Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
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既読の文献
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「大地に抱かれて」 リンダ・ホーガン著 浅見淳子訳 青山出版社 「チカソー族」作家が生きとし生けるものすべてに捧ぐ”環境シンフォニー” |
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「レッドマンのこころ」 アーネスト・シートン著 近藤千雄訳 北沢図書出版 「動物記」で有名なシートンが集めた北米インディアンの魂の教え。「レッド マンの信仰は普遍的であり、基本的であり、根源的であり、本当の意味での 宗教である。」シートン。現代ではアメリカ・インディアンの文化は多くの人々か らの共感を得るようになっていますが、シートンがこの本を書いたのは約70年 前のことです。その頃は彼らの精神文化を理解する人は数少なく、偏見と差別・ 迫害の時代でした。しかしシートンはその直感により、彼らこそ神と深く結びつ いている人々との確信を得て、その精神文化を探って行ったのです。歴史的に も貴重な文献の中の一冊。尚、最初この文献は違う訳者により「赤人の福音書」 として出版されましたが、既に絶版となっています。 私が見るかぎり、以上のどれ一つを取り上げても、白人の文明は落第である。 雑記帳「魅せられたもの」1997.6.6「アメリカ・インディアンの残虐性の真否」 |
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「母なる風の教え」 ベア・ハート著 児玉敦子訳 講談社 ベア・ハート(ムスコギ・クリーク族長老)は1918年に生まれ、長い修行 過去のリーダーたちが祈ったとき、彼らはいつも次の世代のために祈って
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「ホピの太陽の下へ 女三人、アリゾナを行く」 羽倉玖美子 著 辰巳玲子 協力 野草社 本書は映画「ホピの予言」を製作した故・宮田雪さんを通して出会った女性2人 と子どもが、過去の自分を見つめながら、新たな旅立ちの意味をかみ締める旅 の記録である。私自身何故もっと早くこの文献を読まなかったかと後悔している。 この文献の軽妙な語り口は読者を一気に引きずり込ませる巧みさを持ち、そして 何より人生や自分の心に対しての誠実さを言葉の一つ一つに感じてならなかった からである。この文献を書いたのはイラストレーターとして活躍する羽倉玖美子さ んで、映画「ホピの予言を通して故・宮田雪さんと知り合う。この宮田雪さんの奥 様が辰巳玲子さんである。この辰巳さんのお嬢さんを含めて女性3人でホピに向 かうのである。ホピではホピの予言を守る長老たちとの旧知の出会いや、それを 陰で支えてきた女性たちの姿、儀式、遺跡が語られるが、まるで読者もその場に 居合わせたような錯覚を覚えるのは、イラストレーターという職業を通して、真剣に 表現方法を模索してきたからであろう。また辰巳玲子さんも、ご主人(宮田雪さん) が倒られてからその介護に長年関わってきたが、映画「ホピの予言」製作過程で も宮田雪さんを支えてきた。あるがままの着飾ることのない二人の女性の生き様 がここに描かれており、心に残る素晴らしい文献である。 1999年2月に、それまで50年間にわたって「ホピの予言」を伝えてきた最後の メッセンジャー、トーマス、バニヤッカは雲の精霊になり、水の巡りの中に還って いった。そして、予言を伝え、警告を発信する時代は終わりを告げた。ホピの残 した新しい時代へのメッセージは、「質素で、自然で、精神的な生き方」であり、 「それは一人ひとりにかかっている」ということだ。私が「ホピの予言」と出会って から、過ぎ越しこの16年間の日々で学んだことは、「平和」の真の意味だ。人と先 を争わず、最後に残った見てくれの悪いとうもろこしを喜んで選び取った者に、 創造主は「ホピ---平和---」と名づけたのだ。その意味を自分の人生の中で私 なりに考え続けた。ただ単に、戦争がなければ平和なのか。ホピの人々の忍耐や、 親切、そして謙虚さや、感情や情動、欲望に自分が支配され、自分ばかりか他人 をも傷つけることがないように、それらを自ら戒める精神を養った彼らを思う時、 私の中に眠っていた様々なものが目覚め、気づきを与えられてきた。人生の中で 日々の営み、幾多と訪れる試練、悲しみ、怒り、そして喜び、あるいはめぐり合う生 と死・・・・それらを排除せず、また挑まず、自分自身や他者と対立せず、あるがまま を受け入れる。そして、すべてがバランスの内に歩むようにと、調和を祈る・・・・ それがホピ----平和----としての生き方なのかもしれない。 (本書 内なるホピ それぞれが一粒の種として 辰巳玲子 より抜粋引用) |
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「パパラギ」 はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集 エーリッヒ・ショイルマン 編 岡崎照男訳 立風書房 本書はアメリカ・インディアンに関する本ではないが、ツイアビの叡智あふれ 時間というのは、ぬれた手の中の蛇のようなものだと思う。しっかりつかもうと |
「忘れられた道」 ある老インディアンとの心の旅 ケント・ナーバーン著 児玉敦子訳 講談社 この本に目新しい叡智の言葉が全く見られないと感じる人もいるかもしれ ない。しかし、本書に貫かれている怒り、悲しみ、そして許しの言葉が深く私 の心に突き刺さる。そこに映し出された素顔に、喜んだり悲しんだり怒ったり する老人の表情のひとつひとつの中に、白人との余りにも長き戦いの歴史と いう記憶が刻みこまれている。1890年12月29日、保留地内のウンデッド・ ニーの丘に銃声が響き渡り、この虐殺をもって白人とインディアンとの戦いは 終結することになる。この丘に集まった人々の3分の2が女性や子供たちで あった。白人と戦う意志のないことを表明した300人のラコタ族がこの丘で 虐殺され、1000万人とも推定されていたインディアンもこの年には25万人 になっていった。実にドイツのユダヤ人迫害の犠牲者600万人をも上回る 虐殺が自由の国アメリカで繰り広げられたのである。しかし白人による徹底 した同化政策はその後も容赦なくインディアンに襲いかかり、多くの子供たち は親元から強制的に離され「インディアン学校」に隔離されてゆく。白人の 言葉、習慣、宗教を押し付けられた子供たちに待っていたのは精神的基盤 の喪失とアルコール中毒の蔓延であった。このような状況の中においても 太古からの教えを守り続けている真のインディアンの悲痛な叫びが、そして 祈りがこの本の中から生きた息吹となって私の心に刻まれた。 わたしはこう思う。もう戦っている場合ではない。わしらは怒りを忘れなけ |
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ビジュアル博物館「アメリカ・インディアン」 デヴィッド・マードック著 スタンリー・A・フリード監修 日本語監修・富田虎男 翻訳・吉枝彰久 同朋出版 「写真でみるアメリカ・インディアンの世界」 (「知」のビジュアル百科) デヴィッド・マードック著 スタンリー・A・フリード監修 日本語監修・富田虎男 翻訳・吉枝彰久 あすなろ書房 表題は違いますが、内容は同じものです。 魅力にあふれる北米先住民の諸文明を再発見するための楽しい入門 南西部のプエブロに住む部族から北極圏の狩猟民イヌイットまで、北米 |
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「インディアンの生き方を学ぶ」 モノ・マガジン大特集合併号 No.391 ワールドフォトプレス インディアンの世界観や芸術に宿る美しい視点と想いを紹介している雑誌 です。 「今日は死ぬのにいい日だ」ナンシー・ウッドの詩と言葉、インタビュー ゴーストダンスから真の描くべき対象を見つけたJD チャレンジャーの 代表的な作品 タオス・プレブロの村の写真と、そこに生きる人々 加藤諦三によるアメリカ・インディアンから学ぶ六つの生き方 インディアンダンスのカラー写真 北米インディアンの世界観とエコロジー 横須賀孝弘 魂の叫び 1997年に亡くなったフランク・ハウェルの絵画 日本のレザークラフトの草分け的な存在である高橋吾郎の言葉と作品 インディアン芸術が集まるサンタフェ・タオスの紹介 大平原を去った勇者たち 各部族の勇者の物語 インディアンの肖像 著名なエドワード・S・カーティスによる写真 アメリカ・インディアンの本の宇宙 34冊の文献の紹介 インディアンアートに込められた祈り |
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「大事なことはインディアンに学べ」 ワールド・フォトプレス 北山耕平 編著 日本にインディアンの文化や、その視点を紹介し続けている北山耕平さん によるインディアンの紹介本です。「レイム・ディア」のヴィジョン・クエスト、 「インディアンに残された予言の解説」など興味ある記事が掲載されておりま す。また初めてインディアンの文化に触れる方のために豊富に画像を取り入 れ読みやすい工夫がされており、インディアンの言葉や文献、映画なども紹介 されています。この出版社であるワールド・フォトプレスはこれまでにもインディ アン特集の本を出しており、以下の質の高いものを出版されています。 「インディアンの生き方」、 「インディアンの声を聞け」 「インディアンの生き方を学ぶ」 「インディアンの魂とアートにふれる旅」 「インディアン・ジュエリー」 「ドリーム・キャッチャー」 「インディアン・クラフト・ブック」 ほんとうに大事なことをネイティブの人たちから学ぶとはどういうことか、 その一端を、この特集からぜひみなさんのこころで感じていただければと 思う。この特集は、わたしがこれまで4年間に自分のブログ「Native Heart」 で公開してきたもののなかから日本列島に暮らすより多くの人たちにとって 重要だと思えるものを厳選した記事から構成し、文章を読みやすくするなど の手をさらに加えてある。また過去に自分が翻訳して本にしたものの一部を 再構成する形で収録したものもある。わたしたちのすることはなんであれ 宇宙のすべてに影響を与えているというネイティブの人たちの宇宙観をすこ しでも共有することができれば幸いである。 (本書より引用) |
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「インディアンの生き方」 mono特別編集 ワールド・ムック244 ワールドフォトプレス インディアンの世界観や芸術に宿る美しい視点と想いを紹介している濃密な |
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「スピリットの器」 プエブロ・インディアンの大地から 徳井いつこ著 地湧社 プエブロ・インディアンと呼ばれる人たちが作る土器を通して語られるインディ アンの精神世界と大地の美しい歌声。多くの陶芸作家の声の中には大地への 祈りと感謝が満ち満ちている。「私は、祈りの力信じています。ええ、本当に信じ ていますよ、単純に。朝であれ、夜であれ、それがいちばん主要なことです。 野焼きのときは火に祈り、採土のときは土に祈る・・・。祈ることは、それを感じ ることです。火を感じ、土を感じ・・・地球のあらゆるものを感じることです」。本書 は、土器を通してインディアンの深い精神世界を垣間見させてくれる好著であり、 大地の豊かな恵みを肌で感じることが出来なくなっている私たち文明人への 感銘深い警鐘の書でもある。 同じ著者による「インディアンの夢のあと」を参照されたし 「母なる大地の声 アメリカ・サウスウェスト プエブロ・インディアンの美術」 名古屋ボストン美術館 を参照されたし アメリカの宇宙飛行士エド・ミッチェルは、月探検から帰還する途中、宇宙船 |
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「アメリカ先住民女性」 大地に生きる女たち ダイアナ・スティア著 鈴木清史・渋谷瑞恵訳 明石書店 本書にちりばめられた先住民女性への賛歌の美しさは勿論のこと、古き 執筆を進めながら、わたしは先住民女性についての情報を集め、さらに |
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「大平原の戦士と女たち」 写されたインディアン居留地の暮らし ダン・アードランド著 横須賀孝弘訳 社会評論社 1890年のウンデッド・ニーの虐殺により、白人によるインディアン戦争 素人としての感想を言えば、私には、マソームの儀式とは、まるで五幕物 |
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「風の言葉を伝えて=ネイティブ・アメリカンの女たち」 ジェーン・キャッツ編 舟木アデルみさ+舟木卓也訳 築地書館 インディアンの聖なる輪が物質文明に流されることなく、現在においても 「アメリカ・インディアン女性への賛歌」を参照されたし |
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「生き物として、忘れてはいけないこと」 次代へ贈るメッセージ コエン・エルカ著 サンマーク出版 数多くのインディアンの文献の中で、心に最も響いた本の中の一冊 「野楽生れば山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと 翼あるものたちが故郷へ、北へ、飛び立つころ、あなたたちも飛び |
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「鷲の羽衣の女」 「鷲の羽衣の女」エレーヌ・アイアン クラウド 語り手 菊地敬一 書き手 徳間書店 モンゴルの王族の血をひいたエレーヌは生まれて間もなく父母のもと |
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「ともいきの思想」 自然と生きるアメリカ先住民の「聖なる言葉」 阿部珠理著 小学館新書 アメリカ・インディアンの研究の第一人者として活躍する立教大学教授の 阿部珠理さんによる好著。この本の紹介には「現地で出会った聖なる言葉 の数々を紹介します」と書かれているが、実際は良くも悪くも等身大のイン ディアンとの20年の交流の中で著者が出会った様々な出来事と、その中に あるインディアンの生き方、その根源的なものを書いたものである。私の サイトではインディアンを神格化しすぎている誤りを犯しているが、阿部さん は、本書「縁を紡ぐ」の中で、「私はインディアン社会のさまざまな人たちと の縁を紡いできた。その過程で、美が醜にに変わるとき、醜が美に変わる ときを見た。美と醜、叡智と暗愚、勤勉と怠情、愛と憎しみ、敬意と嫉妬、 豊かさと貧しさを経験した」と書いているように、今まで出会った等身大の インディアンを描きつつも、それでも何故インディアンなのかを一気に引き 込む軽快な語り口で読者に問いかけている。私自身特に印象に残るもの としては、著名なメディスンマンであるクロードッグの実像と偉大な指導者 レッド・クラウドの部屋の壁に大事に飾られていた日本刀から明治99年 (1876年)、レッド・クラウドと典型的な明治の軍人エリートであった野津道貫 の出会いを探る話が興味深かった。特にレッド・クラウドと野津道貫、明治 時代とはいえ日本刀が武士(軍人)にとって魂や命であった時に、何故大切 にしていた日本刀をレッド・クラウドに捧げたのか、またレッド・クラウドも何故 ずっとその日本刀を大事に家に飾っていたのか。フィラデルフィアでインディ アン戦争を聞いた野津はララミー砦から、族長レッド・クラウドが率いるラコタ 族の居留地に行き、そこで5日間滞在しアメリカ政府の役人がレッド・クラウド との交渉をするその席に野津も立ち会うのである。阿部さんが「厳しい使命 を負った54歳の族長に、35歳の美しい日本人士官は何を見たのだろうか。 会話を交わしたとしたら、いったいどんな話だったのだろう。野津ほどの人物 なら、族長の深い苦悩を読み取ったかもしれない。私の好奇心は熱気球の ように膨らんだ」と書いておられるが、私も同じ気持ちだった。本書で紹介さ れる等身大のインディアン、私はその実像と虚像を知っても阿部さんが言う ように「もう二度と来るものかという体験をしても、やはり来てしまう。私を呼び 戻す磁場がそこにある。」と感じているのかも知れない。 阿部珠理さんの著作 「アメリカ先住民・民族再生にむけて」 「アメリカ先住民の精神世界」 「大地の声 アメリカ先住民の知恵のことば」 「ともいきの思想 自然と生きるアメリカ先住民の聖なる言葉」 「セブン・アローズ」 「ブラック・エルクは語る」 「今日は死ぬのにいい日だ」 日本でも有名なインディアンの言葉である。 |
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「アメリカ先住民の精神世界」 阿部珠理著 NHKブックス 「聖なる木の下へ」 アメリカインディアンの魂を求めて 阿部珠理著 角川ソフィア文庫 ラコタ族の人々と共に生活した著者が、その社会に宿る豊かな精神性を、 愛情を持った視点で描いている。また現在のアメリカ先住民の置かれてい る危機的な状況も記している。本書では、彼らの七つの聖なる儀式を紹介 しているが、特にサンダンスに関する記述は貴重なものであり、ギヴ・アウェイ 「与え尽くし」に貫かれる彼らの精神世界の豊穣さには考えさせられてしまう。 「聖なる木の下へ」は「アメリカ先住民の精神世界」を改題・改訂し、文庫化 したものです。 私はこの書で、アメリカ先住民の精神的伝統を維持しているという意味で |
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「オオカミと人間」 バリー・ホルスタン・ロペス著 中村妙子・岩原明子 訳 草思社 このあたりから、オオカミは痛ましい運命をたどるようになる。たとえばシャイ アン族のような狩猟社会では、誰もが賛美する長所・・・・勇気、狩猟の技術、 忍耐・・・・を備えていることから、オオカミは尊敬に値する動物として祭り上げら れていた。だが、人間が農耕に従事し、都市を築くにつれて、このオオカミは、 卑怯で、愚かで、貪欲な動物として嫌われることになった。オオカミ自体は昔か ら変わらないのに、人間がオオカミの憎むべき“獣性”をうんぬんしはじめたの であった。火刑の杭のまわりに立って、裁かれるオオカミ人間を野次ったりしな がら、人々は、自分が人間性を守り抜いていることを誇示し、幸福感を味わった のである。そのように自己嫌悪を他者に負わせてみたところで、けっして満足が 得られるわけではなかったことは、まさに悲劇と呼ぶにふさわしい。いくら殺戮が 行なわれようと、村の広場にオオカミが何頭積み上げられようと、オオカミ人間 といわれた人間を何人焼き殺そうと、それで終わりになるものではなかった。恐ら くこれは、ナチスの手によるユダヤ人迫害とそんなに変わらないことだったので はないだろうか。動物に対する虐待は忘れられやすいというにすぎない。だが、 オオカミ人間の場合は、彼らが紛れもなく人間であったことを肝に銘じなければ ならない。 (本書より引用) 人類学者のニコラス・グーブザーはヌナミウト・エスキモーについて、「彼らは 物事の究極の原因を求めたり、包括的な説明を試みたりしない」と書いている。 ヌナミウト・エスキモーにとっては、"オオカミの究極の実体”などというものは 存在しない。彼らはオオカミをも、宇宙の一部として観察しているにすぎない。 物事には知られていることもあれば、隠されていることもある。オオカミについ ても、あることは知られているが、あることは知られないままだろう。しかし、 それについて気に病む必要はない・・・・ヌナミウトはこういうのである。つまり ヌナミウトの姿勢は実際的である。オオカミの毛皮に値打ちがあることを、彼ら は知っている(白人の観光客は、一頭の毛皮に450ドルも払ったりする)。ヌナ ミウトはまた、オオカミを観察してその生活のスタイルから学ぶことによって、 人はすぐれたハンターになり、カリブーばかりか、当のオオカミをも倒すことが できると考えていた。オオカミを観察するうちに、ヌナミウトは自分のまわりの 世界と一つになったような充実感を味わい、自分の住む宇宙との密接な つながりを感じる。宇宙を構成するものからの隔絶感があるかないか・・・・ これがヌナミウトと生物学者の違いなのである。 (本書より引用) |
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「インディアンの日々」 生きることに迷ったら、インディアンの声を聞け 横須賀孝弘・著 mono特別編集 ワールド・ムック942 ワールドフォトプレス この本では、9地域のうちの4つ、東部森林地帯・大平原・南西部・北太平洋 岸に住むインディアンの暮らしを紹介する。アメリカ映画などによって多少なりと も知られ、多くの人々が「インディアン」に対して抱くイメージのもとになった人た ちである。 ところで、インディアンは、隣り合う部族や、後から来たヨーロッパ人の影響を受 けながら、暮らしぶりを変え、文化を発展させてきた。例えば、「ダンス・ウィズ・ ウルブズ」に見られるような、馬に乗ってバッファローを追う「典型的なインディア ンの暮らし」は、実際にはヨーロッパ人の影響によって生まれ、発展したのである。 各地域のインディアンの様々な文化が、外部からの刺激を受けてどう発展してき たか、その様子も伝えたい。 なお、この本では、便宜上、過去形で述べていることが多いが、それは「かつて はこうしていた」ということで、必ずしも「今はそうしていない」という意味ではない。 今もアメリカ合衆国には240万人を超える先住民が生活している。アメリカやカナ ダの先住民には、私たち日本人と同じように、モダンな暮らしを送りながらも、伝 統的な文化を受け継ぐ人たちが少なくない。「パウワウ」と呼ばれるインディアン のお祭に行けば、それを実感できるだろう。 (本書より引用)
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「エデンの彼方」 狩猟採集民・農耕民・人類の歴史 ヒュー・ブロディ著 池央耿・訳 草思社 30年にわたるイヌイットとインディアンの研究をもとに、狩猟採集民と 農耕民の文化の比較を通じて、人類の歴史を根本から再考した類のない 試み。 狩猟採集民は我々の同時代人である。我々は農耕民とその末裔である。 狩猟採集民は一定の範囲の土地に根ざした生活を送り、農耕民は創世記 のカインに見られるように、地上を放浪する。一方は恬淡無欲な定住生活 者、他方は刻苦勉励の遊動民である。人類の歴史は、この全く異なる人々 によって形成され、現在に至った、と筆者は見る。 今日、本来の狩猟採集社会は失われたが、それは我々、農民とその末裔 の力に侵されたからである。しかし彼らは現代に生きている。本書で狩猟 採集民の美質を多々明らかにした著者は、一方に与することなく、正邪、 善悪の二項対立を越えたところに、人間としてより良く生きる道が見出され ることを示唆している。 (本書より引用) |
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「ネイティブ・マインド」 アメリカ・インディアンの目で世界を見る 北山耕平著 地湧社 日本人の手によって書かれた好著。メディスンマンであるローリング・サンダー 私はその力に導かれて日本の中を旅してきた。それは自分の内側への旅 |
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「我らみな同胞」 インディアン宗教の深層世界 A・C・ロス著 スーザン・小山訳 三一書房 アメリカ・フランス・ドイツなどでベストセラーとなった本である。またロス 博士は1997年11月、関西市民大学で講演会を開いた。 「自らのルーツを求めてダコタ宗教儀式に参加した著者が、のちにユング |
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「対訳 亀の島(Turtle Island)」 ゲーリー・スナイダー著 ナナオ サカキ訳 山口書店 1975年 ピューリッツア賞(詩部門) 「亀の島」とは北米大陸のことであり、多くのインディアン部族はこの大陸を 詩が語るのは“場”であり、生命をつなぐエネルギーの道筋。それぞれの生命 |
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「Alaska 風のような物語」 星野道夫 写真・文 小学館 星野道夫氏が13年間におよぶアラスカ取材を通して見つめた大自然と、 そこに生きる先住民の方たちの視点。その深い思索の息吹と写真の中の 動物たちの力強く優しい鼓動が見事に調和した傑出した写真文集であり 文字どおりの名著である。多くの方にこの息吹と鼓動を感じていただける ことを願っている。それは私たち地球に生きるすべてのものへの賛歌であ り未来という世界へのメッセージでもある。 あらゆる生命は同じ場所にとどまってはいない人も、カリブーも、星さえも、 人は、なぜ自然に目を向けるのだろう。アラスカの原野を歩く一頭のグリ |
「旅をする木」 星野道夫著 文春文庫 この深い沈黙から発せられた言葉は何処から来るのだろう。星野氏の 狩猟生活が内包する偶然性が人間に培うある種の精神世界がある。
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「イニュニック(生命)」 アラスカの原野を旅する 星野道夫著 新潮文庫 アラスカのベーリング海峡やその大自然の前で、そしてそこに生きる多く の生き物や人間から多くのことを教えられ気づかされていく著者。現代 文明をもってしても、このあまりに厳しい風土の地は人間の行く手を遮る。 カリブーの大移動などアラスカの野生の動物写真を数多く撮影し、そこに 生きる人々との心の交流を通して星野氏は自らの存在の意味を探ろうと している。前に紹介した「森と氷河と鯨」と重複しているところもあるが、 大自然と人間の関わりを考察した生命の記録である。 「心に響く言葉」1998.10/23を参照されたし |
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「長い旅の途上」 最後のメッセージ 星野道夫著 文藝春秋 本書は星野道夫氏の遺稿集として編集されたものであるが、既発表で 星野道夫は広大な氷河の上にひとり立って、宇宙が語りかけてくること |
「内なる島 ワタリガラスの贈りもの」 リチャード・ネルソン著 星川淳訳 星野道夫写真 めるくまーる 1991年 ジョン・バロウズ賞受賞作 「敬愛する友人の作家、リチャード・ネルソン(中略)のもつ自然観に |
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「インディアン・スタイル」 ワールド・ムック 900)」 今井 今朝春 編纂 目次 アメリカ・インディアン博物館にみるインディアン・スタイル 河村喜代子 アメリカ・インディアンの現在〔Q&A〕 編集部 インディアン・コスチューム 中村省三 ジョージ・カトリンの贈り物〈インディアンの美しさを最初に伝えた画家〉 香山和子 インディアンのサイン言語 編集部 強く生きるサンダンスのペイント 編集部 アメリカ・インディアン部族別コスチューム 香山茂子 仮面に表現された精神性と創造力 編集部 インディアン・ファッション 編集部 アパッチ族の肖像〈戦士・少女・シャーマン・ダンサー〉 編集部 パウワウで出会った美しくスピリチュアルな人々 編集部 コマーシャル・アートに登場したインディアンたち 編集部 西部劇とアメリカ・インディアン 菊月俊之 |
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「蛇儀礼」 北アメリカ、プエブロ・インディアン居住地域からのイメージ アビ・ヴァールブルク著 加藤哲弘訳 ありな書房 この文献には特異な面が二つある。一つはインディアンへの偏見が まだ根強い時代、1923年に行なわれた講演であること。もう一つは 著者自身が精神的に不安定な統合失調症の時期に、彼自身が入院 している療養所で行なわれたことである。インディアンの偏見に満ちて いた時代、彼の視点は蛇の図像への考察にも見られるように、彼ら インディアンが持つ世界への接近を西洋のそれと対比させながら展開 させている。しかしそれは彼の内面を考慮に入れなければ正しく読む ことは出来ないものだろう。尚、蛇へのインディアンと西洋の視点の違 いに関しては、違った角度からの文献「蛇と十字架」東西の風土と宗教 がある。 ヴァールブルク自らが現地で写真に収めたアメリカ先住民たちの |
「蛇と太陽とコロンブス」 アメリカインディアンに学ぶ脱近代 北澤方邦著 農文協 本書は著者の三回目のホピ族との出会いを綴ったものであるが、著者 の幅広い見識と鋭い観察力、ならびに現代文明の限界を見据えた視点で アメリカ・インディアンの精神世界並びに日本を含む環太平洋文化に迫った 好著である。またホピ族の伝統的な儀式(スネーク・ダンス、バタフライ・ ダンスなど)や他の部族の儀式の様子を克明に記録している数少ない文献 の一つである。著者とその妻、青木やよいは多くのホピ族に関する文献を 出版しており、「ホピの聖地へ」「ホピの国へ」「ホピ・精霊たちの大地」がある。 |
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「ホピの聖地へ」 知られざる「インディアンの国」 北沢方邦 著 東京書籍 二十五年もの間アメリカ・インディアンの文化に引き付けられてきた人類 学者である著者が、合衆国南西部インディアンの各地を訪ねた旅を記した ものである。インディアンの文化に対して深い造詣を持ち、彼らの宇宙観に 共鳴した著者が豊富なカラーの写真や絵を通して、インディアンの精神文化 に迫るもので、サンタフェ、グランドキャニオン、ナバホ、ホピなどが紹介され ている。著者は他にも「蛇と太陽とコロンブス」という興味深い文献をも書い ておられるが、著者の妻である青木やよひ女史も同じくインディアン(特にホピ 族)に関する著作(「ホピの国へ」「ホピ・精霊たちの大地」)を世に出している。 創造主がマサウを通して語った預言と教示をまとめた「テククワ・イカチ」 |
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「ホピ的感覚」 預言された「浄化の日」のメッセージ 小原田泰久 著 KKベストセラーズ 「氣」の研究者として知られる帯津氏と中川氏と共にホピの聖地を訪ねる 旅にでた著者が改めて「ホピの預言」の重大性に気づく。私自身、以前から ガン治療に東洋医学の可能性を持って実践している(埼玉県川越市にある 帯津三敬病院)帯津氏に興味を持っていたが、この本の中でもそれが紹介 されており、また同じく「氣」でも外氣功で有名な中川氏の言葉も載せられて いる。そしてホピの伝統を多くの迫害に会いながら守り続けている一人の 長老 マーティン・ガスウィスーマ氏の日本人に宛てたメッセージも紹介され ている。アメリカ・インディアンと「氣」という奇妙に見える組み合わせも「氣の 場」の調和という点では相通じるものがあるかもしれないと感じられた。本書 に出て来る「ホピの預言・偉大なる浄化の日」という映画を制作中であった 宮田氏が倒れたが、一日も早い回復を願わずにはいられない。 帯津三敬氏は1936年生まれ東大医学部卒業後、東大第三外科医局長、 |
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「ホピ・精霊たちの台地」アメリカ・インディアンからのメッセージ 青木やよい著 PHP研究所 ホピ族の人々と長年にわたる交流をしてきた著者が語るホピ族の人々の 生き方。 |
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「ホピの国へ」アメリカインディアンに学ぶ 青木やよい著 廣済堂文庫 ナバホ族とホピ族との最初の出会いを語る。続編が「ホピ・精霊たちの台地」。 いや、そんな哲学的めいた論争すらもはや必要ではない。このままでは |
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「インディアン・カントリー心の紀行 スーザン・小山著 三一書房 アメリカに住む著者が、アメリカ西部大平原をさまよいながら見つけた 日本とインディアンの共通分母を探る旅を記した書。 インディアンが近代技術力を発展させなかったのは彼等が劣等で、それ |
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「風の知恵」 黒田征太郎・デニスバンクス著 毎日新聞社 画家・イラストレーターである黒田氏が、アメリカ・インディアン運動(AIM) |
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「アメリカ先住民を知るための62章」 阿部球理・編著 明石書店 (本書より引用) 本書の執筆者は歴史学者、社会学者、文学者など独自の専門分野をもちつつ、 アメリカ学会に集う研究者である。およそ10年前、非力ながら編者がアメリカ学会に 「先住民分科会」を組織したおり、集ってくれた方々が大半である。私は、アメリカで 活況を呈している「アメリカ・インディアン・スタディーズ」をモデルに、分野横断的な アメリカ先住民学の活発な議論が、学会で始まることを望んだ。それが日本における 「アメリカ先住民学」となって成長し、若手研究者が活躍する日が来ることを望んで いる。事実分科会では、合衆国の「アメリカ・インディアン・スタディーズ」の学位を 取得した少壮学者や、私が指導する3名の博士課程後期の院生たちが発表し、こと に院生たちは、その発表をもとに本書に寄稿することができた。こうした分野の広が りが、日本社会ではあまり知られていないインディアンへの理解を深める貢献になれ ば嬉しい。 (阿部球理) 先住民社会における、男性でもなければ女性でもないベルダーシュの存在は、 一体どのように捉えたらよいのであろうか。まず、彼らは「女々しい」や「男女」といっ た、からかいや嘲り、侮蔑の対象としてみなされたわけではなかった。異端視され、 社会の片隅で細々と暮らさなければならない人びとではなかった。ベルダーシュと は、先住民社会において、畏敬、あるいは部族によっては畏怖の念を抱く対象と された人びとであったのである。しかしながら同時に、先住民社会とは、男女のあり 方を性別による役割分業を明確化することで規定している社会でもある。ベルダー シュという、男性でもない女性でもない、どっちつかずの存在がなぜ先住民族たちの 間で許されたのかを、「二分法」と「相互補完性という先住民社会に共通の概念を 基に考えてみたい。 (石井泉美) |
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「インディアンという生き方」 夢にかよう魂 リチャード・アードス著 仙波喜代子訳 グリーンアロー出版社 アメリカ・インディアンの精神文化を最もよく知る白人の一人である著者 |
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「はるかなるオクラホマ」 ネイティブ・アメリカン・カイオワ族の物語と生活 高橋順一著 はる書房 20年前に文化人類学を学ぶ学生だった著者が、カイオワ族の文化と カイオワはその出身が謎に包まれた民族である。・・・・かつて私はこの |
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「アメリカ・インディアンの世界」生活と知恵 マーガレット・フイート著 スチュアート・ヘンリ監修 熊崎保訳 雄山閣 この文献は1967年に出版されたもので、グレート・ベイスンに住む |
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「北米インディアン生活術」 自然と共生する生き方を学ぶ 横須賀孝弘著 グリーンアロー出版社 この本のパート1では、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」など西部劇でおな |
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「アメリカ・インディアンの生活」 カラーイラスト 世界の生活史 32 フィリップ・ジャカン著 フランソワ・ダボ イラスト 福井芳男・木村尚三郎 監訳 東京書籍 アメリカ・インディアンの生活全般を豊富なカラーイラストで紹介している 本で、著者は「アメリカ・インディアン 奪われた大地」の書籍でも知られて いるが、他の文献の記述と照らし合わせて見た時、事実誤認やある特定 の部族の習慣を全てのインディアンに適用している点など疑問が多く残る 書籍であると感じている。確かに著者のジャカンはインディアンの歴史に おいては詳しいが、インディアンの生活や精神世界の領域に関して言えば、 それほど精通しているとは言い難い。勿論私自身インディアンに関しては 専門家でもないのでこの判断は見識のある方にお任せしなければならな いと思っている。 |
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「自然のこえ 命のかたち カナダ先住民の生みだす美」 国立民俗学博物館 編 昭和堂 カナダ先住民と言ってもオジブワ、モホーク、イロコイ、ヒューロン族など アメリカ国境をまたがっている部族も存在するが、本書は主に北西海岸 (ハイダ、トリンギット)と極北(イヌイット)の先住民の芸術品を紹介している。 芸術品と言ってもただ単なる羅列に終わることなく、その意味、そして過去 から現代までの歴史を踏まえながら紹介しており、一つ一つの芸術品に刻 まれた彫刻や文様を通して彼らの精神文化の一端を知ることができる。 この文献は2009年9月から12月に大阪・国立民族学博物館にて開催さ れた特別展にて出品されたもので、カナダ文明博物館からも多くの出品が なされている。 とくに、後半部では、対照的ともいえるイヌイット文化と北西海岸先住民 文化の違いを示すとともに、それらに共通する人間と動物の関係など世界 観を紹介する。カナダの先住民社会では、人間と動物の関係はたんなる 「捕る・捕えられる」という関係ではなく、人間は捕獲した動物の霊魂に敬意 を表し、適切な儀礼をおこなうことによって、動物を再生させる役割を担って いる。すなわち人間と動物の関係は生・・・・死・・・・再生という循環にもとづく 互酬的な関係である。 また、多くの先住民は、すべての動物には霊魂が宿っており、その霊魂は 人間のものと同じであると考えている。したがって、人間はクマやカリブー (トナカイ)の姿に変身できるし、その逆も起こりうる。人間も動物も同様に 家族をもち、カリブーも家に帰れば毛皮を脱ぎ、人間と同じ姿で生活を送っ ていると考えられている。つまり、人間と動物(広義の自然)は別々の存在 ではなく、一体化した存在でありつ言い換えることができる。したがって、 人間が動物(自然)を無意味に傷つけることは、人間自身を損なうことでも ある。 これらの考え方は、イヌイットや北西海岸先住民の神話や昔話、アート作品 の間において広範に認められる。それは、すべての生命や自然を尊ぶ共生 の思想であり、グローバル化が進み、技術が発達した現代社会では等閑視 されがちな考えであろう。カナダ先住民文化の展示および本書が、今一度、 人間と自然の共生のあり方を再考していただく契機となることを願っている。 (本書より引用) |
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「老女の聖なる贈りもの」 プリシラ・コーガン著 ハーディング・祥子訳 めるくまーる この本の著者のプリシラ・コーガンは、スー族のメディスンに精通して |
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「糸ごよみ」 1800年代、二人のヤカマ・インディアン女性の記録 ポール・ブロック著 だいこくかずえ訳 葉っぱの坑夫 「糸ごよみ」は著者ブルックのヤカマ・インディアン文化への長年の調査・ 研究から生まれた作品です。ブルックが合衆国森林保護局のナチュラリスト としてワシントン州で働いていたとき、ヤカマの文化について直接見聞きし たことをもとにしています。ブルックの作品は「ロッキーマウンテン・レビュー」 「フライウェイ」「マグマ」などアメリカ、イギリス、アイルランドなどの多くの詩 の雑誌で発表されています。一人の人間の自我が自然界と結ばれることの 大切さを表わした作品が多く、それはまた昔のアメリカ・インディアン女性た ちの物語ともかさなります。ポール・ブルックは現在アイオワ州エイムズに妻 のコーリーと住み、大学で英語を教えるあい間に、ウォーター・ガーデニング やバード・ウォッチングを楽しむ日々をおくっています。地方で田舎暮らしを するのがなにより好きで、アイオワのこの静かな土地を愛しているそうです。 (本書 著者について より引用) |
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「アメリカ・インディアンはうたう」 金関寿夫 文・訳詩 堀内誠一 絵 福音館書店 小学中級からの子ども向けに書かれた本で、読みやすいようにイラストが 多く、漢字には振り仮名がついている。インディアンって何?と問う子どもたち にとって、本書はその全体像を理解し、親しんでもらうには最適の文献かも 知れない。金関寿夫さんがいろいろな文献からまとめたものが本書である。 本書 より引用 |
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「シャーマンの環」 過去、現在、未来が溶け合う聖なる知識 ナンシー・ウッド著 フランク・ハウエル絵 井上篤夫訳 講談社 わたしたちインディアンでない者たちのほとんどは季節の魔術、大地の |
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「メディスン・ホィール」 サン・ベア&ワブン著 小林加奈子訳 VOICE 自然界の精霊達に耳を傾け、それぞれの持つヒーリング(治癒)効果、 |
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「プレアデスの知恵」 チェロキーインディアンからのメッセージ 薗田 綾著 総合法令 ホーク・フー・ハンツ・ウォーキング(歩きながら狩りをする鷹)の知恵・預言・ 癒しの教えを、著者が忠実に紹介している。彼の慈愛に満ちた言葉が心に叫 びとして残り、聖なる芳香に包まれる。傲慢な人間が繰り広げる、母なる地球 への、そして大地に共に立つ生命への殺戮・暴力。まさにホーク・フー・ハンツ・ ウォーキングの言葉はこの苦しんでいる地球と、そこに生きるすべての生命の 声の代弁である。この彼が日本の人々に送った「未来へのメッセージ」をお読 み下さい。 雑記帳「魅せられたもの」1997.5/4「プレアデスの智恵」を参照されたし 雑記帳「魅せられたもの」1998.4/20「父は空、母は大地」を参照されたし 天空の果実・「インディアンに語り継がれてきたプレアデスの伝説」 |
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「インディアンの愛」 メディスン・ストーリー 著 大坪奈保美訳 地湧社 インディアンに伝わる伝説・英知を交ぜながら、著者の個人的体験の言葉・ 「愛」・が優しく心に響く。「愛とは、美と同じ霊源から湧いてくる感情」で在ると 共に「愛とは聖なる輪の意味である」、そしてこれらの教えは「自然を見つめれ ば、誰にでもわかる」ことと断言しています。著者はナブスコセット族のメディスン マン・ストーリーテラーとして世界中でセミナー活動を行い、無報酬で刑務所を 回りつづけています。 |
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「パウワウ」 アメリカン・インディアンの世界 写真・文 菊地東太 新潮社 アメリカ先住民のパウワウ、住居、食、ヒーリング、自然と人間について豊富 |
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「ドリームキャッチャー」 アメリカインディアンのアートを楽しむ ファッション・メモ特別編集 ワールド・ムック263 ワールドフォトプレス ドリームキャッチャー、メディスンバックなどに込められた伝説と意味、そし |
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「インディアン・クラフト・ブック」 ワールド・ムック281 ワールドフォトプレス インディアン芸術あるいはインディアン・クラフトは多岐にわたっている。 |
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「トラッカー」 インディアンの聖なるサバイバル術 トム・ブラウン・ジュニア著 斎藤宗美訳 徳間書店 自らの生涯を、あるべき未来を築くため、そして平和の道具として貫き |
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「アメリカ・インディアンに学ぶ子育ての原点」 エベリン・ウォルフソン著 ウイリアム・サウツ・ボック画 北山耕平訳 アスペクト 私たちは、この世界を、そしてこの地球の未来を荷う子どもたちが、今 深刻な悲鳴をあげ、社会自体もどのような対応をしていいのか全く読め ない時代に生きているのかも知れない。きっとこんな時は、原点に立ち 戻って考えることが最善の方策なのかも知れないと、この文献を読みな がら強く感じてならなかった。それも勇敢でありながら、慈悲の心を兼ね ていたインディアンたちがどのような子育てをしていたのかを知ることは、 問題解決の足がかりを与えてくれるだろうと思う。それはまた私たちも 遥か遠い昔に同じ視点で生きてきた記憶を呼び覚ますことにもつながっ ていくのかも知れない。 この本では、インディアンの子どもたちが赤ん坊のときにどのように |
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「子どもの神秘生活」 生と死、神・宇宙をめぐる証言 ロバート・コールズ著 桜内篤子訳 工作舎 ピューリッツァー賞受賞の児童心理学者による世界の子どもたちの心 のフィールドワーク。ホピの少女、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の 少年少女、そして信仰をもたない子どもたちは・・(帯文) 子どもが霊的な問題をどのようにとらえているのかを探る今回のプロ ジェクトで、このようなやりとりが、大きな意味をもった。われわれは、 特定の宗教を信じ、その習慣を守っている子どもたちから話を聞くと 同時に、教会やモスクやシナゴーグで教えられなくとも、神や超自然的 なもの、人生の究極の意味、物事の聖なる部分に興味を抱いている 子どもたちの意見も聞いた。その中には、不可知論者や無神論者の 息子や娘もいたし、信仰篤い家庭で育ちながらも、家族の宗旨にそぐ わないような超自然的な疑問を抱いている子もいた。そのような子の 考えは、多くの場合、私の息子が日曜学校の先生から学びとったもの に近かった。彼らは、組織された宗教を厳しく批判する。一方で、洞察 力に富む考えを表明した。大人の場合と同じように、子どもの道徳観と 宗教観も重なる部分がある。教会へも行かず、宗教的な教育にも無縁 な子どもの多くにおいても、宗教的体験と霊的体験が重なる部分がある。 ボストン郊外に住む12歳のある少女はこう言っていた。「神様はだれな のかって考えるの。大昔の人がつくりあげただけの人なのか、もし本当 にいるなら、わたしたちにどういう人間になってほしいと思っているかと か。」 本書で強調したいのは、子どもたちが特定の宗教をどのように 信じ、その教えをどのように守っているかではない。むしろ、子どもたち がその霊的な世界を見せる瞬間を示したい。非常に俗っぽい面を見せ たかと思うと、次の瞬間、神とか魂について深く考えることができる子ど もの姿を見せてほしいのである。(本書・序 より引用) |
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「今日は、死ぬにはいい日だ。」 元気になれる、7つのルール。 作 木戸寛行 画 華丸 小学館 過労死寸前まで追い詰められた著者が、インディアンの言葉に出会 |
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「ナバホへの旅 たましいの風景」 アメリカ先住民 癒しの文化の深層 河合隼雄著 朝日新聞社 臨床心理学やユング心理学で著名な河合隼雄氏による文献で、神話が 「古代人の神話は、彼らを彼らの世界によりよく適応させてくれる方策で |
「ナバホの大地へ」 文・写真 ぬくみちほ 理論社 ナバホに何回も逗留した著者による体験記で、素直で飾らない文体は彼ら ナバホ族も私たちと同じように、今この空の下に生きていることを感じさせてく れる。ぬくみさんの著作は他に「ナバホの人たちに聞く」「うさぎあそびうた」 「カラスとよる」「ホワイトサンズ 白い風 白い時」があり、訳書として「俺の心 は大地とひとつだ」、「ナバホ・タブー」、「クレイジー・ホース」がある。 私は何に急いでいたのだろう。ゆっくりと通りすぎる景色のなか、アメリカへ |
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「セドナ 奇跡の大地へ」 桐野伴秋・写真 NANA・文 講談社 「アリゾナの宝石」ともいわれ、雄大な赤い岩山に囲まれた町セドナ。古来 よりネイティブ・アメリカンの聖地であり、近年はスピリチュアルなパワー・ スポットとして注目を集める憧れの場所です。大地のエネルギーを感じる 「ヴォルテックス」の景観や「レッドロック・フィーバー」の魔法を独自の表現で 描き撮った写真家のベストショットとセドナ在住のアーティストが紡ぎだす惑星・ 地球への賛歌!(本書・帯文より引用) |
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「コヨーテは赤い月に吠える」 本間正樹著 文芸春秋 ナバホ・インディアンと共に暮らした著者が語る素朴なインディアンの素顔。 |
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「聖なる旅の教え」 エリコ・ロウ著 扶桑社 エンヤという私の好きな歌手はアイルランド生まれですが、その大地の 波長をそのまま音楽にした旋律は、ケルト文化を漂わせていると言います。 このケルト文化を知りたかった私が偶然出会った本です。
第二章 ケルトの叡智 神族と妖精の王国 季節と生命の巡り 魔女の跳ぶ丘 第三章 ネイティブ・アメリカンの教え 風神の息吹き 地母神の鼓動 水の清め |
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「メディスン・カード」 ジェイミー・サムズ & ディビッド・カーソン著 小林加奈子訳 VOICE ふたりが長い年月かけて人間の教師たちと動物王国の住人たちから学んだ メディスンの教えを、集合意識全体のために公表すべきだと私たちは感じた。 教師の氏族であるウルフ・ファミリーの精神にのっとり私たちが選択したのは、 誰もがアニマル・メディスンの助けを借りながら、独自の道を発見できる道具を 提供することだった。 アニマル・メディスンの教えは各部族で多少異なる。従って本書で紹介するのは そのごく一部、つまり、地上の全存在とひとつになる道を探求する者の参考とな るアニマル・メディスンの側面にすぎない。教えは自然を通して来る。そして生命 あるものはすべて、再び自然へと帰る。全創造物はそれぞれが、聖なるメディス ン・ホイールの中に欠けがえのない位置と役目を占める。 (中略) 私たちのビジョンは、「母なる大地の上で調和を持って歩く」意味を楽しみながら 理解するための架け橋となることだ。著者ふたりのパワー・アニマル(守護動物) も夢を通して私たちに語りかけ、「全生命は神聖である」という認識を世界に広め、 各生命が学ぶべきレッスンを知る助けをせよと私たちに求めた。 本書を作成する過程自体が偉大なメディスンの教えであり、喜びに満ちた旅でも あった。これは四本足の生き物と、地を這う生き物と、ヒレある生き物と、翼ある 生き物から人間に送られた無償の贈り物(give-away)である。この無償の贈り物 が、触れる人すべての人生を豊かにし、ともに旅する仲間が私たちの愛を感じて くれることを祈る (本書より引用) |
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「ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ」 北山耕平 著 太田出版 北山さんが探し続けている日本人いや縄文人としてのルーツ、その想いが この本に書かれています。この本の中で失われた物語という言葉を使ってい ますが、ユング心理学者の河合隼雄さんも「失われた神話」という言葉を使っ てルーツを取り戻すことの必要性を説いています。ただ感じたのですが、私が 幼少のころ育った奄美大島とか沖縄、そしてアイヌの人たちが持っていた視点 はインディアンと同じものだということも忘れてほしくないとは思います。縄文時 代に遡るまでもなく、先住民族が共有していた視点は今でもこれら日本の地に 受け継がれていると思うからです。しかし北山さんの言うように近代文明によっ て着実にそれらの目が滅ぼされようとしているのも事実だと思います。その意味 で「自分は何者であるか」という北山さんの問いかけを、自分自身も含めて問い 直す時期にきていると感じさせられました。 わたしたちは「アメリカ・インディアン」になることはできない。だが、日本およ |
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「アメリカインディアン 聖なる言葉」 ロバート・ブラックウルフ・ジョーンズ+ジーナ・ジョーンズ著 加藤諦三 訳・解説 この本には悩みや苦しみに対処する時の考え方が書かれている。それは ネイティブ・アメリカンの生きる知恵である。人間は、嬉しさいっぱいだけでは、 生きてはいけない。それが生きることの原点である。生きていくうえで寂しさ や苦しみはいつもつきまとう。でも、苦しさも、寂しさも、生きている証なので ある。不安、苦しさ、寂しさなどを抱え込んでごらんと、ネイティブ・アメリカン は言っている。生きていくうえで嫌なことは誰にでもたくさんある。「嫌だなぁー」 と思うことは誰にでもある。しかし、それも生きている証である。苦しみも、悩み も、背負わなくては人は生きていけない。月のやすらぎがなければ、太陽のよ さも分からない。太陽がギラギラと輝いて暑いなと感じる人もいる。それはその 人の心が決める。この本に書かれている詩は断片的なことのように思えるが、 多くの詩が一つにつながっている。つまり、悩んだ時には止まれ、と言っている。 このような本を急いでどんどん読み進めることはない。一日に一頁でもいい、 味わって読むことである。本書「この本を手にとったあなたへ」 訳者まえがき より引用 |
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「続アメリカインディアンの教え」 あなたの幸せがここにある 加藤諦三著 にっぽん放送出版 ラジオ放送を通して大きな反響があった「アメリカインディアンの教え」の続編。 「白人はインディアンから何を学ぶか」ジョージ・オートン・ジェームス著の考え方 を基にして加藤氏が自分の言葉で書いたものです。ただ現在のインディアンは 加藤氏が言うように心身ともに健康とは言える状況にはないと思います。元々 の文献「白人はインディアンから何を学ぶか」は100年前に書かれた本であり、 現在インディアンは心身ともに病を持った方が多いと聞きます。心の問題として は、自己基盤の喪失によるアルコール中毒や子供への虐待、自殺の多さがあり、 身体の問題として肥満などが社会問題化しています。加藤氏が想定しているの は今から100年前のインディアン像であることを先ず押さえる必要があるかと思 います。 本書 はしがき より抜粋引用いつも自分のことを嘆き悲しんでいる人に必要 |
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「ココペリの旅」 アメリカ南西部パワースポットを巡る 山下マヌー著 幸せと成功、出会いを運ぶ精霊「ココペリ」がネイティブアメリカンの生き方 を解き明かす。◎毎日が新しい人生のはじまり。先のことを考えるのは意味 のないこと。◎自分を愛することを毎日練習する。自分を愛せないのなら、 誰からも愛されることはない。◎別れても失うのではなく、違う方向に進むだ けである。彼らの言葉はしあわせの鍵、明日を強く生きるヒント (本書 帯文より引用) |
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未読の文献
各文献の前のをクリックすると表紙・目次並びに引用文が出ます。
「逃亡者のふり ネイティブ・アメリカンの存在と不在の光景」 ジェラルド・ヴィゼナー 著 大島由起子 訳 開文社出版 白人と先住民。この両者には相対立する面があったものの、まだ論じ尽くされてい ない相互浸透もあれば相互転化もあった。ヴィゼナーは、真の先住民(彼の表現で は「ネイティヴ」と、偽の、つまり白人に都合のよういように構築された先住民(彼の 表現では「インディアン」)とを峻別する。彼に従えば、インディアンは文化人類学、 民俗学などにさんざん利用されてきた。インディアンはネイティヴの不在を模倣する。 白人は、自分たちが合衆国で主役を演じ続けるためにネイティヴを抹殺し、替わりに インディアンという自分たちに都合のよい先住民像を捏造した。 真の先住の民であるネイティヴは、逃亡者のふりをして潜伏するしかなかったという のだ。初めは意図的な潜伏であっても、幾世代を経て、都会で単独で生きる混血が すでに1980年には全先住民人口の半分を超えるうちに、白人の価値観を内面化し ていきインディアン化してしまう先住民も出ている。もう自分な何を失い、何を取り戻す べきか分からなくなった者も増えた。自身が都市部の混血であるヴィゼナーはそうした 切迫感を持って書いている。 (本書 訳者後書き より引用) |
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「オローニの日々」 サンフランシスコ先住民のくらしと足跡 冨岡多恵子訳 マルコム・マーゴリン著 マイケル・ハーニー絵 スタジオ・リーフ さらにオローニの研究を続けていくうちに、その生活のある面が不思議と馴染み 深いものであることにさらに驚いた。自然環境と(搾取する関係ではなく)バランスの よい関係を保ち、競争ではなく分かち合うということに基本を置いた経済構造。家族 や共同体を大切にし中庸と抑制をよしとする社会。広く芸術的な創造性を発揮する 機会。抑圧せずひとのためにある統治。精神世界に対する深い理解。これこそまさ に、今、私たちの多くが私たち自身の文化の中で達成しようと必死で努力しているこ とではないか。皮肉なことにそのような理想が実現するのを心待ちにして、はっきりと 見えない未来にばかり目を向けているうちに、そのような世界があまり遠くない過去に、 オローニばかりでなく世界中の石器時代のひとびとによって達成されていたことが見え なくなるのだ。 (本書 あとがき より抜粋引用) |
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「アメリカ先住民の宗教」 P・R・ハーツ著 西本あづさ訳 青土社 アメリカ先住民の宗教は、いわゆる「体系化された」宗教とは、いくつかの点で異なる。 彼らの宗教は「組織的」ではないのだ。つまり、教会の建物もなければ、階層制度もなく、 組織体そのものもない。確かに、一部の部族に伝わる物語の中で、部族の有名な人物 の行為が回想されることはある。だが、ほとんどのアメリカ先住民の宗教は、例えば、 モーセ、イエス、アラー、釈迦のような歴史上の中心人物には依存していないし、キリスト 教の磔刑や仏陀の悟りのような特定の歴史上の出来事とも結びついていない。伝統的 なアメリカ先住民の文化は常に口承で、大切なことがらは人々の口から口へ語り継がれ てきた。信者が固く守らなければならない成文化された信条も道徳律も規則も存在しない。 例えば聖書やコーランのような聖典もない。多くの点で、アメリカ先住民が精霊と交わる 精神世界は、神道や道教のような民間信仰にルーツをもつ宗教と類似している。しかし、 文字に書かれた信条がないということが、行動規範や倫理的価値基準がないということ を意味しているわけではない。倫理的に正しくあるべき生き方をするための厳格なルール が、すべてのアメリカ先住民の文化を支配している。部族のメンバーは、手本となる実例 を見ることでそのルールを学ぶ。つまり、そうした行動を規定する原理は、公式な教育の 中で習得されるのではなく、幼少期から内面に刻み込まれて彼らの生き方の一部と化す のである。 (本書 他の宗教との比較 より抜粋引用) |
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「クマとアメリカ・インディアンの暮らし」 デイビッド・ロックウェル著 小林正佳訳 どうぶつ社 動物たちは人間より先に創造され、そうした先住性や聖なる起源において、人間の 場合より遥かにグレイト・スピリット[創造神である偉大な精霊]に近かった。だからこそ、 人間は彼らを尊敬し、崇敬しなければならないのだ。彼らの中にインディアンは、 グレイト・スピリットのさまざまな特性の現実的な反映を見い出し、そうした反映を読み 取ることは、ほかの宗教の中で神の啓示による聖典が果たしたのと同じ機能を果た してきた。動物は神と人間を結ぶ媒介者であり、絆である。このことは、なぜ神々へ 向けての宗教的な祈りが動物を通してなされるのかだけではなく、グレイト・スピリット との接触、あるいはグレイト・スピリットからの接触が、なぜ、ほとんどすべて、動物や その他の自然の事物を含むヴィジョン[幻影や夢の形をとってもたらされる啓示]を通 してなされるのかを説明している。毎年秋の終わり、冬の到来を告げる大雪が降るの と同時にクマは姿を消す。彼らは、すべての命の源であり、すべての生き物がいつの 日か還らなければならない大地の中に潜り込む。それから半年、地底に横たわって 死んだように眠り、その間、外の世界も彼らとともに眠りにつく。春になって彼らは 目覚め、巣穴から新しい世界の中に姿を現わす。大地それ自身が生まれ変わった、 新しい世界の中に。デラウェア族のようないくつかの部族において、クマは直接大地 の春の甦りに結びつけられ、新年の儀式の中で祝われた。クマは、定期的に姿を消 しては再び出現する。そのことから、クリー族のような北方の狩猟部族は、クマを猟獣 の回復・復活と関連づけた。ほかの部族でも、治癒やイニシエーション儀式の中にクマ が組み込まれている。そうした伝統的治癒やイニシエーションは、基本的に更新の儀礼、 すなわち、死と再生の儀礼だったからである。からだの外見も生活の仕方も人間に 似ていたのと同じく、冬眠のゆえに、クマは、インディアンにとって重要な意味をもって いた。クマは毛皮をまとった人間であり、親戚だった。彼らは、大地が眠る時地下に 赴き、大地が目覚める時姿を現わす。 (本書 プロローグ より引用) |
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「アメリカ先住民のすまい」 L・H・モーガン著 古代社会研究会訳 上田篤監修 岩波文庫 『古代社会』は、それが上梓されて以来、モーガンの意図とは別に数奇な運命 をたどる。まずそれは、マルクスとエンゲルスの目にとまった。そしてマルクスは それに批評と注釈を加えた『古代社会ノート』を遺し、エンゲルスはモーガンの 『古代社会』を全編に引用して、のちに共産主義社会の原典となった「家族、 私有財産、および国家の起源』(岩波文庫既刊)という一書を書きあげる。こうし て『古代社会』はコミュニストたちの聖典となった。しかし、モーガン自身はまった くその気はなく、彼は死ぬまでアメリカの社会体制が人類社会の最高のものであ る、と信じて疑わなかったのである。しかし、彼の著書が社会主義者や共産主義 者たちのバイブルとなったために、逆にアメリカをはじめとする自由主義国では、 彼の著書は危険なものとみなされるようになった。さらに何人かの専門学者たちは、 その後、モーガンの理論体系の基礎となったアメリカ・インディアンの親族呼称の 研究について異議を唱え、これを葬り去ろうとした。 (本書 解説 より抜粋引用) |
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「インディアンの声を聞け」 ワールド・ムック266 ワールドフォトプレス キャッチ・ザ・ドリーム 絵・文 藤井“華丸”智裕 |
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「ヘヤー・インディアンとその世界」 原ひろ子著 平凡社 これらの大きな短所に対して、長所としては、私がヘヤー・インディアンの 「夢の世界」について「話のできる人」だとヘヤー・インディアンの人々が考え てくれるようになれたことであった。北アサバスカン亜族を研究している欧米 人の調査者でたった11ヶ月ほどの調査期間中に、「夢の世界」について聞 き取りのできた人は、ひじょうに少ない。長年にわたってくり返し同じ部族を 調査している研究者のなかには、「夢の世界」についての研究ができていた 人もあるが、ヘヤー・インディアンに関しては、今のところ私だけが、彼らの 文化の核心ともいえる「夢の世界」に迫ることができた。これは、私が木に も山にも水にも超自然の力が宿るとする日本人にとってのカミの世界に接し つつ育ったおかげかと思う。 (本書 私のヘヤー・インディアン調査の短所と長所 より抜粋引用) |
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「雨の匂いのする沙漠」 G・P・ナブハン著 小梨直訳 白水社 十年以上も前に書かれた本なのに、しかもアメリカ合衆国南西部の端の端の 乾燥地帯に暮らす、北米大陸の先住民としてはあまりとりあげられることもない 人々の話であるのに、なぜこれほどまでに、いまの私たちの心に訴えかけてくる ものがあるのか。「普遍性」----かたい表現ではあるけれども、それが本書の持 つ不思議な魅力と考えたときに、浮かんだ言葉だった。「オオカミと人間」(草思社) などの作品で知られるバリー・ホルスタン・ロペスも、「広く他の土地にあてはめて 考えることのできる重要な作品」と評している。(中略) 著者のゲイリー・ポール・ ナブハンは、このソノラ砂漠の植生と人々の暮らしを研究しつづけるうちに、トホノ・ オォトハム族と親しくなり、本書「雨の匂いのする砂漠」を著した。 (本書 訳者あとがき より引用) |
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「滅びゆくことばを追って」 インディアン文化への挽歌 青木晴夫著 岩波書店 ネイティブ・アメリカンの「消えゆくことば」の調査にアイダホ州ネズパース 保護地に赴いた若き日本人言語学者は、ネズパース族の人たちとの温か い交流を通して、ことばと共に失われゆく民族独自の文化を発見する。 アメリカ北西部の大自然を舞台に繰り広げられた心躍る出会いの日々。 1960年夏に始まるフィールドワークの瑞々しい記録。 (本書より引用) |
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「カナダ・インディアンの世界から」 煎本孝 作 福音館書店 真実とは、それを見る者にとっての真実でしかない。たとえば、わたしたちが第三者 として、あるひとつの世界を客観的に眺める時と、その世界に属しその中で物事を見 る時とでは、世界の真実の姿は異なった姿を取るにちがいない。わたしはこの本の中 で、カナダ・インディアンの世界を、その外側と内側というふたつの方向から描くことを 試みた。そのために、わたしは彼らの世界を対象として眺めることから始め、次に 対象への接近を経て、自己と対象との同一化・・・・この瞬間、今度は彼らの目で世界 を見ることになるのであるが・・・・を行なわなければならなかった。そこで、初めてわた しは客観的な世界とは異なるもうひとつの世界・・・・動物たちが語り、不死なる魂の 徘徊する世界・・・・を目のあたりにすることになる。ここで登場するカナダ・インディアン とは、アサパスカン語族に属するインディアンのことである。彼らは、アラスカ内陸部 からカナダ中央部にひろがる針葉樹林(タイガ)に住み、夏には川や湖での漁撈、冬 には凍土帯(ツンドラ)から季節移動してくるトナカイの狩猟を行なって、生活している 北方狩猟民である。わたしは、1973年、および1975年から1976年にかけて15ヶ 月間、彼らと生活を共にした。この本は、この調査に基づいて書かれた、カナダ・イン ディアンの民族学的調査記録であり、わたしの見た彼らの世界についてのエッセイで ある。 (本書 あとがき より抜粋引用) |
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「ユリイカ・特集アメリカ・インディアン」 コロンブス500年の光と影 1992年3月号 青土社 「森の中」 インディアンともういちど出会うために 伊藤比呂美 「インディアンの文化」 その衝撃 横須賀孝弘 「もうひとつの“新大陸発見”」 現代アメリカとネイティブ・マインド 北山耕平 「北米インディアン悲詩」 エドワード・カーティス写真集より 「アメリカ五百年祭」 キーワードは「発見」よりも「出会い」 迫村裕子 「マリアの消えた荒野」 メアリ・ホワイト・ローランドソンの捕囚体験記を読む 巽孝之 「ナバホ族の儀礼用砂絵」 生命ある聖なる絵 T・G・ピアス 高橋雄一郎訳 「アメリカ合衆国のインディアン音楽」 生き続ける伝統 B・ネトル 三井徹訳 「アメリカ・インディアンの現代詩」 金関寿夫 「境界を消す“死者の暦”」 荒このみ 「インディオの記録を読む」 ワマン・ポマの場合 染田秀藤 「コロンブスの墓」 迫村裕子 「双子であることの不可能性」 レヴィ=ストロースの新著「大山猫の物語」jから 渡辺公三 「大航海時代の意匠」 プルス・ウルトラとヘラクレスの柱 稲本健二 「“発見”された新大陸」 図版構成 「北米インディアンに関する邦語書籍」 横須賀孝弘 |
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「母なる大地の声」 アメリカ・サウスウェスト プエブロ・インディアンの美術 名古屋ボストン美術館 プエブロの美術は、2千年以上昔から現代まで脈々と培われてきた、アメリカ美術の なかで最も歴史のある美術のひとつです。今回の展覧会では、プエブロ土器を中心に 850年頃から現在までのプエブロ美術の流れをたどっています。土器に表される一つ 一つの形、色、そしてそれらが統合されて生まれる全体の構図は、その歴史において、 プエブロの人々が表現してきた生活と美的観念と信仰の表現です。出品作品は、先史 時代からのそういった伝統がしっかりと受け継がれ、現在も人々の中に息づいている ことをはっきり示しています。プエブロ美術を鑑賞するうえで重要なことは、プエブロ社会 における美術の役割です。基本的に作品は作家個人の表現としてよりも共同体の思想 を伝えるために創られてきました。そのことは土器だけでなく、バスケット、ジュエリーなど 形態は変わっても同じであり、作品に表現されるテーマは共通しています。それは、雨乞 いと豊穣の祈りという、人間の生存に関わる最も根源的かつ大きなテーマであり、抽象的・ 具象的文様を使って洗練された形で表現されています。さらに、展覧会のテーマのひとつ であり、強調したい点は、プエブロ美術をかたちづくられる背景です。プエブロ美術とは、 自らの存在を自然の一部としてとらえ、自然を変えるのではなく受け入れることを信条とす る人々が創り出してきたものであり、人々は自然から採れる材料でつくられる土器が単な る実用具や美術品ではなく、それ自体に魂が宿る存在と考えていることです。日本人もか つては、万物に精神性を感じ、自然を崇めかつ恐れ、自然を対象にした季節の儀式を大切 に繰り返してきました。しかし、いつの頃からか、人々の考えは、自然を支配するものという ように変わっていきました。21世紀を目前にした今、プエブロに代表されるアメリカ・インデ ィアンの思想が新たに評価されています。先祖の残した教えを大切にし、自然のサイクル のなかで逆らうことなく生きるインディアンの自然観・世界観は、過去を振返ることもなくあわ ただしい日々を過ごす現代のわれわれに問いを投げかけます。 本書・あとがき(名古屋ボストン美術館 坂本伸子)より引用 |
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「民族の仮面」 アフリカ、メラネシア、北米インディアン、エスキモー 桐島敬子著 岩崎美術社 更に、北アフリカのアルジェリア東部、タッシリ・ナジェールで、1956年フランス人 アンリ・ロートは、仮面をつけた黒人が踊っている先史岩壁画を発見した。この人物 のつけている仮面は、現在もアフリカのコート・ディヴォアール北西部の、森林地帯に 住むセヌフオ族の使っている仮面と同じである。これらの例に示されるように、人間は、 強力で影響力のある超自然の力を持つ被創造物として描かれている。それはギデオン によれば、人間の超自然と直接関係をもとうとする必然性から生まれる「宗教的衝動」 に具体的形を与えようとした努力の結果である。そして呪術的起源から発した仮面の 用途は、祭儀だけでなく、戦、劇、裁判、政治、或いは死者につける仮面へと多様化し ていった。更にミルセア・エリアーデによれば、旧石器時代の宗教的呪術は、シベリア のシャーマン及び猟民文化の世界に広く受けつがれた。つまりアフリカ、メラネシア及び シベリアのシャーマニズムと最も深い関係をもつエスキモー及び北アメリカ原住民の 文化に、特に仮面が発達したのは、これらの文化圏に於ける生活の基盤となっている 狩猟、漁猟と切り離して考えられないのである。シベリアのシャーマンは厳密な意味で の仮面を持たず、顔に炭を塗るとか布を被って顔を隠した。反対に衣装は複雑な象徴 的意味をもつ無数の小道具のぶら下がった特異なもので、エスキモーでは仮面が霊界 を旅し、シャーマンの欲する創造物になる道具として使われるのと同様の働きをした。 いずれにしても仮面は意識化の世界を扱い、仮面をつけることにより、外見上の姿を 変えようとする素朴な願いを具体化すると同時に、仮面自体の表現するもうひとつの 自己を超越した祖先あるいは神話の人物になることが出来、現在という時から自由に 過去、未来への飛躍を試みるのである。 (本書より抜粋引用) |
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「北西海岸インディアンの美術と文化」 D. キュー&P.E. ゴッダード著 菊池徹夫・益子待也 訳 六興出版 問題は、北西海岸インディアンに関して数多くある本の中からどれを底本として選ぶか、 であった。我々はこれと思われる十数冊のなかからまず数冊を選びだした。内容的には いずれも優れたもので捨てがたいが、何よりも日本で出版するのに分量(ページ数)が 適当で、記述がなるべく彼らの文化全般にわたって平易に解説されていて、なおかつ 図版・写真の多いものということから、もともと博物館のガイドブックとして一般市民向け に書かれた本書が最後に残った。このことでもお分かりのように、我々はこの本を専門的 な研究書としてというよりは、日本の一般読者に北西海岸インディアン文化とはいったい どんなものかを、とりあえず知っていただくための、ごくごく初歩的な、いわば入門書の 一冊としてお読み下さればと願っているのである。 (本書 訳者あとがき 菊池徹夫 より抜粋引用 ) |
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「ホピ銀細工」 マーガレット・ライト著 岡山徹・監訳 仁井田重雄・訳 バベル・プレス 本や展示品からのホピのデザインが盗まれ、国外の至る所で模造品が作られて |
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「ロックアート 神話そしてイマジネーション」 栗津潔とN.A.R.A探検隊編 フィルムアート社 N.A.R.A探検隊は2000年、2001年、2002年と三度にわたり、ロックアート探検を敢行 した。私たち日本人と同じルーツを持つと言われるモンゴロイド=アメリカ先住民は 数万年前から連綿と連なる巨大な大地に生きてきた。ときには豊饒を享受し、ときに は飢餓に堪え、台地や渓谷を移動しながら彼等独自の文化体系をかたちづくっていた。 その移動の過程で台地に重要な図像を無数に残していった。それはきっと文字を持た なかった彼等にとって、仲間に、他者に、祖先の霊魂に、そして神に、ある具体的な情報、 あるいは言葉に置き換えられない魂を視覚的に伝達する試みの証だった。ロックアートは、 メッセージを持った太古から存在するメディアアートであり、現代のコマーシャルを中心に 成り立つ様々なメディアに囲まれた日常において、それらの図像たちは私たちに対し、 真のビジュアル・メッセージとは何かと訴えかけてくるようだ。 (本書・はじめに 古代人の想像力を追って より抜粋引用) |
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「大地の手のなかで」 アメリカ先住民文学 青山みゆき著 開文社出版 アメリカは、さまざまな人種や民族、階級、宗教、さらには性的傾向などを持った人びと が複雑にからみ合い、交錯する国である。そこでは、まさに多様な価値観と文化が共存し ている。これまで編まれてきたアメリカ文学史の多くは、圧倒的に白人男性が主要な位置 を占めていたが、本書は、これまでアメリカ文学史の周縁に位置していたマイノリティーの ひとつである、アメリカ先住民が主体となった文学史である。それも、日本ではじめての 本格的なアメリカ先住民文学史である。晩年の一時期をニューメキシコ州で暮らし、インデ ィアン文化に深い共感を示したD・H・ロレンスも含めて、これまでアメリカ先住民の文化に 傾倒した白人のアーティストや文化人は数多い。現代においても、西欧文明が象徴する テクノロジーの崇拝や合理主義、個人主義、父権制などへの反発を表現している詩人の ゲイリー・スナイダーやダイアン・ディ・プリマなどは、インディアン文化に深い関心を示して いる。また本文でも述べたが、ジェローム・ローゼンバーグなどによる英訳の先住民口承 詩選集「ガラガラを振りながら」は、一部が日本語に訳されているが、いまだに多くの読者 を魅了してやまない。 (本書 おわりに より抜粋引用) |
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「インディアンは手で話す」 ウィリアム・トムキンズ著 渡辺義彦 編著 径書房 しかし、「インディアンの手話」とはどういうことなのか。コロンブスの航海日誌をはじめ、 その後の白人の記録には、インディアンが身ぶりで話すという記述が随所に出てくる (トムキンズもその例を列挙している)。今から五百年近く前になるコロンブス到来の時点 で、すでにかなり発達していたようだから、「手話」と呼んでもいいだろう。では、なぜイン ディアンは手話で話したのだろうか。インディアンの部族の数は多く、その言葉も実に 多様で、隣り合った部族の言葉がまったく通じないということも珍しくなかったらしい。そこ で、異なった部族の間の共通語として手話が発達したというのが、定説のようである。 世界で初めてろう学校ができたのはフランスで、1755年のことである。ろう学校ができ るまではろうあ者はそれぞれ孤立して暮らしていたから、素朴な身ぶりはあっても、 「手話」と言える程発達した表現になることはなかったはずである。ろうあ者の手話の 歴史は、ろう学校の歴史と重なると言ってよい。だから、インディアンの手話の歴史は、 ろうあ者の手話の歴史よりはるかに長く、しかも聞こえる者が用いていたというところに 大きな特徴がある。「手話はろうあ者の言葉」だという私達の常識は、一挙にくつがえっ てしまうのである。 (本書 まえがき より抜粋引用) |
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「アメリカ・インディアン・HOWブック」 |
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「湖のそばで暮らす インディアンの友だちから教わったこと」 M.ウィルキンス著 蓮尾純子 東馨子 訳 筑摩書房 この本は、インディアンの友だちと過したユニークな子供時代から、成長するにつれて 身につけていった野外生活とクラフトの豊富な経験にもとづいて書かれたものです。語ら れている家族の思い出や、野外生活に適応するための微妙なレッスンは、今や忘れ去 られようとしている生まれた土地の自然と人間生活との密接な関係をあらためて思い起 こさせてくれます。松葉のバスケット、ガマの葉のマット、骨や貝がらの飾り、干し草人形、 かんたんな織機など30以上が紹介され、森、湖、野原からの贈りものでつくるクラフトの 楽しさとそこで暮らす喜びが、読者の方もきっと実感されるでしょう。 (本書より引用) |
「北米・平原先住民のライフスタイル」 関俊彦著 六一書房 1978から81年にかけ、カナダとアメリカで開催された「日本古代文化史」展の実行 委員の一人として、両国から招かれたさいに各地の博物館を見て回った。広い博物館 を見るにあたり、先住民関連のコーナーを主眼とし、これと関連する書籍を求めた。 たった三ヶ月余の日々だったが、撮った写真と買った本は量があり、その後の渡米の 分と合わせると愕然とした。帰国後、写真を見ながら辞書を片手に本を読み、メモを とった。20年もつづけると、これまたすごい枚数である。そこで、私のカナダ・アメリカ 考古紀行のつもりで、少しずつまとまると発表し、今日に至っている。ユネスコは1993 年を《国際先住民年》と定め、世界各国の先住民の理解と支援をとろ、21世紀をともに 生きようとよびかけた。カナダ、アメリカ、オーストラリア、日本などの多数の国々でキャ ンペーン活動がおこなわれ、たくさんの人々が関心を、そして支援が寄せられた。日本 はアイヌ民族をクローズアップしたが、一部の人たちを除き、時の流れとともに一時の 盛り上がりは薄れていった。私は30年余のあいだユネスコ活動に参加しているため、 自分なりに先住民を理解しようと考え、モンゴロイドの歴史と文化の調査を継続的に おこなっている。 (本書 エピローグ より抜粋引用) |
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「ラコタとナバホに恋をして」 塩浦信太郎・舟木卓也・ぬくみちほ 著 ぬくみちほ 写真 めるくまーる こうして、わたしたち三人のトークの旅は、アリゾナ州のフェニックスという街で最後の 夜を迎えた。デンバーから始まり、サウスダコタへ、そこからニューメキシコ州に飛び、 陸路でナバホ大地を走りむけてこの街に辿り着いた。向かった先々の景色を眺めては、 一世紀半前の原風景を想像しながら語り合った。わたしたちは、人生の旅の途中で ネイティブ・アメリカンに出遭った。好奇心と旅心から、その人たちが暮らす土地に惹か れ、もちまえの人なつっこさで根を下ろした場所に友情の輪を広げている。ときには ネイティブ・アメリカンの友人たちの代弁者になることも、喜びと感じている。今回のトーク で、部族の名前が国名のようには知られていないネイティブ・アメリカンのいくつかの部族 について紹介することができ、またそれぞれの部族の言葉や文化、友人たちの考え方、 彼らが大切にしている風土への思いなどを言葉にできたことを嬉しく思っている。 (本書 エピローグ ぬくみちほ より抜粋引用) |
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「風の民 ナバホ・インディアンの世界」 猪熊博行 著 社会評論社 1999年、準定年で退職した私は、翌年5月の末に日本を離れた。ニューメキシコ州最大 私は伝統工芸を通じてナバホの世界に憑かれ、カレッジで銀細工、ナバホ織り、バス 合理主義に徹し、近代文明の先端を走る唯一の国アメリカだが、その中でこういう生き |
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「ヤァッテ ナバホ」 アメリカ先住民と赤い大地にくらす日本人フォトグラファーの21年 河野謙児著 VIENT/現代書館 2001年7月、暗号部隊の「オリジナル29」に金の名誉勲章、11月には残りの老兵た ちに銀の名誉勲章が贈られた。じつに戦後56年目のことだ。2002年6月にはナバホ 暗号部隊を扱った映画「ウィンドウトーカーズ」がニコラス・ケイジ主演で封切られた。 この映画は多くのアメリカ人にナバホ暗号部隊を知らせてくれた。2003年3月、赤い 大地が真っ白におおわれたナバホの地で私はこのあとがきを書いている。私とルース が再びリザベーションにもどると多くのナバホたちに「ウェルカム・ホーム」と歓迎された。 そう言われるたびにナバホの大地が私の故郷なんだと思わざるえなかった。そして、 ナバホ暗号部隊の写真を改めて撮りはじめている。425人の部隊員はすでに4分の3 が他界している。老兵たちは少なくなりファインダー越しに彼らは老いていく。「ケンジ俺 たち暗号部隊が勲章をもらえたのはおまえの本のおかげだよ」。一人の老兵のこの思 いがけない一言が私の心に大きく響いた。私が最も好きな写真で感謝された。これから もナバホを撮りつづけるぞという勇気を与えてくれる一言だった。 (本書 あとがき より抜粋引用) |
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「バナナとりんご」 アメリカ・サウスダコタ体験記 デイ 多佳子著 五月書房 最近の映画「ダンス・ウィズ・ウルブスには、ラピッドシティから車で1時間走った ところにあるバッドランド国立公園のシーンがよく出てくる。延々と続くプレーリー (大草原)の中に突如、出現する「地上の月面風景」。今から7400万年前には、 サウスダコタは北米を縦断する内海だった。その後、大陸の隆起や火山の爆発、 気候の変化により、気が遠くなるような時間を経て、今日のような光景を作りあげ たという。そこはまた世界中にブームを巻き起こした映画「ジェラシック・パーク」の 世界----つまり恐竜の化石の宝庫でもある。都会の雑踏に、カラフルなさまざまな 民族文化のエネルギーを秘めたサンフランシスコから、大草原やインディアン、 そして恐竜で知られるサウスダコタへ。本書は、アメリカのハートランド(心臓部)と も呼ばれるサウスダコタでの、私のもう一つのアメリカ挑戦である。 (本書 まえがき より抜粋引用) |
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「インディアンカントリーの風に吹かれて」 大塚浩司著 ほおずき書籍 ベトナム戦争を境に、ハリウッド映画にも大きな転機が訪れる。アメリカンニュー シネマが描き出したアメリカインディアンは、かつての西部劇での悪者ではなく、 悲劇の歴史を背負い、現代に生き延びてきた誇り高い人々であると語っている。 世界各国で先住民に対する政策が見直されはじめ、「白人対アメリカインディアン」 というジャンルの西部劇は、「ダンス ウィズ ウルブス」「ラスト オブ モヒカン」そ してディズニーの「ポカホンタス」へとスタイルを変えていく。アメリカ西部開拓史や アメリカインディアンの歴史を、映画を交えて述べるのは決して正しい方法ではない。 しかし娯楽作品として作られたものではあるが、映画を通して歴史や文化の違いを 垣間見させることはできるはずだ。スクリーンいっぱいの荒野を、ウマにまたがり 疾走するアメリカインディアンに魅せられ、いつか僕も無限に広がる砂漠を、彼等 とともにウマで駆け巡りたいと願っていた。その気持ちは大人になり結婚し、3人の 子供を持ってさえも決して揺らぐことはなかった。だが実際問題として、アメリカイン ディアンに会うためにはどうすればいいのだろう。ツアーもなく、情報もなく、コネも なく、海外に行ったこともなく、ウマにも乗れず、語学力もなく、経済的なゆとりもな く・・。越えなければならないハードルはとても高かったが、夢は大きく膨らんでいった。 「ただの憧れや観光気分で彼らに会うのなら、付き合いは1回で終わるでしょう」 ナバホのメディスンマンを紹介してくれた女性は、僕と初めて会った日にきっぱりと 言いきった。夢は持つだけではなく語り続けるものだと、つくづく感じた34歳の夏の ことだった。その女性との出会いがきっかけで、僕は生まれて初めて飛行機に乗り、 小学校時代から憧れていたアメリカインディアンに会うために、アメリカへと旅立つ ことになる。 (本書 はじめに より抜粋引用) |
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「アメリカインディアン体験 自然と共に生きる知恵」 安達生恒著 人文書院 T部 先住民との出会い 西北部の田舎町・ルイストン グレーン・ラジールとの出会い 出自 祖母ベスの生涯 自然人・グレーン オクラホマへ 祭りの幕開け 太鼓、唄、そして踊り 憲法と行政組織 観光施設と芸能集団 進む階層分化 U部 部族の受難史 ポタワトミ族の交易と暮らし ポタワトミ族の伝承と神話 オクラホマへの「長い道」 ネッツパース族の昔の暮らし ネッツパース・タブロー 金鉱の発見 ネッツパース・ウォー 帰還、そしてジョセフの死 ラップウェイの保留地で 「インディアンとは誰か」 管理と支援体制 インディアン政策の流れ V部 権利回復の歩み アルカトラズ島占拠とウンデッド・ニーの闘い 漁業権回復と自然保護 クリントン大統領は? インディアンになった日本人 あとがき 引用文献 |
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「アメリカ南西部物語 こころの鼓動が聞こえる場所で」 高橋純著 海象社 でも、それだけならば、これほど足しげく南西部に通うことはなかったかもしれない。 さらにもう一つ、二つわけがある。一つは、ヒスパニックの文化である。南西部の自然、 インディアンの思考体系とその文化の上に折り重なり、混じり合った文化。南西部は、 コロンブス以来、長い間スペインの辺境であった。その後、メキシコ、そしてアメリカ 合衆国の一部になってきたのだが、ラテンの文化は、まるでかれらの好むチリソース、 サルサソースのように、この大地、先住民の文化を味つける。その意味では、そらに その後、大陸横断鉄道やルート66でやってきたアングロ文化。いわゆる「西部」の、 アメリカンな、ポップな文化は、南西部をさらに美しく見せるトッピングだ。鉱山開発、 ゴーストタウン、観光、西部劇、療養、リゾート、ニューエイジ、ヒッピー、自己の探求者。 そんなさまざまなトッピングが150年近くふりかけられてきたのが南西部だ。この、 南西部独特の文化の混じりあい、混沌ともいえる混じりあいを、ぼくはとても好きだ。 それは、南西部のめくるめく光と色に似ている。ぼくは、キャニオンの地層のように織 りなされた、あるいはキャニオンに吹きたまった、多色の砂のような南西部の文化を、 疾走する車の中で、台地の上で、キャニオンの底で、モーテルの一室で、居留地で、 サボテンの林の中で、石の渦の中で、踊りの輪の中で、感じるのだ。南西部の知恵を、 光と風の中で、土と石の上で、風のあとで、虹のもとで、コットンウッドの木陰で、学ぶ のだ。ある人がいった、南西部はぼくの「癒しの場」なのかどうかということには確信が もてないでいる。が、少なくとも南西部はそう感じている人が数多くいることは、確かな 事実である。南西部とは「自己を探すために訪れる場所」といったのは、誰だったか。 すくなくとも南西部は、ぼくの居留地にふさわしい。 (本書 はじめに より抜粋引用) |
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「イーグルに訊け」インディアンに学ぶ人生哲学 付録CD マリリン・ヤングバードさんの祈り 天外伺朗 衛藤信之著 飛鳥新社 (新しく出版された文庫版に付録CDが含まれているかは不明です) また本書では、たまたまのご縁でアメリカ・インディアンを取り上げましたが、同様な 思想・哲学は、アイヌをはじめとして、世界中のあらゆる先住民文化の中に見いだせ ます(拙著『宇宙の根っこにつながる人びと』サンマーク出版 参照)。つまり人類は、 産業革命以来エゴが暴走しやすい競争社会を出現させるとともに、それ以前の人類 社会が共通に持っていた、人間としてまともに生きる知恵を見失ったともいえるでしょう。 本書は、その中で「息せき切って走るのをやめて、立ち止まってちょっと考えようよ」と 提案しているのです。しかしながら、単に「昔の戻ろう」と言っているのではないので 誤解しないでください。高名なトランス・パーソナル心理学のケン・ウィルバー博士は、 壮大な人類の意識の進化の歴史を詳細に分析していますが、それによると、「エゴの 暴走」も進化の大切なプロセスの一つだったことがよくわかります。人類は全体として 「個」を確立し、「個」を深め、やがて「超個」の時代へ向かっていく、というのがウィル バーの学説です。さしあたり、次の「個を深める」段階というのは、明解に見えており (『深美意識の時代へ』)、そのプロセスにアメリカ・インディアンの伝統的な叡智がと ても大切だ、と気づいたことが、本書を企画する動機となっています。 (本書 まえがき より引用) |
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「自分を信じて生きる」 インディアンの方法 松本正著 小学館 さて、この本の中でぼくが語ってきた話は、自分の魂を恐れることなく語り伝えてきた 先人たちの言葉に学んだものばかりだ。この十年あまり、ぼくはさまざまな研修やワー クショップやプログラムで出会う人たちに、ラコタの人たちから教わったことを語り、心を 込めて分かち合ってきた。幼稚園児、小学生、中学生、高校生、企業人、母親、お年寄 り・・・・。さまざまな年代の人に、それらの言葉はたくさんの気づきを与えてきたのでは ないかと思う。人生の危機的状況の中にあったり、問題から抜け出せずに堂々めぐりし ている人には、生きるヒントを与えてきたのではないかと思う。そんな、力(メディスン)を 持った言葉だと信じている。何よりぼく自身が、これらの言葉によって、どれほど救われ たことだろう。プログラムの参加者たちとこれらの言葉を分かち合ったとき、そこに共感が 生まれ、涙が流れ、笑いがわき起こり、どれほどの勇気と元気をもらったことだろう。これ らの言葉が人々に受け入れられることを通して、どれほどぼく自身の自分を信頼する力と なったことだろう。 (本書より引用) |
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「アメリカ・インディアン 笑って生きる知恵」 エリコ・ロウ著 PHP文庫 アメリカ・インディアンも白人の米大陸侵略以来、民族虐殺、奴隷化、宗教弾圧と悲惨 |
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「アメリカ・インディアンの知恵」 エリコ・ロウ著 PHP研究所 第1章 笑い飛ばせば、人生は楽しい 心の洗濯に出かける 笑って立ち直る 笑っている場合ではない。だから笑う なーんちゃって、で日は暮れる ヘヨカの笑い 笑いは強靭な精神力のあかし 第2章 本物として生きる ヘヨカの使命 現代人は偽物ばかり 「今やるよ」の真実はどこにある? 自分の人生が何に支配されているかに気づく 化粧が落とせない? 人生は一刻、一刻が選択 迷ったら、立ち止まればよい 自分の道を生きていれば、死は恐れるに足らない 本当の人生は40過ぎてから始まる 二つの世界を同時に生きる難しさ 模索する自治区の若者たち プー太郎から学ぶ 第3章 スローライフに帰る 聖なる愚か者 「泥頭」の教え インディアンはあせらない じっくり腰を落ち着けることから始める 急ぎすぎから病いも起こる 社会が加速しても、人は加速できない 人生は早送りできない ながら族をやめる 毎日の暮らしから学ぶ 第4章 自然の恵みで豊かに暮らす 母なる大地に足跡を残すな シンプルで豊かな衣食住 草木が癒してくれる 必要なものはすべて身の回りの自然にある 野牛の教え 食べ捨てずに食べ尽くし、使いきる トウモロコシに学ぶ ズニ族の食卓 ラコタ族の食卓 アートは自然への祈り 土と水と気と火への感謝を形にすると、焼き物になる 枯れ草も、龍に生まれ変わる 絵や模様には、教えがある 自然に美を身にまとう楽しさ 第5章 すべてはかかわりあっている ミタケオアシン 人も地球の自然の一部 他人を縁者として尊ぶ 人の輪で、知恵の輪も広がる 裕福さとは人に与えられること 分かちあって食べるから、おいしい 物への執着を捨てれば、生きやすくなる ギブ&ギブの社会は優しい 第6章 サステナブルな未来へ 日本人のカン違い 幸福は買えない モホーク生活共同体 教訓は、物語で受け継がれる 伝統への回帰で、生き方を学び直す 未来は、私たちしだい ビジョン・クエストの教え 新たな始まりに向けて・・・・聖なる山ベア・ビュートにて |
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「パウワウ アメリカ・インディアンの今日を無駄にしない教え」 エリコ・ロウ著 青春出版社 たとえば、オマハ族には「小鳥ではなく鷲の道を求めよ」という格言があります。些細 なことにいちいち嘴を突っ込んで不平不満のもとを見つけるのではなく、大空の高みを 駆ける鷲になったつもりで人生を達観してみる。そうすれば、周囲の美しさに気づいたり、 思いもかけなかった視点や視野が開けてくる、という教えです。野性の自然が息づく アメリカ大陸で、自然と一体となった暮らしを堂々と守ってきたアメリカ・インディアンの 人々は、人として無理のない生き方を自然から学んできました。そして、物欲や利便性 より自然との調和と均衡を尊ぶ独特の価値観と、人の運命も大いなる自然の摂理と 受容する、おおらかで快活な人生哲学を、代々実践してきました。だからこそ、白人の 侵略で人口の90パーセントを失い、家財も家畜も焼き払われ、強制移住を強いられる 苦難が長く続いても、絶望や悲観から道を失うことなく歩み続けてこれたのです。明日 には新たな日が昇る、という自然の巡りの叡智を信じて、不運を笑い飛ばし、逆境から 学び糧とする。そんな彼らの強靭な精神性を、私は何よりも崇高で美しいと思います。 空を父と、母を大地と崇め、他の生き物を地球の兄弟姉妹として暮らす奢りのない彼ら の生き方は、時代遅れどころか本来あるべき人の道で、人類のサバイバルの絶対条件。 そんな彼らの生き方から学ぶことで、私たちも、置かれた環境のなかで、より生き生き と楽しく生き抜いていく知恵と本能を取り戻すことができそうな気がします。アメリカ・ インディアンが各部族の伝統文化を学びあうお祭り、パウワウにならい、さまざまな部族 の伝統の教えを集めたこの本で、貴重な教えのエッセンスをお伝えできれば幸いです。 (本書 はじめに より抜粋引用) |
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「アメリカ・インディアンの心もからだもきれいになる教え」 エリコ・ロウ著 扶桑社 本書では、アメリカ・インディアンのメディスンで伝統的に使われてきた薬草・薬木を とりあげて、日本でも実践できるようにさまざまなメディスンを紹介しています。ただ、 そうした薬草・薬木のなかには、日本には生息していないものもあります。たとえ類似 種でも、その薬効には違いがあるうえ、そもそも薬効成分にはさまざまな作用がある ため、使用方法を間違えると事故につながるおそれがあります。持病のある方、妊娠 中の方には、特記していない植物でも有害なことがあり、実践は慎重に行うことが必要 です。本書は、アメリカ・インディアンの伝統文化を紹介するもので、治療を解説した 専門書ではありません。薬草療法に関しては、自己流で行わず禁忌について専門家の アドバイスを求めることをおすすめします。 (本書 本書を使用するにあたての注意 より引用) |
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「インディアンの知恵」 心が曇ったら空を見よ 塩浦信太郎著 光文社 なぜまた、ネイティブ・アメリカンの世界に来てしまうのだろう。ナバホの友人を訪ねる とき、私はいつもそう思うのです。私は、ずいぶん長いこと旅から旅への生活を続けて きました。その行動する私の羅針盤は、ここのところいつも“聖なる旅”を志向している ような気がします。聖なる旅などと言うと、新興宗教の類いを連想されてしまいそうですが、 そうではありません。私はもっとシンプルに自然を感じられる自分でいたいのです。 ネイティブ・アメリカンの世界への旅が教えてくれるさまざまなことは、私にとって、そのた めの処方箋のようなものかも知れません。 (本書 あとがきにかえて「スタンリー・ペリーとケーロンに」 より抜粋引用) |
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「パワー・オブ・ストーン 石の力と力の石」 北山耕平著 築地出版社 この本の中でわたしは何度も石が話をするというただそれだけのことをあなたに 伝えようとしてきた。石の声。それはとても親しみのある声だ。まるで自分のなかの 深いところにあるなにかが話しかけてきているような声である。わたしは石が話す ことを疑っていない。たとえようもなく美しい夕暮れ時の高原砂漠のあるところで、 わたしは石に話かけられた。「われわれはおまえさんの遠い遠い先祖なのだ。おま えさんは石から生まれたのだ」 石はわたしにそう語りかけた。そのことがあって 以来、どんな石を見てもわたしは地球のことを考えるようになった。街でも、自然の なかでも。それが夢だったのかどうかは、ここでは問題ではない。自分が石の語る 声を聞いたと確信できたことがわたしにとってはなににもまして重要なことなのだ。 そして石の声を聞く人間がおそらくこの世界にはまだたくさんいるはずだとこころの 深いところで思いつづけている。本書「パワー・オブ・ストーン」は、前の世紀が終わ る直前に新人物往来社の「Az」という今はなくなってしまった物質世界と精神世界の 橋渡しを試みた雑誌に発表したものである。以後、若い世代の石に対する関心の 高まりもあって、何度かさまざまに編集されて、他の雑誌の別冊や「パワー・ストーン」 の特集などにかなりの部分が収録されたこともあった。今回、これを書籍化するに あたって、すべてのオリジナルの原稿に手を加えて再録し、さらにひとつの章を書き 加えた。 (本書 あとがき ストーン・ボーイから君へ 北山耕平 より引用) |
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「癒しの料理法 ネイティブアメリカンからの贈り物」 岡田愛 著 文芸社 ネイティブアメリカンと聞いて何を思い浮かべるでしょうか? 裸体に近い格好で 動物の毛皮を纏い、顔には色とりどりのペイントを施し、雄叫びをあげ広大なアメリカ の大地を走り回り、白人の征服者たちとの激しい戦いを繰り広げた人々。何千年の 時を超え、超自然的な空間へ導く不思議な力を持った人。実際はどうなのでしょうか。 私はアメリカのニューメキシコ州に住んでいたとき、ネイティブアメリカンの食文化に ついて学ぶ機会を持ちました。その中で、人類とハーブの関係について詳しく調べて いくと、ネイティブアメリカンの薬草としてのハーブの深いつながりが見えてきました。 ネイティブアメリカンとハーブの関係は、彼らの自然、大地、動物、そして精霊への 感謝の念に根付いた精神的なヒーリング儀式であるということに気づきました。都会 に住んでいると、野菜、果実、穀物が生育される過程を私たちはあまり目にしません。 ネイティブアメリカンのように天候に左右されながら、作物を育て、恵の雨には感謝 のダンスをして、感謝の念を全身で表現するようなことはまずないのです。しかし、 スーパーマーケットに行ってお金を出せば求めるものはほとんど手に入れることが できます。よく言われることですが、私たちは物質社会の中で麻痺しきっているので しょう。母なる大地に生かされているという感謝の念を忘れてしまっているのです。 本書では、ネイティブアメリカンの自然と融合した普遍的な生き方を、伝統的な食文化 の観点から紹介します。自らの伝統文化を守り続けるネイティブアメリカンとの出逢い ・・・・数多い諸族の中でもニューメキシコとアリゾナ両州にまたがる地域に多い プエブロ部族(ホピ、アコマ、ズニ、サントドミンゴなどの19部族を含む)の文化に特 に焦点を当てました。みなさんにネイティブアメリカンの力強い、そしてやわらかな風 が、聖なるハーブ、セージのアロマとともに届きますように。 (本書より引用) |
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「『グレート・スピリット』の教え |
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「続々アメリカ・インディアンの教え」 あなたも無理せず健康になれる 加藤諦三著 ニッポン放送出版 「インディアンの教え」を参照しながら書かれたこの本をきっかけに私たちがより 健康になれるならば、あの世にいるジェームスもきっと本望でしょう。そしてこの本 のおかげで、健康に苦しんでいる人の「人生のすべてが変わり始める」なら私に とってもこれほど嬉しいことはありません。私は若いころから健康に関心を持ち、 それなりに勉強してきました。そして健康のことを知れば知るほど、つくづくアメリカ インディアンは健康によい生活をしていると思わざるをえないのです。また、この本 は健康についての技術的な知識を書いたものではありません。健康になりたいと いう意欲がなければ健康にはなれません。だからこの本は健康の哲学の本と思っ てもらえれば幸いです。 (本書 はしがき より抜粋引用) |
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「死ぬことが人生の終わりではないインディアンの生きかた」 加藤諦三著 ニッポン放送出版 「あなたの喜びは何? あなたの目的は何? それを見つけなさい。それを確認 しなさい。それでありなさい。そして、それを捨てなさい」 アメリカインディアンの哲学 は仏教の色即是空の考えかたでもあります。形あるものに執着する人と、毎日消え ていくものを大切にして生きていく人がいます。もちろんアメリカインディアンは後者 です。この本では、アメリカインディアンの死生観や自然観を考えつつ、現代人の心 をどう癒したらよいのかを考えてみました。私達がいかに死に、いかに生きるかを 考えてみました。不死を素朴に信じているアメリカインディアンには活力があります。 未来に希望があるのとないのとでは現在を生きる活力がまったく違います。私達も もう一度心理的に活力を取り戻したい、そう思ってこの本を書きました。 (本書 はしがき より抜粋引用) |
『「予言」のゆくえ』これからの生き方を知るために エヴァ・ブックス サンマーク出版 暗い世相の中で真に必要とされるのは、環境問題をはじめとして、現代に山積する 問題を解決するヴィジョンや、未来に向けて意欲的に生きる力を創出する新しい価 値観である。近年、「予言」に関する数々の書物が刊行され多くの読者をつかんでい ることからも推測できるように、その新しいヴィジョンや価値観がもたらしてくれる可能 性を、人々が「予言」に期待している一面もあるのではないだろうか? 社会不安が 増し、目に見えるもの、金銭などの物質的な価値しか信じられなくなってしまった現代 だからこそ、それ以外の道が模索されなければならない。そうでなければ、未来に対 する希望はすべて失われてしまうだろう。 本来の予言あるいは預言とは、いたずらに不安や恐怖をあおりたてるためにあるの ではなく、〈地球上に生息する人類の文明や社会が全体としてどのような方向に向か っているのか〉、また〈人類の進むべき道はこれでよいのか〉といった、経済や政治の 論理だけでは推し測れない、別な視点、別な方向性をもたらすために存在していたと いう。 人間の精神性や信仰との関連で、現代のさまざまな出来事、人類の情勢を包括的に とらえるための指針として予言をとらえなおすためにも、いま一度、予言(預言)とは何 かを探りながら、その真意に迫ってみたいと思う。 (本書より引用) |
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「インディアン・カントリーへ 続・国井印アリマス」 国井律子著 ワールド・フォト・プレス ナバホ、ホピ、アコマ、そしてスー族のエルク。今回の旅で素敵な方々と出会いました。 彼らと過ごした時間は私の財産です。でも「おい、朝から酒なんか呑んでいないで頑張 れよ!」と、思わず引っぱたきたくなるような若いインディアンも見かけました。この旅に 出るまで私が知っていたアメリカは、西海岸とかシカゴとか大きな街だけ。でも、「アメリカ」 という巨大な大陸が今回の旅で少しずつだけど見えてきました。そして気づいたのは、こ の大陸には私の知らない部族がまだまだいっぱい存在するってこと。社交的なナバホが いたり、保守的で引っ込み思案なホピがいたり、それぞれの居留地に特色があって、まる でひとつひとつが国のようでした。だから、ひとくくりに彼らを「インディアン」ってまとめるの もどうかなぁって思ったり、あと私にはアイヌの血が流れているけど、ニッポン人だってこと も考えました(久しぶりの日本食で涙するくらいだしね)。彼らだって同様、インディアンだけ どやっぱりアメリカ人で、大きな組織の中のマイノリティ。それは今後おそらく変わらない 事実で、でも、それを受け止めながら彼らはこれからも生きていかなければならないんだ なぁ・・・・etc 旅に出ると思うことがイッパイありますね。またこの大陸に来よう。私の心の 中の白地図を埋めていくように、また旅をしよう。 (本書より抜粋引用) |
未購入(新刊も含む)の文献
Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)