「インディアン・カントリー 心の紀行」

スーザン・小山著 三一書房 より







アメリカに住む著者が、アメリカ西部大平原をさまよいながら

見つけた日本とインディアンの共通分母を探る旅を記した書。

(K.K)




本書「インディアン・カントリー心の紀行」スーザン・小山著 三一書房より引用。


インディアンが近代技術力を発展させなかったのは彼らが劣等で、それを推し進める

能力も知力もなかったからであろうか。少なくとも白人は自分達が過去五百年にわたっ

て先住民族に行った行為を避けられない歴史のしわざであると考え、強いものが弱いも

のを薙ぎ倒し、優勢な文明が劣等な文化を凌駕し、征服して行くのは人間関係の正当な

ルールであると言って来た。それは本当だろうか。その白人の攻撃的な自然征服の論理

に対抗する原住民は、たえず自然との調和をめがけて来た。その野蛮なインディアンの

心理構造には、大地、そして天地と人間の調和を乱してはならないという心の牽制が

つねに働いた。土地に深い愛着を持ち、その土地を場合によっては人間の上にすら置く

人々にとって、土地を、母なる自然を、経済活動の目的、利潤をあげる手段として搾取す

ることは、自らの精神の根本を否定する天地への裏切り、創造主との約束の違反だっ

た。原住民の幼稚とも思われる数々の創造神話、伝説は、すべてこのような天地との

約束の物語、人間が自分に課したハンディなのである。日本にも「雪女」「おつう」などの

民話がある。これはインディアンの民話、ひいては伝承伝説のたぐいと思想を同じにす

るもので、雪女はべつのところで述べた「とうもろこしの乙女」とまったく同質の存在であ

る。雪女に象徴される自然と、その約束を破った人間の愚かしさの帰結を示して、調和

を乱すまいと自らへのいましめとしている。それは欲望という怪物を野放しにしない用心

であって、表面的な幼稚さを超えた深遠な哲学があると私は思うのである。つまり自然

というものをつねに頭において人間生活に中庸を求め、そのバランスをつねに図って

いるのがインディアン文化なのである。人間これ以上やってはいけない、というものが

あるはずである。なぜなら、人間の欲望を野放しにしてしまうと、自然との中庸ある関係

はとうてい望めなくなる。物質の探求、消費主義はつまりは自然の搾取となり、追って

も追っても満足されない人間の欲望は結局自然を無限に犠牲にしなければ達成は出来

ない。そしてそれは当然のように自然との調和を破壊せずにはなりたたない世界を目指

すのである。それこそいま私達の住んでいる世界ではないのか。米国でもっとも有名な

環境保護主義者のひとり、ジェリー・マンダーはその著のひとつ In the Absence of the

Sacred (「聖なるものの欠如」とでも訳そうか)のなかで、人間はつねに中庸を求め、

それに逆行するものを取り除く努力をして来た、その垣を取り除いてしまったものが近代

産業の生んだ消費文明であるという意味のことを言っている。私はこれには大賛成で、

中国人が火薬の発明者であるにもかかわらず、結局これを花火というおもちゃにしてし

まったのは、それが大量の殺生に通じる危険性を持ったものであることを承知していた

からに違いない。この発明には彼らの中庸感覚を乱すなにかがあった、だからそれを

おもちゃにしてしまわずにはいられなかったのだ。これを中国人から盗んで大量殺人

機械を作ったのがヨーロッパ人だった。その延長になにが来るか? これが近代先進

文明というものの実態である。



「さて、祭りの日が近づくと人々は砂漠に出かけて様々な蛇を捕まえてくる。

毎年捕まえに行くのは面倒だから飼って置けば良いのに、などと考えるの

は私のような怠け者くらいのものだから、自然のものを自然のままに、創造

主の作った流儀を尊敬するホピ族はその都度出かけて行く労をいとわない。

砂漠にはさまざまな蛇がいるが、なかには、というよりもその大部分が猛毒

を持つブルヘッド、がらがら蛇、サイドワインダーのたぐいである。この採集

も東西南北四つの方向に四日にわたって行われる。捕まえられた蛇は土製

の瓶のなかに入れられてキヴァに運ばれ、そこで祭司はその魂をあがめる

さまざまな祈りを捧げる。蛇は数日にわたる儀式のあいだ神聖なとうもろこし

の花粉を与えられ、大切に大切に人間のそばにおかれる。儀式に従う主立っ

た人々は祭りの間中キヴァの中で寝泊まりするが、その間蛇とともに寝起き

する。さきに述べたバンダリェはその日記のなかで、長さ数メートルに及ぶ

巨大な蛇が、キヴァの床に横になって寝ている人々の体の上に身を横たえ

て一緒に眠っている様子を書き留めている。そこでこの蛇踊りである。

踊り手(すべて男性であるようだが)はこうして集めた蛇を踊りの主体に据

え、それを口にくわえ、また伝統の手順に従って頃合に放して次の蛇に

移る。逃げるのを捕まえる係りがいて、驚くべき巧みさで遠くにいかない

うちに捕まえ、瓶の中に戻す。こうして儀式の終わったあと、蛇達は再び

丁重な祈りの言葉とともにもとの砂漠の中に放たれるのである。このような

儀式は白人の進出以来度重なる干渉に出会ってきた。力による禁止は

もちろんだが、時代が進んでもう少し人道的になっても、毒蛇の被害から

守るためというようなもっともらしい口実で禁止の動きが出る。言うまでも

なく部族は頑強に抵抗して信教の自由を守り抜いた。そして白人側が

設けた禁止の口実にもかかわらず、これほどの猛毒をもつ蛇を扱う人々

のなかから被害が出たという例はまずないという。彼等の信念によれば、

蛇は邪悪な心を見抜く力を持っている。だから正しい心をもって接すれば

決して噛み付かれるようなことはないというのである。大自然への、ひい

ては創造主の創造物に抱く絶対の信頼だろう。それでも単なる無知で

信頼によりかかっているのではなく、十分な観察から来た蛇の習性への

知識が被害を防いでいるのだという。」


 


目次

第一章 異文化の共通分母

私のインディアン

一本の羽根

ジグソウ・パズルの一片

対立論法・・・・二律背反の落し穴

直線思考と包括思考

蒙古斑点


第二章 サンタ・フェ街道

サンタ・フェ街道

三つの文化

トルコ石

プエブロ族ととうもろこし

天地に平衡をもたらす聖なる道化師

知事告知・サント・ドミンゴの部落で

サント・ドミンゴのとうもろこし祭り

とうもろこしに寄せて


第三章 南西部族のこころ

緑の丘(メサ・ヴェルデ)と古代のアパート

古代の壁新聞

砂漠の蜃気楼

がらがら虹

スネーク・ウーマン

メディスン・マン

ナヴァホの創造神話

a 伝説の意義

b 空飛ぶ人々

c チェンジング・ウーマン


第四章 星ひとつしかない星条旗

セレモニー

ナヴァホ暗号隊

a 共通点をもとめて

b 太平洋の死闘

c 心の眼で


 


スーザン小山 さん

コロラド州在住の著作家、アメリカ・インディアン研究家、スーザン小山さんが新たにホーム

ページを創りました。スーザン小山さんは多くのインディアンに関する書籍を出版し日本に紹介

しておられる方で、「アメリカ・インディアン 死闘の歴史」並びに「大草原の小さな旅」は全国

学校図書館推薦図書に選ばれた文献で、その他にも「インディアン・カントリー 心の紀行」

「白人の国、インディアンの国土」があります。特に「アメリカ・インディアン 死闘の歴史」は、

平原インディアン(ダコタ・シャイアン・アラバホ・クロウ族)の終焉の物語を描いた力作です。

また、西欧でベストセラーになり、来日し講演したこともあるインディアンのロス博士の著作

「我らみな同胞」をも翻訳されております。このスーザン小山さんの総合ホームページの中の

「アメリカインディアンの歴史と文化のページ」では、興味深い記事が掲載されており、「環境

破壊ページ」では、絶滅動物が写真と共に詳しく紹介されています。私自身スーザン小山さん

から多くのことを教えていただいたり、何度となく励ましを受けてきました。このホームページ

はスーザン小山さんのそのような飾ることのない、温かい人柄を感じさせてくれます。


(2017年4月追記) 上の小山さんのサイトは現在閉じられており、「スーザン小山のスピリチュアル・ウエブサイト」

が新たに作られております。このサイトで紹介されている「薩垂屋多助 インディアンになった日本人」スーザン小山著

は小説でありながらも、過去の歴史的事実に、「多助」という架空の日本人を織り込むことによって、現代に新たな命

を吹き込んだ傑作であり、400年前のインディアンの魂の叫びを聴き取った第一級の作品です。


  

 








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