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「聖フランシスコの小さき花」
光明社
聖フランシスコとどんな場で人は出会うのだろう。
ある人は映画を通して、ある人は教会を通して、そ
してある人は自然への畏敬を通して聖フランシスコ
に出会うのかも知れない。出会う道はそれぞれ違
うものであっても、聖フランシスコについてもっと知り
たいと思い願う人には、この文献は避けては通れな
いものかも知れない。ここに聖フランシスコの魂が、
そして彼の兄弟たちの魂が輝いているからである。
もし聖フランシスコに関心を寄せる人がいたら、先
ず何よりもこの文献を読んでいただきたい。
「聖フランシスコの小さき花」は、アシジの聖者に関する
最古の貴重な文献としてイタリア宗教文学上の一傑作と
して、世界各国に翻訳され、広く人々に愛読されているが、
(中略)「小さき花」の著者がだれであるかは明らかでは
ない。しかしもちろんフランシスコ会の一修道者に相違
あるまい。中世紀にはけんそんによる、このような無名
執筆が数多くあった。なお書かれた年代も明らかではな
いが、十三世紀の末か十四世紀の初め、すなわち聖フ
ランシスコの帰天後八十年を経たころと推定されている。
「小さき花」の内容については、ある文学者の評に「これ
らの物語には楽園の芳香がただよっている」とあるが、
実際敬虔素朴な聖フランシスコならびにその弟子たちの
言行は、この世のものとも思われないほど清く高く、信仰
生活のこよなきかがみと言うことができるであろう。
(本書 はしがきより引用)
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「アシジの聖フランシスコ」
ヨルゲンセン著 永野藤夫訳 講談社
聖フランシスコの生涯を描いた文献の中では最高峰
のものであり、ヨルゲンセンの聖フランシスコへの熱い
想いが伝わってくる名著。
著者のヨルゲンセン(1866-1956)は日本にも知られた
デンマークの詩人で敬虔なプロテスタントの家庭に生ま
れた。コペンハーゲン大学時代から自然主義の影響を
受けたが、やがてニーチェやフランスの象徴派に傾いた。
ルーヴァンやパリで美学を講じたが、第一次世界大戦
でドイツのために追放された。魂の平和を求めたヨルゲ
ンセンは、いかにも北欧の詩人らしく、アンデルセンの
ようにイタリアへ遊び、清貧に平和と救いを見いだした
聖フランシスコの遺跡を巡礼し、その生涯を研究した。
荒廃した西欧の人々の魂に呼びかけ、心の糧として多
くの人々に読まれた<巡礼の書>中央出版社は、この
間の事情をみごとにえがいている。やがて、当時の西欧
のベストセラーの名をほしいままにした<アシジの聖フ
ランシスコ>が出た。ヨルゲンセンはこうしてカトリック
に改宗し、心の安らぎと西欧一のカトリック詩人としての
名声とをえ、魂のふるさとアシジに居を定めた。いずれも
七十年ほど昔のものだが、<詩集><シエナの聖女カ
タリナ><ドン・ボスコ><自伝>などは、詩人のたどっ
た道程を物語っている。古い文字どおりのベストセラー
をあえて再び紹介するには、それ相当の理由がある。
まず、「名作に時代なし」だからである。この本は「詩人
の書いた聖人伝」であるばかりでなく、プロテスタントの
サバティエ師の聖フランシスコ研究への批判の書でもあ
り、良心的な北欧の学問の人にふさわしい研究書でも
ある。つまり、この本はみごとな文学的研究書なので
ある。・・・(本書・あとがきより引用)
現在この文献は平凡社ライブラリーより再販されている。
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「いと低きもの」
小説・聖フランチェスコの生涯 クリスティアン・ボバン著 中条省平訳 平凡社
聖フランシスコの魂の偉大さ、透明さを改めて感じ
させてくれた素晴らしい文献である。奇跡とは神から
降りてくるものではなく、自らの眼に幾重にも覆って
いる曇った鏡を脱ぎ捨ててゆくところに在るのでは
ないだろうか。聖フランシスコはこの曇った鏡を、一
気に飛び越え目の前の存在そのものの本質に飛び
込んでゆく。奇跡が彼と動植物との垣根を取り払っ
たのではなく、彼の澄んだ眼が動植物との間に横た
わる神秘の次元に立ったのであろう。まさに彼の眼
の視点は大地をはうような低い視点だったのであろ
う。以前から感じていたこの想いを、本書は改めて
再確認させてくれると共に、聖フランシスコのまこと
に類い稀な魂の深遠さに迫ったものであると感じて
いる。
わたしはお前を愛していた。愛している、愛しつ
づける。生命の誕生には、肉体だけでは充分では
ない。この言葉こそが必要なのだ。それは遠くか
らやって来る。天上の遠い青からやって来て、生
きるもののなかに入りこみ、地下を流れる浄らか
な愛の水流のように、生きるものの肉体の下を
流れてゆく。その言葉には耳を傾けるためには、
かならずしも聖書を知っている必要はない。その
言葉の息吹に活気づけられるためには、かなら
ずしも神を信じる必要はない。その言葉は聖書
の一ページ一ページだけではなく、木々の葉、
動物の毛、宙を舞う塵のそれぞれに染みこんで
いる。それは物質の深奥であり、最期の核であり、
究極の点である。それは物質ではなく、言葉なの
だ。わたしはお前を永遠の愛で、永遠にお前に向
かう愛で、愛している---塵よ、獣よ、人間よ。こ
の言葉は、揺りかごの上空を漂い、母親の唇の
うえで踊る前、ひとつの時代を作りあげ時代の色
と調子を決定した声を突き抜けて、道を作ってき
たのだ。その声とは、戦争と商業の言葉であり、
栄光と災厄の言葉、耳の聞こえぬ者たちの言葉
だ。だが、そこを貫いて、斜めから、下から、上か
ら、風の精霊、狂ったざわめき、赤い血のなかの
鼓動が響きわたる。わたしはお前を愛している、
と。お前が生まれるずっと前から、多くの時代が
終わるずっとあとまで。すべての永遠の現在の
なかで、お前を愛している。そこからやって来た
のだ。アッシジのフランチェスコは。彼はそこから
やって来て、深い寝台の美女の腕のなかに帰る
ように、そこに帰ってゆく。(本書より引用)
「いと低きもの」というタイトルはフランス語のLe
Tres-Basの直訳だが、この言葉は「神」をあらわす
Le Tres-Haut(「いと高きもの」「至福者」)の反対語
として、ボバンが造語したものである。このタイトル
が象徴するように、本書のフランチェスコは一貫し
て、高い場所から託宣を下すことを避け、いと低き
ものとして世界を見つめている。その低いまなざし
は、まさに幼児のそれであり、フランチェスコは大人
から幼児への逆の成長を遂げ、高貴な人々から
貧者のもとへと降りてゆく。それは、遥かな天上か
ら下界を見下ろす視線とは対極の、無心に見上げ
る幼児のまなざし、大地のまなざし、土のまなざし
であり、それはまた、木々のまなざし、風のまなざし、
そして、ひたすら低い場所へと流れる水のまなざし
でもある。「単純なまなざしとともに、純粋な力が
帰ってくる」(「小さな祭の衣」より)。嬉々として大地
と、また世界と戯れる幼児こそ、ボバンの描くフラン
チェスコの特権的なイメージだ(まさにロベルト・ロッ
セリーニが「神の道化師、フランチェスコ」で描きだ
したように)。幼児の戯れ、その無心の喜びが、「いと
低きもの」の基調音をなしている。それゆえ、本書
のアッシジのフランチェスコの生きかたには、禁欲
や苦行の影はみじんもない。所有を否定し、家や
教会への安住を棄て、浮浪者と等しい生活を送り、
乞食とおなじく物乞いしながらも、アッシジのフラン
チェスコは全身愛と歓びにひたされている。「いと
低きもの」とは、そのタイトルが連想させるものとは
裏腹に、この上ない「ドルチェ・ヴィータ(甘い生活)」
の記録だといってよい。
(本書・訳者あとがきより引用)
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「聖フランシスコとその時代」
ベラルド・ロッシ著
小平正寿 訳 マリオ・カンドゥッチ 監修 サンパウロ
時代背景をしっかり押さえながら物語風に展開していく
フランシスコの優れた伝記である。本書はフランシスコが
残した文書や源泉資料など駆使しながら、読者をフラン
シスコが生きていた時代へと呼び戻すことに成功している。
聖フランシスコの生涯を知る上で絶好の文献の一つで
ある。
現実のフランシスコを求めて、著者ベラルド・ロッシ師は
中世の資料と証言を探索した。伝記の作成に重要な資料
となるフランシスコの「三人の伴侶」と言われるレオ、ルフィ
ノ、アンジェロの未発表証言、またフランシスコを敬愛した
聖クララ、セッテソーリのジャコパの証言をも念入りに調査
した。宣教を試みた東方の地にも赴いた。さらに十字軍の
戦いに敗れた後、神の摂理によってエジプトのナイル川の
ほとりで回教徒のメレク・エル・カメルと出会ったことを語る。
物語は修道会の推移、兄弟会員たちの集い、法悦、太陽
の歌へと続く。フランシスコは文化を無視したが、詩人の才
をむだにはしなかった。権力の座を求めることはなかった
が、弟子たちの父となった。彼は中世の人の中でもっとも
人々に知られた人物である。彼は世紀を隔てた現代の文化
と精神に対して今なお語り続けている。
(本書より引用)
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「聖性の詩人フランチェスコ」
アベル・ボナール著 大塚幸男訳 白水社
聖フランシスコ同様、この文献には誌的な美しさが
湛えられている。現代から中世まで遡り、聖フランシ
スコの魂に辿りつくには、清浄な水を潜っていかなけ
ればならない。もし汚れた水の中に飛び込んでも、
聖フランシスコの魂に辿りつくことは出来ないだろう。
著者はこの清浄な水を心に湛えた人であり、それが
故に、水の底に輝く詩的な聖人の魂に向かって真っ
直ぐに潜っていくことが出来たのだろう。
わたしは数ある文献の中から、なにゆえにこの書を
選んだか?それはこの書が聖伝を厳密に尊重しつつ、
アッシージの聖者の人間とドラマとを深い洞察をもって
描き出し、その聖性の比類ない特質と美しさとを詩的
に伝えているからである。しかも二百数十項という小さ
い本でありながら、その緊密度が希有の高さに達して
いるからである。さきに挙げたような、フランチェスコ
文献の主なるものはすでに日本語に移されているが、
それはほとんど宗門の人々の手に成るものであった。
けだし純粋な作家の手に成るものの邦訳は、この拙訳
をもって嚆矢とするのではあるまいか。それだけ本書は
一般の読者にも近づきやすいであろうと思う。とはいえ、
わたくしはわたくし自身のために、わたくし自身の喜び
のために、この書の翻訳を志した。フロベールが常に
いっていたように、われわれは何よりもまず自分自身の
ために仕事をしなければならないのである。この書が
わたくしに絶大な感激と法悦とをもたらしてくれたように、
心ある読者の胸に何らかの感動を伝えることができれ
ば、訳者として望外の喜びである。<知識階級も国家
も、大がかりで馬鹿げた金銭経済に足もとを奪われて
いる。この世がこれほど俗世だったことはなく、これほ
ど愛情と善意に乏しかったこともない。>これは誰の
言葉であるか? ニーチェの言葉である。ビスマルク
時代のドイツ、国運隆々たるかに見え、政治的、経済
的に急速に発展しつつあった時代のドイツに対る批判
である。この批判を現代の日本にあてはめ、今日の
時代の挙世とうとうたる風潮にフランチェスコを対置
するのは極めて容易なことである。しかし、わたくしは
この聖者に単なる今日的意義を求めて事足れりとする
者ではない。それは至ってこの偉大な人を引き下げ、
小さくすることにすぎないからである。それにこの人は
他を責めたり、理屈をこねたりすることは決してなかっ
た。ただ、ひたすら愛を歌い、愛を実践したのである。
<理性は語る、されど愛は歌う!>。フランチェスコは
<この世に太陽のごとく出現した>ダンテ。<彼は深
い夜の中に輝く一つの星のように、闇を追い払う曙光
のように輝いた>チェラーノ。アッシージのフランチェス
コは、時と所を超えて、人の世の空高く、まさに太陽や
星のごとく、永遠に輝いているのである。
(本書 「短い序曲」より引用)
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「聖クララ伝 沈黙と記憶のはざまで」
マルコ・バルトリ著 アルフォンソ・プポ/宮本順子 共訳
サンパウロ
この文献はクララという人を全く知らない人には不向き
だろう。ただ、少しでも聖クララという聖フランシスコの精
神を最も体現した人、この聖クララに関心がある人にとっ
ては知るべきことが多く語られている。それは聖クララの
死後直ぐに始まった列聖調査の源泉史料(『クララ・クラリ
ス・プレクララ』『聖なるおとめ伝』や多くの証言者の記録)
に留まらず、当時の時代背景つまり宮廷文化や女性像、
ハンセン病や騎士道精神の胎動など聖フランシスコをも
理解するうえで欠かせない要素を含んでおり、それが故
に800年以上も前に亡くなった聖人を現代に活き活きと
蘇らせることに成功している。著者は大学中世史と宗教
史を教えている歴史家であるが、特に聖クララに関しては
高い評価を得ており、本書に先立って「アシジのクララ」
(1989年)を刊行している。ただこの文献は邦訳されてい
ないのが残念である。
「この光の強さは何と活き活きと力強く、この明るく光る
泉からあふれ出る輝きは何と強烈なのでしょう。実に、こ
の光は閉域に隠れて自らを封じ込めていましたが、きら
めく光を放って外に輝き出ていました。狭い修道院にこもっ
ていた光が、外ではこの広い世界中を照らしていました。
内に潜んでいたのに、外に輝きわたっていました。クララは
実際隠れていたのに、彼女の生活はすべての人に知られ
ていました。クララは黙っていたのに、彼女の名声は叫んで
いました。自分の修室に引きこもり隠れていたのに、世間
は彼女をたたえ合っていました」
(クララの列聖勅書『クララ・クラリス・プレクララ』n.4)
(本書より引用)
中世のイタリア、アシジの修道院の沈黙の中にみずから
を閉じ込めた聖クララ。彼女は「フランシスコの小さな苗木」
とも呼ばれ、聖フランシスコの精神をいちばん深く理解した
人物と言われてきた。1994年の生誕800周年を機に、世界
各国で多くの会合や学術会議が開催され、以来、新しい
視点に立った研究が次々と発表されている。他方、これま
で失われたものと思われていた、クララの列聖調査の記録
文書が、20世紀初頭に発見されている。本書は最新の研究
成果を踏まえつつも、クララの列聖に際しての教皇の命に
よって書かれた『聖なるおとめクララの生涯』を、その直接の
資料である列聖調査記録と照らして読み直したものである。
そこから浮かび上がってきたのは、全く新しいクララの姿・・・
中世の枠を破る新しい自覚をもった女性像・・・であった。
(本書より引用)
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「聖女クララ」
マリア・ピエラッツィ 編 岳野 慶作 訳 聖クララ会編
ドン・ボスコ社
アッシジの聖フランシスコと共に「清貧の花」を着飾っ
た聖女クララの伝記。聖フランシスコより約10年後に、
同じアッシジの名門の家に生まれるが、聖フランシスコ
の生きざまに心奪われ、生家の追求を逃れ修道生活
に入る。神への愛による二人の心の結びつきは強く、
聖フランシスコの精神を最も体現した人として知られる。
彼女の亡骸は700年たった今でも教会に安置され、そ
のからだは黒く変色しミイラ化しているが、腐敗を免れ
ている。神の恵みを真に受けた聖クララの感動の伝記。
聖女クララの名は、すでにアシジの聖フランシスコ
の名とともに、わが国においても一般に知られている。
しかし、アナトール・フランスの「聖女クララの泉」その
他によって、聖女の姿がゆがめられ、聖女の出家の
動機や、聖フランシスコとの関係などについて、あや
まった考えが流布されているのは、まことに遺憾であ
る。リナ・マリア・ピエラッツィは、これまで発見された
もっとも確実な資料にもとずき、詩情ゆたかな筆致を
もって、聖女の清く聖なる、雄々しい生涯を物語って
いる。清貧を愛し、清貧に生き、清貧のために戦い、
清貧の腕に抱かれながら世をさった聖女クララは、
福音の庭に咲き出たもっとも清純な花であるとともに、
物欲にとらわれがちな人類に、つねにあらたな教訓を
与えている。聖フランシスコが、心のなかで歌ったと
いわれるあの美しい詩句を、私たちもまた、口ずさま
ないではいられない。
「主よ、ほめたたえられよ、
姉妹なるクララのために。
彼女は、いと柔和謙そんにして、
気高く清らかなるゆえに。」
本書「はしがき」より引用。
「聖女クララ」 舟越保武 作 成川美術館(箱根)
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「アッシジの聖フランシスコの
小さき花U」
フランシスコ会業書 7 石井健吾 訳
先に紹介した「聖フランシスコの小さき花」の続編で、
「聖フランシスコの聖痕について」「兄弟ジネプロの伝
記」「兄弟レオによる兄弟エジディオの伝記」「兄弟
エジディオのことばから」「補足された章」が収められ
ているが、私は単純素朴なジネプロにも惹かれる
アシジと言う、イタリアの小さな町から生まれたささや
かな精神運動が、幾世紀の歳月を経て、今日全世界
に広がり人々の共感を呼んでいる。今年は、この運動
の創始者フランシスコの生誕800年を迎える。彼の
メッセージは、激動する現代社会と動揺する人々の
良心に、過去のどの時代にもまして強くアピールする
もののように見える。騎士とこの世の栄誉に憧れた
若きフランシスコは神の霊の呼びかけに答えて、全き
回心をし、大王であるキリストの騎士となった。全ての
人を救おうとされるキリストの愛を実行するため、彼は
キリストと全く同じように生きることを望んだ。そこから
生まれた霊性には、他のそれとちがって難解な所は
何もない。理由は、それが生活に根ざし、生活そのも
のであったから。この内容は神と人とを愛し、貧しく謙遜
に生きる、ただそれだけである。しかし、この実行は生
やさしいものではなかった。この世に生を受けた誰も
が、このような生活を望み、憧れながら成功した者と
いえば、数えるほどしかいない。それはエゴ(自我)と
の壮絶な戦いに始まり、想像を絶する苛酷な戦いに
終わる。この「小さき花」は、フランシスコと彼の生き方
に共鳴した、最初の兄弟たちの血みどろの戦譜である。
「小さき花」という題名の持つひびきは、耳にやさしく
ムードに溢れるが、その内容は、はげしく魂の根元を
衝く。ロマンティシズムとは、大きな困難に敢然と立ち
向かうことであるとすれば、この書に見られる個々の
エピソードに登場する、小さき兄弟たちの生き方を支
えていたものが、まさにそれであろう。神と人との平和
を目ざすフランシスカン運動は、自我との戦いに始まり、
それに終わる。「小さき花」は、その戦いで花開いた
ロマンティシズムによって編まれた花冠、つまりロマン
の勝利を表す月桂冠とでも言えよう。
(本書「序にかえて」より引用)
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「フランシスコと共にいたわたしたちは」
レオネ、ルフィーノ、アンジェロ兄弟たちの報告記
佐藤翔子・渡辺義行 訳
小さき兄弟会監修(フランシスコ会) あかし書房
フランシスコは、神が創造された美しい兄弟姉妹
被造物に話かける。そのようなフランシスコが人の
心を引きつける。フランシスコのもとにやってきた貧
しい人のだれにも、背負っているものは何でもあげ
ようと心配っているフランシスコが、わたしたちの心
を暖め、財布のひもを緩めさせる。この兄弟は、ラ・
ベルナ山での熾天使との言い表せないほどの崇高
な出会いでわたしたちを圧倒する。だれもかれも、
フランシスコが非常に魅力的で非常に愛すべき人だ
と言うほどである。フランシスコを、美しい、人の心を
高潔にする神秘家とする人々もいる。だが、それに
もかかわらず、そこには、福音の主が、人類に絶え
ず教えられることを、自身とその行いとで劇的に再
現されるために、考えられないほどまでに、自らを
放棄していた人、祝福されたフランシスコの姿はな
いのである。仲間たちの話は、神聖な想像を描いて
自己満足している者に反省を促すものである。兄弟
たちは、自分たちの聖なる師の真の姿を描き出して
いる。また、フランシスコ自身がそれらを言い表した
と同じ動機、目的をわたしたちに語ってくれる。兄弟
たちの話すことは、どれもわたしたちにとって、目新
しいものではない。兄弟たちは、フランシスコについ
て書かれた物語、また、最近の物語どちらにも資料
を提供している。本書は、これを読んで、フランシス
カニズムを学というよりもむしろ、フランシスコがど
んな人であったかにもっと気づきたいと望む読者の
ために、仲間たちの物語にたやすく近づけるような
書き方の形を整えたものである。
(本書より引用)
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「巡礼の書」
アッシジのフランシスコを賛えて
J.ヨルゲンセン著 永野藤夫 訳 中央出版
70年以上も昔のベストセラーをあえて再び紹介する
には、それ相当の理由がある。
@名作に時代なし・・・これが第一の理由である。この
本は、詩人の「聖フランシスコの巡礼の書」であるば
かりでなく、改宗者の信仰の書であり、サバティエの
聖フランシスコ研究への批判の書でもある。巻頭の
みごとな「イタリア賛歌」や方々に見られる珠玉の
描写は、いかにも「南国をあこがれる北欧の詩人」
にふさわしい。至る所にあふれる熱いきよらかな
信仰や時折きざす迷いのかげりは、まさに北欧の
信仰者にふさわしい。散見する信仰論やキリスト教
的文明論は、ひかえめであるが、良心的な北欧の
学問の人にふさわしい。これらの特色は、時代を
こえている。
A現代に生きる聖者・・・聖フランシスコは現代に生き
ている。いや、現代の求める聖者である。これが第二
の理由である。世界の現状を考えるまでもなく、身辺
を見まわすなら、愛と幸福と平和と清貧の聖者フラン
シスコが、いまさらのように「現代の待望する聖者」で
あることが、納得されることだろう。この聖者の面影は、
この本にみごとにとらえられている。
Bわたしたちは「他国人であり旅人であるから」・・・こ
れは、作者が巻頭にかかげた銘だが、聖フランシスコ
ゆかりの聖地の巡礼の書こそ、「天と地のあわいの
旅人」であるわたしたちにふさわしい本だろう。世界が
戦争にのめりこもうとしていた30数年前、山間で山村
氏の訳書を読んだ若い大学生の深い感銘は、まぎれ
もなくそういうことだった。そして今わたしは、改めて
この本を訳了した。
(本書より引用)
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「古都アッシジと聖フランシスコ」新装版
小川国夫・文 菅井日人・写真 講談社
著者のとても素朴な感性から紡ぎ出される聖フラン
シスコへの想いには、静かな共感と感動さえ覚えてし
まう。また写真は「聖フランシスコの世界」でもその美
しい映像を撮ったカトリックの写真家・菅井日人氏に
よるものであり、小川国夫氏の文と共にアッシジの祈り
に満ちた世界に読者をひきこむだろう。尚、この文献
は1985年に刊行されたものだが、新たに装幀され
出版されたものである。
念願であった聖フランシスコが最後にキリストの様
に聖痕を受けたといわれるラ・ベルナ山に登って行っ
た時のことでした。空が一転にわかに暗くなり、嵐に
なりました。非難するため、聖フランシスコの隠遁し
た岩の洞穴に入って祈ったり暗い中のローソクの明
かりで撮ったりしていました。外はみぞれまじりの大雨
で仕方なく聖堂に、また行ってみました。正面祭壇の
一段も二段も高いところに美しい聖母像だけが見え
ました。聖母像の箱の中に明かりがついていたので、
何とか三脚なしにカメラを手で固定して撮ろうとして
いました。聖堂内はほとんど真暗な状態でしたので
私は聖母像だけに集中していました。と突然、私が
向っている暗がりの左側の小窓に黄金色の光が当
たっていました。その明るい光は背後から照らして聖
フランシスコの像を浮かび上がらせたのです。びっく
りしました。それまで聖母像だけで聖フランシスコの
像に全く気付いてませんでしたから、考えると、ある
べき太陽は嵐の中ですし、私のうしろにあるはずが
なくきっと急に太陽がでて、光線が岩に反射している
のでしょう。聖堂内は私一人で、もう音一つなく神秘
的な空気がただよっていました。ここに神様がいると
感じて、鳥肌が体中に立ちました。その後ひざまずき
祈りながら、聖母マリアと聖フランシスコを二つ一緒
に撮ることに成功しました。聖堂の外に出ると、思っ
た通り、今までの嵐はうそのように静まり、雨水の流
れた岩山に一本の大きな木の十字架が立っていて、
雲一つなく澄みきった青空に、美しい夕日が輝いてい
ました。まるでその夕日は沈みゆく前に、もう一度
すべての光を惜しみなく注ぐかのように、キリストに
最も近く生きた、聖フランシスコを讃えているかのよ
うに見え、先程の洞穴での祈りと、不思議な聖堂で
の祈りの答えだったのかも知れません。その夜、
再びみぞれが降りさまざまの感動とともに頭はさえ
わたり、一晩中、寒さの中で眠ることすら惜しかった
のでした。神は何と偉大で恵み深いのでしょうか。
神の姿にもっとも似せて造られた人間とは、一体
何ものなのでしょうか。人間の生きる価値として一番
大切なものは何なのでしょうか。アッシジの聖フラ
ンシスコのように、富も名誉も財産も捨て、貧しくと
びきり豊かな心を持って生きることができないもの
でしょうか。「天に宝をつみなさい、あなたの宝のあ
るところに、あなたの心もあるのだから。そこでは
虫もくわないし、また盗人もいない」。言葉というの
は言うにやすく実行にむずかしいことですが、写真
という小さな仕事を一つ一つ大切にやりとげます。
どうか聖フランシスコの精神が私の中で生きつづ
け、平和の道具としてあなたに使っていただける
なら、こんなに幸せなことはありません。
(菅井日人・・・・本書「心のふる里」より引用)
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「聖者の詩 わがアッシジのフランシスコ」
武田友寿著 聖母文庫 聖母の騎士社
アッシジの聖フランシスコを敬愛してきた日本人は
数知れないだろう。何故なら「太陽の歌」に代表される
聖フランシスコの世界観は、国家主義に結びつく前の
古神道の視点に共通するものがあり、私たち日本人
の原風景の記憶を呼び戻すことから来ているのかも
知れない。一方、この文献の著者はその共通性を聖
フランシスコが回心する前の俗の部分に焦点をあて、
多くの文献を参照しながら深く掘り下げている。そして
そこから見えてくるものは著者が言うように「泥中に咲
いた蓮の花」の美しい姿なのである。この泥中という
俗性の中においても、そして聖なる後半生においても
聖フランシスコの蓮の花の根っこには吟遊詩人と騎士
道が息づいていたことを改めて気づかせてくれる良書
である。本書はカトリック新聞に連載され、アウシュヴィ
ッツのガス室で亡くなったコルベ神父が長崎にいた時
に創った「聖母の騎士」から発行されている。
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「アッシジの聖フランシスコ」
永井明著 サンパウロ アルバ文庫
「十二世紀に、イタリアのアッシジの町に生まれ、
「聖貧」と愛徳に基づいて一生を送った聖フランシスコ
の精神は、混乱した現代の社会がもっとも必要とする
ものではないだろうか。本伝記の著者は、この聖フラ
ンシスコの「聖貧」と愛徳の精神を、特に日本の若い
人々に理解してもらうため、なめらかな文体で、やさし
くこの伝記を記し、楽しい読み物としている」(本書より)。
本書は上に紹介したヨルゲンセン氏の「アッシジの聖
フランシスコ」やフランスの青少年のためのスライド用
の台本を参考に書かれたものであるが、初めて聖
フランシスコの生涯に触れる人を対象にしており、その
文体は読みやすい。
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「聖フランシスコに語りかけた十字架」
マイケル・グーナン著 小平正寿 訳 サンパウロ
43頁しかないとても小さな本です。この十字架は聖
フランシスコに語りかけた有名な十字架ですが、12世
紀の無名の美術家によって創られたものです。この
十字架像に描かれている様々な場面や人々の姿、こ
れらの意味は何か、それをこの文献は詳しく教えてく
れます。恐らく、このような詳しい解説は他のフランシ
スコに関する文献にはないのではと思います。
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「フランシスコ アシジの聖なる人」
カトリック映画演劇連盟出版部
フランシスコ会(日本管区本部)協力
1980年にアメリカで発行された漫画で辿る聖
フランシスコの物語を翻訳したものですが、子ども
でも読むことが出来、なおかつ格調高さを感じる
ものです。
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