Karol Wojtyla: o beato dos jovens
ここに紹介する写真は私と妻が1985年、イタリアに旅行した際、法王ヨハネ・パウロ2世 に日本語を教えた西山達也神父さんに案内してもらった時のものです。これらの多くは 一般の方の入場が許されていないものですが、その芸術には目を奪われてしまいまし た。その後、私は教会から離れてしまいましたが、心の何処かにはキリスト教の持つ深 い霊性にひざまずいているのかも知れません。このバチカン宮殿にも光と闇が存在して いたことは、確かなことだと思います。しかし、その中の小さな一つ一つの芸術作品の中 に魂の暖かい温もりを聴くことが出来たように思います。私達が案内してもらった場所は バチカン宮殿の中でもほんの限られた場所でしかありません。そこにはヨハネ・パウロ2 世が祈る部屋や小さな祭壇、そして2000年前の最初の殉教者聖ステファノの顔半分 が拷問された跡が残る首(腐敗しておりません)などがありますが、その全てをフィルムに 収めることは出来ませんでした。宗教的にも文化的にもこのバチカンに刻まれた美術品は |
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いますが、十字架のないイエス像。これは法王自らが、 十字架を背負わなければならないことを意味していま |
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バチカン宮殿の中で最も感銘を受けた壁画。これを 描いたのは左の写真の盲目の画家であり、隣の妻 |
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歴代法王が使っていた各国元首との接見の間 と、その壁に掛けられている絵。これらの絵は 何年もの間、海中に沈んでいたものを引き上 げたものですが、不思議なことに原形をとどめ ていたという由緒あるものです。ただ何故これ |
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法王ヨハネ・パウロ二世が個人的な礼拝をした 祭壇。ポーランド出身のヨハネ・パウロ二世に とって、ヤスナ・グラの聖母(黒い聖母)は特別 な存在でした。ですから私的な礼拝に使うこの 祭壇に、ヤスナ・グラの聖母(黒い聖母)の絵を 置かれたのだと思います。写真右側にこの絵が 飾られているのがわかるかと思います。尚、法王 に選ばれた1979年、そして1983年と1991年には ヤスナ・グラを巡礼されています。ヤスナ・グラは 毎年500万人以上の巡礼者が訪れる有名な聖地 です。 左下の写真は法王ヨハネ・パウロ二世の祈りの 部屋です。ヨハネ・パウロ二世はいつもここで祈ら れ、時にはそれが何時間も続くことがあったそう です。 |
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回廊に描かれた絵画、そして彫刻。恐らく 美術に関心がある方にとっては、美の宝庫 と言っても過言ではないかも知れません。 左下の写真は制作年など不詳の屏風絵。 |
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回廊の天井画。どの天井にもこのような 絵と彫刻が刻まれ、その繊細なタッチに 驚かされてしまいました。 |
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回廊に描かれた壁画。部屋が暗く鮮明には 撮れていません。もちろんフラッシュをたくこ とは出来ず、当時ASA(感度)400のフィルム でここに紹介する写真全てを撮っています。 |
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「田舎っぺ神父のローマ見聞記」 文章:西山達也 表紙・挿絵・装丁:十時庵 発行者:松下晴美 定価:1,200円(送料別) 本書の詳しい内容並びに注文は「日本語を話しつづけたローマ法王と田舎っぺ神父」の サイトを作られた松下晴美さんまでお願いします。この本は1979年頃から1982年にかけて 書かれたローマ見聞記を一冊の本にしたもので、西山神父様のユーモアたっぷりの筆と 挿絵に心が和みました。またヨハネ・パウロII世との出会いやそれぞれの教会などが持つ 深い意味など興味深かったです。もしローマに行く予定がある人は一見の価値があるか と思います。バチカンを案内する西山神父様の人柄に触れて、案内してもらった多くの観 光客がカトリリックを身近な存在として受け留めたのかも知れません。ただ、西山神父様 らしいところは、何が何でも出会った人をカトリックに入信させればいいというものでなかっ たことです。西山神父様かそれとも違った方からかは思い出せませんが、このような話を 聞いたことがあります。ローマにある旅行会社の日本人の女性社長だったでしょうか。西 山神父様の人柄に触れて、洗礼を受けたいと申し出たそうですが、西山神父様はその申 し出を直ぐに受けなかったそうです。何故なら、彼女の今の生き方、仕事ぶりが既に神の み旨に適っていると感じていたからです。この視点は、人間を見る優れた洞察力、そして 人間の弱さを真に知る人でなければ生まれてこないかも知れません。そんな西山神父様 から見て私なんかは「あんなろくでもない若造なんか案内したのは時間の無駄じゃった」と 見抜いていたことでしょう。最後に、この本を発行してくださり、また上のサイトを創ってくだ さった松下晴美さんに心から感謝したいと思います。下の文はこのサイトから引用させて いただきました。 (2011年9月3日) 「1981年2月、ローマ法王として歴史上はじめて、極東日本に来られたヨハネ・パウロII世は、 東京と長崎でのミサと、広島における「平和スピーチ」をすべて美しい日本語で話され、私 たちに深い感動を与えました。カトリック信者が、親しみと尊敬を込めて呼ぶところの「パパ 様」は、1980年12月4日から出発前日の翌年2月15日まで、まいにち日本語を勉強されたの です。お手伝いをされたのは、コンベンツアル聖フランシスコ会の西山達也神父様です。 当時、修道会のローマ本部に派遣され、バチカン放送日本語課のアナウンサーでした。神父 様は46歳、今は亡きパパ様も溌剌とした60歳でした。1980年12月3日、前触れもなく突然バチ カンに呼び出され、日本語教授を命じられた西山神父様は、パパ様の日本訪問が無事終え られてからも、1994年に日本への帰国命令が出るまで、バチカンの毎週の謁見時に日本人 巡礼団に対するパパ様の日本語スピーチのために、先生役を13年間果たされたのです。」 |
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このヨハネ・パウロ・二世の写真は1987年頃、 知り合いの岡田さんが撮影したものです。 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の声をおさめた世界初めてのCD 「アバ・パーテル」が復活祭に先駆けて全世界で発売されました。 魂を深い祈りへの次元へと導いてくれる素晴らしいCDです。また 教皇自身が様々な疑問に応える文献「希望の扉を開く」も出版さ れています。詳しくは女子パウロ会のホームページへ Alimento Diario e Necessario para Todo o Cristao: Mensagem 2 novembro 2014- Nossa Senhora de Medjugorje ファティマの聖母 新しく法王になったフランシスコ (大きな画像) 「教皇が挑むバチカン改革」 ナショナル ジオグラフィック 2015年8月号 「アルメリア 虐殺の影」 ナショナル・ジオグラフィック2016年4月を参照されたし。 バチカン市国を探索するサイト
開港後日本最初の聖堂 カトリック山手教会 |
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聖母マリア 世界で最もパワフルな女性 ナショナル・ジオグラフィック2015年12月 聖書の世界が見える 使徒たちの旅路 ナショナル ジオグラフィック 2012年3月号 |
2013年3月29日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 ローマ法王の祈りの部屋の壁にあるイエス像。 神学的に難しいことはわかりませんが、このイエス像から感じる眼差しは、キリスト教に限らず 宗教の根源的なものを現しているように感じてなりません。 十字架がないのは、法王自らが十字架を背負わなければならないことを意味しているそうです が、この眼差しが持つ重み、その重みを私にはまだ感じられないでいます。 |
2013年3月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 http://www.facebook.com/papamfranciscum 以下、引用します。 ☆☆☆☆ (CNN) ローマ法王フランシスコはイースター(復活祭)を前にした「聖木曜日」の28日、ローマ市内にある少年院で 「主の晩餐のミサ」をささげ、罪を犯して収容されている少年少女の足を洗った。 ミサはローマのカサル・デル・マルモ少年院で行われ、法王は少年少女の足に水を注ぎ、白いタオルでぬぐってキス をした。 主の晩餐のミサはこれまでローマ大司教の聖堂であるサンジョバンニ・インラテラノ大聖堂で行われるのが慣例だった。 フランシスコ法王はこれを少年院で行うことで、また1つ慣例を破ったことになる。ローマ法王庁によると、法王は極め て質素なミサを強く希望したという。 少年院の入所者から法王へは、院内の作業で作った木製の十字架と膝つき台を贈呈。フランシスコ法王はイースター の卵と、ハトの形をしたイタリアの伝統菓子を全員に配る。 同少年院には14〜21歳の約50人が収容されている。法王が足を洗う若者は、さまざまな国や宗教の入所者の中か ら選ばれ、女性2人とイスラム教徒2人が含まれていた。 この日午前にサンピエトロ大聖堂で行われたミサには、フランシスコ法王と共に枢機卿や司教など2000人以上と、 カトリック信者1万人以上が参列した。 ☆☆☆☆ |
2013年3月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 (大きな画像) 新しく法王になったフランチェスコT世の写真(他のサイトより引用)ですが、フランチェスコという名前は13世紀に生きたアッシジの 聖フランシスコ(フランチェスコ)から頂いたものと聴き感慨深いものを感じてなりませんでした。 また新法王フランチェスコT世の言動を見ると、アッシジの聖フランシスコに愛された弟子ジネプロを彷彿させる単純さや、ユーモア の美徳が宿っているように感じてしまいます。 私にとって聖人とは、自分がどんな逆境にあろうと、人の喜びを喜び、人の悲しみを分かち合うことが出来る、ある意味とても単純な 人のことを指すのかもしれません(私には中々難しいですが)。 このような方は世には広く知られていなくても、案外身近にいるのかも知れませんね。 ☆☆☆☆ |
2012年1月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
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2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 原罪の神秘 キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが 何か考えるようになってきた。 世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る 余地などない。 ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない 遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら の魂は何かに守られていると感じてならなかった。 宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力 に満ち溢れているのだろう。 その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た わっているのかも知れない。 世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し ている。 世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。 これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類 と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、 原罪との関わりもわからない。 将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、 ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人と 言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。 しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。 原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて いる。 前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも それは変わらないのだと強く思う。 最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は 聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。 私の文章で不快に思われた方、お許しください。 ☆☆☆☆ 神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。 憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように いさかいのあるところに、赦しを 分裂のあるところに、一致を 迷いのあるところに、信仰を 誤りのあるところに、真理を 絶望のあるところに、希望を 悲しみのあるところに、よろこびを 闇のあるところに、光を もたらすことができますように、 助け、導いてください。 神よ、わたしに 慰められることよりも、慰めることを 理解されることよりも、理解することを 愛されることよりも、愛することを 望ませてください。 自分を捨てて初めて 自分を見出し 赦してこそゆるされ 死ぬことによってのみ 永遠の生命によみがえることを 深く悟らせてください。 ☆☆☆☆ (K.K) |
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2015年11月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 数年前に、ある人に出会った。彼女は看護師さんで入院している患者さんの死期が不思議なことに見えると話していた。 彼女の言葉を確信したのはあることだったのだが、このような千里眼とでもいう能力は世界の先住民やカトリック (ピオ神父などが有名)にも見られる。 アイヌでは故・青木愛子さんは知られているが、沖縄・奄美のユタは殆どが女性で、ある日突然にその兆候が現れる。 日本以外のシャーマンは男性が多く、修行を経てからのに比べると沖縄・奄美のユタは世界的にも珍しいのかも知れない。 詳しくは知らないが、日本の東北地方のイタコ(元々は先天的もしくは後天的に目が見えないか、弱視の女性の職業)や、 瞽女(ごぜ)もそうだった。 盲目の旅芸人「瞽女」、彼女たちを幸いもたらす聖なる来訪者・威力のある宗教者として昔の人々は迎え入れた。 キェルケゴールは、「真理の証人とは、その一生涯、内なる戦い、恐れ、おののき、誘惑、魂の苦悩、霊的苦痛を深く 味わい尽くした人のことである。真理の証人とは、殉教者のことである」と言った。 これに似た苦悩はイヌイット(カナダ北部の先住民)、ブラジルの先住民のシャーマン(パブロ・アマリンゴはNHKでも 特集された)、チベットのある賢者や他の宗教・芸術家にも見出すことが出来ると思う。 しかしそれとは異なる側面を持つ力もあると思う。 エクソシスト(悪魔を追い出して正常な状態に戻す賜物をもった神父) 悪魔や悪魔祓いというと、中世のキリスト教が行なった残酷な魔女裁判を思い浮かべ嫌悪するだろうし、悪魔など 過去の迷信と思っている人も多いだろう。 ただ皆さんも知っているアッシジの聖フランシスコや、前述したピオ神父は魔女裁判とは本質的に異なるもの(悪魔) に苦しめられていた。 現代のバチカンではエクソシストになるには非常に高い徳性と経験が求められ、先ずその症状が精神性の疾患で ないことを踏まえたうえで行なわれているが、ある特殊な賜物が与えられていない限り出来ないことだと思う。 ハワイ先住民や南米大陸・アマゾン先住民のシャーマンの中には、そのような異なる側面の力を使う者がいることが 書かれているが、それは世界各地・日本でも見出せるのだろう。 ヒッグス粒子、これを神の粒子と呼ぶ人もいるが、それは物理学の次元での真理であり、神の領域とは異なるものだと思う。 宇宙創成から、現在にまで膨張を続ける宇宙、その力は完全に物理学の法則で説明(現代では不可能であっても)し得る ものを未来の人類は見出すと思う。 ただ、それは力そのものでしかなく、その力とどのように接触するかの姿勢は別の話であると感じる。 真実の話か比喩かわからないが、ブッダは川の水面を歩く行者を見て、その修行に何の意味があるのかを問い 嘆いている。 聖書も「わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰 があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい」(コリント人への第一の手紙)とある。 存在を慈しむことと、存在を否定することの境界。 そこには物理学の真理とは異なる次元と境界、ヴェイユの言葉を借りると「重力と恩寵」の恩寵(おんちょう、神の恵み・ 慈しみ)が、私たちと神なる領域の唯一の接点であり跳躍であるのかも知れない。 私にはそれが肌を通して浸透はしていないし、冒頭の彼女のような賜物も有していない。 ただ難しいかも知れないが、方向性だけは見失いたくない。 写真は、惑星状星雲・NGC6543です。 |
2014年4月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 (大きな画像) 本日4月27日の夜明け(4時25分〜5時12分)の光景です。 バチカンのサンピエトロ広場において、先々代のローマ法王ヨハネ・パウロ2世(在位1978〜2005年)と、 第261代法王ヨハネ23世(同1958〜63年)の列聖式(カトリック教会で最高の崇敬対象である「聖人」と する)が、本日4月27日行われました。 ヨハネ23世はキューバ危機において米ソ双方の仲介に尽力し、他教会や他宗教との対話に積極的であり、 有名な第2バチカン公会議を開催をした卓越した法王でした。無心論者や他の宗教をどのように捉えるの かをも話し合われたこの公会議、その指導的な神学者だったカール・ラーナーの本には心打たれました。 現在バチカンは一部の聖職者による児童への性的虐待の問題で揺れていますが、アメリカ先住民への 同化政策が行われていたころ、カトリック・プロテスタントを問わず、親元から強制的に引き離された彼らの 子供に対して、同じ過ちをした聖職者たちがいました。これらの同化政策(アイヌの方も同じです)の影は、 現在においてもアメリカ先住民社会に暗い影を落としています。 2000年3月12日、当時の法王ヨハネ・パウロ二世は「回心と和解の日」のミサの中で、「イスラエルの民に対して 犯した罪の告白」(ユダヤ人虐殺を黙認してきた歴史)、そしてアメリカ先住民などの世界各地の先住民に対して の文化と宗教を破壊してきた歴史への謝罪を行いましたが、その時に話された一部を紹介します。 ☆☆☆ 「世界の主、すべての人の父よ、あなたは御子を通してわたしたちに、敵を愛し、わたしたちを憎む人々に善を行い、 わたしたちを迫害する人々のために祈るよう求められました。 しかしキリスト者はしばしば福音を否定し、権力というメンタリティに傾倒し、諸民族の権利を侵し、彼らの文化と 宗教的伝統を侮辱してきました。 どうか、わたしたちに対し寛容で、慈しみを示し、あなたのゆるしをお与えください。主キリストによって。」 法王ヨハネ・パウロ二世 ☆☆☆ |
2016年5月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 「聖テレジアの法悦」 ローマ、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂コルナロ礼拝堂 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598〜1680年)作 アビラの聖女テレサ(聖テレジア)、彼女が生まれた1515年はルネッサンスや宗教改革などの 激動の時期でした。 あるべき修道院の姿を希求した彼女は宗教裁判にかけられ投獄、書いた詩なども焼却されますが、 その後の彼女は16世紀におけるカトリック教会改革の原動力となっていきます。 現在でもカトリック霊性の最高峰と言われる彼女の著作「霊魂の城」、その源となったのは、天使が 焼けた金の矢で彼女の心臓を貫いた時に感じた神への燃えるような愛でした。 ベルニーニによる像「聖テレジアの法悦」、天使が彼女を矢で射る像、その時の彼女の顔(写真は 他のサイトより引用)だけを撮ったものです。 宗教裁判や異端審問、話は変わりますが、これを題材にしたミュージカル映画「ラ・マンチャの男」 (ピーター・オトゥール、ソフィア・ローレン主演)は今でも私にとっては大切な宝物です。 真の「改革」とは、魂の奥底から突き上げてくる、自身の感情や知性などという自我を超えた次元 から、もたらされるものかも知れません。 |
樹齢2000年の大楠 2016年5月18日撮影