聖フランシスコ(フランチェスコ)の言葉


太陽の歌
平和を願う祈り
ひばりたち、フランシスコに別れのあいさつ
聖フランシスコがグッビオの町を荒い狼から救ったこと
兄弟マッセオが聖フランシスコのけんそんをためしたこと
 聖人の様々の被造物に対する愛について
太陽の歌(文語体)
平和を願う祈り(文語体)



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太陽の歌




神よ、造られたすべてのものによって、わたしはあなたを賛美します。

わたしたちの兄弟、太陽によってあなたを賛美します。

太陽は光りをもってわたしたちを照らし、その輝きはあなたの姿を現します。

わたしたちの姉妹、月と星によってあなたを賛美します。

月と星はあなたのけだかさを受けています。

わたしたちの兄弟、風によってあなたを賛美します。

風はいのちのあるものを支えます。

わたしたちの姉妹、水によってあなたを賛美します。

水はわたしたちを清め、力づけます。

わたしたちの兄弟、火によってあなたを賛美します。

火はわたしたちを暖め、よろこばせます。



わたしたちの姉妹、母なる大地によって賛美します。

大地は草や木を育て、みのらせます。

神よ、あなたの愛のためにゆるし合い、

病と苦しみを耐え忍ぶ者によって、わたしはあなたを賛美します。

終わりまで安らかに耐え抜く者は、あなたから永遠の冠を受けます。



わたしたちの姉妹、体の死によって、あなたを賛美します。

この世に生を受けたものは、この姉妹から逃れることはできません。

大罪のうちに死ぬ人は不幸な者です。

神よ、あなたの尊いみ旨を果たして死ぬ人は幸いな者です。

第二の死は、かれを損なうことはありません。

    神よ、造られたすべてのものによって、わたしは深くへりくだってあなたを賛美し、    

感謝します。




「太陽の歌」 丘野慶作訳 はこちらをご覧ください。



平和を願う祈り




神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

    憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光を

もたらすことができますように、

助け、導いてください。



神よ、わたしに

慰められることよりも、慰めることを

理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを

望ませてください。



自分を捨てて初めて

自分を見出し

赦してこそゆるされ

死ぬことによってのみ

永遠の生命によみがえることを

深く悟らせてください。





聖フランシスコ以前から存在していた、作者不詳のこの祈りは、聖フランシスコが

こよなく愛していたことから「聖フランシスコの祈り」として広く世に知られるようになり

ました。






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ひばりたち、フランシスコに別れのあいさつ




土曜の夕方、祝福されたフランシスコが主のみもとに移ろうとしていた夕べの晩課の後で、

ラウデ(賛美)と呼ばれるひばりがたくさん、フランシスコの臥す住まいの屋根の上、あまり

 高くないところで飛び交い始めた。鳥たちはぐるぐる輪になって飛び回り、さえずった。祝福 

されたフランシスコと共にいて、フランシスコについてこのようなことを書いてきたわたしたち

は、フランシスコが次のように言うのを何度も聞いたことがある。「もし、わたしが皇帝にお

話できるとしたら、神の愛のために、またわたしのたっての願いのために、どんな人もわた

したちの姉妹であるひばりを捕獲したり害をしたりしてはならないという法令を定めてくだ

さるよう懇願します。同じように、市長や町や村の領主たちも毎年のご降誕の祝日には、

そのような祭日にふさわしく住民に麦粒か何かを市や町の外の道ばたにまかせ、とくに

わたしたちの姉妹であるひばりや他の鳥たちに、何か食べるものを与えてほしいと思いま

す。また、聖母があの夜、牛とろばの間にある飼葉おけにお置きになった神のおん子を敬

うために、ご降誕の夜は、兄弟である牛とろばに飼葉をたくさんやるはずです。さらに、主

   のご降誕の祝宴を開く時は、富んでいる人は貧しい人に、おなか一杯食べられるだけのも   

のが与えられるように配慮しなければならないのです。」祝福されたフランシスコは、どの

祭日よりも大きな敬いを込めて主のご降誕を祝った。他の祭日も、主がわたしたちの救い

のためにお働きになったことを記念するが、祝福されたフランシスコがよく言っていたよう

に、まず、主がわたしたちのためにお生まれになったからこそ、わたしたちの救いは成就

されたのである。だから、フランシスコは、キリスト教徒が皆、その日にはわたしたちのた

めにご自身をお与えくださったかたの愛を思って、主のうちにあって喜んでほしいと願って

いた。だれもが貧しい人たちだけでなく、動物や鳥にも寛大に喜んで与えなければならな

いのだ。祝福されたフランシスコは、ひばりについてこう言っている。「姉妹であるひばりは

修道者のように、頭巾をつけていて、謙遜な鳥なのです。ほんの少しの穀粒が動物の糞に

混じっていれば、ついとはじき出して食べます。飛んでいる時は、地上のことを軽んじ、いつ

も天上のことに思いをはせ、善良な修道者のように、主をほめたたえます。その上、羽の

衣は土の色をしていて、この点でも修道者に良い手本を見せてくれます。修道者ははなや

かな上等の布の着物を着るのでなく、むしろ冴えない土のような色を選ぶべきだからです

」。祝福されたフランシスコは、今言ったことを姉妹であるひばりの中に見ていたので、

ひばりをこよなく愛し、ひばりを見ることが喜びだったのである。・・・・・・・・・



「フランシスコと共にいた わたしたちは」あかし書房より






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聖フランシスコがグッビオの町を狼から救ったこと




聖フランシスコがグッビオの町に滞在していたとき、そのあたりの野に非常に大きな、

たけだけしい狼が現れて、家畜ばかりか人までも襲ったので、町の人はみな大いに

恐れていた。というのは、その狼は時々町の近くまで来ることがあったからである。

みな町を出る時には戦争にでも行くように、武装して出て行った。それでもひとりでそ

の狼に出会うと、身を守ることができないほどであった。それでその狼の恐ろしさに、

思い切って町を出る者もないようになってしまった。で、フランシスコは住民たちに同

情して、町の人々が諌めるのもきかず、その狼に出会いたいと思い、聖い十字架の

しるしをして、神に全くの信頼をかけつつ、同志たちと町の外へ出掛けたが、ほかの

人々は途中で行くことをためらったので、フランシスコはひとり狼のすみかの方へ、

    道を歩き続けた。ところが見よ、奇跡を見ようとやってきた町の人々は、あの狼が大口    

あけてフランシスコに飛びかかるのを目撃した。しかし狼が近くへ来ると、フランシス

コはそれに向かって十字架のしるしをし、呼びよせてこう言った。「兄弟オオカミよ、

こちらに来なさい。わたしはキリストのみ名によって命令する、おまえはわたしにも

ほかのだれにも、害を加えてはならない。」するとふしぎにも、フランシスコが十字

架のしるしをするやいなや、恐ろしい狼は口を閉じて、走るのをやめた。そして命令

に従い、小羊のようにおとなしくなって、フランシスコの足許にひれふした。そこで

フランシスコは言った。「兄弟オオカミよ、おまえはこの辺りで多くの害を働いた。

神の造られたものを害したり殺したりして、おまえは大きな罪を犯した。家畜を殺

して食べたばかりでなく、神の姿に似せて造られた人間までも殺すような、だい

それたことをした。だからおまえは、強盗や恥ずかしい人殺しのように、絞首台に

送られて当然なのだ。また人々はみなおまえをののしり、おまえを責めて、町中

こぞっておまえの敵だ。しかし兄弟オオカミよ、わたしはおまえと町の人とを和睦

させようと思う。それには、おまえの方で町の人に近よらず、町の人の方でおまえ

の過去の罪をことごとくゆるし、人も犬もこれからおまえをいじめないようにしよう。」



このことばを聞くと狼は、からだや尾や耳を動かし頭をさげて、フランシスコの申し

出を受け入れ、それを守るつもりということを表わした。フランシスコはさらに言った。

「兄弟オオカミよ、おまえは和睦を結び、かつ守ることに同意した。だからわたしは

おまえに約束しよう。すなわちおまえがもうひもじい思いをしないですむように、お

まえの生きている間、町の人に食べものを与えてもらうようにしよう。なぜかと言

えば、わたしはおまえが悪さをするのは、みな空腹のためだとよく知っているから

だ。けれどもわたしがおまえにこの恵みを与えるからには、兄弟オオカミよ、おま

えも今後はもう人にも家畜にも、決して危害を加えないと約束してくれなければ

こまる。わたしにその約束をしてくれるか。」狼は頭をさげて、その約束をするつ

もりであることを明らかに示した。フランシスコは言った。「兄弟オオカミよ、おまえ

はその約束をするという証拠を見せてくれなければならぬ、わたしがそれを信じ

ることができるように。」そしてフランシスコが証拠を求めて手をさし出すと、狼は

前足をあげて、なれなれしくフランシスコの手にのせ、それで自分にできる保証の

しるしを示した。フランシスコはさらに言った。「兄弟オオカミよ、わたしはイエズス

・キリストのみ名によっておまえに命令する。こわがらず、わたしといっしょに来な

さい、わたしたちは神のみ名によってこの仲直りをしようと思うから。」狼は馴れ

た小羊のように従順に、かれについて来た。町の人々はそれを見て大いにおど

ろきそのめずらしい話はたちまち町中に知れわたった。それで男も女も、若者も

老人もみな、フランシスコと狼を見ようと、広場に集まって来た。人々がことごとく

そこに集まると、フランシスコは立ちあがってかれらに説教し、その時ことに神が

罪のためにこういう災いを許されたことを力説した。「のろわれた者を責める永遠

に消えない地獄の火は、からだのほかは殺すことのできない狼の猛威よりも、

はるかに恐ろしいものである。小さな野獣の口ひとつに対してさえ、これほど大

勢の人が不安と恐れをおぼえるならば、まして地獄の深い淵はどれほど恐ろし

いことであろうか。愛するみなさん。神の許に立ち帰って、自分の罪にふさわし

いつぐないをしなさい。そうすれば神は、この世では狼から、のちの世では永遠

の火から、みなさんを救ってくださるだろう。」その説教がすむと、フランシスコ

は言葉をつぎ、「愛する兄弟たちよ、聞きなさい。みなさんの前にある兄弟オオ

カミは、みなさんがかれに命をつなぐ必要な物を与えると約束すれば、みなさん

と仲直りし、これから決してみなさんに、どんな危害も加えないことを約束し、

わたしにそれを保証している。で、わたしもオオカミが和睦の約束を必ず守るで

あろうことを、オオカミのために保証する」と言った。・・・・・・・・・・・



町の人々はみな声をそろえて、その狼にいつでも食べものを与えると約束した。

フランシスコはそれからすべての人の前で、狼に尋ねて言った、「兄弟オオカミよ、

おまえも町の人々に対して、人も家畜もそのほかの被造物も、害しないという和

睦の条件を守ると約束するか。」すると狼はひざまずいて頭をさげ、からだや尾や

耳をできるだけ動かし、その約束を守るつもりであることを明らかにした。フランシ

スコがなおも「兄弟オオカミよ、おまえは町の門前でわたしにこの約束を保証した

ように、こんどはここの人々の前で、わたしがおまえのためにしてやった保証を、

ほこにしないというしるしを、わたしに与えてくれなければならない」と言うと、オ

オカミは右の前足をあげて、フランシスコの手の中においた。このこと、および前

に述べたできごとについて、あるいは聖人の敬虔さにより、あるいはその奇跡

のめずらしさにより、またあるいは狼と仲よくなったということにより、すべての

人の間に非常なおどろきと喜びが生じ、一同天に向かって叫び、神をほめたた

えた。主がフランシスコをかれらのもとに遣わされ、かれはその功徳によって、

町の人々を残酷な野獣から救ったからである。グッビオの狼はまだ二年の間

生きていた。そして親しげに家々を戸毎にまわり、だれにも害を加えず、またな

んの虐待も受けなかった。人々はかれをこころよく養い、かれがそのように町を

を歩く時は、一ぴきの犬もそのうしろからほえなかった。ついに二年ののち、そ

の狼が老衰して死ぬと、町の人々はひどくなげき悲しんだ。それはかれがおと

なしく町の中を行くのを見ると、それだけよく聖フランシスコの徳や尊さが思い

出せたからである。・・・・・・・・・・キリストの賛美のために。アーメン



「聖フランシスコの小さき花」 第二十一章 光明社 より


オオカミの肖像 を参照されたし




兄弟マッセオが聖フランシスコの謙遜をためしたこと




マッセオは言った、「わたしは尋ねます。どうして世界中の人があなたの後を追い、だれでも

あなたを見、あなたのことばを聞き、あなたに従うことを喜ぶのでしょう。あなたは姿が美し

いわけでもないし、べつに学問があるわけでもないし、生まれがとうといわけでもない。それ

なのにどうして世界中の人はあなたの後を追うのでしょう。」・・これを聞くとフランシスコ

 は喜びに魂をうばわれ顔を天に向け、心に神を思いながら長い間立ちつくしていた。それから 

われにかえると、ひざまずいて神に賛美と感謝をささげ、燃えるような熱にあふれて、マッセ

オに言った。・・・・「あなたは世界中の人がわたしの後を追うわけを知りたいのか。それは

どこにおいても善悪をごらんになるいと高きおん者のめがねによるのである。そのいと聖なる

おん目は、罪人の中でもわたしより悪い、わたしより役立たぬ、わたしより罪深い者を見出さ

   なかった。主はご計画のふしぎなわざを実現するのにわたしより悪い被造物がないのでわたし   

を選び、世の貴い人、偉大な人、美しい人、強い人、賢い人を恥ずかしめ、それによっていっ

さいの力と善とは主から出て被造物からは出ず、また何ものも主のみ前には栄えることのない

ことを、悟らせてくださるのである。まことに栄えある者は主において栄えるので、すべての

栄えと誉れは永遠にただ主ひとりに帰せられる」と。・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「聖フランシスコの小さき花」 第九章 光明社 より





聖人の様々の被造物に対する愛について



追放の地で巡礼しながら、大急ぎで家に帰ろうと思う人のように、あの幸いな旅人

フランシスコは、この世にあったすべてのものの中に、大いなる支えを見いだして

いたのである。すなわち彼が、“闇の権力者たちに対抗”しなければならないとき

に、世は彼にとって戦場となり、また、神に心を向けようとするときには、世は澄ん

    でいる鏡のようになって、彼に神の慈しみを示していたのである。事実フランシスコ    

は、自然の造られたすべてのものにおいて、その創造主を称賛する理由を見付

け、すべての物事において、すべてをお造りになったお方に心を向ける手段を見

いだした。“主のみ手がなさったすべての業において歓喜し”(詩92・5)、それか

らの喜ばしい景観を見て、それらの命の源である方のもとに飛翔していた。もろ

もろの物の美しさは、彼に最も美しいお方を現し、自分が味わっていたすべての

良いものは、「わたしたちを造られた方こそ最も良いものだ」と彼に叫んでいたか

のようであった。そういう訳でフランシスコは、どこでも、すべての物事の中に、自

分が愛しているお方のみ跡を見てたどり、そのお方の玉座のもとに達するための

はしごとして、その物事を使っていたのである。フランシスコはまた、すべての物

に対しては、今まで聞いたことのない特別な愛情を示し、これらに主について話

したり、神様を賛美するようにこれらを招いたりするほどであった。彼は、灯、

ランプ、蝋燭などにおいては、永遠の光のシンボルを見付け、自分の手で消そ

うとせず、また石の上を歩くときには、“岩”と言われた方(一コリント10・4)を思

い出して尊敬深くその上を歩くのであった。そして、詩篇の中にある「あなたは岩

の上にわたしを上げられた」(詩61・3)という句を唱えるとき、より深い尊敬を表

そうと思って、「あなたは岩の足もとまでわたしを上げられた」と言っていた。その

ほか彼は、兄弟たちに木を切る際に、まだ芽生えるチャンスを与えるために、全

部を切り落とすことを禁じた。なお草の緑と花の美しさが季節ごとに、すべてのも

のの父であるお方の素晴らしさを告げることができるように、庭の世話をする兄

弟に、庭のある部分をそのまま残すようにと命じたのである。同じく、庭に香り良

い植物と綺麗な花のために、特別な場所が設けられるようにと頼んだ。それは、

これらを見る人々に永遠の甘美さを思い起こさせるためであった。彼は、道で人

々の足に踏まれないように、小さな虫けらを拾いあげ、冬の厳しい寒さのために

飢えで死ぬことがないように、蜜蜂に蜜と良いぶどう酒をもって来させていたの

である。すべての動物のうちに、柔和なものを特別に愛していたが、みな、“兄弟”

の名で呼んでいた。でも、このようなことについて、誰がすべてを語り尽くすことが

できよう。実に、世の終わりに、「すべてにおいてすべてである者」として現れる、

善の源であるあの慈しみが、すでに聖人の目には、「すべてにおいてすべてで

あるものとして」明らかに見えていたのである。



チェラノのトマス「アシジの聖フランシスコの第二伝記」より



太陽の歌(文語体)




いと高き全能のめぐみの主よ、

賛美の歌と栄光・栄誉とすべての感謝は、御身に帰す

ただいと高き御身のみ、これらすべては御身にささげられ、

なんびとも御身のみ名を呼びまつるに価せず、

賛美を受け給え、わが主よ、すべての被造物より、

ことに兄弟なる太陽よりの賛美を。

この兄弟はひるをつくり、御身はこれによりて、われらを照し給う、

いと高き主よ、この兄弟こそは、偉大なる輝きをもって

御身にうるわしき光を返しまつる。

主よ、姉妹なる月と星のために賛美せられさせ給え、

御身は天上にこれらの姉妹をつくりて、

光に高貴と美とを与えたまえり。

賛美を受け給え、わが主よ、兄弟なる風のために、

空気と雲と晴れたる空とすべての天候のために、

    御身はこれらの兄弟たちによりて、すべての御身の創造物をささえ給う。    

賛美をうけ給え、わが主よ、姉妹なる水のために、

この姉妹こそ有益・謙遜・高貴・純潔なり、

賛美をうけ給え、わが主よ、兄弟なる火のために、

この兄弟によりて御身は夜を照らしたもう。

かれこそ、美なり快なり健なり力なり、

賛美をうけ給え、わが主よ、姉妹にして母なる大地のために、

かの女こそわれらをささえ、われらを守り、

種々なる果実・花・草をうみいだすなり、

賛美と祝福とをうけ給え、わが主よ、謙虚なる奉仕をうけ給え、

賛美をうけ給え,主よ、兄弟なる関係の死によりて、

死は何人もまぬかれず、

大罪の中に死するものに、悲みあれ、

御身の聖旨にそえる者は幸いなるかな、

なぜならそは第二の死にて朽ちざるべし

主に賛美を

主に謝し仕え

大いなる謙虚もて




「太陽の歌」文語体 黒田正利訳へ「太陽の歌」文語体 黒田正利訳 はこちらをご覧ください。



平和を願う祈り(文語体)




ああ主よわれをしておんみの平和の道具とならしめたまえ

われをして憎しみあるところに愛をもたらしめたまえ

争いあるところにゆるしを

分裂あるところに一致を

疑いあるところに信仰を

誤りあるところに真理を

絶望あるところに希望を

悲しみあるところによろこびを

闇あるところに光をもたらしめたまえ



ああ主よわれをして慰めらるるを求めずして慰むることを求めしめ

理解さるることよりも理解することを

愛さるることよりも愛することを求めしめたまえ



そはわれらは自ら与うるがゆえに受けゆるすがゆえにゆるされ

    おのが身をすてて死するがゆえに永遠の生命を得るものなればなり    






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2014年1月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。





「もし私が何か良いことをしたのなら、それらは全て神に帰するように」



この言葉は確か童話作家のアンデルセンの言葉だったと記憶しているが、今の私に欠けているもの、

それを全て現しているといっても過言ではない。



私に限らず人は、自身の名誉や成功に対する称賛の風を、自分の中にしまい込みがちである。



しかしそれでは風はさえぎられ、新たな風を産み出すことはできない。



アッシジの聖フランシスコが好んで唱えた「平和を願う祈り」、この祈りには、自身を「平和の道具」と

して使われることへの揺るぎない自覚が横たわっている。



私に向かって吹いてくる風は、良いものも悪いものもある。



しかしそれらの風が私をすり抜けるとき、また違う風を産み出すことが出来ればと思う。



宗教を問わず、神を信じているか否かを問わず、新たな浄化された風を世界に送り出すことができる

人は、聖なる人なのかも知れない。



現代社会を見ていると、いい風ばかり吹いているとは決して思わないが、一人ひとりが新たな風を

産み出しつづけるなら、きっと世界は変わっていくのだろう。



☆☆☆ 写真は、2012年8月25日の夜明けの光景ですが、まるで不死鳥のようですね。☆☆☆









夜明けの詩(厚木市からの光景)

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