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沈黙から祈りへと流れゆく聖なるもの



私自身、キリストの教会から離れたものである。そんな私にはアッシジの聖フランシスコについて

書く資格などないのだろう。たとえ心の片隅にキリスト教の三位一体の互いを与え尽くす姿に畏敬

を感じていても、インディアンに代表される先住民族の聖なる輪に魅せられている自分を認めざる

をえないからである。彼らのつねに七世代先の子供たちを想い、今を如何に考えそして行動して

きた視点に、大宇宙を創られた創造主の慈愛に満ちた姿を思い浮かべてしまうのだ。この遥か

太古から受け継がれてきた贈りもの、それは創造主からの贈りものであり、彼ら先住民は日々の

営みの中に創造主の息吹を感じてきた。そんな彼らにとってキリスト教の言う「罪」という概念を理

解することは出来なかった。創造主、並びにその想いを守り続けてきた祖先の想いがあってこそ

今の自分が大地に立てるのである。その感謝と喜び、そして次の世代へ受け継ぐ責任。この聖なる

輪の中にはキリスト教の言う「罪」の意識はなく、感謝と喜びと祈りの光が彼らを包み込んでいた。

おそらく彼ら先住民こそ自分自身が「生かされている」ことを、知性ではなく体の一つ一つの細胞

を通して魂に刻んできた人々であろう。人間以外の生命からの「与えつくし」によって初めて人間

は生きることが出来る。生命を与えてくれた全てのものに対しての感謝と祈りがあるからこそ、

生きていることへの深い喜びがある。しかし、キリスト教徒がもたらしたものの多くは、破壊と分裂

と暴力でしかない。そのようなキリスト教に私は何故も惹かれているのだろうか。それはきっと

十字架上のイエスの「与えつくし」の中に、創造主の深い慈愛を感じているからなのだろう。全く

狂気としか言いようのない慈愛の原形をそこに見ているのかも知れない。悲しいことに歴史は、

その原形とは全く正反対の悲劇を創り出してきたことを記している。キリスト教徒は徹底的にこれ

ら先住民の創造主の慈愛に満ちた目を奪い滅ぼしてきた。キリスト教徒が彼ら先住民族に立つ

創造主の姿、与え尽くす創造主を憎み滅ぼそうとしたことは何と皮肉なことだろう。自分たちが

体現できなかった至高の光を、野蛮人と言われる人の中に見出した時の困惑と自らの余りにも

おぞましい姿に戦慄した時、彼らキリスト教徒はそのすべてを映し出す鏡を滅ぼし尽くす。それは

まるでイエスを憎み十字架にかけたそのものの姿に他ならない。果たして先住民族の魂に流れる

流れる源流とキリスト教の源流が合い交わり続けている聖なる泉があるのだろうか。それともそれ

らは合い交わることのない全く異質なものなのだろうか。私にはわからない。ただ「与えつくす」

創造主の姿が、どちらの川にも映し出されているのを感じられてならないのだ。正直言って私は

この「与えつくす」生き方をしているとは言えない。そんな私にとって、この問いさえ滑稽であり、

ましてこの聖なる泉について語る資格さえもない。幾度となく自らの欲望に引っ張られ、荒れ狂う

大河に幾度も呑み込まれてしまう。このような濁流の中において、何が出来るというのだろう。

ただ私はその沈黙の中においても、創造主がその手を降ろしてくれることを待ちのぞみたい。

1999.7.9


これから以下に紹介する聖なるものは、知性からではなく、沈黙の中から祈りへと向かった魂で

す。これらの魂はあるべき人間の姿、原始のキリスト教の姿を垣間見させ、何かを訴えかけてい

ると感じています。また先住民の魂については「アメリカ・インディアン」を参照していただけたらと

思います。皆さまの中に多くの内なる出会いが産まれますように。


 






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古本においては、Amazonが一番充実しているかも知れません。
 

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長崎の天主堂 五島・黒島をはじめとする隠れキリシタンの祈りが満ちた天主堂
歓喜する円空 生涯に12万体の仏像を彫った円空の根底にある神仏習合思想
モーリス・ズンデル神父 沈黙を通して語られる神の現存、三位一体の与え尽くす神の姿 
ラマナ・マハリシ 精神の至高に座した最もインド的な師が語る「私は誰か」
チベット永遠の書 50年間、大英博物館に眠っていた衝撃的なチベットの光と闇


美に共鳴しあう生命

オオカミの肖像

ブッダ(仏陀)


パドレ・ピオ神父・・・十字架の受難を見つめつづけたピオ神父の「聖痕」や数々の奇跡

 「契約の櫃」・・・ロン・ワイアットが発見したモーゼの10戒の石版を収めた「契約の箱」、
これをどのように捉えていいのか私自身わからないでいます。

各文献のを押すと表紙並びに文献の言葉が出ます。



長崎・平和公園・平和祈念像 1998年1月6日撮影
(大きな画像)


 「長崎の天主堂」

 長崎・五島列島の天主堂  


 



「長崎の天主堂 五島列島の教会堂」T・U・V DVD

「大いなる遺産 長崎の教会」三沢博昭・写真集

「切支丹の里 沈黙とオラショとサンタマリアと

「天主堂物語」木下陽一写真集

「西海の天主堂」「天主堂巡礼」

「祈りの海 キリシタンの里」

「海郷の五島」



 


長崎・佐世保で生まれた私は3歳のときに奄美に引っ越したため、長崎での記憶は

殆ど残っていない。自分が生まれた故郷・長崎はどんな所だろうという想いと共に、

アッシジの聖フランシスコへを通してカトリックにひかれていった当時の私は独身時

代、約一週間かけて長崎の天主堂を見て回ったことがある。殆ど行き当たりばった

りの旅で、時には寝る場所もなく天主堂の前で一晩明かしたこともあったが、この

旅は私にとって貴重な思い出に満ち溢れている。私の心に一番強く残った所は、

佐世保にある黒島という島で、迫害を逃れ多くのキリスト教徒が五島列島などに逃

れてきたが、黒島もその中の一つだ。宿を早朝出て天主堂に向かったが、丁度学校

の登校時間で小・中学生が道を歩いていた。自分は何ものであるのか、という問い

が感動と共に発したのはこの時だった。すれ違った小・中学生の全てが見ず知らず

の旅人である私に「おはようございます」と笑顔で挨拶をしたのだ。迫害に耐えた人

たちの子孫にも受け継がれていたキリスト教の美徳。この時、何を思ったのか私は

もし私が生涯の伴侶を見出した時、絶対二人でこの島に来ようと固く誓ったものだっ

た。そして遠くから見る堂々たる天主堂、ミサの時教会に入りきれないほど多くの信

者。この時からこの黒島の教会は私にとって特別な存在になった。数年後、私は好

きな人とこの黒島に降り立っていた。この時の思いは散文詩「見果てぬ夢」に書い

ています。彼女と結婚する一ヶ月前、私は横浜・山手教会で洗礼を受けた。霊名は

「アッシジの聖フランシスコ」。新婚旅行で行った所はイタリアで、当時バチカンの

法王ヨハネ・パウロ2世に日本語を教えていた西山神父さんの案内でバチカンの

中を案内してもらった。法王様の祈りの部屋の近くにガラスケースがあり、顔半分

ひどい拷問の跡が刻まれた首があり、それは最初の殉教者聖ステファノのものだ

った。2000年近く前の遺体が腐敗することなく目の前に置かれている。一般の

観光客が入れないところまで、西山神父さんは案内してくれた。スイス衛兵に守ら

れた入り口で、背後に感じた多くの観光客の視線に、後ろめたい申し訳ない気持

ちと、このような光栄に恵まれたという複雑な心境で私たちは歩いた。前述した法王

様の祈りの部屋や殉教者聖ステファノの遺体も公開されてはいない場所にある。そ

の中で一番心が揺り動かされたものは、40畳もある大きな部屋の天井に描かれた

壁画だった。それは盲人の方が描いたもので、妻の助けを借りて完成させたというこ

とを聞かされた時、そして製作中の夫婦の姿を壁画の中に見出した時、信仰と愛情の

煌く美しさに心を奪われていた。アッシジでも修道院にいた日本人神父の案内で聖

フランシスコのゆかりの地を案内してもらった。聖ステファノと同じく700年たった今で

も黒く変色しミイラ化しているものの腐敗していない聖クララの遺体。聖フランシスコが

生まれた家、彼が洗礼を受けた時に使った洗礼盤、そして聖フランシスコの語りかけた

十字架板絵、修道会発足の豚小屋、シモーヌ・ヴェイユが生まれて初めてひざまずい

て祈った小さなポルチウンクラ教会。全ての思い出がまるで昨日のように感じられて

しまう。黒島・バチカン・アッシジ、何かに導かれたかのような旅をしてきたが、その行

き着く先が何処なのか今の私にはわからない。何度も書くが、キリスト教と先住民が

会い交わる場を探しているのかも知れない。私の旅はまだ終わりを迎えられないでい

るが、その出発点となったのは長崎・佐世保ということだけは確かなのだと思う。

(K.K)



開港後日本最初の聖堂 カトリック山手教会



この文献の詳細ページへ 「歓喜する円空」

 梅原猛・著 

新潮社


 



2012年6月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





4月16日に投稿した円空の像、もっと知りたいと思い「歓喜する円空」梅原猛著を読みました。



江戸初期1632年、岐阜県に生まれた円空は、兵庫から北海道まで足を伸ばして、大地の異変を鎮め、

人間ばかりかすべての衆生を救うために12万体の仏像を彫ります。



円空は縄文時代からの神と仏教を習合させた修験者でしたが、その生涯は常に衆生救済を目的とし、

64歳のときに長良川畔にて入定しました。



入定とは土中の石室などに入り、掘り出されずに埋まったままの即身仏のことを言います。



長良川畔を入定の地として選んだのは、洪水の害を防ごうとする円空の強い意志を示しており、それ

は彼の生母が洪水で死んだという梅原氏の仮説を裏づけるものだそうです。



また土地の人々は長良川に大水が出ると円空の霊が蛇となって現われ、避難を勧めるという言い伝

えがあります。



現代の前衛芸術を凌駕する円空仏像に見られる感性、そして和歌に見られる神々と遊ぶ子どもの

ような円空の魂、私は円空に魅せられてしまいました。



この文献で心に残った箇所を下に紹介しようと思います。



☆☆☆☆



◎円空は私にとってもはや一人の芸術家にすぎない存在ではない。むしろ彼は私に神仏習合思想の

深い秘密を教える哲学者なのである。



◎『円空歌集』の和歌には「楽」「喜」「歓」という言葉がしばしば登場する。私は円空の思想の中心は

生きている喜び、楽しみを礼賛することであると思う。それはまさに神々の清らかな遊びである。



◎私はあえて言いたい。今回、円空の歌集を西行の『山家集』とともに読んだが、西行の歌より円空

の歌の方により強い感銘を覚えた。円空の歌を西行の歌と比較するなど、とんでもないことであると

多くの人は言うかもしれない。たしかに歌としては西行の歌の方がはるかに巧みである。また、円空

の歌には誤字や脱字があり、「てにをば」も誤っている。にもかかわらず、円空の歌には今までどの

ような日本人の歌にも見られない雄大な世界観が脈打っている。まるで超古代人の声が聞こえてく

るようである。



◎「祭るらん 産の御神も 年越へて 今日こそ笑へ 小児子(ちごのね)ノ春」(一一七三)

春になり年が明けた。今日こそ産土(うぶすな)の神を祀って、大いに笑おう、子どもたちよ。

良寛のように子どもたちと無心に遊んでいる円空の姿が目に浮かぶようである。この笑いの精神は

空海の精神に結びつく。私は若い時、人生を不安・絶望の相に見る実存哲学から自己を解放する

ために「笑いの哲学」なるものを構想し、笑いを価値低下という概念で考えたが、笑いはそのような

概念で解釈されるべきものではない。その時はまだ私は空海の言う「大笑」というものをよく理解し

ていなかった。今ようやく円空を通じて空海の「大笑」の意味が少しは理解できるようになったので

はないかと思う。



◎「老ぬれは 残れる春の 花なるか 世に荘厳(けだかけ)き 遊ふ文章(たまづさ)」(一四二一)

これは今の私の心境をぴたりと表したものである。円空がこの歌を作ったのは六十歳頃であると思

われるが、私はそれよりさらに二十年の歳をとり、八十歳を超えた。そのような老人にも春があるの

である。私はまだ花を咲かせたい。学問の花、芸術の花を咲かせたい。学問や芸術はしょせん遊び

なのである。遊びのない学問や芸術はつまらない。作者が無心になって遊んでいるような学問や芸

術なくして、どうして人を喜ばせることができようか。円空の仏像制作は地球の異変を鎮め、人間ば

かりかすべての衆生を救うためであった。菩薩は人を救うことを遊びとしている。私もこの歳になって

ようやく菩薩の遊び、円空の遊びが分ってきた。その遊びは荘厳なる遊びでもある。遊びと荘厳、そ

れはふつうは結びつかない概念であるが、それが結びついたところに円空の芸術の秘密があろう。



☆☆☆☆




(K.K)





この文献の詳細ページへ 「沈黙を聴く」

 現代の神秘家モーリス・ズンデルの人と霊性 

福岡カルメル会 編訳 女子パウロ会




私とキリスト教との最初の出会いは奄美大島にいたときのことである。当時家の近くに

カトリック系の幼稚園があり、ロジャース神父さんやシスター達が運営していた。そこで

の体験はあまり思い浮かべることは出来ないが、卒園式の日にいただいた聖母マリア

の像の何とも言えない高貴な、そしてすべてを包み込んでくれるようなその祈りの姿に、

私の心はひきつけられ魅せられていたことだけは鮮明に思い出すことが出来る。海上

保安庁に勤めていた父の仕事の都合で各地を転々とするが、高校時代を過ごした宮崎

の日南で、カトリックの良寛様と言われた小林有方神父さんの「生きるに値する命」とい

う衝撃的な本に出会う。私の両親はキリスト教ではないのに何故この本が家に置いて

あったのか今でも不思議であるが、当時灰色の青春時代を送っていた私にとって、こ

の本は人間の、そして生きることの素晴らしさを垣間見させてくれたものだった。このよ

うな出会いがあったにも関わらず、私は教会に行くことはなかった。詳しいことは散文詩

に書いているが、その後シモーヌ・ヴェイユに魅せられ、ある神父さんの部屋でアッシジ

の聖フランシスコを描いた映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」に触れ、カトリックの

信仰に強くひかれていった。そして単純素朴なカトリックの信仰を持つ妻との結婚を前

に横浜の教会で洗礼を受ける。このモーリス・ズンデル神父との出会いは、それから暫

く経ってからのものである。キリスト教の奥義、三位一体の互いを与え尽くす姿、父と子

と聖霊がそれぞれに自らを与え尽くし、そして私たち被造物に対しても、ひざまずき苦し

んでおられる神の姿を心に映し出してくれた。このモーリス・ズンデル神父は現代の聖

フランシスコと呼ばれ、貧しさの中に生き苦しむ人と共に歩んだ人であったが、彼の思

想は当時異端扱いにされ様々な教区を転々とさせられる。彼の数少ない理解者で、特

に彼を愛した教皇パウロ6世によってヴァチカンの黙想指導に招かれたのは彼が死ぬ

3年前のことであり、生涯の大半は疑いの目で見られ疎んじられていた。彼が私たち

に遺したものは25年経った今でも、人々の心に三位一体の神の姿を鮮やかな色彩と

芳香をもって映し出し、沈黙を通して語られた神の現存は、私たち一人一人が追体験

することなしには、魂にその根を降ろすことはないだろう。まさに彼はすべての存在の

背後にある創造主の息吹に触れることができた純度の高い鏡そのものであり、その

鏡に反射された希望と喜びは私たちの魂の奥深くまで貫いているのかも知れない。

(K.K)


モーリス・ズンデル神父(1897−1975)が書いた文献として「日常を神とともに」

「内なる福音」があり、それぞれ女子パウロ会から出版されているが、どれも胸を

打たずにはいられないものである。


 
 


2011年12月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

写真省略



「ケンブルの滝」と呼ばれる星の並びです。



この滝はペルセウス座とカシオペア座の近くにある「きりん座」の中に位置しています。写真では

左下から右上にかけて直線状に伸びているのがわかると思いますが、この写真は他のサイトか

ら引用させていただきました。



皆さんは、「望遠鏡だとこんなに美しく見えるんだ」と思うかも知れません。でも実はこのケンブル

の滝は双眼鏡でしか全体像を見ることができないんです。何故ならこの滝の長さは満月5個分に

相当する長さなので、望遠鏡では滝の一部しか視界に入らなくなってしまうからです。



この滝の存在は、フランシスコ会の修道士で、アマチュアの天文学者でもあったケンブル神父

父が小さな双眼鏡(口径3.5cm、倍率7倍)で見つけたものです。「え?、そんなに小さな双眼鏡で

星が見えるの?」と思われるかも知れませんが、夜空には望遠鏡よりも双眼鏡の方が適してい

る天体もあるんですよ。



「私たちはこの社会の多忙さにより、小さな美さえ気づかないでいる。」ケンブル神父



もう直ぐクリスマスですね。



少し話がそれますが、私が感銘を受けた本「沈黙を聴く」の中で紹介されたモーリス・ズンデル神

父はそのユニークな思想のため教区を追われ、各地を転々とさせられます。ようやくズンデル神

父の価値が認められたのは彼が亡くなる3年前(1972年)のことで、時の教皇パウロ6世により

ヴァチカンの黙想指導に招かれています。



このズンデル神父の言葉を紹介しようと思います。「キリスト教の話なんて聴きたくないよ」と思わ

れる方もいるかも知れませんが、クリスマスということで許してください。



「キリストを愛するとは、すべてを愛することである。

彼とともにすべてを愛するのでなければ、イエス・キリストを愛しているとは言え

ない。私たちはブッダを愛する。この人の誠実さはキリスト教的だから。マホメット

もまたしかり。いのちと愛の足跡を見いだすところなら、どこにおいても人は安ら

ぎを感じるだろう。なぜなら、そこで神に出会うからだ。」



ケンブルの滝、20個以上集まるこの滝の先端に散開星団「NGC1502」(写真では左端やや下

に映っています)があります。この星団までの距離は2680光年。つまり2680年前船出したこの

星団の光がやっと今、地球に到達しているんですね。この地球で2680年前頃というと「ソロン、

釈迦、孔子」が誕生しています。



こんな昔のことを思い浮かべながら夜空の星を見上げるのもいいかも知れませんね。
皆さん、いいクリスマスを。



(K.K)


 



 この文献の詳細ページへ 「ラマナ・マハリシの教え」 

ラマナ・マハリシ著

山尾三省訳 めるくまーる社




私たちが一般的に使うところの知性を通して、ラマナ・マハリシの言葉やその奥に秘め

られた深遠な次元を真に理解することが出来ないだろう。「沈黙」を通して初めて真の

「知」は産まれ、それは決して思弁的な知性をまとうことはない。インドに限らずインディ

アン(先住民)、キリスト教の偉大な人々はこの「沈黙」から自らの存在の礎石を築いて

きた。ラマナ・マハリシにとってそれは「“私は在る”という感覚だけがあり、想いはない。

“私は在る”という経験は、静かであること」なのである。この余りにも騒々しい現代文明

に慣れてしまった私たちが遥か彼方に忘れてしまったもの。それは一体なんだろう。

(K.K)


 
 


鳥獣からも慕われ、アシジの聖フランシスコに比されるラマナ・マハリシは、しかし最も

インド的な師(グル)であった。17歳にして死との葛藤を超克、精神の至高の座に再生し

た彼は、南インドのティルヴァンナマライにあって、数年間の沈黙ののち、平易な言葉で

深い真理を語り始めた。没後30余年、彼が瞑坐したアルナチャラの赤い山からは、今

なお一筋の白い光がわれわれを射る --- 「私は誰か」。 (本書帯文より)


 


シュリ・ラマナはインドの大地の真の息子である。彼は誠実でありながら、どこかまったく

常ならぬものを持っている。インドにあって彼は、白い空間の内なる最も白い一点である。

われわれがシュリ・ラマナの生涯と教えの内に発見するものは、最も純粋なインドである。

インドの解き放たれた世界および人間開放の呼吸は、ひとつの千年至福の聖歌である。

そのメロディは、ただひとつの大いなるモティーフに添って奏でられており、千もの彩りの

反射を伴って、インド精神の内につねにそれ自らを若返らせてきたのだが、その最後の

化身が、シュリ・ラマナ・マハリシその人である。自己と神を同一視することは、ヨーロッパ

人にとっては、ひとつのショックとして響くであろう。このことは、シュリ・ラマナの言葉の内

に示されているように、特別にオリエンタルな「自己実現」であると言える。心理学は、この

ような自己実現の問題を提示する分野からは遥か隔たっているという見地の他には、何

ひとつこの問題に貢献することはできない。しかしながらインド人にとっては、精神の源と

しての自己は、神と異なるものではないということは明瞭であり、人が彼の自己の内に

在るかぎりは、彼は単に神の内に含まれて在るだけでなく、神御自身でもあるということ

が明瞭である。シュリ・ラマナは完全に、明らかにこの見地にある。(中略) それゆえに

東洋の智慧と神秘主義は、彼らが自身の固有の言葉で語るならば、われわれ西洋の

人間に伝えるべき非常に多くのことを持っている。それらはわれわれに、われわれもかつ

ては自身の文化において同様のものを持っていたが、すでに忘れ去ってしまっていること

を思い出させてくれるし、われわれが重要ではないものとして払いのけてしまったもの、

すなわち、われわれの内なる人間の運命として払いのけてしまったものへと、われわれ

の注意を引き戻してくれる。シュリ・ラマナの生涯と教えは、インド人にとって大切なもの

であると同時に、西洋人にとっても大切なものである。これは、人間の最大の関心事に

ついての記録であるばかりでなく、無意識の混沌と自己制御の欠如の中で自分自身を

喪失する恐れのある人間性にとって、ひとつの警告のメッセージでもある。(ユング)




 この文献の詳細ページへ 「チベット永遠の書・宇宙より遥かに深く」 

テオドール・イリオン著

林陽訳 徳間書店




チベットの闇の世界、それは死体を蘇らせ自らの僕として使う地底の暗黒の王国

であり、その黒魔術的な魔法はアドルフ・ヒットラーにも多大な影響を与えた。この

暗黒の地底王国に君臨する「光の君」は著者によれば堕天使(神のようにならん

と欲し、そのために自らの栄光を失った天使たち)そのものだった。イリオンとい

う類い希な探検家、神秘思想の持ち主でしか為し得なかった驚くべき体験記録。

しかし本書の真の価値は、この暗黒の世界と対峙するチベット賢人の慈愛に満

ちた魂に立っている。イリオンが言うように、この「目もくらむばかりの頂とおぞま

しい奈落の底」を選ぶのは私たち一人一人の自由意志である。この光と闇の世

界の分かれ道に、これらチベットの賢人の祈りは私たちをあるべき道へと導き、

あるべき道を指し示す道標として立ち続けているのだろう。

(K.K)


 
 


不老不死の聖人たちと出会うまでの体験。中央アジアに存在するといわれる伝説の地下

都市に招かれ、闇の秘密結社で三日間生活を共にしたのち奇跡的生還を果たすまでの、

戦慄を呼ぶ恐怖の体験手記。この中央アジアの地底世界に実際に参入し、そこでの体験

を詳細に報告できた探検家はテオドール・イリオン唯一人であろう。「チベット死者の書」と

並び、一部のチベット研究家の間で秘蔵書とされてきたイリオン氏の著作をわが国の読者

に広く提供できることは、大きな喜びである。「死者の書」が“表”のチベット研究書とすれば、

本書はまさに“裏”のチベット研究書といえよう。 (本書・緒言より)


 


「目もくらむばかりの頂とおぞましい奈落の底とを選ぶことができる」 これはチベットの賢人

の一人が語った言葉である。この言葉はただ個人にばかりか、人類全体の運命にもいえる

こただ。ときのしるしは新たなる時代を逃している。それはすぐそばにまできているのだ。新

たなる時代、それはよりよきものとなるだろうか。それとも今以上に悪しき時代となるのだろ

うか? 頂から数センチのところに絶壁はある。多かれ少なかれ、われわれの誰もが世界の

動きに加担している。自らの責任を自覚しようではないか。チベットの賢人たちは世の出来

事を見つめはするが、彼らもいうように、道標としての役目を果たしているにすぎない。彼ら

は他人の自由意志に決して干渉しない。光の道をとるか闇の道をとるかは、人間の自由な

のである。そこにこそ人間の栄光がある。われわれは霊的に学べば学ぶほどに責任も大き

く増してくる。われわれの心の奥底には、非利己的な愛の火花が隠されている。われわれを

太霊、真実の自己と調和させているものがそれだ。この太霊がわれわれを導くとき、霊的な

利益をいっさい顧みない「愛」がわれわれの生活の指導原理になり、増してくる知識と力の

一つ一つは、相応して増してくる責任と謙虚さの気持ちによって、自動的にバランスがはか

れるようになる。このことが、わたしがチベットの精神生活を研究する過程で学びとった最大

の教えだった。( テオドール・イリオン 本書より )








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