「沈黙を聴く」

現代の神秘家 モーリス・ズンデルの人と霊性

福岡カルメル会 編訳 女子パウロ会 より






私とキリスト教との最初の出会いは奄美大島にいたときのことである。当時家の近くに

カトリック系の幼稚園があり、ロジャース神父(?)さんやシスター達が運営していた。そこ

の体験はあまり思い浮かべることは出来ないが、卒園式の日にいただいた聖母マリア

の像の何とも言えない高貴な、そしてすべてを包み込んでくれるようなその祈りの姿に、

私の心はひきつけられ魅せられていたことだけは鮮明に思い出すことが出来る。海上

保安庁に勤めていた父の仕事の都合で各地を転々とするが、高校時代を過ごした宮崎

の日南で、カトリックの良寛様と言われた小林有方神父さんの「生きるに値する命」とい

う衝撃的な本に出会う。私の両親はキリスト教ではないのに何故この本が家に置いて

あったのか今でも不思議であるが、当時灰色の青春時代を送っていた私にとって、こ

の本は人間の、そして生きることの素晴らしさを垣間見させてくれたものだった。このよ

うな出会いがあったにも関わらず、私は教会に行くことはなかった。詳しいことは散文詩

に書いているが、その後シモーヌ・ヴェイユに魅せられ、ある神父さんの部屋でアッシジ

の聖フランシスコを描いた映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」に触れ、カトリックの

信仰に強くひかれていった。そして単純素朴なカトリックの信仰を持つ妻との結婚を前

に横浜の教会で洗礼を受ける。このモーリス・ズンデル神父との出会いは、それから暫

く経ってからのものである。キリスト教の奥義、三位一体の互いを与え尽くす姿、父と子

と聖霊がそれぞれに自らを与え尽くし、そして私たち被造物に対しても、ひざまずき苦し

んでおられる神の姿を心に映し出してくれた。このモーリス・ズンデル神父は現代の聖

フランシスコと呼ばれ、貧しさの中に生き苦しむ人と共に歩んだ人であったが、彼の思

想は当時異端扱いにされ様々な教区を転々とさせられる。彼の数少ない理解者で、特

に彼を愛した教皇パウロ6世によってヴァチカンの黙想指導に招かれたのは彼が死ぬ

3年前のことであり、生涯の大半は疑いの目で見られ疎んじられていた。彼が私たち

に遺したものは25年経った今でも、人々の心に三位一体の神の姿を鮮やかな色彩と

芳香をもって映し出し、沈黙を通して語られた神の現存は、私たち一人一人が追体験

することなしには、魂にその根を降ろすことはないだろう。まさに彼はすべての存在の

背後にある創造主の息吹に触れることができた純度の高い鏡そのものであり、その

鏡に反射された希望と喜びは私たちの魂の奥深くまで貫いているのかも知れない。



(K.K)



2011年12月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「ケンブルの滝」と呼ばれる星の並びです。

この滝はペルセウス座とカシオペア座の近くにある「きりん座」の中に位置しています。写真では

左下から右上にかけて直線状に伸びているのがわかると思いますが、この写真は他のサイトか

ら引用させていただきました。



皆さんは、「望遠鏡だとこんなに美しく見えるんだ」と思うかも知れません。でも実はこのケンブル

の滝は双眼鏡でしか全体像を見ることができないんです。何故ならこの滝の長さは満月5個分に

相当する長さなので、望遠鏡では滝の一部しか視界に入らなくなってしまうからです。



この滝の存在は、フランシスコ会の修道士で、アマチュアの天文学者でもあったケンブル神父

が小さな双眼鏡(口径3.5cm、倍率7倍)で見つけたものです。「え?、そんなに小さな双眼鏡で

星が見えるの?」と思われるかも知れませんが、夜空には望遠鏡よりも双眼鏡の方が適してい

る天体もあるんですよ。



「私たちはこの社会の多忙さにより、小さな美さえ気づかないでいる。」ケンブル神父



もう直ぐクリスマスですね。



少し話がそれますが、私が感銘を受けた本「沈黙を聴く」の中で紹介されたモーリス・ズンデル神

父はそのユニークな思想のため教区を追われ、各地を転々とさせられます。ようやくズンデル神

父の価値が認められたのは彼が亡くなる3年前(1972年)のことで、時の教皇パウロ6世により

ヴァチカンの黙想指導に招かれています。



このズンデル神父の言葉を紹介しようと思います。「キリスト教の話なんて聴きたくないよ」と思わ

れる方もいるかも知れませんが、クリスマスということで許してください。



「キリストを愛するとは、すべてを愛することである。

彼とともにすべてを愛するのでなければ、イエス・キリストを愛しているとは言え

ない。私たちはブッダを愛する。この人の誠実さはキリスト教的だから。マホメット

もまたしかり。いのちと愛の足跡を見いだすところなら、どこにおいても人は安ら

ぎを感じるだろう。なぜなら、そこで神に出会うからだ。」



ケンブルの滝、20個以上集まるこの滝の先端に散開星団「NGC1502」(写真では左端やや下

に映っています)があります。この星団までの距離は2680光年。つまり2680年前船出したこの

星団の光がやっと今、地球に到達しているんですね。この地球で2680年前頃というと「ソロン、

釈迦孔子」が誕生しています。



こんな昔のことを思い浮かべながら夜空の星を見上げるのもいいかも知れませんね。

皆さん、いいクリスマスを。



(K.K)


 







モーリス・ズンデル神父(1897-1975)

1897年 スイスに生まれる。

1919年 司祭に叙階される。

以後、そのユニークな思想のために教区を追われ、

長年、フランス、イギリス、エジプトなどを転々とする。

1946年 スイスに帰り、ローザンヌの小教区の助任司祭。

1972年 教皇パウロ6世により、ヴァチカンの黙想指導に招かれる。

1975年 ローザンヌで没する。


 
 


本書より引用


私は一人の母親を知っていました。祈りの人で、完全な母親、だれからも何も期待していない無私な

母親でした。この母親から人々は息子を奪ったのです。彼女の夫は乱暴者で、息子に洗礼を授ける

ことも宗教的な教育をすることもすべて禁じ、母親にはただ息子を育てることだけしかさせませんでし

た。そしてこの女性は三十年以上ものあいだ、堕落して名誉も何もかも奪われて悲惨な罪人となった

息子の苦しみをともに担い、自分の名誉などは露ほども考えずに、ただ息子のためにのみ生き、寛大

に与え尽くして、息子自身よりも深く彼のうちに彼とともに彼のために生きていました。例外的とも言え

るその清さのゆえに、彼女は息子の状態を、より明瞭に悟り、その堕落を心裂かれる思いで生きて

いたのです。彼女は待ちました。そして、結核にむしばまれ、死を待つ状態の息子に再会しました。

彼女はその病床に昼夜付き添い、弟子たちの足を洗われたイエスのように、そこでひざまずいてい

ました。息子の責任を問うことなく、沈黙のうちに自分を与え尽くしていました。そして、この息子は、

突然自分の生涯を振り返り、母の宗教に入ることを望んだのです。そのメッセージが何かは分から

ないながら、彼のうちに次第に明らかになってきたこの愛に、彼は自分を明け渡すことを望みました。

そして、この息子が、神の姿に、母性的な愛を無限に超える神の姿に出会ったのは、彼が知った唯一

福音、この母親の生きた福音をとおしてだったのです。私が神の喜びを悟ったのはこの女性をとおし

てでした。それは、すべてを所有し、すべてを己のために保つ喜びではなく、すべてを失って、もはや

失うものを持たない方の喜び、永遠にご自身を空にして、「私」が他者である拝すべき三位一体の

神秘的な貧しさの中で永遠にご自身を与える方の喜びであります。この女性はもはや何も持ってい

ませんでした。すべてを与え、すべてを失ったために、何も失うことはできず、この息子をあまりにも

大きな愛で愛していたために、これ以上愛することができなかったのです。そのために、彼女の愛は

自分の息子の状態によって色づけられていました。息子が不幸せで堕落していたときには、彼女の

愛は苦しみ、十字架にかけられていました。そして息子がすっかり改心して、あれほど待っていた母

の愛に自分を開いたときには、それまでも完全に愛していた母親はそれ以上愛することができない

ほどでした。しかし、彼女の愛は息子の新たな状態によって新たに色づけられ、彼が喜びのうちに、

光のうちに、平和のうちに入ったとき、彼女の愛は美しいステンドグラスのように、喜びの太陽、復活

の太陽を射し通らせたのです。







全宇宙、全歴史、全人類を網羅した供え物を携える私たちを受け入れてくださるキリストの広大な

次元の中に入りましょう。すべての被造物に代わって、神が愛であり、神が三位一体であり、神が

貧しさであり、神が自由であることへの感謝をささげましょう。まさに、神のうちに私たちは自分自身

に到達し、あの洗足のときイエスが教えられた感嘆すべき秘密を知ることができるのです。すなわ

ち、偉大さとは人の上に立つことにあるのではなく、偉大さとは自分を与えること、それも、より多く

与えることであって、神が無限に偉大であるのは、まさに、神が私たちの足を洗うために、永遠に

被造物の前にひざまずいていてご自身を与えておられるからなのです。







家族という人間的三位一体の単純な現実が、永遠の三位一体のもっとも美しいたとえとなることに

注意を向けていただきたい。理想的な家族とはどんなものであろうか? 妻に向けられる夫のまな

ざし、夫に向けられる妻のまなざし、子どもたちに向けられる父と母のまなざし、両親に向けられる

子どもたちのまなざしでなくて何であろうか。まさにおのおのが、相手のため、相手のうちに生きる

分かたれ得ない調和のうちでの互いの息遣いでないなら、家族の幸せや喜びや一致は何なのだ

ろう? そして、この幸せな家族の幸せはだれに属するのか? それはだれか一人のものではな

い。父親は自分が家庭の中心、源泉であるとは言えない。母親もまた、一致や愛や子どもを自分

が独占することはできない。この幸せは相互のコミュニケーション(相互付与)、相互の絶え間ない

無所有、自己放棄によってしかあり得ないのだ。まさに、知性と心に源を持つ真実の幸福、人格的

な幸福、精神の幸福は、だれも自分独りで所有することのできない善なのである。真理を所有した

いと望むと、それを失う。それを独占したいと望むなら、真理を醜いものにし制限してしまう。愛を

所有したいと望むなら、愛とは無関係な者となってしまう。三位一体という神的生命は所有し得な

いものである。神はこの上ない無所有であり、反所有であり、反ナルシスであって、神が神である

のは、まさにこの無所有のゆえなのである。


神の貧しさの中により深く入る度合いに応じて、そして神の喜びが完全な譲与の喜び、何も自分の

ために保たず何も自分のために所有しない者の喜び、その認識と愛が永遠のコミュニケーション、

永遠の無所有である者の喜び、完全に自分を空にした者の喜びであることを知る度合いに応じて、

また、最高の人間的愛の表れとして、母が自分を空にして子どもの人生を生きるように、愛が他者

を生かすために相手と一つになる能力があるということを見いだす度合いに応じて、この優しさの

深淵に身を沈める度合いに応じて、人は神の弱さをよりよく理解するであろう。この神は私たちを支

配するファラオではない。私たちを所有する所有者ではない。神は永遠に自分を与え、愛以外の何

ものでもない方である。永遠に自分を空にした愛、各ペルソナが他者に向かう清い飛翔である愛!


キリスト者の神、イエス・キリストによってご自身を啓示される神は、永遠に自分を失った神であり、

それゆえに何も失うことのできない方なのだ。神は永遠にすべてを与えられたので、これ以上与え

ることができない。この譲与こそ、アガペそのものである神の姿なのである。この神、人が考えてい

るのとはまったく違う神、預言者でさえ考え及ばなかった神、ただイエスのみがユニークな方法で生

き、キリストただ一人があかしされた神が、神とは人間を制限し、脅し、罰し、人間の価値を下げて

しまうものだというイメージから私たちを解放してくださるであろう。神のうちに、私たちが隷属して

いる主人を見る代わりに、私たちと愛の契りを結んでくださった神を見なければならない。私たち

は神との婚姻の喜びのうちにいるのであり、それだけが大切なことなのだ。







キリストを愛するとは、すべてを愛することである。彼とともにすべてを愛するのでなければ、イエス・

キリストを愛しているとは言えない。私たちはブッダを愛する。この人の誠実さはキリスト教的だから。

マホメットもまたしかり。いのちと愛の足跡を見いだすところなら、どこにおいても人は安らぎを感じる

であろう。なぜなら、そこで神に出会うからだ。







光になりなさい。そうすれば、あなたは光を見るであろう。憎しみと恐れの悪夢の中でよろめいている

人類の、出口のないトンネルの闇を追い払う「太陽」はどこにおられるのか? それは「あなた」のうち

なのだ。神は私たちのうちに隠れている「太陽」のように、つねに、すでにそこにおられる。不在なの

は私たちであって、神の光を遮る壁は私たちなのだ。「神のみ心を行う者は私の兄弟、姉妹、母であ

る」という福音の感動的な言葉は、私たちをイエス・キリストの揺りかごになるようにと招いている。私

のうちに主の人性の延長が行われ、今日の歴史の中にイエスが現存されるために、私の存在自体

が主に浸透されるものとならねばならない。「私にとって生きるのはイエス・キリストである。」 キリスト

者のすべての完全さはそこにある。それは私たちのうちに、私たちの心、感受性、精神、私たちの肉、

行為、行動の中に生きておられるイエス・キリストである。キリスト信者の徳とは、禁欲主義の固い綱

の上での曲芸ではない。キリスト教の徳とは、もし私たちが自分のすべての能力の中にキリストを生き

させるなら、私たちをとおしてすべての人類にご自身を与えられるキリストのいのちである。大切なの

は私の救いではなく、私たちの手の中に託された神のいのちなのである。キリスト者の召命は神の顔

となること。教会とは私たちであって、自分が生きた福音となる責任を感じながら、一人一人が他の

人々にとって神の顔となるように努めるなら、今日の世界には喜びがあるであろう。人が救われるの

は説教によってではなく、現存によってである。そしてこの現存は人間の顔をとおしてしか現れない。

太陽が歌うステンドグラスになろう!







聴くこと! 何よりも貴い、何よりも稀な、しかし、何よりも必要な行為。いのちの深淵をあかしして

くれるのは、ただ沈黙だけである。







確かに、私たちの深奥でこの現存に出会うためには、私たちの心深くに刻まれたこのみ顔に出会う

ためには、人間存在を宇宙的存在にするこの広大な領域を見いだすためには、もっとも深い沈黙の

うちに入り、自分の中で自分とのどんな騒ぎも起こさずに、私たちのうちに住んでおられる愛する方と

の心の交わりによって、まさに、自分の人となりが涌き出る存在の根源にまで下っていかねばならな

い。もし、この中心まで下りていかず、この無限の沈黙のうちに生きないならば、必然的に個人的・

集団的な本能が君臨している本来的、自然的な領域に身をおいて、自分のごく表面的な場にしか生

きることができないであろう。事実、そうなると人間はもはや存在しているとは言えない。人間はただ

宇宙に運ばれるままになり、細胞科学によってしか説明できない宇宙の産物になってしまうであろう。

そうなると、神はもはや偶像となり絵空事になる。そうなると、全人類と全宇宙の喜びであり解放であ

る無限の現存によって生きることによって新しくされた者が、永遠の福音を全世界にもたらすという、

無比なすばらしい新しさについての認識を世に与える体験などは、もはやなくなってしまうだろう。まさ

にここにこそ、それなしではどんな真の人間生活もあり得ない観想生活の意味があるのだ。人類の

中心にいて、人類の源泉に達し、新たに生まれて自分のうちに神の輝きを帯びる者の姿をとおして

神の啓示の充満に到達する。そこに観想生活の意味があるのだ。これこそ、観想生活の意味であ

る。これこそ現代世界、技術的には全能でありながら、人間的な舵をまったく失った現代世界におけ

る緊急必用事なのである。この世界に、歩むべき道の指針を返し、内的な舵を与えねばならない。

各人に責任があり、各人がそこで欠くべからざる存在であるこの創造に、一人一人を連れ戻さねば

ならない。なぜなら、人は自分のうちに無限の領域を創ることによってのみ、世界のものとなり、人類

兄弟のために解放の酵母、生きる神の啓示となることができるのだから。ごく隠された謙虚な人の

生活は、たびたび、もっとも大声で人々に語りかけている。もっとも単純な、もっとも沈黙深い、もっと

も知られない人々の生活は、ほとんどつねにもっとも深く、現存の働き、沈黙の働き、「神の現存」の

うちに根ざし、その輝きを帯びている働きの影響を及ぼしている。非常に恵まれていて、数々の才能

を持ち、傑作を造り出す人々は、個人的に接触してみると、自己満足的に満ちていてがっかりさせら

れることが多い。いっしょにいるとほんとうに自由に感じさせ、満ち足りた思いをさせるのは、その魂

のうちに無限の「現存」が息づき、無限の領域を持っている人々である。


「だれにも話してはならない。」これはイエスが病をいやした人に言われたことばである。キリスト教

のすべてはこのことばにかかっている。「だれにも話してはならない。」 大部分の人々にとって、

キリスト教が愛の情熱、希望するものをはるかに超えて彼らを満たす答えである代わりに、果たす

べき数々の義務のようになってしまったのは、たぶん私たちがこの沈黙の精神が分からないか、

またはそれを失ってしまったためであろう。こうして、沈黙はますます破壊され、キリスト教は集団

的な禁令、沈黙に根差す唯一の偉大さを失った集団の運動と化してしまう恐れがある。沈黙なし

には何も成し得ないことは確かだ。私たちの自由を創造する沈黙、人類のうちに私たちを造り出

すのはこの沈黙である。そして、私たちが神に出会い、自分たちの生物的自我と、大衆を支配し

ているいろいろなスローガンに打ち勝つのは、そこにおいてなのである。


 


モーリス・ズンデル神父(1897−1975)が書いた文献として「日常を神とともに」

「内なる福音」があり、それぞれ女子パウロ会から出版されているが、どれも胸を

打たずにはいられないものである。


「魅せられたもの」 1997.2.5 「ネイティブ・アメリカン叡智の守りびと」を参照されたし

「心に響く言葉」 1999.9.9 「グレイト・スピリットの庭に咲く花」を参照されたし


 


目次

すすめのことば 奥村一郎

第一部 人

1.ある生涯の素描 マルク・ドンゼ

2.回想 フランス・デュ・ゲラン

3.ともに生きた人たちの言葉


第二部 霊性

1.手記からの抜粋

神 愛

神の秘跡であるイエス

秘跡的教会

真実の世界の愛

悪、神の苦しみ

人間のあるべき姿

沈黙の調べ

沈黙の巨人

2.説教からの抜粋

三位一体、貧しさと譲与の秘儀

神の痛み

典礼生活と宇宙的交わり

「貧しさ」であること

幼子のように


あとがき


 

 「ギリシャ、エジプト、古代印度、古代中国、世界の美、芸術・科学におけるこの美の純粋にして正しい

さまざまの反映、宗教的信条を持たない人間の心のひだの光景、これらすべてのものは、明らかに

キリスト教的なものと同じくらい、私をキリストの手にゆだねるために貢献したという私の言葉も信じて

いただいてよいと思います。より多く貢献したと申してもよいとすら思うのです。眼に見えるキリスト教

の外側にあるこれらのものを愛することが、私を教会の外側に引き留めるのです。」



シモーヌ・ヴェイユ「神を待ちのぞむ」より

 


2012年4月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



モーリス・ズンデル神父(1897-1975)



昨年の12月21日に簡単にモーリス・ズンデル神父の言葉を紹介しましたが、神父はそのユニーク

な思想のため教区を追われ、各地を転々とさせられます。私は神父の生涯を振り返ると映画「ラ・

マンチャの男」を思い出さずにはいられません。



「ラ・マンチャの男」は「ブラザー・サン シスター・ムーン」と共に私の宝物ですが、「ラ・マンチャの

男」の主人公セルバンテスは公衆の面前で教会批判の演劇をし、従者サンチョと共に投獄され、

宗教裁判にかけられます。



獄中で裁判を待つ間、他の囚人がセルバンテスが大事にしていた脚本を燃やそうとしたとき、

セルバンテスは弁明を求めます。



この弁明が「ドン・キホーテ」で、この物語の登場人物の役を囚人一人一人に与え、演劇を通して

自身の潔白を訴えていく物語です。



映画の主題歌「見果てぬ夢」も素晴らしく、いつまでも心に響いてやまない作品です。



話を元に戻しますが、もしズンデル神父が中世に生きていたら、間違いなくセルバンテスと同じ

ように異端として宗教裁判にかけられていたことでしょう。



しかし彼の視点はどこから産まれたのか、それはもしあると仮定するならば、あらゆる宗教の下

に共通の地層(泉)、そこにまで彼自身の根っこが伸びていたのではないかと感じてなりません。



ズンデル神父に限らず他の宗教の偉大な魂はこの根源的な地層(泉)まで自身の根っこを伸ば

しており、その宗教をより洗練されたものへ深めていった。



ズンデル神父で言えば、聖書の言葉に新たな生命を吹き込んだとでも言えるのかも知れません

が、それは聖書の言葉を文字通りに受け取るのではなく、その背後にある真意を汲み取ること

ができたとでも言っていいかも知れません。



勿論、この共通の地層(泉)が本当にあるかどうか私にはわかりません。



ただ、これからも既存の宗教や世界の先住民たちの偉大な魂は、この地層(泉)に触れ、私たち

に新たな生命を吹き込んでいくように感じてなりません。



最後にモーリス・ズンデル神父の言葉を紹介しますが、ズンデル神父がヴァチカンの黙想指導に

招かれたのは死の3年前のことでした。



☆☆☆☆



聴くこと! 何よりも貴い、何よりも稀な、しかし、何よりも必要な行為。いのちの深淵をあかしし

てくれるのは、ただ沈黙だけである。



☆☆☆☆



(K.K)



 

 


2012年1月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

プロテスタント運動の先駆者ヤン・フスと、その時代のチェス

先に「聖ベルナデッタ」バチカンのことを書きましたが、バチカンには闇が漂っていた時代が

ありました。その時代に行われた多くの悲劇は私よりも皆さんの方がご存知だと思います。こ

の闇で覆われていた時代とチェスのことを少し書いてみたいと思います。

写真はヤン・フスで、以下Wikipedia より引用抜粋します。



☆☆☆

ヤン・フス(Jan Hus, 1369年 - 1415年7月6日)は、ボヘミア出身の宗教思想家、宗教改革者。

彼はジョン・ウィクリフの考えをもとに宗教運動に着手した。彼の支持者はフス派として知られ

る。カトリック教会はそうした反乱を許さず、フスは1411年に破門され、コンスタンツ公会議に

よって有罪とされた。その後世俗の勢力に引き渡され、杭にかけられて火刑に処された。



フスはプロテスタント運動の先駆者であった。その広範な書物により、彼は、チェコ文学史に

おける突出した立場を得た。彼は、一つの記号でそれぞれの音を表すため、チェコ語の綴り

に特殊記号を使用し始めた人でもある。今日、ヤン・フスの言葉はプラハの旧市街広場で見

ることができる。



引用終わり

☆☆☆



ヤン・フスはチェス愛好者でした。しかし、処刑前そのことを後悔している記述があります。ヤン

・フスから100年後に生まれたアビラの聖テレサ(1515年〜1582年)も「完徳の道」という現代で

もカトリック霊性の最高峰と言われる本の中で、チェスにたとえた美しい話を書きますが、後に

削除することになります。これは当時のカトリック並びに修道院の中では世俗的な楽しみを極

端に排斥しようとしていた空気を感じ取ったからだと言われています。



前の「ケンブルの滝」でも紹介したモーリス・ズンデル神父は、「キリスト信者の徳とは、禁欲主

義の固い綱の上での曲芸ではない。キリスト教の徳とは、もし私たちが自分のすべての能力

の中にキリストを生きさせるなら、私たちをとおしてすべての人類にご自身を与えられるキリス

トのいのちである。大切なのは私の救いではなく、私たちの手の中に託された神のいのちなの

である。キリスト者の召命は神の顔となること。教会とは私たちであって、自分が生きた福音と

なる責任を感じながら、一人一人が他の人々にとって神の顔となるように努めるなら、今日の

世界には喜びがあるであろう。人が救われるのは説教によってではなく、現存によってである。

そしてこの現存は人間の顔をとおしてしか現れない。太陽が歌うステンドグラスになろう!」と

言っています。



もしズンデル神父のような視点が、当時のカトリックやバチカンの多くの聖職者に共有されて

いたら数多くの悲劇は避けられたかも知れません。話は少し飛躍しますが、第2バチカン公会

議(1962年〜1965年)で指導的な神学者であったカール・ラーナーは「無神論と暗黙のキリスト

教」の中で次にように書いています。



☆☆☆

「暗黙のキリスト教・・・・これは無記名のキリスト教と言いかえてよい・・・・とは、義とされ恩寵

のうちに生きていながらも、まだはっきりと福音が説かれるのに接したことがなく、したがって

おのれを「キリスト信者」と呼ぶような立場にない人間、そのような人間の状況を言いあらわ

すものである。あとで詳しく述べるように、このような人間が存在することは神学的に疑いよ

うがない。このような状況を「暗黙のキリスト教」と呼ぶべきかどうかは第二義的な問題である。

しかしこのような表現の真に意味するところが理解されたならば、先の問いにたいしてなんの

躊躇もなく肯定の答えを与えることができるであろう。 (中略) つまり公会議は、正常な大人

において、無神論が自覚的にかなり長い期間にわたって(極端な場合には死にいたるまで)

保持されていても、そのことは当の不信仰者が道徳的に罪過があることを立証するものでは

ない。(中略) 第二に、一般的なキリスト教の原理からして、われわれは、このような無神論

者が神の前において明らかに重大な罪過を犯している、などと裁く権利を有していないので

ある。」

☆☆☆



この流れを汲む現在のカトリックは、幸い人間活動の多様性の否定を引きずってはおりませ

ん。第2バチカン公会議より前の時代ですが、偉大な法王として今でも語り継がれているレオ

13世(1810年〜1903)はチェスの名局を残しておりますし、アウシュビッツで身代わりとして亡

くなられたコルベ神父もチェスの愛好者で神学生を相手にチェスを楽しんでいました。現代で

は故・マザー・テレサもインドの青少年チェス大会に出席し、表彰状を授けています。このこと

を思うと、ヤン・フスが生きていた時代の世界・カトリック教会には想像を絶するような閉塞感

が漂っていたのかも知れません。



ヤン・フスが生きた時代に船出した星の光が、今地球に届いています。ペルセウス座のメロット

20(散開星団)です。この散開星団は望遠鏡には不向きで、双眼鏡で見るのが適しています。



またペルセウス座にはアルゴルと言って「悪魔の星」と呼ばれていた星があります。アラビア語

のラス・アルグル「悪魔の頭」からきた名前ですが、アラビア人はときどき明るさを変えるこの星

を「最も不幸で危険な星」と呼んでいました。しかし、この食変光星の変光のメカニズム(明るい

星のまわりを暗い星が回っていて、暗い星が明るい星の前を通過するときに暗くなる)を提案し

たのは、イギリスの若者グッドリックでした。彼は、耳が聞こえず口もきけないという不自由な体

をおして1782年から翌年にかけてアルゴルの変光を熱心に追い続けたのです。1783年にロンド

ンの王立協会で研究成果を発表し、協会はコプリ・メダルを授与し、1786年4月16日には王立協

会会員に選出しましたが、グッドリックはわずか4日後に肺炎により22歳の若さで他界しました。



(K.K)


 







夜明けの詩(厚木市からの光景)

アッシジの聖フランシスコ(フランチェスコ)

美に共鳴しあう生命

シモーヌ・ヴェイユ(ヴェーユ)

天空の果実


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