「現代に生きる“太陽の讃歌”」

フランシスコの環境の神学

現代カトリック思想業書16

エリク・ドイル著 石井健吾訳 サンパウロ より引用






教皇パウルス六世が、国連本部で歴史的演説をしたのは、1965年10月4日のことであった。

その同じ日、エリク・ドイル神父(OFM)は、サフォークにある聖公会のベントリー参事会員を

前に、「兄弟なる太陽の賛歌」についての考察を展開していた。彼はその後、この考察を「聖

フランシスコと兄弟性の賛歌」と題して、一冊にまとめた。1980年に出版されたこの本は国連

本部に寄贈された。それは、被造物のすべての間に、神に共通の起源を持つ深い関係があ

るのを示す、ドイル神父の確固たる信念を説き明かすとともに、フランシスカンの伝統を内面

から理解させるものであった。16年の年月が流れ、ドイル神父の言う、被造物すべてのなか

にある根本的関係の主張は、国家と少数民族のグループや環境や生態系の破滅的影響の

中にある地球規模の紛争に対するより大きな挑戦の意味を持つ。女性が自分たちの意見を

通そうと努め、社会関係や働く場での平等な役割や公正な位置を占めようと試みる世界にお

いて、このような書こそ、相互の関係の早急に必要とされる精神的ヴィジョンを提供する。本

書はまた、お互いが一緒に住み、尊敬し合い、信頼のなかに愛し合うより協調的方法に対す

る、人間の心の熱望に筆を進めていく。このアシジのフランシスコの世界には人間ばかりでな

くあらゆる被造物が兄弟や姉妹として存在するというヴィジョンは、イエス・キリストによって教

えられた福音(グッド・ニューズ)を伝え、生活する独自な方法を遺産として渡されたのである。

エリク・ドイル神父(OFM)は1984年8月25日、46歳の若さで急逝した。彼の帰天で、フランシ

スカン・ファミリーは、兄弟で教師、助言者で喜びの霊を失った。彼の深みのある雄弁な言葉

は、いつもはにかむようなスマイルと機知に富んだウィットに包まれていた。彼と知り合う幸運

に恵まれた者は、もっとも透徹した仕方で自分の信仰、希望、愛を映し出す冗談好きな学究

の模範であったことを認めるに違いない。今回、この書を再版するにあたって、彼の知恵と洞

察力が、我々の親密な関係の立場について、大勢の人がより深く、より正しく考える機会に恵

まれるよう希望する。(以下省略) F.エドワード・コーリン(OFM)

(本書 再版にあたって より引用)


 
 


目次

再版にあたって

まえおき

序にかえて

第一章 アシジの聖フランシスコ(1182〜1226)

第二章 「兄弟なる太陽」と創造の意義

第三章 いと高き主、我々の兄弟

第四章 兄弟なる太陽

第五章 姉妹なる月と星たち

第六章 天候

第七章 姉妹なる水

第八章 兄弟なる火

第九章 我らの母、姉妹なる大地

第十章 平和、赦し、苦難

第十一章 死の神秘

第十二章 世界における悪

第十三章 感謝、謙遜、奉仕

結びにかえて

著者プロフィール

略語表





2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。







原罪の神秘



キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが

何か考えるようになってきた。



世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る

余地などない。



ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない

遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら

の魂は何かに守られていると感じてならなかった。



宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力

に満ち溢れているのだろう。



その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た

わっているのかも知れない。



世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ

ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し

ている。



世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した

のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。



これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類

と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、

原罪との関わりもわからない。



将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、

ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人

言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。



しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。



原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて

いる。



前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも

それは変わらないのだと強く思う。



最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は

聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。



私の文章で不快に思われた方、お許しください。



☆☆☆☆



神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光を

もたらすことができますように、

助け、導いてください。



神よ、わたしに

慰められることよりも、慰めることを

理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを

望ませてください。



自分を捨てて初めて

自分を見出し

赦してこそゆるされ

死ぬことによってのみ

永遠の生命によみがえることを

深く悟らせてください。

☆☆☆☆




(K.K)









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