聖女クララ(アッシジ)

1181(2)-1253



太陽の歌 アッシジの聖フランシスコ(フランチェスコ)



「太陽の歌」

丘野慶作訳 「聖女クララ」マリア・ピエラッツィ編より


いと高く、全能の、いとも善き主よ、

賛美と、栄光と、誉れと、祝福は、あなたのもの。

これらは、ああ、いと高きおかたよ、

あなたのみに帰すべきもの、

なにびとも、ふさわしく、

あなたのみ名を呼ぶことはできない。



   主よ、ほめたたえられよ、すべての被造物、わけても、兄弟なる太陽とともに。   

かれは、われらに昼を与え、あなたは、かれによってわれらを照らす。

かれはまた、美しく光り輝き、その大いなる光明によって、

ああ、いと高きおかたよ、あなたをかたどる。



主よ、ほめたたえられよ、姉妹なる月と星のために。

あなたは、かの女たちを明るく、とうとく、美しく、天に造られた。



主よ、ほめたたえられよ、兄弟なる風のために。

しかして、空気と、雲と、晴天と、もろもろの天候のために。

あなたは、かれらによって、被造物をささえられる。



主よ、ほめたたえられよ、姉妹なる水のために。

かの女は、いと有益にして、謙遜、貞潔なるゆえに



主よ、ほめたたえられよ、兄弟なる火のために。

あなたは、かれによって夜を照らす。

しかして、かれは、美しく、陽気にして、健やかで強い。



主よ、ほめたたえられよ、姉妹にして母なる大地のために。

かの女は、われらを保ちささえ、

さまざまな果実と、色とりどりの花と、木々を生みだすゆえに。



主よ、ほめたたえられよ、

あなたのみ名によってゆるし、

病苦と艱難とを耐え忍ぶ人々のために。

幸いなこと、平安にこれを耐え抜く人々、

そは、いと高きおかたよ、

かれは、あなたから冠を授けられるゆえに。



主よ、ほめたたえられよ、

姉妹なるからだの死のために。

生きとし生けるもの、なにびとも、

かの女からのがれ得ない。

災いなこと、大罪のうちに死ぬ人。

幸いなこと、あなたの聖なるみ旨を行う人

そは、第二の死は、

かれをそこなうことなきゆえに。



主をほめたたえ、祝福せよ。

主に感謝をささげ、深くへりくだって主に仕えよ。



 


「巡礼の書 アッシジのフランシスコを賛えて」J.ヨルゲンセン著 永野藤夫訳 中央出版  より以下、抜粋引用。



人間の本性を研究する者にとっては、清貧への権利のためのこのような戦いほど、驚くべきものはすくない。

この世では、誰でもが互いに富をめぐって戦い、その社会秩序の下では、人間の価値はその金銭によってはか

られ、「善」と「富」、「悪」と「貧」が同義語になろうとしていて、「無一物」と皆にわかると、どんな正直者もうさん

くさく見られる・・・こんな世界やこんな人間社会では、思えば不思議なことである。実に、清貧を我がものにする

ために全力をあげ、平和の中に清貧に生きる許可を得るまでは、いつかな休むことをしなかった人々が存在

したのだから。実に、彼らは清貧を天国と思い、決して天国から追放されないために、自分の知っている最高

権威へ直接おもむき、教皇の大勅書が炎をはく剣のように自分の楽園を守るまでは、安心しなかった。それどこ

ろか、教皇に対してさえ、この清貧の熱烈な崇拝者たちは戦った。つまり、アッシジの聖クララが病床にあってなお

も生きながらえたのは、サン・ダミアノの彼女の修道女たちのために、清貧の貴い権利を確保するためだった。

教皇庁がこの権利の保持を許さないかもしれなかったからである。そこで、教皇イノセント4世が請願をついに

認可したとき、彼女はほっとして永眠した。ジオットーが清貧を女性の姿に描いているのは、不当なわけではない。

なぜなら、清貧は女性のように愛され、崇拝され、偶像化されているからである。女性のように清貧は、その愛人

を幸福にし、狂喜させ、喜びのあまりうっとりさせ、歓声と賛美で満たさせることができる。はたして、黄金はどんな

百万長者を、その臨終にあたって、助けたり喜ばせたりできたろうか。だが、清貧の忠実な花むこフランシスコは、

歌いながら死を迎え、貧しいクララはサン・ダミアノのあわれな小房で、「わが神よ、おんみがわたしを創りたまえし

を、おんみに感謝したてまつる」と、歓喜の言葉を口にして亡くなった。人間は臨終にあたって、神に創られた恵み

を感謝することより、何かより高いものに到達できるだろうか。





わたしは特に聖クララ自身のことを思いながら、彼女の聖堂の方へのぼって行き、彼女の墓にまいり、十字架像

を見る。この十字架像は、サン・ダミアノで聖フランシスコに語りかけ、彼女たちが1260年に、今も住んでいる、

当時の新しい大きい修道院に移ったとき、たずさえていたものである・・・



ファボリーニ・シフィとオルトラーナ・フィウミの娘で、アッシジきってのきれいな貴族の娘クララは18歳になるかなら

ずで、聖フランシスコの手から修道女のヴェールを受けた。それは1212年の枝の主日の夜、3月18日から19日に

かけてのことだった。年上の親戚の女性ボナ・グエルフッチに連れられて、このうら若い貴族の令嬢はポルチュン

クラへ下って行き、そこで褐色の兄弟たちは、彼女の親戚のルフィノとシルヴェストロもいたが、オリーブの枝を

持ち、ろうそくをともして、彼女を出迎えた。ポルチュンクラ礼拝堂の聖母祭壇の前にひざまずいて、クララは、13

世紀の貴婦人の身につけていた、あらゆる装身具、重いゆたかな晴れ着を全部ぬいだ。その代わりに、兄弟たち

と同じ修道服を着せられた。フランシスコは彼女の金髪を切った。彼女はその夜のうちに、アッシジをかこむ城壁

の下を流れる、キアシ河のほとりの聖パウロ修道院に住む、ベネディクト会の修道女たちの所へ、はだしで歩いて

行った。彼女は聖パウロ修道院からまもなく、現在のアッシジの熾(し)天使神学院である、別の修道院サン・タン

ジェロ・イン・パンソへ連れて行かれ、最後にそこから、永住の地となるべき場所へ移された・・・聖フランシスコ自身

が数年前に手ずから再建した、小さく貧しいサン・ダミアノへである。ここに彼女は41年も住んで、1253年8月11日に

亡くなった。その時、彼女は60代の女性だったが、その心は、41年前と同じようにまだ若かった・・・その頃、彼女は

父の居城の自分の窓から、5月の朝まだきに、平野を見下ろし、小鳥が鳴くのを聞き、その全身が、歓喜する生の

喜びと万物の創造主への温かい感謝で、あふれるのを感じたものだったが・・・



生の喜び、生への愛、生への感謝、これが聖クララの存在の基調である。どんなに彼女が愛すべき人で、また

どんなに愛されたかは、フィレンツェ在のモンティチェリの女子修道院の院長だった、彼女の実の妹アニェゼの手紙

でもわかる。この手紙は、遠くの姉をしたう深いため息であり、遠く離れて、再会もかなわぬことへの長い嘆きで

ある。ワッデングによって収録されているこの手紙には、次のようにある・・・「天でごいっしょに生活するわたしたち

は、この世でも生死をともにいたすべきで、同じ性質をもつわたしたちは、同じ墓におさまるべきだ、とわたしは信じ

ています。でも、たいへんまちがっていたことに気がつきました。と申しますのは、今わたしはたくさんの苦しみに

とりかこまれて、ここにひとりぼっちでいるからです・・・おお、わたしのやさいいお母様であり、ご主人であるお方よ、

あなたや姉妹にもう再会できる希望がないなら、どうしたらいいでしょう、どういったらいいのでしょう。ああ、わたし

の言葉が、心の求めるとおりのことを表現できたらいいのですが、わたしがこのお手紙で、いつも前に立ちふさがる

苦しみを、全部述べられたらいいのですが! わたしの胸は、悩みにもだえていて、胸の奥底がため息をつき、

目は泣くことをやめません。わたしにありますのは、悲しみだけです。わたしは慰めを求めても、見出せません。

あなたにも姉妹にも二度とお会いできないと思うと、いつも苦しみは新たに増すばかりです。わたしの心は心痛に

打ちひしがれていまいそうです。それなのにここには、慰めてくれるように、わたしの愛する人々は一人もいないの

です」。



聖フランシスコの生前、クララは彼のまめやかな慰め手であり、助けだった。彼は自分の使命の性質について疑い

をもったとき、彼女に使いをやり、彼女の祈りから、光明と誤ることのない指導を得ようとした。彼は、目をひどくわず

らって、ほとんど見えなくなったとき、彼女のもとに避難し、彼女は「彼がいっそうよく落ち着いていられ、十分に休養

できるように」サン・ダミアノのそばの庭に、彼のためにわら小屋を建てさせた。晩年の2年間からだに受けていた、

奇跡の聖痕のほうたいを、用心ぶかく女性の手で取りかえたのは、彼女だった。そして、彼が血のにじむ、くたくたに

なった足で、はるかなモンテ・アミアータ山やキアナ谷の、道なき道をさすらったとき、たしかにしばしば、やさしい、

妹のようにろうたけた、クララの面影が、つかれたさすらい人の目前に立ったのだった、かなたのやさしく招く燈火の

ように、目標、港、避難所、その戸口で多くの長い道がついに出会い、終わる故郷のように。



だから、クララの方へと、彼の思いは臨終の時にも向かったのだった。彼が臨終の床につくと、彼女は彼に使いを

やって、「わたしも病気で、あなたにお会いできないうちに、あなたがお亡くなりになり、わたしはこの世でひとりぼっち

になりはしないかと案じています、お友だちもなく、神におけるお父様もなしに」と、伝えさせた。すると、聖フランシスコ

は彼女に返事を送り、兄弟たちの一人にいった・・・「行って姉妹クララ、悩みや悲しみを全部捨てるようにいいなさい。

今は彼女はわたしに会えないが、彼女も姉妹たちも、彼女たちの死ぬ前にわたしに会うことができ、それが彼女たち

に大きな慰めになるだろうということを、彼女に知らせなさい」。その後まもなく、聖フランシスコは亡くなった。その

翌日、アッシジの市民がやってきて、そのなきがらを受け取って、兄弟たちといっしょに、聖歌と賛美を歌い、らっぱを

吹き、オリーブの枝と燃えるろうそくをささげて、なきがらを上のアッシジの方へはこんで行った。彼らが10月の早朝、

すみれ色の雲が広い海のように、平野の上にまだかかっていた頃あい、サン・ダミアノのまだ明るく日にてらされた

高みに着いたとき、葬列は止まり、なきがらをおさめたお棺は、姉妹たちが精神上の父に最後のお別れができるよう

に、聖堂内の姉妹たちの前の格子窓のすぐ前に、はこびこまれた。「そして、それを通して、主のはしためたちが聖体

を拝領したり、神のみ言葉を聞くならわしの、格子が取り払われてから、兄弟たちは聖者のなきがらを、お棺から持ち

上げ、聖クララや他の姉妹たちがその慰めに望んだだけ長く、彼らの手に抱きあげて、窓の前にさし示した」と、『完全

の鏡』は物語っている。すると、小さい聖堂は悲しみと別れ、悲嘆と号泣でひびいた。なぜなら、「平和の天使たちが

みずからいたく泣いたとき、その時たれが感動して涙を流さないだろうか」と、チェラノのトマスは述べている・・・



その号泣がやんで、はや700年になる。しかし、「平和の天使たち」は、聖クララの精神上の子孫は、今なおアッシジに

住んでいるが、もう下のサン・ダミアノの近くの貧しい修道院にではない。そこには、今では褐色の兄弟たちが住んで

いる。彼女たちの住んでいるのは、上のポルタ・ヌオヴァのそばの大きい新しい聖堂のかたわらである。この聖堂は、

ドイツ人ジャコポ・ラポが聖フランシスコの墓の上に二層の大聖堂を完成した直後に、スポレートの兄弟フィリッポ・ダ・

カンベットが13世紀の半ばに建立したものである。


(中略)


こんなことをとつおいつ考えながら、聖クララ聖堂から地下聖堂へ下りる。ここにもまた、聖フランシスコ聖堂の場合と

同じく、聖者の墓の周囲に地下聖堂があるからである。墓が再発見され、地下聖堂が建てられた1850年以来、数世紀

の歳月もそこなうことのなかった聖クララの遺骸は、訪問者に見えるように安置されている。カーテンが引かれると、鉄

格子の後ろのガラス板の下に、修道女のあちこち動かすろうそくの光で、聖クララの寝姿が、聖クララのまどろんで

いる美しい姿が見える。「名はクララ(清らかな)、生活はより清く、死してもっとも清し)と、チェラノのトマスはいっている。



生きている聖女がただまどろんでいるように見える墓前に、長いことたたずんでいる。いま巡礼した聖い場所で書かれ

た、フランシスコを愛するイタリアの女流作家と若いイタリア人の詩人の言葉を、やさしくなめらかな言葉を、ゆくりなくも

思い出す。アデーレ・ピエロテットの愛すべき小品『アッシジで』と、エリゼオ・バッタリアの『息づく愛』の中の言葉である



「聖クララは格子の後ろで」と、アデーレ・ピエロテットはいっている。「彼女の生きていた時代を、信仰は燃え、善行の

盛んだった時代を、わたしたちに回想させます。そして、時々やって来ては、お母さんのいこう祝福されたお棺を見まわ

る修道女たちは、その時はすっかり過ぎ去ったわけではないこと、信仰と盛んな善行は今なお彼女たちの間に生きて

いることを、わたしたちにささやくように思われる。



そして、彼女たちはわたしたち他のすべての人々とはちがっているように、その態度はかろやかで上品に見える。墓所

にともっているろうそくがを、用心ふかい手で世話をし、入ってきた時と同じく、そっと消える・・・



それから・・・聖クララの姉妹たちは、ほかに何をするのだろう。祈り働く・・・自分自身のために、わたしたちのために、

祈らない人々のために祈る・・・仕事をたのむ人々のために働き、労働と祈りのうちに、彼女たちの生活は、静かにみのり

ゆたかに過ぎてゆく」。



「彼女は働き祈る」と、エリゼオ・バッタリアは同じように書いている。「その昔サン・ダミアノで姉妹たちが働き祈ったように、

その頃、シフィ伯爵の令嬢クララは、その若い美しさをそこへ持ちこみ、朗らかさで、むき出しの貧しい小房を明るく幸せに

したのだった・・・一本の輝くばかりの花がその香りと愛らしさで、花環のゆたかなはなばなしさをあふれさせる質素な黒い

土器に、輝きを与えるように」。



Santi ? Basilica di santa Chiara ? Assisi


Casa editrice francescana Assisi より


聖母子への祈り




「聖フランシスコとその時代」ベラルド・ロッシ著 より抜粋引用


ルナンにとって、『太陽の賛歌』は「福音書に続く最も美しい詩文であり、近代的宗教体験

の最も完全な表現」、フォン・ケップラーにとって、「世界への最も美しい喜びの遺産」、フラ

ンシスコ・フローラにとっては「気高い詩の領域において天にあげられた祈り」なのです。

マックス・シェーラー、マルチン・ハイデッガー、カール・グスタフ、ユング、セーレン・キルケ

ゴールといった近代思想家たちは『太陽の賛歌』の中に、すぐさま近代実存哲学を読み

取ったのでした。


『太陽の賛歌』は西洋キリスト教界の文学の中では先例を見ないものでした。それまでの

文学作品に見られる神秘性は、たとえ人間そのものに、愛に満ちた光をあてたとしても、

人間を神とのかかわりにおいてのみとらえているものでした。フランシスコは聖パウロの直

感に照らされて、自然界に存在するすべて生きとし生けるものとのかかわりを新たな目で

見直し、それぞれを兄弟姉妹としてとらえるのですが、彼以前の偉大な神学者たちはそれ

らを、単に神の象徴としてとらえていたのでした。兄弟性という理念はフランシスコが世界

を新しい目で見た事実から湧き起こってきたのであり、それは教皇パウロ6世がキリスト教

的喜びについての彼の文書の中で、「根源的至福の回復」と呼んでいるところのものです。

『太陽の賛歌』において本来の無垢の姿のままに見つめなおされた時、石も木も、動物も

星も、光も、そして秘められた生命の神秘もすべてが一つになって、それらを創造された

神の前に呼ばれるのです。すなわち、ふだん、人間と共にいるこれらのものが集められ、

愛撫にも似た優しさと懐かしさをもって、これらのものが触れられ、天から来て地に下りる

順序とそれらの持ち味に応じて紹介されているのです。


宇宙万物の兄弟の中で第一のものは太陽であり、フランシスコは賛歌の名前をこれに結

びつけるのを望みました。聖痕が証明しているように比類ないほどにキリストに完全に似

たものとなったフランシスコの心理と生涯を考慮するならば、彼が太陽のうちに全宇宙の

原型であるキリストのシンボルを見ていたこと、またそれだけではなくキリストの受肉によっ

て物質を通して霊との出会いを見ていたことは十分に考えられることです。


喜びへの称揚、祈り、宇宙的賛美、神学的直感、エコロジーの先取りとしての『太陽の賛歌』

の主人公はフランシスコであり、フランシスコにおいてすべての人間です。人間は宇宙の中

に浸されており、宇宙の中に浸透しています。しかし、宇宙を愛し、宇宙を神に結びつける能

力によって自分を高めるのです。『太陽の賛歌』は被造物の目的を総括し、被造物の聖なる

コンサートを指揮することができるこの世の秘跡です。『太陽の賛歌』によって、フランシスコ

は全被造物から成る神の民の中心に自分自身を置き、生きとし生けるものの存在を祝福す

るのです。


ポール・サバティエは『太陽の賛歌』に関する章を、次のように悔恨の念をもって閉じていま

す。「『太陽の賛歌』は最高に美しい。しかし、もう一つの小節が欠けている。けれども、それが

フランシスコの唇に上らなかったとしても、彼の心に確かにあったことだろう。それは、『たたえ

らえよ、わたしたちの主、姉妹なるクララのゆえに、あなたは彼女によってわたしたちの心を

燃え立たせ、彼女を沈黙と労働と純真さによって形作られたからです』という小節である」。


 
 


2012年4月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



映画「ブラザーサン・シスタームーン」



アッシジの聖フランシスコは神が創造した全てのものに神の息吹きを感じた、と表現してもいいかも

知れない。しかしサイトでも書いたように、私はその気づきとは違う次元、世界がありのままの姿で

映し出されている次元にフランシスコが立っていたのではないだろうかと感じてならなかった。



純度の高い鏡を持つ者においては、世界に存在するすべてのものが、その存在の重みそのものを

映し出している。



純度の高い鏡、それはアニミズムにも共通している。岩田慶治氏は「木が人になり、人が木になる」

の中で、アニミズムを次のように語り、この鏡の模範を鎌倉時代の禅僧・道元に見いだしている。



☆☆☆☆



「自分が鏡になってそこに天と地を映すといっても、鏡になるための・・・そのために精進努力する

・・・手がかりはない。



しかし、それにもかかわらず、自分のまえに、自分にたいして、天と地ではなくてそれが一体となった

全宇宙が訪れるということは、そのとき、自分がすでに鏡になっていたということである。



いわゆるアニミズム、あるいは本来のアニミズム経験というのは、木の葉のさやぎ、川の流れの音、

あるい草葉の露に全宇宙の規則をみることであって、その経験の時・処において、宇宙との対話が

成立しているのである。



つまり、自分が鏡になって、そこに天地を〈同時〉に映しているということである。」引用終わり。



☆☆☆☆



しかし、この鏡を持つということは別の姿を映し出すことになる。フランスの哲学者でレジスタンスでも

あったシモーヌ・ヴェイユは逆にこの鏡のために、人々の不幸がそのままの重さで映し出され彼女を

苦しめた。しかしそれでも彼女は力強く言う。「純粋さとは、汚れをじっと見つめうる力である」と。



聖フランシスコにとって心の故郷であった10坪にも満たないポルチウンクラの教会、そこでヴェイユは

生まれて初めて何かの力に逆らえずひざまずく。



自分に何が出来るか、それは決して大げさなことでないかも知れない。公園でガラスの破片が子供た

ちを傷つけないよう拾っている人もまた偉大な聖人だと私は思う。世間から大きな賞賛を受けなくとも、

どれだけそこに心を込めているか。



映画「ブラザーサン・シスタームーン」は私にとって、「ラ・マンチャの男」と並んで生涯大事にし続ける

映画かも知れない。



☆☆☆☆



「太陽の歌」アッシジの聖フランシスコ



神よ、造られたすべてのものによって、わたしはあなたを賛美します。

わたしたちの兄弟、太陽によってあなたを賛美します。

太陽は光りをもってわたしたちを照らし、その輝きはあなたの姿を現します。

わたしたちの姉妹、月と星によってあなたを賛美します。

月と星はあなたのけだかさを受けています。

わたしたちの兄弟、風によってあなたを賛美します。

風はいのちのあるものを支えます。

わたしたちの姉妹、水によってあなたを賛美します。

水はわたしたちを清め、力づけます。

わたしたちの兄弟、火によってあなたを賛美します。

火はわたしたちを暖め、よろこばせます。



わたしたちの姉妹、母なる大地によって賛美します。

大地は草や木を育て、みのらせます。

神よ、あなたの愛のためにゆるし合い、

病と苦しみを耐え忍ぶ者によって、わたしはあなたを賛美します。

終わりまで安らかに耐え抜く者は、あなたから永遠の冠を受けます。



わたしたちの姉妹、体の死によって、あなたを賛美します。

この世に生を受けたものは、この姉妹から逃れることはできません。

大罪のうちに死ぬ人は不幸な者です。

神よ、あなたの尊いみ旨を果たして死ぬ人は幸いな者です。

第二の死は、かれを損なうことはありません。

神よ、造られたすべてのものによって、わたしは深くへりくだってあなたを賛美し、    

感謝します。



☆☆☆☆



(K.K)



 







エクソシスト(悪魔祓いを行なうカトリック司祭)の文献・映像

公開されていないバチカン宮殿奥の芸術

夜明けの詩(厚木市からの光景)

アッシジの聖フランシスコ(フランチェスコ)

美に共鳴しあう生命

ホピの預言(予言)

神を待ちのぞむ(トップページ)

聖書ゆかりの地

天空の果実