「聖フランシスコとその時代」
ベラルド・ロッシ著
小平正寿 訳 マリオ・カンドゥッチ 監修 サンパウロ






時代背景をしっかり押さえながら物語風に展開していくフランシスコの優れた伝記である。本書はフランシスコが

残した文書や源泉資料など駆使しながら、読者をフランシスコが生きていた時代へと呼び戻すことに成功している。

聖フランシスコの生涯を知る上で絶好の文献の一つである。


(K.K)



 




本書 「日本語版へのわたしの思い」 より引用


本の著者にとって、その本の翻訳作業の許可を依頼されることほど喜ばしいことはあり

ません。インノセント3世によって会則が裁可されたことを記念する800周年(2009年)を

迎えるにあたり、日本の皆さんに聖人を紹介するために、フランシスコの生涯について

書かれた多くの本の中で、わたしの本を選んでくださったことは、わたしにとって大変に

栄誉であることであり、喜びです。


実のところ、初めのうちは喜びのうちにも不安を感じました。なぜなら、日本は古くて気高

く、洗練された芸術文化を持った国であると聞いていたからです。受け入れてもらうため

にはレベルの高いものでなければなりません。そして、その文化は感性や考え方、歴史的

な背景において、わたしたちのものとは非常に異なっており、遠い存在と感じるからです。

しかし、わたしの文章が持つわずかな価値、その中身の意味を変えることなく、日本人の

読者に分かりやすく翻訳してくださる優秀な方々のことを伝え聞いて安心しました。


わたしの本は忠実に源泉に基づいていますし(特にフランシスコ自身の書き物)、聖人が

生きてきた歴史的、地理的背景の中に描かれています。同時代の伝記作家の述べてい

ることや資料をふんだんに用い、そのままわたしの文章の中に組み入れることにしました。


源泉には聖フランシスコの本質的と思われる特徴、いわゆる彼の普遍性が強調されてい

ます。彼はイタリア人です。しかし父親はイタリア人ですが、母親はフランス人でした。教皇

とも親密な関係を持ち、同時にエジプトのサルタンの友となり、ヨーロッパや地中海沿線を

うむことなく歩き回り、自らを世界の、すべての被造物や宇宙の一員であると感じてもいま

した。自分の修房の4つの壁の屋根は天そのものであると言っていました。


1986年に教皇ヨハネ・パウロ2世が初めて世界の主な代表者会議を計画していた時のこ

とですが、その集いの場所を選択するために大きな困難を感じていました。なぜなら、その

中の誰かに好まれるような場所は他の誰かに拒否されていたからです。そこでアシジが提

案されました。そして、後に何回もその話をされていました。「アシジはすべての人に好まれ

る場所であった」と。


このようにアシジでフランシスコの地と名において、アニミズムの人々、仏教、ユダヤ教、

イスラム教、キリスト教、ヒンズー教などの人々が集い、同じ一つの広大な天の下ですべ

ての人にとっての創造主である神に祈りました。この歴史的出来事が一つの流れを生み

出し、新たな道を切り開きました。もうすでに当たり前となった言い方をすれば、単に「アシ

ジの風」と呼ばれています。


当然のことですが、私の本は聖フランシスコの完全なカトリック精神について詳しく述べて

います。なぜなら完全なカトリック精神を持っているフランシスコが歴史的なフランシスコ

そのものだからです。いわゆるキリストとの出会い、キリストに魅了され、ある時点から彼

の全生涯を赤い糸のように導いてくれる重要な機会(聖体、教皇、福音宣教、聖痕、太陽

の賛歌など)が含まれています。


読者のみなさまには、フランシスカン的なあいさつである「平和と善」が、常にあることを

お祈りします。「善」、すなわち天の父に対して善に満ちた生活を送ることによる平安、

「平和」すなわち兄弟との平安を持つこと、なぜなら、すべての人の父である神とのかか

わりにおいてはそれを絶対的な条件としているからです。日本でのわたしの本の「誕生」

がささやかで心地よい「アシジの風」となれば幸いです。


ベラルド・ロッシ


 


本書 「緒言」 より引用


アシジのフランシスコは、12世紀の終わりから13世紀の初めに、40年余り生きた人物

です。その生涯は公的には重要な役割はありませんでした。自由な選択によって、貧者の

末席に連なろうとし、中世ヨーロッパの町の片隅に、あるいは田舎のわら小屋に住んでい

ました。


教皇インノセント3世は、初めて彼に出会ったとき、嫌悪を感じ、とげとげしい言葉ですぐに

彼を追い払った、と当時の年代記者ルッジェロ・ディ・ウェンドーヴァーは語っています。しか

し、すぐにインノセント3世は自分の思い違いに気がつきます。なぜなら、この小さな男の中

に満ちあふれるエネルギーを直感したからです。そのエネルギーには力があり、それを止め

ることはできず、長続きするものでした。ダンテはフランシスコをこの世界に現れた新しい曙

になぞらえました。そして、この「アシジの曙」は8世紀たった今も、そのまばゆい光をますま

す放ち続けているのです。


歴史的に見て、フランシスコの存在はきわめてはっきりしています。彼の書き物が数多く残っ

ています。彼と同時代の文学類型に当てはまる記録文書として保管されています。それは手

書きによるもので、フランシスコの肖像も著名な人物の手によって描かれました。わたしたち

の文化と意識の中に生き、現代にも通用する人物として、わたしたちに感動を与え、わたした

ちの生き方にも刺激を与えています。彼はまた未来に向かう人物でもあります。歴史が、これ

からもたどっていく社会的・倫理的進歩発展の理想を示しているからです。多様な面をもつ人

物でもあります。彼はこの世の文化を放棄したにもかかわらず、それは真の詩人になる妨げ

にはなりませんでした。哲学的・神学的思想の持ち主にもなりました。新しいイタリア語の編さ

ん物の一人でもあります。権力を嫌った彼でしたが、教会の機構を最も広く、また大きく包み

込んで変えていく運動をやってのけた人物でした。彼の謙虚さはキリスト教界全体を変えてい

く彼のカリスマを開花させる妨げとはなりませんでした。彼は政治にかかわることはなかった

のですが、彼の宗教性には未来の民主主義と社会性の要素があることが明らかになりまし

た。


このために、彼に関する書物は非常に多様な角度から展開されてきました。それは時には

矛盾に見えるほどでしたが、誤りはそこにはありませんでした。フランシスコについては、実に

いろいろ語ることができるのです。彼についての表現がいろいろあっても、彼の生活様式の

核心において矛盾しないのは道理にかなっているのです。なぜなら彼の選択は宗教的なもの

以外の何ものでもなかったからです。彼について記述する人が社会学者であろうと、神学者で

あとうと、またカトリック信者であとうと、マルクス主義者であろうと、あるいは文献学者であろう

と、歴史家であろうと、アシジのフランシスコの伝記は彼に忠実である限り、宗教的で「神への

信仰を呼び起こす」書物であるはずです。


本書においては、(物語風に思い起こし、源泉資料に忠実で、時にはつなぎ具合や流れの都合

で必要不可欠な想像も交えながら)現実の歴史に生きた現実のフランシスコ像を描くことに専念

したいと思っています。それは本質的なフランシスコ像であって、当時の源泉資料から垣間見ら

れる印象的な輪郭、つまりキリストによって捕らえられ、キリストと一致したフランシスコ像なので

す。キリストによって捕らえられたとは、人間的に言えばキリストを愛し、キリストに恋い焦がれた

ということであり、その極みにまで達したということです。すなわち、キリストこそ彼の理想であり、

彼にとっての「あなた」であり、彼の心のうちに内在する現実であり、生命と宇宙の答えだったの

です。


この本を通してアシジのフランシスコを「見直した」と感じる読者のみなさんが、きっと多くおられ

るだろうといささか自負していますが、慢心に陥らないためにはっきりさせておかなければならな

いのは、たとえそう感じるとしても、それはフランシスコの存在自体が、宗教性の中に見いださ

れ、培われ、生きられ、享受されうるすべての積極的価値をもっとも明瞭に示しているという確信

からの結果だということです。


 
 


本書 「監修者あとがき」 より引用


イタリア語の原本『聖フランシスコとその時代』が出版され、わたしの手に入ったとき(2003年)、

アシジの聖人が大好きな日本の読者にも読んでいただきたいと思っていました。


今回、何人かの兄弟たちの協力によって日本語に翻訳され、イタリアと同じ出版社サンパウロの

おかげで、フランシスコ会創立800周年を記念する、この年に日本でも紹介できることに深く感謝

するとともに、大変うれしく思っています。著者のベラルド・ロッシはイタリアのカトリック司祭であり、

フランシスコ会員でもあります。わたしと同じく同じボロニア管区に属しています。ただ同僚というだ

けではなく、ロッシ師はわたしにとって50年来の霊父であり多方面にわたって、お世話になった方

です。彼は今から24年前ボロニア管区の管区長として新潟教区にいるわたしたち兄弟を訪問して

くれました。そして、ここでのわたしたちの仕事を高く評価してくれたことを、昨日のように懐かしく

思い出します。この訪問を機に高田教会にはイタリア製のパイプオルガンが、妙高教会には聖堂

建設用の木材がイタリアから贈られることになりました。感謝に耐えません。


ロッシ師は1945年の司祭叙階後ローマで聖書学を学び、その後ボロニア管区本部で管区秘書や

理事、管区長として兄弟共同体にずっと尽くされました。1951年から1954年にかけて数人の兄弟

たちと共に聖アントニオ修道院の脇に「アントニアーノ」という福祉事業と文化事業に総合的に取り組

む施設を創設し、1961年から2000年までその施設長を務めました。ここの福祉分野では、80名

のホームレスの方々に毎日温かいフルコースの昼食の提供と障害児のケアを行い、文化部門では、

放送局「ラジオ・タウ」を創り、毎日電波を発信、「ゼッキーノドーロ」という世界子供の歌コンクール

(日本でも有名になった歌「黒猫のタンゴ」もこのコンクールの優勝作品の一つです)などを行っていま

す(2009年には第51回目のコンクールとなります)。


このような忙しい生活の中で、ロッシ師が豊富な著作活動を行っていることには驚きを覚えます。

それらの著作の中に二つのフランシスコの伝記が含まれています。一つは1982年にルスコーニ

社から出版された『アシジのフランシスコへの招待』であり、もう一つが今回日本語に翻訳された

この本です。この伝記でロッシ師は、フランシスコの姿を最も忠実に描くことによってわたしたちに

感動を与えます。その基になった資料は、フランシスコの目撃者たち、特に「三人の伴侶」と言わ

れたレオーネ、ルフィーノ、アンジェロの三人、またフランシスコを敬愛した二人の女性、アシジの

聖クララとセッテソーリのジャコパらの証言に基づいた資料により、その心を伝えます。それにエ

ジプトでの回教徒のソルタン、メレク・エル・カメルとの間で行われた対話記録を通して平和と和解

の人としてのフランシスコを現代的なタッチで描いています。さらにフランシスコ自身が残したたくさ

んの、賛美の祈り、訓戒、会則、もろもろの手紙、また当時の仲間たちの証言資料も検証し、聖人

の人間像とその霊性を鮮明に描き出しています。


本文中、これらの著作からの引用が数多く見られます。それらは『フランシスカン源泉資料集』として

まとめられ、英、仏、独、伊など各国語に翻訳されています。著者も1977年に刊行されたイタリア語

版から引用しています。日本でも、主なるものは邦訳が出版されていますが、全巻の翻訳作業にまで

至っていませんし、残念ながら絶版になっているものもあります。他方、コンベンツアル聖フランシスコ

修道会のホームページにはフランシスコの生涯の源泉資料の邦訳が掲載されています。今回の本書

にあたっては、それらの邦訳を参照させていただきましたが、著者の引用に合わせて訳者の手で翻訳

されています。


キリスト教界ではもちろんのことですが、他の宗教界でも尊敬されているフランシスコが現代社会に

貴重なメッセージを送ってくれることを願い、この本は日本語に翻訳されました。800年前、フランシ

スコは、神のすばらしい愛のうちに生きた聖人ですが、この聖人の生き方が現代の多くの人々にも、

新しい世界観、新しい人間観として伝わりますようにと祈ります。


マリオ・T・カンドゥッチ


 


目次


日本語版へのわたしの思い

緒言

監修者による注記

1 アシジのフランシスコの時代

2 誕生と幼年時代(1181/82〜1198)

3 栄光への夢(1199〜1204年)

4 召し出しを待つ(1205〜1206年)

5 新しい生活の始まり(1206〜1208年)

6 主はわたしに兄弟を与えてくださいました(1208〜1209年)

7 フランシスカン運動(1209〜1210年)

8 クララとジャコパ、フランシスコと二人の女性(1211〜1212年)

9 宣教の開始(1212〜1214年)

10 教会(1215〜1216年)

11 フランシスコ会

12 聞き入れられた二つの願い

(アシジの町に与えられた神の赦しとフランシスコ会の保護者としての枢機卿)

13 中東への記念すべき旅(1219〜1220年)

14 フランシスコに見られるエキュメニズムと普遍主義

15 フランシスコ会と「教養・文化」について

16 総集会

17 会則

18 グレッチオの飼い葉桶(1223年)

19 殉教と聖痕(1224年)

20 『被造物の賛歌』(1225年)

21 晩年と死(1225〜1226年)

22 フランシスコのメッセージと彼に対する崇敬と称揚

監修者あとがき





2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。







原罪の神秘



キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが

何か考えるようになってきた。



世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る

余地などない。



ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない

遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら

の魂は何かに守られていると感じてならなかった。



宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力

に満ち溢れているのだろう。



その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た

わっているのかも知れない。



世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ

ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し

ている。



世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した

のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。



これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類

と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、

原罪との関わりもわからない。



将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、

ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人

言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。



しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。



原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて

いる。



前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも

それは変わらないのだと強く思う。



最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は

聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。



私の文章で不快に思われた方、お許しください。



☆☆☆☆



神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光を

もたらすことができますように、

助け、導いてください。



神よ、わたしに

慰められることよりも、慰めることを

理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを

望ませてください。



自分を捨てて初めて

自分を見出し

赦してこそゆるされ

死ぬことによってのみ

永遠の生命によみがえることを

深く悟らせてください。

☆☆☆☆




(K.K)









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