「ユタ]の黄金言葉
沖縄・奄美のシャーマンがおろす神の声
西村仁美著 東邦出版 より引用
シャーマニズム、これは人類最古の宗教的あるいは医学的、心理的なものの源泉であるが、 それをどのように自分の中に構築しようとも、摩訶不思議な神秘的な次元に立っており、それ に近づくことさえ出来ないのを感じる。またシャーマニズムが持つ特性として、ある一つの教義 に縛られることがないため、それぞれの土地の風土や、そこに生きる人々の集合体としての 意識(無意識を含む)の指向性により、多種多様な形のシャーマニズムが世界各地で存在し てきた。しかし、形は異なるにせよシャーマンは自然の神々と人間を結ぶ架け橋であり、それ を通して、人々は霊的な教えに触れ、心と体を癒されてきた。
「ユタの黄金言葉」という、沖縄・奄美のユタ(シャーマン)11名の言葉を集めたこの文献に登場 するユタの多くが女性であり、その召命は自ら選んだものや世襲制ではなく、文字通り神の召し だしによって選ばれた特性を持つ人たちである。このようなシャーマンとしての特性は、世界中 においても、奄美・沖縄にしか見られないものかも知れない。ユタは自然の神々や亡くなった た祖先を実際に見たり、それらの声を聞いたりすることが出来る。そして心や体の悩みをもっ て相談に来る人に対して、語りかける霊の声を代弁し助言するのである。この行為は悩んで 苦しんでいたりする人を助けることであり、相談者の心をあるべき方向への導くものである。 しかし、現代においてたとえ召しだしを受けても、ユタの道が険しいものであるため、その声 に素直に従う人は少ない。実際この本で紹介されている11人のユタの殆どが「なりたくてユタ になったのではない。出来るならなりたくなかった」と述懐している。
シャーマニズム、かつて世界中のシャーマンは多くの迫害を受けながらも現代に生き残ってき た。昔NHKでも特集された著名なシャーマン、パブロ・アマリンゴは言う。「よい呪術師にとって 重要な三つの要素は、まず第一に謙虚なこと、そして愛があること、それから高い霊性を持って いることだ。呪術師は学ぶための謙虚さ、悦びをもたらすための愛、よりよく生きるための霊性 を備えなければならない。さらに、勇気があって強くなくてはいけない」。 奄美・沖縄ユタの言葉を聞いていると、紹介された11名全てのユタがこの3つの要素を持って いることに気づく。そして私たちもその視点を持って生きていくことを求められているのだろう。 そこにこそシャーマンが私たちに伝えたい真実があるのではないだろうか。 (K.K)
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2012年1月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
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本書 序章 沖縄・奄美のシャーマン より引用
沖縄本島や奄美群島などには、こうした、人々の生活の記憶にとどまる「ユタ」と呼ば れる人たちがいます。宮古島の「カンカカリャ」(神がかり)、八重山や八重山群島の 「ニゲービー(願い人、祈願者)」「カンピトゥ(神人)」に当たります。ユタは、わたした ちの多くは目にすることのできない世界に、亡くなった祖先の霊や自然の神々の姿 を、見たり感じたりすることができます。病気や恋愛、就職や進路など、生きていくう えで避けることのできない人間の悩みに対し、いわばカウンセラーとして助言を与え るのがその役目です。沖縄や奄美の人々にとっては、非常に身近な存在です。ユタ の語源を調べてみると、神おろしでトランス状態に入っているときに体が揺れる状態 を表す沖縄・奄美の言葉、「ユタミチュン」から来ているとか、ウラル・アルタイ地方の シャーマン「ユタカン」から来ている、あるいはまた神おろしをする際に叩き鳴らす杉 の板(=イタ)から来ているなどのいくつかの説がありますが、はっきりしたことは わかっていません。また、似て非なるものに、ノロと呼ばれる存在もあります。ノロ は、集落ごとの、一年の節目節目に行われる祭り行事をとり行います。その年の 豊作や大漁に感謝したり、翌年の五穀豊穣や大漁を願う集落ごとの、人々の気持 ちを、祈りを通じて自然の神々に届ける役目を担っています。ノロは家系のなかで 継承者が現れますが、ユタの場合は、家系などとは無関係に輩出されることが多く、 原因不明の病気を長く患ったり、身近な者が病気や死にみまわれたりしたことなどが きっかけになることが多いようです。ユタになるための手ほどきをするのは、聞こえる はずのない声や、本来なら見えるはずのない存在です。神の道のあまりの険しさに、 多くのユタは、「好きでユタになったわけではない」といいます。しかし、もしユタになる ことを拒めば、精神的なバランスを崩し、生きながら廃人のようになるか、自殺する ことになるのだそうです。(中略) わたしにとってユタと言えば、何よりこの数珠のこ とを思い出します。霊などではなく実体ある持ち物を指摘されただけに、「あ、やはり この人、『見えて』いるのか」と思わざるを得ない出来事でした。この本の取材まで 含めれば、あれから30名ほどのユタたちに出会っていますが、改めて考えてみても ユタの存在意義は、ひと言で言えば「人助け」だと確かに言えます。悩みを持った人 たちの心を軽くし、安心感を与えることです。そういう話をすると、東京などにいる占 い師たちと何ら変わらない、と言う人もいるかもしれません。恋愛や人間関係、病気 などの悩みに耳を傾け、霊感を使って運命をみたり、問題の解決法などをアドバイス してくれる点に関して言えば、確かに共通している部分もあるでしょう。しかしユタに は、そういった人たちと明らかに違っている点がいくつかあるのです。まずひとつは 環境的なことです。ユタは、町中や街頭で、立ったり机を出したり、百貨店のなかで 店を構えるようなことは、まずありません。だいたい自分の家で判じを行います。本書 に出てくるあるユタは、判じが終わったあと、食事を出したりもしていました。どうしてか と思い、聞いてみると、遠方から来ている人に対しては特に、ここまで来るのは大変 だったろう、との気持ちも含め、食事を出すことにしているということでした。このように 自らの生活空間のなかで相談者を受け入れるという形は、奄美や沖縄独特の「占い」 文化ではないかと思います。もうひとつには、ユタの話のなかには、自分の祖先、ある いは墓、親の実家に関わる話が出てくることが多いということです。それほど多くはあり ませんが、占い師に何度か見てもらった経験のなかで言うと、占い師の話には祖先、 墓、親の実家の話はまず出て来ません。話はどこまで深めて行っても、あくまで相談者 自身の性格や性質、健康に関する話に終始しています。つまり沖縄・奄美のユタは、 これらふたつの意味において、東京などの都市にみられがちな占い師とは決定的に 違うというのが、わたしの結論です。
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目次 序章 ユタとは “見えないはずのもの”を見ることができる沖縄・奄美のシャーマン ユタとの出会い “見えない世界”に求めるもの 沖縄では「ユタ」に会えない! 11人のシャーマン
ウタキとアムゴの章・・・・家族、コミュニケーション・・・・ 家族、コミュニケーションの語り手1 みちしおさん(82歳) 家族、コミュニケーションの語り手2 稲嶺千恵さん(56歳)
七つの波と太陽の章・・・・自然・・・・ 自然の語り手1 阿世知照信さん(80歳) 自然の語り手2 深田テキ子さん(88歳) 自然の語り手3 東江トヨさん(79歳)
カーサとミルクの章・・・・平和・・・・ 平和の語り手1 糸数ナビィさん(53歳) 平和の語り手2 坂田ミツ子さん(62歳)
サンと白装束の章・・・・神、宗教・・・・ 神、宗教の語り手1 榮サダエさん(67歳) 神、宗教の語り手2 島袋可寿美さん(39歳)
グソーとマブイワカシの章・・・・あの世、幸せ・・・・ あの世、幸せの語り手1 赤嶺幸子さん(78歳) あの世、幸せの語り手2 平良カツさん(100歳)
終章 グレイト・サムシング
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2015年11月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 数年前に、ある人に出会った。彼女は看護師さんで入院している患者さんの死期が不思議なことに見えると話していた。 彼女の言葉を確信したのはあることだったのだが、このような千里眼とでもいう能力は世界の先住民やカトリック (ピオ神父などが有名)にも見られる。 アイヌでは故・青木愛子さんは知られているが、沖縄・奄美のユタは殆どが女性で、ある日突然にその兆候が現れる。 日本以外のシャーマンは男性が多く、修行を経てからのに比べると沖縄・奄美のユタは世界的にも珍しいのかも知れない。 詳しくは知らないが、日本の東北地方のイタコ(元々は先天的もしくは後天的に目が見えないか、弱視の女性の職業)や、 瞽女(ごぜ)もそうだった。 盲目の旅芸人「瞽女」、彼女たちを幸いもたらす聖なる来訪者・威力のある宗教者として昔の人々は迎え入れた。 キェルケゴールは、「真理の証人とは、その一生涯、内なる戦い、恐れ、おののき、誘惑、魂の苦悩、霊的苦痛を深く 味わい尽くした人のことである。真理の証人とは、殉教者のことである」と言った。 これに似た苦悩はイヌイット(カナダ北部の先住民)、ブラジルの先住民のシャーマン(パブロ・アマリンゴはNHKでも 特集された)、チベットのある賢者や他の宗教・芸術家にも見出すことが出来ると思う。 しかしそれとは異なる側面を持つ力もあると思う。 エクソシスト(悪魔を追い出して正常な状態に戻す賜物をもった神父) 悪魔や悪魔祓いというと、中世のキリスト教が行なった残酷な魔女裁判を思い浮かべ嫌悪するだろうし、悪魔など 過去の迷信と思っている人も多いだろう。 ただ皆さんも知っているアッシジの聖フランシスコや、前述したピオ神父は魔女裁判とは本質的に異なるもの(悪魔) に苦しめられていた。 現代のバチカンではエクソシストになるには非常に高い徳性と経験が求められ、先ずその症状が精神性の疾患で ないことを踏まえたうえで行なわれているが、ある特殊な賜物が与えられていない限り出来ないことだと思う。 ハワイ先住民や南米大陸・アマゾン先住民のシャーマンの中には、そのような異なる側面の力を使う者がいることが 書かれているが、それは世界各地・日本でも見出せるのだろう。 ヒッグス粒子、これを神の粒子と呼ぶ人もいるが、それは物理学の次元での真理であり、神の領域とは異なるものだと思う。 宇宙創成から、現在にまで膨張を続ける宇宙、その力は完全に物理学の法則で説明(現代では不可能であっても)し得る ものを未来の人類は見出すと思う。 ただ、それは力そのものでしかなく、その力とどのように接触するかの姿勢は別の話であると感じる。 真実の話か比喩かわからないが、ブッダは川の水面を歩く行者を見て、その修行に何の意味があるのかを問い 嘆いている。 聖書も「わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰 があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい」(コリント人への第一の手紙)とある。 存在を慈しむことと、存在を否定することの境界。 そこには物理学の真理とは異なる次元と境界、ヴェイユの言葉を借りると「重力と恩寵」の恩寵(おんちょう、神の恵み・ 慈しみ)が、私たちと神なる領域の唯一の接点であり跳躍であるのかも知れない。 私にはそれが肌を通して浸透はしていないし、冒頭の彼女のような賜物も有していない。 ただ難しいかも知れないが、方向性だけは見失いたくない。 写真は、惑星状星雲・NGC6543です。 |
2012年9月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 本日9月2日撮影した、雨上がりの睡蓮と障碍を持ったメダカ メダカも他の生物と同じように不思議な生き物だ。 メダカは産卵時期には多くの卵を産むが、生き残るのはそれ程多くはない。孵化せずに 死んでしまうものもいれば、写真のメダカのように骨が変形して生まれてくるものがいる。 遺伝子の多様性は頭では理解しているつもりでも、同じ環境の下で育てているはずが 何故と問いかけたくなる。 インディアンのラコタ族の伝統では、障碍者は聖なる者であり、人々に何かを教えるため に遣わされた存在だと考えられていた。 そこでは「できない」ことではなく、「できる」ことに焦点をあてようとする世界観・人間観が あると「アメリカインディアンの現在 女が見た現代オグララ・ラコタ社会」の本の中で、 デイ多佳子さんが紹介している。 沖縄・奄美のシャーマン・ユタ。最初彼女たちは「目に見えないものが見え」「聞こえない ものが聞こえ」る体験を通してユタになるのが殆どである。 世界のシャーマンの中でも「神のお告げ」とも受け取れる稀有な現象は、沖縄・奄美特有 のものだと今まで思っていた。 しかし、これは世界中で起こっていることかも知れず、ただ私たちはその現象を安易に 精神的な病として片づけているのかも知れない。 勿論、本当に精神的な病に苦しんでいる人たちがいるのも事実だが、異質なものをある がままに受け止め、その意味を感じ取る風土が古代から受け継がれてきたのも事実で ある。 このような風土、世界観・人間観をもつ社会は、「あるがままの」存在の重さを感じること によって導かれるものかも知れない。 骨が変形しているメダカ、このメダカを見ていると何かを語りかけようとしている、とふと 感じてしまう。 (K.K) |
2012年12月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 古代マヤ文明の「チチェン・イッツァ遺跡」にあるEl Castillo(エルカスティージョ)とオリオン座 (マヤでは亀を意味しています)。写真はNASAより引用 立教大学社会学部の生徒たちは幸せだと思う。この学部には阿部さん、実松さんという優れた研究者がいる。 阿部珠理さんはアメリカ先住民(インディアン)研究の日本の第一人者であり、実松克義さんも南米の先住民 のシャーマニズム研究では第一人者である。お二人に共通することは熱い心と卓越した現地調査力、そして 研究者としての冷徹な視点と平衡感覚を併せ持っていることである。 この一人、宗教人類学者である実松克義さんが2000年に書いた「マヤ文明 聖なる時間の書」は、アメリカ大 陸最大の神話「ポップ・ヴフ」を基に多くのシャーマンたちとの対話の中で、マヤの世界観を明らかにしていくこ とだった。 「時間とは生命の瞬間の連続であり、世界に生命を与えるものだ」、ヴィクトリアーノ・アルヴァレス・ファレス(グ アテマラ・マヤ科学研究所の代表者)。 同じ民族のシャーマンでもその世界観や技法は微妙に、或いは大きく異なる。これは沖縄・奄美のユタもそうで あるが、しかしそれは彼らの中に流れる源流の底知れぬ深遠さを逆に教えてくれるのではないだろうか。人智 を超えた大いなる光の流れ(振動)、この光は一つとして同じものはない遺伝子をもつ生命の魂を共鳴させ、 まるで虹のように様々な色を映し出させているのかも知れない。 「マヤ文明 聖なる時間の書」、私のサイトに書いた当時の感想を以下に引用します。 ☆☆☆☆ マヤ民族、それは私たちにどのような想像を植えつけていただろう。 マヤンカレンダー、驚くべき天文学的知識を持った偉大な天文学者、ブルホ(黒呪術)、そして人間の生贄の 儀式の存在など多くの謎に満ちた世界。 しかしマヤ文明の根底に流れている神話、アメリカ大陸最大の神話「ポップ・ヴフ」を紐解く時、彼らの驚くべき 世界・宇宙観が見えてくる。 この神話によると人間の生贄の儀式が復活した時代は、第五段階と呼ばれた退廃の時代であり、現代はその 時代よりも重大な危機を迎えている第七段階に位置していると言われている。 立教大学社会学部教授である著者は、グアテマラに暮らすマヤの末裔・シャーマンを6年にわたって現地調査 し、多くのシャーマンとの対話を通してマヤンカレンダーに代表される彼らの時間の捉え方を解き明かす。 それは時間そのものが生命を持った創造的存在であり、調和の思想だった。 そこには人間の生贄の儀式など存在しない世界・宇宙観が横たわっている。 本書は本格的マヤ神秘思想研究の第一級の書であり、あるべき未来の扉を開く鍵をも提示している。 ☆☆☆☆ |
2013年4月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 「男は女の力を恐れている」 (写真は『アメリカ先住民女性 大地に生きる女たち』から引用しました。) 中東やインドで起きている女性の悲劇を見るにつけ、私はそれを感じてならない。 恐らく太古の時代では多くが母系社会(母方の血筋によって家族や血縁集団を組織する社会制度)で あり、調和ある共同体をつくるために母系社会は最も基礎となるものだった。 縄文土器に見られる女性像などから、儀式を執り行ったのは主に女性だったのではないかとの説が あるが、沖縄・奄美のユタ(殆ど女性)を除いて、世界各地のシャーマンは圧倒的に男性が多い。これ はもともと女性は生まれながらに偉大な神秘が宿っていることを男性自身が認識しており、治癒など の儀式や部族の指導者(女性の意見だけで決める部族もある)は男性に任せるというのが自然の流 れになってきたのかも知れない。 母系社会の中では性犯罪が起きることは考えられないことであった。例えばアメリカ先住民と白人が 憎み戦っていた時代の証言「インディアンに囚われた白人女性の物語」の中でも、白人男性の捕虜と は異なり、女性捕虜が如何に大切に扱われてきたかを読むとることができる。 このアメリカ先住民の社会では、女性が男性の荷物を家の外に置くだけで離婚は成立し、その逆は なかった。 ただ現代のアメリカ先住民社会は、子供を親から無理やり引き離し、言葉・生活習慣・宗教などの 同化政策がなされた影響で、アルコール中毒、自殺、家庭崩壊、貧困が深刻な問題になっているが、 虐待や育児放棄の被害にあった子供たちを母系の集団の中で世話するため、現在でも孤児は存在 しない。 母系社会がいつから父系社会に転換したのか、、定住とそれによる近隣との闘争という説もあるが、 私の中ではまだ答えは見つけられないでいる。しかし肉体的な力による服従が次第に母系社会を 崩壊させ、それが暗黙のうちに様々な宗教に伝統として紛れ込んだのは事実かも知れない。 日本では菅原道真などに象徴される「怨霊」や「祟り」を鎮めるために、迫害者に近い人が神社などを つくり、祭り上げることで鎮めてきたが、同じように卑弥呼の時代は既に女性の力の封印が始まった 時期だと思う。また中世ヨーロッパにおける「魔女狩り」も、宗教が関わりを持つ以前から民衆の間で 始まった説があるが、女性の力を封印させる側面もあったのだろう。 「男は女の力を恐れている」 無意識の次元にまで下ったこの感情を、あるべき姿へと開放させ、母系社会の意味を改めて問う時代 だと思う。 「アメリカ先住民」に限らず、「聖母マリア」、「観音菩薩」の存在は、暗にその意味を私たちに教えている ような気がしてならない。 ☆☆☆☆ 「女性が死にたえるまで、部族が征服されることはない。」 (チェロキの言い伝え) 「先住民族女性と白人の女性開放論者のちがいは、白人フェミニスト たちは権利を主張し、先住民女性は負うべき責任について主張し ているところだ。このふたつは大きく異なる。わたしたちの責務とは この世界にあるわたしたちの土地を守ることだ。」 ルネ・セノグルス(Renee Senogles) レッド・レイク・チペワ(Red Lake Chippewa) 「女は永遠の存在である。男は女から生まれ、そして女へと帰っていく。」 オジブワ族(Ojibwa)の言い伝え 「この星は、われわれがずっと生活してきた家である。 女性はその骨で大地を支えてきた。」 リンダ・ホーガン(Linda Hogan) チカソー(Chichasaw)族 詩人 「女性を愛し、大地は女性なのだと教えられ育ってきた男たちは、大地と 女性を同じものだと考えている。それこそ本当の男なのだ。生命を産む のは女性である。女性が昔から感じとっていた眼にみえない大きな力と の関係を男たちが理解し始めるなら、世の中はよりよい方向に変化し 始めるだろう。」 ロレイン・キャノ(Lorraine Canoe) モホークの指導者 ☆☆☆☆ |