「ボビー・フィッシャー 魂の60局」

ボビー・フィッシャー著 水野優訳 評言社







水野優さんはこれまで名著と言われるチェス本を2冊邦訳されてきたが、この

「ボビー・フィッシャー 魂の60局」は名著の中でも優れた存在で、フィッシャー

自身のコメントを通してチェス名人が何を考え迷ったかを感じ、そしてその解析

力にまるでフィッシャーの横に座って対局中のチェス盤を見ているような錯覚を

覚えてしまう。単なる高度な解析だけでなく、そこにフィッシャーという一人の人間

性を垣間見ることが出来からそう感じてしまうのかも知れない。素晴らしい文献を

翻訳されたものだ。


(K.K)




水野さんが訳された外国の本



チェス文献「ミハイル・タリ 名局集」 ピーター・クラーク著 水野優・訳 チェストランス出版

「3手読んで勝つ戦術」アーヴィング・チェルネフ+フレッド・ラインフェルド著 水野優訳 チェストランス出版

「実戦的スタディ集」 チェス・クラシックス2 ハンス・ボウメスター著 水野優 訳 チェストランス出版

「チェス上達の手引き」 I.A.ホロヴィッツ+フレッド・ラインフェルド著 水野優訳 チェストランス出版

「チェックメイトの技法」第2版 ジョルジュ・ルノー&ヴィクトル・カーン著 水野優 訳 チェストランス出版

「チェックメイトの技法」ジョルジュ・ルノー&ヴィクトル・カーン著 水野優 訳 チェストランス出版

「グランドマスターのように考えよう」アレクサンダー・コトフ著 水野優・訳 チェストランス出版

「161 ミニチュア(短手数局)集」レナード・バーデン ヴォルフガング・ハイデンフェルト著 
水野優 訳 チェストランス出版


「チェス 終盤の基礎知識」ユーリ・アヴェルバッハ 著 水野優 訳 チェストランス出版

チェス文献「終盤の300題」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳 チェストランス出版

「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳 チェストランス出版

「ボビー・フィッシャー 魂の60局」ボビー・フィッシャー著 水野優訳 評言社





 「チェス棋士、ボビー・フィッシャー(Bobby Fischer) ・チェス世界チャンピオン」

を参照されたし。


 




本書 帯文 より引用


ガルリ・カスパロフ
「フィッシャーは、チェス界に残した偉大な功績と、不滅のゲームによって
記憶されるべき棋士である。」



ボリス・スパスキー
「彼の完璧な天賦の才能にはいつも感銘させられた。チェス、そして人生の
両面において。」



チグラン・ペトロシアン
「フィッシャーは並外れている。局面の難解なところを一目で見出し、一目で
解いてしまう。」



マグヌス・カールセン
「一見ありふれた手の積み重ねで、いとも簡単に勝利したかのように見せる
のが、フィッシャーのすごいところだ。」



羽生善治
「フィッシャーのゲームはアグレッシブで技の決め方が見事です。この本は
フィッシャーの名局が解説つきで鑑賞できるチェスファンの皆様にお薦め
の1冊です。初心者から上級者まで多くの人が楽しめます。」



森内俊之氏
「私がチェスを上達していくうえで大きな影響を受けた一人がフィッシャーで
す。地味な応酬になりがちなチェスボード上でダイナミックなコンビネーショ
ンを生み出すフィッシャーのゲームは芸術と言えるでしょう。」



 


本書 「解説:ボビー・フィッシャーの息づかいが伝わってくる本」
渡辺暁(ラテンアメリカ研究者 1999〜2001全日本チャンピオン)より抜粋引用



ボビー・フィッシャーのMy 60 Memorable Gamesは世界で最も有名な、そして最も読まれてきた

チェスの本の一つといっても過言ではない名著である。(中略) ところで、40年も前に出版された

この本がなぜ今でも新鮮で、読者に多くを訴えかけてくるのだろうか。おそらくその秘密は、本書

を通してフィッシャーの思考の過程を追体験することができる、という点にあるのではないか、と

筆者は考える。すでに述べられたような、勝利に至る思考の論理的な解説に加え、本書には彼

の失敗作もおさめられている。3局の敗戦はもとより、第12局の簡単に引き分けだと思っていたが

実は負け筋があった最終盤での思い違いに見られるように、彼ほどのプレーヤーでも悪手を指せ

ば、勝てるゲームを落としたりもしている。そんなときに彼は、当時の自分の心理状態に加え、失敗

から学ぶ姿勢やその成果を、読者に見せてくれているのだ。エピグラフのラスカーの言葉が象徴

するように、ここまでチェス盤の上での「真実」に対して真剣な本は、なかなかないだろう(実際、フィ

ッシャーは本書の分析は完璧だと自慢していたそうである)。つまりこの本は、フィッシャーがそこま

で自分の思考過程や心の動きを明らかにしている、彼の息づかいが伝わってくる本なのだ。



(中略)



このエピソードが示すように、10代前半ですでに才能を見せはじめていたかカスパロフは、1985年

に世界選手権マッチで勝利し、その後20年間にわたって世界チェス界に君臨することになるが、チャ

ンピオンはチャンピオンを知ると言うべきか、フィッシャーについて様々な面白い指摘をしている。

少年時代に本書の愛読者でもあった彼は、フィッシャーは最初のプロフェッショナル・チェスプレー

ヤーであり、彼の指した一局一局のゲームも重要だが、チェスに対する全般的な態度そのものが

特別だったと述べ、どんなレベルのプレーヤーでも彼のゲームを勉強し、チェスに対する真摯な姿勢

を学ぶべきだ、とも付け加えている。



どんなスポーツ・競技でも、ある天才の出現が競技そのものの質を変えてしまうことがあるが、20世紀

半ばのチェスの場合、フィッシャーがその人物だったと言えるだろう。さらに言えば、フィッシャーの存在

はチェスの世界を超えて、社会現象ともなった。特に世界選手権での勝利は、東西冷戦下におけるソ連

と西側の様々な対立の中でのアメリカの一つの勝利として大々的に取り上げられた。チェスが社会的

にこれだけ注目を集めたのは、この「世紀のマッチ」を除けば、カスパロフがコンピューターに敗れたと

きくらいだろう。



 


本書 「訳者序文 水野優」 より抜粋引用



本書は、ボビー・フィッシャーの著作(各局冒頭はラリー・エヴァンズによる)My 60 Memorable Gamesの

日本語訳です。旧式の記譜表記は、現在使われている代数式に変換しました。チェスのルールに関する

記述はありませんが、記譜と用語集を細補足しました。1985年に『ボビー・フィッシャーのチェス入門』

初めてチェスに魅了された私が、フィッシャーのもう一つの主著の翻訳出版へとこぎ着けたわけですが、

その四半世紀の間にフィッシャーのみならずエヴァンズまで他界してしまいました。



(中略)



翻訳することによって、いままでつまみ読みだけだった原書を熟読できたのは得難い経験でした。「天才」

や「奇人」の一言で片づけられることが多いフィッシャーが、過去のチェス文献に精通し、ライバルや憎き

ソ連棋士に対しても盤上ではフェアで真摯に接してきたことが実感できます。 晩年には日本とも少なから

ぬ関係があったフィッシャーですが、メディアではアイスランドへ出国するまでの不幸な面ばかりが注目され

てしまいました。本書では、世界チャンピオン以降の奇行は忘れて、彼のチェス求道者としての純粋な面を

じっくりとご堪能ください。



 

 




 



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2015年10月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





2001年9月11日、同時多発テロの日。



「ブッシュ大統領に死を! アメリカに死を! アメリカなんてくそくらえ!



ユダヤ人なんかくそくらえ! ユダヤ人は犯罪者だ。



やつらは人殺しで、犯罪者で泥棒で、嘘つきのろくでなしだ。



ホロコーストだってやつらのでっちあげだ。あんなの一言も真実じゃない。



今日はすばらしい日だ。アメリカなんてくそくらえ! 泣きわめけ、



この泣きべそかきめ! 哀れな声で泣くんだ、このろくでなしども! 



おまえたちの終りは近いぞ」



2013年2月17日、亡き伝説のチェス王者・フィッシャーのこの言葉をフェイスブックで紹介したが、フィッシャーの母はユダヤ人

であり、生涯その関係は血のつながりを感じさせる温かいものであった。



なのに何故?



何が彼をそこまで追いつめたのか?



以前、郵便チェスでアメリカ人と対局したことがあるが、彼は「フィッシャーは不幸にして病んでいる」と応えていたが、アメリカ人

の多くがそう思っていることだろう。



1972年のアイスランドでの東西冷戦を象徴する盤上決戦と勝利、マスコミは大々的に報じ、フィッシャーを西側の英雄・時代の

寵児として持ち上げた。



それから43年後の2015年。



フィッシャーの半生を映画化した「完全なるチェックメイト」(原題はPawn Sacrifice)が日本でも12月25日から全国で上映される。



主演はスパイダーマンで有名なトビー・マグワイアだが、このスパイダーマンの映画の中で心に残っている台詞は、



「これから何が起ころうと僕はベン叔父さんの言葉を忘れない。『優れた能力には重大な責任が伴う』 この能力は僕の喜び

でもあり悲しみでもある。だって僕はスパイダーマンだから。」



フィッシャーとスパイダーマン、一時的にはフィッシャーは英雄となったが、彼にとって「重大な責任」とはチェスの真髄を追い

つづけることだったのかも知れない。



東西決戦の後にフィッシャーがとった奇怪な言動は、妥協を決して許さない態度が周囲との摩擦を深めていく中で、奇異な

ものとなっていったのだろう。



フィッシャーの素顔。



アメリカから訴追され、日本に居たフィッシャーをアイスランドへ出国させる為に尽力した渡井美代子さんは、フィッシャーと

スパスキーとの再戦時(1992年)に招待された時のことを次のように書いている。



「フィッシャーは誠実の人です。約束は必ず守ります。だから、会うたび違うことをいう人を(どんな些細な食い違いであった

としても)絶対に信用しません。フィッシャーは、私が希望をいえば誠実に応えてくれる最高の友です。試合のない日は私と

食事するという約束は何があっも一度も違えませんでした。どんな偉い人がきても袖にしました。」



有名な写真家Harry Bensonは、フィッシャーが亡くなった後に、「Bobby Fischer against the World」という自らが撮った

フィッシャーの写真集を出版した。



そこには、花や馬と戯れるフィッシャーがいた。



アイスランド。



盤上決戦の地であり、フィッシャーが64歳で亡くなった地。



私がチェスに関心をもつ前に、ある写真集に惹かれ、それから写真・写真集に関心を持つようになったのだが、そのきっかけ

となったのがアイスランドの写真集だったのも何かの因縁かも知れない。




 

2013年2月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





「完全なる天才 天才ボビー・フィッシャーの生涯」文芸春秋 を読み終えて

(写真はフィッシャーの写真集より引用したもので世界選手権の休息日に撮られたものです。)



2001年9月11日、同時多発テロの日。



「ブッシュ大統領に死を! アメリカに死を! アメリカなんてくそくらえ!

ユダヤ人なんかくそくらえ! ユダヤ人は犯罪者だ。

やつらは人殺しで、犯罪者で泥棒で、嘘つきのろくでなしだ。

ホロコーストだってやつらのでっちあげだ。あんなの一言も真実じゃない。

今日はすばらしい日だ。アメリカなんてくそくらえ! 泣きわめけ、

この泣きべそかきめ! 哀れな声で泣くんだ、このろくでなしども! 

おまえたちの終りは近いぞ」



これはイスラム過激派の言葉ではない。この言葉は1972年という東西冷戦時のソ連にたった一人で

立ち向かい、チェスで勝利した男・ボビーフィッシャー(ユダヤ人の血をひくアメリカ人)が発したもの

である。



チェスを超えて自由主義圏の英雄ともてはやされた男が何故ここまで堕ちたのか、いや正確には追い

つめられたと言ったほうがいいのだろう。



妥協することを許さない天才。彼の言葉は物事の真実を暴こうとするが周囲からは理解されず、彼の

名声やお金に与ろうする人間によって傷つけられ、人間不信と妄想そして貧困が彼を蝕んでいく。



母子家庭で育ったフィッシャー、その乾いた心を慰めてくれたものがチェスだった。その天性の才能は

花開き、数々のドラマを生みながら目標としていた世界選手権に挑む。



相手はソ連の世界チャンピオン・スパスキーだった。スパスキーは、その天性・性格・容姿から「チェス

の貴公子」と呼ばれていたが、1968年ソ連がチェコスロバキアに軍事介入した時、スパスキーは黒の

腕章を巻いて大会に現われ、チェコの選手一人一人に握手した。ソ連政府に対して暗黙の抗議を行っ

たスパスキーは1975年フランスに亡命することになる。



一匹狼のフィッシャーと貴公子のスパスキー、この似ても似つかない二人が、1972年世界チャンピオン

の座をかけて戦い、そして20年後の1992年にも国連制裁を受けていたユーゴスラビアで再び戦う。



チェスは白と黒の全く異なる駒が戦う競技だが、それは相手がいればこそ成立する。最初は国の威信

をかけての敵同士だったが、アイスランドでの選手権の戦いを通して彼らはまるでチェスの白と黒の駒

のように惹きつけ合い、互いになくてはならない存在になっていることに気づく。



フィッシャーがアメリカ政府から起訴され、日本で無効なパスポートをもって入国したとして入管法違反

で拘留させられたときも、スパスキーは6歳年下のフィッシャーを、まるで本当の弟のように心配し、

「何故、フィッシャーだけ捕らえるんだ。私も同じ留置所に入れてくれ」と弁護している。



「フィッシャーはその天性の完全さでいつも私に特別な感銘を与えた。チェス、

そして人生の両面においてだ。妥協は一切なかった」 スパスキー



本書はフィッシャーと長年親交があった人が書いたフィッシャーの評伝であるが、単に壊れていく悲劇

の軌跡を追うだけに留まらず、稀にみる一人の天才が対局場で産み出したチェスの名局と共に、チェス

盤と同じ64マスの生涯を終えたフィッシャーの人生そのものがチェス盤そのものに映し出されたような

錯覚に陥ってならなかった。



2013年2月17日 K.K



 
 

2013年2月5日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



ヴェラ・メンチク(1906-1944)・写真は他のサイトより引用



現在でも光り輝く星・ヴェラ・メンチク、彼女はチェスの世界チャンピオンを倒したこともある実力を持ちながら、

第二次世界大戦のドイツの空爆により、38歳で亡くなる。



上の写真はメンチク(前の女性)がクラブの23人のメンバーと同時対局(18勝1敗4分け)した時の写真である

が、彼女の偉業を称えて、チェス・オリンピックでは優勝した女性チームに「ヴェラ・メンチク・カップ」が現在に

至るまで贈られている。



彼女のような輝く女性の星が再び現われるには、ユディット・ポルガー(1976年生まれ)まで70年もの年月が

必要だった。チェスの歴史上、数多くの神童や天才が出現したが、その中でもひときわ輝いていた(人によっ

て評価は異なるが・・・)のがモーフィー(1837年生まれ)、カパブランカ(1893年生まれ)、フィッシャー(1943年

生まれ)である。



他の分野ではわからないが、このように見ると輝く星が誕生するのは50年から70年に1回でしかない。



20世紀の美術に最も影響を与えた芸術家、マルセル・デュシャン(1887年〜1968年)もピカソと同じく芸術家

では天才の一人かも知れない。1929年、メンチクとデュシャンは対局(引き分け)しているが、デュシャンは

チェス・オリンピックのフランス代表の一員として4回出場したほどの実力を持っていた。



「芸術作品は作る者と見る者という二本の電極からなっていて、ちょうどこの両極間の作用によって火花が

起こるように、何ものかを生み出す」・デュシャン、この言葉はやはり前衛芸術の天才、岡本太郎をも思い出

さずにはいられない。世界的にも稀有な縄文土器の「美」を発見したのは岡本太郎その人だった。



「チェスは芸術だ」、これは多くの世界チャンピオンや名人達が口にしてきた言葉だ。この言葉の真意は、私

のような棋力の低い人間には到底わからないが、それでもそこに「美」を感じる心は許されている。



メンチクの光、芸術の光、それは多様性という空間があって初めて輝きをもち、天才もその空間がなければ

光り輝くことはない。



多様性、それは虹を見て心が震えるように、「美」そのものの姿かも知れない。




 

2012年9月23日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



Tobey Maguire dans la peau de Bobby Fischer
 より引用

伝説のチェス世界チャンピオンの映画(フィンチャー監督) 



写真は他のサイトより引用しましたが、元チェス世界チャンピオン・フィッシャーをトビー・マグワイアが

演じています。



今から40年前の1972年、ボビー・フィッシャーの名前はチェスファンだけに留まらず、世界の多くの人の

記憶に刻まれました。世界チェンピオンであった旧ソ連のスパスキーと挑戦するアメリカのフィッシャー

ユダヤ人の母をもつ)、この24番勝負は米ソの東西冷戦の象徴として、世界中の注目を集めたのです。



このフィッシャーの伝記映画が来年公開されます。監督は「ソーシャル・ネットワーク」「ドラゴン・タトゥー

の女」などで知られるデヴィッド・フィンチャー。映画の主人公フィッシャーを演じるのはスパイダーマン役

で知られるトビー・マグワイアです。



マグワイアがどんなフィッシャーを演じるのか今まで全く情報がなかったのですが、上の写真を見るとま

るでフィッシャーが乗り移ったのではないかと思うほど姿や雰囲気が似ています。



奇人と知られるフィッシャーは個人的に好きですが、相手のスパスキーも私は尊敬しています。1968年

のソ連がチェコスロバキアに侵攻したチェコ動乱(プラハの春)の直後に行われた国際トーナメントで、

ソ連のスパスキーは黒の腕章をつけチェコスロバキアの選手一人一人に握手しました。



それはソ連がチェコに対して行ったことへの抗議であり、一人の人間としての謝罪でした。



私自身、正直言いまして共産主義国家には抵抗があります。旧ソ連のスターリンなどによる粛清、中国

・毛沢東のチベット侵略や粛清。



何故、共産主義は人間をこうも憎悪の虜にしてしまうのか、その答えははっきり出ませんが、チェ・ゲバラ

が「世界の何処かで、誰かが被っている不正を、心から悲しむ事が出来る人間になりなさい。それこそ、

最も美しい革命家の資質なのだから。」と言うのに対し、旧ソ連・中国の共産主義は逆にあるものへの憎

しみに囚われていたと感じてなりません。



これは哲学者の梅原猛さんも指摘していることですが、憎悪は増幅して更に多くの憎悪を産むのかも知

れませんし、共産主義だけにあてはまるものでもありません。。



チェスとは関係ない話になってしまいましたが、映画ではアメリカ的な善玉悪玉の構図でスパスキーを

描いて欲しくないと願っています。



最後に、フィッシャーは2008年スパスキーとの世界選手権が行なわれたアイスランドで、チェス盤のマス

の数と同じ64歳の生涯を終えました。



(K.K)




追記(2012年11月30日)


監督はフィンチャー監督が降板し、「ラスト・サムライ」のエドワード・ズウィックになっています。

 

2016年3月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)


不死鳥のオーロラ(写真はNASAより引用)


アイスランドにて昨年9月に撮影されたものですが、オーロラを見に集まっていた人々が帰った午前3時30分、

光が弱くなっていたオーロラが突然空を明るく照らします。



場所はアイスランドの首都レイキャビクから北30kmにある所で、流れている川はKaldaと呼ばれています。



画像中央やや上にはプレアデス星団(すばる)が輝き、山と接するところにはオリオン座が見えます。不死鳥の

頭の部分はペルセウス座と呼ばれるところです。



☆☆☆



この不死鳥のくちばしの近く、やや右下に明るく輝く星・アルゴルが見えます。



アラビア人は「最も不幸で危険な星」と呼んでいましたが、それはこの星が明るさを変える星だったからです。



イギリスの若者グッドリックは、耳が聞こえず口もきけないという不自由な体(子供の時の猩紅熱が原因)でした

が1782年から翌年にかけてアルゴルの変光を追いつづけ、この星が明るさを変えるのは暗い星がアルゴルの

前を通過することによって起こる現象ではないかと仮説を立てます。



1786年、その功績によりロンドンの王立協会会員に選出されますが、その4日後にグッドリックは肺炎により

22歳の若さで他界してしまいます。



グッドリックの仮説が認められたのは100年後(1889年)の分光観測によってでした。



今から230年前の話です。



不死鳥のオーロラ、多くの魂が光の中で飛翔していますように。










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