「聖者マキシミリアノ・コルベ」
アントニオ・リチャアルディ著 西山達也訳
聖母の騎士社 より
マキシミリアノ神父の名でうずめられたような、この日の歴史的事件は、死を免れた人々を して、その夜、感激で眠らせなかったであろう。 かった。
|
本書より引用
スエダ師が聖母の騎士に寄せられた「マキシミリアノ神父の生涯の最後の思い出」を 読んで、アウシュヴィッツ収容所の地下における同神父の最後の日々を書きつづって みようと思います。私は当時、先に述べた地下室付きの通訳兼秘書でした。ゲシュタポ の兵士たちをも感動させたこの英雄的人物の最後の日々を、私は今でも、ありありと、 かつ詳細に思い浮かべることができます。
ミリアノ神父が先唱し、みんなが答えていました。時には、監視兵が来ても気付かぬほ ど祈りに没頭し、どなられてやっとやめるくらいでした。扉をあけると、囚人たちはひどく 泣きながら一切れのパンをねだるのでしたが、いつもはねつけられました。いささか元気 の残っている者が扉に近づくと、腹をけ飛ばされて、セメントの上に倒れ死ぬか、さもなけ れば銃殺されました。どんなにひどい、残酷な死を迎えねばならなかったかということは、 便器からも推して知れます。便器はいつもからでした・・・・・・・。 見回りに行くたびに、他の者はすでに床にのびてしまっているのに、マキシミリアノ神父 だけは立っていたり、真中にひざまずいていて、穏やかな目つきで監視兵を迎えるの でした。 に見かねて、用事があると口実を設けて外に飛び出しました。 (死の地下室での通訳を勤めたブルノ・ボルゴビエツ氏の証言)
|
目次 著者の序文 第一章 アウシュヴィッツの英雄 第二章 幼年時代 第三章 修道生活教育 第四章 聖母の騎士会 第五章 ポーランドにおける最初の使徒的活動 第六章 ニェポカラヌフ〔汚れなき聖母の町〕 第七章 無原罪の園 第八章 二度目の日本滞在 第九章 ニェポカラヌフに帰る 第十章 強制収容と逮捕 第十一章 アウシュヴィッツ 第十二章 霊のプロフィル 第十三章 栄光の途上に
|
「夜と霧をこえて ポーランド強制収容所の生還者たち」より引用
|
マキシミリアノ・マリア・コルベ神父 列聖 1982年10月10日 祝日 8月14日 (聖母の騎士社ホームページより)
聖マキシミリアノ・マリア・コルベの取次ぎを願う祈り
われらの救い主のけがれなき御母へのまじりなき信心と、われらの隣人への 無私の愛との模範聖マキシミリアノ神父をわれらに与えたまいし全能に在ます 永遠の神よ、こいねがわくは彼の取り次ぎによって・・・・(ここでお願いしたいこ とをのべる)・・・・恵みを与えたまえ。我らの主キリストによって。アーメン。
(1930年、コルベ神父がゼノ神父たちと共に長崎に降り立ち、この地に 無原罪の園修道院の設立並びに「聖母の騎士」誌を発行しています。 下の写真はこの当時のコルベ神父の姿です。)
|
より以下、抜粋引用 愛の殉教者 |
2012年1月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
|
2012年7月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 「命を捧げるほどの愛―マキシミリアノ・コルベ神父」 マキシミリアノ・コルベ神父(1894〜1941)を紹介するサイト アウシュヴィッツで餓死刑の身代わりを申し出、亡くなったコルベ神父(1982年、同じポーランド 出身のヨハネ・パウロ2世によって列聖を宣言される)、その姿を沢山の写真と共に紹介した このサイトに心ひきつけられました。 聖フランシスコ修道会に入られたコルベ神父は、長崎に来られた数年間に「聖母の騎士修道院」 を設立し、現在でも月刊誌「聖母の騎士」が発行されています。 布教とは直接関係ないのですが、コルベ神父が大学時代、惑星間の旅行が物理的・生物学的 に可能であることを説明する論文を書いたり、修道院長時代、若い神学生とチェスをすることが 唯一の趣味だったりと、同じ領域に関心をもっていたことに驚きました。 しかし、それよりもこのサイトを通して、コルベ神父の言葉と行いに改めて感銘を受けています。 アウシュヴィッツでの話ですが、このサイトから印象に残った言葉を転載します。 ☆☆☆☆ 担ぎ出される死者には、永遠の安息を祈り見送ることが自分の務めなのだからと祈り続けられ、 他の人の身代わりになって殴打されたこともしばしばでした。 そんなコルベ神父に看護係がこっそりと一杯のお茶を持って行っても、「他の方々はいただいて いませんのに、私だけが特別扱いを受けては申し訳ありません」と固辞され、わずかに与えられ る食事でさえ大部分をいつも他の人に分け与え、痩せきっても優しい微笑みでこうおっしゃった のだそうです。 「私は若い時から様々な苦難には慣れていますが、人にまでその無理を強いたことを反省して います。私のことでしたら心配はいりません。私よりも誰かもっと他に苦しんでいる人がいるで しょう。その人たちに…」 ☆☆☆☆ (K.K) |
2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 原罪の神秘 キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが 何か考えるようになってきた。 世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る 余地などない。 ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない 遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら の魂は何かに守られていると感じてならなかった。 宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力 に満ち溢れているのだろう。 その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た わっているのかも知れない。 世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し ている。 世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。 これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類 と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、 原罪との関わりもわからない。 将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、 ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人と 言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。 しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。 原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて いる。 前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも それは変わらないのだと強く思う。 最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は 聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。 私の文章で不快に思われた方、お許しください。 ☆☆☆☆ 神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。 憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように いさかいのあるところに、赦しを 分裂のあるところに、一致を 迷いのあるところに、信仰を 誤りのあるところに、真理を 絶望のあるところに、希望を 悲しみのあるところに、よろこびを 闇のあるところに、光を もたらすことができますように、 助け、導いてください。 神よ、わたしに 慰められることよりも、慰めることを 理解されることよりも、理解することを 愛されることよりも、愛することを 望ませてください。 自分を捨てて初めて 自分を見出し 赦してこそゆるされ 死ぬことによってのみ 永遠の生命によみがえることを 深く悟らせてください。 ☆☆☆☆ (K.K) |
Kolbe Tour ? St. Francis HS (Athol Springs, NY) | Our Lady of the Angels Province, USA
|
ウェストミンスター教会に掲げられている聖コルベ像(左端)