CIDADE DO XADREZ: ATAQUE AO REI NO CENTRO IV





XADREZ MEMORIA: 09/01/2010 - 10/01/2010

1971年の写真 「A PICTURE HISTORY OF CHESS」 by Fred Wilson より

MIKHAIL TAL(リガ 1936−1992)

チェス盤の魔術師 ミハイル・タリ (8人目の世界チャンピオン)


「Chess Informant 640 Best 64_Golden Games」より引用






歴代チェス世界チャンピオン

名前 チャンピオン在位期間 その時の年齢 
 1 Wilhelm Steinitz 1886〜1894  50〜58
2 Emanuel Lasker  1894〜1921  26〜52
3 Jose Raul Capablanca 1921〜1927 33〜39 
4 Alexander Alekhine 1927〜1935  1937〜1946 35〜43 45〜54
5 Max Euwe 1935〜1937 34〜36 
6 Mikhail Botvinnik  1948〜1957 1958〜1960 1961〜1963 37〜46 47〜49 50〜52
7 Vasily Smyslov  1957〜1958  36 
8 Mikhail Tal  1960〜1961  24 
9 Tigran Petrosian  1963〜1969  34〜40 
10 Boris Spassky  1969〜1972  32〜35 
11 Bobby Fischer  1972〜1975  29〜32 
12 Anatoly Karpov  1975〜1985  24〜34 
13 Garry Kasparov  1985〜1993  22〜30 
14 Vladimir Kramnik  2006〜2007  31〜32 
15 Viswanathan Anand  2007〜2013  38〜43 
16 Magnus Carlsen  2013〜present  22〜




「激闘譜 シュタイニッツからフィッシャーまで 歴代チェスチャンピオンからの珠玉集」

マックス・エイベ著 松本康司訳 日本チェス出版社より引



ミハイル・タリは1936年11月9日リガに生まれました。医者である父の手ほどきで7才の

ときには既にチェスの基礎を知っていましたが、特に興味をもったというほどではありません

でした。しかし小学校入学、そして少年宮での生活はチェス・マスターのコプレンツが教育上

の見地から見抜いたように、タリのチェス上達を速度を少しずつ増加させました。タリは小児

の時代をなにげなく過ごしましたが一方小学生にして、ある時には奔放な奇想をチェス・ゲー

ムの中に燃やしました。勝ったと思えば次なる敗けの口惜しさに小さいミハイルは興奮して

間断のない研究に追いやられました。1954年サイギンに勝ってマスター位を得ました。

1957年、誰も予想しなかったことが始まります。第24回ソ連選手権で、高名な8人のGM

(グランドマスター)たち --- ボトビニクケレスペトロシアン、トルシュらを前にして、しかも

そのうち5人を直接打ちのめしてタリは華々しく優勝をさらいました。この飛躍によりタリは

世界的な声望とGMのタイトルを得ました。次の年、再びペトロシアン、ブロンシュタイン

アベルバハゲラー等の強豪を相手に全ソ連選手権で優勝、二期連続です。そしてポルト

ロジュで開かれた世界選手権インターゾーナルにも優勝し挑戦者決定戦に進出しました。

傍若無人ともいえる野心と意志により、タリは次の年も“奇跡”を続け天与の才を開花させ

ます。26回ソ連選手権では2−3位そしてチューリヒのインターゾーナルでは堂々と優勝。

宿願のチャンピオンへの道への前途に横たわる大障害、最終関門の挑戦者決定戦の日が

くるのをタリは辛抱強く待ちのぞみました。ユーゴスラビアでブレド、ザークレブ、ベオグラード

と転戦しつつ、タリは精強ケレス、ペトロシアン、グリゴリチ等を寄せつけません。ライバルた

ちすべてを打破したタリの前に立ちはだかるのはただ一人ボトビニク。そしてただ一つの世界

タイトル。1960年の春、チェスの歴史に一つの出来事、チェス盤を前にして片や重厚にタイ

トルを保持する49才のボトビニク。片や23才の神童タリ。試合は終始鮮やかな技を連発し

のびのび戦うタリのものとなりました。チェス史上、こんな若さで最高位を極めたのは類があ

りません。18才でマスター、21才でGM、23才で世界チャンピオン! 1961年のリターン

マッチに破れ、努力が水泡に帰したことはタリの自信をぐらつかせました。次の世界選手権

シリーズは試合による勝ち抜きです。タリの出だしは有望でした。ボルティシュ、ラースンを

連破し、しかし最終戦スパスキイに敗れ、1968年には準決勝でコルチノイに斬られました。

タリにとっては忌むべきは1973年夏。レニングラドのインターゾーナル・トーナメントはむしろ

望むところであったのに、この“リガの魔術師”は予期せぬ残敗を喫しました。しかしチェスの

大選手にとって斯界制覇に障害があるわけはありません。タリはチェス界の中に彗星のごと

き輝きで現れました。単なるマスターがアッというまの4年間に世界の王座に至りました。チェ

ス界に飛び込んできたその迅速さを人はモーフィのそれにたとえ、また彼を催眠術のように

思いました。タリが世界を驚胆させた美しいコンビネーションの数々はアリョーヒンの類希な

技法を思い返させました。20才の若さで最高学府の教育を身に付け、教育の深さを誇った

タリは科学と音楽でも一流の識者です。チェス誌の編集をしたり、しかし結局彼は天才プレー

ヤーといわれるのが一番ふさわしいでしょう。どんな難局にあってもひるまずに気品高く、闘争

力、ダイナミックさの棋風をくずさなかったのがタリです。彼の成績には波がありました。彼自

身次のように言っています。“チェス・プレーヤーはみんな自分のトーナメントの運を鍛冶場で

たたき出しているようなものだ”


 




この写真(フィッシャー対タリ)の時の試合、タリが7手目Ne7を指そうとしている。1960年

Robert James Fischer vs Mikhail Tal
"French Drawings" (game of the day Oct-15-07)
Leipzig Olympiad Final 1960 ・ French Defense: Winawer. Retreat Variation Armenian Line (C18) ・ 1/2-1/2




この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




「ボビー・フィッシャー 魂の60局」ボビー・フィッシャー著 水野優訳から以下抜粋

引用します。各試合はフィッシャー自身の解説ですが、試合の序文を書いているのは

友人の一人だったアメリカの強豪ラリー・エヴァンズです。「乱闘・・・タリが世界チャン

ピオンになってからの2人の初対戦は、古風な乱戦になった。持ち前の激しい棋風で、

フィッシャーはたちまち制圧して勝勢になるが、うかつにもタリに14...Nxe5!からの目も

くらむ連発花火を許す。そして、7手のシーソーゲームの後、永久チェックに終わる。

このハイレベルな対決を見るかぎり、いずれフィッシャーがタリの実力を見定めること

は間違いなかった。これから1年も経たずに、タリが世界選手権のリターンマッチで

ボトヴィニクに破れた後、フィッシャーはそれを果す。タリの手相を見て、フィッシャー

は予言した。『次の世界チャンピオンは・・・ボビー・・・フィッシャー!』。」




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ミハイル・タリは酒とタバコとチェスを愛していましたが、持病の腎臓病に悩まされ

世界チャンピオンにカムバックできませんでした。前世界チャンピオンのマックス・

エイベ博士はタリについて次のように言っています。「タリのやることは往々、見る

人の目を疑わせます。駒をバタバタ捨てての攻撃は一見まったく何の代償も取れ

ないように見えます。タリは二つも三つも駒損しておいて、理屈では割り切れない

局面を作り勝ったり引き分けたりしています。タリは恐らく古今を通じて最も奇抜な

プレーヤーでしょう」。またタリが一年かけて作った86試合という最長不敗記録

(47勝39分)は今でも破られていません。「チェスはまずなによりも芸術である」タリ



「白夜のチェス戦争」ジョージ・スタイナー著 諸岡敏行訳 晶文社 より引用

1個の新星が、この輝ける星団から出現した。1957年のソ連邦選手権は、リガ大学

歴史哲学部の二十歳の学生であるミハイル・タリにさらわれた。三年後には、モスクワ

の魅惑的な対局(六勝二敗十三分)で、タリはボトビーンニクのもつ世界選手権を奪取

した。タリはおどろくばかりの創意と才気あふれる棋士であり、チェスの偉大な天生の

名人のひとりである。1961年にはボトビーンニクが三度復位したが、タリ時代の到来

はすべてに予想されていた。しかしタリの健康は、マッチ・プレイの猛烈な肉体的・心理

的圧迫のもとでは最高の状態を維持できないことがわかった。かれはそれでもひらめ

きにみちた作品を生みつづけたが、国際競技会のほとんどを欠場しなければならなかっ

た。このタリの不在が、フィッシャーの上昇につながる。はやくも1950年代のおわりに、

すぐれた観察者は、はかり知れぬ才能に恵まれたこの若い名人同士の世界タイトル争

奪戦を期待し、予言していた。かれらが対戦するときの結果は、つねに興奮させた。黒

番で<シシリア>を指したタリは、1959年のユーゴスラビアの挑戦者決定トーナメント

において、フィッシャーをとことんたたいた。その二年後には、ブレドでフィッシャーは雪辱

をはたした。試合はいずれも「最高のチェスでは、じぶんの得物を容赦なく急所に打ちこ

まなければならない」というフィッシャーの自戒を地でいくものの、あるいは地でいくからこ

そ、よろこびである。ふたりがあらそった最後の機会は、1962年6月5日のキュラソー

だが、もっとも古典的な、あいゆずらぬ立派な試合(序盤定跡は<ルイ・ロペス>)のの

ち、フィッシャーとタリは引きわけた。たぶん、フィッシャーにたいするタリの戦闘能力は、

近代チェスの悲しむべき未知数としてのこるのだろう。



 
 



1960年 チェスオリンピック 世界チャンピオン タリ と対戦する17歳のフィッシャー


「楽しいチェス読本」ロフリン著 より引用

1950年代のソ連のチェス界で注目にあたいするのは、すぐれた新人たちの出現です。その中には、小学生の頃

からその名を知られていたタリとスパスキーがいます。しかし、チェス界のオリンポスの頂きをきわめるためには、

多くの巨匠たち(たとえばケレス)を追い越さなければなりません。また、王座を狙って虎視眈々としているペトロシ

アン、コルチノイ、ポルガエフスキー、ゲラーなどもそのなかに入ります。



このなかで勝ち抜いてゆくのは大変なことですが、この難事業を最初になしとげたのは、ミハイル・タリでした(1936

年生)。彼はリガ(ラトビア共和国の首都)出身で、他人が6〜7年もかかるところを2〜3年で達成してしまったのです。

彼の技術の上達は目をみはるほどでした。1957年に彼が全ソ選手権を獲得したとき、私はモスクワの巨匠たちと彼

の将来の成功について論争してしまいました。



私は、彼が全ソ大会の青年の部で優勝した頃から強い印象を受けていました。ちょうどその頃、私はソ連ロシア

共和国のチェストレーナーとロシアチームの監督に任命されたのです。



1958年の全ソ選手権で2度目の金メダルを獲得し、彼の試合は各国語に翻訳されて、チェス雑誌を飾りました。

そのうちに、ユーゴスラビアでの挑戦者決定戦で第1位になりました。ユーゴの新聞はその模様を次のように報じ

ています。「チェスのロケット」、「タリ、この名を記憶せよ!」。タリ式攻撃、ということばが日常語になったほどで

す。しかし、簡単にはチャンピオンと対戦できませんでした。1960年にやっと、彼はボトビニクと王座をかけて相

対することになりました。



結果は予想どおりといえるものでした。若い挑戦者を過小評価していたボトビニクは、無惨な破目におちいった

のです。2勝6敗13引き分けというのがボトビニクの成績でした。



新チャンピオンはまだ24歳の若さで、彼の出現は美の女神の崇拝者たちを驚かせました。彼はチェスにおける

古い形式的な法則をくつがえし、機知にとんだ戦術を駆使し、目をまわすような危険をおかす革新的人物であっ

たからです。たしかに、すべての人々がタリを受け入れ、彼の棋風をまねしたわけではありません。しかし、ポジ

ションに対する力学的な計算は彼独得のもので、チェスの認識に一線を画したものです。しかし、新チャンピオン

は模範となるような技術的な手法をのこすには到りませんでした。



1961年春、タリとボトビニクのリターンマッチが行なわれ、結果はタリの敗北におわりました。チェスの評論家たち

が予想していた「ボトビニク時代の終焉」は、訂正を余儀なくされました。しかし、敗北の原因はタリ自身にあった

のです。



ソ連の名人コトフは対戦前の雰囲気を次のように描写しています。「タリの輝くようなコンビネーションは、彼の

崇拝者だけでなく評論家もも魅了しています。1人の評論家だけが、新チャンピオンの弱点に気づいていました。

チャンピオン・タリの戦略は堅固ですし、彼自身にも具合の悪い点は見当らず、立派な戦術をもっています。その

彼に弱点を見いだしたというのです。それは、タリの即興性です。あるポジションの定跡に反して彼がおこなう

即興的な手法なのです。太陽が中心にあるときには、小さな欠点を見いだすのは容易なことではありません。

が、この評論家は自分の正しさを信じ、証明する機会を待っていたのです。彼の名はボトビニクです・・・」。



スミスロフとボトビニクのリターンマッチの結果を知っていたタリは、真剣に前チャンピオンとの対戦準備をしな

ければなりませんでした。ボトビニクの健康状態は良好ではなく、ソ連チェス連盟は、試合の延期を勧告しまし

たが、なぜかタリは予定どおりの実施を主張したのです。



49歳のボトビニクはこの試合で、ポジションに対する戦略的評価の模範を示しただけではありません。彼の

棋風には自由が感じられます。有名な技法だとか、細かい分析心理学からの解放です。彼は2度目の対戦の

ために綿密な準備をし、対戦者についての完全なプログラムを用意し、勝利に到達したのです。成績は10勝

5敗6分けでした。




 
 


「ミハイル・タリ 名局集」 ピーター・クラーク著 水野優・訳 チェストランス出版より以下抜粋引用



チェスは戦いである。この単純な文が、私が思うに、タリの才能を理解するための真の手がかりだ。彼以前のどんな

偉大なマスターよりも、チェスの性質と明解な理解とそれを補完するのに最適な才能と資質を兼ね備えてきた。



タリには、ラスカーアリョーヒンとの多くの共通点がある。ラスカーは、心理作戦の価値と、対立する人格間の戦い

でそれが果たす役割を初めて評価した。そして、タリと同じく若くしてチェス界の頂点へ到達した(シュタイニッツを破っ

た1894年には25歳だった)。しかし、スタイルに関しては違っていた。ラスカーは激しく複雑な局面にも造詣が深かった

が、それより戦略家と、とりわけ終盤の名手として知られていた。



一方、(特に若き日の)アリョーヒンには、今タリにはっきり見られる通りの才能があった。カパブランカの少し後だった

のは(若くして世界チャンピオンになる点では)不運であり、自分の番が来るのを待たねばならなかった。一方、タリが

上り詰めたのは、まさに旧世代が衰え始めた時期だった。



タリは、闘争本能とそれを生かせる武器を持っている。「戦術は中盤戦で最も重要な要素」と言ったのはタラッシュ

が、タリの成功がこれを証明するものは他にありえない。タリにとって、中盤戦は創造的アイデアを表現する本番の

舞台だ。そこでは、手綱を緩めて想像力を飛翔させ、持ち前の激しいコンビネーションへの衝動を解き放てる。



本書に収められたゲームは、タリの才能を極彩色で描き出しているが、そのいくつかの側面はかなり重要なので、

別個に解説すべきだと考えた。以下に続くのは、そのための実例だ。



タリの攻撃好きで、世界中がそれを知っている。そんな彼が何とか着実にこれほどの成功を収めていることは、

尽きない驚きの種だ。この秘密を説明する一つは、序盤への実践的な取り組み方だ。タリは理論を見事に駆使でき

るのに、単純で直接的な〈現代の定跡が許す範囲の)作戦で良しとし、戦略の問題に時間を使うことを避ける。この

点では肩を並べるモーフィーは、ピースが早く適切に動員されれば、強力な攻撃手段になることに初めて気づいた。



ひとたび中盤戦になれば、タリは、自分のピースが最も活発になるような激しくダイナミックな局面を求める。ここで

重要な言葉は「活発(activity)だ。思うに、タリのスタイルを一語でまとめるなら、この活発だろう! 彼はどんな局面

にでも生命を吹き込めるようだ。



 


タリの名局


タリ(12歳)とイズラエル・ジルバー(15歳)の時のものだが、タリ自身が書いた名著

「The LIfe and Games of MIKHAIL TAL」Mikhail Tal著の最初の自選記に彼との試合が

詳しく解説されている。尚、イズラエル・ジルバーは1933年生まれで1958年にラトビアの

チャンピオンになるが、その後アメリカに移住、1980年代はホームレスとして生活し、

ワシントンスクエアでは一番の実力あるプレーヤーでした。その後の消息は不明です。

アメリカ映画協会(en:American Film Institute; AFI)が2006年、アメリカ映画100年を特集

した「感動の映画ベスト100」の中に「ボビー・フィッシャーを探して」が選出されましたが、

ジルバー(本人ではありません)が出る場面があります。また、この映画の元となった

「ボビー・フィッシャーを探して」 フレッド・ウェイツキン著 若島正・訳 みすず書房にも

彼のことが書かれています。


Mikhail Tal vs Josif Israel Zilber
Riga (1949) ・ French Defense: Tarrasch Variation. Chistyakov Defense (C07) ・ 1-0


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Mikhail Tal vs Georgy Lisitsin
"A Strong Piece" (game of the day Jan-15-11)
USSR Championship (1956) ・ Sicilian Defense: Dragon. Levenfish Variation (B71) ・ 1-0




「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい

解説がされています。「キングは強力なピース・・・キングの安全を気に病む者は、本局のタリ

のゲーム運びに歓喜し、啓示を受けるだろう。ゲームが進んでピースが消えるにつれキング

の威力が増すことなど、タリにはお見通しだ。終盤が訪れると、キングは真に恐るべき戦闘

ピースになる。タリのキングが平然と敵陣の要塞へと踏み込み、ポーンをいくつか取ってから

味方のポーンの一つ昇格へと導くのを見るがいい。この観戦の楽しみは、興味深い終盤戦

のレッスンなのだ。」・・・本書より抜粋引用




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Mikhail Tal vs Alexander Koblents
"Mikhail's Navy" (game of the day Jun-03-09)
Riga ;MAINB 1957 ・ Sicilian Defense: Richter-Rauzer. Classical Variation (B63) ・ 1-0




この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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Mikhail Tal vs Robert James Fischer
Bled-Zagreb-Belgrade Candidates (1959) ・ King's Indian Defense: Petrosian Variation. Normal Defense (E93) ・ 1-0




この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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Mikhail Tal vs Vasily Smyslov
"Tal Tales" (game of the day Apr-10-05)
Bled-Zagreb-Belgrade Candidates (1959) ・ Caro-Kann Defense: Breyer Variation (B10) ・ 1-0



当時、本局から受けた圧倒的な印象は、私の記憶の中では未だに新鮮だ。それは

ほとんど信じがたかった。泰然自若な強豪、元世界チャンピオンのスミスロフが、

たった26手で壊滅したのだ。オリュンポス山の最後の砦が藁のように見捨てられ

る瞬間だった。序盤が終わらぬうちにタリが仕掛けたサクリファイス攻撃は、その

華麗さに劣らず大胆だ。完全に成立しているかどうかは判断しがたい。選択肢の

枝分かれにキリがないからだ。専門家の意見では、黒は持ちこたえられるが、

実戦のストレス下で正着を見つけるには厳しすぎる。タリ自身は、本局をこの

大会での最高の業績と見なしている。

「ミハイル・タリ 名局集」 ピーター・クラーク著 水野優・訳 チェストランス出版から引用



「ラトヴィアの天才タリは、そのきらめくような才気で、ボトヴィニクとのチャンピオン戦を

約束されようとしていた。」


「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用



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Mikhail Tal vs Mikhail Botvinnik
"Winawer Winnowed" (game of the day Nov-19-10)
Tal-Botvinnik World Championship Match (1960) ・ French Defense: Winawer. Classical Variation (C18) ・ 1-0



待望の第1局は、誰の期待をも上回るドラマチックな対戦になった。とりわけ興味深いのは、

両者の広く知られたスタイルが入れ替わったかのように見えることだ。本局では、世界チャン

ピオンが攻撃のためにポーンを捨てる一方で、若き挑戦者は、もっと戦略的な手順を追及

した。ボトヴィニクは、できるだけ早く主導権を取ることで、タリに倒された相手の気持ちを

タリに味わわせてやろうと思ったようだ。このプランが成功すれば、これ以上ない心理的

一撃と絶賛されただろうが、失敗するとボロクソに批判される。とにかく、タリはいかなる

困難に見舞われた様子もなく、いつもの自信に満ちたスタイルで、駒得を迅速に確実な

ものにしていく。この勝利で、タリが選手権マッチのスタートを飾れた。

「ミハイル・タリ 名局集」 ピーター・クラーク著 水野優・訳 チェストランス出版から引用



「高度に独創的で、想像力に富んだプレーによって、タリは世界タイトル・マッチでの

輝かしいスタートを切った。」


「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用



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Mikhail Botvinnik vs Mikhail Tal
"Tricks are for KIDs" (game of the day Oct-25-08)
Tal-Botvinnik World Championship Match (1960) ・
King's Indian Defense: Fianchetto Variation. Classical Main Line (E69) ・ 0-1


センセーショナルな本局は、この選手権の結果を左右する他のいかなる要素にも勝った

だろう。4 vs 2 で挑戦者がリードしていたことを別にしても、タリの攻撃的傾向に全面的な

追い風を吹かせると同時に、チャンピオンの自信にダメージを食らわす一局になったに

違いない。この選手権では、ここまで顕著に牽制されていたタリの燃えるような才能が、

21手目の驚くべきピース・サクリファイスで一気に爆発した。読者は後に分かるだろう。

正確無比な論理と科学に精通したボトヴィニクは、多くの者がしくじってきた局面をうまく

しのげるか? 明らかにしのげない。彼が局面と残り時間のストレスに屈するまであまり

時間を要しないからだ。タリのコンビネーションの誤りが後に示されても、この歴史的対戦

の価値はほとんど損なわれなかった。重要なのはタリが勝ったことだ。

「ミハイル・タリ 名局集」 ピーター・クラーク著 水野優・訳 チェストランス出版から引用



この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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Mikhail Tal vs Hans-Joachim Hecht
"Walking Tal" (game of the day Nov-12-06)
Varna olm 1962 ・ Queen's Indian Defense: Kasparov Variation (E12) ・ 1-0




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Vasily Smyslov vs Mikhail Tal
Ol URS, URS 1964 ・ English Opening: Symmetrical. Symmetrical Variation (A36) ・ 0-1




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Mikhail Tal vs Bent Larsen
"A Bent Pin" (game of the day Apr-28-10)
Bled csf 1965 ・ Sicilian Defense: Scheveningen. Tal Variation (B82) ・ 1-0




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Boris Spassky vs Mikhail Tal
Tallinn (1973) ・ Nimzo-Indian Defense: Leningrad Variation. Averbakh Gambit (E30) ・ 0-1




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「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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Mikhail Tal vs Anthony Miles
"I Can See for Miles" (game of the day Feb-15-13)
Porz GER 1982 ・ Caro-Kann Defense: Karpov. Modern Variation Kasparov Attack (B17) ・ 1-0


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Mikhail Tal vs Utut Adianto
Reykjavik open (1986) ・ Queen's Gambit Declined: Exchange. Positional Variation (D35) ・ 1-0


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Mikhail Tal vs Johann Hjartarson
"Broken Hjarted" (game of the day Jun-17-09)
Reykjavik 43/449 Tal,M 1987 ・ Spanish Game: Closed Variations. Chigorin Defense (C97) ・ 1-0




この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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Mikhail Tal vs Garry Kasparov
"Swan Song" (game of the day Jan-24-14)
Moscow Blitz Tournament 1992 ・ Sicilian Defense: Canal Attack (B51) ・ 1-0

(各持ち時間5分のブリッツにて)

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タリがポルガエフスキーに負けた名局

Lev Polugaevsky vs Mikhail Tal
USSR Championship (1969) ・
Queen's Gambit Declined: Semi-Tarrasch Defense. Exchange Variation (D41) ・ 1-0




この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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タリの名局集(129局)

Mikhail Tal: Selected Games
Compiled by wanabe2000


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Chessgames.com


タリの全棋譜


 


以下、「決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣」

ガルリ・カスパロフ著 近藤隆文訳 NHK出版 より引用



純然たる攻撃のマジック

第8代世界チャンピオン(1960−61)。旧ソ連(現ラトビア)、リガ生まれ。23歳のときミハイル・ボトヴィニクを破り、当時

史上最年少の世界チャンピオンとなる。“長老”を見事に粉砕したもの、翌年の再対戦では用意周到なボトヴィニクの

反撃に耐えるだけの規律も健康ももち合わせていなかった。タリ本人によれば、「ボトヴィニクは私のプレーを私よりも

理解していた」。


最高のタイトルを獲得したとき、その大胆な棋風からタリはすでに伝説と化していた。真の独創的な天才として、彼の

名はいまも美しい。危険と隣り合わせの攻撃型チェスと同義となっている。そのダイナミックなプレーはボトヴィニクの

厳密な科学と論理の格好の引き立て役であり、二度の世界チャンピオン戦は対比という点で優れた教材だ。



タリは再度挑戦することこそなかったが、数十年にわたって危険な勢力でありつづけた。生涯を通じて深刻な腎臓の

問題・・・荒んだ生活と過度の喫煙と飲酒がそれを悪化させた・・・に悩まされながら、かならず素晴らしい気迫で盤に

戻ってきた。とうに力が衰えはじめていた1988年、愛すべき“ミーシャ”はカナダでの世界早指し(ブリッツ)選手権で

アナトリー・カルポフや私など、並いるスター棋士をおさえて1位となり、多くのファンを喜ばせた。








「タリがきちんと自己を管理することを学べば、彼との勝負は不可能になるだろう」・・・ミハイル・ボトヴィニク



「たいていの場合、私はチェスを研究するよりプレーするほうがいい。私にとってチェスは科学というより芸術だ。

アリョーヒンと私は似たようなチェスをするが、彼のほうがずっと研究していたといわれている。まあ、そうだろう

が、私としては、彼はプレーもしていたと言わざるをえない」・・・タリ



「幸運が現れるのを待っていたら、人生はとても退屈になる」・・・タリ





Mikhail Tal - Wikipedia, the free encyclopedia


Mikhail Tal - Wikipedia, the free encyclopedia







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麗しき女性チェス棋士の肖像

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