映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」
1972年作 ゼッフィレッリ監督 音楽・歌ドノバン
PHP Exception - MySqli Error: Column 'city' cannot be null より引用
私が初めてアッシジの聖フランシスコを知るきっかけとなったものです。映像・音楽・ 役者・脚本が見事に溶け合い、素晴らしい叙情詩に創りあげており、聖フランシスコ の実像にも限りなく近く迫っています。他にもフランシスコの映画はありますが、この 作品ほど感動を覚えるものは無く、傑出したものと言えると思います。特にフランシス コを演じるフォークナー、音楽のドノバンが素晴らしい。 (K.K)
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青春映画の古典となった「ロミオとジュリエット」の成功でいちやく名を高めたフランコ・ ゼッフィレッリ監督作品。13世紀のイタリアを舞台に、実在した聖人フランチェスコの愛 と苦悩の青春時代を描いた大作である。1200年、中世イタリアの都市アッシジ。隣国 との戦争に出かけていたフランシスコ(グラハム・フォークナーは、熱病におかされて帰 ってくる。何週間も生死の間をさまよったあげく、彼は精神的な目ざめを覚えた。自然の 中に愛や平和を見て、本当に人間らしく生きたい! そして美しい娘クララ(ジュディ・バウ カー)との出会い、雪でおおわれた白い野原にサン・ダミアノ教会の再建を目ざすのだが ・・・・・「人生は美しい、私にとって美がすべてだ」と語るゼッフィレッリ監督らしく、生きる ことのすばらしさ、愛の尊さを訴えかけ、四季をとらえた美しい映像は自然への讃歌で ある。2人の新人スターの初々しい魅力もあって、さわやかで感動的な青春映画になっ ている。語りかけるような音楽は、シンガー・ソング・ライターのドノバンが歌っている。 同映画パンフより・・・渡辺 了 |
2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 原罪の神秘 キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが 何か考えるようになってきた。 世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る 余地などない。 ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない 遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら の魂は何かに守られていると感じてならなかった。 宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力 に満ち溢れているのだろう。 その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た わっているのかも知れない。 世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し ている。 世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。 これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類 と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、 原罪との関わりもわからない。 将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、 ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人と 言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。 しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。 原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて いる。 前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも それは変わらないのだと強く思う。 最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は 聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。 私の文章で不快に思われた方、お許しください。 ☆☆☆☆ 神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。 憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように いさかいのあるところに、赦しを 分裂のあるところに、一致を 迷いのあるところに、信仰を 誤りのあるところに、真理を 絶望のあるところに、希望を 悲しみのあるところに、よろこびを 闇のあるところに、光を もたらすことができますように、 助け、導いてください。 神よ、わたしに 慰められることよりも、慰めることを 理解されることよりも、理解することを 愛されることよりも、愛することを 望ませてください。 自分を捨てて初めて 自分を見出し 赦してこそゆるされ 死ぬことによってのみ 永遠の生命によみがえることを 深く悟らせてください。 ☆☆☆☆ (K.K) |
2012年4月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年4月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2013年2月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) アンドロメダ銀河(写真はNASAより引用) 実はこれは「スター・ウォーズ」の暗黒の世界なのじゃ・・・・じゃなくてハーシェル宇宙望遠鏡が赤外線で捉えた アンドロメダ銀河の姿なのじゃ。 前にもこのアンドロメダ銀河は40億年後、天の川銀河に衝突すると書いたけど、それよりずっと前に太陽はど んどん膨らみ地球も灼熱の世界になっているから、人類はドラえもんの「どこでもドア」を発明してどこか遠くの 星に移り住んでいるかも知れない。 でもアンドロメダと天の川が衝突したらどうなってしまうんだろう。うるわしきアンドロメダ姫に出会えるんだろうか、 そして織姫と彦星の運命はどうなってしまうんだろう。 僕の予想では織姫と彦星は何千年も待った夢をやっと叶えることが出来ると思うけど、いざ一緒になったら「こ んな人とは思わなかった」なんて「スター・ウォーズ」のような戦いの場にならないとも限らない。 さて現実的に銀河同士が衝突したら地球の、太陽系の運命はどうなってしまうのだろう。 もし太陽を「スイカ」と同じ大きさと考えたら、なんと、たとえ衝突しても広い太平洋に「スイカ」という太陽が3個し か浮いていないほど宇宙空間はスカスカのままなんだ。これじゃいくら他の銀河が天の川に衝突したとしても、 星と星がぶつかるなんてゼロに等しいよね。ちなみにこの「スイカ」のネタは先に紹介した「宇宙を感じる七日間」 から盗み取ってきました。 さて、この銀河には不思議な秘密がある。それは銀河の中心近くで回っている星と、銀河の端っこで回ってい る星の公転速度が同じということなんだ。 うーん、わからないな。だって太陽の近くにある水星と遠くにある海王星の速度は9倍くらい違うんだよね。遠く の星ほど太陽の引力が弱くなり公転速度も遅くなる。銀河系だって、中心から遠くに離れた星ほど速度が遅く なるんじゃないの? この問題は天体物理学者を毎夜悩ませてきたけど、その時に彼らの夢に出てきたのが映画「スター・ウォーズ」 だったんだ。暗黒物質、ダークエネルギー、やっぱり「スター・ウォーズ」は偉大だよね。じゃなくていろいろな観測 結果からそのような存在を考えないと、つじつまが合わないようなんだ。 実際に銀河全体や宇宙に暗黒物質やダークエネルギーが満ちていたとしたら、水星も海王星も何故同じ公転 速度にならないのか不思議だけど、でももっと不思議なことは宇宙が速度をあげながら膨張している事実など が観測されていることなんだ。え? 速度を上げながら? そんな馬鹿な。 ちなみに厚木に住む世界的に有名な異端の宇宙学者・古賀博士によると、暗黒物質やダークエネルギーでは ない別の可能性があるとの話だけど、博士から聞いた話は全て「吐かせ」て正気に戻すことが学会、じゃなくて マンションの自治会では慣例になっているようだから無視するのが一番だろうね。 まだまだ宇宙ってわからないことだらけだよね。でも知的に宇宙・世界の真理に迫ることは、神や創造主を感じ ることとは別次元のような気がする。 人類は「知性の進化」ではなく、ただ単に「知の継承」で現在のような文明を築きあげたかも知れないし、逆に 幸せを感じる世界からどんどん離れていっているような気がする。 あーもう頭が痛くなってきた。もうここは布団に入って映画「ブラザーサン・シスタームーン」の夢を見るしかない。 |
2013年10月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 本日10月3日の夜明け(4時46分〜6時38分)の光景です。 本日10月3日は、映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」でも有名なアッシジの聖フランシスコ (フランチェスコ)が亡くなった日ですが、彼がよく唱えていた「平和を願う祈り」を掲載させてい ただきます。私は頭では素晴らしい「祈り」と感じていても、実際に行動にうつすことができませ ん。しかし、この祈りを体現できている方は、たとえ世に知られていなくとも、聖フランシスコと同 じようにひとりの聖人であることは確かなことだと思います。 ☆☆☆☆ 神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。 憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように いさかいのあるところに、赦しを 分裂のあるところに、一致を 迷いのあるところに、信仰を 誤りのあるところに、真理を 絶望のあるところに、希望を 悲しみのあるところに、よろこびを 闇のあるところに、光を もたらすことができますように、 助け、導いてください。
神よ、わたしに 慰められることよりも、慰めることを 理解されることよりも、理解することを 愛されることよりも、愛することを 望ませてください。
自分を捨てて初めて 自分を見出し 赦してこそゆるされ 死ぬことによってのみ 永遠の生命によみがえることを 深く悟らせてください。 |