「ともいきの思想 自然と生きるアメリカ先住民の『聖なる言葉』」
阿部珠理著 小学館新書 より引用
アメリカ・インディアンの研究の第一人者として活躍する立教大学教授の阿部珠理さん による好著。この本の紹介には「現地で出会った聖なる言葉の数々を紹介します」と 書かれているが、実際は良くも悪くも等身大のインディアンとの20年の交流の中で著 者が出会った様々な出来事と、その中にあるインディアンの生き方、その根源的なも のを書いたものである。私のサイトではインディアンを神格化しすぎている誤りを犯し ているが、阿部さんは、本書「縁を紡ぐ」の中で、「私はインディアン社会のさまざまな 人たちとの縁を紡いできた。その過程で、美が醜にに変わるとき、醜が美に変わるとき を見た。美と醜、叡智と暗愚、勤勉と怠情、愛と憎しみ、敬意と嫉妬、豊かさと貧しさを 経験した」と書いているように、今まで出会った等身大のインディアンを描きつつも、そ れでも何故インディアンなのかを一気に引き込む軽快な語り口で読者に問いかけてい る。私自身特に印象に残るものとしては、著名なメディスンマンであるクロードッグの実 像と偉大な指導者レッド・クラウドの部屋の壁に大事に飾られていた日本刀から明治 9年(1876年)、レッド・クラウドと典型的な明治の軍人エリートであった野津道貫の出会 いを探る話が興味深かった。特にレッド・クラウドと野津道貫、明治時代とはいえ日本刀 が武士(軍人)にとって魂や命であった時に、何故大切にしていた日本刀をレッド・クラウド に捧げたのか、またレッド・クラウドも何故ずっとその日本刀を大事に家に飾っていたのか。 フィラデルフィアでインディアン戦争を聞いた野津はララミー砦から、族長レッド・クラウドが 率いるラコタ族の居留地に行き、そこで5日間滞在しアメリカ政府の役人がレッド・クラウド との交渉をするその席に野津も立ち会うのである。阿部さんが「厳しい使命を負った54歳 の族長に、35歳の美しい日本人士官は何を見たのだろうか。会話を交わしたとしたら、 いったいどんな話だったのだろう。野津ほどの人物なら、族長の深い苦悩を読み取った かもしれない。私の好奇心は熱気球のように膨らんだ」と書いておられるが、私も同じ気 持ちだった。本書で紹介される等身大のインディアン、私はその実像と虚像を知っても阿部 さんが言うように「もう二度と来るものかという体験をしても、やはり来てしまう。私を呼び戻 す磁場がそこにある。」と感じているのかも知れない。 (K.K)
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阿部珠理(あべ・じゅり) 立教大学社会学部教授
福岡市生まれ。UCLA大学院助手、香蘭女子短期大学助教授を経て、現在 立教大学社会学部教授。アメリカ先住民研究。著書に「アメリカ先住民・民族 再生にむけて」(角川書店)、「アメリカ先住民の精神世界」(日本放送出版協 会)、「みつめあう日本とアメリカ」(編者・南雲堂)、「マイノリティは創造する」 (共著・せりか書房)、「大地の声 アメリカ先住民の知恵のことば」(大修館書 店)、「ともいきの思想 自然と生きるアメリカ先住民の聖なる言葉」(小学館 新書)、訳書にアメリカ先住民の口承文学をまとめた「セブン・アローズ」(全 3巻 地湧社)、名著「ブラック・エルクは語る」、「文化が衝突するとき」(南雲 堂)、「ビジュアルタイムライン アメリカ・インディアンの歴史」(東洋書林)、論
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本書 「プロローグ 今日は死ぬのにいい日だ」 より抜粋引用
「今日は死ぬのにいい日だ」 日本でも有名なインディアンの言葉である。狩猟 民族のラコタ族が、戦闘に行くときにあげる雄叫びだ。勇敢な男たちは、死んで もかまわないという決意で三つ編みに編んだ長い髪をほどき風になびかせる。 そして馬上で叫ぶ。「今日は死ぬのにいい日だ」 インディアンには長い歴史に 培われた「武士(もののふ)」の伝統があり、死ぬことを恐れないだけでなく、「潔 く死ぬためには、潔く生きなければならない」という心情がある。死に方の潔さ は、生き方の問題だという思想が脈々と受け継がれているのだ。インディアンは その歴史を文字で残してきた民族ではないが、その価値観や思想は生き方その ものの中に伝わっている。
この死生観は、日本の「葉隠れ」の精神に通じる。そこにあるのは「死に様」の美 しさであり、それを重要だと考えていた日本人の思想である。死に様の美しさを 求める気持ちは、突き詰めればどれだけ充実した生き方をしてきたかを表してい る。この人生の密度が死に方の潔さを決めるという意識が、日本人とインディアン に共通する。住んでいる場所も文化の成り立ちもまったく異なるアメリカインディアン と日本人は、究極的な価値観において通じ合うところがある。 (中略)
異文化を受け入れることで近代化を達成した日本人と、時代と状況が変化しようと も自分たちの価値観を頑なに守ってきたインディアン。こうした不器用としか思えな いインディアンの生き方に、日本人はどこかで懐かしさと共感を覚えてしまうような 気がする。 (中略)
私は不思議な縁からインディアンの世界に入り、毎年彼らのコミュニティを訪れる 生活を続けている。彼らの現実生活は厳しく、決して褒められることばかりではな い。だが、もう二度と来るものかという体験をしても、やはり来てしまう。私を呼び 戻す磁場がそこにある。インディアンとの出会いから20年がたつ。ここにあるの は彼らが守ってきた万古の智慧とそこから発せられる何気ない一言、その言葉が 私にもたらした気づきの数々である。決して特別なことが起きたわけではない。だ が、ありきたりの日常の中に珠玉のような普遍の価値があることを、インディアン ほど私に教えてくれた人びとはいない。
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失意の底にあった1900年頃のレッド・クラウド
レッド・クラウド(Red Cloud 1822−1909)の家の中。 写真右側の壁に掛かっている日本刀は、明治9年(1876年)に、野津道貫 (のづ みちつら / のづ どうがん)がレッド・クラウドに捧げたものと思われる。 詳しくは本書「大平原に幻の日本刀を求めて」をお読みください。
レッド・クラウド(Red Cloud 1822−1909)
野津道貫 1841−1908 (左の写真は陸軍少将時代のもので、レッド・クラウドとあった時期とほぼ同じ)
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本書 「大平原に幻の日本刀を求めて」 より抜粋引用
西南戦争は、野津の人間的な一面がもっとも表れる出来事だった。西郷にも大久保 のも可愛がられた野津の苦しみは深かった。西郷、大久保だけでなく、西郷軍には、 かつて敬愛した桐野、篠原らの先輩がいる。「此時ほど大義名分と恩愛、義理との 間に挟まれて苦しみ事は一生通じてなかりし」と述懐している。征討第二旅団の参謀 長として西郷軍と戦ったが、戦後野津は終生、城山陥落の9月24日には、戦死者の 名を綴った軸をかけて喪に服した。また「大西郷が一般の状勢上、部下の為犠牲に なりしことを深く残念に心得」、西郷の遺墨に冥福を祈った。
9月16日には日清戦争で平壌(ピョンヤン)陥落を記念し、毎年粟飯を食べた。兵站 から先発隊として赴いた平壌に食料は届かず、兵士とともに「黒き粟を食して僅かに 飢えを凌いだ」ことを忘れないためである。戦地の野津は常に一兵卒と同じ食事をし なければ気が済まなかったし、宿舎も兵隊のものを先に整えさせ、士官や自分のも のをいつも最後にした。(中略) 自己は厳しく律したが、情にはもろい。平壌総攻撃 の一日前、スパイ容疑の韓国人を捕らえて斬首しようとしたとき、15、6歳の実子が 数時間で必ず真犯人を捜してくると、泣いて助命を嘆願した。しかし血眼の少年は 一人戻ってきた。父親をいったん宿営地に連れ戻る途上、息子は父の荷を背負って ついて来る。野津はその様子に「親子の情に古今東西はない、ここでスパイ一人を 野に放つことになっても恐れるに足りない」と、父親を放免してやった。子どもには、 親孝行のご褒美まで与えた。自分の妻子にも戦場からたびたび手紙を出している が、子どもを押さえつけるのは将来よくない結果になるという信条で、軍人家庭に よくある厳格一辺倒では決してなかった。 (中略)
レッド・クラウドは、晩年盲いた。部族の中には、民を売った報いだと言う者すら あった。リトル・ビッグホーンの後は、合衆国に譲歩に譲歩を重ねる道しか、もう 残されていなかった。聖地ブラックヒルズも失わざるを得なかった。合衆国はいっ たん結んだ条約を簡単に反故にし、レッド・クラウドの部族における立場をさらに 悪くした。晩年「白人は私とたくさんの約束をしたが、約束は何一つ守られなかた。 白人は、自分自身としたたった一つの約束は守った。それはわれわれの土地を 盗るという約束だった」と語っている。写真家エドワード・カーティスは、彼の最晩年 の写真を残しているが、私はこれほど「失意」の刻まれた顔をいまだ見たことがな い。深い額のしわの一本一本に屈辱と失望と哀しみが刻まれている。
野津が亡くなった翌年、レッド・クラウドも世を去った。その日は冬の寒い日だった。 葬儀には、親族以外たった一二人のインディアン警察が出席しただけだった。レッド・ クラウドの日本刀に関する資料はもう出てこないかもしれない。ただ、研究者の勘が どうしても、二人を結びつける。いや、ひょっとしたら、失意のレッド・クラウドが、野津 の美しく凛々しい顔を思い出し、あの日本刀によって少しでも慰められたらと思いた い自分の気持ちがそうさせるのかもしれない。
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目次
プロローグ 第一章 繋がる 第二章 足りることになっている 第三章 太鼓が来れば、祭は始まる 第四章 自然から離れると、人の心は固くなる 第五章 憎しみを超える 第六章 そこに美がある 第七章 人はそれぞれの歌を持つ 第八章 もらったものは、あげたとき本当のギフトになる 第九章 持つに相応しいものは、自ずとやって来る 第十章 畏(かしこ)まる 第十一章 慮(おもんばか)る 第十二章 天命を知る 第十三章 伝統を生きる 第十四章 自分を探す 第十五章 自分に出会う 第十六章 メディスンマンは知っている 第十七章 「インディアン風」は好きじゃない 第十八章 大平原に幻の日本刀を求めて 第十九章 縁を紡ぐ エピローグ 出会うたびに気づかされる
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2012年1月10日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
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2012年12月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 古代マヤ文明の「チチェン・イッツァ遺跡」にあるEl Castillo(エルカスティージョ)とオリオン座 (マヤでは亀を意味しています)。写真はNASAより引用 立教大学社会学部の生徒たちは幸せだと思う。この学部には阿部さん、実松さんという優れた研究者がいる。 阿部珠理さんはアメリカ先住民(インディアン)研究の日本の第一人者であり、実松克義さんも南米の先住民 のシャーマニズム研究では第一人者である。お二人に共通することは熱い心と卓越した現地調査力、そして 研究者としての冷徹な視点と平衡感覚を併せ持っていることである。 この一人、宗教人類学者である実松克義さんが2000年に書いた「マヤ文明 聖なる時間の書」は、アメリカ大 陸最大の神話「ポップ・ヴフ」を基に多くのシャーマンたちとの対話の中で、マヤの世界観を明らかにしていくこ とだった。 「時間とは生命の瞬間の連続であり、世界に生命を与えるものだ」、ヴィクトリアーノ・アルヴァレス・ファレス(グ アテマラ・マヤ科学研究所の代表者)。 同じ民族のシャーマンでもその世界観や技法は微妙に、或いは大きく異なる。これは沖縄・奄美のユタもそうで あるが、しかしそれは彼らの中に流れる源流の底知れぬ深遠さを逆に教えてくれるのではないだろうか。人智 を超えた大いなる光の流れ(振動)、この光は一つとして同じものはない遺伝子をもつ生命の魂を共鳴させ、 まるで虹のように様々な色を映し出させているのかも知れない。 「マヤ文明 聖なる時間の書」、私のサイトに書いた当時の感想を以下に引用します。 ☆☆☆☆ マヤ民族、それは私たちにどのような想像を植えつけていただろう。 マヤンカレンダー、驚くべき天文学的知識を持った偉大な天文学者、ブルホ(黒呪術)、そして人間の生贄の 儀式の存在など多くの謎に満ちた世界。 しかしマヤ文明の根底に流れている神話、アメリカ大陸最大の神話「ポップ・ヴフ」を紐解く時、彼らの驚くべき 世界・宇宙観が見えてくる。 この神話によると人間の生贄の儀式が復活した時代は、第五段階と呼ばれた退廃の時代であり、現代はその 時代よりも重大な危機を迎えている第七段階に位置していると言われている。 立教大学社会学部教授である著者は、グアテマラに暮らすマヤの末裔・シャーマンを6年にわたって現地調査 し、多くのシャーマンとの対話を通してマヤンカレンダーに代表される彼らの時間の捉え方を解き明かす。 それは時間そのものが生命を持った創造的存在であり、調和の思想だった。 そこには人間の生贄の儀式など存在しない世界・宇宙観が横たわっている。 本書は本格的マヤ神秘思想研究の第一級の書であり、あるべき未来の扉を開く鍵をも提示している。 ☆☆☆☆ |