上の画像は双眼鏡(倍率7倍の実視界約7°)で見る冬の星空・アルゴル(悪魔と呼ばれた星) ペルセウス座。
中央やや右に輝く星がアルゴル(β星)で、左に輝く星はρ星です。
距離・・・93±2光年
上の画像は光害のない、そして透明感ある最高の星空を再現したものです ので、光害などが残るところでは実際にはこのように見えない場合があります。 |
今から93年前の世界とは?(2011年基点) 遠い昔に船出した星の光は、今それを見ている人の瞳に 映し出され、そしてその心には何が刻まれるのでしょう。 |
|
1915年 ドイツのアインシュタインが一般相対性理論を完成 1917年 ロシア革命(三月革命・十一月革命) 1918年 (日本)富山に米騒動 1919年 パリでベルサイユ条約 ドイツがワイマール憲法制定 1919年 (日本)関税自主権回復 1920年 国際連盟、成立 ドイツにナチスができる 1920年 (日本)国際連盟に加入 1921年 中国共産党、成立 イタリアにファシスト党が結成される |
|
今から100年前の話をしたいと思います。ドイツでの話ですが、ある少年の真っ直ぐな気持ちとその 運命を思い巡らす時、この世の不条理を超えて、この少年が遺した想いは100年経った今この時に も、私たちの心に新たな希望という名の息吹を吹き込んでくれていると感じてなりませんでした。 「美しき人間像」小林有方著 昭和35年(1960年)発行 から抜粋引用します。 私が子供の頃に聞いた話があります。子供の頃の事なので人の名前も土地の名前もわかりません。 ただうろ覚えの話ですが、なんでもこんな事でした。日本のある博士が数名の外国人と一緒に、ドイツ を旅行していた時のこと、珍しい外国人と見て、多数の子供たちがサインをせがんできました。幸い 博士だけが、胸に万年筆を持っていましたので真先にサインをし、その万年筆が次から次へと手渡っ ている中にバスの発車の時間になりました。博士は自分のペンの事を忘れ、そのまま出発しましたが、 窓の外で何か子供の叫ぶ声が聞こえるので、ふと見ると、一人の子供が博士のペンを片手に高く持っ て、バスに追いつこうと必死にかけて来るのです。けれども、子供の足ではとても追いつけるはずも なく、みるみる引き離された子供は、とうとうあきらめたのか立ち止まってしまい、博士の方でも、まあ、 万年筆の一本ぐらいとあきらめ、そのまま旅行を続けて、日本に帰国しましたが、それから数ヶ月 たって、突然ドイツから一つの小包が送られて来ました。 あけて見ると、ペシャンコに押しつぶされた博士の例の万年筆と一通の手紙が出て来ました。何気な く読みすすむうちに、博士の胸はしめつけられるような感動を覚えました。 「日本の見知らぬ先生に一筆、先生の万年筆を手に、ボンヤリと家に帰ってきた私の子供は、それ からというもの、毎日毎日先生の住所を探すのに夢中でした。新聞社をはじめ、少しでも関係のあり そうなところへは残らず手紙を出して、先生のお所を聞きましたがわからず、とうとう数ヶ月が過ぎま した。ところが、今から一週間ばかり前のこと、子供は、外から勢いよくかけこんで来ると、『お母さん、 日本の博士のおところがわかったよ、わかったよ」と、こおどりしながら、さっそく先生のペンを小包に して、『お母さん、郵便局に行って来ます』と元気に大喜びで外に飛び出しましたが、それが子供の 最後の姿でした。喜びで夢中になった子供は、横から走って来る自動車に気がつかなかったのです。 子供はひかれて死にました。先生の万年筆も、子供の胸の下で、つぶれました。けれでもお送りし ます。私の最愛の子供のまごころと一緒に、こわれた先生の万年筆をお返しします。どうぞ、ドイツの 子供は不正直だと思わないで下さいまし」 手紙には、そう書いてあったのです。 皆さん、正しさを追い求めて生きるいのちの尊さを学びたいものですね。 では、今夜もどうやら時間が来たようです。静かにおやすみなさい。 引用終わり この少年の名前、そしてその万年筆も100年経った今となっては追跡することなど不可能でしょう。 永遠にそれは失われてしまったのかも知れません。しかし、少年の真心、最愛の息子の真心を大事 にしようとした母親の心は、この話に接した人の心にずっと生き続けていくのでしょう。私はそう信じて います。 (K.K) 2010年2月12日更新履歴より |
「この星座の第一の立役者はなんといってもペルセウスが左手にかかげた女怪メドゥー サのひたいのところに輝くβ星アルゴルでしょう。アルゴルというのはアラビア語のラス・ アルグル「悪魔の頭」からきた名前ですが、この星が2日と20時間59分の周期で2.3等か ら3.5等まで規則正しく明るさを変える食変光星であるため、アラビア人はときどき明るさ を変えるβ星に気づいて「最も不幸で危険な星」とよび、女怪メドゥーサのひたいに輝く星 としてはじつにピッタリなこの名前をつけて気味悪がったといわれています。 (中略)アル ゴルの正体をはじめて明らかにしたのはイギリスの若者グッドリックでした。彼は、耳が 聞こえず口もきけないという不自由な体をおして1782年から翌年にかけてアルゴルの変 光を熱心に追い続けました。その結果この星は約59時間(約2日半)の間2.3等の光を放っ ているものの、その後は急に光度が落ちはじめ、5時間後には3分の1の明るさ3.5等にな り、わずか15分後には再び明るさを増し、5時間後にはまたもとの明るさにもどることをた しかめました。そして、1969年フラムスチードが行なった観測も参考にしながら極小まで の周期を2日20時間48分59.5秒とはじきだしたのです。さらに、アルゴルがこのように規則 的に変光をくりかえすのは、アルゴルのまわりに暗い天体がまわっていて、アルゴルの一 部分をおおいかくすからではないだろうかという仮説を発表しました。ロンドンの王立学会 はアルゴルの変光を発見した功績に対して、グッドリックに最高の賞であるプレイ・メダル を授与しました。が、惜しいことにこの天才的な天文学者はわずか21才という若さで1786 年にこの世を去ってしまいました。グッドリックのこのすぐれた仮説は、その後100年ちか くたっった1889年ドイツのフォーゲルが行なった分光観測によってやっとたしかめられる こととなりました。」 「星座ガイドブック 秋冬編」藤井旭著 より抜粋引用
「星座絵でメドゥサの顔にあたる星は、アルゴル(悪魔)と呼ばれる。周期3日足らずで 2.2〜3.5等に変光する星として、昔から知られていた。アルゴルの変光の謎は、1782年、 17歳のアマチュア天文家グドリックが解き明かした。アルゴルは、明るい星のまわりを暗 い星が回っていて、暗い星が明るい星の前を通過するときに暗くなる、“食変光星”だっ たのだ。」 「星空フィールド日記」浅田英夫著 より引用
「ずいぶん古くから知られていた有名な食変光星だ。周期2日20時間48分29秒で2〜 4等星に変光するのだが、肉眼観察が可能なので変光星観測入門にいい。近くのαや δと光度をくらべてみよう。βは、勇士ペルセウスがもつ魔女メデューサ(Medusa)の首 をあらわしている。変光の原因を知らなかった昔の人々にとって、明るさをかえる不思 議な星は、悪魔の星にみえたのだろう。正体は連星で、暗い伴星のうしろに主星がかく れて減光するのだ。」 「ほしぞらの探訪 肉眼・双眼鏡・小望遠鏡による」山田卓著 より引用
「β星がアラビアでアルゴル Algol(悪魔)と呼ばれたことも、更に古くここにメドゥサという 魔女の首がえがかれたことも、偶然にしては少々できすぎのようにおもえるのっだが・・・? 人はかなり古くからアルゴルの変光に気づいていたらしい。しかし、それがいつの時代だっ たのかがはっきりしない。記録に残っているところでは、イタリアの天文学者モンタナリが 1667年(1669年とか1672年ともいわれる)ごろ、この星が変化することを書き残したものが もっとも古いようだ。アルゴル、悪魔/Demon Star、悪魔の頭/ Demon's Head, Satan's Head, Spectre's Head,ゴルゴンの頭、メドゥサの頭・・・いずれもβ星の呼名である。なんと、中国 ではβ星を含む9-τ-κ-β-ρ-16-12の星の配列を“大陵”と呼び、王の墓にみたて、β星 のすぐとなりにあるπ星を“積尸(しし)”といって、積みかさねた屍体にみた。中国星座の 同定は、きめ手がすくなく、あやふやにならざるをえない点が多いのだが、ひょっとすると “積尸”という不気味な呼名は、π星ではなく、悪魔の星βの呼名ではなかったか、という うがった見かたもできなくはない。 「秋の星座博物館」山田卓著 より抜粋引用 |
ジョン・グッドリック(John Goodricke, 1764年9月17日 - 1786年4月20日)はオランダ出身のアマチュア天文学者である。 オランダのフローニンゲンに生まれたが、一生の大部分をイギリスで過ごした。 変光星アルゴル(Algol:ペルセウス座β星)を観測したことで知られる。当時、すでにいくつかの変光星は知られていたが、 グッドリックは今日、食変光星として知られる変光のメカニズムを提案した。1783年に王立協会で研究成果を発表し、協会 はコプリ・メダルを授与し、1786年4月16日には王立協会会員に選出したが、グッドリックはわずか4日後に肺炎により22歳 で他界した。 グッドリックは子供の時の猩紅熱が原因で聴覚を失い、そのため両親と別れてエジンバラの聾学校で学んだ後、1778年に ウォーリントン・アカデミーで学んだ。卒業後ヨークの両親の元に戻った。個人で天文台を建てたナサニエル・ピゴットの息子 のエドワード・ピゴットと親しくなった。エドワード・ピゴットは変光星を研究しており、グッドリックは観測すべき変光星のリスト をエドワードから受け取った。ヨーク大学のグッドリック・カレッジや、小惑星(3116)のグッドリックは、彼の名前に因んでいる。 ジョン・グッドリック - Wikipedia より引用 グッドリックの生涯と天文学的業績 |
2016年3月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 不死鳥のオーロラ(写真はNASAより引用) アイスランドにて昨年9月に撮影されたものですが、オーロラを見に集まっていた人々が帰った午前3時30分、 光が弱くなっていたオーロラが突然空を明るく照らします。 場所はアイスランドの首都レイキャビクから北30kmにある所で、流れている川はKaldaと呼ばれています。 画像中央やや上にはプレアデス星団(すばる)が輝き、山と接するところにはオリオン座が見えます。不死鳥の 頭の部分はペルセウス座と呼ばれるところです。 ☆☆☆ この不死鳥のくちばしの近く、やや右下に明るく輝く星・アルゴルが見えます。 アラビア人は「最も不幸で危険な星」と呼んでいましたが、それはこの星が明るさを変える星だったからです。 イギリスの若者グッドリックは、耳が聞こえず口もきけないという不自由な体(子供の時の猩紅熱が原因)でした が1782年から翌年にかけてアルゴルの変光を追いつづけ、この星が明るさを変えるのは暗い星がアルゴルの 前を通過することによって起こる現象ではないかと仮説を立てます。 1786年、その功績によりロンドンの王立協会会員に選出されますが、その4日後にグッドリックは肺炎により 22歳の若さで他界してしまいます。 グッドリックの仮説が認められたのは100年後(1889年)の分光観測によってでした。 今から230年前の話です。 不死鳥のオーロラ、多くの魂が光の中で飛翔していますように。 |
2012年3月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年12月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 (大きな画像) ベルセウス座銀河団(写真は他のサイトより引用) ベルセウス座銀河団(Abell426)は、地球から2億2000万光年離れたところにありますが、この銀河団が 位置するペルセウス座は皆さんご存知のカシオペヤ座に近いところにあります。 以前も投稿しましたが、このペルセウス座にある裸眼でも見ることができる星・アルゴルは、明るさを変 える星だったため古代のアラビア人は「悪魔の星」と呼んでいました。 この「悪魔の星」を美しい物語に変えたのは、約220年前に22歳の若さでなくなったグッドリックでした。 ろうあ者だったグッドリックは、このアルゴルの変光を追い続け、暗い星がアルゴルを公転していると 推察したのです。 写真のペルセウス銀河団はこの「美しい星」アルゴルの近くにありますが、望遠鏡でしか見ることができ ません。 ところで、写真中央に見える(私は何処だかわかりません)小さな銀河NGC1277に、この銀河全体の 14%にも及ぶ超大質量ブラックホールが見つかったそうです。 私たちの天の川銀河の10分の1しかないNGC1277なのですが、普通の銀河におけるブラックホールの 質量は0.1%だけに対し、この銀河は14%も占めてしまいます。 太陽170億個分の質量を持つNGC1277のブラックホールの吸い込み口は、太陽系にあてはめると海王 星の太陽周回軌道の11倍以上にも及びます。 米天文学者は、「本当に風変わりな銀河。ほとんど全てがブラックホールでできている。銀河系とブラック ホールの新分類に属する最初の天体かもしれない」と話しましたが、ひょっとしたら史上最大のブラック ホールかも知れないとも言われています。 しかしペルセウス座銀河団、その姿はまるで宝石をちりばめたような美しさですね。 ☆☆☆☆ |
|
2012年1月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
|
「フラムスチード 天球図譜」恒星社編 より引用
(映し出されるまで時間がかかる場合があります)