Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)










 
AllPosters

当サイトは、Amazon(新品、古本)のアフィリエイトに参加しています。
古本においては、Amazonが一番充実しているかも知れません。
 

またブラウザ「Firefox」ではリンク先が正常に表示されない場合があります。


既読の文献
各文献の前のをクリックすると表紙・目次並びに引用文が出ます。

この文献の詳細ページへ「大地に抱かれて」
リンダ・ホーガン著 浅見淳子訳 青山出版社

「チカソー族」作家が生きとし生けるものすべてに捧ぐ”環境シンフォニー”
何故アメリカ・インディアンの言葉はこんなにも私の心を打ち共感の世界に引
き込むのだろう。この「大地に抱かれて」の詩的な言葉は、今まで多くの迫害
により消えかかっていこうとする偉大な精神文化を甦らせ、私たちの心の奥底
に眠ってしまったある感覚をも呼ぶ覚まさずにはおかない。私がインディアン
に関心を持った初期に読んだ本だが、読み終わった後の感動は今でも心に
響いている。それはきっとリンダ・ホーガンという人間の飾らない、自然と魂か
ら出てくるその言葉とその人間性によるのかもしれない。


ネイティブ・アメリカンの女として、私は問いかけたい。
私たちはこの星の未来に、どのような責任を持っているのだろうか。
この星を分かち合うほかの命たちに、どのような責任を持っているのだろうか。

この本に収められているエッセイは、こうした問いかけから生まれた。
人間であることの意味を、探ることから生まれた。
大地とそこに生きる命たちへの、絶えることのない愛から生まれた。
(本書より引用)


リンダ・ホーガンの言葉「心に響く言葉 1996.12.15」を参照されたし
「アメリカ・インディアン女性への賛歌」を参照されたし

 
この文献の詳細ページへ 「レッドマンのこころ」
アーネスト・シートン著 近藤千雄訳 北沢図書出版

「動物記」で有名なシートンが集めた北米インディアンの魂の教え。「レッド
マンの信仰は普遍的であり、基本的であり、根源的であり、本当の意味での
宗教である。」シートン。現代ではアメリカ・インディアンの文化は多くの人々か
らの共感を得るようになっていますが、シートンがこの本を書いたのは約70年
前のことです。その頃は彼らの精神文化を理解する人は数少なく、偏見と差別・
迫害の時代でした。しかしシートンはその直感により、彼らこそ神と深く結びつ
いている人々との確信を得て、その精神文化を探って行ったのです。歴史的に
も貴重な文献の中の一冊。尚、最初この文献は違う訳者により「赤人の福音書」
として出版されましたが、既に絶版となっています。


私が見るかぎり、以上のどれ一つを取り上げても、白人の文明は落第である。
インディアンが所有していた同じ大地において、あれほどの食糧を生産し、あれ
ほどの富を生み出し、ありとあらゆる原料を有し、労働力もあり、働く意欲もあ
ながら、白人文明はなぜ挫折したのか---それだけの好条件を有効に、統合的

にまとめる上で障害となるものが、どこかにあるはずである。今の西欧的物質文
明では、一人の億万長者が出る一方で億の単位の貧困者を生み出すばかりで
る。そんな荒廃のもとでは幸福はあり得ない。世界史に類を見ない勇壮な民族
ったレッドマン、肉体的にも完ぺきの域を極めていたレッドマン、最も霊性豊か
な文明を生み出したレッドマン---このレッドマンになり代わって私は、古き良き
時代からのメッセージをお届けした次第である。遅きに失したとはいえ、この
メッ
セージが心あるホワイトマンに慙愧の念を覚えさせ、現文明を完全な破滅か
ら救
う手立てを考えねばという気持ちにさせる機縁となれば幸いである。・・
それは、
人類にもまだ救いの道が残されていることを意味するものであろう。

(シートン 本書より引用)

雑記帳「魅せられたもの」1997.6.6「アメリカ・インディアンの残虐性の真否」
雑記帳「魅せられたもの」1997.5.18「真の文明とは」を参照されたし

 
この文献の詳細ページへ「母なる風の教え」 
ベア・ハート著 児玉敦子訳 講談社

ベア・ハート(ムスコギ・クリーク族長老)は1918年に生まれ、長い修行
時代を経てメディスン・マンとなる。しかしその過程の道において、文明人
には奇跡としか表現することが出来ない現象を自らの体験を交えてさりげ
なく語っており、この分野に関心を抱く方にはとても興味深いものがあるの
だろう。ただ本書の素晴らしさはそんな摩訶不思議なことにあるのではない。
謙虚・勇気・忠誠心・慈愛に満ちた彼自身の人生そのものに、正にそこに
この偉大な聖なる魂を感じてならない。勿論私自身が次のような状況に置
かれたとき、とても彼のように祈ることは出来ないだろう。それは私とは比
べるもなく深い慈愛に立っている人だけしか言うことが出来ない言葉であり、
メディスン・マンとして生きることを決意した人間からの伝言である。「わたし
はこれまでに、ありとあらゆる職業の人々、なんらかの形で傷ついた人々と
関わってきて、物事を正しい方向に導くように努力してきたが、養子である
バビーが殺されたときほど、まじない師としても人間としてもつらいことはな
かった。そのような試練に、人はどう立ち向かうのか? わたしは息子を殺
した若者たちに、遠くからでも災いを及ぼすことができるような力を持っている。
だがそんなことをしたら、息子の命を奪った人間と同じになってしまう。聖なる
パイプは、復讐に使ってはいけないことになっている。そうしたことは、すべて
神の手に委ねなくてはならないのだ。わたしは心から神に祈った。“わたしは
彼らのしたことを許すことができませんが、その若者たちもまたあなたがお造
りになったものです。愛について語るのなら、すべての人類を愛さねばなりま
せん。あなたにはわたしの状況がおわかりだと思います。わたしは息子を愛
していたので、今回のことを個人的に受け止めてしまっています。本当は、
あなたのようにその若者たちのことも愛したい、でもできないのです。ですか
らあなたにお願いします。わたしを通して、あなたが彼らを愛し続けて下さい
ますように。そうすればわたしにも、あなたの愛の働きを理解することができ
るでしょう。---- ただ言葉で語るだけでなく、実際の体験として」。


過去のリーダーたちが祈ったとき、彼らはいつも次の世代のために祈っ
きた。「今ここにあるものから、なにを得られるか」ではなく、「これを長く続け
ていくため
には、なにを加えたらいいのか」と。昔のチーフは、部族の中でも
もっとも貧しかった。狩り
から帰ってくると、自分では狩りに行けない未亡人
や年寄りに獲物を与えていた。求めら
れれば、いつでも喜んで自分の分を
与えた。自分自身や自分の家族の分などほとんどな
かった。そうやってリー
ダーは生きてきたのだ ---- いかに自分の分を手に入れるかなど
は考えず、
人々のために。聖書には、天国に入るために二つの質問をされると書いて
る。「彼らが飢えていたとき、食べ物をあげたか? 彼らが裸でいたとき、
着物を着せてあ
げたか?」 我々のリーダーなら、こう聞かれて「はい」と答え
ることができたはずである。

(本書より引用)


 
この文献の詳細ページへ「ホピの太陽の下へ 女三人、アリゾナを行く」 
羽倉玖美子 著 辰巳玲子 協力 野草社 

本書は映画「ホピの予言」を製作した故・宮田雪さんを通して出会った女性2人
と子どもが、過去の自分を見つめながら、新たな旅立ちの意味をかみ締める旅
の記録である。私自身何故もっと早くこの文献を読まなかったかと後悔している。
この文献の軽妙な語り口は読者を一気に引きずり込ませる巧みさを持ち、そして
何より人生や自分の心に対しての誠実さを言葉の一つ一つに感じてならなかった
からである。この文献を書いたのはイラストレーターとして活躍する羽倉玖美子さ
んで、映画「ホピの予言を通して故・宮田雪さんと知り合う。この宮田雪さんの奥
様が辰巳玲子さんである。この辰巳さんのお嬢さんを含めて女性3人でホピに向
かうのである。ホピではホピの予言を守る長老たちとの旧知の出会いや、それを
陰で支えてきた女性たちの姿、儀式、遺跡が語られるが、まるで読者もその場に
居合わせたような錯覚を覚えるのは、イラストレーターという職業を通して、真剣に
表現方法を模索してきたからであろう。また辰巳玲子さんも、ご主人(宮田雪さん)
が倒られてからその介護に長年関わってきたが、映画「ホピの予言」製作過程で
も宮田雪さんを支えてきた。あるがままの着飾ることのない二人の女性の生き様
がここに描かれており、心に残る素晴らしい文献である。


1999年2月に、それまで50年間にわたって「ホピの予言」を伝えてきた最後の
メッセンジャー、トーマス、バニヤッカは雲の精霊になり、水の巡りの中に還って
いった。そして、予言を伝え、警告を発信する時代は終わりを告げた。ホピの残
した新しい時代へのメッセージは、「質素で、自然で、精神的な生き方」であり、
「それは一人ひとりにかかっている」ということだ。私が「ホピの予言」と出会って
から、過ぎ越しこの16年間の日々で学んだことは、「平和」の真の意味だ。人と先
を争わず、最後に残った見てくれの悪いとうもろこしを喜んで選び取った者に、
創造主は「ホピ---平和---」と名づけたのだ。その意味を自分の人生の中で私
なりに考え続けた。ただ単に、戦争がなければ平和なのか。ホピの人々の忍耐や、
親切、そして謙虚さや、感情や情動、欲望に自分が支配され、自分ばかりか他人
をも傷つけることがないように、それらを自ら戒める精神を養った彼らを思う時、
私の中に眠っていた様々なものが目覚め、気づきを与えられてきた。人生の中で
日々の営み、幾多と訪れる試練、悲しみ、怒り、そして喜び、あるいはめぐり合う生
と死・・・・それらを排除せず、また挑まず、自分自身や他者と対立せず、あるがまま
を受け入れる。そして、すべてがバランスの内に歩むようにと、調和を祈る・・・・
それがホピ----平和----としての生き方なのかもしれない。
(本書 内なるホピ それぞれが一粒の種として 辰巳玲子 より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ「パパラギ」
はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集 
エーリッヒ・ショイルマン 編 岡崎照男訳 立風書房

本書はアメリカ・インディアンに関する本ではないが、ツイアビの叡智あふれ
る言葉はアメリカ・インディアンの魂そのものであるが故に、ここに紹介するこ
とにする。世界各地にはエスキモー、アイヌなどの優れた精神文化の花を咲か
せた民族が存在し、その視点は不思議にも共鳴しあっている。本書のツイアビ
は、西サモアのウボル島の首長であり、彼が西洋文明を見聞したことを自分の
島の人々に演説するという形を取っており、ツイアビの鋭い、冷静な、そして
先入観によって判断・観察しない視線がこのような素晴らしい芳香をともなった
言葉として結実した。本書は第一次世界大戦終結の二年後の1920年に発行さ
れ、世界各国語に翻訳された名著である。

追記・・・この文献が真実の体験から出たものではなく、完全な創作だという
記事もあることをご承知置きくださればと思います。

雑記帳「魅せられたもの」1997.3/16「パパラギ」を参照されたし

時間というのは、ぬれた手の中の蛇のようなものだと思う。しっかりつかもうと
すればするほ
ど、すべり出てしまう。自分で、かえって遠ざけてしまう。パパラギ
はいつも、伸ばした手で
時間のあとを追っかけて行き、時間に日なたぼっこの
ひまさえ与えない。時間はいつでも、
パパラギにくっついていなければならない。
何か歌ったりしゃべったりしなければならない。
だが、時間は静かで平和を好み、
安息を愛し、むしろの上にのびのびと横になるのが好き
だ。パパラギは時間が
どういうものかを知らず、理解もしていない。それゆえ彼らの野蛮な
風習によって、
時間を虐待している。

(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「忘れられた道」
ある老インディアンとの心の旅
ケント・ナーバーン著 児玉敦子訳 講談社

この本に目新しい叡智の言葉が全く見られないと感じる人もいるかもしれ
ない。しかし、本書に貫かれている怒り、悲しみ、そして許しの言葉が深く私
の心に突き刺さる。そこに映し出された素顔に、喜んだり悲しんだり怒ったり
する老人の表情のひとつひとつの中に、白人との余りにも長き戦いの歴史と
いう記憶が刻みこまれている。1890年12月29日、保留地内のウンデッド・
ニーの丘に銃声が響き渡り、この虐殺をもって白人とインディアンとの戦いは
終結することになる。この丘に集まった人々の3分の2が女性や子供たちで
あった。白人と戦う意志のないことを表明した300人のラコタ族がこの丘で
虐殺され、1000万人とも推定されていたインディアンもこの年には25万人
になっていった。実にドイツのユダヤ人迫害の犠牲者600万人をも上回る
虐殺が自由の国アメリカで繰り広げられたのである。しかし白人による徹底
した同化政策はその後も容赦なくインディアンに襲いかかり、多くの子供たち
は親元から強制的に離され「インディアン学校」に隔離されてゆく。白人の
言葉、習慣、宗教を押し付けられた子供たちに待っていたのは精神的基盤
の喪失とアルコール中毒の蔓延であった。このような状況の中においても
太古からの教えを守り続けている真のインディアンの悲痛な叫びが、そして
祈りがこの本の中から生きた息吹となって私の心に刻まれた。

わたしはこう思う。もう戦っている場合ではない。わしらは怒りを忘れなけ
ればなら
ならない。わしが自分の怒りを葬り去ることができなければ、子
たちがその仕事を引き受ける。それでもだめなら、そのまた子
供たち、その
また子供たちが引き継ぐ。わしらは心の囚人じゃ。
わしらを開放してくれるの
は時だけなんじゃ。あんたたちは傲慢
な態度を改めなければならない。この
地球上にいるのは、白人
だけではないし、白人のやり方が唯一でもない。世
界のあらゆ
る場所で、人々はそれぞれのやり方で創造主をあがめ、家族を
愛してきた。あんたたちもそのことを尊重するべきなんじゃ。
物質的な力が
あるのは、あんたたちの強みじゃ。ほかの民には
与えられなかった強みを
持っているということじゃ。それをほかと
分かち合うか、それともさらに力を
手に入れるためだけに使うか?
自分たちの力を分かち合う・・・・・・・それが
あんたたちに課せら
れた課題じゃ。その力は強いが同時に危険なものでも
あるんだ
からな。
(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ ビジュアル博物館「アメリカ・インディアン」 
デヴィッド・マードック著 スタンリー・A・フリード監修
日本語監修・富田虎男 翻訳・吉枝彰久 同朋出版

「写真でみるアメリカ・インディアンの世界」
 (「知」のビジュアル百科)
デヴィッド・マードック著 スタンリー・A・フリード監修
日本語監修・富田虎男 翻訳・吉枝彰久 あすなろ書房

表題は違いますが、内容は同じものです。

魅力にあふれる北米先住民の諸文明を再発見するための楽しい入門
書です。目をみはるような頭飾りや美しいビーズの刺繍を施したモカシン靴、
洗練された銀細工、見事な陶器など、豊かな文化を多くのカラー写真で
紹介します。

南西部のプエブロに住む部族から北極圏の狩猟民イヌイットまで、北米
先住民の豊かな文化を豊富なカラー写真で紹介している。これら掲載され
た資料は、恐らくアメリカの博物館に所蔵されているものと思われるが、
その多くが白人によって強制的に取り上げたものであることは歴史の語る
ところである。「聖なるパイプ」に代表されるように代々部族の中で受け継が
れていくべきものの多くを、つまり精神的支柱とも言うべきものさえも搾取し
たきた歴史を考えると、いつか、これらのものを「在るべき」場所に帰してい
かねばならないのではないだろうか。考古学的に、人類学的に貴重なもの
であっても、それらを奪われた(すでに絶滅しているかも知れないが)人々に
返還することにより、先住民族としての誇りを再び思い起こさせるものとなれ
ばと思っている。それ程、昔からの伝統的な生き方を頑なに守っているイン
ディアンは数少なく、アメリカ政府の同化政はキリスト教も手伝って徹底的
に行われたのである。この本の豊富な資料に驚くとともに、そこに流された血
と涙を思わずにはいられない。このリペイトリエイション(帰還)については
「森と氷河と鯨」の項目を参照されたし。

 
  この文献の詳細ページへ「インディアンの生き方を学ぶ」 
モノ・マガジン大特集合併号 No.391 
ワールドフォトプレス

インディアンの世界観や芸術に宿る美しい視点と想いを紹介している雑誌
です。

「今日は死ぬのにいい日だ」ナンシー・ウッドの詩と言葉、インタビュー
ゴーストダンスから真の描くべき対象を見つけたJD チャレンジャーの
代表的な作品
タオス・プレブロの村の写真と、そこに生きる人々
加藤諦三によるアメリカ・インディアンから学ぶ六つの生き方
インディアンダンスのカラー写真
北米インディアンの世界観とエコロジー 横須賀孝弘
魂の叫び 1997年に亡くなったフランク・ハウェルの絵画
日本のレザークラフトの草分け的な存在である高橋吾郎の言葉と作品
インディアン芸術が集まるサンタフェ・タオスの紹介
大平原を去った勇者たち 各部族の勇者の物語
インディアンの肖像 著名なエドワード・S・カーティスによる写真
アメリカ・インディアンの本の宇宙 34冊の文献の紹介
インディアンアートに込められた祈り
 
この文献の詳細ページへ「大事なことはインディアンに学べ ワールド・フォトプレス
北山耕平 編著

日本にインディアンの文化や、その視点を紹介し続けている北山耕平さん
によるインディアンの紹介本です。「レイム・ディア」のヴィジョン・クエスト、
「インディアンに残された予言の解説」など興味ある記事が掲載されておりま
す。また初めてインディアンの文化に触れる方のために豊富に画像を取り入
れ読みやすい工夫がされており、インディアンの言葉や文献、映画なども紹介
されています。この出版社であるワールド・フォトプレスはこれまでにもインディ
アン特集の本を出しており、以下の質の高いものを出版されています。
「インディアンの生き方」
「インディアンの声を聞け」
「インディアンの生き方を学ぶ」
「インディアンの魂とアートにふれる旅」

「インディアン・ジュエリー」

「ドリーム・キャッチャー」
「インディアン・クラフト・ブック」


ほんとうに大事なことをネイティブの人たちから学ぶとはどういうことか、
その一端を、この特集からぜひみなさんのこころで感じていただければと
思う。この特集は、わたしがこれまで4年間に自分のブログ「Native Heart」
で公開してきたもののなかから日本列島に暮らすより多くの人たちにとって
重要だと思えるものを厳選した記事から構成し、文章を読みやすくするなど
の手をさらに加えてある。また過去に自分が翻訳して本にしたものの一部を
再構成する形で収録したものもある。わたしたちのすることはなんであれ
宇宙のすべてに影響を与えているというネイティブの人たちの宇宙観をすこ
しでも共有することができれば幸いである。

(本書より引用)


 
この文献の詳細ページへ「インディアンの生き方」
mono特別編集 ワールド・ムック244 
ワールドフォトプレス

インディアンの世界観や芸術に宿る美しい視点と想いを紹介している濃密な
素晴らしい雑誌です。

大地の守護者たち インディアンの言葉
タオスの草原に響くドラム ドラムを創るプエブロの民フィリップ・マルティネス
の言葉
乾いた大地の宝石 ブルーコーン
ネイティブの心を世界に示す彫刻界の巨人親子 アラン・ハウザー&
フィリップ・ハウザー
ナバホの心を織る ナバホ・インディアン織り物作家パール・サンライズの
言葉
空中都市 アコマスカイシティ
神聖な土地 ホピの集落
ズィア・プエブロ 「いくつもの月の昔」を生きる人びと
オルノスにはぜる炎の子守唄 傍らで犬も待つインディアン・ベーカリー
ネイティブ・アメリカン物語 平原インディアンと馬
ネイティブ・アメリカン物語 ジェロニモという男 愛と血と絆
ネイティブ・アメリカン物語 私の進むべきよき赤い道
ネイティブ・アメリカン物語 サカジャウィア
インディアン最後の闘い 大平原を去った勇者たち
ネイティブ・アメリカンの文化を訪ねて ニューメキシコ 19プエブロ族ガイド
最高級のインディアン・グッズを買う モーニングスターギャラリー
タオス・プエブロ1999 タオスの写真
先住民アナサジ族の高度な文化 チャコ文化国立歴史公園
年に一度のインディアン・マーケット サンタフェ
インディアンの壁画 謎に満ちたシンボル
戦うための強く生きるためのフェイスペイント
異端の画家が示す人間と神々の間 トニー・アベイタ(ナバホ)
ネイティブ・ウーマンが守った伝統の壷づくり キャシー、キャロル、
ローズ(サンタクララ・プエブロ)
フェザーの神秘に魅せられて マイケル・カーク(イスレタ・プエブロ)
ネイティブ・ペイントに新しい風を吹きこんだ男 スタン・ナッチェス
(ショショーニ・パイユート)
ネイティブ・アメリカン・ファッションというスピリット パトリシア・マイケルズ
(タオス・プエブロ)
ナバホでもない、ヨーロピアンでもない、ホピのブランケット 
ロマナ・サキステワ(ホピ)
キャンバスに迸る線と面のエネルギー ポティート・ビクトリー
(チョクトー・チェロキー)
プエブロの家族に想いをよせる画風 ジュラルディン・グティエレス
(サンタクララ・プエブロ)
生と死 インディアンの生き方死に方 ナンシー・ウッドと丸元淑生の対談
ネイティブ・アメリカン物語 メディスンマン 時に凶暴になる大自然 
頼れる癒し手とは
ネイティブ・アメリカン物語 トレーディンググッズ トレードにより躍進した
物質文化とアート
ネイティブ・アメリカン物語 インディアン・ジュエリー サンタフェ・スタイル
に結実させた技の力
ネイティブ・アメリカン物語 ティピー インディアンの知恵の宝庫 
移動式住居 ティピー
ネイティブ・アメリカン物語 モカシン 足元を飾るネイティブ・アメリカン魂

 
この文献の詳細ページへ「スピリットの器」
プエブロ・インディアンの大地から 
徳井いつこ著 地湧社 

プエブロ・インディアンと呼ばれる人たちが作る土器を通して語られるインディ
アンの精神世界と大地の美しい歌声。多くの陶芸作家の声の中には大地への
祈りと感謝が満ち満ちている。「私は、祈りの力信じています。ええ、本当に信じ
ていますよ、単純に。朝であれ、夜であれ、それがいちばん主要なことです。
野焼きのときは火に祈り、採土のときは土に祈る・・・。祈ることは、それを感じ
ることです。火を感じ、土を感じ・・・地球のあらゆるものを感じることです」。本書
は、土器を通してインディアンの深い精神世界を垣間見させてくれる好著であり、
大地の豊かな恵みを肌で感じることが出来なくなっている私たち文明人への
感銘深い警鐘の書でもある。

同じ著者による「インディアンの夢のあと」を参照されたし
「母なる大地の声 アメリカ・サウスウェスト プエブロ・インディアンの美術」
名古屋ボストン美術館 を参照されたし

アメリカの宇宙飛行士エド・ミッチェルは、月探検から帰還する途中、宇宙船
の窓から小さく輝く地球の姿を眺めたとき、世界のすべてが
精神的に一体で
あること(スピリチュアル・ワンネス)を感じたという。
その瞬間について、彼は
「神の顔にこの手でふれた」と表現した。
立花隆の著書「宇宙からの帰還」の
なかで、ミッチェルは次のように
語っている。「古代インドのウパニシャドに、
”神は鉱物の中では眠
り、植物の中では目ざめ、動物の中では歩き、人間の
中では思惟
する”とある。万物の中に神がいる。だから万物はスピリチュアル
は一体なのだ。しかし、神の覚醒度は万物において異なる。(中略)眠れる
神をも見ることができるだけスピリチュアルになることができ
た人間にしてはじ
めて、この一体性を把握できる」。プエブロの土器
をつくる女たちは、あるいは、
この”眠れる神”を見ていたのかもしれ
ない。土という、最も寡黙な存在の、音
なき声を聴く。それは世界の
鼓動に耳を澄ませ、そのリズムのなかに溶解して
いくことである。
私の頭のなかに、いつのころからか棲みつくようになった、ひと
つの
映像がある。大地の上に一個の巨大な土器が立っている。壷のかたちを
しているが、その全体は背伸びをしても見届けられないほど
大きい。奇妙なこと
に、壷と地面はつながっている。まるで一本の
樹のように、壷は地面から生えて
いるのだ。この”樹のような土器”
の姿は、時とともに色褪せるどころか、ますま
す確固とした現実感
をともなって根を降ろし始めた。
(本書より引用)


 
この文献の詳細ページへ「アメリカ先住民女性」 
大地に生きる女たち 
ダイアナ・スティア著 鈴木清史・渋谷瑞恵訳 明石書店

本書にちりばめられた先住民女性への賛歌の美しさは勿論のこと、古き
時代のインディアンの姿を記録したカーティスの写真などを通して、先住民
女性の美しさや逞しさが強く心に伝わってくる文献である。また西洋的父系
社会との対比をすることにより、彼ら先住民族の豊穣な精神世界が何故生
まれたかをも考察し、私たちの未来へと向かうあるべき道を示している。

執筆を進めながら、わたしは先住民女性についての情報を集め、さらに
おおくの質問
を先住民の友人に投げかけました。かれらは協力を惜しみま
せんでした。その作業の
なかでわたしがいたく驚いたのは、西洋的な父系
社会と、アメリカ大陸で長年存在して
きた母系社会との大きな違いでした。
先住民の人びとはお互いを、そして大地やすべて
の生き物を愛し慈しみま
す。それは、かれらを征服したヨーロッパ的な大量消費社会の
価値観とは
対局にあるものでした。先住民社会のあいだで、「首長」は金持ちとはかぎ

らず、むしろ部族の人びとに尽くし責任を持つ人なのです。もしかすると、長
い歴史と
高度に洗練された文化を持つ日本に住む読者の皆さんは、調和の
とれた関係を至上
とするアメリカ先住民の人びとに何らかの類似性をみい
だすことになるかもしれませ
ん。アメリカで本書が出版されてから2年が経ち
ました。おおくの読者から、女性が
中心的な役割を果たし、自然と共生して
きた先住民文化に感銘したという声が届いて
います。危険に満ち、人間の
制御が及ばないように思われる現代のアメリカ社会に
暮らしているせいか、
相互に慈しみ、自分が誰かのために存在し社会に貢献でき、
子どもたちが
愛される、そして何ごとも理由なく破壊されることのない社会について
知りた
がっている人びとがおおくいたのかもしれません。

(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「大平原の戦士と女たち」 
写されたインディアン居留地の暮らし 
ダン・アードランド著 横須賀孝弘訳 社会評論社 

1890年のウンデッド・ニーの虐殺により、白人によるインディアン戦争
は終結した。この時代のインディアンの誇り高い精神性を表現し垣間見る
ことができるものとして、エドワード・カーティスの写真が有名であるが、
この文献に紹介された多くの写真もまた同じく貴重なものになるだろう。
インディアン学校の教師の妻として居留地に赴き、彼らインディアンと親密
な交流を築き上げ、彼らの日常の生活にまでカメラを持ち込むことが出来
たジュリア。その被写体はスー族やシャイアン族のものが多いが、これら
の人々は白人の同化政策により、その精神文化を急速に失いつつあった
時代に生きた人々であった。この貴重な写真を著者の言葉で語るなら、
「ジュリア・トゥエルと彼女のカメラは、まさに最後のチャンスに居合わせて、
滔々たる小川に漂うかのごとく目の前を足早に過ぎ去り、ほどなく永遠に
失われようとしていたものを、かろうじて捕らえたものだった」。しかし、
インディアンの聖なる輪は現代においても絶たれていない。スー族の聖者
ブラック・エルクは未来への希望をこめて次のように祈った。「いま一度、
そして、おそらくこの世では最後に、私はあなたが授けた偉大なビジョンを
思いおこしている。あるいは聖なる木のどれか小さな根がまだ生きている
かもしれない。もしそうならば、それが葉を出し花を咲かせ、さえずる鳥で
満ちあふれるようになるようにその根を養いたまえ。私のためではなく、
私の民のために聞きたまえ。私は年老いている。聞きたまえ、彼らがまた
聖なる輪に立ち帰り、善なる赤い道と、盾となる木を見つけることができる
ように!」。私はこの文献の写真を見ながら、この聖者の祈りの声を聞い
たような気がしてならなかった。

素人としての感想を言えば、私には、マソームの儀式とは、まるで五幕物
の演劇や数楽章から
なる交響曲のように、次から次へと新たな局面が展開
していくもののように思われる。儀式全体
について感じられるのは、新たな
蘇りの気分だ。ものごとが本来あるべき状態を回復し、まさに
「神は天にあり
て、世界は万事申し分なし」といった状態に再び戻った、という感覚である。
天界
の諸神、地上界の森羅万象が、互いに調和しあい、人は動物の一員と
して確固たる位置を占
めると同時に、動物界の仲間たちを尊重する。平原
インディアンが理想としたのは、つまり、こ
のような調和のとれた状態だった
のである。だが、彼らが強力な文明の力に圧倒されたとき、
その調和は粉々
に砕け散った。インディアンは、女も戦士も、各々がこのような精神世界、こ
ような霊的世界に住んでいたのであり、彼らをとりまく万物は、どれもが、
それぞれに霊的な存
在だったのだ。本書でたびたび指摘してきたことだが、
ジュリア・トゥエルと彼女のカメラは、まさ
に最後のチャンスに居合わせて、
滔々たる小川に漂うかのごとく目の前を足早に過ぎ去り、ほ
どなく永遠に失
われようとしていたものを、かろうじて捕らえたのだった。今世紀初めにレーム

ディアで執り行われた非常に込み入った宗教儀礼の現場に彼女が居たことも、
そのような幸
運の一つだと言えよう。それにつけても思い起こされるのは、
人類の霊的な側面は、幾多の
激動をも切り抜けて生きつつけるということだ。
サン・ダンスも再び執り行われるようになった。
平原インディアンの生活は、
その精神世界において、今もなお現実のものなのだ。

(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「風の言葉を伝えて=ネイティブ・アメリカンの女たち」 
ジェーン・キャッツ編 
舟木アデルみさ+舟木卓也訳 築地書館 

インディアンの聖なる輪が物質文明に流されることなく、現在においても
大地に息づいていることを改めて痛感させてくれる本である。一人一人の
生活の匂いが漂う中にほとばしる言葉の強じんさと慈愛。このような女性
たちがいる限り、インディアンの魂はどのような抑圧にあっても生き抜くだ
ろう。本書は舟木夫妻が訳した好著「ネイティブ・アメリカン=叡智の守りびと」
の女性版とも言えるもので、我々と同じ時代を生きている彼女たちの希望は
未来と次の世代の子どもたちへの力強いメッセージとして永遠に受け継がれ
ていくだろう。

「アメリカ・インディアン女性への賛歌」を参照されたし

白人は、人間は死ねば天国に行けるから地球のことなどどうでもいいと
考えている
ようです。だからヨーロッパ大陸の環境を破壊した後アメリカ大陸
に渡り、ここでまた
破壊活動を繰り返しても何の罪も感じないのです。しかし
インディアンはこの世が
楽園であることを知っています。霊の世界はこの世に
あるのです。まだ生まれぬ者、
すでに死んだ者、みんな私たちと日々共に
存在しています。彼らは私たちにいろ
いろなことを教えてくれます。私たちは
次の世代のためにこの世界を残してやらね
ばならないのです。私はいつも
幼い息子ラハバテスートのことを思います。あると
き、ラハバテスートを車に
乗せて港への近道を走っていると、彼は突然泣き出して
しまいました。たった
五歳の子どもが「ぼくは杉の木を見たこともなければ鹿を見
たこともないよ」と
言って泣いているのです。インディアンには不思議な力が備わっ
ていて、教え
られなくともこのようなことを本能的に知っているようです。彼は小さな
胸の中
に、自分が何かを失ってしまったこと、自分の世代から豊かな環境を奪わ
れた
ことを悟っていたのです。

(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「生き物として、忘れてはいけないこと」 
次代へ贈るメッセージ コエン・エルカ著
サンマーク出版 

数多くのインディアンの文献の中で、心に最も響いた本の中の一冊
「鷲の羽衣の女」
を書いた方がコエン・エルカさんです。その彼女が次
の世代を担う子どもたちへ伝えたいメッセージを書いた本がこの「生き
物として、忘れてはいけないこと」です。子どもたちが感じる素朴な疑問
に対して強く揺るぎない視点で、そして何より実直な飾らない言葉は胸
を打ちます。彼女はアメリカ在住のころ、狼に誘われ彼ら狼と話をし、
破ってはいけない約束を交わしました。その約束をコエン・エルカさんは
この日本の地でも忘れず動物保護などの運動をされているのです。

「野楽生れば山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと
自然の掟にそった生き方を目指し、必要なものは出来るだけ自分で得る
(恵みを頂く)山の生活を実践しておられる陶芸家の方のブログです。尚、
メルボルン国際芸術賞受賞などを受賞した作品などは「空土窯」にてご
覧になることができます。このブログの中でコエン・エルカさんの言葉
「解っているのは、そのくらいだけ」も紹介されています。

翼あるものたちが故郷へ、北へ、飛び立つころ、あなたたちも飛び
立つ。あなたたちも、翼あるものたちと同じ強い志と元気な翼をもつ
ように祈っています。みんなお互いに、長い、むずかしい旅をつづける
ことになるから。その翼あるものたちや、ほかのすべての生き物たち
が精一杯、一生懸命生きているように、あなたたちも生きてほしい。
ときには、あなたたちの一人ひとりが孤独を知る。いつも群れといっしょ
にはいられない。そのときこそ、自分で自分にある生まれつきの美しさ
と強さを感じてほしい。自分の心といっしょに生きなければならないから。
ほかのものではなく、自分が正しいと思うことを貫いてほしい。自分が
たった今いるところをよく見て、よく聞いて行動すること。その行動に対
して責任をもつこと。その生き方のなかで自分と合っている仲間を見つ
けられれば、とてもうれしいこと。けれど、それもあくまで自分が自分に
忠実であってのことです。一人になるとき、自分の心が静かであるため
です。
(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「鷲の羽衣の女」 
「鷲の羽衣の女」エレーヌ・アイアン クラウド 語り手 
菊地敬一 書き手 徳間書店

モンゴルの王族の血をひいたエレーヌは生まれて間もなく父母のもと
から離され、シャイアン族の居留地で働く祖父に厳しく育てられる。これ
は彼女がモンゴルの祖先蒼き狼の目をしており、モンゴルの民の光り
になること、モンゴルやシャイアンの心と生き方をエレーヌに伝えること
に祖父が賭けたことによる。幼い頃から毎日馬と共に生き、ヴィジョン・
クエストやサン・ダンスの儀式を通してたくましく育っていくエレーヌ。しか
し彼女が10歳の時に祖父が亡くなり、数年間をシャイアン族の助けを
借りながらたった一人で生きていくことになる。インディアン学校や恋人
の死を乗り越えて、メキシコオリンピックで100m競泳で金メダルを取る
が、電光掲示板に出たのは自分の名前ではなく白人コーチの名前だった。
彼女は金メダル2個をメキシコのテオオワンカンの湖に沈めてしまう。
「メキシコのインディオの部族たちは、金は太陽の汗、銀は月の涙というよ。
純金のメダルは名誉のシンボルではなく、太陽の汗。だから、大地にかえ
すべきだ。私、その方が正しいと思ったから」。そしてインディアン権利
獲得運動にも参加していくことになる彼女は、その後日本に来て日本国
籍を取る。祖父やシャイアン族との想い出や生活を交えながら波乱万丈
に生きた一人の女性の物語が語られるこの文献は、残念なことに絶版
になっていますが、復刻されることを強く願っています。(エレーヌさんに
よればオリンピックでの金メダルの話は書き手の菊池氏による創作であ
るとおっしゃっています)

「天空の果実」の「メディシン・ウィール」をも参照してください。

 
この文献の詳細ページへ「ともいきの思想」
自然と生きるアメリカ先住民の「聖なる言葉」
阿部珠理著 小学館新書

アメリカ・インディアンの研究の第一人者として活躍する立教大学教授の
阿部珠理さんによる好著。この本の紹介には「現地で出会った聖なる言葉
の数々を紹介します」と書かれているが、実際は良くも悪くも等身大のイン
ディアンとの20年の交流の中で著者が出会った様々な出来事と、その中に
あるインディアンの生き方、その根源的なものを書いたものである。私の
サイトではインディアンを神格化しすぎている誤りを犯しているが、阿部さん
は、本書「縁を紡ぐ」の中で、「私はインディアン社会のさまざまな人たちと
の縁を紡いできた。その過程で、美が醜にに変わるとき、醜が美に変わる
ときを見た。美と醜、叡智と暗愚、勤勉と怠情、愛と憎しみ、敬意と嫉妬、
豊かさと貧しさを経験した」と書いているように、今まで出会った等身大の
インディアンを描きつつも、それでも何故インディアンなのかを一気に引き
込む軽快な語り口で読者に問いかけている。私自身特に印象に残るもの
としては、著名なメディスンマンであるクロードッグの実像と偉大な指導者
レッド・クラウドの部屋の壁に大事に飾られていた日本刀から明治99年
(1876年)、レッド・クラウドと典型的な明治の軍人エリートであった野津道貫
の出会いを探る話が興味深かった。特にレッド・クラウドと野津道貫、明治
時代とはいえ日本刀が武士(軍人)にとって魂や命であった時に、何故大切
にしていた日本刀をレッド・クラウドに捧げたのか、またレッド・クラウドも何故
ずっとその日本刀を大事に家に飾っていたのか。フィラデルフィアでインディ
アン戦争を聞いた野津はララミー砦から、族長レッド・クラウドが率いるラコタ
族の居留地に行き、そこで5日間滞在しアメリカ政府の役人がレッド・クラウド
との交渉をするその席に野津も立ち会うのである。阿部さんが「厳しい使命
を負った54歳の族長に、35歳の美しい日本人士官は何を見たのだろうか。
会話を交わしたとしたら、いったいどんな話だったのだろう。野津ほどの人物
なら、族長の深い苦悩を読み取ったかもしれない。私の好奇心は熱気球の
ように膨らんだ」と書いておられるが、私も同じ気持ちだった。本書で紹介さ
れる等身大のインディアン、私はその実像と虚像を知っても阿部さんが言う
ように「もう二度と来るものかという体験をしても、やはり来てしまう。私を呼び
戻す磁場がそこにある。」と感じているのかも知れない。

阿部珠理さんの著作
「アメリカ先住民・民族再生にむけて」

「アメリカ先住民の精神世界」
「大地の声 アメリカ先住民の知恵のことば」
「ともいきの思想 自然と生きるアメリカ先住民の聖なる言葉」

「セブン・アローズ」
「ブラック・エルクは語る」


「今日は死ぬのにいい日だ」 日本でも有名なインディアンの言葉である。
狩猟
民族のラコタ族が、戦闘に行くときにあげる雄叫びだ。勇敢な男たち
は、死んで
もかまわないという決意で三つ編みに編んだ長い髪をほどき風
になびかせる。
そして馬上で叫ぶ。「今日は死ぬのにいい日だ」 インディ
アンには長い歴史に
培われた「武士(もののふ)」の伝統があり、死ぬこと
を恐れないだけでなく、「潔
く死ぬためには、潔く生きなければならない」と
いう心情がある。死に方の潔さ
は、生き方の問題だという思想が脈々と受
け継がれているのだ。インディアンは
その歴史を文字で残してきた民族で
はないが、その価値観や思想は生き方その
ものの中に伝わっている。この
死生観は、日本の「葉隠れ」の精神に通じる。そこにあるのは「死に様」の
しさであり、それを重要だと考えていた日本人の思想である。死に様の
美しさを
求める気持ちは、突き詰めればどれだけ充実した生き方をしてき
たかを表してい
る。この人生の密度が死に方の潔さを決めるという意識が、
日本人とインディアン
に共通する。住んでいる場所も文化の成り立ちもまっ
たく異なるアメリカインディアン
と日本人は、究極的な価値観において通じ
合うところがある。 (中略)
私は不思議な縁からインディアンの世界に入り、
毎年彼らのコミュニティを訪れる
生活を続けている。彼らの現実生活は厳し
く、決して褒められることばかりではな
い。だが、もう二度と来るものかとい
う体験をしても、やはり来てしまう。私を呼び
戻す磁場がそこにある。インデ
ィアンとの出会いから20年がたつ。ここにあるの
は彼らが守ってきた万古
の智慧とそこから発せられる何気ない一言、その言葉が
私にもたらした気
づきの数々である。決して特別なことが起きたわけではない。だ
が、ありき
たりの日常の中に珠玉のような普遍の価値があることを、インディアン
ほど
私に教えてくれた人びとはいない。

(本書より引用)


 



この文献の詳細ページへ「アメリカ先住民の精神世界」
阿部珠理著 NHKブックス

「聖なる木の下へ」
アメリカインディアンの魂を求めて

阿部珠理著 角川ソフィア文庫

ラコタ族の人々と共に生活した著者が、その社会に宿る豊かな精神性を、
愛情を持った視点で描いている。また現在のアメリカ先住民の置かれてい
る危機的な状況も記している。本書では、彼らの七つの聖なる儀式を紹介
しているが、特にサンダンスに関する記述は貴重なものであり、ギヴ・アウェイ
「与え尽くし」に貫かれる彼らの精神世界の豊穣さには考えさせられてしまう。

「聖なる木の下へ」は「アメリカ先住民の精神世界」を改題・改訂し、文庫化
したものです。

私はこの書で、アメリカ先住民の精神的伝統を維持しているという意味で
代表的な、
ラコタの人びとの生活と信条を、出来るだけ忠実に描き出したい。
彼らの生活の中心
には、彼らの創造の主であり、大いなる霊(スピリット)で
あるワカンタンカへの信仰が
ある。彼らの信仰に、仏教やキリスト教といった
名称はない。信仰とは、彼らにとって、
ワカンタンカの意志にそった生き方を
することに他にならないのだ。あえて名づけるな
ら、「ラコタの道」と言うしか
ないものだろう。我われを含むいわゆる「文明人」の目に
は、彼らの信仰は
原始的な自然崇拝と映りかねない。事実、西欧文明は近代まで、
宗教進化論
にそって、文字によって体系化された一神教こそ高等な宗教であり、多神
教や
書かれた教義を持たない自然・精霊崇拝を低位のものと位置づけてきた。
西欧
的物質文明の行き詰まりが語られて久しいが、それこそこのようなヒエラ
ルキー的
発想なども、よりよく生きようとする人間と自然の幸福な調和に、亀裂
を生じさせた
一つであったかもしれない。信仰は書かれるものでなく、生きられ
てこそ初めて信仰
となる。先住民のあるチーフがいみじくも言う。「あなた方の
信仰(キリスト教)は、
神の鉄の指で石版に刻まれるがゆえに忘れられることは
ないが、我われの信仰は、
先祖たちの歩いた道であり、それは心に刻まれる
がゆえに忘れられることはない」
ラコタの道は、人が、自然とそして、あまね
く自然に宿るスピリットと共に生きる道で
ある。また、心と体と自然が繋がった
調和の世界である。ラコタの道には、聖堂も
聖人も必要ではない。しかし、ワ
カンタンカとスピリットの仲立ちをして、人を調和の
世界に導く役割を持つ人は
いる。それがメディスン・マンである。本書でメディスン・
マンとラコタの伝統的
儀式であるサンダンスに章をさいているのは、それが心と体と
自然を繋ぐ人
であり、儀式であり、またもっともラコタの精神を体現するものだと思わ
れた
からだ。しかしそうしたラコタの信仰や精神を、言葉に写すのは難しい。また、

そういう努力が有効なものかどうかも覚束ない。だが敢えて私にそれをさせ
たのは、
ラコタの人びとの生き方が、「豊かさとは何か」「人間とは何か」とい
う古くてまた常に
新しい問いを、繰り返し私たちに投げかけるからだ。
(本書より引用)



 
この文献の詳細ページへ 「オオカミと人間」

バリー・ホルスタン・ロペス著 中村妙子・岩原明子 訳 草思社


このあたりから、オオカミは痛ましい運命をたどるようになる。たとえばシャイ
アン族のような狩猟社会では、誰もが賛美する長所・・・・勇気、狩猟の技術、
忍耐・・・・を備えていることから、オオカミは尊敬に値する動物として祭り上げら
れていた。だが、人間が農耕に従事し、都市を築くにつれて、このオオカミは、
卑怯で、愚かで、貪欲な動物として嫌われることになった。オオカミ自体は昔か
ら変わらないのに、人間がオオカミの憎むべき“獣性”をうんぬんしはじめたの
であった。火刑の杭のまわりに立って、裁かれるオオカミ人間を野次ったりしな
がら、人々は、自分が人間性を守り抜いていることを誇示し、幸福感を味わった
のである。そのように自己嫌悪を他者に負わせてみたところで、けっして満足が
得られるわけではなかったことは、まさに悲劇と呼ぶにふさわしい。いくら殺戮が
行なわれようと、村の広場にオオカミが何頭積み上げられようと、オオカミ人間
といわれた人間を何人焼き殺そうと、それで終わりになるものではなかった。恐ら
くこれは、ナチスの手によるユダヤ人迫害とそんなに変わらないことだったので
はないだろうか。動物に対する虐待は忘れられやすいというにすぎない。だが、
オオカミ人間の場合は、彼らが紛れもなく人間であったことを肝に銘じなければ
ならない。
(本書より引用)



人類学者のニコラス・グーブザーはヌナミウト・エスキモーについて、「彼らは
物事の究極の原因を求めたり、包括的な説明を試みたりしない」と書いている。
ヌナミウト・エスキモーにとっては、"オオカミの究極の実体”などというものは
存在しない。彼らはオオカミをも、宇宙の一部として観察しているにすぎない。
物事には知られていることもあれば、隠されていることもある。オオカミについ
ても、あることは知られているが、あることは知られないままだろう。しかし、
それについて気に病む必要はない・・・・ヌナミウトはこういうのである。つまり
ヌナミウトの姿勢は実際的である。オオカミの毛皮に値打ちがあることを、彼ら
は知っている(白人の観光客は、一頭の毛皮に450ドルも払ったりする)。ヌナ
ミウトはまた、オオカミを観察してその生活のスタイルから学ぶことによって、
人はすぐれたハンターになり、カリブーばかりか、当のオオカミをも倒すことが
できると考えていた。オオカミを観察するうちに、ヌナミウトは自分のまわりの
世界と一つになったような充実感を味わい、自分の住む宇宙との密接な
つながりを感じる。宇宙を構成するものからの隔絶感があるかないか・・・・
これがヌナミウトと生物学者の違いなのである。
(本書より引用)



この文献の詳細ページへオオカミの肖像


 
この文献の詳細ページへ「インディアンの日々」
   生きることに迷ったら、インディアンの声を聞け

横須賀孝弘・著
mono特別編集 ワールド・ムック942 
ワールドフォトプレス

この本では、9地域のうちの4つ、東部森林地帯・大平原・南西部・北太平洋
岸に住むインディアンの暮らしを紹介する。アメリカ映画などによって多少なりと
も知られ、多くの人々が「インディアン」に対して抱くイメージのもとになった人た
ちである。

ところで、インディアンは、隣り合う部族や、後から来たヨーロッパ人の影響を受
けながら、暮らしぶりを変え、文化を発展させてきた。例えば、「ダンス・ウィズ・
ウルブズ」に見られるような、馬に乗ってバッファローを追う「典型的なインディア
ンの暮らし」は、実際にはヨーロッパ人の影響によって生まれ、発展したのである。
各地域のインディアンの様々な文化が、外部からの刺激を受けてどう発展してき
たか、その様子も伝えたい。

なお、この本では、便宜上、過去形で述べていることが多いが、それは「かつて
はこうしていた」ということで、必ずしも「今はそうしていない」という意味ではない。

今もアメリカ合衆国には240万人を超える先住民が生活している。アメリカやカナ
ダの先住民には、私たち日本人と同じように、モダンな暮らしを送りながらも、伝
統的な文化を受け継ぐ人たちが少なくない。「パウワウ」と呼ばれるインディアン
のお祭に行けば、それを実感できるだろう。

(本書より引用)


 
この文献の詳細ページへ「エデンの彼方」 
狩猟採集民・農耕民・人類の歴史 
ヒュー・ブロディ著 池央耿・訳 草思社

30年にわたるイヌイットとインディアンの研究をもとに、狩猟採集民と
農耕民の文化の比較を通じて、人類の歴史を根本から再考した類のない
試み。

狩猟採集民は我々の同時代人である。我々は農耕民とその末裔である。
狩猟採集民は一定の範囲の土地に根ざした生活を送り、農耕民は創世記
のカインに見られるように、地上を放浪する。一方は恬淡無欲な定住生活
者、他方は刻苦勉励の遊動民である。人類の歴史は、この全く異なる人々
によって形成され、現在に至った、と筆者は見る。

今日、本来の狩猟採集社会は失われたが、それは我々、農民とその末裔
の力に侵されたからである。しかし彼らは現代に生きている。本書で狩猟
採集民の美質を多々明らかにした著者は、一方に与することなく、正邪、
善悪の二項対立を越えたところに、人間としてより良く生きる道が見出され
ることを示唆している。
(本書より引用)

 


この文献の詳細ページへ「ネイティブ・マインド」 アメリカ・インディアンの目で世界を見る 
北山耕平著 地湧社 

日本人の手によって書かれた好著。メディスンマンであるローリング・サンダー
との出会いからインディアンに深くひきつけられた著者が、彼らの生き方を再び
この地球に甦らせるための方法を探る。特に大人になるための儀式「ヴィジョン・
クエスト」と呼ばれるものを詳しく紹介し、その実践方法を説く。著者はインディ
アンにに関する文献を多数翻訳し日本に紹介しているが、代表的なものに「ロー
リング・
サンダー」「レイム・ディア(インディアン魂)」「シャイアン・インディアン
 祈り」
「虹の戦士」がある。本書は私たち日本人にとって、これらのインディ
アンの精神文化を理解する上で欠かせない文献のひとつに数えられるに違い
ない。

私はその力に導かれて日本の中を旅してきた。それは自分の内側への旅
だったと
いっていい。血と霊の流れのなかにかろうじて残されていた古い祖先
の歩いた道を
探して、私はこれまで旅をしてきた。・・・偉大なる曾祖父よ! 
まったく新しい世界
の見方で自分の生れた国を見ることは、なんと信じられな
い発見の連続だったで
しょう。いかなる歴史を経て私たちのこの島々でモンゴ
ロイドとしての生き方が、
海を越えてきた開拓者たち(日本建国の父たち)に
よって歪められ、時間をかけて
根こそぎ変質させられていったかを。なぜ私た
ちが生れた時から自由であることを
半ば諦めたような、まるで「奴隷」のような
生き方をよしとするに至ったのかを。世界
に類を見ない複雑で強固な差別の
構造と、裏と表の二つでひとつの多重な世界観
を持たざるをえなかったわけを。
ありとあらゆる「聖なるもの」が開拓者と共に海を
越えてきた「宗教」によってこ
とさらにおとしめられていくプロセスを、今では私は
ありありと想い描くことがで
きる。そして今自分のなかを流れる血が、そしてそこを
吹き渡る風が、太古より、
つまりこの列島が日本と呼ばれ、そこに住む人たちが
ひとからげにされて日本
人と呼ばれるようになる以前から、脈々と伝えられてきた
ものであるとの確信に
私は至っている。

(本書より引用)

 
  この文献の詳細ページへ「我らみな同胞」
インディアン宗教の深層世界
 A・C・ロス著 スーザン・小山訳 三一書房 

 アメリカ・フランス・ドイツなどでベストセラーとなった本である。またロス
博士は1997年11月、関西市民大学で講演会を開いた。

「自らのルーツを求めてダコタ宗教儀式に参加した著者が、のちにユング
心理学とダコタの宗教儀式の共通性、人間深層心理を儀式化している
インディアン思考の原理と方法を分析する。インディアンの哲学の中枢とは、
「赤い道」の達成であることをロス博士は発見する。「赤い道」とは、左右に
偏重しない総合的な脳の状態、すなわち脳の全体的機能の達成であった。
ユング説とロジャー・スペリー(ノーベル医学賞受賞者)の頭脳半球説を使い
ながら、インディアンの思考と哲学を探求。宇宙と自然の法則のなかに生き
なければならない人間の存在を問う。」同著・帯文より引用


さらにダ/ラコタの伝統の考えでは、霊魂は誕生したその瞬間にその体に
入る。そこで良い霊魂が体に入ってくれるよう偉大なる神秘に、儀式を催し
て祈るのである。ひとが死ぬとその霊魂は銀河に行って、それを南に向か

う。その南の終りに年老いた女性が座っていて、あなたの地上の生活を
判する。あなたが赤い道を歩き、またひとびとに寛大で、他を助け、すべ
のものと調和のなかに生きたのであったならば、その老いた女性はあなた
に、長い方の道、つまり宇宙の中央にいたる左の道を取ることを許す。もし
あなたが黒い道を歩み、どん欲で自己中心的であったなら、彼女は右の

を示し、あなたを突き落とす。そこであなたの霊魂はふたたび地上に落
ち、
新しい肉体に宿ってこの世に誕生するのである。それはあなたがふた
たび
すべてのものと調和に生きるため、新しい機会を与えられたということ
なの
である。もしひとが非常に若いうちに、そのような機会もなく死んだ場合
は、
長老が選ばれ、その霊魂を一年間守護する。この間その長老はその
若い
魂が銀河の左の道を行き、進化の旅を完成して、宇宙の中心に帰る
ことが
出来るよう毎日祈るのである。

(本書より引用)

天空の果実・「地球の上空から見た牡牛座とプレアデス」
天空の果実・「インディアンに語り継がれてきたプレアデスの伝説」

 
この文献の詳細ページへ「対訳 亀の島(Turtle Island)」
ゲーリー・スナイダー著 
ナナオ サカキ訳 山口書店 
1975年 ピューリッツア賞(詩部門)

「亀の島」とは北米大陸のことであり、多くのインディアン部族はこの大陸を
亀の背に乗っている島だと考えていた。この「亀の島」に関する神話・伝説は
数多く存在しているが、本書のゲーリー・スナイダーはこのインディアン並びに
に共通して横たわっている視点を取り戻すことこそ未来を創造できるかどう
かの試金石だと語る。日本で禅の修業をし、環境問題と先住民問題には密接
に関わってきた著者が世に問うた本書には、詩と説話が収められているが、
その中の多くは実に美しい響きを奏でており、インディアンなど先住民に共通
する魂が著者にも宿っていると感じられてならない。1975年のピューリッツア
賞(詩部門)受賞作品。

詩が語るのは“場”であり、生命をつなぐエネルギーの道筋。それぞれの生命
はこの
流れに浮かぶ渦巻き、形なす乱流、一つの歌。この詩集の作品は、ヨー
ロッパ、アフ
リカ、ラテンアメリカ、アジアなどから来たアメリカ人の“亀の島”の
未来の可能性に捧
げられている。彼らがこの“亀の島”の大地を、場を愛し、学
ぶ日がくるように望みなが
ら。たとえ合衆国がその土地をだめにし、古代からの
森を切り倒し、水圏を毒まみれ
にしたとしても、私たちとその子孫がきたるべき
数千年の未来にわたって、この土地に
住み続けたいと望むのは当然のこと。こ
れは日本、東南アジアまたブラジルにも妥当す
る。私たちは住み続ける。その私
たちが、なぜ未来をだめにしつつあるのか。その原因
の一部は、政治的経済的
絵空事にすぎない短命な国家を、合衆国や日本を永久のもの
と見なすからだ。
真実の相は、“亀の島”であり“ヤポネシア”。今こそ最も古い伝統に戻
るべき時。
アフリカ、アジア、ヨーロッパそれぞれの“根の国”からこの大地と場を敬愛す

よう学ぶ時。そうすれば“亀の島”で、また宝石の島々つながる日本で、この惑星
地球
に共に生きることになる。
(本書・日本版“亀の島”への序文 ゲーリー・スナイダーより引用)


 


この文献の詳細ページへ「Alaska 風のような物語」 
星野道夫 写真・文 小学館

星野道夫氏が13年間におよぶアラスカ取材を通して見つめた大自然と、
そこに生きる先住民の方たちの視点。その深い思索の息吹と写真の中の
動物たちの力強く優しい鼓動が見事に調和した傑出した写真文集であり
文字どおりの名著である。多くの方にこの息吹と鼓動を感じていただける
ことを願っている。それは私たち地球に生きるすべてのものへの賛歌であ
り未来という世界へのメッセージでもある。

あらゆる生命は同じ場所にとどまってはいない人も、カリブーも、星さえも、
無窮の彼方へ旅を続けている 星野道夫(本書より)

人は、なぜ自然に目を向けるのだろう。アラスカの原野を歩く一頭のグリ
ズリーから、マイ
ナス50度の寒気の中でさえずる一羽のシジュウカラから、
どうして僕たち
は目を離せないのだろうか。それはきっと、そのクマや小鳥
を見つめなが
ら、無意識のうちに、彼らの生命を通して自分の生命を見て
いるからなの
かもしれない。自然に対する興味の行きつく果ては、自分自身
の生命、
生きていることの不思議さに他ならないからだ。僕たちが生きてゆ
くため
の環境には、人間をとりまく生物の多様性が大切なのだろう。オオカミ
徘徊する世界がどこかに存在すると意識できること・・・・・・・。それは想像
力という見えない豊かさをもたらし、僕たちが誰なのか、今どこにいるのか
を教え続けてくれるような気がするのだ。少し寒くなってきた。アカリスの警戒
音はまだ聞こえている。雪を被ったトウヒの木々を見上げても、どこ
にいるの
かわからない。これから長い冬が始まる。

(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「旅をする木」 
星野道夫著 文春文庫 

この深い沈黙から発せられた言葉は何処から来るのだろう。星野氏の
深く研ぎ澄まされた感性にアラスカの大自然に生きる生命の息吹が吹き
込まれた時、その魂は私たちに至福感を呼び覚ます。類希な言葉になら
ない想いを抱かせる星野氏が残した本書は、アラスカ先住民の人々や
白人たち、そして動植物たちがアラスカという過酷な自然環境のもとで
必死に生きてきたその崇高な魂の記録である。

狩猟生活が内包する偶然性が人間に培うある種の精神世界がある。
それは人々の生かされ
ているという想いである。クジラにモリを放つときも、
森の中でムースに出合ったとき
も、心の奥底でそんなふうに思えるのでは
ないだろうか。私たちが生きてゆくという
ことは、誰を犠牲にして自分自身
が生きのびるのかという、終わりのない日々の選択
である。生命体の本質
とは、他者を殺して食べることにあるからだ。近代社会の中で
は見えにくい
その約束を、最もストレートに受けとめなければならないのが狩猟民で
ある。
約束とは、言いかえれば血の匂いであり、悲しみという言葉に置きかえても
い。そして、その悲しみの中から生まれたものが古代からの神話なのだ
ろう。動物
たちに対する償いと儀式を通し、その霊をなぐさめ、いつかまた
戻ってきて、ふたた
び犠牲になってくれることを祈るのだ。つまり、この世の
掟であるその無言の悲しみ
に、もし私たちが耳をすますことができなければ、
たとえ一生野山を歩きまわろうと
も、机の上で考え続けても、人間と自然と
の関わりを本当に理解することはできな
いのではないだろうか。人はその
土地に生きる他者の生命を奪い、その血を自分
の中にとり入れることで、
より深く大地と連なることができる。そしてその行為をやめ
たとき、人の心は
その自然から本質的に離れてゆくのかもしれない。
(本書より引用)


 
この文献の詳細ページへ「イニュニック(生命)」 
アラスカの原野を旅する 
星野道夫著 新潮文庫

アラスカのベーリング海峡やその大自然の前で、そしてそこに生きる多く
の生き物や人間から多くのことを教えられ気づかされていく著者。現代
文明をもってしても、このあまりに厳しい風土の地は人間の行く手を遮る。
カリブーの大移動などアラスカの野生の動物写真を数多く撮影し、そこに
生きる人々との心の交流を通して星野氏は自らの存在の意味を探ろうと
している。前に紹介した「森と氷河と鯨」と重複しているところもあるが、
大自然と人間の関わりを考察した生命の記録である。

「心に響く言葉」1998.10/23を参照されたし
 
この文献の詳細ページへ「長い旅の途上」 最後のメッセージ 
星野道夫著 文藝春秋 

本書は星野道夫氏の遺稿集として編集されたものであるが、既発表で
単行本未収録の文章を可能な限り収録したものである。既刊の文献と
重複している文章も幾つか見かけるのだが、遺稿集という意図にそって
76稿を収めた本書は、彼が私たちへ託した最後のメッセージである。
既刊の作品同様にこの文献には、人間と自然にまつわる深く優しいなぐ
さめが息づいている。

星野道夫は広大な氷河の上にひとり立って、宇宙が語りかけてくること
に耳をすました。いまなおカリブーやサケをとって生きるアラスカ先住民と
語り合って、彼らの深い生き方を知った。星野がアラスカの地で過ごした
幸福な時間はみごとなエッセイになって、私たちに限りない慰めを与えて
くれる。1996年事故で急逝した星野が書き残した全文章を集成、真の
遺稿集ともいうべき一冊である。(文藝春秋 新刊案内より)

 
この文献の詳細ページへ「内なる島 ワタリガラスの贈りもの」 
リチャード・ネルソン著 
星川淳訳 星野道夫写真 めるくまーる 
1991年 ジョン・バロウズ賞受賞作 

「敬愛する友人の作家、リチャード・ネルソン(中略)のもつ自然観に
自分自身の思いと重なるものをずっと感じていた。この作家の著作の
テーマはアラスカ先住民の世界であり、言い換えれば、狩猟民のもつ
自然と人間の関わりである(星野道夫・森と氷河と鯨)。」、そして同じく
ネルソンの友人のゲーリー・スナイダー(ピュリッツァー賞詩人)はアラ
スカの魅力について次のように言う。「アラスカにはほとんど人間の痕跡
が見当たらない地域がある。ところがそこには、一万年以上人びとが
生きてきた。十九世紀の人間なら“なんだこの連中は中身が空っぽじゃ
ないか”というかもしれない。生活の跡さえ残していないのだから。しかし
見方を変えれば、一万年もそこに暮らしてきて、複雑で豊かな知的・
精神的文化を営みながら、まったく痕跡を残さないというのはあっぱれ
な偉業だ。われわれも未来のために手つかずの自然を残すことを、
この文明の記念碑にしようではないか」。星野道夫、ゲーリ・スナイダー、
そしてこの文献の著者であるリチャード・ネルソンの言葉は先住民族の
視点そのものを雄弁に証している。そしてそれはアマゾン先住民アユト
ン・クレナック
が語る世界観、世界各地の先住民族に宿る共通の世界
観なのである。「人間は鳥のように静かに飛び去っていくことができる。
地球を通りすぎるだけなのに、なにか記念碑を残してゆくような人は、
それだけ自分に自信がないのです。なにかを成すために人間は存在
していると西欧の人は考えるが、なにも成さないためにいてもいいじゃ
ないか。人間は宇宙の一部であり、その宇宙そのものが素晴らしい
記念碑であり、創造物なのですから」。この「内なる島」に描かれている
アラスカの大地に生きる多くの命のきらめき、そしてコユーコン族の
長老に導かれながら、これらきらめく命の息吹を自らの魂の深部で抱き
しめている著者の瞳に、私の魂は強く揺さぶられる。上に紹介した多く
の瞳に宿っているもの、そこにはまたあるべき未来への礎の鍵が横た
わっている。

 
この文献の詳細ページへ  「インディアン・スタイル」
ワールド・ムック 900)」 今井 今朝春 編纂

目次
アメリカ・インディアン博物館にみるインディアン・スタイル 河村喜代子
アメリカ・インディアンの現在〔Q&A〕 編集部
インディアン・コスチューム 中村省三
ジョージ・カトリンの贈り物〈インディアンの美しさを最初に伝えた画家〉 
香山和子
インディアンのサイン言語 編集部
強く生きるサンダンスのペイント 編集部
アメリカ・インディアン部族別コスチューム 香山茂子
仮面に表現された精神性と創造力 編集部
インディアン・ファッション 編集部
アパッチ族の肖像〈戦士・少女・シャーマン・ダンサー〉 編集部
パウワウで出会った美しくスピリチュアルな人々 編集部
コマーシャル・アートに登場したインディアンたち 編集部
西部劇とアメリカ・インディアン 菊月俊之

 
この文献の詳細ページへ「蛇儀礼」 
北アメリカ、プエブロ・インディアン居住地域からのイメージ 
アビ・ヴァールブルク著
加藤哲弘訳 ありな書房

この文献には特異な面が二つある。一つはインディアンへの偏見が
まだ根強い時代、1923年に行なわれた講演であること。もう一つは
著者自身が精神的に不安定な統合失調症の時期に、彼自身が入院
している療養所で行なわれたことである。インディアンの偏見に満ちて
いた時代、彼の視点は蛇の図像への考察にも見られるように、彼ら
インディアンが持つ世界への接近を西洋のそれと対比させながら展開
させている。しかしそれは彼の内面を考慮に入れなければ正しく読む
ことは出来ないものだろう。尚、蛇へのインディアンと西洋の視点の違
いに関しては、違った角度からの文献「蛇と十字架」東西の風土と宗教
がある。

ヴァールブルク自らが現地で写真に収めたアメリカ先住民たちの
生活と儀礼、そのなかに息づく蛇のイメージ。旅の記憶は壮大な歴史
的回想へと姿を変えて、古典古代やキリスト教、世界の美術に見られ
る蛇の図像の役割を逆照射する。ジャンルの閾を超えて、文明化に
よる不安克服の両犠牲を自己省察とともに顕在化させる試み。
(本書・帯文より)

 
この文献の詳細ページへ「蛇と太陽とコロンブス」
アメリカインディアンに学ぶ脱近代 
北澤方邦著 農文協 

本書は著者の三回目のホピ族との出会いを綴ったものであるが、著者
の幅広い見識と鋭い観察力、ならびに現代文明の限界を見据えた視点で
アメリカ・インディアンの精神世界並びに日本を含む環太平洋文化に迫った
好著である。またホピ族の伝統的な儀式(スネーク・ダンス、バタフライ・
ダンスなど)や他の部族の儀式の様子を克明に記録している数少ない文献
の一つである。著者とその妻、青木やよいは多くのホピ族に関する文献を
出版しており、「ホピの聖地へ」「ホピの国へ」「ホピ・精霊たちの大地」がある。
 
この文献の詳細ページへ「ホピの聖地へ」
 知られざる「インディアンの国」 
北沢方邦 著 東京書籍

二十五年もの間アメリカ・インディアンの文化に引き付けられてきた人類
学者である著者が、合衆国南西部インディアンの各地を訪ねた旅を記した
ものである。インディアンの文化に対して深い造詣を持ち、彼らの宇宙観に
共鳴した著者が豊富なカラーの写真や絵を通して、インディアンの精神文化
に迫るもので、サンタフェ、グランドキャニオン、ナバホ、ホピなどが紹介され
ている。著者は他にも「蛇と太陽とコロンブス」という興味深い文献をも書い
ておられるが、著者の妻である青木やよひ女史も同じくインディアン(特にホピ
族)に関する著作(「ホピの国へ」「ホピ・精霊たちの大地」)を世に出している。

創造主がマサウを通して語った預言と教示をまとめた「テククワ・イカチ」
「生命の始まりから浄化の日まで ホピ物語」を参照されたし
ドキュメンタリー映画「ホピの予言・人類滅亡・核時代の最終予言」

 
この文献の詳細ページへ「ホピ的感覚」
預言された「浄化の日」のメッセージ 
小原田泰久 著 KKベストセラーズ

「氣」の研究者として知られる帯津氏と中川氏と共にホピの聖地を訪ねる
旅にでた著者が改めて「ホピの預言」の重大性に気づく。私自身、以前から
ガン治療に東洋医学の可能性を持って実践している(埼玉県川越市にある
帯津三敬病院)帯津氏に興味を持っていたが、この本の中でもそれが紹介
されており、また同じく「氣」でも外氣功で有名な中川氏の言葉も載せられて
いる。そしてホピの伝統を多くの迫害に会いながら守り続けている一人の
長老 マーティン・ガスウィスーマ氏の日本人に宛てたメッセージも紹介され
ている。アメリカ・インディアンと「氣」という奇妙に見える組み合わせも「氣の
場」の調和という点では相通じるものがあるかもしれないと感じられた。本書
に出て来る「ホピの預言・偉大なる浄化の日」という映画を制作中であった
宮田氏が倒れたが、一日も早い回復を願わずにはいられない。

帯津三敬氏は1936年生まれ東大医学部卒業後、東大第三外科医局長、
都立駒込病院外科医長として、ガンの治療、研究に携わる。その後、治療
の一環として、気功・呼吸法を導入し、帯津三敬病院を開設。「ガンを治す
大辞典」など著書多数ある。調和道協会会長、日本ホリスティック医学協会
理事、中国北戴河気功康復医学院名誉院長を務めるが、何よりも病院の
道場で呼吸法・気功を自ら患者さんに教え、その気さくな人柄で患者さんの
精神的支えとなっている。

 
この文献の詳細ページへ「ホピ・精霊たちの台地」アメリカ・インディアンからのメッセージ 
青木やよい著 PHP研究所 

ホピ族の人々と長年にわたる交流をしてきた著者が語るホピ族の人々の
生き方。
 
この文献の詳細ページへ「ホピの国へ」アメリカインディアンに学ぶ 
青木やよい著 廣済堂文庫 

ナバホ族とホピ族との最初の出会いを語る。続編が「ホピ・精霊たちの台地」。

いや、そんな哲学的めいた論争すらもはや必要ではない。このままでは
人類は、偶発的な核戦争か、環境および食品の致命的な汚染か、地球資源
やエネルギーの枯渇か、あるいは試験管ベビーに代表される生命の人工生
産や種の人工淘汰といった悪魔的な所業によって、この中のどれか一つで
もおこれば、簡単に、それこそマンモス以上に急速に滅び去るにちがいない。
この現実を前にした私たちにいま必要なことは、あれこれの小さな手直しに
気をとられるよりも前に、自分たちが確固不抜なものとして信奉してきた「二
千年の歴史の進歩」という考えを一度疑ってみることである。「文明的」という
時の、「文明」のよってくる意味を、根元的に問いなおしてみることである。
その時、未開社会の無言の存在が、滅び去った無数の部族と死に絶えた
無数の人々のアルカイックな微笑と共に、私たちに何ごとかを告げるだろう。
いま、地球上の生きものの一つの種として私たち人類が存亡の岐路に立っ
ている時、そこに何をよみとるのかが、未来をひらく重大なカギとなるのでは
ないかと私は考えている。・・・本書<なぜ未開社会を語るのか>より

 
この文献の詳細ページへ「インディアン・カントリー心の紀行
スーザン・小山著 三一書房 

アメリカに住む著者が、アメリカ西部大平原をさまよいながら見つけた
日本とインディアンの共通分母を探る旅を記した書。

インディアンが近代技術力を発展させなかったのは彼等が劣等で、それ
を推し進める能力も知力もなかったからであろうか。少なくとも白人は自分
達が過去五百年にわたって先住民族に行った行為を避けられない歴史の
しわざであると考え、強いものが弱いものを薙ぎ倒し、優勢な文明が劣等な
文化を凌駕し、征服して行くのは人間関係の正当なルールであると言って
きた。それは本当だろうか。その白人の攻撃的な自然征服の論理に対抗
する原住民は、たえず自然との調和をめがけて来た。その野蛮なインディ
アンの心理構造には、大地、そして天地と人間の調和を乱してはならない
という心の牽制がつねに働いた。土地に深い愛着を持ち、その土地を場合
によっては人間の上に置く人々にとって、土地を、母なる自然を経済活動
の目的、利潤をあげる手段として搾取することは、自らの精神の根本を
否定する天地への裏切り、創造主との約束の違反だった。原住民の幼稚
とも思われる数々の創造神話、伝説は、すべてこのような天地との約束の
物語、人間が自分に課したハンディなのである。日本にも「雪女」「おつう」
などの民話がある。これはインディアンの民話、ひいては伝承伝説のたぐい
と思想を同じにするもので、雪女はべつのところで述べた「とうもろこしの
乙女」とまったく同質の存在である。雪女に象徴される自然と、その約束を
破った人間の愚かしさの帰結を示して、調和を乱すまいと自らのいましめ
としている。それは欲望という怪物を野放しにしない用心であって、表面的
な幼稚さを超えた深遠な哲学があると私は思うのである。つまり自然という
ものをつねに頭において人間生活に中庸を求め、そのバランスをつねに
図っているのがインディアン文化なのである。(本書より)

 
この文献の詳細ページへ「風の知恵」 
黒田征太郎・デニスバンクス著 毎日新聞社 

画家・イラストレーターである黒田氏が、アメリカ・インディアン運動(AIM)
のリーダーであるデニス・バンクス氏との出会いを、黒田氏独特の絵を通し
て描いている。また本書に出てくるデニス・バンクスの言葉は風のように
自然と心を、あるべき場所へと運んでゆく感銘深いものである。

「心に響く言葉」1997.5/18を参照されたし
雑記帳「魅せられたもの」1997.5/30「禅と聖なる魂」を参照されたし

 
この文献の詳細ページへ「インディアンという生き方」 夢にかよう魂
リチャード・アードス著 仙波喜代子訳 
グリーンアロー出版社

アメリカ・インディアンの精神文化を最もよく知る白人の一人である著者
が関わった文献には、古典と言われる「レイム・ディアー(インディアン魂)」
「アメリカ先住民の神話伝説」「魂の指導者 クロウ・ドッグ」「ラコタ・
ウーマン」
などがある。1970年代にスー族の著名なメディスン・マン、
レイム・ディアーと知り合った著者はその後、深くインディアンと交流し白人
が立ち入ることが出来ない幾つかの儀式や生活を記録してきた。本書は
それらの記録を写真を交えて紹介するものであり、インディアンでない人間
から見た彼らの聖なるもの(ゴースト・ダンス、ヴィジョンクエスト、ユイピ)や
権利獲得までの苦闘が語られます。

 
この文献の詳細ページへ「はるかなるオクラホマ」 
ネイティブ・アメリカン・カイオワ族の物語と生活 
高橋順一著 はる書房 

20年前に文化人類学を学ぶ学生だった著者が、カイオワ族の文化と
言語を研究するためフィールド調査を行ったときの記録で、カイオワ族の
生活と物語を紹介する民族誌的エッセイである。非常に読みやすい文献で、
カイオワ族の伝説が独自の言語を失いつつある時代においても、それが
現代においてどのような形で生きているのかが語られている。私自身
「ブラック・エルクは語る」
「ホピの予言」など彼らの深い精神性に魅了さ
れたが、インディアン全体を美化しすぎている傾向が強く、あるがままの
インディアンの実像を正しく伝えていない側面もあるのだろう。その点、
この文献は研究者としての偏らない視線で書かれたものであり、彼ら
カイオワ族の文化や生活を知るうえでとても興味深い文献となっている。

カイオワはその出身が謎に包まれた民族である。・・・・かつて私はこの
謎に包まれたカイオワの言語と文化を研究するために、オクラホマの地
を訪ねたことがあった。フィールド調査を行い、多くのカイオワと出会い、
多くの予期せぬ出来事に遭遇し、様々な心のふれ合いを経て、たくさん
のことを学んだ。本書に記すのはその時の物語である。
(本書「はじめに」より引用)

 
この文献の詳細ページへ「アメリカ・インディアンの世界」生活と知恵 
マーガレット・フイート著 スチュアート・ヘンリ監修 
熊崎保訳 雄山閣 

この文献は1967年に出版されたもので、グレート・ベイスンに住む
パイユート族の生活技術、白人入植以前の「伝統」時代の暮らし方を
記録に留めたものである。そこにはマツの実の収穫、カモ猟のおとりの
製作、毛皮のなめし方、繊維質で作る道具、ヤナギの枝を使った細工、
家の作り方、ガマとトゥーリで作る小舟など、野外で暮らす巧みな技術が
パイユート族の古老の写真などを通して詳しく紹介されており、大自然と
調和して生きる彼らの姿が浮かび上がってくる。

 
この文献の詳細ページへ「北米インディアン生活術」 
自然と共生する生き方を学ぶ 
横須賀孝弘著 グリーンアロー出版社 

この本のパート1では、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」など西部劇でおな
じみの「平原インディアン」を中心に、衣食住にまつわるクラフトを紹介
します。その多くは、あなた自身も作ったり試したりして楽しむことがで
きるものです。体験を通して、かつての彼らの暮らしをしのぶことがで
きます。また、実際に作らないまでも、その作り方を知ることによって、
それぞれのアイテムについてより深く知ることができます。昔の平原
インディアンの写真などを見るときも、従来とは少し違った見方ができ
るものと思います。パート2は、絵で見るインディアン生活術です。この
パートでは、平原インディアンのバイソン(野牛)活用術のほか、日本人
にも馴染みの深いインディアン・アイテムをピックアップし、その基礎知
識を記しました。インディアン・ジュエリーやトーテムポールなど、あなた
が実際に作るのはちょっとムリでも、写真や映画でよく目にし、また、
日本でも実物に接する機会のあるインディアンインディアンの工芸・美術。
ちょっとした知識があれば、それらに接したときの楽しみ方もぐっと深ま
るでしょう。パート3は、インディアンの暮らしにまつわる雑学です。アメリ
カの文化に大きな影響を与え、日本人の日常の暮らしを豊かにしてくれた、
インディアンの生活術のあれこれを紹介します。(本書・まえがきより引用)

 
この文献の詳細ページへ「アメリカ・インディアンの生活」 
カラーイラスト 世界の生活史 32
フィリップ・ジャカン著 フランソワ・ダボ イラスト  
福井芳男・木村尚三郎 監訳 東京書籍

アメリカ・インディアンの生活全般を豊富なカラーイラストで紹介している
本で、著者は「アメリカ・インディアン 奪われた大地」の書籍でも知られて
いるが、他の文献の記述と照らし合わせて見た時、事実誤認やある特定
の部族の習慣を全てのインディアンに適用している点など疑問が多く残る
書籍であると感じている。確かに著者のジャカンはインディアンの歴史に
おいては詳しいが、インディアンの生活や精神世界の領域に関して言えば、
それほど精通しているとは言い難い。勿論私自身インディアンに関しては
専門家でもないのでこの判断は見識のある方にお任せしなければならな
いと思っている。
 
この文献の詳細ページへ「自然のこえ 命のかたち カナダ先住民の生みだす美」
国立民俗学博物館 編 昭和堂

カナダ先住民と言ってもオジブワ、モホーク、イロコイ、ヒューロン族など
アメリカ国境をまたがっている部族も存在するが、本書は主に北西海岸
(ハイダ、トリンギット)と極北(イヌイット)の先住民の芸術品を紹介している。
芸術品と言ってもただ単なる羅列に終わることなく、その意味、そして過去
から現代までの歴史を踏まえながら紹介しており、一つ一つの芸術品に刻
まれた彫刻や文様を通して彼らの精神文化の一端を知ることができる。
この文献は2009年9月から12月に大阪・国立民族学博物館にて開催さ
れた特別展にて出品されたもので、カナダ文明博物館からも多くの出品が
なされている。

とくに、後半部では、対照的ともいえるイヌイット文化と北西海岸先住民
文化の違いを示すとともに、それらに共通する人間と動物の関係など世界
観を紹介する。カナダの先住民社会では、人間と動物の関係はたんなる
「捕る・捕えられる」という関係ではなく、人間は捕獲した動物の霊魂に敬意
を表し、適切な儀礼をおこなうことによって、動物を再生させる役割を担って
いる。すなわち人間と動物の関係は生・・・・死・・・・再生という循環にもとづく
互酬的な関係である。

また、多くの先住民は、すべての動物には霊魂が宿っており、その霊魂は
人間のものと同じであると考えている。したがって、人間はクマやカリブー
(トナカイ)の姿に変身できるし、その逆も起こりうる。人間も動物も同様に
家族をもち、カリブーも家に帰れば毛皮を脱ぎ、人間と同じ姿で生活を送っ
ていると考えられている。つまり、人間と動物(広義の自然)は別々の存在
ではなく、一体化した存在でありつ言い換えることができる。したがって、
人間が動物(自然)を無意味に傷つけることは、人間自身を損なうことでも
ある。

これらの考え方は、イヌイットや北西海岸先住民の神話や昔話、アート作品
の間において広範に認められる。それは、すべての生命や自然を尊ぶ共生
の思想であり、グローバル化が進み、技術が発達した現代社会では等閑視
されがちな考えであろう。カナダ先住民文化の展示および本書が、今一度、
人間と自然の共生のあり方を再考していただく契機となることを願っている。

(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「老女の聖なる贈りもの」 
プリシラ・コーガン著 ハーディング・祥子訳 
めるくまーる 

この本の著者のプリシラ・コーガンは、スー族のメディスンに精通して
いるチェロキー・インディアンの心理学者を通して、そしてこの小説の
主人公は一人のインディアンの老女を通して、インディアンの死生観や
心身を癒す方法を学んでいく。著者の実体験が色濃く反映されたこの
小説から、インディアンの豊穣な精神文化(特に死生観)の一端を知る
ことが出来るだろう。尚、本書はスー族の伝統的な教えに根差した物語
として、インディアンの読者にも好評を博しているとのことである。

 
この文献の詳細ページへ「糸ごよみ」  1800年代、二人のヤカマ・インディアン女性の記録 
ポール・ブロック著 だいこくかずえ訳
葉っぱの坑夫 

「糸ごよみ」は著者ブルックのヤカマ・インディアン文化への長年の調査・
研究から生まれた作品です。ブルックが合衆国森林保護局のナチュラリスト
としてワシントン州で働いていたとき、ヤカマの文化について直接見聞きし
たことをもとにしています。ブルックの作品は「ロッキーマウンテン・レビュー」
「フライウェイ」「マグマ」などアメリカ、イギリス、アイルランドなどの多くの詩
の雑誌で発表されています。一人の人間の自我が自然界と結ばれることの
大切さを表わした作品が多く、それはまた昔のアメリカ・インディアン女性た
ちの物語ともかさなります。ポール・ブルックは現在アイオワ州エイムズに妻
のコーリーと住み、大学で英語を教えるあい間に、ウォーター・ガーデニング
やバード・ウォッチングを楽しむ日々をおくっています。地方で田舎暮らしを
するのがなにより好きで、アイオワのこの静かな土地を愛しているそうです。
(本書 著者について より引用)
 
この文献の詳細ページへ「アメリカ・インディアンはうたう」
金関寿夫 文・訳詩 堀内誠一 絵 福音館書店 

小学中級からの子ども向けに書かれた本で、読みやすいようにイラストが
多く、漢字には振り仮名がついている。インディアンって何?と問う子どもたち
にとって、本書はその全体像を理解し、親しんでもらうには最適の文献かも
知れない。金関寿夫さんがいろいろな文献からまとめたものが本書である。


本書 より引用
インディアンは、人間だけでなく、大地、岩や木、小鳥やけもの、そしてふく風
にさえ霊があり、心があることをしんじています。だからかれらは自然の事物
をだいじにし、動物や草や木にも、いつもやさしい気持ちでせっします。たとえ
ばナヴァホ族は、春になって大地に草がはえてくると、はいていたモカシンを、
わざわざぬいで、草の上を歩くそうです。春はみんなのお母さんである大地の
おなかの中に、あかちゃんのできる季節。だから、そのおなかをいためないよ
うに、はだしであるくのです。インディアンの古い物語には、よく人間と動物が
いれかわる話があるけれど、そういう考えは、人間だけがこの世でえらそうな
顔をするのをいましめているようで、とてもすばらしいと思います。


 
この文献の詳細ページへ「シャーマンの環」
過去、現在、未来が溶け合う聖なる知識 
ナンシー・ウッド著 フランク・ハウエル絵 
井上篤夫訳 講談社 

わたしたちインディアンでない者たちのほとんどは季節の魔術、大地の
精妙なリズム、自然界の日毎の恵に触れない。春、鳥が巣を作り、木々
が芽吹き、川が生命で膨れ上がる。だが、わたしたちはほとんど目を止
めない。こうしたことに注意を払うには忙しすぎるのだ。だが、わたしたち
は注意を払わなければならない。なぜなら、わたしたちは自然に、そして
互いに、しっかりと結びついているから。儀式を再発見し、それによって
自分を再発見しなければならない。自然との絆を日々強めることが必要
だ。わたしたちの中で昇る太陽を出迎え、沈む太陽に別れを告げる者は
少ない。月に吠える者は多くない。雨雲に、育ちつつあるトウモロコシに、
死の霊に歌いかけない。わたしたちは自分のルーツから離れて漂い、
憂鬱が蔓延している。いまこそわたしたちは、聖なる中心とのつながりを
もう一度確立し、ひとりひとりに意味のある儀式を作り出さなければなら
ない。ここに収められた詩は、それ自体が儀式である。できれば、木の
下で、あるいは小川のほとりで、ひとりで読んでもらいたい。これを読ん
だら立ち上がって踊りたい、歌いたいという気持ちになってほしい。ある
いはまた、あなたもシャーマンの聖なる環の中に入ってあなた自身の詩
を書いてほしい。そこではどんなことでも起こりうるのだから。
(本書・まえがきより)

 
この文献の詳細ページへ「メディスン・ホィール」
サン・ベア&ワブン著 小林加奈子訳 VOICE 

自然界の精霊達に耳を傾け、それぞれの持つヒーリング(治癒)効果、
霊的意味を書き記した書で、主に生まれ月による処方箋を記している。
またこの著者達は「インディアンの大予言」という本も書いている。

 
この文献の詳細ページへ「プレアデスの知恵」
 チェロキーインディアンからのメッセージ 
薗田 綾著 総合法令 

ホーク・フー・ハンツ・ウォーキング(歩きながら狩りをする鷹)の知恵・預言・
癒しの教えを、著者が忠実に紹介している。彼の慈愛に満ちた言葉が心に叫
びとして残り、聖なる芳香に包まれる。傲慢な人間が繰り広げる、母なる地球
への、そして大地に共に立つ生命への殺戮・暴力。まさにホーク・フー・ハンツ・
ウォーキングの言葉はこの苦しんでいる地球と、そこに生きるすべての生命の
声の代弁である。この彼が日本の人々に送った「未来へのメッセージ」をお読
み下さい。

雑記帳「魅せられたもの」1997.5/4「プレアデスの智恵」を参照されたし
雑記帳「魅せられたもの」1998.4/20「父は空、母は大地」を参照されたし
天空の果実・「インディアンに語り継がれてきたプレアデスの伝説」
 
この文献の詳細ページへ「インディアンの愛」
メディスン・ストーリー 著 大坪奈保美訳 地湧社

インディアンに伝わる伝説・英知を交ぜながら、著者の個人的体験の言葉・
「愛」・が優しく心に響く。「愛とは、美と同じ霊源から湧いてくる感情」で在ると
共に「愛とは聖なる輪の意味である」、そしてこれらの教えは「自然を見つめれ
ば、誰にでもわかる」ことと断言しています。著者はナブスコセット族のメディスン
マン・ストーリーテラーとして世界中でセミナー活動を行い、無報酬で刑務所を
回りつづけています。
 
この文献の詳細ページへ「パウワウ」 
アメリカン・インディアンの世界 
写真・文 菊地東太 新潮社

アメリカ先住民のパウワウ、住居、食、ヒーリング、自然と人間について豊富
な写真を織り交ぜながら紹介している文献である。著者は27年にもわたって
アメリカ先住民について取材し、特にナバホのトレーシー一家との深い交流に
より彼らの日常的な生活の場面をも記録している興味深い文献である。

 
この文献の詳細ページへ「ドリームキャッチャー」 
アメリカインディアンのアートを楽しむ 
ファッション・メモ特別編集 ワールド・ムック263 ワールドフォトプレス 

ドリームキャッチャー、メディスンバックなどに込められた伝説と意味、そし
て多くの素晴らしいインディアン・ジュエリーを芸術家の紹介を交えながら
掲載している雑誌です。この雑誌の特徴は国内のインディアン・ジュエリー
専門店28店を詳しく掲載している所ですが、どの作品にもインディアンの
伝統文化を背景に、一人一人の芸術家がもつみずみずしい感性が織りな
した世界観、そしてそこに込められたメッセージの存在があります。だから
こそ普通のジュエリーには感じられないなにものかを感じてならないので
しょう。

 
この文献の詳細ページへ「インディアン・クラフト・ブック」 
ワールド・ムック281 ワールドフォトプレス

インディアン芸術あるいはインディアン・クラフトは多岐にわたっている。
ジュエリー、壷、ビーズ、ドリームキャッチャー、フェティッシュ、ドラム、
カチーナ、バスケット、ラグ、サンドペインティング、彫刻、ストーリーテラー
などである。この文献の特色はこれらインディアン・クラフトが生まれた背景
を踏みながら、数多くの作品を解説と共に紹介しており、また実際に何処で
手に入れることが出来るのかを読者に提供しているところにある。インディ
アン芸術に関心がある人々にとって、その作品がどのような背景を持って
産まれてきたか、そのデザインにはどのような意味が込められているのか
を知りたいと思われるに違いない。その意味でこの文献は多くの情報を伝
えてくれるに違いない。

 
この文献の詳細ページへ 「トラッカー」 
インディアンの聖なるサバイバル術 
トム・ブラウン・ジュニア著 斎藤宗美訳 徳間書店 

自らの生涯を、あるべき未来を築くため、そして平和の道具として貫き
とおしたグランドファザー。精霊の啓示により63年間放浪し、あらゆる
部族から学び続けたグランドファザーが、その最後の時間をかけて7歳
の著者に古来の道を10年にわたり教えていく。本書はサバイバルや
トラッキングという技術を通して、大自然の精霊との交わりや、多くの生き
物と調和した生き方を魂に刻んでいく著者の心の軌跡を記した自叙伝で
ある。その後、行方不明者の探索で有名になった著者は全米最大の
サバイバル学校を設立し、グランドファザーが託した願いを次の世代へ
と引き継いでいく。生涯をかけて大地との絆・真理を探求してきた偉大な
グランドファザーの息吹が、多くの人々の心に流れ続けますように。そし
てどのような世界が待ちうけようとも、古来の道があるべき世界・未来の
扉を指し示すことができますようにと願わずにはいられません。尚、本書
を訳された斎藤宗美さんは「アチレア自然&サバイバルスクール」を主宰
されています。

 
この文献の詳細ページへ「アメリカ・インディアンに学ぶ子育ての原点」  
エベリン・ウォルフソン著 ウイリアム・サウツ・ボック画
北山耕平訳 アスペクト

私たちは、この世界を、そしてこの地球の未来を荷う子どもたちが、今
深刻な悲鳴をあげ、社会自体もどのような対応をしていいのか全く読め
ない時代に生きているのかも知れない。きっとこんな時は、原点に立ち
戻って考えることが最善の方策なのかも知れないと、この文献を読みな
がら強く感じてならなかった。それも勇敢でありながら、慈悲の心を兼ね
ていたインディアンたちがどのような子育てをしていたのかを知ることは、
問題解決の足がかりを与えてくれるだろうと思う。それはまた私たちも
遥か遠い昔に同じ視点で生きてきた記憶を呼び覚ますことにもつながっ
ていくのかも知れない。

この本では、インディアンの子どもたちが赤ん坊のときにどのように
大切にされたか、また成長する過程で、自分たちの文化を残すことを、
一族の長老たちの語る話を聞いたり、大人たちのすることを観察した
り、実際にそれらを自分でやってみることから、どうやって学んだのかを、
あなたに伝えます。インディアンの子どもたちがどんなゲームをして遊ん
でいたのか、どんなおもちゃで遊んでいたのかも、書かれています。彼ら
の暮らしぶりや、普段なにを着ていたのか、大人になる準備のためにど
んなことをしたのかについても、説明します。インディアンと呼ばれる人た
ちは、暮らしぶりこそ昔とまったく違ってしまったかもしれませんが、現在
でもなお、彼らに残された古い文化のある部分を大切にし、それを満喫
しながら生活しているのです(本書・まえがきより引用)。

 
この文献の詳細ページへ「子どもの神秘生活」 
生と死、神・宇宙をめぐる証言 ロバート・コールズ著  
桜内篤子訳 工作舎 

ピューリッツァー賞受賞の児童心理学者による世界の子どもたちの心
のフィールドワーク。ホピの少女、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の
少年少女、そして信仰をもたない子どもたちは・・(帯文)

子どもが霊的な問題をどのようにとらえているのかを探る今回のプロ
ジェクトで、このようなやりとりが、大きな意味をもった。われわれは、
特定の宗教を信じ、その習慣を守っている子どもたちから話を聞くと
同時に、教会やモスクやシナゴーグで教えられなくとも、神や超自然的
なもの、人生の究極の意味、物事の聖なる部分に興味を抱いている
子どもたちの意見も聞いた。その中には、不可知論者や無神論者の
息子や娘もいたし、信仰篤い家庭で育ちながらも、家族の宗旨にそぐ
わないような超自然的な疑問を抱いている子もいた。そのような子の
考えは、多くの場合、私の息子が日曜学校の先生から学びとったもの
に近かった。彼らは、組織された宗教を厳しく批判する。一方で、洞察
力に富む考えを表明した。大人の場合と同じように、子どもの道徳観と
宗教観も重なる部分がある。教会へも行かず、宗教的な教育にも無縁
な子どもの多くにおいても、宗教的体験と霊的体験が重なる部分がある。
ボストン郊外に住む12歳のある少女はこう言っていた。「神様はだれな
のかって考えるの。大昔の人がつくりあげただけの人なのか、もし本当
にいるなら、わたしたちにどういう人間になってほしいと思っているかと
か。」 本書で強調したいのは、子どもたちが特定の宗教をどのように
信じ、その教えをどのように守っているかではない。むしろ、子どもたち
がその霊的な世界を見せる瞬間を示したい。非常に俗っぽい面を見せ
たかと思うと、次の瞬間、神とか魂について深く考えることができる子ど
もの姿を見せてほしいのである。(本書・序 より引用)
 
  この文献の詳細ページへ 「今日は、死ぬにはいい日だ。」
    元気になれる、7つのルール。
作 木戸寛行 画 華丸 小学館


過労死寸前まで追い詰められた著者が、インディアンの言葉に出会
い決死の覚悟でアメリカに旅する。その目的は前代未聞のインディアン
から名前をもらうことだった。何の準備や用意もなくアメリカの立った
著者は、200人の人たちの縁を通してナバホの地に立つことになる。
そして自分がここへきた意味を数時間かけて政府重鎮の前で必死に
訴え、日本人としては初めて彼らから「たくさんの言葉を操る少年」とい
う意味のインディアン・ネームを与えられる。本書はそのような経緯を
辿った著者が、疲れた現代人に送る優しい癒しのメッセージであり、
画はイラストレーターで有名な華丸氏が描いている。

元気になれる、7つのルール。
単純で、いい。
自分からきれいになれば、いい。
空を見上げれば、いい。
内なる声に耳を傾ければ、いい。
もっと遠くへ行けば、いい。
手をさしのべてもらえば、いい。
あなたの物語を編めば、いい。

インディアンになりたかった。
大空を飛ぶイーグルのように 人生を自由に生きていく。
自然と共に 自分の魂にただ忠実に
あせらず 屈せず 裏切らず 希望を持って生きたかった。
そして僕は 旅に出た。
本当の自分を 見つけるために、インディアンに なるために。
(本書 帯文より引用)

 
この文献の詳細ページへ「ナバホへの旅 たましいの風景」 
アメリカ先住民 癒しの文化の深層 
河合隼雄著 朝日新聞社 

臨床心理学やユング心理学で著名な河合隼雄氏による文献で、神話が
科学技術に置き換わったことによる魂の破壊が如何に行われてきたかを、
ナバホの民(メディスンマン)との出会いを交えながら語られている。また
この問題は現代日本にも課せられた課題でもあると認識されており、その
解決策を探る道をナバホの世界観を参考に模索している。前述したように
河合隼雄氏はユングの文献を多数書かれているが、ユング自身も東洋の
世界観などに強くひかれていたようです。下の文はユングがインディアンを
訪ね、その世界観に衝撃を受けた様子を紹介したものです。

「古代人の神話は、彼らを彼らの世界によりよく適応させてくれる方策で
あったのである。ユングの言い表そうとしたことの例として、彼がニューメキ
シコのプエブロ・インディアンを訪ねたときの経験から引用することができよ
う。この人々は太陽が自分たちの父であると信じている。その上、彼らは、
自分たちの宗教儀式を行うことによって、太陽が毎日空を横切る旅を遂行
するのを助けている、とも確信していた。これらの儀式を几帳面に果たすこ
とで、彼らは、それゆえ全世界に貢献しているのである。そしてもし彼らが
愚かにもそれ怠ったなら、「十年たてば太陽はもはや昇らなくなるだろう。
・・・・永遠に夜が続くだろう。」ユングのこれに対するコメントは、以下のよう
である。「そのとき、私は個々のインディアンに見られる「気品」と静かなたた
ずまいが、何に由来するかがわかった。それは太陽の息子であるというこ
とから生じている。彼の生活が宇宙論的意味を帯びているのは、彼が父な
る太陽の、つまり生命全体の保護者の、毎日の日没を助けているからであ
る。」 神話は、・・・・たとえ客観的真実ではなくとも、重要な建設的機能を
勤めているのである。「ユング」アンソニー・ストー著  河合隼雄 訳より引用

「プラセボ効果 信じる者は癒される」 ナショナル ジオグラフィック 
2016年12月号
を参照されたし

 
この文献の詳細ページへ「ナバホの大地へ」  
文・写真 ぬくみちほ 理論社

ナバホに何回も逗留した著者による体験記で、素直で飾らない文体は彼ら
ナバホ族も私たちと同じように、今この空の下に生きていることを感じさせてく
れる。ぬくみさんの著作は他に「ナバホの人たちに聞く」「うさぎあそびうた」
「カラスとよる」「ホワイトサンズ 白い風 白い時」があり、訳書として「俺の心
は大地とひとつだ」
、「ナバホ・タブー」、「クレイジー・ホース」がある。

私は何に急いでいたのだろう。ゆっくりと通りすぎる景色のなか、アメリカへ
来る前も来てからも、何をするにも自分は飛ばしすぎていたのではないかと思
いはじめた。ナバホに来てから見かける人たち、道を教えてくれたおじさん、
オフィスの女性たち、みんなみんなおっとりしている。人だけではない。地平線
までつづく空も、大地も、ゆったりとしている。 (本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「セドナ 奇跡の大地へ」  
桐野伴秋・写真 NANA・文 講談社 

「アリゾナの宝石」ともいわれ、雄大な赤い岩山に囲まれた町セドナ。古来
よりネイティブ・アメリカンの聖地であり、近年はスピリチュアルなパワー・
スポットとして注目を集める憧れの場所です。大地のエネルギーを感じる
「ヴォルテックス」の景観や「レッドロック・フィーバー」の魔法を独自の表現で
描き撮った写真家のベストショットとセドナ在住のアーティストが紡ぎだす惑星・
地球への賛歌!(本書・帯文より引用)
 
「コヨーテは赤い月に吠える」 
本間正樹著 文芸春秋

ナバホ・インディアンと共に暮らした著者が語る素朴なインディアンの素顔。

 
この文献の詳細ページへ「聖なる旅の教え」  
エリコ・ロウ著 扶桑社

エンヤという私の好きな歌手はアイルランド生まれですが、その大地の
波長をそのまま音楽にした旋律は、ケルト文化を漂わせていると言います。
このケルト文化を知りたかった私が偶然出会った本です。


目次プロローグ 癒され満たされる旅への誘い
第一章 古代エーゲの癒し アトランティス伝説 天地の創造 死と再生の迷宮 
地母神の領分 野性の女神たち ヘルスリゾートの源流 古代ギリシャの夢療法 
奇跡の小島 ディオニュソスの処方箋 自然と暮らす

第二章 ケルトの叡智 神族と妖精の王国 季節と生命の巡り 魔女の跳ぶ丘 
知恵の鮭 ケルト・アートの神通力 巨石の神殿 アバロン伝説 聖なる癒しの泉 
知恵の木の教えケルト精神の系譜

第三章 ネイティブ・アメリカンの教え 風神の息吹き 地母神の鼓動 水の清め 
創世記の教訓 岩絵の伝言 草木のメディスン 大地の癒し 転生の暗闇 
聖なる輪 心の聖域 エピローグ 聖地の継承

エリコ・ロウさんのブログ「マインドフル・プラネット」

 




この文献の詳細ページへ「メディスン・カード」  
ジェイミー・サムズ & ディビッド・カーソン著 小林加奈子訳 VOICE


ふたりが長い年月かけて人間の教師たちと動物王国の住人たちから学んだ
メディスンの教えを、集合意識全体のために公表すべきだと私たちは感じた。
教師の氏族であるウルフ・ファミリーの精神にのっとり私たちが選択したのは、
誰もがアニマル・メディスンの助けを借りながら、独自の道を発見できる道具を
提供することだった。

アニマル・メディスンの教えは各部族で多少異なる。従って本書で紹介するのは
そのごく一部、つまり、地上の全存在とひとつになる道を探求する者の参考とな
るアニマル・メディスンの側面にすぎない。教えは自然を通して来る。そして生命
あるものはすべて、再び自然へと帰る。全創造物はそれぞれが、聖なるメディス
ン・ホイールの中に欠けがえのない位置と役目を占める。 (中略)

私たちのビジョンは、「母なる大地の上で調和を持って歩く」意味を楽しみながら
理解するための架け橋となることだ。著者ふたりのパワー・アニマル(守護動物)
も夢を通して私たちに語りかけ、「全生命は神聖である」という認識を世界に広め、
各生命が学ぶべきレッスンを知る助けをせよと私たちに求めた。

本書を作成する過程自体が偉大なメディスンの教えであり、喜びに満ちた旅でも
あった。これは四本足の生き物と、地を這う生き物と、ヒレある生き物と、翼ある
生き物から人間に送られた無償の贈り物(give-away)である。この無償の贈り物
が、触れる人すべての人生を豊かにし、ともに旅する仲間が私たちの愛を感じて
くれることを祈る
(本書より引用)
 
この文献の詳細ページへ「ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ 
北山耕平 著 太田出版

北山さんが探し続けている日本人いや縄文人としてのルーツ、その想いが
この本に書かれています。この本の中で失われた物語という言葉を使ってい
ますが、ユング心理学者の河合隼雄さんも「失われた神話」という言葉を使っ
てルーツを取り戻すことの必要性を説いています。ただ感じたのですが、私が
幼少のころ育った奄美大島とか沖縄、そしてアイヌの人たちが持っていた視点
はインディアンと同じものだということも忘れてほしくないとは思います。縄文時
代に遡るまでもなく、先住民族が共有していた視点は今でもこれら日本の地に
受け継がれていると思うからです。しかし北山さんの言うように近代文明によっ
て着実にそれらの目が滅ぼされようとしているのも事実だと思います。その意味
で「自分は何者であるか」という北山さんの問いかけを、自分自身も含めて問い
直す時期にきていると感じさせられました。

わたしたちは「アメリカ・インディアン」になることはできない。だが、日本およ
び日本人という夢から覚めれば、いつでも「地球に生きる人」となることができ
るのだ。大地を敬い、目に見えない世界を知る「ネイティブ・ジャパニーズ」とし
ての生き方を探求し続ける精神的な旅人のための、最初のログブック。「日本
と日本人」論をこえて。(本書・帯文より引用)

 
この文献の詳細ページへ 「アメリカインディアン 聖なる言葉」 
ロバート・ブラックウルフ・ジョーンズ+ジーナ・ジョーンズ著
加藤諦三 訳・解説

この本には悩みや苦しみに対処する時の考え方が書かれている。それは
ネイティブ・アメリカンの生きる知恵である。人間は、嬉しさいっぱいだけでは、
生きてはいけない。それが生きることの原点である。生きていくうえで寂しさ
や苦しみはいつもつきまとう。でも、苦しさも、寂しさも、生きている証なので
ある。不安、苦しさ、寂しさなどを抱え込んでごらんと、ネイティブ・アメリカン
は言っている。生きていくうえで嫌なことは誰にでもたくさんある。「嫌だなぁー」
と思うことは誰にでもある。しかし、それも生きている証である。苦しみも、悩み
も、背負わなくては人は生きていけない。月のやすらぎがなければ、太陽のよ
さも分からない。太陽がギラギラと輝いて暑いなと感じる人もいる。それはその
人の心が決める。この本に書かれている詩は断片的なことのように思えるが、
多くの詩が一つにつながっている。つまり、悩んだ時には止まれ、と言っている。
このような本を急いでどんどん読み進めることはない。一日に一頁でもいい、
味わって読むことである。本書「この本を手にとったあなたへ」 
訳者まえがき より引用
 
この文献の詳細ページへ「続アメリカインディアンの教え」 あなたの幸せがここにある
加藤諦三著 にっぽん放送出版

ラジオ放送を通して大きな反響があった「アメリカインディアンの教え」の続編。
「白人はインディアンから何を学ぶか」ジョージ・オートン・ジェームス著の考え方
を基にして加藤氏が自分の言葉で書いたものです。ただ現在のインディアンは
加藤氏が言うように心身ともに健康とは言える状況にはないと思います。元々
の文献「白人はインディアンから何を学ぶか」は100年前に書かれた本であり、
現在インディアンは心身ともに病を持った方が多いと聞きます。心の問題として
は、自己基盤の喪失によるアルコール中毒や子供への虐待、自殺の多さがあり、
身体の問題として肥満などが社会問題化しています。加藤氏が想定しているの
は今から100年前のインディアン像であることを先ず押さえる必要があるかと思
います。

本書 はしがき より抜粋引用いつも自分のことを嘆き悲しんでいる人に必要
なのは「インディアンの教え」です。インディアンの辞書に自己憐憫はありません。
「神は、私に変えられないことを微笑んで心静かに受け入れられる力を与えてく
れた。そして変えられることは変える勇気を与えてくれた。そして変えられることと
変えられないことの違いを見分ける知恵を与えてくれた」 これはアメリカにいた
時に土産屋で買った色紙に書いてあったものです。「インディアンの教え」によると
インディアンは悲しい時、悲しみを大げさに言うかわりに、常に働くことで悲しみを
最小にするといいます。悲しみを誇示するのではなく、喜びを大きくすることで悲し
みを小さくするのです。私達は、失恋して情熱的な南米のリズムに自分を委ねる
ということをしません。「喜びを大きくすることで悲しみを小さくする」こともなかなか
できません。だからこそ、このことをインディアンに学ぶことは大変意義のあること
だと思うのです。

 
この文献の詳細ページへ「ココペリの旅」 アメリカ南西部パワースポットを巡る 
山下マヌー著 

幸せと成功、出会いを運ぶ精霊「ココペリ」がネイティブアメリカンの生き方
を解き明かす。◎毎日が新しい人生のはじまり。先のことを考えるのは意味
のないこと。◎自分を愛することを毎日練習する。自分を愛せないのなら、
誰からも愛されることはない。◎別れても失うのではなく、違う方向に進むだ
けである。彼らの言葉はしあわせの鍵、明日を強く生きるヒント
(本書 帯文より引用)



AllPosters


未読の文献

各文献の前のをクリックすると表紙・目次並びに引用文が出ます。

この文献の詳細ページへ「逃亡者のふり
    ネイティブ・アメリカンの存在と不在の光景」
 
ジェラルド・ヴィゼナー 著 大島由起子 訳 開文社出版

白人と先住民。この両者には相対立する面があったものの、まだ論じ尽くされてい
ない相互浸透もあれば相互転化もあった。ヴィゼナーは、真の先住民(彼の表現で
は「ネイティヴ」と、偽の、つまり白人に都合のよういように構築された先住民(彼の
表現では「インディアン」)とを峻別する。彼に従えば、インディアンは文化人類学、
民俗学などにさんざん利用されてきた。インディアンはネイティヴの不在を模倣する。
白人は、自分たちが合衆国で主役を演じ続けるためにネイティヴを抹殺し、替わりに
インディアンという自分たちに都合のよい先住民像を捏造した。

真の先住の民であるネイティヴは、逃亡者のふりをして潜伏するしかなかったという
のだ。初めは意図的な潜伏であっても、幾世代を経て、都会で単独で生きる混血が
すでに1980年には全先住民人口の半分を超えるうちに、白人の価値観を内面化し
ていきインディアン化してしまう先住民も出ている。もう自分な何を失い、何を取り戻す
べきか分からなくなった者も増えた。自身が都市部の混血であるヴィゼナーはそうした
切迫感を持って書いている。

(本書 訳者後書き より引用)

 
この文献の詳細ページへ「オローニの日々」 
サンフランシスコ先住民のくらしと足跡 
冨岡多恵子訳 マルコム・マーゴリン著 マイケル・ハーニー絵 スタジオ・リーフ

さらにオローニの研究を続けていくうちに、その生活のある面が不思議と馴染み
深いものであることにさらに驚いた。自然環境と(搾取する関係ではなく)バランスの
よい関係を保ち、競争ではなく分かち合うということに基本を置いた経済構造。家族
や共同体を大切にし中庸と抑制をよしとする社会。広く芸術的な創造性を発揮する
機会。抑圧せずひとのためにある統治。精神世界に対する深い理解。これこそまさ
に、今、私たちの多くが私たち自身の文化の中で達成しようと必死で努力しているこ
とではないか。皮肉なことにそのような理想が実現するのを心待ちにして、はっきりと
見えない未来にばかり目を向けているうちに、そのような世界があまり遠くない過去に、
オローニばかりでなく世界中の石器時代のひとびとによって達成されていたことが見え
なくなるのだ。
(本書 あとがき より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ「アメリカ先住民の宗教」 
P・R・ハーツ著 西本あづさ訳 青土社

アメリカ先住民の宗教は、いわゆる「体系化された」宗教とは、いくつかの点で異なる。
彼らの宗教は「組織的」ではないのだ。つまり、教会の建物もなければ、階層制度もなく、
組織体そのものもない。確かに、一部の部族に伝わる物語の中で、部族の有名な人物
の行為が回想されることはある。だが、ほとんどのアメリカ先住民の宗教は、例えば、
モーセ、イエス、アラー、釈迦のような歴史上の中心人物には依存していないし、キリスト
教の磔刑や仏陀の悟りのような特定の歴史上の出来事とも結びついていない。伝統的
なアメリカ先住民の文化は常に口承で、大切なことがらは人々の口から口へ語り継がれ
てきた。信者が固く守らなければならない成文化された信条も道徳律も規則も存在しない。
例えば聖書やコーランのような聖典もない。多くの点で、アメリカ先住民が精霊と交わる
精神世界は、神道や道教のような民間信仰にルーツをもつ宗教と類似している。しかし、
文字に書かれた信条がないということが、行動規範や倫理的価値基準がないということ
を意味しているわけではない。倫理的に正しくあるべき生き方をするための厳格なルール
が、すべてのアメリカ先住民の文化を支配している。部族のメンバーは、手本となる実例
を見ることでそのルールを学ぶ。つまり、そうした行動を規定する原理は、公式な教育の
中で習得されるのではなく、幼少期から内面に刻み込まれて彼らの生き方の一部と化す
のである。
(本書 他の宗教との比較 より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ「クマとアメリカ・インディアンの暮らし」 
デイビッド・ロックウェル著 小林正佳訳 どうぶつ社

動物たちは人間より先に創造され、そうした先住性や聖なる起源において、人間の
場合より遥かにグレイト・スピリット[創造神である偉大な精霊]に近かった。だからこそ、
人間は彼らを尊敬し、崇敬しなければならないのだ。彼らの中にインディアンは、
グレイト・スピリットのさまざまな特性の現実的な反映を見い出し、そうした反映を読み
取ることは、ほかの宗教の中で神の啓示による聖典が果たしたのと同じ機能を果た
してきた。動物は神と人間を結ぶ媒介者であり、絆である。このことは、なぜ神々へ
向けての宗教的な祈りが動物を通してなされるのかだけではなく、グレイト・スピリット
との接触、あるいはグレイト・スピリットからの接触が、なぜ、ほとんどすべて、動物や
その他の自然の事物を含むヴィジョン[幻影や夢の形をとってもたらされる啓示]を通
してなされるのかを説明している。毎年秋の終わり、冬の到来を告げる大雪が降るの
と同時にクマは姿を消す。彼らは、すべての命の源であり、すべての生き物がいつの
日か還らなければならない大地の中に潜り込む。それから半年、地底に横たわって
死んだように眠り、その間、外の世界も彼らとともに眠りにつく。春になって彼らは
目覚め、巣穴から新しい世界の中に姿を現わす。大地それ自身が生まれ変わった、
新しい世界の中に。デラウェア族のようないくつかの部族において、クマは直接大地
の春の甦りに結びつけられ、新年の儀式の中で祝われた。クマは、定期的に姿を消
しては再び出現する。そのことから、クリー族のような北方の狩猟部族は、クマを猟獣
の回復・復活と関連づけた。ほかの部族でも、治癒やイニシエーション儀式の中にクマ
が組み込まれている。そうした伝統的治癒やイニシエーションは、基本的に更新の儀礼、
すなわち、死と再生の儀礼だったからである。からだの外見も生活の仕方も人間に
似ていたのと同じく、冬眠のゆえに、クマは、インディアンにとって重要な意味をもって
いた。クマは毛皮をまとった人間であり、親戚だった。彼らは、大地が眠る時地下に
赴き、大地が目覚める時姿を現わす。
(本書 プロローグ より引用)
 


 
この文献の詳細ページへ「アメリカ先住民のすまい」 
L・H・モーガン著 
古代社会研究会訳 上田篤監修 岩波文庫

『古代社会』は、それが上梓されて以来、モーガンの意図とは別に数奇な運命
をたどる。まずそれは、マルクスとエンゲルスの目にとまった。そしてマルクスは
それに批評と注釈を加えた『古代社会ノート』を遺し、エンゲルスはモーガンの
『古代社会』を全編に引用して、のちに共産主義社会の原典となった「家族、
私有財産、および国家の起源』(岩波文庫既刊)という一書を書きあげる。こうし
て『古代社会』はコミュニストたちの聖典となった。しかし、モーガン自身はまった
くその気はなく、彼は死ぬまでアメリカの社会体制が人類社会の最高のものであ
る、と信じて疑わなかったのである。しかし、彼の著書が社会主義者や共産主義
者たちのバイブルとなったために、逆にアメリカをはじめとする自由主義国では、
彼の著書は危険なものとみなされるようになった。さらに何人かの専門学者たちは、
その後、モーガンの理論体系の基礎となったアメリカ・インディアンの親族呼称の
研究について異議を唱え、これを葬り去ろうとした。
(本書 解説 より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ「インディアンの声を聞け」 
ワールド・ムック266 ワールドフォトプレス

キャッチ・ザ・ドリーム 絵・文 藤井“華丸”智裕 
インディアンの祈り「あなたの声を風のなかに聞く」 文・加藤諦三 
インディアンの声を聞け 訳・香山茂子 
図解[モカシン] 構成・仙波喜代子 訳・杉本恵理子 
ナバホの国 文・仙波喜代子 写真・今井今朝春 本多利明 
メディスンマンという男 文・編集部 取材・大森亜紀子 写真・今井今朝春 
本多利明 
糸を紡ぐ青空の下の永い年月 文・大森亜紀子 写真・佐藤隆俊 
赤い大地と長い影の谷を見る モニュメント・バレーとゴールディングズ・
ロッジ 
モニュメント・バレーのフロンティア ゴールディングズ・トレーディング・ポスト 
写真・ジョセフ・ムンチ 
インディアンの衣装 文&イラスト・タラ・プリンドル 訳・杉本恵理子 
東部の森林インディアンの暮らし 文&イラスト・タラ・プリンドル 
訳・大森亜紀子 
ウィグワム東部インディアンの家 文&イラスト・タラ・プリンドル 
訳・杉本恵理子 
言葉の向こう側にあるものの意味 インディアンと詩 
構成&訳・仙波喜代子 
インディアン パフォーマンス 文・大森亜紀子 
写真・本多利明 佐藤隆俊 
ターコイズの終着駅 かつての栄光の街 ギャラップ 文・編集部 写真・
今井今朝春 本多利明 佐藤隆俊 
夜明けの星を表現するダコタのスター・ブランケット 文・ジャンヌ・エダー&
キンバリー・イエローティル 訳・香山茂子 
涙の旅路 文・ジョン・シェパード 訳・伊藤浩子 
大地と共に生きた人々の信仰 大地、空、火、そして水 
文・ジャンヌ・エダー&キンバリー・イエローティル 訳・香山茂子 
写真・テイム・エーガン 
インディアンの神秘、フェザーの力 文とイラスト・タラ・プリンドル 
訳・香山茂子 
必要な物を必要なだけしか採集しないという教え 文・ロバート・スィフト・
アロー・ダニエル・ローズ 訳・木村譲二 
戦うインディアン女性たち 文・ジャンヌ・エダー&キンバリー・
イエローティル 訳・香山茂子 
インディアン・チーフとしての生き方と、その言葉 文・ロバート・スィフト・
アロー・ダニエル・ローズ 訳・阿部真由美 
心にシャイアンの戦士を棲まわせる男 ジョージ・ベント 文・ダイアナ・
セラ・キャリー 訳・仙波喜代子 
輝ける武勇の証 羽根の王冠 文・ルイス・A・アラナ 訳・杉本恵理子 
イーグルフェザーを集めて 貯める活動をする組織 文・レッドテイル・
ウェッブ・デザインズ 訳・香山茂子 
ネイティブ・アメリカン・ミュージックの現在 話し手・三木直子 聞き手・
遠藤亜紀子 
ネイティブ・ピープル 写真・クリス・コリー 
インディアン・クッキング 文・ビバリー・コックス&マーティン・ジェイコブス 
写真・マーティン・ジェイコブス 訳・伊藤浩子 
ワンチャラ・ウィチョニ たった一度の人生だから 文・横須賀孝弘 
写真・ジョン・ランニング 
インディアン女性という生き方 文&写真 リチャード・アードス 
訳・仙波喜代子 
血の一滴から内臓まで バッファローのすべてを食らう 
文・ロングトレイル・スノウバード 訳・仙波喜代子 
アケイディアの流木 文・北村和哉 
映画の中のアメリカインディアン 
火と水に囲まれて 「文明化」した合衆国南東部の部族 
文・岩崎佳孝 イラスト・長谷川元太郎 
ネイティブ・アメリカンを識るための本207

 
この文献の詳細ページへ「ヘヤー・インディアンとその世界」 
原ひろ子著 平凡社

これらの大きな短所に対して、長所としては、私がヘヤー・インディアンの
「夢の世界」について「話のできる人」だとヘヤー・インディアンの人々が考え
てくれるようになれたことであった。北アサバスカン亜族を研究している欧米
人の調査者でたった11ヶ月ほどの調査期間中に、「夢の世界」について聞
き取りのできた人は、ひじょうに少ない。長年にわたってくり返し同じ部族を
調査している研究者のなかには、「夢の世界」についての研究ができていた
人もあるが、ヘヤー・インディアンに関しては、今のところ私だけが、彼らの
文化の核心ともいえる「夢の世界」に迫ることができた。これは、私が木に
も山にも水にも超自然の力が宿るとする日本人にとってのカミの世界に接し
つつ育ったおかげかと思う。
(本書 私のヘヤー・インディアン調査の短所と長所 より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ「雨の匂いのする沙漠」 
G・P・ナブハン著 小梨直訳 白水社

十年以上も前に書かれた本なのに、しかもアメリカ合衆国南西部の端の端の
乾燥地帯に暮らす、北米大陸の先住民としてはあまりとりあげられることもない
人々の話であるのに、なぜこれほどまでに、いまの私たちの心に訴えかけてくる
ものがあるのか。「普遍性」----かたい表現ではあるけれども、それが本書の持
つ不思議な魅力と考えたときに、浮かんだ言葉だった。「オオカミと人間」(草思社)
などの作品で知られるバリー・ホルスタン・ロペスも、「広く他の土地にあてはめて
考えることのできる重要な作品」と評している。(中略) 著者のゲイリー・ポール・
ナブハンは、このソノラ砂漠の植生と人々の暮らしを研究しつづけるうちに、トホノ・
オォトハム族と親しくなり、本書「雨の匂いのする砂漠」を著した。
(本書 訳者あとがき より引用)
 
この文献の詳細ページへ「滅びゆくことばを追って」
インディアン文化への挽歌 
青木晴夫著 岩波書店

ネイティブ・アメリカンの「消えゆくことば」の調査にアイダホ州ネズパース
保護地に赴いた若き日本人言語学者は、ネズパース族の人たちとの温か
い交流を通して、ことばと共に失われゆく民族独自の文化を発見する。
アメリカ北西部の大自然を舞台に繰り広げられた心躍る出会いの日々。
1960年夏に始まるフィールドワークの瑞々しい記録。
(本書より引用)
 
この文献の詳細ページへ「カナダ・インディアンの世界から」 
煎本孝 作 福音館書店

真実とは、それを見る者にとっての真実でしかない。たとえば、わたしたちが第三者
として、あるひとつの世界を客観的に眺める時と、その世界に属しその中で物事を見
る時とでは、世界の真実の姿は異なった姿を取るにちがいない。わたしはこの本の中
で、カナダ・インディアンの世界を、その外側と内側というふたつの方向から描くことを
試みた。そのために、わたしは彼らの世界を対象として眺めることから始め、次に
対象への接近を経て、自己と対象との同一化・・・・この瞬間、今度は彼らの目で世界
を見ることになるのであるが・・・・を行なわなければならなかった。そこで、初めてわた
しは客観的な世界とは異なるもうひとつの世界・・・・動物たちが語り、不死なる魂の
徘徊する世界・・・・を目のあたりにすることになる。ここで登場するカナダ・インディアン
とは、アサパスカン語族に属するインディアンのことである。彼らは、アラスカ内陸部
からカナダ中央部にひろがる針葉樹林(タイガ)に住み、夏には川や湖での漁撈、冬
には凍土帯(ツンドラ)から季節移動してくるトナカイの狩猟を行なって、生活している
北方狩猟民である。わたしは、1973年、および1975年から1976年にかけて15ヶ
月間、彼らと生活を共にした。この本は、この調査に基づいて書かれた、カナダ・イン
ディアンの民族学的調査記録であり、わたしの見た彼らの世界についてのエッセイで
ある。
(本書 あとがき より抜粋引用)
 
 
  この文献の詳細ページへ「ユリイカ・特集アメリカ・インディアン」 
コロンブス500年の光と影 
1992年3月号 青土社

「森の中」 インディアンともういちど出会うために 伊藤比呂美
「インディアンの文化」 その衝撃 横須賀孝弘
「もうひとつの“新大陸発見”」 現代アメリカとネイティブ・マインド 北山耕平
「北米インディアン悲詩」 エドワード・カーティス写真集より
「アメリカ五百年祭」 キーワードは「発見」よりも「出会い」 迫村裕子
「マリアの消えた荒野」 メアリ・ホワイト・ローランドソンの捕囚体験記を読む 
 巽孝之
「ナバホ族の儀礼用砂絵」 生命ある聖なる絵 T・G・ピアス 高橋雄一郎訳
「アメリカ合衆国のインディアン音楽」 生き続ける伝統 B・ネトル 三井徹訳
「アメリカ・インディアンの現代詩」 金関寿夫
「境界を消す“死者の暦”」 荒このみ
「インディオの記録を読む」 ワマン・ポマの場合 染田秀藤
「コロンブスの墓」 迫村裕子
「双子であることの不可能性」 レヴィ=ストロースの新著「大山猫の物語」jから 
 渡辺公三
「大航海時代の意匠」 プルス・ウルトラとヘラクレスの柱 稲本健二
「“発見”された新大陸」 図版構成
「北米インディアンに関する邦語書籍」 横須賀孝弘
 
  この文献の詳細ページへ「母なる大地の声」 
アメリカ・サウスウェスト プエブロ・インディアンの美術 
名古屋ボストン美術館

プエブロの美術は、2千年以上昔から現代まで脈々と培われてきた、アメリカ美術の
なかで最も歴史のある美術のひとつです。今回の展覧会では、プエブロ土器を中心に
850年頃から現在までのプエブロ美術の流れをたどっています。土器に表される一つ
一つの形、色、そしてそれらが統合されて生まれる全体の構図は、その歴史において、
プエブロの人々が表現してきた生活と美的観念と信仰の表現です。出品作品は、先史
時代からのそういった伝統がしっかりと受け継がれ、現在も人々の中に息づいている
ことをはっきり示しています。プエブロ美術を鑑賞するうえで重要なことは、プエブロ社会
における美術の役割です。基本的に作品は作家個人の表現としてよりも共同体の思想
を伝えるために創られてきました。そのことは土器だけでなく、バスケット、ジュエリーなど
形態は変わっても同じであり、作品に表現されるテーマは共通しています。それは、雨乞
いと豊穣の祈りという、人間の生存に関わる最も根源的かつ大きなテーマであり、抽象的・
具象的文様を使って洗練された形で表現されています。さらに、展覧会のテーマのひとつ
であり、強調したい点は、プエブロ美術をかたちづくられる背景です。プエブロ美術とは、
自らの存在を自然の一部としてとらえ、自然を変えるのではなく受け入れることを信条とす
る人々が創り出してきたものであり、人々は自然から採れる材料でつくられる土器が単な
る実用具や美術品ではなく、それ自体に魂が宿る存在と考えていることです。日本人もか
つては、万物に精神性を感じ、自然を崇めかつ恐れ、自然を対象にした季節の儀式を大切
に繰り返してきました。しかし、いつの頃からか、人々の考えは、自然を支配するものという
ように変わっていきました。21世紀を目前にした今、プエブロに代表されるアメリカ・インデ
ィアンの思想が新たに評価されています。先祖の残した教えを大切にし、自然のサイクル
のなかで逆らうことなく生きるインディアンの自然観・世界観は、過去を振返ることもなくあわ
ただしい日々を過ごす現代のわれわれに問いを投げかけます。
本書・あとがき(名古屋ボストン美術館 坂本伸子)より引用
 
この文献の詳細ページへ「民族の仮面」 
アフリカ、メラネシア、北米インディアン、エスキモー 
桐島敬子著 岩崎美術社

更に、北アフリカのアルジェリア東部、タッシリ・ナジェールで、1956年フランス人
アンリ・ロートは、仮面をつけた黒人が踊っている先史岩壁画を発見した。この人物
のつけている仮面は、現在もアフリカのコート・ディヴォアール北西部の、森林地帯に
住むセヌフオ族の使っている仮面と同じである。これらの例に示されるように、人間は、
強力で影響力のある超自然の力を持つ被創造物として描かれている。それはギデオン
によれば、人間の超自然と直接関係をもとうとする必然性から生まれる「宗教的衝動」
に具体的形を与えようとした努力の結果である。そして呪術的起源から発した仮面の
用途は、祭儀だけでなく、戦、劇、裁判、政治、或いは死者につける仮面へと多様化し
ていった。更にミルセア・エリアーデによれば、旧石器時代の宗教的呪術は、シベリア
のシャーマン及び猟民文化の世界に広く受けつがれた。つまりアフリカ、メラネシア及び
シベリアのシャーマニズムと最も深い関係をもつエスキモー及び北アメリカ原住民の
文化に、特に仮面が発達したのは、これらの文化圏に於ける生活の基盤となっている
狩猟、漁猟と切り離して考えられないのである。シベリアのシャーマンは厳密な意味で
の仮面を持たず、顔に炭を塗るとか布を被って顔を隠した。反対に衣装は複雑な象徴
的意味をもつ無数の小道具のぶら下がった特異なもので、エスキモーでは仮面が霊界
を旅し、シャーマンの欲する創造物になる道具として使われるのと同様の働きをした。
いずれにしても仮面は意識化の世界を扱い、仮面をつけることにより、外見上の姿を
変えようとする素朴な願いを具体化すると同時に、仮面自体の表現するもうひとつの
自己を超越した祖先あるいは神話の人物になることが出来、現在という時から自由に
過去、未来への飛躍を試みるのである。
(本書より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ北西海岸インディアンの美術と文化 
D. キュー&P.E. ゴッダード著 
菊池徹夫・益子待也 訳 六興出版 

問題は、北西海岸インディアンに関して数多くある本の中からどれを底本として選ぶか、
であった。我々はこれと思われる十数冊のなかからまず数冊を選びだした。内容的には
いずれも優れたもので捨てがたいが、何よりも日本で出版するのに分量(ページ数)が
適当で、記述がなるべく彼らの文化全般にわたって平易に解説されていて、なおかつ
図版・写真の多いものということから、もともと博物館のガイドブックとして一般市民向け
に書かれた本書が最後に残った。このことでもお分かりのように、我々はこの本を専門的
な研究書としてというよりは、日本の一般読者に北西海岸インディアン文化とはいったい
どんなものかを、とりあえず知っていただくための、ごくごく初歩的な、いわば入門書の
一冊としてお読み下さればと願っているのである。
(本書 訳者あとがき 菊池徹夫 より抜粋引用 )
 
この文献の詳細ページへ「ホピ銀細工」 
マーガレット・ライト著 
岡山徹・監訳 仁井田重雄・訳 バベル・プレス

本や展示品からのホピのデザインが盗まれ、国外の至る所で模造品が作られて
いるのです。手作りであれ機械製であれ、こうした作品はかなり安くなります。粗悪
な模造品が国内で売られる場合もよくあり、知識の乏しい購入者は本物のホピ工芸
品を手に入れたと信じ込んでしまうのです。模造品を見分け、取り扱いを拒否する
良心的な業者が多くいるのがせめてもの救いです。(中略) 刻印はそれ自体が興味
深い記号です。ホピは母系社会で、自分達の母親を通してその家系をたどりますが、
彼等は刻印に自分達の父親の母族からのデザインを用いることが往々にしてありま
す。これ等の組み合わせは簡単に見分けが付く場合もあり、一方分かり難い場合も
あります。多くの母系の併合等があるからです。工芸作品に刻印をすることは工芸
作家にとっては新しい概念でした。彼等は集団的な人達で、他人から目立ちたがらず、
むしろ名前を伏せたままの方を好みました。1950年以前、ホピの職人達の間では
刻印は少数でしたが、現在では南西部地域の大多数のインディアン装身具製作者は
刻印を使用します。刻印の有る無しにかかわらず、ホピ装身具はその持ち主に、厳し
い素晴らしい土地で何世紀もの間生活し、自分達と全人類の幸福のために祈りを捧げ、
土地を正しく守っていくために最善を尽くしている誇り高い人達と、ほんの少しばかり
関わりをもたらすのです。
(本書 序文 追記、及び 日本の読者の皆様へ より引用)

 
この文献の詳細ページへ「ロックアート 神話そしてイマジネーション」 
栗津潔とN.A.R.A探検隊編 フィルムアート社

N.A.R.A探検隊は2000年、2001年、2002年と三度にわたり、ロックアート探検を敢行
した。私たち日本人と同じルーツを持つと言われるモンゴロイド=アメリカ先住民は
数万年前から連綿と連なる巨大な大地に生きてきた。ときには豊饒を享受し、ときに
は飢餓に堪え、台地や渓谷を移動しながら彼等独自の文化体系をかたちづくっていた。
その移動の過程で台地に重要な図像を無数に残していった。それはきっと文字を持た
なかった彼等にとって、仲間に、他者に、祖先の霊魂に、そして神に、ある具体的な情報、
あるいは言葉に置き換えられない魂を視覚的に伝達する試みの証だった。ロックアートは、
メッセージを持った太古から存在するメディアアートであり、現代のコマーシャルを中心に
成り立つ様々なメディアに囲まれた日常において、それらの図像たちは私たちに対し、
真のビジュアル・メッセージとは何かと訴えかけてくるようだ。
(本書・はじめに 古代人の想像力を追って より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ「大地の手のなかで」
アメリカ先住民文学 
青山みゆき著 開文社出版

アメリカは、さまざまな人種や民族、階級、宗教、さらには性的傾向などを持った人びと
が複雑にからみ合い、交錯する国である。そこでは、まさに多様な価値観と文化が共存し
ている。これまで編まれてきたアメリカ文学史の多くは、圧倒的に白人男性が主要な位置
を占めていたが、本書は、これまでアメリカ文学史の周縁に位置していたマイノリティーの
ひとつである、アメリカ先住民が主体となった文学史である。それも、日本ではじめての
本格的なアメリカ先住民文学史である。晩年の一時期をニューメキシコ州で暮らし、インデ
ィアン文化に深い共感を示したD・H・ロレンスも含めて、これまでアメリカ先住民の文化に
傾倒した白人のアーティストや文化人は数多い。現代においても、西欧文明が象徴する
テクノロジーの崇拝や合理主義、個人主義、父権制などへの反発を表現している詩人の
ゲイリー・スナイダーやダイアン・ディ・プリマなどは、インディアン文化に深い関心を示して
いる。また本文でも述べたが、ジェローム・ローゼンバーグなどによる英訳の先住民口承
詩選集「ガラガラを振りながら」は、一部が日本語に訳されているが、いまだに多くの読者
を魅了してやまない。
(本書 おわりに より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ「インディアンは手で話す」 
ウィリアム・トムキンズ著 渡辺義彦 編著 径書房

しかし、「インディアンの手話」とはどういうことなのか。コロンブスの航海日誌をはじめ、
その後の白人の記録には、インディアンが身ぶりで話すという記述が随所に出てくる
(トムキンズもその例を列挙している)。今から五百年近く前になるコロンブス到来の時点
で、すでにかなり発達していたようだから、「手話」と呼んでもいいだろう。では、なぜイン
ディアンは手話で話したのだろうか。インディアンの部族の数は多く、その言葉も実に
多様で、隣り合った部族の言葉がまったく通じないということも珍しくなかったらしい。そこ
で、異なった部族の間の共通語として手話が発達したというのが、定説のようである。
世界で初めてろう学校ができたのはフランスで、1755年のことである。ろう学校ができ
るまではろうあ者はそれぞれ孤立して暮らしていたから、素朴な身ぶりはあっても、
「手話」と言える程発達した表現になることはなかったはずである。ろうあ者の手話の
歴史は、ろう学校の歴史と重なると言ってよい。だから、インディアンの手話の歴史は、
ろうあ者の手話の歴史よりはるかに長く、しかも聞こえる者が用いていたというところに
大きな特徴がある。「手話はろうあ者の言葉」だという私達の常識は、一挙にくつがえっ
てしまうのである。
(本書 まえがき より抜粋引用)
 

この文献の詳細ページへ「アメリカ・インディアン・HOWブック」 
アーサー・C・パーカー著 平尾圭吾訳 集英社

インディアンの生活術は単純で極めて理にかなったものである。たとえばマッチを
使わず火を起こす方法は、若者、特にボーイスカウトたちに注目されてきたけれども、
マッチの使用が急速に普及したので、今では僻地に住むインディアンでさえ、一世紀
前に彼らの父親がやっていた火の起こし方を知らないのである。“ハウ(どうやって)”
について語るこの本には多くの項目があり、そのほとんどはずっと疑問に思われてき
たことについて語ってある。しかし、すべてのことについて方法を語るとすれば、厖大
な量になるだろう。この本で語られるあらゆるハウについて完璧に知れば、インディア
ン伝説の中でもまだほとんど知られていないこともわかるようになる。現実の現代社会
で私たちは彼らのやり方を知りたいのである。なぜ彼らがそうしたのか、その理由につ
いては余裕のある時に考えてみたい。アメリカのレッドピープル、すなわちインディアン
の「ハウ」、あるいは彼らの発音にならえば「ハオ」は「大丈夫」「さあ、行こう!」、そして
「さあ、始めよう」という意味の言葉だ。どんな時代でも、何かをしようとするあらゆる年代
の人たちの第一歩は「どうやって?」という疑問から始まる。私たちも、インディアンの
言葉にならい、「さあ、ハウについて学ぼう!」。
(序 インディアンはどうやって・・・・アーサー・C・パーカー より抜粋引用)

 
この文献の詳細ページへ「湖のそばで暮らす インディアンの友だちから教わったこと」 
M.ウィルキンス著 蓮尾純子 東馨子 訳 筑摩書房

この本は、インディアンの友だちと過したユニークな子供時代から、成長するにつれて
身につけていった野外生活とクラフトの豊富な経験にもとづいて書かれたものです。語ら
れている家族の思い出や、野外生活に適応するための微妙なレッスンは、今や忘れ去
られようとしている生まれた土地の自然と人間生活との密接な関係をあらためて思い起
こさせてくれます。松葉のバスケット、ガマの葉のマット、骨や貝がらの飾り、干し草人形、
かんたんな織機など30以上が紹介され、森、湖、野原からの贈りものでつくるクラフトの
楽しさとそこで暮らす喜びが、読者の方もきっと実感されるでしょう。
(本書より引用)
 
この文献の詳細ページへ「北米・平原先住民のライフスタイル」 
関俊彦著 六一書房

1978から81年にかけ、カナダとアメリカで開催された「日本古代文化史」展の実行
委員の一人として、両国から招かれたさいに各地の博物館を見て回った。広い博物館
を見るにあたり、先住民関連のコーナーを主眼とし、これと関連する書籍を求めた。
たった三ヶ月余の日々だったが、撮った写真と買った本は量があり、その後の渡米の
分と合わせると愕然とした。帰国後、写真を見ながら辞書を片手に本を読み、メモを
とった。20年もつづけると、これまたすごい枚数である。そこで、私のカナダ・アメリカ
考古紀行のつもりで、少しずつまとまると発表し、今日に至っている。ユネスコは1993
年を《国際先住民年》と定め、世界各国の先住民の理解と支援をとろ、21世紀をともに
生きようとよびかけた。カナダ、アメリカ、オーストラリア、日本などの多数の国々でキャ
ンペーン活動がおこなわれ、たくさんの人々が関心を、そして支援が寄せられた。日本
はアイヌ民族をクローズアップしたが、一部の人たちを除き、時の流れとともに一時の
盛り上がりは薄れていった。私は30年余のあいだユネスコ活動に参加しているため、
自分なりに先住民を理解しようと考え、モンゴロイドの歴史と文化の調査を継続的に
おこなっている。
(本書 エピローグ より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ「ラコタとナバホに恋をして」 
塩浦信太郎・舟木卓也・ぬくみちほ 著 ぬくみちほ 写真 めるくまーる

こうして、わたしたち三人のトークの旅は、アリゾナ州のフェニックスという街で最後の
夜を迎えた。デンバーから始まり、サウスダコタへ、そこからニューメキシコ州に飛び、
陸路でナバホ大地を走りむけてこの街に辿り着いた。向かった先々の景色を眺めては、
一世紀半前の原風景を想像しながら語り合った。わたしたちは、人生の旅の途中で
ネイティブ・アメリカンに出遭った。好奇心と旅心から、その人たちが暮らす土地に惹か
れ、もちまえの人なつっこさで根を下ろした場所に友情の輪を広げている。ときには
ネイティブ・アメリカンの友人たちの代弁者になることも、喜びと感じている。今回のトーク
で、部族の名前が国名のようには知られていないネイティブ・アメリカンのいくつかの部族
について紹介することができ、またそれぞれの部族の言葉や文化、友人たちの考え方、
彼らが大切にしている風土への思いなどを言葉にできたことを嬉しく思っている。
(本書 エピローグ ぬくみちほ より抜粋引用)
 
  この文献の詳細ページへ「風の民 ナバホ・インディアンの世界」
猪熊博行 著 社会評論社

1999年、準定年で退職した私は、翌年5月の末に日本を離れた。ニューメキシコ州最大
の都市アルバカーキに到着して大学所有の既婚学生用アパートに居を移し、8月中旬か
らの秋学期に参加した。そしてこの時期、私はナバホ族立大学ディッネカレッジに移る
きっかけを得たのである。ある夏の暑い日、アルバカーキから2時間ほどのところにある
チャコ・キャニオンという先住民の遺跡を訪れた。ここでナバホの中学教師と出会って、
会話が始まったのだ。「ナバホの文化が知りたい。絨毯も自分で織ってみたい」という私
に、彼は即座に、「それならばディッネ・カレッジだ」と教えてくれた。ナバホの運営する
大学なのだという。屹立する同名の巨大な岩に由来し、ナバホ族居留地で最も人口の
多い町を形成している。しかも居留地の端にあるので、車で30分ほど東に行くとそこは
もう居留地外で、人口4万人のファーミントンという町がある。この町ならアパートもある
し、買い物にも事欠かない。「よし、ここに決めよう」・・・・そういう経緯で、秋学期が終了
したときにはニューメキシコ大学から転入し、いよいよディッネ・カレッジでの生活が始ま
ったのである。

私は伝統工芸を通じてナバホの世界に憑かれ、カレッジで銀細工、ナバホ織り、バス
ケット作りなどを実際に体験した。しかし伝統工芸という窓からナバホを見渡してみる
と、創世神話や白人に痛めつけられてた苦難の歴史、そして人の繋がりを大切にしな
がら、美(ホッジョ)を求めて生きるナバホの文化が見えてくる。私は専門家と呼ばれる
人種からはほど遠い、もとが技術屋の素人だ。しかしここで書くことは、ナバホの国に
あってナバホが運営する大学でナバホの学生が教わっている内容だ。そういう意味で
は、これが「純生ナバホ学」であることだけは保証できる。

合理主義に徹し、近代文明の先端を走る唯一の国アメリカだが、その中でこういう生き
方をしている人たちがいるのだと思うと、なにかホッとするぬくもりを感じる。それとともに
このぬくもりが、白人文化に押されて危機に瀕している状況も深刻に受け止めなければ
ならない。
(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「ヤァッテ ナバホ」 
アメリカ先住民と赤い大地にくらす日本人フォトグラファーの21年 
河野謙児著 VIENT/現代書館

2001年7月、暗号部隊の「オリジナル29」に金の名誉勲章、11月には残りの老兵た
ちに銀の名誉勲章が贈られた。じつに戦後56年目のことだ。2002年6月にはナバホ
暗号部隊を扱った映画「ウィンドウトーカーズ」がニコラス・ケイジ主演で封切られた。
この映画は多くのアメリカ人にナバホ暗号部隊を知らせてくれた。2003年3月、赤い
大地が真っ白におおわれたナバホの地で私はこのあとがきを書いている。私とルース
が再びリザベーションにもどると多くのナバホたちに「ウェルカム・ホーム」と歓迎された。
そう言われるたびにナバホの大地が私の故郷なんだと思わざるえなかった。そして、
ナバホ暗号部隊の写真を改めて撮りはじめている。425人の部隊員はすでに4分の3
が他界している。老兵たちは少なくなりファインダー越しに彼らは老いていく。「ケンジ俺
たち暗号部隊が勲章をもらえたのはおまえの本のおかげだよ」。一人の老兵のこの思
いがけない一言が私の心に大きく響いた。私が最も好きな写真で感謝された。これから
もナバホを撮りつづけるぞという勇気を与えてくれる一言だった。
(本書 あとがき より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ「バナナとりんご」 
アメリカ・サウスダコタ体験記 
デイ 多佳子著 五月書房

最近の映画「ダンス・ウィズ・ウルブスには、ラピッドシティから車で1時間走った
ところにあるバッドランド国立公園のシーンがよく出てくる。延々と続くプレーリー
(大草原)の中に突如、出現する「地上の月面風景」。今から7400万年前には、
サウスダコタは北米を縦断する内海だった。その後、大陸の隆起や火山の爆発、
気候の変化により、気が遠くなるような時間を経て、今日のような光景を作りあげ
たという。そこはまた世界中にブームを巻き起こした映画「ジェラシック・パーク」の
世界----つまり恐竜の化石の宝庫でもある。都会の雑踏に、カラフルなさまざまな
民族文化のエネルギーを秘めたサンフランシスコから、大草原やインディアン、
そして恐竜で知られるサウスダコタへ。本書は、アメリカのハートランド(心臓部)と
も呼ばれるサウスダコタでの、私のもう一つのアメリカ挑戦である。
(本書 まえがき より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ「インディアンカントリーの風に吹かれて」 
大塚浩司著 ほおずき書籍

ベトナム戦争を境に、ハリウッド映画にも大きな転機が訪れる。アメリカンニュー
シネマが描き出したアメリカインディアンは、かつての西部劇での悪者ではなく、
悲劇の歴史を背負い、現代に生き延びてきた誇り高い人々であると語っている。
世界各国で先住民に対する政策が見直されはじめ、「白人対アメリカインディアン」
というジャンルの西部劇は、「ダンス ウィズ ウルブス」「ラスト オブ モヒカン」そ
してディズニーの「ポカホンタス」へとスタイルを変えていく。アメリカ西部開拓史や
アメリカインディアンの歴史を、映画を交えて述べるのは決して正しい方法ではない。
しかし娯楽作品として作られたものではあるが、映画を通して歴史や文化の違いを
垣間見させることはできるはずだ。スクリーンいっぱいの荒野を、ウマにまたがり
疾走するアメリカインディアンに魅せられ、いつか僕も無限に広がる砂漠を、彼等
とともにウマで駆け巡りたいと願っていた。その気持ちは大人になり結婚し、3人の
子供を持ってさえも決して揺らぐことはなかった。だが実際問題として、アメリカイン
ディアンに会うためにはどうすればいいのだろう。ツアーもなく、情報もなく、コネも
なく、海外に行ったこともなく、ウマにも乗れず、語学力もなく、経済的なゆとりもな
く・・。越えなければならないハードルはとても高かったが、夢は大きく膨らんでいった。
「ただの憧れや観光気分で彼らに会うのなら、付き合いは1回で終わるでしょう」 
ナバホのメディスンマンを紹介してくれた女性は、僕と初めて会った日にきっぱりと
言いきった。夢は持つだけではなく語り続けるものだと、つくづく感じた34歳の夏の
ことだった。その女性との出会いがきっかけで、僕は生まれて初めて飛行機に乗り、
小学校時代から憧れていたアメリカインディアンに会うために、アメリカへと旅立つ
ことになる。
(本書 はじめに より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ「アメリカインディアン体験 自然と共に生きる知恵」
安達生恒著 人文書院 

T部 先住民との出会い
西北部の田舎町・ルイストン グレーン・ラジールとの出会い 出自 祖母ベスの生涯 
自然人・グレーン オクラホマへ 祭りの幕開け 太鼓、唄、そして踊り 
憲法と行政組織 観光施設と芸能集団 進む階層分化 
U部 部族の受難史 
ポタワトミ族の交易と暮らし ポタワトミ族の伝承と神話 オクラホマへの「長い道」 
ネッツパース族の昔の暮らし 
ネッツパース・タブロー 金鉱の発見 ネッツパース・ウォー 帰還、そしてジョセフの死 
ラップウェイの保留地で 「インディアンとは誰か」 管理と支援体制 
インディアン政策の流れ 
V部 権利回復の歩み 
アルカトラズ島占拠とウンデッド・ニーの闘い 漁業権回復と自然保護 
クリントン大統領は? インディアンになった日本人 
あとがき 
引用文献
 
この文献の詳細ページへ「アメリカ南西部物語 こころの鼓動が聞こえる場所で」 
高橋純著 海象社

でも、それだけならば、これほど足しげく南西部に通うことはなかったかもしれない。
さらにもう一つ、二つわけがある。一つは、ヒスパニックの文化である。南西部の自然、
インディアンの思考体系とその文化の上に折り重なり、混じり合った文化。南西部は、
コロンブス以来、長い間スペインの辺境であった。その後、メキシコ、そしてアメリカ
合衆国の一部になってきたのだが、ラテンの文化は、まるでかれらの好むチリソース、
サルサソースのように、この大地、先住民の文化を味つける。その意味では、そらに
その後、大陸横断鉄道やルート66でやってきたアングロ文化。いわゆる「西部」の、
アメリカンな、ポップな文化は、南西部をさらに美しく見せるトッピングだ。鉱山開発、
ゴーストタウン、観光、西部劇、療養、リゾート、ニューエイジ、ヒッピー、自己の探求者。
そんなさまざまなトッピングが150年近くふりかけられてきたのが南西部だ。この、
南西部独特の文化の混じりあい、混沌ともいえる混じりあいを、ぼくはとても好きだ。
それは、南西部のめくるめく光と色に似ている。ぼくは、キャニオンの地層のように織
りなされた、あるいはキャニオンに吹きたまった、多色の砂のような南西部の文化を、
疾走する車の中で、台地の上で、キャニオンの底で、モーテルの一室で、居留地で、
サボテンの林の中で、石の渦の中で、踊りの輪の中で、感じるのだ。南西部の知恵を、
光と風の中で、土と石の上で、風のあとで、虹のもとで、コットンウッドの木陰で、学ぶ
のだ。ある人がいった、南西部はぼくの「癒しの場」なのかどうかということには確信が
もてないでいる。が、少なくとも南西部はそう感じている人が数多くいることは、確かな
事実である。南西部とは「自己を探すために訪れる場所」といったのは、誰だったか。
すくなくとも南西部は、ぼくの居留地にふさわしい。
(本書 はじめに より抜粋引用)
 

この文献の詳細ページへ「イーグルに訊け」インディアンに学ぶ人生哲学 
付録CD マリリン・ヤングバードさんの祈り
天外伺朗 衛藤信之著 飛鳥新社

(新しく出版された文庫版に付録CDが含まれているかは不明です)

また本書では、たまたまのご縁でアメリカ・インディアンを取り上げましたが、同様な
思想・哲学は、アイヌをはじめとして、世界中のあらゆる先住民文化の中に見いだせ
ます(拙著『宇宙の根っこにつながる人びと』サンマーク出版 参照)。つまり人類は、
産業革命以来エゴが暴走しやすい競争社会を出現させるとともに、それ以前の人類
社会が共通に持っていた、人間としてまともに生きる知恵を見失ったともいえるでしょう。
本書は、その中で「息せき切って走るのをやめて、立ち止まってちょっと考えようよ」と
提案しているのです。しかしながら、単に「昔の戻ろう」と言っているのではないので
誤解しないでください。高名なトランス・パーソナル心理学のケン・ウィルバー博士は、
壮大な人類の意識の進化の歴史を詳細に分析していますが、それによると、「エゴの
暴走」も進化の大切なプロセスの一つだったことがよくわかります。人類は全体として
「個」を確立し、「個」を深め、やがて「超個」の時代へ向かっていく、というのがウィル
バーの学説です。さしあたり、次の「個を深める」段階というのは、明解に見えており
(『深美意識の時代へ』)、そのプロセスにアメリカ・インディアンの伝統的な叡智がと
ても大切だ、と気づいたことが、本書を企画する動機となっています。
(本書 まえがき より引用)
 
この文献の詳細ページへ「自分を信じて生きる」 
インディアンの方法 
松本正著 小学館

さて、この本の中でぼくが語ってきた話は、自分の魂を恐れることなく語り伝えてきた
先人たちの言葉に学んだものばかりだ。この十年あまり、ぼくはさまざまな研修やワー
クショップやプログラムで出会う人たちに、ラコタの人たちから教わったことを語り、心を
込めて分かち合ってきた。幼稚園児、小学生、中学生、高校生、企業人、母親、お年寄
り・・・・。さまざまな年代の人に、それらの言葉はたくさんの気づきを与えてきたのでは
ないかと思う。人生の危機的状況の中にあったり、問題から抜け出せずに堂々めぐりし
ている人には、生きるヒントを与えてきたのではないかと思う。そんな、力(メディスン)を
持った言葉だと信じている。何よりぼく自身が、これらの言葉によって、どれほど救われ
たことだろう。プログラムの参加者たちとこれらの言葉を分かち合ったとき、そこに共感が
生まれ、涙が流れ、笑いがわき起こり、どれほどの勇気と元気をもらったことだろう。これ
らの言葉が人々に受け入れられることを通して、どれほどぼく自身の自分を信頼する力と
なったことだろう。
(本書より引用)
 
この文献の詳細ページへ「アメリカ・インディアン 笑って生きる知恵」 
エリコ・ロウ著 PHP文庫

アメリカ・インディアンも白人の米大陸侵略以来、民族虐殺、奴隷化、宗教弾圧と悲惨
な歴史を生きてきたが、幸運だったのは、彼らの社会に笑いを尊重し、笑いで心を通わ
せることを神聖な行為とみなす習慣があったことだ。だから、どんな苦難も逆境も泣く代
わりに笑いのネタにして、一緒に笑い飛ばした。そうすることで、個人の心が怒りや憎し
みに焼き尽くされるのを防ぎ、民族の正気を保つことができたのだ。人口の90パーセン
トを失い、不毛の僻地で貧困のどん底に追いやられ、伝統文化も信仰も奪われた人々
にとっては、唯一残された笑いが精神の拠りどころとなり、サバイバルの鍵となったといえ
る。おなかを抱えて笑えばストレス・ホルモンの分泌がおさまり、血圧が下がり、筋肉も
リラックスし、病気を予防、自己治癒に導く免疫反応が活発になることは現代医学でも
証明ずみ。アメリカでは最近、よく笑う人は心臓病になりにくいという研究報告も発表され
話題になった。アメリカ・インディアンと日本人は祖先を同じくする親戚民族で伝統文化に
は共通点も多いが、彼らに比べると、日本人は物事をきまじめに考えがちで茶目っ気に
欠けるような気がする。笑いを尊ぶアメリカ・インディアンの生き方を紹介する本書が
文庫版として再出版されることになったのも、上手な笑い方、上手な生き方を模索する
社会のニーズい応えてのことなのかもしれない。「勤勉な日本人は笑い方も本で学ぶ」、
とアメリカ・インディアンならすぐにジョークにするところだろうが。
(本書 文庫本のためのまえがき より引用)

エリコ・ロウさんのブログ「マインドフル・プラネット」

 
この文献の詳細ページへ「アメリカ・インディアンの知恵」 
エリコ・ロウ著 PHP研究所

第1章 笑い飛ばせば、人生は楽しい 
心の洗濯に出かける 笑って立ち直る 笑っている場合ではない。だから笑う 
なーんちゃって、で日は暮れる ヘヨカの笑い 笑いは強靭な精神力のあかし 
第2章 本物として生きる 
ヘヨカの使命 現代人は偽物ばかり 「今やるよ」の真実はどこにある? 
自分の人生が何に支配されているかに気づく 化粧が落とせない? 
人生は一刻、一刻が選択 迷ったら、立ち止まればよい 
自分の道を生きていれば、死は恐れるに足らない 
本当の人生は40過ぎてから始まる 二つの世界を同時に生きる難しさ 
模索する自治区の若者たち プー太郎から学ぶ 
第3章 スローライフに帰る 
聖なる愚か者 「泥頭」の教え インディアンはあせらない 
じっくり腰を落ち着けることから始める 急ぎすぎから病いも起こる 
社会が加速しても、人は加速できない 人生は早送りできない ながら族をやめる 
毎日の暮らしから学ぶ 
第4章 自然の恵みで豊かに暮らす 
母なる大地に足跡を残すな シンプルで豊かな衣食住 草木が癒してくれる 
必要なものはすべて身の回りの自然にある 野牛の教え 
食べ捨てずに食べ尽くし、使いきる トウモロコシに学ぶ ズニ族の食卓 
ラコタ族の食卓 アートは自然への祈り 
土と水と気と火への感謝を形にすると、焼き物になる 枯れ草も、龍に生まれ変わる 
絵や模様には、教えがある 自然に美を身にまとう楽しさ 
第5章 すべてはかかわりあっている 
ミタケオアシン 人も地球の自然の一部 他人を縁者として尊ぶ 
人の輪で、知恵の輪も広がる 裕福さとは人に与えられること 
分かちあって食べるから、おいしい 物への執着を捨てれば、生きやすくなる 
ギブ&ギブの社会は優しい 
第6章 サステナブルな未来へ 
日本人のカン違い 幸福は買えない モホーク生活共同体 
教訓は、物語で受け継がれる 伝統への回帰で、生き方を学び直す 
未来は、私たちしだい ビジョン・クエストの教え 
新たな始まりに向けて・・・・聖なる山ベア・ビュートにて

 
この文献の詳細ページへ「パウワウ アメリカ・インディアンの今日を無駄にしない教え」 
エリコ・ロウ著 青春出版社

たとえば、オマハ族には「小鳥ではなく鷲の道を求めよ」という格言があります。些細
なことにいちいち嘴を突っ込んで不平不満のもとを見つけるのではなく、大空の高みを
駆ける鷲になったつもりで人生を達観してみる。そうすれば、周囲の美しさに気づいたり、
思いもかけなかった視点や視野が開けてくる、という教えです。野性の自然が息づく
アメリカ大陸で、自然と一体となった暮らしを堂々と守ってきたアメリカ・インディアンの
人々は、人として無理のない生き方を自然から学んできました。そして、物欲や利便性
より自然との調和と均衡を尊ぶ独特の価値観と、人の運命も大いなる自然の摂理と
受容する、おおらかで快活な人生哲学を、代々実践してきました。だからこそ、白人の
侵略で人口の90パーセントを失い、家財も家畜も焼き払われ、強制移住を強いられる
苦難が長く続いても、絶望や悲観から道を失うことなく歩み続けてこれたのです。明日
には新たな日が昇る、という自然の巡りの叡智を信じて、不運を笑い飛ばし、逆境から
学び糧とする。そんな彼らの強靭な精神性を、私は何よりも崇高で美しいと思います。
空を父と、母を大地と崇め、他の生き物を地球の兄弟姉妹として暮らす奢りのない彼ら
の生き方は、時代遅れどころか本来あるべき人の道で、人類のサバイバルの絶対条件。
そんな彼らの生き方から学ぶことで、私たちも、置かれた環境のなかで、より生き生き
と楽しく生き抜いていく知恵と本能を取り戻すことができそうな気がします。アメリカ・
インディアンが各部族の伝統文化を学びあうお祭り、パウワウにならい、さまざまな部族
の伝統の教えを集めたこの本で、貴重な教えのエッセンスをお伝えできれば幸いです。
(本書 はじめに より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ「アメリカ・インディアンの心もからだもきれいになる教え」 
エリコ・ロウ著 扶桑社 

本書では、アメリカ・インディアンのメディスンで伝統的に使われてきた薬草・薬木を
とりあげて、日本でも実践できるようにさまざまなメディスンを紹介しています。ただ、
そうした薬草・薬木のなかには、日本には生息していないものもあります。たとえ類似
種でも、その薬効には違いがあるうえ、そもそも薬効成分にはさまざまな作用がある
ため、使用方法を間違えると事故につながるおそれがあります。持病のある方、妊娠
中の方には、特記していない植物でも有害なことがあり、実践は慎重に行うことが必要
です。本書は、アメリカ・インディアンの伝統文化を紹介するもので、治療を解説した
専門書ではありません。薬草療法に関しては、自己流で行わず禁忌について専門家の
アドバイスを求めることをおすすめします。
(本書 本書を使用するにあたての注意 より引用)
 
この文献の詳細ページへ「インディアンの知恵」 
心が曇ったら空を見よ 
塩浦信太郎著 光文社

なぜまた、ネイティブ・アメリカンの世界に来てしまうのだろう。ナバホの友人を訪ねる
とき、私はいつもそう思うのです。私は、ずいぶん長いこと旅から旅への生活を続けて
きました。その行動する私の羅針盤は、ここのところいつも“聖なる旅”を志向している
ような気がします。聖なる旅などと言うと、新興宗教の類いを連想されてしまいそうですが、
そうではありません。私はもっとシンプルに自然を感じられる自分でいたいのです。
ネイティブ・アメリカンの世界への旅が教えてくれるさまざまなことは、私にとって、そのた
めの処方箋のようなものかも知れません。
(本書 あとがきにかえて「スタンリー・ペリーとケーロンに」 より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ「パワー・オブ・ストーン 石の力と力の石」 
北山耕平著 築地出版社

この本の中でわたしは何度も石が話をするというただそれだけのことをあなたに
伝えようとしてきた。石の声。それはとても親しみのある声だ。まるで自分のなかの
深いところにあるなにかが話しかけてきているような声である。わたしは石が話す
ことを疑っていない。たとえようもなく美しい夕暮れ時の高原砂漠のあるところで、
わたしは石に話かけられた。「われわれはおまえさんの遠い遠い先祖なのだ。おま
えさんは石から生まれたのだ」 石はわたしにそう語りかけた。そのことがあって
以来、どんな石を見てもわたしは地球のことを考えるようになった。街でも、自然の
なかでも。それが夢だったのかどうかは、ここでは問題ではない。自分が石の語る
声を聞いたと確信できたことがわたしにとってはなににもまして重要なことなのだ。
そして石の声を聞く人間がおそらくこの世界にはまだたくさんいるはずだとこころの
深いところで思いつづけている。本書「パワー・オブ・ストーン」は、前の世紀が終わ
る直前に新人物往来社の「Az」という今はなくなってしまった物質世界と精神世界の
橋渡しを試みた雑誌に発表したものである。以後、若い世代の石に対する関心の
高まりもあって、何度かさまざまに編集されて、他の雑誌の別冊や「パワー・ストーン」
の特集などにかなりの部分が収録されたこともあった。今回、これを書籍化するに
あたって、すべてのオリジナルの原稿に手を加えて再録し、さらにひとつの章を書き
加えた。
(本書 あとがき ストーン・ボーイから君へ 北山耕平 より引用)
 
この文献の詳細ページへ「癒しの料理法 ネイティブアメリカンからの贈り物」 
岡田愛 著 文芸社 

ネイティブアメリカンと聞いて何を思い浮かべるでしょうか? 裸体に近い格好で
動物の毛皮を纏い、顔には色とりどりのペイントを施し、雄叫びをあげ広大なアメリカ
の大地を走り回り、白人の征服者たちとの激しい戦いを繰り広げた人々。何千年の
時を超え、超自然的な空間へ導く不思議な力を持った人。実際はどうなのでしょうか。
私はアメリカのニューメキシコ州に住んでいたとき、ネイティブアメリカンの食文化に
ついて学ぶ機会を持ちました。その中で、人類とハーブの関係について詳しく調べて
いくと、ネイティブアメリカンの薬草としてのハーブの深いつながりが見えてきました。
ネイティブアメリカンとハーブの関係は、彼らの自然、大地、動物、そして精霊への
感謝の念に根付いた精神的なヒーリング儀式であるということに気づきました。都会
に住んでいると、野菜、果実、穀物が生育される過程を私たちはあまり目にしません。
ネイティブアメリカンのように天候に左右されながら、作物を育て、恵の雨には感謝
のダンスをして、感謝の念を全身で表現するようなことはまずないのです。しかし、
スーパーマーケットに行ってお金を出せば求めるものはほとんど手に入れることが
できます。よく言われることですが、私たちは物質社会の中で麻痺しきっているので
しょう。母なる大地に生かされているという感謝の念を忘れてしまっているのです。
本書では、ネイティブアメリカンの自然と融合した普遍的な生き方を、伝統的な食文化
の観点から紹介します。自らの伝統文化を守り続けるネイティブアメリカンとの出逢い
・・・・数多い諸族の中でもニューメキシコとアリゾナ両州にまたがる地域に多い
プエブロ部族(ホピ、アコマ、ズニ、サントドミンゴなどの19部族を含む)の文化に特
に焦点を当てました。みなさんにネイティブアメリカンの力強い、そしてやわらかな風
が、聖なるハーブ、セージのアロマとともに届きますように。
(本書より引用)
 
 

この文献の詳細ページへ「『グレート・スピリット』の教え 
   先住民族に伝わる賢者たちの言葉」

町田宗鳳著 佼成会出版社

この本は一言で言えば、近代文明への過信に対する警鐘です。きっと先住民の
社会でも、さまざまな争いや矛盾があるはずですから、彼らをむやみに美化する
わけにはいきません。本書は先住民の知恵を学ぶというスタンスで書かれている
ので、彼らの部族社会が抱える人間的な問題についての言及が、不十分であった
という反省があります。しかし、市場原理主義に心を侵されているわれわれが、
彼らから学び取ることは、山ほどあります。ましてや、その生活水準が低いからと
いって、彼らを蔑視するような過ちを繰り返すべきではありません。近代歴史の
主導権を握ってきた西洋文明は、そろそろその役割を終えて、人類社会は次なる
文明の段階に移ろうとしています。われわれは今、歴史の節目に立たされている
のです。そういう意味で、われわれには過去の精神遺産を振り返り、そこから新し
い知恵を取り出してくる責任があります。とくに、私は〈いのち〉というものを中心と
した価値観が、これからの時代に主役となるような予感がしています。実は、この
ことについて、私はイランのテヘランで開かれた国際会議で、イスラム教の学識者
と議論したことがあります。彼らは絶対の創造主であるアッラーの下、人間・動物・
植物と、存在価値に序列があり、ピラミッド型の世界を形成しているというのです。
私は、断固としてそんなことはない。生物学的には進化の違いはあるかもしれな
いが、それは単に存在形態の違いであり、すべてが同じ〈いのち〉を分かち合って
いるのだ、と強く反論しました。現代社会は、いろんな意味で荒廃してきましたが、
それがすっかり破綻してしまう前に、われわれは立ち止まって、自分たちに与えら
れている〈いのち〉の意味を真剣に考えてみるべきです。文明の現象面だけに目を
奪われていると、未来に希望が持てず、心は必ず暮れてきます。こういうときにこそ、
文明の根っこにある〈いのち〉の重みに注目しなくてはなりません。そこから新しい
生活が始まるように思います。生きがいは、どこか遠くの場所に隠されているわけ
ではありません。私たちが心静かに、今という時間を振り返るとき、そこにキラッと
輝くものを発見するのではないでしょうか。
(本書 あとがき より抜粋引用)

 

この文献の詳細ページへ「続々アメリカ・インディアンの教え」 
あなたも無理せず健康になれる 
加藤諦三著 ニッポン放送出版

「インディアンの教え」を参照しながら書かれたこの本をきっかけに私たちがより
健康になれるならば、あの世にいるジェームスもきっと本望でしょう。そしてこの本
のおかげで、健康に苦しんでいる人の「人生のすべてが変わり始める」なら私に
とってもこれほど嬉しいことはありません。私は若いころから健康に関心を持ち、
それなりに勉強してきました。そして健康のことを知れば知るほど、つくづくアメリカ
インディアンは健康によい生活をしていると思わざるをえないのです。また、この本
は健康についての技術的な知識を書いたものではありません。健康になりたいと
いう意欲がなければ健康にはなれません。だからこの本は健康の哲学の本と思っ
てもらえれば幸いです。
(本書 はしがき より抜粋引用)
 

この文献の詳細ページへ「死ぬことが人生の終わりではないインディアンの生きかた」 
加藤諦三著 ニッポン放送出版

「あなたの喜びは何? あなたの目的は何? それを見つけなさい。それを確認
しなさい。それでありなさい。そして、それを捨てなさい」 アメリカインディアンの哲学
は仏教の色即是空の考えかたでもあります。形あるものに執着する人と、毎日消え
ていくものを大切にして生きていく人がいます。もちろんアメリカインディアンは後者
です。この本では、アメリカインディアンの死生観や自然観を考えつつ、現代人の心
をどう癒したらよいのかを考えてみました。私達がいかに死に、いかに生きるかを
考えてみました。不死を素朴に信じているアメリカインディアンには活力があります。
未来に希望があるのとないのとでは現在を生きる活力がまったく違います。私達も
もう一度心理的に活力を取り戻したい、そう思ってこの本を書きました。
(本書 はしがき より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ『「予言」のゆくえ』これからの生き方を知るために 
エヴァ・ブックス サンマーク出版

暗い世相の中で真に必要とされるのは、環境問題をはじめとして、現代に山積する
問題を解決するヴィジョンや、未来に向けて意欲的に生きる力を創出する新しい価
値観である。近年、「予言」に関する数々の書物が刊行され多くの読者をつかんでい
ることからも推測できるように、その新しいヴィジョンや価値観がもたらしてくれる可能
性を、人々が「予言」に期待している一面もあるのではないだろうか? 社会不安が
増し、目に見えるもの、金銭などの物質的な価値しか信じられなくなってしまった現代
だからこそ、それ以外の道が模索されなければならない。そうでなければ、未来に対
する希望はすべて失われてしまうだろう。

本来の予言あるいは預言とは、いたずらに不安や恐怖をあおりたてるためにあるの
ではなく、〈地球上に生息する人類の文明や社会が全体としてどのような方向に向か
っているのか〉、また〈人類の進むべき道はこれでよいのか〉といった、経済や政治の
論理だけでは推し測れない、別な視点、別な方向性をもたらすために存在していたと
いう。

人間の精神性や信仰との関連で、現代のさまざまな出来事、人類の情勢を包括的に
とらえるための指針として予言をとらえなおすためにも、いま一度、予言(預言)とは何
かを探りながら、その真意に迫ってみたいと思う。

(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「インディアン・カントリーへ 続・国井印アリマス」 
国井律子著 ワールド・フォト・プレス 

ナバホ、ホピ、アコマ、そしてスー族のエルク。今回の旅で素敵な方々と出会いました。
彼らと過ごした時間は私の財産です。でも「おい、朝から酒なんか呑んでいないで頑張
れよ!」と、思わず引っぱたきたくなるような若いインディアンも見かけました。この旅に
出るまで私が知っていたアメリカは、西海岸とかシカゴとか大きな街だけ。でも、「アメリカ」
という巨大な大陸が今回の旅で少しずつだけど見えてきました。そして気づいたのは、こ
の大陸には私の知らない部族がまだまだいっぱい存在するってこと。社交的なナバホが
いたり、保守的で引っ込み思案なホピがいたり、それぞれの居留地に特色があって、まる
でひとつひとつが国のようでした。だから、ひとくくりに彼らを「インディアン」ってまとめるの
もどうかなぁって思ったり、あと私にはアイヌの血が流れているけど、ニッポン人だってこと
も考えました(久しぶりの日本食で涙するくらいだしね)。彼らだって同様、インディアンだけ
どやっぱりアメリカ人で、大きな組織の中のマイノリティ。それは今後おそらく変わらない
事実で、でも、それを受け止めながら彼らはこれからも生きていかなければならないんだ
なぁ・・・・etc 旅に出ると思うことがイッパイありますね。またこの大陸に来よう。私の心の
中の白地図を埋めていくように、また旅をしよう。
(本書より抜粋引用)


未購入(新刊も含む)の文献


  

   

   

     

    

     

       


Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)







アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)に関する文献

夜明けの詩(厚木市からの光景)

アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)

美に共鳴しあう生命

ホピの預言(予言)

神を待ちのぞむ・トップページ

オオカミの肖像

天空の果実


神を待ちのぞむ トップページ


最初に戻る

サイトマップ



AllPosters