんは、普通なら0-0や、良くても1-0にしかならないような対局で、3-0の勝

ち方をしてしまうプレイヤーなんです。柔道でいうと、判定ではなく、一本勝ちを狙いにいって、そ

の通りに勝ってしまう井上康生選手のような存在とでもいいますか。



ですから見ていて非常に爽快だし、派手で華麗です。棋譜の中に、こんな手順が実際に盤上に

現れるのかと、ほれぼれするような手が多い。



別の言い方をすると、フィッシャーさんのチェスは「将棋的」と言えるでしょう。将棋では、言うまで

もなく相手の王将をいかにして取るかを考えます。チェスも、相手のキングをとれば勝ちなことは

変わりませんが、多くのチェスプレイヤーは、キングを取るより、ポーン(将棋でいう歩)を取るこ

とを狙っています。チェスは将棋よりも駒の数と盤の空間が凝縮されていますから、相手の駒を

一つでも多く取ればそれだけ勝利の可能性が高くなる。ポーンを一個無条件で獲得できれば、

高いレベルではそれがそのまま勝利に結びつくのです。



ところがフィッシャーさんは、ポーンやナイト、時にはクイーンまでも相手に取らせて、思わぬ一手

からキングを詰ませる戦法をしばしば取ります。



その才能は十代のときから現れ、1956年のドナルド・バーン戦で、クイーンをわざと捨てる(むし

ろ無理やり相手に取らせる)ことで、勝利を呼び込みました。これは専門家たちから「何世紀も

語り継がれる一手だろう」「不滅の偉大なチェスの天才のあいだに自らを列せさせた」と讃えられ

ました。



また1963年のUSチャンピオンシップで、ロバート・バーンと対戦したときの一手も有名です。この

とき21手目までに、フィッシャーはナイト(将棋の桂馬にあたる駒)損をしていて、観戦するグラン

ドマスターの中からはフィッシャーは投了すべきだろうという声まで出ていました。ところが、フィッ

シャーさんがクイーンを一つ動かしたら、バーンはたちまち投了してしまった。



この対局は一見フィッシャーさんの大逆転に見えるんですが、実は10手や15手前から、局面が

こうなったらこの手があると最後まで読み切っていた。ナイトを取られたのではなくて、相手に取

らせたのです。



ある人から、「『羽生マジック』に似ていますか?」と聞かれたことがありますが、とんでもない。私

の将棋はミスも多いですがフィッシャーさんは最初から完璧に近い。神の領域に近づいている人

です。



フィッシャー流とも言える攻撃的なチェスの棋風は、今でも多くのプレイヤーに受け継がれていま

す。フィッシャーさんの二代後の世界チャンピオン・ガルリ・カスパロフも攻撃的なフィッシャー流

だと思います。



もしフィッシャーさんが将棋を指していたら、とてつもなく強くなったのではないかと思います。将棋

の世界では、なかなかフィッシャーさんのような天才は思い当たりませんが、あえて挙げるとする

と、私は升田幸三先生を思い浮かべます。




 
 


以下、 「完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯」フランク・ブレイディー・著 佐藤耕士・訳 羽生善治・解説 文藝春秋 

から引用



解説 羽生善治



チェス界のモーツァルト

もし、「フィッシャーはどんな人?」と聞かれたら、「チェスの世界のモーツァルト」と私は答えます。

モーツァルトとの共通点は3つあります。



1 誰もが認める“天才”であること



2 その天才性を簡単に知ることが出来ること

音楽を深く勉強しなくてもモーツァルトの素晴らしさを理解できるように、フィッシャーのチェスも

ルールが解ればその力強い指しまわしに魅了されるはずです。



3 それとは別の部分に大きなギャップがあること



モーツァルトが残した様々な手紙の内容は、お世辞にも上品とは言えません。あの音楽を作った

人が何故、このような事を書くのか。フィッシャーも同様で、あの極めて芸術性の高いチェスを指

す人が何故、あのような発言、信条を持つのか。著者は理解の難しいこの人物に対して、多面的

に慎重に、そして節度を持ってペンを進めています。個人的には、世界チャンピオンになった後の

空白の20年間は全く知らなかったので、とても興味深かったです。貧困も極めたといううわさは

知っていましたが、まさかあそこまでだったとは・・・。



本書の理解を深めるために、付け加えた方が良さそうな箇所がいくつかあります。



例えば、第3章の「クイーン・サクリファイス」について、チェスではクイーンがとても強い駒で、それ

を無条件に捨てるのは負けに等しい。にもかかわらず、13歳のフィッシャーは完璧なコンビネー

ションで読み切って強豪のバーンを負かしました。今でこそ10大前半のグランドマスターは珍しく

ありませんが、その強さ、内容の衝撃度ははかりしれないでしょう。



第5章に出てくるミハイル・タリは様々な盤外作戦を仕掛けますが、フィッシャーと同様に意外性の

あるコンビネーションを見せるとても人気のあったプレイヤーの一人です。第13章に出てくるポル

ガー三姉妹
の父がある時、対局中のタリに対して「うちの娘にチェスを教えてくれませんか?」と

依頼したところ、公式戦の試合をすぐに引き分けにして指導したエピソードも残っています。ハン

ガリーは現在チェスの強豪国で、2年に1度行われるチェス・オリンピアードでは優勝候補の一角

を常に占めています。ジュジャはその女子チームではなく、一般チームの主力メンバーの一人

です。フィッシャーとのたくさんの対局が、実力の向上に一役買ったのは間違いないでしょう。



また、以前は封じ手にして2日で1試合行われていました。1日目は1対1の勝負ですが、そこから

先はセコンド・チームメイトの分析が加わるのでチーム力が優勝の決め手になります。フィッシャ

ーが大変だったのは、セコンドがいたとしても圧倒的なチーム力の差を個人で埋めなければなら

なかったことです。



チェスはいつでも合意すれば引き分けにすることが出来ます。同国人であったり、個人的に親し

ければ早い段階で引き分けにして体力を温存するケースもあります。チェスの大会は毎日連続

して行われるので肉体的なタフさも求められます。そういう意味でもフィッシャーは常に不利な

環境で戦わざるをえなかったとも言えます。



また、ソ連の時代は国家としてチェスプレーヤーを保護し育成をしていたのに対し、当時のアメ

リカはそこまでサポートの出来る環境ではありませんでした。だから、経済的には恵まれない

大会に参加するよりも、多面指しのツアーへ行って収入を確保したりもしています。そんな中で

世界選手権を勝ち進んでいったのですから、驚嘆すべき存在だと思います。



第9章でフィッシャーとのマッチで負けたマルク・タイマノフが「私にはまだ音楽がある」というコメ

ント残したのは、タイマノフはチェスプレーヤーと同時にピアニストとしても活動をしていたからで

す。このシリーズではタイマノフ、ラーセンという当時のトッププレーヤーに完封勝ちをしています。



チェスのトップGM(グランドマスター)同士の対戦は、白盤(先手番)では勝ちを目指し、黒番

(後手番)では引き分けを目指すのが多いのです。もし、白盤が引き分けを目指した時に黒番

で勝つのは限りなく難しく、白番が勝ちに来た時に黒番の勝つチャンスが生まれるのです。

1対1のマッチですから不利な方が積極的に勝ちに行かなければならない訳ですが、それを差し

引いても6対0は信じられません。今後はこのような記録は作られることはないでしょう。



世界選手権で対戦をしたボリス・スパスキーとは一度、フランスで会った事があります。気さくで

冗談が好きな人です。余興で対局をしていたスパスキーとタイマノフのブリッツ(早指し)を側で

見ていたのですが、その瞬間的な切れ味の良さには深い感銘を覚えました。元世界チャンピオ

ンですから当然と言えば当然の事ですが、自分にとっては印象深い思い出の一つになってい

ます。その時に、私のチェスの先生であるジャック・ピノーさんとスパスキーとでこんな会話があ

ったそうです。



「フィッシャーは日本にいるのか? 君は会った事があるのか?」

「日本にいるのかも解りませんし、会った事もありません」

スパスキーはニヤニヤ笑って、

「そうか、またマッチがやりたくなったらいつでも受けると伝えてくれ」

ロシアでは「いない」は「いる」で、「会った事がない」は「会った事がある」になるようです。



1972年にそのスパスキーをアイスランドのレイキャヴィクで破って世界チャンピオンになった

フィッシャーは一躍、時代の寵児となります。しかし、初の防衛戦となるはずだった1975年の

アナトリー・カルポフとのマッチは条件面で折り合いがつかず、行われることがありませんでし

た。この後、カルポフは約10年間、負けることが極端に少ない無敵のチャンピオンとして君臨

します。攻撃的なフィッシャーと、負かしにくいカルポフとのマッチとなれば、最強の矛と盾の

対決となった訳で、かえすがえすも残念な結果となりました。



しかし、フィッシャーが提案していたどちらかが10勝するまでマッチを続けるというのは恐ろし

いルールで、もし実現していたら何十局かかるか解りません。実際、1984年から1985年に行

なわれたカルポフ対カスパロフはどちらかが6勝するまで行われました。カスパロフが初勝利

を挙げたのは32局目、結局、カルポフ5勝、カスパロフ3勝、40引き分けでマッチは延期にな

りました。



フィッシャーが望んでいたのは真のチャンピオンを決める理想的なルールであった訳ですが、

同時に、運営する、設営する側にとっては現実的には困難なオファーであった訳です。適当

に妥協してうまくやって行けば良いのにと多くの人は思うでしょうが、それをしないのがフィッ

シャーたるゆえんなのだと思います。



2012年11月



 






羽生さんの名局

Predrag Nikolic vs Yoshiharu Habu
"Gold General" (game of the day Jul-30-11)
Bruxelles Rapid 2007 ・ Queen's Gambit Declined: Traditional Variation (D30) ・ 0-1

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Peter K Wells vs Yoshiharu Habu
Essent Open 2005 · Semi-Slav Defense: Meran Variation (D47) · 0-1

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元世界チャンピオンのガルリ・カスパロフと将棋の羽生義治のチェス対局が2014年11月28日、

六本木ニコファーレにて行なわれました。持ち時間は各25分で一手につき10秒加算する方式

です。結果はカスパロフの2戦2勝でした。















 


羽生さんの国際戦の棋譜集(43局)

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El Cubo de Rubik · Antonio Gude: EL DÍA QUE FISCHER ESCUPIÓ A EEUU



2015年10月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





2001年9月11日、同時多発テロの日。



「ブッシュ大統領に死を! アメリカに死を! アメリカなんてくそくらえ!



ユダヤ人なんかくそくらえ! ユダヤ人は犯罪者だ。



やつらは人殺しで、犯罪者で泥棒で、嘘つきのろくでなしだ。



ホロコーストだってやつらのでっちあげだ。あんなの一言も真実じゃない。



今日はすばらしい日だ。アメリカなんてくそくらえ! 泣きわめけ、



この泣きべそかきめ! 哀れな声で泣くんだ、このろくでなしども! 



おまえたちの終りは近いぞ」



2013年2月17日、亡き伝説のチェス王者・フィッシャーのこの言葉をフェイスブックで紹介したが、フィッシャーの母はユダヤ人

であり、生涯その関係は血のつながりを感じさせる温かいものであった。



なのに何故?



何が彼をそこまで追いつめたのか?



以前、郵便チェスでアメリカ人と対局したことがあるが、彼は「フィッシャーは不幸にして病んでいる」と応えていたが、アメリカ人

の多くがそう思っていることだろう。



1972年のアイスランドでの東西冷戦を象徴する盤上決戦と勝利、マスコミは大々的に報じ、フィッシャーを西側の英雄・時代の

寵児として持ち上げた。



それから43年後の2015年。



フィッシャーの半生を映画化した「完全なるチェックメイト」(原題はPawn Sacrifice)が日本でも12月25日から全国で上映される。



主演はスパイダーマンで有名なトビー・マグワイアだが、このスパイダーマンの映画の中で心に残っている台詞は、



「これから何が起ころうと僕はベン叔父さんの言葉を忘れない。『優れた能力には重大な責任が伴う』 この能力は僕の喜び

でもあり悲しみでもある。だって僕はスパイダーマンだから。」



フィッシャーとスパイダーマン、一時的にはフィッシャーは英雄となったが、彼にとって「重大な責任」とはチェスの真髄を追い

つづけることだったのかも知れない。



東西決戦の後にフィッシャーがとった奇怪な言動は、妥協を決して許さない態度が周囲との摩擦を深めていく中で、奇異な

ものとなっていったのだろう。



フィッシャーの素顔。



アメリカから訴追され、日本に居たフィッシャーをアイスランドへ出国させる為に尽力した渡井美代子さんは、フィッシャーと

スパスキーとの再戦時(1992年)に招待された時のことを次のように書いている。



「フィッシャーは誠実の人です。約束は必ず守ります。だから、会うたび違うことをいう人を(どんな些細な食い違いであった

としても)絶対に信用しません。フィッシャーは、私が希望をいえば誠実に応えてくれる最高の友です。試合のない日は私と

食事するという約束は何があっも一度も違えませんでした。どんな偉い人がきても袖にしました。」



有名な写真家Harry Bensonは、フィッシャーが亡くなった後に、「Bobby Fischer against the World」という自らが撮った

フィッシャーの写真集を出版した。



そこには、花や馬と戯れるフィッシャーがいた。



アイスランド。



盤上決戦の地であり、フィッシャーが64歳で亡くなった地。



私がチェスに関心をもつ前に、ある写真集に惹かれ、それから写真・写真集に関心を持つようになったのだが、そのきっかけ

となったのがアイスランドの写真集だったのも何かの因縁かも知れない。










麗しき女性チェス棋士の肖像

チェス盤に産みだされた芸術

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