聖女クララ(アッシジ)

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太陽の歌 アッシジの聖フランシスコ(フランチェスコ)

丘野慶作訳 「聖女クララ」マリア・ピエラッツィ編より






いと高く、全能の、いとも善き主よ、

賛美と、栄光と、誉れと、祝福は、あなたのもの。

これらは、ああ、いと高きおかたよ、

あなたのみに帰すべきもの、

なにびとも、ふさわしく、

あなたのみ名を呼ぶことはできない。



   主よ、ほめたたえられよ、すべての被造物、わけても、兄弟なる太陽とともに。   

かれは、われらに昼を与え、あなたは、かれによってわれらを照らす。

かれはまた、美しく光り輝き、その大いなる光明によって、

ああ、いと高きおかたよ、あなたをかたどる。



主よ、ほめたたえられよ、姉妹なる月と星のために。

あなたは、かの女たちを明るく、とうとく、美しく、天に造られた。



主よ、ほめたたえられよ、兄弟なる風のために。

しかして、空気と、雲と、晴天と、もろもろの天候のために。

あなたは、かれらによって、被造物をささえられる。



主よ、ほめたたえられよ、姉妹なる水のために。

かの女は、いと有益にして、謙遜、貞潔なるゆえに



主よ、ほめたたえられよ、兄弟なる火のために。

あなたは、かれによって夜を照らす。

しかして、かれは、美しく、陽気にして、健やかで強い。



主よ、ほめたたえられよ、姉妹にして母なる大地のために。

かの女は、われらを保ちささえ、

さまざまな果実と、色とりどりの花と、木々を生みだすゆえに。



主よ、ほめたたえられよ、

あなたのみ名によってゆるし、

病苦と艱難とを耐え忍ぶ人々のために。

幸いなこと、平安にこれを耐え抜く人々、

そは、いと高きおかたよ、

かれは、あなたから冠を授けられるゆえに。



主よ、ほめたたえられよ、

姉妹なるからだの死のために。

生きとし生けるもの、なにびとも、

かの女からのがれ得ない。

災いなこと、大罪のうちに死ぬ人。

幸いなこと、あなたの聖なるみ旨を行う人

そは、第二の死は、

かれをそこなうことなきゆえに。



主をほめたたえ、祝福せよ。

主に感謝をささげ、深くへりくだって主に仕えよ。





「聖フランシスコとその時代」ベラルド・ロッシ著 より抜粋引用


ルナンにとって、『太陽の賛歌』は「福音書に続く最も美しい詩文であり、近代的宗教体験

の最も完全な表現」、フォン・ケップラーにとって、「世界への最も美しい喜びの遺産」、フラ

ンシスコ・フローラにとっては「気高い詩の領域において天にあげられた祈り」なのです。

マックス・シェーラー、マルチン・ハイデッガー、カール・グスタフ、ユング、セーレン・キルケ

ゴールといった近代思想家たちは『太陽の賛歌』の中に、すぐさま近代実存哲学を読み

取ったのでした。


『太陽の賛歌』は西洋キリスト教界の文学の中では先例を見ないものでした。それまでの

文学作品に見られる神秘性は、たとえ人間そのものに、愛に満ちた光をあてたとしても、

人間を神とのかかわりにおいてのみとらえているものでした。フランシスコは聖パウロの直

感に照らされて、自然界に存在するすべて生きとし生けるものとのかかわりを新たな目で

見直し、それぞれを兄弟姉妹としてとらえるのですが、彼以前の偉大な神学者たちはそれ

らを、単に神の象徴としてとらえていたのでした。兄弟性という理念はフランシスコが世界

を新しい目で見た事実から湧き起こってきたのであり、それは教皇パウロ6世がキリスト教

的喜びについての彼の文書の中で、「根源的至福の回復」と呼んでいるところのものです。

『太陽の賛歌』において本来の無垢の姿のままに見つめなおされた時、石も木も、動物も

星も、光も、そして秘められた生命の神秘もすべてが一つになって、それらを創造された

神の前に呼ばれるのです。すなわち、ふだん、人間と共にいるこれらのものが集められ、

愛撫にも似た優しさと懐かしさをもって、これらのものが触れられ、天から来て地に下りる

順序とそれらの持ち味に応じて紹介されているのです。


宇宙万物の兄弟の中で第一のものは太陽であり、フランシスコは賛歌の名前をこれに結

びつけるのを望みました。聖痕が証明しているように比類ないほどにキリストに完全に似

たものとなったフランシスコの心理と生涯を考慮するならば、彼が太陽のうちに全宇宙の

原型であるキリストのシンボルを見ていたこと、またそれだけではなくキリストの受肉によっ

て物質を通して霊との出会いを見ていたことは十分に考えられることです。


喜びへの称揚、祈り、宇宙的賛美、神学的直感、エコロジーの先取りとしての『太陽の賛歌』

の主人公はフランシスコであり、フランシスコにおいてすべての人間です。人間は宇宙の中

に浸されており、宇宙の中に浸透しています。しかし、宇宙を愛し、宇宙を神に結びつける能

力によって自分を高めるのです。『太陽の賛歌』は被造物の目的を総括し、被造物の聖なる

コンサートを指揮することができるこの世の秘跡です。『太陽の賛歌』によって、フランシスコ

は全被造物から成る神の民の中心に自分自身を置き、生きとし生けるものの存在を祝福す

るのです。


ポール・サバティエは『太陽の賛歌』に関する章を、次のように悔恨の念をもって閉じていま

す。「『太陽の賛歌』は最高に美しい。しかし、もう一つの小節が欠けている。けれども、それが

フランシスコの唇に上らなかったとしても、彼の心に確かにあったことだろう。それは、『たたえ

らえよ、わたしたちの主、姉妹なるクララのゆえに、あなたは彼女によってわたしたちの心を

燃え立たせ、彼女を沈黙と労働と純真さによって形作られたからです』という小節である」。


 
 


2012年4月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



映画「ブラザーサン・シスタームーン」



アッシジの聖フランシスコは神が創造した全てのものに神の息吹きを感じた、と表現してもいいかも

知れない。しかしサイトでも書いたように、私はその気づきとは違う次元、世界がありのままの姿で

映し出されている次元にフランシスコが立っていたのではないだろうかと感じてならなかった。



純度の高い鏡を持つ者においては、世界に存在するすべてのものが、その存在の重みそのものを

映し出している。



純度の高い鏡、それはアニミズムにも共通している。岩田慶治氏は「木が人になり、人が木になる」

の中で、アニミズムを次のように語り、この鏡の模範を鎌倉時代の禅僧・道元に見いだしている。



☆☆☆☆



「自分が鏡になってそこに天と地を映すといっても、鏡になるための・・・そのために精進努力する

・・・手がかりはない。



しかし、それにもかかわらず、自分のまえに、自分にたいして、天と地ではなくてそれが一体となった

全宇宙が訪れるということは、そのとき、自分がすでに鏡になっていたということである。



いわゆるアニミズム、あるいは本来のアニミズム経験というのは、木の葉のさやぎ、川の流れの音、

あるい草葉の露に全宇宙の規則をみることであって、その経験の時・処において、宇宙との対話が

成立しているのである。



つまり、自分が鏡になって、そこに天地を〈同時〉に映しているということである。」引用終わり。



☆☆☆☆



しかし、この鏡を持つということは別の姿を映し出すことになる。フランスの哲学者でレジスタンスでも

あったシモーヌ・ヴェイユは逆にこの鏡のために、人々の不幸がそのままの重さで映し出され彼女を

苦しめた。しかしそれでも彼女は力強く言う。「純粋さとは、汚れをじっと見つめうる力である」と。



聖フランシスコにとって心の故郷であった10坪にも満たないポルチウンクラの教会、そこでヴェイユは

生まれて初めて何かの力に逆らえずひざまずく。



自分に何が出来るか、それは決して大げさなことでないかも知れない。公園でガラスの破片が子供た

ちを傷つけないよう拾っている人もまた偉大な聖人だと私は思う。世間から大きな賞賛を受けなくとも、

どれだけそこに心を込めているか。



映画「ブラザーサン・シスタームーン」は私にとって、「ラ・マンチャの男」と並んで生涯大事にし続ける

映画かも知れない。



☆☆☆☆



「太陽の歌」アッシジの聖フランシスコ



神よ、造られたすべてのものによって、わたしはあなたを賛美します。

わたしたちの兄弟、太陽によってあなたを賛美します。

太陽は光りをもってわたしたちを照らし、その輝きはあなたの姿を現します。

わたしたちの姉妹、月と星によってあなたを賛美します。

月と星はあなたのけだかさを受けています。

わたしたちの兄弟、風によってあなたを賛美します。

風はいのちのあるものを支えます。

わたしたちの姉妹、水によってあなたを賛美します。

水はわたしたちを清め、力づけます。

わたしたちの兄弟、火によってあなたを賛美します。

火はわたしたちを暖め、よろこばせます。



わたしたちの姉妹、母なる大地によって賛美します。

大地は草や木を育て、みのらせます。

神よ、あなたの愛のためにゆるし合い、

病と苦しみを耐え忍ぶ者によって、わたしはあなたを賛美します。

終わりまで安らかに耐え抜く者は、あなたから永遠の冠を受けます。



わたしたちの姉妹、体の死によって、あなたを賛美します。

この世に生を受けたものは、この姉妹から逃れることはできません。

大罪のうちに死ぬ人は不幸な者です。

神よ、あなたの尊いみ旨を果たして死ぬ人は幸いな者です。

第二の死は、かれを損なうことはありません。

神よ、造られたすべてのものによって、わたしは深くへりくだってあなたを賛美し、    

感謝します。



☆☆☆☆



(K.K)



 







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