「アメリカ先住民の精神世界」

阿部珠理著 NHKブックス より


 

「聖なる木の下へ アメリカインディアンの魂を求めて」は「アメリカ先住民の精神世界」を改題・改訂し、文庫化
したものです。





ラコタ族の人々と共に生活した著者が、その社会に宿る豊かな精神性を、

愛情を持った視点で描いている。また現在のアメリカ先住民の置かれている

危機的な状況も記している。本書では、彼らの七つの聖なる儀式を紹介して

いるが、特にサンダンスに関する記述は貴重なものであり、ギヴ・アウェイ

「与え尽くし」に貫かれる彼らの精神世界の豊穣さには考えさせられてしまう。

(K.K)


 









阿部珠理(あべ・じゅり) 立教大学社会学部教授


福岡市生まれ。UCLA大学院助手、香蘭女子短期大学助教授を経て、現在

立教大学社会学部教授。アメリカ先住民研究。著書に「アメリカ先住民・民族

再生にむけて」(角川書店)、「アメリカ先住民の精神世界」(日本放送出版協

会)、「みつめあう日本とアメリカ」(編者・南雲堂)、「マイノリティは創造する」

(共著・せりか書房)、「大地の声 アメリカ先住民の知恵のことば」(大修館書

店)、「ともいきの思想 自然と生きるアメリカ先住民の聖なる言葉」(小学館

新書)、訳書にアメリカ先住民の口承文学をまとめた「セブン・アローズ」(全

3巻 地湧社)、名著「ブラック・エルクは語る」、「文化が衝突するとき」(南雲

堂)、「ビジュアルタイムライン アメリカ・インディアンの歴史」(東洋書林)、論

文に「アメリカ・インディアン・アイデンティティの文化構造」など多数
2011年

にはNHKカルチャーラジオ、歴史再発見で「アメリカ先住民から学ぶ・その

歴史と思想」が放送された。


 
 


本書 「蘇るアメリカ先住民の精神性」 より引用


人間がよりよく生きるというのはどういうことだろうか。自然とのつながり、大地への畏敬の

念、他者のために生きる人間観、万物と調和して生きる考えなど、私たち、いわゆる「文明

人」が忘れかけているものを、本書は、思いおこさせてくれる。「インディアン」という誤った

名のもとに、おうおうにして「野蛮人」と呼ばれ、文明とは対極にあるかに見えがちなアメリ

カ先住民だが、特に、ラコタ族(スー族)の人びとが伝えてきた文化の中には、病める現代

社会への光明と見えるものがある。ラコタ族の人びとと生活を共にした筆者によって、アメ

リカ先住民の豊かな精神性がここに紹介される。



私はこの書で、アメリカ先住民の精神的伝統を維持しているという意味で代表的な、

ラコタの人びとの生活と信条を、出来るだけ忠実に描き出したい。彼らの生活の中心

には、彼らの創造の主であり、大いなる霊(スピリット)であるワカンタンカへの信仰が

ある。彼らの信仰に、仏教やキリスト教といった名称はない。信仰とは、彼らにとって、

ワカンタンカの意志にそった生き方をすることに他にならないのだ。あえて名づけるな

ら、「ラコタの道」と言うしかないものだろう。我われを含むいわゆる「文明人」の目に

は、彼らの信仰は原始的な自然崇拝と映りかねない。事実、西欧文明は近代まで、

宗教進化論にそって、文字によって体系化された一神教こそ高等な宗教であり、多神

教や書かれた教義を持たない自然・精霊崇拝を低位のものと位置づけてきた。西欧

的物質文明の行き詰まりが語られて久しいが、それこそこのようなヒエラルキー的

発想なども、よりよく生きようとする人間と自然の幸福な調和に、亀裂を生じさせた

一つであったかもしれない。信仰は書かれるものでなく、生きられてこそ初めて信仰

となる。先住民のあるチーフがいみじくも言う。「あなた方の信仰(キリスト教)は、

神の鉄の指で石版に刻まれるがゆえに忘れられることはないが、我われの信仰は、

先祖たちの歩いた道であり、それは心に刻まれるがゆえに忘れられることはない」

ラコタの道は、人が、自然とそして、あまねく自然に宿るスピリットと共に生きる道で

ある。また、心と体と自然が繋がった調和の世界である。ラコタの道には、聖堂も

聖人も必要ではない。しかし、ワカンタンカとスピリットの仲立ちをして、人を調和の

世界に導く役割を持つ人はいる。それがメディスン・マンである。本書でメディスン・

マンとラコタの伝統的儀式であるサンダンスに章をさいているのは、それが心と体と

自然を繋ぐ人であり、儀式であり、またもっともラコタの精神を体現するものだと思わ

れたからだ。しかしそうしたラコタの信仰や精神を、言葉に写すのは難しい。また、

そういう努力が有効なものかどうかも覚束ない。だが敢えて私にそれをさせたのは、

ラコタの人びとの生き方が、「豊かさとは何か」「人間とは何か」という古くてまた常に

新しい問いを、繰り返し私たちに投げかけるからだ。


 
 


本書 あとがき より抜粋引用


経済的基盤の破壊の後に続くものは、文化の破壊である。ほとんど強制的な

同化政策によって、言語はしだいに失われ、彼らに特有の宗教儀式が禁止され

ていた間に、多くのラコタの人びとがキリスト教に改宗した。だがラコタの人びと

は、彼らの文化の核である信仰の灯火を、小さいながらも燃やし続けてきた。

1960年代の公民権運動のうねりは、抑圧されてきたアメリカ先住民の大きな

刺激となった。アメリカ・インディアン・ムーブメントによる1973年のウンデッド・

ニーの占拠は、彼らの復権運動の頂点をなすものであった。だが、ラコタでその

出来事が象徴的なのは、それが単なる政治的復権を目指すものではなく、文化

的復権をも意味したからだ。


言語復興、文化復興の努力は今も続けられている。それは、ラコタがラコタであり

続けようとする営みに他ならない。文化の核であり彼らの信仰の形象である儀式

は、ことに注意深く守られようとしている。伝統維持派の中心的人物に言わせれ

は、儀式は、彼らが完全に奪われることを免れた唯一最後のものである。近年そ

れを脅かしているのが、学者や研究者ということになる。私自身もその例外では

ないだろう。


儀式は本来、それを信仰するもののみに開かれたものだ。ところが文化復権運動

が促進され、内外でラコタの文化の再評価が高まる過程で、ラコタは多くの訪問者

を引き寄せることになった。研究者のみならず、ラコタのエコロジーに根ざした生き

方に対する関心から、また彼らの癒しの技法に自らの救済を求めて彼らはやって

くる。そしてラコタの人びとに言わせれば、彼らは、自分の欲しいものだけ手に入

れるが早いか去ってゆく。サンダンスの時期など見るとそれがよくわかる。どっと

押し寄せた外部の人びとは、それが終わるやいなや跡形もなく消えている。


各地の博物館に展示されている先住民の聖具は、彼らにとって、本来信仰のない

人の目にさらされてはいけないものなのだ。大地に眠る先祖の遺骨が掘り起こされ

る発掘調査なども含めて、彼らの信仰に対する不敬の行為に研究者は手を貸して

いる、と彼らは考える。学者は泥棒だと公言する人さえいる。


部外者の流入は内部の質的変化も引き起こす。外部の要請に応え、便宜を図る人

びとが内部にでてくる。彼らの抱える貧困を考えれば一概に糾弾できることではない

のだが、伝統維持派は、それらの人を、文化を売るものだと批判する。本来介在する

はずのない金銭が、儀式に絡んでくる。彼らが守ろうとする文化の核が、外部からの

そのような干渉によって薄められてゆくと彼らは感じている。


こうしたことは、文化の個別性と普遍性に関わる問題でもある。伝統維持派が個別

性の堅持を主張すれば、過渡的段階ではどうしても排他的にならざるをえないだろう。

文化を売るものだと批判を受ける人は、ラコタの思想の普遍性を外部の多くの人と共有

することの重要性を主張し、開放派の立場をとる。それは、ラコタのアイデンティティをど

う捉えてゆくかの問題でもある。ラコタの社会は、このように文化的に揺れている。この

対立がどう収束してゆくかは、予測がつかない。しかし彼らの批判と危惧を私自身の中

に受けとめ、彼らとの心かよう関わりを今後常に検証することを忘れてはなるまい。


貧困、飲酒、暴力といった社会問題、聖地ブラック・ヒルズの返還訴訟、保留地の自治

権の確立と民族としての独立といった政治的懸案など、ラコタの人びとが直面する問題

は他にも多い。だが日々の営みの中で彼らが見せる大らかさの中に、私は彼ら民族

の将来を見たような気がしている。そのどこか悠揚迫らぬ態度の根底には、自分たち

は大いなる自然の意思とへその緒で繋がっているのだという潜在的確信がある。それ

をラコタの真の伝統と呼んでもいい。ラコタの雄大な平原に昇る朝日と、沈みゆく夕日の

美しさを、私は忘れない。その時の空は、天上の色を思わせずにはおかない。この太陽

に、彼らの待ち望む再生の日々を祈りつつ、筆を擱く。


 


目次

はじめに


プロローグ 聖なる木の下へ

歪められた伝統

収奪の歴史

ラコタ族の抵抗

聖なる木は死なず


第一章 メディスン・マンを訪ねる

クロー・ドッグとの出会い

失敗に学ぶ

ウィチャシャ・ワカン(聖なる人)

癒しのさまざま

ヴィジョンを得た人

メディスン・マンの条件

俗人として生きる


第二章 ラコタの人間社会

待つことに慣れること

インディアン・タイム

限りなく自然に、大らかに

四つの美徳

新しい伝統主義者

学歴、肩書が通用しない社会

誰も偉くない


第三章 男と女

女の子から女へ

毛布でデート

媚薬

ティーピー・クローラ・・・・ラコタの夜這い

結婚・離婚

女男・・・・ウインクテ

ホワイト・バッファロー・カーフ・ウーマン・ソサエティー


第四章 ミタクエオヤシン・・・・私に繋がる全てのもの

ラコタ思想の究極の真理

調和の思想・・・・『聖なる輪』の教え

拡大家族ティオシパエ

孤児のいない社会

寄宿学校の悲惨

弱者へのまなざし

固い絆の戦士団

民のために生きたイタンチャン

ギヴ・アウェイ

持てる者が吐き出す

輪を巡るプレゼント


第五章 ラコタの神話世界

創世神話

ブラック・ヒルズの大レース

ホワイト・バッファロー・カーフ・ウーマン

パイプのキーパー

パイプの作法

聖なる香草

バッファローのエコロジー

聖数の四と七


第六章 精霊の住む国

全てに宿るスピリット

泉のスピリット・・・・ウィウィラ

浄化の儀式・・・・スウェット・ロッジ

闇の儀式・・・・ロワンピ

煙草タイとフラッグ

イエスカ・・・・スピリットの通訳

聖地ベア・ビュート

ハンブレチヤ・・・・ヴィジョンを求める旅

ラコタのお葬式


第七章 サンダンスへの道

カブラヤの踊り

文化復興の象徴

一つに集合する祈り

聖なる木を迎えに行く日

清めのスウェット・ロッジ

太陽を迎える朝

身を裂く苦痛、そして祈り

ラコタの道を生きる

踊り続けるサンダンサー

ムーン・ウォーカー

トリックスターとしてのヘヨカ

ヒーリング・サークルそしてサンダンスの終わり


あとがき


 


文庫版 「聖なる木の下へ アメリカインディアンの魂を求めて」 あとがき より引用


朝日が昇った。光が薄氷の覆う川面に照り返す。ここサウスダコタの3月は、零下の朝が続く。ローズバッド・

リザベーションの南西、ホワイトリヴァー沿いの平原で今このあとがきを書いている。ローズバッドに来るように

なって20年以上の月日が流れた。だがこの平原もリトルホワイトリヴァーの川の流れも、いっこうに変わること

はない。



1994年、私は「アメリカ先住民の精神世界」という本を世に問うた。私の最初の著作である。幸運にも新聞の

書評に取り上げられ、学者の本としては珍しく版を重ねて今日にいたった。このたび角川学芸出版から文庫化

のお話を頂き、有り難くお受けした。文庫となって新たな命を得て、さらに長い生命を持つことが出来るのなら、

著者にとってこれほど嬉しいことはない。だが同時に、本にその価値がなければ、著者の望みや自己満足の

ためだけに、本は命を長らえるべきではない。私はその判断をすべく、自著を冷静かつ詳細に読み返した。

そして私は感動した。自惚れととられても致し方がないが、当時の先住民世界の息吹が実に生き生きと伝わって

きたからだ。文化振興の機運の高まるあの頃のローズバッドで、サンダンスやスウェットロッジの儀式に初めて

参加し、再び会うこともない人々の心に触れて、感動する自分自身がそこにいた。一回生の経験の貴重な時間

を20年の時空を越えて、再び私は経験した。



この本は再読に耐えうる。私は文庫化に自身納得することができた。本書はいわゆるエスノグラフィー(民族誌)

であるが、20年を経た今、民族史的な価値も有するようになったと思う。あの頃のラコタ族の社会を再現できる

のは、現場にいたフィールドワーカー以外にあり得ない。その意味で本書に類書はないと思われる。



この20年でラコタ社会は変わっただろうか? 少なくともアルコールドラッグ治療センター、健康増進センター、

シンテグレシュカ部族大学のアンテロープキャンパス、ことに住民にも開かれた多目的体育館など新しい施設は

誕生した。だが、貧困、疾病、失業率、平均寿命に、明らかな改善は見られない。犯罪率、自殺率などはむしろ

増加傾向にある。現にこれまでなかった少年鑑別所と成人用の「立派な」監獄が新設されたのを、誰も「発展」

とは呼ばないだろう。もちろんそこでのあらたな雇用の創出は、喜ばしいことではあるが。



ここ20年ほど、部族会議主導の経済発展が目論まれていて、私もその調査に少なからず時間を費やしてきた。

白人経営のスーパーマーケットでの消費と売り上げを部族に還流させるべく、2009年に建てられたタートル

クリーククロッシングの初めての部族経営のスーパーは、オーガニック食品をそろえ、民族色豊かな壁絵と壁に

かけられた先祖たちの歴史的写真に見守られ、成功が約束されているように見えた。ミッションの町のガソリン

スタンド、シチャングオートにも期待が集まった。だが2013年の夏には、スーパーの棚からほとんど商品が消えて

いた。簡易レストランは、かろうじて客を集めていたが、かつてあったオーガニックのグリークサラダやビーン

スープはメニューから消え、フライドチキンやこてこてのグレービーゾースのかかったビスケットなど、いかにも

成人病を促進させそうな昔ながらの不健康メニューに戻っていた。ガソリンスタンドも閉店するのに時間はかから

なかった。ただし、修理部門が、昨年暮れから再開されたのは唯一明るいニュースだ。



経済開発を推進してきた部族議会議長ロドニー・ボルドーは、その失敗を問われて2013年の選挙で破れ、

低学歴でアルコール依存症の噂のある現議長は、毎月のように弾劾にさらされている。部族議会が機能して

いるとはとても思えない。経済開発の失敗、議会とその関連委員会の腐敗の原因は、伝統の美習と近代的

堕落の複合産物のように思われる。拡大家族システム「ティオシパエ」は親族内での互助を旨とするので、

部族議会の議員は職能のない親族を有給職に取り立て優遇する。スーパーやガソリンスタンドの失敗は、

明らかに縁故主義の産物の無能なマネジメントに帰する。女性のリーダーたちが台頭してきているが、年長

の男性たちは、年長の彼らをたてる伝統を盾に、女性リーダーたちの正論に耳を貸さないこともままある。



狩猟に明け暮れ、富を蓄積しないかつての平等社会は、職という生活の糧を持つものとその他大勢の無職の

ものたちに階層分化し、そのギャップはますます開きつつあるようにも見える。好ましくないこういう状態に手を

打たないのは、部族議会の議員たちが、真に伝統的なリーダーの資質を持たないからだという見方がある。

「伝統」のリーダーとは、選挙で選ばれるのではなく、「ラコタの道」である「寛大」「勇気」「敬意」「智慧」を体現

する人物である。かつてのリーダーたちは、人々に「人格」を認められ自然に押し上げられた人々だった。

そしてリーダーたちは、おおむね富を持たなかった。恵まれないものたちに、絶えず与えていたからだ。



合衆国の議会をモデルにした現在の部族議会制度は、1934年の「インディアン再組織法(IRA)」による提案を

部族が受け入れたことから始まっている。選挙によって選ばれた議員の多くは、英語の読み書きの出来る

「近代主義者」であた。今やその度にドル紙幣が飛び交う選挙では、人格要素はさらに後退するようだ。現在の

部族議会を「IRA議会」と揶揄し、真のリーダーシップを復活させようとする「伝統派」の動きもあるが、部族世論

に影響を与えるまでにはなっていない。



リーダーシップの問題だけでなく、端金で票を売るその他大勢の人がいることが、この社会の現実を表している。

貧困が原因であることは間違いないが、それにも増して自尊心の欠如が問題が。生業から切り離されて100年

以上、補助や福祉で賄われる生活は、ラコタに依存体質を生んだ。何世代にも渡って労働から遠ざかった結果、

勤労意欲や労働倫理が育たず、人は自立できない。



自分の足で立つことが出来なければ、人が気高く生きることは難しい。



再生のためにラコタ社会が乗り越えなければならない問題は、決して小さくはない。だが、果敢にそれらを乗り越え

ようとする人々が確かに存在する。伝統の「ラコタの道」を歩こうとする人たちだ。20年前の文化復興の息吹は、

確かに引き継がれている。サンダンスの数も、伝統儀式への参加者もその数を増やしている。ラコタの「気高さ」

を取り戻すための核は、文化にあるという認識が共有されている。その確かな証左は、学校教育におけるラコタ

文化の導入である。



小学校を訪ねると、校庭での朝礼から一日が始まるが、小さな子供たちが太鼓をたたき、ラコタ語でフラッグソング

(ラコタの国歌にあたる)を力強く唱和するのを聴くたびに、ラコタの言い伝えである「七世代目の再生」を信じられる

気がする。その子供たちこそ、まさに保留地の七世代目なのである。中学でも高校でも、同様の光景があるし、

ラコタ・マトリックスという文化教育と言語教育を有機的に融合させたラコタ語の指導要領も完成し、各校で使われ

ている。スウェットロッジを常設する学校も誕生した。部族大学は伝統復活や文化教育に大きな働きをしているが、

総じて若年層の文化意識は高まり、ラコタ・アイデンティティが若者たちの中で、確かな形をとりつつある。これは

ラコタ社会の明日への大きな希望の光である。



「時が過ぎるのではない。人が過ぎるのだ」。いったい誰の言葉だったろうか。



20年前のあとがきで謝辞を述べたアルバl−ト・ホワイトハットは、2013年に亡くなった。シンテグレシュカ部族大学

のラコタ学部教授だった彼は、部族の精神的指導者としても尊敬を集めていた。自身の来し方とラコタの智慧の

つまった「ズヤー人生の旅」を死の前年世に問うた。彼から貰ったその本を読んで、「まるで側で貴方が語って

いるようよ」とコメントすると、とても喜んだ。ガンで闘病中であった彼に、浅間神社のお守りを「日本の聖なる山の

メディスンよ」と言って渡すと、胸のポケットに早速しまい、そこに手を置いて微笑み、“This will help"と静かに言った。



2009年には、太鼓の名手でラコタ文化を伝えるフリースクールを運営していたドン・モカシンが亡くなった。彼の学校

に招かれて、子供たちに箸の使い方を教えたのが昨日のように思い出される。



そして2008年7月、最愛のグランマ・ベラが、私が夏に訪れるのを待たずに亡くなった。160頁の写真のシェリルの

母親だ。この写真を撮るために、納戸に眠っていた石臼を取り出し、チョークチェリーの伝統の潰し方を見せて

くれたのだった。この時から亡くなるまで、ローズバッドにいる間、私は彼女を訪れない日はなかった。終いには

彼女のへそくりを教えてくれるほど、私たちは親しくなった。この寛大で優しくユーモアに満ちたグランマを、私は

こよなく愛していた。彼女は真の「ラコタ・ウーマン」だった。



確かに彼らは過ぎて行ったが、彼らとのモーメントは心深く刻まれ、永遠に私の中に生きるだろう。



本当にこの20年、どれだけ多くのラコタの人々と出会ってきただろう。すべての出会いが心地よかったわけでは

決してない。だがラコタでの経験が、研究者としての私ばかりではなく、人間としての私を鍛えたことに間違いは

ない。ラコタでの学びは実に大きかった。ラコタは私の人生と不可分のものとなった。



2012年、私はシャーロット・ブラック・エルクとフンカ(縁組み)の儀式で姉妹となった。私のラコタ名は

「ムニ・オウチャ・オタンカ・ウィンヤン」という。「大海原を越えてきた女」という意味だ。こうしてラコタのティオシパエ

(拡大家族)の一員となったことが、自分ではこの20年の決算のようにも感じられる。



上記の方々に加えて、20年前同様にラコタ学部のヴィクター・ドゥヴィルに感謝したい。ラコタ学の生き字引である

彼からいつも多くを学ぶし、友情も深まった。会えば冗談の応酬が楽しくもある。同学部の教師でかつメディスンマン

であるスタンレー・レッドバード・ジュニア、経済学部長ノラ・アントワンと新たな友情と信頼関係を築けたことにも

感謝したい。またご縁のあったすべてのラコタの人々にお礼を言いたい。ここ数年、私は保留地の小学校、中学校

で日本についてのレクチャーをしながら、日本の鯉のぼりを寄贈してきた。2014年9月には、スミソニアン自然史

博物館のイタリア人先住民研究者で空手8段の友人、チェザレ・マリノの協力を得て、空手教室を開催する予定

だ。青少年がエネルギーを発散する場が必要であることを、行く度に実感してきたからだ。ラコタ社会の改善の

ために微力ながら尽くしたい。それが多くのラコタの方々から頂いた学びへのわずかばかりの報恩になれば

嬉しい。



ロスアンジェルス在住の叔父と叔母、本田実、みち子には、UCLA大学院時代はもとより、研究者となってからも

ローズバッドの行き帰りにお世話になりっぱなしだ。この場を借りて心よりの謝意を伝えたい。



本書は角川文芸出版の編集担当麻田江里子氏、編集局長睦田英子氏の御蔭で誕生した。本書に新たな命を

下さったご両名に御礼申し上げる。



最後に本書を、2011年8月15日に他界した父、阿部直道に捧げたい。



2014年3月 春を待つローズバッドにて   阿部珠理









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